不可思議の世界NO.34

京都・亀岡の良く当たる占い師の話

京都でよく当たる占い師は?
注;URL<京都inet>

不可思議NO.31 不可思議NO.32 不可思議NO.33

不可思議NO.20 不可思議NO.25 不可思議NO.30
不可思議NO.5 不可思議NO.10 不可思議NO.15

題目一覧表 お問い合わせ状況 三栖神社・炬火祭

目次

不可思議NO.35

NO.370 長男、被害者、事故られるの話(12) 槇島の狭いの、我が家の話(1)

NO.369 長男、被害者、事故られるの話(11) 主居んよになって、家、壊れ出すの話

NO.368 長男、被害者、事故られるの話(10) 万事、紙一重の話

NO.367 長男、被害者、事故られるの話(9) 悪い事も、タイミングと、中身の話

NO.366 長男、被害者、事故られるの話(8) マダ、一件あったの話

NO.365 長男、被害者、事故られるの話(7) 経験して分かるの話

NO.364 長男、被害者、事故られるの話(6) 当方の、マダ、1件あったの話

NO.363 長男、被害者、事故られるの話(5) 当方の、1件の話

NO.362 長男、被害者、事故られるの話(4) 悪い事も、慶事も続くの話(2)

NO.361 長男、被害者、事故られるの話(3) 悪い事も、慶事も続くの話(1)

不可思議NO.33


NO.361 長男、被害者、事故られるの話(3) 悪い事も、慶事も続くの話(1)

諸般、諸々の、何故に、この話、「不可思議の世界」かの、一端、示せば、この事故、られたが、少々、気に掛かる故でして。
何故に、気に掛かるかと、なればの、諸般あるです。
思い当たるの事、多々あるです。
まずは、当方の事、云えば、43歳の頃哉に、退社時、バスから、降りて、我が家に向かうの道中。
云うたって、バス停からなら、徒歩、そやなあ、5分程度哉の。今でこそ、その道、灯りあるですが。当時、真っ暗でして。

いやなあ、朝の行きは、JR、当時には、国鉄哉でして。
イヤイヤ、話なるは、その行きも、その道、通ってるですが。別段にの、何も無かったですが。単に、鋪装をしてないの、土の道と、云うだけでして。
ところがや、帰り、真っ暗な道で、何かに、足が乗り上げて、乗り上げたは、ええけれどの、足は、その下に落ちて、その拍子に、転けたです。

ダケでは、様子が分からんですが。こちも、何が起こったか、分からんでして。只、転けるの際、大きな音、ボキっと。
イヤ、簡単明瞭の、足の骨が折れたわと。
左足、ぶらんの、ブランでね。コマツタなと。コマツタな、以前の、折れたは、分かるし、兎に角、我が家に帰りの、病院にと。思えどの、歩けへんわと。骨折故。

でや、ケンケンで、帰ろかと。事実、ケンケンで、何歩かは、進めたですが、そらなあ、骨折でして。痛あて、痛あて、動けえへんわと。
よて、横に成りの、通過するの車に、手を振り、助け求めるも、一台も駐まってくれず。
云うたら、皆様、水臭いねえ。無視でして。当時、皆様と、する程の、台数、通ってませんですが。2台、3台の範疇哉の。そして、4台目哉のが、駐まってくれて。へえと。
へえは、ええけれどの、降りて来たの方、少々、アンちゃん風の、兄ちゃんでして。コマツタなと。云うてる場合で無いの、斯くの、然で、我が家、スグのそこですがと、救助を求め。

とするよりは、様子見たら、分かるの。そしたら、助手席哉に、モ1人の、アンちゃん、兄ちゃん風のが、乗ってたですが、それに、降りよと、命じの、乗せてくれて。無事に我が家えと。
そこで、肩車してくれて、玄関先まで、届けてくれたですが。
嫁はん、その光景見て、ビクリの仰天の、ンの、この方に、お礼を云うてくれと。助けてと、するのか、送ってもろたんやと。
云うてるの間にも、その方、名も告げずの、消えてもて。

とかとか、この助けてもろたの話なるは、本題で、無いのけどや。
そんなモンやなと。余所様は、水臭いわと。当方なら、様子からして、助けるぞと。当世でも、その当時でも、諸般、怖いの世の中なれどのと。
その手の事、怖い事、覚悟の上で、様子見だけでも、致すわと。送り届けて呉れと、云われたら、送って差し上げるです。余程に、急ぎの用事が無いの限りなれどの。そんな急を急ぐの用事が、早々にあらへんわと。

でや、その転けた場所の事、なれどの、その日、当方、朝、出勤の時には、何も無かったのが、実は、鋪装工事を開始の日でして。
地面を何センチか、掘り起こしてたです。
ででや、当方、足が乗り上げ、足が落ちたの場所なるは、元々が、マンホールでして。その場所の土が、掘られて、マンホール部突出。
要は、その角の方に、左足が乗り上げ、下に落下で、その下の横手に、右足有りで、足が揃たままに、カラダが、マンホール側に転けたんやと。話簡単、マンホールの突出部が、テコの、支点と化しての、ボキリでして。

云うたら、何やけどの、本来ならばの、赤色灯、通行禁止、囲いするなり、せねばならぬのに、何もせずの、先刻の通りの、真っ暗気。
モ一発、云うたら、何やけれどの、その当時、当家、皆で、しかるべくの、ディズニー・ランドに行くの計画してての。ンの、そやなあと、有給休暇でも取るかと、取ったの日。
結果、その計画、ディズニー・ランド行きは、決行出来ずの、以来、一度も、ディズニー・ランドには、行ってえへんわと。

ンの、その話と、長男の、此度の、事故られたの話の関係はと、なればの、この段階では、単に、当方も、骨折経験あるぞ。足と、腕の違いあるけれどと。
ダケに相成るですが。
そんな話に非ず。
その、骨折も、足首からの、複雑骨折での。左足には、プレートをくっつけられて。
1年か、1年半後には、そのプレートを外すの手術をして戴いたですが。まあな、当方、マダ、40代でして。若いわと。

でや、その2度目の手術で、外して戴きの。基本、入院先、「府立南丹病院」では、リハビリの毎日でして。骨なら、くっついてるしと。
結構、辛いの、リハビリでして。足首が動かんでねえ。要は、長らくの、固定され、外で歩くの際には、ギブスでして。足首、曲がらんよにと。イヤイヤ、リハビリにての、動くよに成りの。現在唯今と、するのか、気が付いたの時には、チャンと、曲がってるですが。走れても、いるですが。その気、ならばの、なと。
それも、結構の、2度目の入院中、親父の他界。

云うてるは、その一家にとて、悪い事あるの時には、悪い事が続くの可能性あると。
当然の、ええこと、慶事あれば、慶事が続くぞと。


そんな次第の、斯くなるでの。
神戸の息子宅に出向いたの、明くるの日、嫁から、教わったの経路、行き順にての、無事にと、するのか、少々の間違いはあったのけどや。
ンの、コレ、見舞いなんやねえ。長男の様子を見にと、するのか、顔を見にと。

イヤイヤ、案外に元気と、するよりは、まあ、元気が正解哉の。元気も、そらなの、右手、手首骨折。左腕、二箇所折れてての、元気も、異なれどです。
正直、中身的、心中、穏やかに非ずの、諸般、途方に暮れてるは事実やけれどや。

当方にしたって、骨折入院、困ったですが。
そらなの、仕事をどするやと。回るん怪と。さりとての、どするも出来ず。足折れてて、歩くは出来ませんでして。大人しくの、入院してな、仕方があらへんわと。
云うたって、計画してるの事、都合なるが、全くの、狂てもて。
それもあるし、チャンと、骨くっついて、元通りの状態に戻るのやろ怪と。元通りとは、ビッコ引かずに、正常に歩けて、走りもなと。不安だらけが、正直なると。

そらなの、余所様、家族でもや。自身もや。骨折なるは、整形外科の範疇での。生死に関わるであらへんわと。
思えどの、事実、そやけれどや。そと、信じてるのけどや。当事者たる、不安だらけでね。金銭に換え難きの思いやわと。

ンの、当方の時には、交通事故に非ず。
さりとての、相手先なるは、工事担当会社でして。
云うたって、その当時の状況、誰が証明するの怪と。赤色灯無く、マンホールに、囲い無く。突起したままで、そのままでと。
当然の、こんな事、常識やろな。

との、現場調査なるは、総務担当がしてくれたですが。
そら、こちは、入院やし、現場を見てませんでして。只々、何に乗り上げたんやと。真っ暗故、マンホールがあったは、総務担当の話から、でして。自身の骨折したの状況より、へえと。成る程なと。

イヤイヤ、コレ、会社<ローム株式会社>の総務担当通じの、申し立てたです。損害賠償をと。
結果的、ここだけの話、でも無いの、慰謝料として、20万円哉を戴いたの哉と。
されどの、ダケでして。
オッとの、多分なら、当方、掛けてるの、生命保険<養老保険・日本生命>にての、幾らかの、保険金も出たの哉の。知れてたですが。
(16/06/12)


NO.362 長男、被害者、事故られるの話(4) 悪い事も、慶事も続くの話(2)

いやねえ、云うたって、どの範囲を考えるかがあるですが。
親戚筋で、血縁あれどの、全部が全部、情報と、するのか、凶事、慶事、耳に入って来るであらへんでして。
事あっても、その間、間隔があるです。

