不可思議の世界NO.25

京都・亀岡の良く当たる占い師の話

京都でよく当たる占い師は?
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不可思議NO.23 不可思議NO.24
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不可思議NO.15 不可思議NO.20
不可思議NO.5 不可思議NO.10

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目次

不可思議NO.26

NO.280 続・桜散る散る、花吹雪の話(11) 迅速なる行動の話

NO.279 続・桜散る散る、花吹雪の話(10) 「兄さん、返事、どしましょ」「分かった。モ、宜しい。」の話

NO.278 続・桜散る散る、花吹雪の話(9) 新館の親父の場所の話

NO.277 続・桜散る散る、花吹雪の話(8) 天皇陛下、皇后陛下の話

NO.276 続・桜散る散る、花吹雪の話(7) 再入院直前の話

NO.275 続・桜散る散る、花吹雪の話(6) 退院出社からの話

NO.274 続・桜散る散る、花吹雪の話(5) 入院中の話(2)

NO.273 続・桜散る散る、花吹雪の話(4) 入院中の話(1)

NO.272 続・桜散る散る、花吹雪の話(3) 手術の話

NO.271 続・桜散る散る、花吹雪の話(2) 左足首複雑骨折の話

不可思議NO.24


NO.271 続・桜散る散る、花吹雪の話(2) 左足首複雑骨折の話

イヤ、従兄弟からは、オバの年会、一周忌も、三回忌も、連絡は無かったです。
イヤイヤ、当然の気を使てくれたです。行くに、旅費も馬鹿にならぬが故の、何かのおり、別件での電話にて、そおそおと、年会の事を尋ねたならば、内々で済ませたと。ソかと。
内々となればの、三兄弟かと。


での、次に他界が、我が親父になるですが。オバの5年後でして。
オッとの、での、その間、私自身が、骨折してねえ。足首をです。

当日なるは、ノー・カー・デーでして。理由は、駐車場満杯にて、週一度、或いは、二度。車通勤がダメの日でして。
又、その頃、家族で、ディズニー・ランドに行こかと。有給休暇も取るに、上司に報告もしまして。その直前であったですが。
行きは、JRで。ソラ、バスでは、間に合わんです。帰りは、バスでして。その方が、我が家に近いもあるですが。亀岡から、西大路五条は、不便でねえ。JRの場合、家から、並河駅まで、早足、徒歩約15分。
並河駅から、丹波口駅まで、所要時間、当時は、約45分。単線のためもあるですが。
そこから、会社まで、徒歩、約15分。要は概ね、1時間15分を要するの、歩くの距離も結構ありまして。
バスなら、バスの所要時間は、1時間内外なれどの、歩くの距離、知れてまして。会社から、バス停、約5分。降りたのバス停から、家まで、約5分。

且つは、まともな時間に帰る事も無く。大抵ならばの、最終には、間に合う程度の、22時頃にはと。西大路のバス停がです。
イヤ、この日が、どかは、忘れたですが。とりあえず、朝は普通に歩いて、並河駅に。
帰りは、最寄りの、土田(つった)のバス停で降りまして。イツもの事での、特段にの、実は、ここから先、田舎故の、道が真っ暗でして。オッとの、当時は、鋪装はされてませんでしての、土の地肌の道でして。
での、バス停で、バスから降りて、何歩かの、十数歩かなあ。
歩いた処で、何かに左足が乗り上げて。だけなら、良かったですが、足が滑って、下にで、右足に重なりの、カラダはバランス崩して、左手に転け。
とするのか、左手に傾いたの瞬間、聞こえたです。ボキっ。

その時は、真っ暗でもあり、何が何かも、分からんかったですが。その日、日中に、道路工事されてまして。道路の土が掘られの、私が乗り上げたの、何かは、マンホールの蓋でして。要は、地面から、突起するの状態になってたです。
結果、左足首が、落ち、右足で、動き取れぬの状態で、カラダのバランス崩れの、マンホールの角で、左足足首を骨折と相成ったです。要はテコの原理。

そのボキっの瞬間にての、嫌な予感の、後は、足、ぶらぶら。折れたは自分で分かったですが。分かって、信じられんの、何でやと。
イヤ、出勤の際、この道、通ってまして。何も無かったですが。
そもそもがの、工事のための、通行止めも、ランプも一切無し。あれば、気が付くの、真っ暗故に、何が起こったかも、皆目の、嗚呼、困ったなあと。骨折、初体験故の、ケンケンでも、我が家に帰りの、病院にと。
思いのケンケンにて、我が家に向かうに、ソは易々の進めませんの、車が来たら、大変もありの、片脇に身を移動の、通過の車に助けを求めるに、そもそもがの、この当時、車も少ないけれどの、誰1人、停まってもくれんの無視でして。
云うたら、道端に横になってたら、酔っぱらいにでも間違われたか、余計な事に、首突っ込まんとこかの判断かと。

にしても、二台、三台、通過するに。五台、十台、過ぎたかの。イヨイヨのこんな調子で、いつまでもは、問題の、ケンケンで、一歩でもの、次第、次第に激痛がと。ソラ、足がぼきりと折れてましての、ぶらぶらでして。
そんなおり、手を振ればの一台の車が停まってくれて。
車には、若手の青年2人。イヤ、正直云うて、チンピラ風でして。困ったなあと。されどの、云うてる場合で無いの、運転してたの兄さん、降りて来てくれての、斯くの然と、説明途中で、助手席の相棒に指示の、一緒に車に載せてくれてねえ。

イヤ、家はすぐのソバとは云うてるですが。
相棒には、そのまま、降りてえと。その場に残したままに、我が家に向こてくれてねえ。
イヤイヤ、その通りから、すぐの処を左に。すぐを右にで。真っ直ぐの。右に、即の、左で、我が家。
家の前に停まってくれて。私を肩に抱えて、玄関先にで。嫁はん、出て来て、その様子見て、びっくり仰天の。
イヤイヤ、この人に助けてもろたんやの、お礼を云うてと。どこの何様ですかと、尋ねても、兄さん、何も語らず、云わずの、そのまま、行ってしもたですが。私には、殆ど、一言も喋らずしまい。

モ一寸、冷静ならばの、車のナンバーでも、見るですが。そんな余裕皆目でして。正直、真夜中故の、車のタイプも、その兄さんの顔さえも、皆目でして。
にしても、諸般、この手の兄さん、親切で。紳士、淑女に見えてるの車の主は、全くの無視でして。
世の中、そんなモンやろなあと。

イヤイヤ、我が人生観。
との表現、大袈裟なれどの、この時、若干ではあるですが。替わったです。
若干とは、元々の我が性格、このままなれどの。このままとは、これ又、表現難しく。

更には、後年、町内会の役員経験の際、全くの反対の経験もしの。人は、表面的に判断したら、大間違いの、実際に正面向かいの、接しの、初めて、為人が判明致すの、調子の良いのが、そのままに、調子が良いとは限らんゾと。
紳士が、紳士でも無くの、淑女が、淑女でも無いの。
巧言令色、少ない哉、仁。

そんな事よりは、賜ったの、恩義、一生忘れる事無く。何年経とがの、機会あらば、必ずやと。裏切り、背任、知って、知らぬ事にと。責めても仕方無く。先様には、先様の考えあると。
よって、出来る限り、同じに接しの、出来る事は常に最大限。協力致すですと。

意味なるは、心底、信頼して無い先様であっても、むしろの、理由不明の、実際には、当方をば、嫌てるを、承知しててもや。イザの時、頼まれれば、断らず。
さりとての、公然の、排斥した相手に尻尾フルの馬鹿は居てませんです。

オッとの、役員時代なるは、余りにお人良しに過ぎの、頭っから、信頼し過ぎただけでして。されどの、ソレはソレでの、こっちに、見るの目が無かっただけ。
現在唯今、見るの目、あるかとなればの、甚だの疑わしいけれど。まあ、騙すよりは、騙まされてるの方、数段の、罪軽く。
騙してる方が、懺悔しの、後ろめたく思てるかとなればの、まあ、思てませんですが。思てたら、諸般、出来ませんです。
オトトの、騙すなるは、極端なるの表現なれどです。詐欺師でもあるまいにの、先様、気持ち、赴くままでの、当たり前の、行動に起こしてる事が、真意也と。
(12/09/16)


NO.272 続・桜散る散る、花吹雪の話(3) 手術の話

そんな事で、そのまま、嫁はんに車に載せてもろて。
「公立南丹病院」に走ったですが。レントゲンを撮りの、複雑骨折ですと。へえと。

即の入院の。されどの、すぐには手術が出来ず。2、3日、待たされたのか。その間には、ギブスを作るがための細測をと。装具屋はんに足を触られ、イタイ、イタイの、脂汗。
先様、我慢して、我慢してと、云うですが。我慢なら、してるです。下手したら、失神、昇天するの痛さでして。痛く無いなら、ケンケンででも、休み、休みでも、自力で、家に戻ってるわと。
とは、云うてませんですが。

病室では、手術まで、動けませんでして。イヤ、軽くの固定はして戴いてるですが。
満員御礼状態の病室での、殆ど、通路にベッドを置かれてたかと。通路では無いと思うけれどの、狭い場所でねえ。食事したら、食器を同部屋の小父さんが、かたづけてくれまして。イヤ、間違い無くの、小父さんでして。当時、私、40代半ば。
先様、軽くの60代かと。
イヤ、部屋の人数知らんです。ウロウロしてませんの、出来ませんの、その小父さん1人が、面倒見てくれたですが。
持って行ってやると。嗚呼、すみませんと。

後は、アンタ、うなされてたでと。へえの、要は、余程の激痛かで、丁度、看護師が巡回の際には、寝てたらしく。巡回過ぎたら、唸ってたらしく。
での、この小父さんと交わした言葉はその程度。

2、3日して、主治医が、手術をしまして。術後は、別の部屋になりまして。ここは、6人部屋でありましたです。
手術では、全身麻酔でも無くの、先生の話声も、所作も全部、分かってたですが。面白いねえ。先生が、どやと尋ねられ、どやとは、何がですかと問えば、今、メス入れたゾと。フウンと。
痛くも、痒くも無ければ、何されてるも分からんです。
別段にの、足でして。

での、手術の方法聞いたですが。
プレートを入れて。ボルトで締めて。1年から、1年半後に、出すですて。へえと。
安全見るなら、術後、1年半が宜しいかと。

ででの、術後に、主治医、病室にで、上手い事、出来たからナと。所謂のヘア・ラインと云うたか。別の表現であったか。要は、破断の骨の隙間、髪の毛程度ですて。隙間無く、ズレも無くの意でして。
順調なら、約3箇月で、概ね、くっつくですて。概ねとは、強度無く、見掛けくっついてるだけの状態での。くっつくとは、骨から、骨の糸。繊維状のが、伸びて来て、離れた空間を満たすですて。この、くっつき出すのが、約1箇月後で、3箇月にもなれば、レントゲン上、くっついてるですが。先の通りの無理出来ず。一応の期間、1年経てば、概ね、走っても、大丈夫な状態なれどの、許せるなら、1年半後にと。
要は、1年が目安の、後は、そんなにも、遠く無いの間にプレートを出すが宜しいかと。ハイと。
反対には、余りに先になれば、プレートが肉片と馴染み過ぎて。取るが大変らしく。へえと。

斯くなる次第の、部屋が替わり。
結果、先の小父さんとは別れまして。松葉杖で、動けるよになってから、諸般、探索に回ったですが。そもそもがの、何号室も覚えてませんの、どっちにしても、整形外科と思うですが。多分なら、退院されたかなあと。
コレ又、残念な事に、苗字知りませんでして。

この返礼なるは、同部屋の動けぬ人あらば、同様にして、食器程度、しかるべくの場所に持って行って上げる事かと。
云うてもなあ。実際には、相応の時間が経てば、担当者が回収に来てくれるですが。気持ちや、気持ちの世界でして。
イヤ、この部屋でも、術語、すぐには動けず、1日、2日は、誰かに、手助けして戴いたですが。

そんな事での、同部屋の1人に、年寄りが居てまして。苗字、知らんの、ヘルニアで入院での、ども、癌も併発してたかと。この爺様もウルサあてねえ。夜中に、うなされてたですが。その都度、同じの主治医が飛んで来てたですが。
話簡単の、癌併発を知らずに、ヘルニアの手術をしたのか。ヘルニアと診断が、実際には、癌であったのか。オッとの、我々、ド素人故、あくまでもの、内々の噂話の、推測なれどです。

噂してる間にも、部屋が替わってねえ。個室になりの、私共、退院までには、多分なら、他界かと。
これ又、内々での、噂の範疇での、大体が、諸般、相部屋から、突然にも、個室に替わりの、動けぬのに、消えてしもたら、他界かと。
しかるにの、皆様、よお、知ったはってねえ。その年寄り、どこそこの、えらいさんで、有名人でと。よって、見舞客多くの、皆、相応のえらいさんですて。フウンの、苗字聞いても、皆目の、私め、その辺りの住人でもありませんでして。
もしかしたら、役場のえらいさんか、自治会会長かと。はたまたの、村会議員か、市会議員なんかなあと。イヤ、知りませんです。


そんな話は結構の、順番失念の、抜糸が出来てからか。術後即にか、左足を樹脂で固められまして。
リハビリは、術後、3日もしたら、行けと。
イヤイヤ、動かすは痛あてねえ。されどの、足首、多少なりとも、動かし出さんと、動かんよに成るですて。ましてやの、2週間も動かさんかったら、致命的ですて。
このリハビリの先生には、お世話になったです。まずは、動かすと同時に松葉杖の使い方を教わったです。
これが、実に、世間、殆ど、教えてくれませんですて。

結果、正当とするのか、正確な、使い方を知ったです。
イヤイヤ、そもそもがの、松葉杖なるは、体重を足に掛けんよにするが主目的での、掛け方は当然の、回復度合いによるの、三分の一、二分の一等々、そのよに心掛けるです。
となれば、左足が具合悪けりゃ、右足主導で、一歩足運ぶに、松葉杖、二本共、先に前にで、右足を後で、体重移動してから、左足をと。
松葉杖一本なら、当然の悪い方の足と動きは一緒の、松葉杖なるは、足の補助でして。
確かに、松葉杖の面々、動かし方を知らん事が多いかと。云うたら、無茶苦茶、適当でして。先生から、教わって無いか。教わってても、守って無いか。
最早の本来、不要の段階かと。
(12/09/17)


NO.273 続・桜散る散る、花吹雪の話(4) 入院中の話(1)

イヤイヤ、結果、ディズニー・ランドには、ご縁無く。
一度も行った事が無く。息子共には、嗚呼、あの時と、責められっ放し。

更には、この直前とするのか、骨折の、数箇月前、担当が替わった処でもありまして。云うたら、業務は同じの品質管理で、ダイオードから、センサーにと。
ロームとしたら、新しい、製品品目での、或る意味、面白かったです。
イヤ、別段にの、大した差が有るで無し。製造工程なるは、LEDと一緒。それを諸般、組立てまして。構成部品として、製品化してまして。LEDは、ダイオードを担当するの直前にそれこその、開発時に担当してまして。
担当も、生産技術的にで。そんな意味ならばの、ダイオードも、その当時に開発されてたの品目でして。

ここでは、余計な話なれどの、LEDの樹脂注形の際、樹脂にクラック発生での、その対策について、やってです。
要は樹脂が悪いか、樹脂固化の際の時間の問題かと。イヤ、金型かと。結論、金型の形状でしたですが。要は金型に余りにすっぽりでして。抜きの際のストレスにての、クラックがと。僅かに、傾きを付けてやる事にての解決したですが。
考えたら、当たり前の理屈なれどの、当時は、右も、左も、分からんわと。

機械屋、設計屋でもあるまいにの、金型の穴の形状まで、知るモンかと。只、抜くに硬あてねえ。当時、手作りなれどの、設計者に、コレ、機械化するの際、どして抜くやと。素朴なるの質問にての、単純にスポンと抜けんと、機械化出来ひんのと、違うかと。そやなあで、新金型で、抜け易くのが、クラック無く。あのなあと。

オッとの、程度の話の、その後、LED、Tr、Diodeが、分離独立の、私は、Diodeになっただけでして。
皆目の知らんでは無いの、LEDと、Trの組み合わせの、センサーでして。パチンコ台屋からの、注文もあったかの、知る人ゾ知るの、平和、SANKYO等々であったかなあと。パチンコ台も、この辺りから、本格的なるの、電子化されまして。