従兄弟の、子の、結婚、出産なんか、情報、入らんし。
此度、長男の事にしたって、従兄弟までには、連絡してへんし。
したは、妹と、嫁はんの兄姉、まで、でして。これも、単に、事故られたのだけで、物損程度なら、わざわざの、伝ええへんわと。

間隔にしたって、10年、20年もの間が空いたら、無関係と、するが筋でして。
そしたら、5年なら、4年なら、3年ならと、相成るですが。そらなあ、何か、事あって、数日、数週間、数箇月の間なら、ンと、なるですが。思い当たるですが。
云うてるは、従兄弟の、子の、結婚等々、家が近くなら、即の、耳に入れど、遠くなら、入らんわと。入らんの情報、関連付けよの、しよがあらへんわと。
されどの、分かれば、どなん哉と。
悪い事が続き、慶事、ええ事も、続くの、信憑性がや。

での、当方の場合、とするのか、当家の場合、祖父が亡くなり、期せずしての、その次男<我が叔父>が、満州にての、戦死してるですが。
祖父、昭和20年<1945年>、5月で、叔父、8月。この時、息子の戦死の件、伝わったは、数年後でして。戦地の、叔父も、父親亡くなったは、知らんやろと。
さりとての、戦争中には、こんな話、方々にあったの筈での。
ででの、以来、間が空き、祖母が亡くなり、親父隔離入院<結核>が、昭和の、46年<1991年>でして。何箇月の間があったかは、忘れたわと。

でや、話、直接の関係あらへんですが。
基本、祖母が、親父が、当時には、家の主<あるじ>での、生活をば、支えてましての。当方も、既に、社会人には、成ってたけどや。まだ、新入社員の、2年生、3年生、やんかいさと。
お見事、仏光寺の家が、住めるの状態で、無くなって来てね。
コレ、何を云うてるかと、なればの、家の主が、そんな事になれば、家が崩壊するです。この崩壊、家族がバラバラになった。のも、あるけれどの、家そのものが、崩れ出し。

元々が、古家でも、あるのけどや。
借家やしなと。こちの都合で、手直し、出来ませんでして。手直しで、済むの状態で無くて。やるなら、建て替え必要でして。諸般、家主と、当方、交渉結果、断念したですが。
よ、考えたら、当方も、そんな若造<23、24歳頃>で、よ、やったわと。

そらなの、祖母亡くなり、親父は、入院で、居てませんでして。母なんか、妹も、相談するの相手に成らず。
むしろの、突然にの、一家、家族を守らんならんの立場やわと。本来的、ノー天気で、自覚、大してあらへんかったのけどや。
あるも、無いも、家が雨降ったら、傘差して、過ごさんならんよな、状態で、住めるモンかと。
そやけど、先立つモノ、金がなと。正直、一銭もあらへんかったのけどや。そらなの、社会人に成ったのばかりの、大体が、金銭感覚絶無。或る意味、殆ど、家に生活費として出して。残りは、全部、自分の小遣いで、使いの果たし。貯金するなんか、毛頭のと。

オッとの、何の話、してるの怪の。
ノー天気、結構も、即の、動かんならんわの、中古住宅、槇島の家を買おたんやと。買おてからの、生活設計なんか、全くのと。住宅ローンなんか、給料からの、天引きでして。
可成りの額やったのけどや。まあなあ、同じの調子で、やってたわの、貯金、ゼロ。

オトトの、トットの、何の話、してるの怪のと。
がしかし、この件、本題とは、直接の関係無いですが。イヤイヤ、可成りの、あるの。
槇島の家、なるは、家相良く。家相をどんな具合に見るかの、専門的知識あらへんですが。当方にや。

云うてる、云いたいは、この家で、当方、結婚しの、妹も、ここから、嫁ぎの、長男、次男誕生。
槇島には、7年しか、住んでえへんでねえ。
ソラ、次男誕生の時点で、手狭になりの、将来、成る筈での。家族、5人、6人、暮らせるの。5人とは、母での。6人とは、親父退院したら、6人やと。少々、広めの我が家をと。槇島に比べたらの話やでの、物色に、方々、ドライブがてらの、出向きの、現、亀岡なら、何とか、買えるなと、相成って。

モ一発、明確に申すの、家相良かったの評価なれどの。
槇島時代に、慶事、連続してるわと。
再度、申すの、当方、結婚。妹を嫁がせ、長男、次男、誕生でして。

ほんまやでと。
コレ又、貯金、一銭もあらへんのになと。結婚がや。基本、金銭感覚乏しくて。チャンと、管理してくれるの嫁はんをと。
イヤイヤ、極の、普通に、京都、円町、玉姫殿にての、結婚式催してるわと。新婚旅行までの、資金、ややの、欠乏故、国内も、伊豆、熱海、止まりで、この時、初めて、グリーン車に乗った、なと。初めても、以来、現在唯今まで、あらへんですが。

妹の結婚についても、嫁入り道具、可成りの援助と、するのか、してるわと。当然の、兄としてと、親父が入院で、居てへんし、変な話、基本、親父の代行的でして。
そらなの、長男故、当然でして。

余計なるの話、なれどの、結婚の結納、ボーナス全額。
結婚式費用、ボーナス全額。
妹の嫁入り道具と、するのか、その辺りの資金に、ボーナス全額。
事程左様の、何でもに、ボーナス全額。母の借金返済も、ボーナス全額、何回怪なと。

正直、申すの、結婚してからの、ボーナス全額なるは、嫁はんも、大変やった筈でして。
オトトの、何の話、してるの怪の。
慶事も、続くし、凶事も、続くは、事実の、まだまだ、事例数多、承知してるわと。

オトトの、当時の慶事、まだあったの。
妹の結婚で、妹家に、長女<姪>誕生で、当家、息子2人に成って、妹家にも、息子<甥>が2人誕生。

そ、云うたら、マダ、あっての。その前には、嫁はんの姉家に、長男<甥>誕生での。当家、次男誕生の年には、姉家に、長女<姪>誕生してるなと。
モと、云うてもたらの、その年には、当家、息子共の嫁も、その年なんやと。
嫁なるは、この当時には、遙か彼方の、世界。
では、あったですが。

ンの、何の話、してるの怪の、長男の骨折、事故られたの話が、どこかえ、行ってもてるなと。
イヤイヤ、全くの、無関係の話をしてるであらへんわと。
(16/06/14)


NO.363 長男、被害者、事故られるの話(5) 当方の、1件の話

オッとの、失念してたなと。
祖母が亡くなり、親父が強制入院。
これ、当方、ローム<当時、東洋電具製作所>に入社2年、3年目の辺りの頃なれどの、当方にも、諸般あったです。

時期、定かに覚えてませんの、その前か、後か。但し、その当時の事。
多分なら、祖母亡くなるの直前の気がしてるの。怪我したです。
ここで、補足的、祖母は、寝た切りの以前に、車にぶつけられの、腰骨、骨折してるです。それが、原因にての、寝た切りでの、亡くなったです。

当方の、怪我、会社での、実験中での。当時、抵抗器製造部の、生産技術課に所属してたですが。イヤ、入社が決まり、夏休みの実習では、QC課<品質管理課>でしたですが。
入社で、配属先も、そこでしたですが。入社即の、QC課が、QC課と、生産技術課に、分かれまして。当方、生産技術課の方に成ったですが。
一番に長いの職歴、QC担当、なれどです。ロームでの、QCとは、生産技術をも、含むの、QC担当でして。
入社当時には、金属皮膜抵抗器を開発中での、その実験をしたり。実験とは、歩留まりが極端に悪く、理由なるは、製造過程で、抵抗値の変動あって。

イヤイヤ、少々、説明要するの、炭素皮膜に対し、金属皮膜とは、抵抗値の許容範囲狭く、要は、精密用での。されどの、工程間変動と、するは、工程を経るに、抵抗値が替わってもての、許容範囲から、外れてまうの現象。
新入社員時代には、昼間、その対策実験して、夜は、夜で、製造工程に放り込まれの、作業してたですが。
イヤ、売れて、売れての時代で、作っても、作っても、追い着かんの時代での。オッとの、金属皮膜抵抗器の事に非ずの、モールド型でして。工程の応援は、です。

オトトの、要は、昼間は、金属被膜抵抗器の工程間変動<抵抗値の変動を少なくするの実験>対策。
又、別途の、品質改善の実験をば、平行して、やてたですが。
人事異動も、激しくて。生産技術課に成ったの同期入社のが、生産システム開発部に、移動したり。これは、機械屋でして。生産設備の自社開発するの部署。

でや、そいつが担当してたの、実験、高倍率化の業務を引き継ぐ事になってね。
余計なるの話、現在、「芋煮会」と称しの、ロームの仲間で、畑仕事の真似事してるですが。そいつも、一緒でね。こいつ、1年浪人、1年留年故、年齢的、2歳上なれどの、卒業一緒で、入社も一緒なら、同等でして。
イヤ、大学は一緒に非ずの、そいつ、同志社大学の機械工学。

トッとの、話、これぞ、少々の逸れてるですが。
要は、当方、専門、専攻、電気工学でね。云うたって、入社したなら、基本的、専攻学科なんか、関係あらへんでね。大きくなら、理系か、文系かで、配属先が違うし、まさかの、文系のに、この手、実験、開発等々なんか、任されへんわと。