での、ここだけの話の、新製品ばかりのセンサーでして。歩留まりがねえ。5%とか。
信じられんのメタメタ状態。オッとの、機種にもよるですが。最初、聞いて、耳疑おたです。ホンマかと。まあ云うたら、これは、面白いなあと。そらなあ、当時、Diodeなんか、98%から、99%の歩留まり云々云うてたです。
それが、逆転とまでも、云わんの、ソレでは、不良品の中から、良品を探すのよなでの、とてもや無いの、皆怪しくの、設計の問題やと。これこその、手作業多いの、製造確認もせずの、工程投入してまして。
ソラ、クレームの連発やと。

そんな次第の、新部署なれどの、特段の、違和感無く。まあなあ、同じの社内でして。製造工場も、同じでして。只、組立は、所謂の内職屋。これが、又、亀岡にありまして。
<参考=M社のISO物語

とっとの、そんな話は結構の、骨折入院では、当たり前の、業務は出来ず。
云うたら、部下には、原則、自分で判断しなさいと。承認印押印結構の、知らんとは云わんの、困った時だけ、悪いけど、病院にと。ソラ、ソとしか、出来ませんでして。
ででの、部下云うても、その部署には、最初っから居てるの面々でして。機種名についてなら、細かな製造方法も、そっちの面々の方が詳しくて。只、若い故、経験がと。だけでして。
よって、どしても、設計担当に押されっ放し。
イヤ、設計担当、優秀は優秀でして。只、強引に過ぎまして。結果、週1回程度来てたかと。後半は、業務よりも、別途の話になってたですが。別途とは、リストラの件でして。後半とは、プレートを外すの二度目の入院の時でして。


トトトの、そんな話をし出したら、何が主題か分からんでして。
とりあえず、イツであったか。左足を固めた、樹脂の包帯。これが正しい表現かは、分からんですが。主治医が、これを切断すると。えと。
ソラ、いつかは、外さんならんですが。切断と聞けば、大丈夫かと。ビビリまくりの、主治医、回転式、切削器<回転刃>、小型なれどの、持ち出して来て。えの、こんなので、切るですかと、問えば、大丈夫と。何が大丈夫なモンかの、勢い余って、足の皮膚に接触したら、傷が付くではありませんかと。心配点、疑問、詰問したなら、大丈夫と。皆、心配するの件、一寸、試してみよかと、腕出せと。手の平でも結構の、カッターで、押されて、傷が付かんでねえ。へえと。

説明するに、硬いモノしか、切削出来んよになってるですて。フウンと。
実際に、腕を出したか、手の平かは、定かに非ずの、確かに、切れませんでして。分かったら、やるからナと、ビビビと、足をまるまるの固定の樹脂包帯、適当なるの名称なれどの、切削されまして。
出て来たの足見て、ビックリしたです。細おてねえ。僅かな期間、どれ程かは、失念の、骨折してない方の右足と比較で、一目瞭然の、筋肉、半分かと。一寸、歩かんで、こんなにも痩せ細るかと。
事実、体重掛けてませんでして。掛けて、二分の一、三分の一でして。

主治医曰くに、足は体重乗せてるの分、加重に耐えてるの分、腕よりも数段のチカラがあると。
確かに、腕の骨折なら、抜糸が出来れば、退院でして。体重掛かって無い分、掛けんでも良い分、回復も早く、楽でして。されどの、足は、ソは行かずの、或る程度の骨くっついてからの退院ですて。

イヤイヤ、イツの頃か、一箇月もしたら、同部屋の面々、一新の、足の骨折、私と、モ1人。靱帯断裂、2人。皿を割ったヤツ1人。脱臼1人。合計6人部屋でして。
この面々が最後まで一緒になるですが。私が一番の年長者になってしもたかの、脱臼も、柔道であったかの、警察屋はんでして。脱臼も、脱臼しっ放しの、重症でして。
足の骨折、木材屋。木材が足に乗ってしもたと、云うてたかなあ。
靱帯のは、大変でして。ビスで留めるですて。その間、足の運動、加重を掛けて、やらんとアカンの、そのための、マシンがありまして。悲鳴上げながら、やってたですが。

云うたら、同部屋の面々、同じの主治医で、リハビリ室には、皆揃ての出向きまして。皆揃ての、戻りまして。仲は非常に良くて。休憩室では、無駄話。部屋に戻っても、無駄話。おまけで、消灯時間にもなっての暗くなれば、隣、警察屋から、缶ビールが回って来てねえ。ホンマは、病院ではアカンけどナと。現役警察官がです。
或いは、タバコを吸いにの、連れ立って。行くか。行こかと。休憩室にと。当世、院内構内、禁煙なれどです。当時は、院内、各階の休憩室には灰皿完備。只、部屋では厳禁とだけでして。

斯くなる次第の、入院中も、相応に楽しくてねえ。
談話室には、当然の男だけで無くの、女性も来てまして。面白い小母さんも居てまして。兎に角、体重過重で、諸般、あっちが悪い、こっちがと。入退院を繰り返しの、病院の主みたいな存在がと。イヤ、私よりも若いですが。

或いは、ここだけの話の、半分、ヤクザみたいなのも居てまして。
要は大した骨折でも無いと、云えば語弊の、骨折は骨折なれどの、させたの相手が居てたならばの、まずは、個室。リハビリはサボりの、入院期間、大いに延ばしの、慰謝料をと。
噂の話の、当たり屋もどきと違うかと。個室で、タバコを吸いの、ビールを持ち込みの。変な話、私共も、来い、来いの、遠慮すなと。まあなあ、お付き合い故に、何度かは、お邪魔をしたですが。先生、主治医が一緒での、ぼろくそに云うしなあ。
あのなあと。やめときいなと。仮にも医者でありの、先生でして。
云えば、辞めるですが。要は、我々にええ恰好したいだけの話の、限度越せば、不愉快でして。オッとの、私よりは、10歳は年配者なれどです。
イヤ、病院内の仲間は当時、そんなモンでして。気楽なる、お付き合いしてたです。経歴、噂、承知はしてても、悪い話は、口にチャックで、皆、同等に接してたです。
接するにも、無愛想なのは、相手しても仕方無く。
(12/09/18)


NO.274 続・桜散る散る、花吹雪の話(5) 入院中の話(2)

この当時はねえ。
テレビは、それ屋に借りるなり。家のも持ち込むなりは自由でして。只一点、イヤホーンでと、ダケでして。
私の場合、幾らであったか、ポータブル・テレビを、「Big」であったかに買いに行ったですが。正確なる値は覚えてませんですが。5千円見当やったかなあと。
イヤ、外泊も出来るよになってからでして。

抜糸は済み、ギブスとするのか、装具も届きまして。この装具は自腹。但し、しかるべくの、市役所なりに申請する事で、7割戻って来るです。松葉杖は、病院からの、借り物でして。外泊も、装具と、松葉杖は必要でして。
但し、車の運転出来たです。
よって、自分で、車を運転の、買い物したり。
更には、病院には、自分の車で行きまして。土日は外泊で、車で、自宅に戻ったり。イヤイヤ、病院の駐車場に置いてたです。この当時は、駐車場の管理人の指導で、しかるべくの場所に駐車なれどの、入院患者の場合は、あっちに駐めたいと、病棟のソバに置いてたですが。
オッとの、車通院の入院患者は多かったです。同部屋だけでも、4人かなあと。6人部屋でです。但し、整形外科がその手のが多いだけで。内科では、居て無かったかと。

この当時はとしてるは、それから、数年経って、自動の駐車カードが発行での、通院患者は、精算時の無料化手続きにて、原則30分以内無料。ソレ以上は30分100円であったかの、有料に相成りまして。現在では、更に、駐車料金上がってるですが。

での、この当時は、スプリンターであったかなあと。
先代、マツダのグランド・ファミリア。これは、新古車でしたです。新古車とは、展示品等々にての車でありの、要は、型落ちで、営業所名義になってるがため、中古車扱いでして。
但し、試乗車としては、乗られてるですが。走行距離は大した数字でも無く、新品同様。大体が、8掛け程度で買えたのか。
イヤイヤ、グランド・ファミリアの話をしてるですが。槇島時代、国道沿いにマツダがありまして。
コレ又、ナカナカに熱心、優秀なる営業担当でしたです。