いやなの、そいつ、機械専攻故、機械に絡むの、何ちゅうかの、抵抗器のカッティング。基体<セラミック・磁器>の形状、円筒形での。その表面に、抵抗体であるの、炭素なり、金属を被膜状に生成と、するのか、生成やねえ。被膜を附着させてるですが。
それを、ヘリカル、つまりは、表面をば、円筒形故、螺旋状に、抵抗皮膜に溝を切るです。

切る事により、例えばの話の、初期値、カッティング以前には、10Ωなりのを、100Ωに、150Ωにと、所定の抵抗値にするですが。
この、初期の抵抗値を、「初抵抗」。
「初抵抗」では、バラツキ高く。又、高抵抗、つまりは、100kΩなり、1MΩなるは、抵抗被膜の厚さが薄なてねえ。薄くせねば、高抵抗値を得られませんでして。薄けりゃ、薄い程の、品質的にも、不安定でね。

よて、高抵抗のでは、なるべくの、高倍率。
要は、「初抵抗」値の低いのを、100倍に。それよりも、高倍率の、1千倍にと、ヘリカル・カッティングする事で、品質の安定した、高抵抗値の製品を製造するが出来るですが。
とは、理屈的、理論的の、話での。
その理屈、理論は正解なれどの、それを、実現するに、技術的に、出来んとなと。この技術的とは、製造工程にて、すんなり出来るよに、せねばの、それが、生産技術課の業務。

それと、この一連の話と、何の関係がと、相成るの。
とりあえず、人事異動で、高倍率化の担当してたのヤツが、当方に、この業務、引き継いで頂戴なと。ンと。
機械のが、電気のにと、相成るですが。この程度の事ならなと。

イヤイヤ、何ちゅうかの、製造工程さえ、把握してたら、簡単なるの事での。これ又、理屈上ではなと。
抵抗器に、ヘリカル・カッティング施すの、製造機械<当時、「SGM」と、称してたです>で、倍率を設定するの部品、ギヤ。要は、歯車でして。
これの設計なるは、機械屋なれどの、その部品、歯車なるは、そいつが設計しての、試作品を入手してて。
とりあえずは、実際に、SGMで、その歯車を使用で、何倍の抵抗値にカッティング出来るか、その精度は、限度はの、調査でありの、実験でして。
結果的、この歯車では、初抵抗、何Ωのを、何Ωにカッティング出来るかの、表作成の、工程移管するの業務。と、云うてもたら、簡単での。但しの、余りの高倍率も、溝の幅がなと。
とかとかの、諸問題あるのけどや。

そんな細々、ここでは、割愛の。本題に非ず故の、での、ででや。
引き継いでの、その実験途上。
要は、倉庫みたいな処に、実際にも、倉庫なれどの、実験がための、SGMを一台、設置で、カッティングでして。
カッティングは、当然の、研磨用ディスクで、行うですが。そらなの、磁器を、ヘリカル<螺旋状>に、溝を切削するの、機械での。当方も、相応の工程実習してるし、一通りと、までは、申さんでもの、扱い方なら、承知してるわの、その実験中。

抵抗器、カッティングするの、箇所の辺りで、ツマリ発生。
ここで、機械、SGMなるを、停止したら、ええものを、動いてる、ディスク回転してるの状態にての、咄嗟にの、初抵抗を取り出そと、素手で、その箇所に指、突っ込んでもての、要は、ディスクと、その箇所の間に指、人差し指なれどの、挟まれてもてね。

右手、人差し指を切削されて。
オッとの、現在唯今、指、5本。ヤクザ状態には、成ってませんの事、先に申しとくの。
とりあえずは、指先、1センチ程の箇所をと。当然の、骨まで達するの傷、切削されてもての、ゲの、ゲゲと、冗談云うては無いの、場面に、偶々の、倉庫に入って来たの某さん、所属は違うの、先輩社員なれどの、隠す事も無いの、苗字云うてもたらの、堀本さんなれどの、助けてもろて。

イヤイヤ、鮮明に記憶してるの、即の、SGMを止めての、当方救いだしの、総務担当に連絡してもろての、西大路五条病院、現在、無くなってるですが。連れてってもらいの、緊急処置、して戴いたです。
要は、指切断、免れてるですが。指の先、骨の半分まで、達してての、指先、少々の、肉厚薄くなてもてるです。

云うたって、何年経ってるやの、四十有余年。
但し、右手人差し指の、爪切る度、深爪せぬよにと、注意してるですが。さもなくばの、微妙に、細なてるが故、爪切り難く。

でや、この事故と、するのか、怪我したは、そらなの、入社早々に非ずの、早々には、右も、左もの、とてもの、そんな実験出来ませんの、半年、1年は、経ってるやろと。
ならばの、祖母の亡くなるの、直前哉と。亡くなるよりも、祖母骨折の辺りか、以前、哉と。

どちにしろ、当方、実験中に怪我。
そして、祖母、車にぶつけられての、寝た切りに成りの、1年と、数箇月で、亡くなってもての。親父、結核で、強制隔離入院と、相成ったに成るなと。
とかとかの、時系列的、今、初めて、気が付いたのけどや。
時期的、指に包帯状態にての、祖母骨折の入院先、四条堀川病院に、馳せ参じたか、までは、記憶してへんわと。よて、時期的、曖昧やと。
イヤ、どちにしたって、悪い事は、重なるなと。
(16/06/15)


NO.364 長男、被害者、事故られるの話(6) 当方の、マダ、1件あったの話

自身の、右手、人差し指の怪我の件。
忘れはせぬものの、忘れてたです。
とは、異なるの表現なれど、です。

そら、古い話であって。且つは、生死に関わるで無く。
されどの、大きな出来事であったは事実也でして。麻酔無く、指先をば、縫われたです。その時の、医師と、看護師、世間話をしててね。どんな話かは、失念したですが。
世間話故、ええ天気やねえ。今度の日曜日、どこえ行く。どこそこの、焼き肉屋、旨いねえ。
か、どかは、知らんの、適当なれどの、的、話やったなと。

こちにしたら、重症とは、思ては無いけれどの、軽症でも無くて。そもそもが、縫われるが、初体験での。されどの、元通りに治るやろと、軽く考えてたですが。
あかんなあ。
一生傷に相成ったです。先過ぎたです。よて、指の形状、人差し指のみ、先の肉厚と、するのか、肉厚も、横幅も、狭なってもて。爪の切り難い事。

でや、この件と、祖母の事、比較でなら、祖母の件の方が、重大事件での。
コレ又、事故られたの、祖母、骨折での。過日にも、掲載してるですが。怪我した。骨折したと、聞いて、即の、堀川、四条の、「京都四条病院」えと、馳せ参じ。
イヤ、我が家のスグの、ソバでして。連絡は、会社にですが。残業中であったと、記憶してるですが。止めて、この時には、HONDAの、NV<360cc>で、走ったですが。
ほならの、その時には、指先、怪我、やってもたの後でして。

そらなの、入社してからの、運転免許取得のための、自動車学校入学でして。ソラ、学生時代なんかに、そんな資金あらへんわと。
入社祝いとして、祖母から、入学金もろたしなと。
親が、くれずで、祖母より、でして。

されどの、自動車学校には、ナカナカに通えんでねえ。
ソラ、残業、残業での、少なくともの、就業時間、終わってからの、通いでの。バイクがあったが故、機動力生かして、通えたですが。
入学、4月哉で、学科試験、通過と、するのか、受けたが、11月哉の、実技も受かって、取得したが、12月に成ってからかの、3日になってるわと。
イヤ、祖母、以来、寝た切りでの、1年少々、経って、亡くなったですが。多分なら、なと。当方、怪我は、その間哉と。又、ええ加減なれどの、この辺り、よ、分からんでして。

イヤイヤ、クレグレもの、記憶に残るの怪我の事。
そら、祖母の骨折も、亡くなるも、親父の入院も、それ以上、記憶に残ってるわと。

ンの、記憶になら、モ一発、あったなと。
それこその、バイク<スーパー・カブ>の時代での。
バイクには、大学1回生の、半ばよりでして。
当世なら、相場、高校生で、バイクで、大学生で、自動車免許取得なれど、です。
当方、当家、そんな事、出来ずの、遅れ、遅れやわの。そのバイクがあったが故、アルバイトも出来たですが。特には、家庭教師のなと。先は、桂の物集女街道、樫原の方でして。我が家から、したらの、桂離宮の先でして。
通うに、バイクが有力でね。当然の、通学も、何も、鴨の、そのバイクで、五条、堀川の方で、転倒したです。

方と、するよりは、五条通りでして。堀川通りと、大宮通りの間。と、するよりは、鮮明に記憶してるの、岩上通り。
その中央分離帯に、バイクの、ペダルと、するのか、ペダルやねえ。足を置くの鉄の棒の箇所なれどの、それが、中央分離帯の縁石に接触してもての、バイク諸共の、転けてもたわと。
多分なら、場所的、記憶の周囲の状況、情景よりの、当時、東洋電具、現ロームえの、通勤、出勤途上と、思われるの時間帯での、そんな場所で、転倒してもてみい。当世なら、後続車に轢き殺されるぞと。
再度の、当世なら、なと。

オッとの、当時でも、車は多かったのけどや。当世程で無く。多分なら、なと。
さもなくばの、現在、生きてませんの、どか成ってる鴨と。
イヤイヤ、幸いにしての、運良くの、後続車無く。オトトの、そらなの、五条の、堀川通りの、大宮との、間やでと。東から、西えの、方向なれどの、車が少なかった。とは、云えどの、偶々やろと。

云うたら、車は渋滞せずの、一番にスムーズに、走れるの界隈での。
当時<昭和44年(1969年辺り>には、ヘルメットは着用、義務化あらへんでね。被ってませんでして。
服装は、極の普通での、装備も、全然のと。

それで、転倒しての、正直、全くの、無傷。多分なら、なれどの、かすり傷も負おてえへんでね。当然の、若かったも、あるけどや。
ハキリと、記憶は、ペダルが、曲がってもたわと。ンの、足も、ども、なってえへんでね。兎に角の、バイクのペダルがヒン曲がってもた以外、無傷やわの。そのままに、バイクに乗って、出社してるわと。

もしかして、もしかしたらの、少々の、遅刻気味での、焦ってたも、あったの鴨なと。
家から、会社までは、概ねの、5キロ程度での。所用時間、10分程度であったよなと。近いと、大体が、家出るは、ギリギリでの。遅刻常習犯、でも、あったよなと。
くれぐれもの、入社早々の、一時は、の、話やでと。ソラ、学生気分、抜けてませんでして。
それもあるし、毎日、毎日、残業での、21時以前には、退社が珍しくの、下手したら、午前様でして。且つは、当時、休日なるは、日曜日のみの時代やわと。

それで、よくぞの、自動車の免許が取れたなと。ソラ、日曜日にも、開いてまして。
云うたって、4月に、自動車学校入学で、免許取得、12月。年内取得せねば、以降、入学金範囲で収まらずの、別途料金がの、話であったよなと。
よて、何が、何でもの、年内にと。

そんな話は、結構の。
よくよくの、当時の事、記憶辿れば、色々あったんやと。
当たり前の、一件、一件、何とも、思てはいてへんでね。思いは、してへんも、語弊あるの。
ソラ、自分の事よりも、最大の事、祖母の事、親父の事でして。自分の事なんか、フっ飛ぶわと。

<バイクでのヘルメット着用義務の経緯>
1965年=<51cc以上>高速道路での、「ヘルメット着用努力義務<罰則無し>」
1972年=<51cc以上>最高速度規制で、40kmを超える道路での、「ヘルメット着用義務化<罰則無し>」
1975年=<51cc以上>罰則有りの制度導入。
1986年=原動機付きを含めた義務化。
(16/06/16)


NO.365 長男、被害者、事故られるの話(7) 経験して分かるの話

オッとの、話を元に戻すです。
ソラ、原題、「長男、被害者、事故られるの話」での、そこから、当方の話、ばかりしてまして。

事故られたは、5月の18日。
我々、夫婦、当日、18日に神戸に馳せ参じ。19日朝、当人とは、面会してるですが。その足で、京都に帰ったですが。
次ぎの週の土曜日<28日>には、妹夫婦が見舞いに行ってくれて。これには、特段の、我々、立ち会わずで、その明くるの、日曜日、次男一家が見舞いに行くとしてる故、一緒にと。

これは、まずは、長男家にで。皆と一緒に出向いたですが。
まあなあ、19日の時とは、格段の元気になっててね。人数多い故に、面談室に移動で、談笑したですが。
当然の、腕が、手が使えずで、食事も、基本、看護師のお世話になってるですと。
イヤ、足は、どもあらへんしで、自分で、歩いて、病室から、談話室に来たですが。食事は、自力で出来ぬですが、テレビは見られると。その程度なら、指先も動くと。
ほならと、次男、見舞いの金品とは、別途に、テレビ・カードを買おてやると。3枚買おたの哉の、太っ腹。

この時の話、なるは。
加害者と、するのか、相手様は、謝罪に来てくれてと。そかと。
それもあるし、当初、5日間で、退院とか、一週間での、話、あったですが。これも、基本、病室空いてるしと、最低限、抜糸までは、入院させてもらえるやろと。そかの、良かったの、さもなくばの、家に帰っても、何も出来ませんでして。
嫁が、しんどいのダケでして。

その抜糸と、するのか、右手の金具、針金状のと、申してるの、取るが、17日<金曜日>で、この病院退院、20日<月曜日>ですと。
とは、後日、聞いたですが。
コレ又、退院しても、リハビリが必要での、即の、出社も出来ず。

又、出社可能と、なっても、自分で、運転も出来ませんでして。オッとの、通勤手段も、再考せねばの、バイクは大破。
バイクを買うにも、保険金で、出るは、バイクを買えるの額には、程遠く。ここが、保険の奇妙なるの、仕組での。現時点の、査定額でして。奇妙も、その通り鴨の、何年落ちの、査定額でなければの、新品と、例えばの、10年選手のとを、一緒にされても、困るの事よと。
困るも、保険の査定も、そんなモンやと。

どちにしたって、当面、車も、バイクも、運転するは、無理でして。どするやと。退院してからの話、なれど、です。
基本、タクシーなりで、通勤せねばの、それこその、保険で、賄えへんの怪と。この事、次男一家と、神戸えの道中、話が出てて。
さもなくばの、当面、通勤も出来んなと。その辺りの事も、保険屋に確認しとかんとと。

ほんとになの、手や、腕の骨折と、足では、相当に違うなと。
当方、足の骨折では、ギブスを履いてなら、車の運転程度、出来まして。恐怖も、何もあらへんわと。但しの、目的地に着いて、降りる時には、松葉杖を取り出して。乗る時には、松葉杖を、車に、仕舞い込み。厄介では、あったですが。

手の場合、動かん事には、運転のしよが無く。動いても、運転も、結構なるの、チカラを要してるが故、ハンドル操作にも、恐怖心が、つきまとうやろと。
実は、これが、難儀でね。
当方にしたって、足が歩き方を忘れてもて。
との、表現、異なれどの、事実での。考え、考え、歩いたです。まさしくの、歩行訓練でして。どんな具合に歩くの怪と。

歩くなんか、当たり前の、常識なれどの、それが、出来んでね。
ましてやの、駆け足なんか、トンでも状態。
オッとの、コレ、松葉杖卒業、ギブスも外しての話やでの。
ソレまで、何箇月もの間、歩くに、ギブスをしてたらと、するのか、足首、曲げてませんでして。曲がらんよにするの、ギブスやしと。

変な話、会社での、休憩時間、昼休み等々、社外に出て、そこらの、道で、歩くの訓練、走るの稽古、してたです。
この辺りの頃では、恐怖心からも、卒業してるですが。
自然にしてた事を、出来てた事を、考えて、考えて、やらんならんは、辛いぞと。かと、申しの、生活の一環での、スグにも、解消するですが。

手、腕の場合も、同様鴨と。
箸一つ、お茶碗持つ、喰うに、運ぶに微妙なるの感覚戻すに少々の時間、日数要するやろなあと。これは、脳の問題よりも、手や、腕がその動作、感覚を忘れてしもてるの可能性がと。

それもあるし、当方、当時、担当医から、聞いたの話、ならばの、足の場合。とするのか、骨なるは、骨に刺激を与えると、骨の繊維と、するのか、骨が糸状に伸びて、双方、くっつくになるですが。その繊維状のが、何本も、何本も伸びて来て、密度濃くなり、骨を形成、くっつくに成るですと。
よて、痛くとも、歩け、歩けと。恐怖と、戦えと。
云うてるの意味なるは、歩くによて、体重が、加わわりの、骨と、骨が擦れ、当然の、微妙なるの、刺激なれどの、生じると。これが、骨の形成、生成に役立ち、効果的なるぞと。

されどの、腕の場合、刺激も、どんな具合にと。足と異なり、体重、加えられへんわと。
体重、加えられんでも、腕なりを、動かす事で、刺激が与えられるのやろと。
この理論、理屈なるが、当世でも、通用するなら、でして。医学の進歩も、日進月歩での、20年もの昔の、考え方とでは、違う鴨なと。

只ねえ、高齢女性、まあ、云うたら、婆様世代、なれどの、転けて、両手首骨折したの話、時折聞くです。
要は、女性の場合、高齢の場合、多くの場合、骨粗鬆症でして。
これが、案外に早くに、治ってるも、承知してるですが。
よて、長男の、右手、手首の骨折も、早くも、この、17日には、針金を取り外すの哉と。さもなくばの、取り外せえへんわと。取り外したって、まずは、手首で、体重支えて、起き上がるも、その他の動作も、恐怖心との、戦いやろし。
ンの、そんなに早くは、体重なんか、支えられんやろと。

いやなあ、足の場合、歩けぬがあるですが。
手、腕の場合、動かせん事には、生活に支障来すなと。少なくともの、重さ、どれ程なら、許せるかが、あるやろしと。
これを、リハビリを通じ、少しずつ、加算させるの鴨と。

イヤ、足の場合も、同様での。足に、重りを付けて、上下運動させたり、したですが。オッとの、これは、足の体力の維持、向上やったなと。
イヤイヤ、足の場合、歩かんなら、忽ちにしての、細るです。太股なんか、即の、太さ、半分。即も、数箇月の話、なれどです。元に戻すに、1年、2年、掛かったなと。