イヤ、買おてからも、何度も足運んでくれまして。
そして、亀岡に引っ越してから、ネッツ・トヨタの営業担当と遭遇の、しかるべくの時期に、スプリンターにしたですが。結果的、流石はトヨタで、以来、トヨタ車ばっかり。云うても、その次は、再度の、スプリンターで。その次も、スプリンターにするのツモリが、スプリンター廃版にての。又、その営業担当も退職でして。義理も無くなりの、トヨタ・カローラになったですが。

イヤイヤ、余計な話の、槇島のマツダの営業担当が、亀岡の家に電話してきてねえ。何事かと問えば、亀岡営業所に転勤での、又、ご縁があれば、マツダ車をと。
残念乍ら、トヨタになってるですと。返事してからは、途絶えたですが。何故に、我が家の電話番号、分かったのかと。別段にの、引っ越し先を伝えたで無し。

オッとの、ネッツ・トヨタの営業担当なるは、私と同年配でして。
何かと、良くしてくれたです。
修繕等々、営業所に行けば、必ず、顔出してくれて。飲み物はと、注文聞いてくれて。出してくれたり。イベントでの、抽選会有れば、買わんで結構。兎に角、来て頂戴の、変な話、時間あれば、小一時間、雑談したり。

正直云うて、修繕で、行って、彼が居たら、細々、説明も出来るし、しかるべくの、待ち時間、相手してくれて。
退職にて、義理も無くなりの、トヨタ・カローラにしたですが。家から、歩いて、5分程度の距離でして。されどのなあ。担当者居てるですが。話に成らずの、不熱心、不親切、無愛想。車検は、別途の知り合いの整備工場に頼むにしてるです。
ここが、又、私と同年代でして。
実は、諸般、長男が事故の際、お世話になったのご縁もありまして。トヨタ・カローラはこの人を通じて営業所から購入してるですが。
<参考=「不可思議の世界NO.3」九死に一生>


オッとの、そんな話は結構の、病室では、大体が皆様、テレビ持ち込みでして。当世の如く、ベッド毎に備え付けの、テレビ・カード、1000分、1000円なるの、ケチな事してませんでして。病院も、あくどい商売、し出したなあと。
このポータブル・テレビは、初回の入院、約3箇月でありの。再度、入院での、プレートを外すになってるが故でして。さもなくばの、買うは致しませんですが。そもそもがの、最初の一箇月は、持ち込んでませんでして。
又、同部屋の面々、ポータブルのを所有してまして。聞けば、5千円も出せばあると、聞いたからでして。正直、こんな小さいのが、5千円見当で買えるならと。

そんな次第の斯くなるでの。
車さえ、運転出来るよになればと。親父の明星園にも、何度か、行きまして。松葉杖、一本になってからなれどです。

での、退院直前には、嫁はんに同行頼みの、休日に会社に行きまして。イヤ、所属の部屋に入るに階段がありまして。そこが大丈夫かと。装具は、靴でして。膝小僧辺りまで、足に固定のため、足首、曲げられませんでして。
ギブスは退院後、最低でも、半年を云われてたです。
後は、リハビリの先生に指導されてたの方法で、足首曲げるの努力をと。イヤ、骨がある程度、くっついて来ても、足首曲がりませんでして。

ソラ、術後は、樹脂で固められた包帯で固定され。装具が出来たら、歩行時は、それを着用でして。足首曲げるは、リハビリの時でして。
イヤイヤ、当然の、現在唯今、極普通に足首曲がるよになってるですが。二度目の入院の、プレート外しの、それこその、半年、一年は、同じよには曲げられませんでして。ソラ、手で持って、引っ張れば、曲がるですが。足首を自力では、無理でしたです。

思うに、術後、2、3日経って、すぐにも、リハビリをと、指示されたは分かるです。
当時、リハビリを知りませんでして。ソラ、祖母が交通事故の当時は、リハビリの概念無く。私自身が、骨折初でして。親父は大腿部、骨折したですが。プレート入れて。固定して。年齢的、外すはせず。手術での切開箇所小さく、一週間程で、軽くの歩き出せてたです。

そんな意味ならばの、私の場合、切開長さ、長く、20センチ程度かと。
イヤイヤ、ホカの骨折の面々、骨折の箇所によりの、手術法異なりまして。多くの場合、金属棒を骨の中に入れられたと。変な話、金槌で、コンコン、叩いてねえと。傷口、手術痕も小さくて。それでも、三箇月入院してたですが。
そんな事で、年齢にも寄るの、若い場合、手術で入れた金属棒、プレート等々、外すの手術致すですが。加齢及び、骨折状態、手術法により、そのままの場合があるですて。
云うたら、祖母も、親父も、母も、入れたモノはそのままでして。
(12/09/20)


NO.275 続・桜散る散る、花吹雪の話(6) 退院出社からの話

イヤ、一寸、雑談。
車でパン屋。イヤ、「ロバのパン」ではありませんでして。「ロバのパン」も、当世、「ロバ」では無くの、車なれどです。
イヤイヤ、呼び鈴りんりんにての、何事かと、玄関先に出れば、見知らぬの、真っ黒の顔の、イヤ、黒人に非ずの日焼けか、地黒で、黒いだけなれどの、兄さんが。
パンを売りに来てるですの、宜しければと。そこでと。フウンと、横手を見たら、車が見えたですが。

諸般、明日の朝のパンが無い故、「スーパー・マツモト」に買いに行くのツモリにしてたですが。沈思黙考、小一分。
イヤ、車の置いてるの場所が気にいらんでねえ。詳しくの理由は申さんですが。
家の中に戻ってから、車の移動したが見えまして。要は、家の真ん前通過で、あっちから、こっちにと。多分なら、こっちの並びの家々に呼び鈴りんりんで、呼び掛けたかと。
での、まだ居てるならと、外に出たら、見えまして。

どんなモノがあるか。見るだけでも、見よかの、行けば、先程の兄ちゃんと、モ1人居てまして。2人もで、販売してたら、人件費でも高くつくのになあと。思いつつの接近したら、兄ちゃん愛想良くの、遠くになってしもて、すみませんねえ。
どですかと、車内のパンを見せてくれて。

ンの、値段書き見て、ゾ。
概ね、1個190円也で、これは、高いなあと。コンビニでも、130円かと。スーパーなら、105円やでと。
手作り故、車での販売故、多少は覚悟してたですが。さりとてねえ。モノは、値段はと、見聞のツモリでも、イザ、面と向かいの、モええと、引っ返す訳にも、行きませんでして。ええ歳した、初老の爺がです。当人、爺とは思てえへんけれどや。孫が居たら、爺なれどです。

仕方が無いしで、適当なるのを、2個。嫁はんのと、私のでして。都合の、380円也を支払いまして。正直、以て、買わへんわと。高過ぎるわと。後は、明日にでもの、喰てからかと。されどの、パンはパンでして。
パン以上の味はしいひんやろと。


でででの、そんな次第の斯くなるでの。
イザ、退院の、出社し出せば、我が部署、えらい事になってまして。クレーム連発での、ひっくりの反ってまして。
云うたら、退院直後の、初の出社のおりです。他部署とするのか、説明難しいですが。我々、品質管理<QC>は、製造に属してまして。別途の部署、QAなるのがありまして。
形上、全社のクレーム情報等々、統括してまして。失礼乍らの、尻叩き役。何よりもの、現場にての、実際の活動してませんです。技術屋ではありませんでして。少なくともの、当時はですが。
そこの長、出て来たの私に開口一番。何を入院してるの、イツまで、暢気に入院してるの、クレーム処理せえ。
イヤ、もっと、きつい言葉であったかと。

イヤイヤ、一切の反論してませんです。
出社したばかりで、意味が分からんです。又、この方、全くの無縁の人物に非ずの、その昔、半導体製造部時代には、部署は違えど、同じの部に所属はしてまして。親しくもしてたですが。えらい剣幕で、突然の、喧嘩越しで、びっくり仰天。
そもそもがの、何の件での、中身知らんのに、言葉がありませんでして。

よって、ハイ、すみません。唯今、出社したばかりで、内実分からんですと。調べた上で、対応致しますと。しか、返答のしよが無く。

での、諸般、部署で会議の内容知れば、QAの長から、どやされる程の大クレームは無いのになあと。只、戦力的、人が不足で、手が回らんかったが実情かと。加えての、折角の不良率低減も、元に戻されてしもてまして。
あのなあと。