そんな事で、結果的、5日、一週間で、病院、追い出されるの話が、1箇月の入院に成ったですが。
マダ、退院してぬ故、予定なれど、この手、整形外科、骨折なるは、リハビリの方が、大変ぞと。

当方にしたって、担当の先生から、松葉杖で、階段登ったり、降りたりの、練習でして。
さもなくばの、松葉杖で、階段の昇降、よやらんわと。
それもあるし、松葉杖も、床に、水、こぼれててみい。先が、滑るんやと。変な話、病院のは、余計に、なと。
トイレに行くに、朝、顔洗いに、行くに、何度、滑って、転げそに成ったの事かと。滑るは、再度の、松葉杖の先やでと。
よて、濡れてるの箇所、見たら、恐怖を覚えたわと。コレ、足の骨、折って、松葉杖に成って、知るの経験でして。

それをや、無神経なるの、足骨折以外の患者、看護師、付添人、見舞客等々、結構、床を濡らすんやでと。
この、バカたれめがと。
オッとの、以来、当方的、その手の配慮致すわと。
(16/06/17)


NO.366 長男、被害者、事故られるの話(8) マダ、一件あったの話

本日、朝2番、嫁はん、神戸、息子宅えと。
正確には、まずは、入院先えと、向こたです。そらなの、着いた駅、最寄りのが、病院のソバでして。
目的、右手、手首の針金除去手術が、本日でして。
これも、針金、針金と、してるですが、正確なる名称知らんが故でして。

これ又、実際には、立ち会いと、するのか、付き添いなるは、嫁でして。
本来の目的、孫君2号を保育園に迎えに行くがためでして。
モと、正確には、除去手術が予定通りなら、なれどの、前回同様、緊急の手術、急患等々にての、遅れに、遅れたら、困るなと。
その場合、孫君2号を嫁が、迎えに行くが出来ぬ故でして。

との事で、神戸に出向いたです。
での、昼過ぎ、13時半頃、嫁はんより、メール一発、着いた時、丁度に、手術室から、戻って来ての、結果、無事にと。
左様<さよ>かの、良かったなと、返信致し。

にしてもの、人間の体、とするのか、生けるモノ、万物、神秘的であるなあと、感心致すです。
適切なる、処置、施せば、元通りに再生、回復するです。
皮膚が少々、傷んでも、切れても、荒れても、日が経てば、元通りに。
ましてやの、骨が、くっつくです。

当方自身も、経験してるですが。当方の場合、足の皮膚の、切り口、可成り長く、20センチ程哉の、跡残ってるですが。それでも、骨は元通りでして。
さもなくばの、寝た切りに成るです。イヤ、云うてるは、骨が一旦折れたら、そのままで、回復せぬならです。
回復するも、その昔なら、添え木程度でして。多分なら、なと。
それなら、一寸でも、ズレててみい、足の位置、曲がってたり、してみい、カタワでして。まともには、歩けませんでして。足の場合なら、なと。

これが、単なるの、物体、命の、生命の、無いのモノなら、壊れたら、壊れたのままでして。接着剤ででもの、くっつけんの限りはなと。
木々でも、根が土中で、生きてたなら、接ぎ木でも、新芽が出て来たり。されどの、土中から、抜いてもたら、そは、ならず。これが、生命の神秘なんやなと。


での、ででや。
過日、日曜日、5月の、29日、次男一家と、共にの、長男を見舞いに行ったの際。
イヤ、一旦、長男宅に戻って、コーヒーなど、戴いて。
まあ、云うたらの、雑談の、雑談も、内の一件、さての、この盆の時期の、四国行きの件、嫁はんの里帰りをどするやと。
要は、8月の話、なれどの。8月となればの、長男、骨折して、3箇月に成るになるですが。三箇月では、まあ、云うたら、見掛け、骨くっついてるも、無理出来るの状態に非ず。
要は、要は、四国、香川、仁尾なり、比地木に、運転なんか、トンでも状態での。

さりとて、当方、息子の車を運転せよも、怖いわと。
とまでは、口にせずの、申してませんですが。本心、それでして。
その昔の、そらなの、若い頃なら、経験の無いの車でも、興味津々の、運転させて、乗せて、触らせてと、無理矢理にでもの、運転したですが。そこら、一周でも、したですが。

最早の、そんな事、怖あてね。
ましてやの、その昔の、当方、皆を車に乗せて。とは、息子共が、小さいの頃。更には、まだまだ、学生時代。
車の少ない、一本道の、高速道路でなら、ここは、運転してみる怪と、運転、替わったり。オッとの、免許取得してからでして。

とりあえずは、知らんの道でも、ガンガンとと。怖いモノ知らず、以前の、大きな方向性、間違わずの、目的地、比地木に着いてたですが。それこその、カー・ナビゲーションもあらへんのにと。道路地図帳なら、持参してたですが。
行く度、道路も、変貌し出しも、してたですが。

次第、次第にの、息子共が、運転出来出したら、基本、当方、運転せずに相成って。こちは、後ろの座席に陣取るよになってね。
イヤ、正直には、息子の運転では、怖い、怖いの、冷や冷やしてたですが。愚と、グの、ガマン、我慢と、耐えるに、しんどい故、後部座席にと。さもなくばの、ついついの、口出しそになってもて。

更には、今度は、息子共が所有の車になれば、イヨイヨの、任せっ放しの、道もなの、ドンドンと、変貌。
そらなの、高松自動車道も、繋がってもての、鳥坂<とっさか>のインターで、降りるも、最早の情景、すかりの、替わってもての、道が分からんわと。
何の話、してるかと、なればの、一度も運転した事の無い、息子の車で、途中より、道順も、分からんよになてもてね。とてもや無いの、よ、連れてかんわと。
勿論の事、里の近所になれば、分かるのけどや。

そんな事で、どするやと、問えば、特段の、長男嫁に対してでも無かったですが。長男嫁、そですねえと。ンと。
今回、止めるですかと、云うかと、思いきやの、自分が運転しな、仕方が無いですねえと、返答する故、えと。ほんま怪なと。

まあなの、長男の車、とは、自分、嫁の車でもあってね。毎日のよに、運転してるが故、ソラ、慣れてると、するのか、慣れてるなと。
では、あれどの、結構なるの、距離でして。ンの、ここ、神戸なら、その分、京都から、よりは、短いなと。短い、云うたって、相応の距離、あるのけどや。
ン、ンの、どちにしたって、行く気、運転するの気、満々怪と。
当方、想定外の事で、ね。四国までの、運転、怖いし、どしましょかねえと、不安の事、口にすると、頭っから、思てたのにと。

イヤ、結構なるの、それなら、それで、そのよに、計画、予定をしたらと。
嫁はんが、でして。

ン、ンの、よ、考えたならばの、そらそら、なの、昨年なるは、母、亡くなりの、嫁はんの、姉婿父、一昨年、亡くなってたなと。
その年には、構わんでと。との、事で、四国、姉婿家に、里帰りしたですが。むしろの、昨年の初盆の方が、諸般、その件にての、忙しくと。
よて、昨年は、遠慮するにしてたですが。それよりも、当家、母が亡くなってもての、こちが、初盆でして。

ンの、この件、失礼乍らの、完全に失念してたわと。義理の姉の、婿父の件を、でして。
どちにしても、昨年には、四国には、行ってませんですが。今年はと、思てたら、長男の事故られたの事で、両腕、骨折では、運転不可故、今年も、止めるになるなと、思てたですが。
嫁の言で、へえと。
云うたら、行く気、満々怪なと。

にしてもの、この手の話、マダ、モ1件あったんやと。
それこその、血の繋がり、全くの、あらへんですが、姻戚での、我れ乍らに、へえと。
(16/06/18)


NO.367 長男、被害者、事故られるの話(9) 悪い事も、タイミングと、中身の話

事程左様の、良い事あれば、連続するし、悪い事あれば、コレ又、連続するです。
大学生時代の、四年間には、悪い事、あらへんなと。

下の叔父が結婚したし、ええ事あったですが。ンの、2回生当時哉に、親父が倒れたですが、左程の事で無く。
イヤ、コレ、軽い何やろねえ、医師の往診にての、暫く、安静にと。ダケでして。
イヤイヤ、急遽の、全員、集まったですが、当時の家族、元々が、祖母、両親、当方、妹の5人なれどの、そこに、2人の叔父が、でして。コレ又、元々が同居してまして。

上の叔父なら、当方中学生時代哉に結婚。下の叔父、この時には、結婚直前の、上鳥羽の方に、間借りしてたですが。
祖母とは、何度か、行ってたですが。

オッとの、それでや、下の叔父申すに、当方に、なれどの、大学どするやと。
意味なるは、親父が倒れた故、学資の問題にての、休学なり、退学なりをの話と、解釈したですが。あのなあと。
とは、申してませんの、特段の、親から、学資等々、出してもろてませんでして。その事、知らんなと。
とも、申してませんですが。その辺りの事も、覚悟せよの積もり哉と。

そらなの、親父倒れたなら、当家の生活がと、相成るですが。学資なんか、出してもろてえへんでも、喰うの問題がと。
それに関しては、当方、無関心と、するのか、考えてませんでして。ここだけの話の、親父も大して、家に生活費出してたであらへんでして。ならばの、誰がとなればの、多分なら、祖母ではと。
息子、次男が、満州で、戦死してましての、その遺族年金でして。額までは、知らんですが。