とも、云うてられずの、ここで、説明するにも、昔の話で、詳細失念。且つは、クレーム一杯、日常茶飯。何の珍しい事でも無く。
結果、QAのが、何故にえらい剣幕であったかも、分からんの、確認しに行けば、要は、クレーム一杯、ほったらかしは何事かと。好きで、ほったらかしにはしてませんですが。しかるべくの対応すると。

イヤイヤ、ホンマやでの、QAは、こんな調子の、云うだけでして。
あちらが援軍出すで無し。クレーム処理、代行するで無し。工程異常、分かるで無し。要は管理手法を云々するだけの、理屈屋集団。とは、云い過ぎでもです。又、当時の話でして。

更には、内部的には、部下の1人が辞めると。えと。
これは、当時の担当が気にいらんとの事でして。担当とは、クレームに掛かってたですが。工程改善をしたかったと。
それは結構の、私が戻った故、そしたらと。別段にの、誰もが、クレームに掛かってるでなし。とは云え、又、1年半後、再入院故に、状況に応じ、クレームも見てもらわんならん事になるけれどと。
とかとか、説得も、ども、真意、更なるの上が気にいらんみたいの、ソレを私に云われても、ども出来んの、上の人事の話でして。結果的、転職先も決めて、辞めてしもたですが。


云うたら、変な話、諸般、骨折等々、予期せぬの事故、怪我。比較的大きなのに遭遇の時には、運気とするのか、下降線を辿ってるよに思えまして。感じまして。
あくまでも、その当時を振り返ればの話なれどです。
万事、退院してから、歯車狂い出したとするのか、骨折そのものが、狂い出しの発端とするのかでして。
兎に角、入院中は、諸般、状況説明報告的、聞いてたですが。辞めたヤツだけは、一度しか、来て無かったです。進路についての話は、出社してからでして。
又、退院直後辺りから、会社そのものの方針として、各職場から、5%であったかの、人員整理せよと。厳命下りまして。私に直接では無いの、社内での、噂、実感を以ての、話は聞こえてたですが。
我が部下にもその話が来たらしく。えと。

正直、1人辞められ、更に、1人、解雇では無いの、自主退職せよの話でして。どっちにしたって、一気、男子2人も減ってみい。男子5名、女性5名程しか居てへんのにと。
オッとの、その前に、1人が辞めて、その補充は入ったですが。同じ部署からの横滑りでして。只なあ。コレが問題でして。
問題児故に、こっちに回ったですが。
イヤ、何とか、使てくれへんかと。

オッとの、これ又、知らんの人物では無く。元々が、DIODEに居た人間でして。これが、性格一寸変。
何が変となれば、単なるの、横手の人間ならばの、普通なれどです。上下関係になると、物事聞きいれずの反発の状態に相成る性格でして。これが、尋常ではなくの、異常状態。
(12/09/21)


NO.276 続・桜散る散る、花吹雪の話(7) 再入院直前の話

そらまあねえ。
上司、部下の関係になれば、人間関係替わるは往々にしてあるですが。むしろの、その方が多いけれどです。
彼は極端に過ぎたです。

兎に角、自分の好みの事しか、しませんでして。ミーティングをしてても、明後日の世界を見てる風情で、ええ加減にせよと。たしなめたら、睨み返して来まして。へえと。
イヤ、正直には、諸般、評判芳しく無かったですが。マア云うたら、ええ歳でして。ええ歳も、他の面々からしたら、年長でありの、社歴も長く。オッとの、私とは別途の話の、10歳は下なれどです。他の面々の殆どは、途中入社組。

イヤイヤ、私とは、良く話をしてたですが。ころっと、替わってしもて。困ったなあと。
云うたら、ナンバー2になって欲しいのにと。性格、一匹狼的でして。対人関係、超の苦手。話簡単の、人を使うも、使われるも、嫌の口での、それでは、会社員は勤まらんですが。ましてやの、品質管理で、クレーム処理も、工場での、品質改善等々も無理でして。工場では、先様の担当者と折衝なりしんならんわと。人間関係構築重要でして。
要は、技術屋なれどの、社歴からも、作業者として使うも酷でして。開発にでも回った方がと。開発も、人間関係重要なれどです。での、開発担当の長に話をしたら、彼なら、イランと。へえと。

さりとての、このままでは、雰囲気悪くなるだけ故、上司にそのままを伝達、そっち預けにしたですが。正直、残念でして。何度か、一対一で、話もしたですが。ソラ、何かのご縁で、一緒に仕事をするの仲となったが故、何とかと。
ホントにねえ。何人、何十人の、何百人には成らんですが。業務を通じて、承知の面々で、彼は特殊に過ぎたかと。

もしかしての、世間には、この手のが、案外に多い可能性あるですが。
ご縁で、仕事を一緒にの、豹変は、会社では、彼だけなれどの、ソラ、諸般、別途の世界には居てまして。こんな些細な事でと、びっくりするよなのが、散在かと。要は思考回路に柔軟性無く。理屈、屁理屈、計算出来ず。
当人なりには、考えての事なれどの、稚拙でねえ。手を替えは結構なれどの、又かと、一発判明。人間関係の大切さが、理解出来ず。

とかとか、当時、人事面での、頭痛のタネ。に意外なる気苦労したです。
加えての、指名解雇的、話もありまして。

又、親父の方は、入院中にも、グと歳喰うたかと。
入院以前は、何とか、1人で歩けてたですが。手摺りを持ってでもです。退院してからは、車椅子での移動になってたかと。
車椅子になると、喫茶店に連れてくも、難儀でねえ。ソラ、我が身も装具、ギブスを付けた身でして。内心では、1年も経てば、骨もくっつき、普通に出来ると思てたですが。反面、怖さがあったです。
とは云え、何度かは行った筈でして。
又、散髪は、家族がしかるべくの連れて行くになってまして。二箇月に一度か、三箇月に一度、呼び出しありで、出向いたですが。

斯くなるでの、難儀したの1人は、上司預かりにしまして。
されどの、1人は、指名解雇の話がありまして。既に、1人は退職しまして。指名解雇のは、再入院までに解決したかったですが。1年半が経過で、再入院。
イヤ、彼、指名されてるの部下には、コレ又、何度も、一対一で、話をしまして。彼にやる気があるなら、上司にはしかるべくの話をしまして。取り下げ要求してやろかと。ソレを云い出せば、指名解雇も出来ませんですが。
全くの勝算無しでも無く。

イヤイヤ、頓珍漢なる面、多々あるですが。良い男でして。人間関係構築面では、合格でして。
頓珍漢とは、頭でのみ、考えるの面、多々あっての、モッと、経験をの、実際に組み立てたらと。イヤ、彼は途中入社組なれどの、最初の配属先、開発部門でして。そこで、設計の製品、クレーム連発。
オッとの、私が配属されるまでの話なれどの。基板に取り付けの、ワッシャが大きく。ソレが、配線に接触してたりの、これは、設計段階で分かるやろと。少なくともの、自分で、一度組み立てて。その辺りの可能性を点検でも見つけませんとと。
つまりは、対策、超簡単の、基板の穴をずらすなり、ワッシャの径を小さくするなりで、配線の接触防止可能かと。
こんな事、一発、分かるでと。
彼からの相談あった、その一件のみ、鮮明に記憶してるですが。

での、真面目でねえ。一生懸命でねえ。
人様を騙したりの、貶めたりの事は無く。兎に角、経験かと。勝算とする程のモノでは無く、彼が、そんな話があって、尚かつの、私と一緒にやってくれるの気があるなら、私もそれに答えねばなりませぬ故、彼を辞めさせるなら、私も退職するの覚悟を決めまして。
イヤ、本気やでと。彼には、そこまでの話はしませんですが。要は、上司と喧嘩するの覚悟はあったです。

とかとか、話をしてる間にも再入院。
再入院なるは、大した事でも無いしで、構わん故、精々、相談に来てくれと。ソラ、当人、ぐらつき、再就職先を決めたりなら、将来的、どの方向、職場、会社が彼にとって、良いかは、神のみぞ知るの世界でありまして。
我が立場は、何度でもの、説明するの、ご縁あって、一緒の職場で遭遇の、一緒に仕事をする事になったが故、精一杯の、働きかけは致すですと。結果、上司と喧嘩になって、辞める事になってもと。
必要なる人材なら、そのよにしてでも、残すべきでして。

余談なれどの、そんな意味では、入社以来、アシスタント<助手>の女の子には、恵まれてたと云えるです。
概ね、最初っから、アシスタントは居てまして。そらもお、しっかりした子が殆どであったかと。
そらまあ、時には、大丈夫かと。算数を教えんとあかんよなのも居たですが。新入社員の頃なれどの、仕事は与えんならんし。仕事させるに、計算させるに、一寸なあと。早く、定時になって、帰ってくれへんかなあと。
意味なるは、自分で計算なら、瞬時とも云わんの、数分で終わるよな計算が出来ませんでして。

ソレは例外として、新人を教育出来る程度のが、大多数。イヤ、女の子は、退職早く。大体が、当時は2、3年もしたら、辞めるの子が多かったかと。中には、十ン年在籍の子も居たですが。こっちが、転属したりして。
での、わざわざの、転属先に、此度、結婚にて、退職する等々、へえの、万歳の、おめでとうの子が多いけれどや。
そんな子は、現在唯今も、年賀状程度は交換してるですが。
オッとの、指名解雇が云々のも、交換してるですが。
(12/09/26)


NO.277 続・桜散る散る、花吹雪の話(8) 天皇陛下、皇后陛下の話

実は、嫁はん、白内障の手術しまして。町医者でありましての、入院無し。
この9月6日に、左目を。一週間置いた、13日に、右目をでして。よって、現在唯今、左目、3週間。右目、2週間経つですが。
まだまだ、落ち着いて無く。落ち着いて無くとは、見え方がで。先生の言では、一箇月はと。
その間、先週とするのか、21日から、23日、義姉夫婦とその娘<姪>と、その子が見舞いにと。我が家に来てたです。

結果、諸般諸々の忙しいてねえ。
イヤ、慣れぬ家事をしんならんし。町医者には連れて行かんならんしと。

20年程経つですが。母の時も、同伴させられて。この時には、「公立南丹病院<総合病院>」での、入院なれどです。
イヤイヤ、この時にも、手術の内容説明に家族は来なさいと。白内障手術の事を、二度聞かされるになったですが。この話は、別途に致しまして。


この当時。
イヤ、私が左足骨折した当時。骨折の手術、リハビリは、「公立南丹病院」なれどです。
身障者の気持ちの一端、分かったよな気にはなったです。
松葉杖は宜しいです。如何にもの、骨折でもしたか。足を怪我したかと、第三者に分かる故。
松葉杖は邪魔くさいし、出社の際には、持ち込みませんでして。結果、ギブスはなあ。なるべくの、ズボンの下に隠してたですが。歩き方は隠せず。ちんばになりまして。そら、踵(かかと)が曲がり難いからでして。
又、歩くは出来ても、走れませんでして。
走るに走るのコツを忘れまして。怖いのもあるですが。ギブスを付けては走り難くもありまして。
昼休み等々、社外に出て、練習したですが、アカンなあ。

まあねえ、その社内なら、顔見知りに、足どしたんと、一々、尋ねられるに、返答するに、邪魔くさく。邪魔くさいけれどの、従前、足はどもないを承知しててくれてるですが。一歩、社外に出ての、そこらの通行人は従前を知りませんでして。奇異なる目で、見られたり。とは、こっちが、勝手に勘ぐってるの可能性あるですが。

病院ではあっても、骨折経験無くの、所謂の健常者は、分かってえへんねえ。
松葉杖も、車椅子も、ソは易々の、機敏には、進行方向、替えられんをです。通路でも、道でも、ド真ん中で、話し込むの、小母さん連中、如何に多いかと。その世界に入り込みの、出て来ませんでして。
通過出来ぬ故、暫く様子を伺うに、一向に話、収束も、こっちに、気も付かずがため、すみませんがと、一声掛ければ、嗚呼、ご免なさいねえと。片脇には、寄ってくれるですが。再びの、復路で、マダ、同じ調子で、喋ってまして。
あのなあの、そもそもがの、通路、道路のド真ん中を占領すなと。世間の邪魔にならぬ場所で、気の済むまで、喋ったらと。

又、病院であっても、床が滑り易い箇所があったりしてまして。イヤ、松葉杖の場合です。
或いは、トイレ、洗面所等々、床が濡れてたりしたら、松葉杖の先が滑るです。


そんな次第の、斯くなるでの、会社の話は置いといて。
二度目の入院では、前回、同部屋の面々、打ち合わせしてまして。時期を一緒にと。結果、何人かが、一緒になりの、同部屋にと、なったですが。
この入院中<平成3年・1991年>、天皇陛下<今上天皇>、皇后陛下が、亀岡に来られてねえ。亀岡とするのか、八木の方なれどです。
来られても、入院中故、見られへんと、思てましたら、何とまの、その、「公立南丹病院」の真横を通られる事が判明の、当日、その時刻、見に行ったです。見に行くも、駐車場の前の道をお車が通過故に駐車場に行くだけでして。

日の丸の旗が配られ、金網越しに、天皇陛下、皇后陛下を見たです。見た云うても、ホンのチラの瞬時なれどです。
その日の丸の旗は、どしたのか。回収されたよに思うですが。

での、ご縁、摩訶不思議の、後年<平成17年・2005年>、私が区長した際の、区長仲間が、JRの車掌をしててねえ。既に、退職されてたですが。
イヤイヤ、年末警戒の当番の時です。その方が、自慢話と云うたら、何やけれどの、亀岡に来られた時の、京都駅から、亀岡駅までの、嵯峨野線のお召し列車の車掌をしたですて。へえと。
来られた時、見たと。入院中でと。
<参考=「我輩は区長也NO.25NO.26」希しきご縁のお召し列車の話>

イヤ、ホンマやでの、天皇陛下、皇后陛下が来られるを承知で、二度目の入院の日を決めたで無し。
されどの、入院中で無ければ、見られませんです。見るにも、病院のソバを通過で無ければ、見られませんです。
まさしくの、希しきのご縁やなあと。その方と、同期で、区長するとはと。それも、年末警戒で、自慢であれの、話が出ぬなら、分からんですが。丁度、鉄道事故、頻発の頃でして。車掌よりも、運転手の方がえらいと思てたですが。反対ですて。
只の切符切りと違うの、車掌の権限にて、列車が動きもし、停車もするですて。要は車掌は船長の立場ですて。聞いて、へえと。


ででの、二度目の入院にて、左足にはめ込まれた、プレートを外して戴いたですが。当然の、又、切開で。抜糸で、リハビリでして。
されどの、二度目は、骨はくっついてまして。只、安全のため、又、足首が動き難いの問題もありで。ギブス必須で、抜糸以降、リハビリが主の入院なれどです。
よって、車を病院の駐車場に置きの、土日は外泊で、家に戻りの、明星園の親父に面会をしたりしてたですが。
云うたら、気楽な入院でして。
(12/09/27)


NO.278 続・桜散る散る、花吹雪の話(9) 新館の親父の場所の話

イヤイヤ、ホンマにねえ。
天皇陛下、皇后陛下が、こんな場末。狭い脇道を車で通られるとは、夢想だにもでして。
ソラなあ、「公立南丹病院」の、正面玄関入り口前の道路でも狭いですが。そっちの方では無く、横手の、駐車場横でして。駐車場の金網のある、道路の向かい側は民家でして。
されどの、お陰様で、チラではあれ、見られたですが。患者、看護婦、病院の職員がキャア、キャアと、大騒ぎ。
私共、何で知ったか。方々から、噂、伝聞、情報が飛び込んで来てたです。何時頃、駐車場のなあと。通るらはるのえと。フウンの、ホンマかいなと。

されどの、その日、その時刻の辺りから、病院内、ざわつき出しの、モ、ボチボチえと、看護婦も、患者も、職員もと。
看護婦が、動き出しの、職員、患者と。ホナラのと、私も皆が向かうの方向えと。松葉杖に、ギブス姿で、金網の方にと。


とまあ、そんな事もあったですが。
明星園から、呼び出しがありまして。当然の、親父の件でして。
何事かと、出向けば、親父の状態では、老人ホームでは無理となり。特別養護老人ホームに移動させたいと。へえと。
先の通りの、大腿部骨折もありまして。ホーム内での移動が車椅子となってまして。車椅子生活では、老人ホームの範囲を超えるがため、特別養護老人ホームにと。イヤ、明星園には、併設されてまして。謂わば、新館でして。