さもなくばの、当時には、年金制度ありませんでして。
まあ、云うたら、息子共、特には、長男が、家長として、大黒柱として、親、兄弟姉妹、嫁はん、子ども達をば、養うが常識での。
そらなの、娘なるは、他家に嫁ぐの身故、基本、家に居るなら、手助け程度でして。
ほんまやでの、当世とは、思考回路、慣習、常識が全然の違うわと。

何度でもの、そらなの、家、資産家なら、結構なれどの、ナカナカに、なと。或る意味、資産無く、貧乏なら、どするやになるのけどや。それでも、一緒やわと。
そんな家、そこらに沢山あっての、当家、親族も、そでして。
この当時の、親族なるは、祖母の妹家の話。

又もやの、そらなの、母方なら、早くに、両親亡くしてまして。
祖父方なら、兄弟を知らんです。只、祖父も、その母を看取ってるです。

での、祖母の、中手の妹家<大徳寺>なら、ここも、その夫を当方知らんの、遠の昔に亡くなってもてての、そこの長男、親父の従兄弟に成るですが。一家、支えてたわと。
イヤ、立派なモノでの、要は、母親<祖母の妹>と、弟達、妹達、各々、2人ずつやったの哉の、養うと、するのか、一緒に暮らしたはてね。
それが、北大路の、大徳寺の方にと。別宅と、するのか、倉庫的なるが、横大路にあったですが。

祖母の、末の妹家<万寿寺>も、一緒でね。
その夫を知らんの、長男が、一家を支えてましての、そこの伝手で、仏壇をば、買おたわと。
ここは、長男だけしか、知らんでね。イヤ、奥様も、居られたですが、顔を知らんなと。
何故かは、知らんの、当方なら、度々の、行ったですが。ソラなの、我が家の近く故での。歩いて、15分程度の距離なれどです。
要は、その声、聞こえてるですが。応対して戴いたの事が無く。応対、末の妹<大叔母>なり、その長男だけでして。1人っ子でも無い筈の、弟達、すでに、独立してたよなでして。

どちにしたって、そなんやと。
皆、そなんやと。どこ様も、そなんやと。

どちかと、なればの、そこよりは、中手の妹家の方に親しくしてたなと。
家に呼ばれて、泊まったり。近くの、船岡公園の池に、そこの、次男さんやったの哉に、連れてってもろて、手製の木の船を浮かべたり。イヤ、モーターで、電池で、スクリューをば、回転させての、立派な船でして。
ンの、コレ、当方、下の叔父に作ってもろたですが。
一発、沈没で、ゲ。
オッとの、小学生か、中学生時代の話やなと。

兎に角、来い、来いと、大叔母なり、そこの長男が、でして。
何度も、祖母と、一緒に行ったですが。当時には、家の真ん前に、市電がで、夜、五月蠅さあて、寝られんかったを、覚えてるわと。電車のソバの家は、大変やなと。
慣れてもたら、どて事、あらへん。との、話なれどです。

での、何の話をしてるの怪の。
大学4年間の間には、下の叔父が結婚の目出度いの話、あったですが。親父、倒れるの事もあったのけどや。安静も、三日もしてたのやろかの、特段のと。
脳溢血の、中風にも、なってえへんし。そやから、あれは、何やったと。
もしかしての、貧血で倒れたの哉と。

事程左様の、親父が、倒れて、中風になってたり、なら、悪い事があったになるですが。
この事件、記憶鮮明も、大事には、至らずでして。結果的、ええ事、ばかり哉と。

只なの、当方、卒業しの、就職してからでして。
奇妙なるの、表現、見方するなら、祖母、当方のその姿、様子見て、安心したかの如くでして。
事故られたは、別途の、それが、原因であるは、確かなれどの。寝た切りになりの、自宅で、亡くなったですが。

それこその、この、悪いの出来事、当家の事件も、このタイミングが、ズレててみいと。早まっててみい。
これでは、とてもやないの、学業継続してへんわと。してられんわと。
ノー天気には、してられんの、即刻の、一家、支えるがための、どこかに、勤めに出てるなと。
一家も、親父は、入院も、金掛からずなれどの、母と、妹が居てるわと。

くれぐれもの、タイミングに、ズレあった場合やでと。
実際には、就職してたが故、経済的には、どて事、あらへんでして。
(16/06/19)


NO.368 長男、被害者、事故られるの話(10) 万事、紙一重の話

いやねえ、結果的、親父、倒れたの原因、知らんです。
医者からは、単に安静にと、云うだけでして。
よて、皆で、内々では、脳溢血では無く、貧血哉と、云うてたですが。
ンの、季節も、失念の、もしかしたらの、夏場で、熱中症の可能性もと。今なら、思うですが。只なの、親父は、外に出る方でも無くて。スポーツ・マンでもあらへんしと。

分からんの事、諸般、詮索してもなと。
只、当時の事、よ、考えたら、振り返れば、大学卒業して、1年目よりは、2年目、3年目に、当家、色々あったんやと。大きく、変動したなあと。
そらなの、家として、祖母他界で、親父入院。その後、家も壊れ出しの、宇治、槇島えと。

槇島では、基本、吉事、慶事、ばかりでね。
とも、云えんけど。
結婚してからの、スグの、正月哉には、親父を迎え、家の玄関先にて、転倒、腰骨骨折。国道9号線沿いの、「西京都病院」、ンの、当時には、病院名、違うかったですが。よ、思い出せんでね。

まあな、思い出しても、大した意味あらへんですが。
転倒の原因、積雪でして。滑ったです。

いやなあ、この時、母、親父が戻るを嫌がてね。簡単には、家出したです。
の、程に、仲悪く。
こちにしたら、狭い我が家なれどの、一つ屋根の下に、家族全員、居てるが一番にええに決まってまして。只なの、狭い故、両親、一緒の部屋にが、大前提。
そらなの、14坪か、15坪程の敷地面積やしな。部屋数、部屋の広さも、知れてるわと。こちも、結婚したんやしと。

イヤイヤ、オトトの、積雪、転倒、骨折なるは、亀岡の家やったなと。入院先なら、「西京都病院」なるは、そこでして。
母、嫌がり、家出は、してるですが。亀岡の家からも、してるですが。
イヤイヤ、槇島の家にも、親父を何度か、連れて帰ってるですが。入院先、宇多野病院から、外泊届け出してね。

ほならの、矢っ張りの、槇島7年では、悪い事、起こってえへんなと。
母の家出は、別でして。単に、我が儘、気儘なダケでして。
再度の、こちにしたら、京都の家、申し訳無いけれどの、出てもてね。そら、借家故、壊れて来たら、仕方があらへんわと。当然の、経緯なるは、病院の親父には、報告してるです。

くれぐれもの、相談に非ずの、報告でして。
相談したって、出んならんは、出んならんわと。住めるの状態で無くなってもたわと。そらなあ、無理したら、我慢したら、住めん事、無いけどや。幾ら、何でもの、雨降って、家の中で、傘を、金盥は、あかんやろな。
寝てられんぞと。

申し訳無い。
云うたって、祖父、折角の、一代で、成したの、一財産、判子一発、連帯保証人で、お召し挙げされてもて。聞く処でなら、家も何軒か持って、親父なんか、お付きの女中さんまで、居たらしくの、信じられんですが。
これは、叔父達からも、そのよに、聞かされてる故、ホンマなんやろと。
仏光寺の家の屋根裏には、中途半端なるの、ガラクタ、蓄音機の、ラッパの無いの、とか、欠けてもたの、大きな馬の人形、とか。訳の分からんのが、整理もせずに、放り込んであったですが。

イヤイヤ、まともに、チャンと、保管されの、残してあるのモノなら、相当なるの価値のモノなれどです。全部、親父が子ども時代なんやろねえ。その父親から、買おてもろたのモノでして。
そらなの、長男故、跡継ぎとして、相応に大切にされ、可愛がられてたんやろと。
オッとの、そんなガラクタ、持ち出してませんでして。持ち出したは、古いの本なれどの、これも、保管状態悪く、ほんとに、触れば、ボロボロと、崩れ出したです。崩れても、持ち出したですが。あかんなと。
亀岡にも、持ち出したですが、イヨイヨの、持てば、周辺に、紙の腐ったのが、散らばってもての、廃棄したです。


トットの、何の話、してるの怪と。
要は、その一家の、運気なるを、申してるです。
その殆どは、振り返って、分かるの事なれどです。
万事、避けるが出来んわと。慶事、吉事、招けば宜しいですが。それが、出来たら、苦労はいらんの、悪い事、凶事も、ども出来んわと。

当方にしたって、バイクでの転倒、意図的やあるまいにと。右手、人差し指の、切削怪我も、まさかの話やわの。
亀岡での、家に帰るの道中での、骨折にしたって、想定外。
まさかの、真っ暗な中、工事で、マンホールの周辺、段差が出来てると、なんか、分かるモンかと。行きし、いつもの、状態なんやでと。

此度の、長男の事故られたも、トラックが、方向転換、Uターンで、対抗車線に、向かうとは、なと。それでも、バイクの場合、周囲に相応の注意をと、云うですが。
理屈は、理屈でありの、避けるが出来んの事もあるわと。

いやなの、その上でや。
大事に至らず、成らずなら、結構なると。
この、大事と、小事、とも、云えんまでもの、小事の範囲で、止まりの、大事に成って無いは、不幸中の幸いでして。

長男の状況なるは、それ以上の、詳細知らんの、当方の単車、スーパー・カブでの中央分離帯にペダル接触で、転倒なるは、です。
要は、単車で、右側のスレスレを走行してたになるですが。何も、わざわざの、中央分離帯のソバを走るの事もあらへんわと。
多分ならばの、乗用車が多く、左手に移動も、ままならずの、状態であったの鴨と。
云うたって、当時の事、転倒した情景のみ、しか、覚えてえへんわと。

いやなの、その上の、その上でや。
万事、紙一重と、思てるわと。紙一重も、あらへんの鴨と。
この箇所なるが、運気と、申せば、都合の良過ぎるの解釈、説明なれどです。万事、そと、違うの怪と。
所謂の、知らぬが仏の世界也と。知ったら、ゾとするぞと。

オッとの、話、ここで、終わらんぞと。
実は、その辺りの事を、申したいが故の、話でして。まだまだ、あるわと。
云うたって、凶事、悪い事も、慶事、吉事も、続くの話の、続きをや。
そこに、気が付き、思いの当たるかでの。これも、又、知らぬが仏の世界なれどです。
(16/06/20)


NO.369 長男、被害者、事故られるの話(11) 主居んよになって、家、壊れ出すの話

経過、追えばの話。
時系列的になら、多少の前後、ある鴨の、現ローム、当時東洋電具製作所に入社して。
HONDAのスーパー・カブで、五条の岩上通り辺りの、中央分離帯でペダル部接触、転倒。コレ、あったとしても、かすり傷程度。但しの、くどいけどの、古い、古いの、昔のと、云えどの、五条通やでと。朝の通勤ラッシュの時間帯で、よくぞ、無事。

続いて、抵抗器の、高倍率化の実験にての、SGMと、称するの、カッティング・マシンで、右手人差し指、骨にまで、達するの、半分程度は、切られてたの、怪我負おて。
その後と、思うの、祖母、醒ヶ井通りで、歩いてての、車にぶつけられ、転倒、腰骨骨折。
当時と、現在では、リハビリの概念が違うでね。骨が、くっつくまで、安静での。そんな、高齢者、83歳と、思うのを、動かさんなら、忽ちにしての、寝た切りと、相成って。
果たしての、どの程度の期間、家で寝てたと、するのか、1年やろ哉の、他界。

下の奥の部屋で、居てたですが。
当方、当時には、2階の中二階の部屋に居たですが。出社の際には、祖母に、行って参ります。帰れば、唯今と、声掛けると、するのか、当たり前の、挨拶してたですが。
挨拶したら、軽く、微笑み、頷くよに、してた、よに、記憶してるです。

での、その当日にも、いつも通りに、行って参りますで、ンと、頷いた。
よに、見てたですが。出社して、即の、家から、電話で、スグ戻れと。話、聞けば、もしかして、もしかしたらの、当方、家出る頃には、亡くなってたの可能性の話での。がしかしの、ど考えても、その時、目も開け、頷いたわと。

葬儀そのものは、喪主、親父やしなと。
叔父達も、居てるし、当方なんかは、その他大勢の、細かな事には、関わってえへんの、葬儀費用、親父を中心に、叔父達で、数えの、計算しの、上の叔父が、チラと、口にしたの、四二<死に>金やなと。
要は、42万円掛かったのらしく。オッとの、この当時、当たり前の、自宅での、葬儀。とか、云うたって、昭和の46年<1971年>でして。当方、入社、3年目哉の、概ね、ベース・アップが、毎年、3千円哉の、ほならの、大卒初任給、多分なら、4万円見当の時代。

ほならの、ほならで、大卒初任給で、10箇月分と、なればの、現在唯今、初任給を知らんの、適当に、20万円と、したらの話の、200万円怪と。
ンの、結構、立派な、葬儀やったんやと。
くれぐれもの、自宅やしと。自宅なら、葬儀会館で、よりは、数段の安くの、半額程度と、思たら結構の。葬儀会館で、400万円もの、葬儀とならばの、豪華絢爛と、違うの怪と。

オッとの、当方、若かった、けれどの、そんなにはなと。
極の、普通の葬儀に、見えてたですが。そらなの、その当時の、当方でも、あちこちの、葬儀に参列してるわと。近所でも、町内会でも、全部自宅故に、スグの、見えるし、分かるわと。

そんな話は、結構の。
祖母の葬儀から、どれ程やろ哉の、それを、よお、覚えてえへんの。一周忌をしてからなんやろかねえ。

イヤイヤ、この辺り、この当時の事、皆目の、覚えてえへんわと。
オッとの、誰が施主で、執り行おたかを、での。
それ以上の、当家にとての、大事件勃発の、親父が、結核にての、隔離入院でして。これが、祖母の葬儀から、どれ程経ってからかが、皆目の。
その直後からは、雨降れば、雨漏りの。遂には、漏電してもね。消防署が来たのか、即の、屋内配線、してもろて。そらなの、当家の配線、昔っからの、での、被覆が、繊維質のコードでして。
ソラ、雨降り、雨水、漏れて来たら、コードを濡らして、漏電致すわと。

その程度、承知も、そらなの、当家、電気屋。当方、電気工学科専攻。
してたって、電気工事士の、資格なんか、持ってえへんわと。
それも、有るし、電球も、裸電球での。

ンの、時々なら、夢で見るは、この情景哉と。
いやなの、何ちゅうかの、この屋内配線の光景での、電気付けるに、裸電球なれどの、点かんでね。夢の世界での、話故、しかも、時偶と、するよりも、度々の、見てるですが。記憶鮮明には、覚えてえへんでね。

兎に角、あっちにも、こちにも、スイッチあったり、電球、蛍光灯、あるですが。スイッチ入れても、点かんし、どするの兵衛哉と、思案してるの状態にての、夢醒めての、夢の事、忘れてまうわと。
再度、申すの、親父、電気屋、当方、大学にての、電気工学専攻ぞと。
その親父、入院してから、なれどの、消防署命令にての、配線なれどの、その電気工事屋から、ボロの、糞に、云われてね。
あんたとこ、電気屋と、違うのかと。親父の事、なれどの、腹立って。当方も、電気屋なれどの、口にも、出来ず。恥ずかしいの、話、でも、あるし、親父をボロの、糞やしなと。
その親父は、入院してて。

オッとの、どこから、来て戴いたの、電気工事屋、工事士かは、知らんのけどや。母が消防署なりを通じての、工事屋、なんやろねえ。
イヤイヤ、当時、その場で、1万円請求されての、即金で、支払おてるわと。

要するにの、祖母亡くなり、親父入院での。
雨漏り、直すなら、それ以前の、屋根直さんならんわと。
直すに家主の許可を得んならんわの。交渉したって、あきませんと。イヤ、隣家なれどの、家主は、家は直さんし、こちが、直すにも、許可得られんでねえ。当方、技術者、理系でありの、法律には、皆目の、疎く。

家建て直すなら、勝手にしてもと、云われたが故、そかと。
一応の設計したんやでと。こんな具合に、あんな具合にと。金策もせずに。費用、どれ程掛かるかも、分からんと。
での、ででの、どちにしたって、土地を売ってもらわんとなと、思ての、その辺りの交渉から、初めたの、けどや。申すに、云われるの、家、建て直すは結構も、費用当然の、こち持ちで、権利は、こちに、そのままに譲って貰うと。
且つは、家賃、相応の値に上げると。

まあな、家主、資産家は、そんなモン哉と。
オッとの、そもそもがの、一銭の貯金もあらへんのに、尊大、雄大、無計画なるの、話、妄想したモンやと。とりあえずは、大学出たて、2年、3年の、右も、左も、世間も知らんの、若造也と、つくづくの、思うわと。

そらな、方々にての、アルバイトなら、してるの経験あるの、けどや。
アルバイトでは、世間の事、左程になと。
大体が、金銭には、無頓着の、金銭勘定致しませんでして。教科書買うがため、徹夜のアルバイトして、千円持ち帰りの、母から、今晩のオカズがあらへんしで、貸して頂戴と、云われたならばの、ホイと。
教科書を買うがための、アルバイト代也。とは、一言も、申さんわと。
オッとの、教科書買えずに、授業は受けてたわと。特段の、教科書に沿ったの、講義であらへんでして。只なの、試験、近づいて来たら、買わんとなと。

いやなの、当家、貧乏は、貧乏なれどの、相応にと。
くどいけどの、悲壮感なんか、全然での。とりあえずは、ノー天気。
算数、得意も、損得勘定、苦手。の、以前の、致しませんでして。当時はなと。何でやろ、ねえ。

考えたら、概ねの、貧乏、貧乏も、そんな話、偶でして。
生活費、までもを、出さんならん、よになったは、基本、祖母亡くなり、親父が入院してからでして。
全くの、抵抗あらへんわの、至極、当然也と、思てたわと。

そらなの、綱渡り的も、既に、社会人に成ってたしと。
残業代も多いし、ポンと、渡したの、本給程度の額、以外は、自分の自由なるの、お小遣いやしなと。それでも、貯金が一銭も、無いの、ノー天気。