云うたら、明星園の受付から、左手が、老人ホーム。受付のある方の建屋を右手に行けば、特別養護老人ホームになってまして。現在は知らんの、当時の話なれどです。
宜しいですかと、職員に尋ねられの、こっちは、ええも、悪いもあらへんです。先様の仰る通りで結構ですと。ならばの、しかるべくの日に、移動する故、当日には、一緒にと。要は、私物等々あるが故に、家族がそれを整理整頓。新館に持ち込んで欲しいと。ハイ、承知と。

親父には、その旨、説明しの、数日後であったか。部屋の私物を整理整頓。しかるべくの、段ボール箱に収納しまして。
私物云うても、本と、衣類等々でして。大したモノはありませんでして。同部屋の住人が、幅を利かせてるの具合でして。コンチクショウと。云うても、親父の持ち物少ないけれどや。
この辺り、男の私では、気も付かず。そもそもが、私自身、風体に気を付ける方で無し。オシャレ、洒落ても、惚れ手が無いわの口での、無頓着。髪の毛にしたって、朝、霧吹きで、シュッシュの、後は、ブラシで解くだけ。揃えるだけ。ドライヤーなんか、用事無し。精々が、スプレーで、一寸だけ、固定かと。
ならばの、親父の方が余程に構うの方やったかなあと。服装以外はナと。


でででの、移動当日。
当然の外出届けを病院に出しまして。車は、病院の駐車場に置いてあっての、殆ど自由に出入りしてたですが。
しかるべくの、明星園の担当者に、準備完了の旨、伝えまして。オッとの、貴重品は当人、親父が持ってるですが。貴重品とは、財布、判子に預金通帳。その他、諸々かと。

イヤ、新館の、特別養護老人ホーム内に入ったは、その時初めてでして。
綺麗は綺麗なれどの、灯りが少なく、暗い雰囲気でねえ。
老人ホームの方は、建屋こそ、古いけれどの、明るくて。採光がしっかりしてるのもあるですが。

イヤイヤ、正直には、こんな暗い場所でええのかと。思いつつの、こっちの方の職員に館内案内して戴きまして。
ソラ、完全バリア・フリーで、トイレも、車椅子で入れるの大型。通路は広いし、兎に角、新しいし。只、陰気でねえ。

オッとの、この特別養護老人ホームなるは、親父が入所中に新設されたモノでして。寄付金等々、募られてたかと。我々も、応分の、寄付をしたのかなあと。金額までは、覚えてませんですが。私共が出来る範疇での、大した金額に非ずかと。
要は、入所費用支払いの際、幾らかを、寄付金として、拠出してたの程度かと。
当然の、しかるべくの際には、優先的に、特別養護老人ホームに入所させて戴けるとの事でして。とは云え、まさかの、親父が早々にも、入所するとは、露程にもでして。
冷静に考えれば、骨折入院の、退院した辺りで、車椅子になってたですが。その事と、特別養護老人ホームとは、直結してませんでして。我が思考回路ではでして。あれは、モっと、重症とするのか。自分では何も出来んの、認知症の老人が入る程度に思てたですが。

親父なら、その辺り、認知症の気配皆無。
入れ歯故、喋るの言葉、不明確なれどです。別段にと。家族の事、病院での話等々、充分理解してまして。少なくともの、私を誰か、分からんの事は無く。至って正常。
とは云え、車椅子では、あっちは限度を超えてると云うし。こっちは、可成りの重症老人多く。重症とは、天井向いてるの老人でして。食事も1人では出来ませんでして。親父なら、多少はこぼすですが。1人で、食事は出来てまして。
云うたら、足の問題だけかと。

イヤイヤ、これ又、正直、実際に見聞の、申し訳無く。イヤ、親父に対してです。
そらなあ、先の通りの、1人で、食事は出来て、認知症でも無く。天井向いてたり、1人では、食事も出来んの老人の中に入るは、可哀想でして。とは云え、先の通りの、あっちでは、面倒見られんと云われたら、仕方が無く。

実は、この時、とは云えどの、親父も歳でして。
環境替わって、大丈夫かと。同じの敷地内とは云え、職員違い。施設の老人は、話相手にさえ成らず。採光暗く。何やら、冷たい雰囲気でして。
確かに、老人の声は聞こえず。職員も静か。中身そのものが、明るい色調でも無く。余計に、陰気。

おまけで、一応の親父の場所が、部屋で無く。廊下の片隅みたいな場所でして。職員に、ここが部屋ですかと。問えば、とりあえずの場所ですて。詳しい話は失念の、多分なら、諸般、重症の老人との同部屋避けたの話であったかと。
そやけどなあ。廊下の片隅では具合が悪く無いのかと。
片隅と断言は出来ませんですが。私には、そのよに見えまして。一応は、私物入れの場所等々もありまして。カーテンも出来るですが。曰くに、原則、見通し良くしてるですて。ホンマかと。
とは、申してませんですが。

とかとか、実際に内部を見学の、親父の部屋らしき場所も確認しまして。
正直には、環境の変化大きくて。暫く、様子を見て、親父には、どやと。尋ねてみるかと。尋ねて、どするも、出来ませんですが。せめてもの、明星園に働きかけはしてみるかと。
とは云え、親父は、親父で、嫌である等々、一切口にはしやへんやろなあと。
思いつつの、そしたら、又、来るしと、お暇しまして。
(12/09/28)


NO.279 続・桜散る散る、花吹雪の話(10) 「兄さん、返事、どしましょ」「分かった。モ、宜しい。」の話

親父が、明星園の老人ホームから、新館の、特別養護老人ホームに移動の明くる日か。
或いは、数日後であったか、定かには覚えてませんですが。

「公立南丹病院」の病室。ベッドで寝てたらです。寝てるも、未明。まだ、周辺真っ暗。4時頃であったかなあ。
看護婦が、起こしに来まして。家から、電話ですと。ンと。
当時には、ケータイは無いです。あっても、自動車電話の時代でして。人間様が持てるの大きさではありませんでして。
イヤ、看護婦から、電話ですと、聞いたの瞬時、悪い予感あったです。
ソラなあ、その時刻です。朝の4時に電話で、我が退院はイツ頃かの話は無いです。吉報も、思い当たるの事は無く。緊急事態発生です。緊急とならばの、親父の事かと。風邪でも引いたか。骨折でもと。風邪では、この時刻に電話はと。そしたら、骨折でもしたかなあと。

思いつつの、電話に出たら、嫁はんでして。
親父が、「黄檗病院」に入院したと。原因、尋ねるまでも無く、呼吸困難に陥り、危篤状態であると。ンと。
まあねえ、結核で、「宇多野病院」には入院してたですが。直った故、退院でして。突然に、危篤とは、合点出来ず。何よりもの、昨日であったか、数日前には、会おてまして。話をしてまして。おかしいなあと。何かの間違いとは思うですが。
病院から、身内、家族はすぐに来て欲しいと、連絡あったですて。イヤ、何かの間違いと、考えつつも、身支度、する程でも無く。パジャマのまま。貴重品<財布、免許証>程度を手に、外出届けを出しの、車で帰宅。

イヤ、どの程度、急ぐべきかも、分からんの、とりあえずは、着替えましての、その間にも、電話がありまして。
電話の主、妹婿。
イヤイヤ、ピンと来てませんの、現在、「黄檗病院」からの電話での、何で、妹婿が、「黄檗病院」に居てるかでして。考え巡らし乍らの、用件聞けばです。
先生が人工呼吸してるですが。手を止めると、息が止まると。只、既に、2時間、3時間と、先生人口呼吸を続けられてましての、決断をと、促されてると。何の決断かとなればの、人工呼吸の手を止めるか否かの決断でして。
先生から問われて、妹、妹婿が決断不可故、私に電話をしたと。

「兄さん、返事、どしましょ。」
「先生。2時間、3時間、頑張ったはります。」
「もお、限界と云うたはります。手を止めやはったら、呼吸が止まります。」
「決断してくれと、云われてます。」
「こっちで、そんな判断出来ません。」
「兄さん、返事、どしましょ。」

繰り返し、繰り返しの、そんな話でありまして。
嗚呼、そんな事態かと。
されどの、亀岡から、宇治の、「黄檗病院」となればの、当時、ギリギリの、「京都縦貫道路」は出来てたですが。病院名、そのままの、宇治黄檗にありまして。距離的、約の、50キロ。2時間は軽く掛かるかと。時刻が時刻だけに、出勤時間の関係もあっての、下手したら、3時間かと。
既に、先生が、2時間、3時間も人口呼吸されてまして。更に、我々が到着までの、早くて、2時間。