オトトの、何の話、してるの怪の。
宇治、槇島に引っ越すの直前なるは、そんな事が、当家、柴田家に起こったです。
再度、申せば、大学卒業は、学生運動の、活発なるの時代で、安田講堂<東京大学>事件、中川会館<立命館大学>闘争、全共闘、民青、等々、当方には、さっぱりの、無関係の時代。
オッとの、中川会館も、当方、理系故、学舎異なるの、衣笠故、馴染みがあらへんですが。その一番に活発なるの、時の、卒業生なんやと。

はきりと、申しの、あいつ等、ええとこの、ボンボンやでと。
さもなくばの、あんな事してても、大学には、通学出来てるやない怪と。ゲバ棒振り回すがための、大学怪と。
大体が、大学開放と、教授捕まえ、キサマ、オイと、小突くの様子見てられんわと。理系に、技術者に、そんな常識の無いヤツ、なんか、居てへんわと。
長幼の序なるが、存在の、尊崇してるわと。
(16/06/21)


NO.370 長男、被害者、事故られるの話(12) 槇島の狭いの、我が家の話(1)

いやねえ、当時、昭和の時代。
所謂の高度成長の時代。
色んな事、あったけれどの、基本、楽しかったなと。
そらなの、給料なら、ドンドンと、上がるし、残業は多かったのけどや。その分、残業代が入るやんかいさと。
さりとての、きちり、きちりと、とは、付けては無いぞと。されどの、夜の遅くになれば、会社の近所の焼き肉屋に行ったり、致し。当たり前の、同僚と、での、1時間程度は過ごしたり。
云うたって、1時間、抜けたら、1時間半、抜けた事にしたりして。
ンの、理由なるは、残業時間、差し引くがため。何故にと、なればの、再度の、キチリ、キチリとは、付けて無いと、申してるです。
何故に、少なく、付けてるかと、なればの、ン、ンの理由あらへんなと。強いてなら、その分、自由にさせて戴いてるわと。

それでや、仏光寺の家の時代の後年には、諸般、あったのけどや。
雨漏りだけとは、違うの、何ちゅうかの、奥の部屋の柱が、腐って来てて。まあ、云うたら、宙に浮いてるの状態でね。
この家、京都らしくの、ウナギの寝床での。坪数なら、小さいけれどの、駐車場スペースがあらへんでね。無い事も、無いけれどの、軽自動車を置けば、車半分、溝蓋の向こう故、ガレージ法違反になる程の家。

オッとの、大体が、京都のド真ん中の家で、駐車場スペース、確保のなんか、殆ど、あらへんでと。
それでも、車は買えて。買えるも、軽自動車なら、でして。電気屋故、ウィンドウのギリギリにまで、駐めてたですが。
それは、表側で、裏手は、裏庭があっての、結構、余裕感と、するのか、落ち着きのあるの、家でして。裏手には、離れの状態で、トイレがあって、石の、手水もあって。風情あるの、家なんやでと。
考えよでは、贅沢なるの、造りでね。

諸般の、諸般で、産まれの、育ったの地、家を出んならんは、そらなの、辛いぞと。残念無念の、悔しいけれどの、仕方があらへんわと。
ここなら、隣近所は親しいし、竹馬の友居てるし、同級生も、あちこちに、居てるやんかいさと。
外で、洗車でもしてたら、誰か、知り合いが通り掛かりの、声掛け合いの、世間話、談笑したり。この場合の、世間話も、当世、亀岡の隣近所の顔見知りとの、とは、数段の、桁違うの親密、中身あるの、世間話で、談笑でして。

オトトの、クドクドの、考えるの余裕あらへんわの。
事程左様の、雨降ったら、家の中で、傘で、金盥で、奥の部屋の柱が腐って来てて。家主、隣なれどの、諸般、出来ぬ事、云われ。
かと、申しの、当家に資金、あるであらへんし。そらなの、あれば、土地売れと。この金額で、どやと、交渉出来るのけれどの、残念無念の、金無く、金銭感覚、ゼロ。当方がや。

とりあえず、バタバタ、引っ越し先を求めの、方々、行ったのけどや。
日曜日になれば、なと。母連れて。
山科なら、安いなと、新聞広告見て、行けば、全部、売り切れご免の、そこで紹介されたの、宇治、小倉の駅の近くにと。行けば、当時で、700万円やったの哉の。坪数20坪程度でね。
これが、近鉄沿線の、その電車の通るの、そこでね。コラ、五月蠅いやろと。

されどの、手付け、当時で、2万円哉の。コレ、多分なら、当世、10万円に相当の金額なれどです。
要は、その気なら、押さえるに、手付けとして、出してくれと、云われてね。営業担当から、なれどの。とりあえず、出して、出しても、そんな、700万円もの金額、調達出来るの怪と。
云うとくの、昭和44年<1969年>当時の、初任給、33500円の時代の、祖母亡くなったは、昭和46年でして。ここから、親父入院等々故、1年後には、宇治、槇島には、引っ越してるの筈での、残業代、含めたって、手取りで、5万、6万円の時でして。

細かな数字、忘れたけれどの、その前年度の、給料明細での、銀行屋から、借りるが出来るの限度額、400万円、やったの哉と。
はきりと、小倉駅の物件、手が届かんわと。
要は、当方の年収では、400万円の物件が限度やわと、やとで、理解して。400万円の物件と、なればの、小倉駅のは、新築での、コラ、あかんわと。問題外やわと。

結果、中古物件の、槇島にと、相成ったのけどの。
ここは、母の知り合いの、不動産屋の紹介でして。云うたって、どの程度の知り合いか、までは、知らんの、大した、知り合いとは、違うわと。
母、日本生命の、外交屋しててね。
その関係かと、思うのけどや。

ここで又、余計なるの話の、保険の外交で、勧誘するに、先様から、モノ買わされて。そちの方が、高額でね。
やから、借金、借金で、その返済に何年、何十年、掛かったかと。くれぐれもの、返済、常に、こっちやわと。
やからの、やからで、ボーナス、何回分、飛んでもたかと。
この長男、当方の事、なれどの、今更乍らの、この嫁はんも、よ、やったと、思わん怪。こんな息子、嫁はんなんか、今時、居てへんわと。

イヤ、相手、サラ金故、返済急務の、問答無用。
さもなくばの、借金、雪だるま式に増える仮名。の、程度の算数なら、当方、暗算、目算にての、即の計算出来るわと。

オトトの、トットの、母の話、してるであらへんなと。
この、槇島では、ええ事、ばかりと、してるですが。
当方、結婚、妹結婚。長男、次男誕生、万事、ここでして。オッとの、妹の娘、姪も、この槇島時代やなと。誕生がや。出産の里帰りで、我が家に戻ってたですが。
やから、妹婿の、ご両親も、何度も、何度も、槇島の家に、来られたわと。初孫見るがために、なと。
イヤ、先様、黄檗での、近鉄沿線でして。こちも、度々の、出向いたですが。そこの親父様から、来い、来いと、誘われて。

云う鱈の、この狭い、槇島の家。
では、あれどの、自宅やわの、借家に非ずの、嫁はんの嫁入り道具、三点セットから、何から、何まで、入れたんやでと。四国、香川から、トラックで、やでと。
今度は、この狭いの家に、妹の嫁入り道具を入れたんやでと。運ぶまでの、一時なれど、です。

いやなあの、何度でも、申すの、13坪の家やわと。
話、簡単の、当方、結婚にての、男、当方1人で、母、嫁はん、妹の、女3人との、都合の、4人暮らしが、暫く続いてね。
妹の結婚、決まっての、嫁入り道具が、運ばれて来たら、入れるの場所、一階しか、あらへんわと。まさかの、二階になんか、持ち上げられんの。二階が、抜けてまうの。結果、一階でなんか、居てられるの空間あらへんしで、皆して、4人して、二階で、寝てたわと。
そしか、しよがあらへん、やんかいさあと。他に何か、方法、あるの怪と。万事、事の成り行き、至っての、自然やわと。

要は、槇島にての、当方、結婚。
そして、妹の縁談決まりの、姪が産まれ。
こちには、長男、次男がと。
結果的、当家、槇島の家、母、我々夫婦と、息子共、2人の、都合の、女2人と、男が3人に相成って。
つくづくの、思うの、家族構成なるが、ドンドンと、替わってもてね。

そらなの、当方、仏光寺の家で、物心、付いたの時には、祖母、両親、叔父達2人の、都合の、6人。妹、誕生で、7人なるが、可成りの年月続いてね。
今度は、上の叔父が、結婚で、出て。
下の叔父が、一旦独立で、家を出て。ここで、5人になったですが。祖母亡くなり、4人に。親父、入院にての、3人に成り。

槇島に移って、3人に、嫁はん加わり、4人に成って。
妹、結婚で、3人に成りの、息子共、誕生で、4人に、5人にと。この5人に成ったの事で、亀岡に引っ越すの事に相成るですが。
この槇島の時代、事程左様の、ええ事ばかり也でして。
そらなの、細々なら、親父が、外泊で戻りの、母、嫌と、家出したりの、笑、小の、事件勃発したのけどや。
大勢に影響あらへんわと。
加えての、記憶に残るよな、悪い事、怪我したり、等々の、なんか、全くのあらへんかったなと。
(16/06/22)



inserted by FC2 system