それこその、ケータイ電話普及してるの時代ならばです。
兎に角、着くまで、待って欲しいと伝えてくれと、返答するですが。余りに渋滞等々、不測の事態も考えられの、ケータイででも、連絡を取りつつの向かえるですが。
当時は、一旦、家を出たら、公衆電話以外に通信手段無く。公衆電話を探して、電話するの間があれば、そのまま、運転して、向てる方が宜しくて。

出るまでに、決断とするのか。最早の、その場。その電話、今、掛かって来てるの、その段階にての、決断するしか無いのかと。
「分かった。」
「先生には、も、宜しいですと。有り難う御座いましたと、伝えて。」

よおそんな決断したなあと。今更乍らの思うですが。
こんな事、夢であって欲しいの気と。夢であるの気と。
酸素マスクもあるやろしと。人間、ソは簡単、易々の死ねませんと。ついの先日、元気な顔見てたわと。只、環境の変化。陰気な雰囲気気にはなってたですが。

にしても、その返答は、シカと記憶してるです。夢、現(ゆめ、うつつ)の中での返答に非ず。しかも、左程に迷っても無かったです。
これは、自分自身の生死観もあるですが。生死観とは、寿命があれば、生きる。無ければ、死ぬと。親父に寿命があれば、手を止められても、酸素マスクで、息は出来る筈と。


での、家族全員。
嫁はん、母、息子共を車に載せ、「黄檗病院」に向こたですが。
「黄檗病院」に行くは、二度目であったかの、場所は重々、承知をしてるです。亀岡から、明星園に行くの道中にありまして。その、一度目は何であったかは、失念の。
明星園入所の間、親父入院致しまして。大した病気では無かったかで、2、3日で退院したですが。

向かうの道中。
運転しの、実は、どこを、どんなコースで、走ったかの、記憶が無く。
大抵ならばの、国道9号線を真っ直ぐ。五条通りを真っ直ぐ。山科の外環状線から、「黄檗」に向こたと推測するですが。その道中、途中。おそらくは、五条、東山通りの、高架の辺りかと。
運転出来るの状態では無くなって来てまして。

理由は、無闇矢鱈、涙が、涙がでして。
そんな決断をしの、申し訳無いの気と、親父の笑顔が浮かんで来てねえ。何で、ニコニコしてるやと。こんな事態やでと。
イヤイヤ、とめど無く、涙、涙で、前方見えず。されどの、家族全員、車に載せて、運転してまして。一路、「黄檗病院」でして。
(12/09/29)


NO.280 続・桜散る散る、花吹雪の話(11) 迅速なる行動の話

さての、「黄檗病院」に、何故に、妹婿が居て、電話があったかとなればです。
親父危篤にての、病院から、電話があって、家族をと。
嫁はんが、妹にその旨、連絡しの、妹一家、当時、宇治、小倉に住んでまして。距離的、近かったです。


での、病院までの道中。
色んな事が去来してたです。大丈夫。ついの先日、元気やったのに。アカンでも、元気な時に何度も会えてたしと。あの新館がなあ。陰気やったしなあ。歳喰えば、環境の変化に弱いとも、聞くなあと。
とかとかと。

さての、着けば、どこをどんな具合にか。
駐車場に車を駐めて、病室に行くに、その道中、ここには、精神病棟ありまして。失礼なるの表現なれどです。夢遊病者の如くのが、職員に伴われの、院内散策してましたり。上を見上げれば、鉄格子の階があっての、そこから、覗くの、患者の奇っ怪なる風情。正直には、ゾンビの如くで、気分良くは無いです。

婿殿から、連絡あったの病室に入れば、そこは、病室とするよりは、危篤状態の患者ばかりが集合させられてるの部屋の感しまして。親父は、妹は、婿殿はと。目で追えばの、病室の一隅に妹、婿殿発見の、様子からして、アカンかと。
アカンとは、寿命尽きてるかと。

親父は、ベッドとするよりは、ベビー・ベッドのよな、四方、柵のある台に寝かされてまして。既に、鼻には、脱脂綿。表情、にこやか。嗚呼、苦しまずに済んだかと。だけでも、胸撫で下ろしたですが。
そこえ、先生現れまして。諸般、説明あった筈なれどの、全くの耳には入ってませんでして。意味分からんの、理解もせずの、タダタダ、ハイハイと返事だけしてたかと。
さながらの、先の夢遊病患者みたいなモンでして。
云うたら、何を聞かされても、アカンかったんやと。人口呼吸、ン時間もして戴いて。虚脱感だけは覚えてるです。周辺の状況も覚えてるです。

先の通りの、殆ど、危篤状態の老人が、あっちに、こっちに、居てまして。親父と同じくの、ベビー・ベッドのよな、四方、柵のあるの台にです。
事実、生きてるのかと、危惧するよな状態の老人ばかりでして。

事実の事実、長くは無いの患者を集めてるかと。その病室かと。
「公立南丹病院」では、原則、個室に入れられてたですが。云えば、「亀岡シミズ病院」でも、個室かと。
そらなあ、病院故、その手の患者、珍しくも無く。それを、一般病棟、病室に、健在なるの患者と一緒の部屋には、置けませんでして。健在なるの患者にしても、気分、良くは無く。ましてやの、2人部屋で、片方、明日をも知れぬの状態やってみい。気色が悪いです。
私なら、そんな部屋、嫌でして。
イヤイヤ、諸般、見舞いに行っては、この手の状況、見聞してるです。同室に、身動き一つせず。生きてるのか、死んでるのかの、患者が居ててみい。これは、同種で、やばいの状態かと、思うです。
事実の事実で、間も無くの、葬儀に相成ってまして。

東京のオバの事ならばの、元気な今の内にと、見舞いに行った際には、大部屋でして。
お暇する時には、ベッドから起きて、点滴のキャスターを手に持ちの、自力で、エレベーターまで、見送ってくれたです。多分なら、イヨイヨの段階では、個室に移動させられてるかと。


そんな次第の、斯くなるでの。
その状態の親父を見て、泣けぬの筈は無く。とは云えどの、イツまでも泣いても居られずの、看護婦登場の、実務的なるの話になったです。
要は、親父の亡骸の処置の件。
しかるべくの、業者を手配させて戴くですと。後は、その業者にどこに運ぶかを打ち合わせてくださいと。又、死亡診断書が出てる故、精算等々、担当部署でと。運ぶの車は、どこに到着のと。

又、死亡診断書を宇治市役所なり、本籍地か、現住所の役所に提出の、火葬許可書なりを戴いてくれと。そんな具合に云われたのか。定かには、覚えてませんでして。
兎に角、その段階より、現実の世界の、家族として、長男として。何よりもの、喪主として行動せねばならぬの立場に相成りまして。

イヤイヤ、どのよにしたかは、失念の、兎に角、業者が到着の、病院の裏手から、親父を乗せて。
私が先導にて、一緒に我が家、亀岡に行ったと思うですが。
妹夫婦も一緒に来たのか、別途にか。全くの記憶に無くの、その当日と思うですが。婿殿には、死亡診断書をどこかの市役所、多分なら、亀岡かの、持参で、火葬許可証受理を頼んだのか。私の方は、明星園に来てくれの、渡すモノがあるとの事で、再度の、宇治に行ったかと。

おそらくは、宇治明星園に行かねばならぬが故、書類の件を婿殿に頼んだよに思うですが。
イヤ、婿殿、良く助けてくれたです。

でででの、即刻にも、明星園に訪問の、担当者に会えば、私物と、貴重品をと。私物も、貴重品も、担当者が預かってくれてまして。私物は先日の、段ボール箱に入ってたかと。貴重品なるは、判子と、財布と、郵便貯金通帳でして。
お世話になりましたと、御礼、お暇しまして。その足で、最寄りの郵便局にで、全額、解約。現金を下ろしたかと。

幾らあったか、定かには覚えてませんの、只、よくぞこれだけの額、貯金してたなあと、感心する程でして。ソラ、年金収入しか無くの、年金も、4万円もあったかなあと。
但しの、老人ホームに居てるが故、支出は知れてるですが。
その上、母とは性格異なりまして。始末家でして。

イヤイヤ、この迅速なる行動をして、良かったです。
一つには、最早の親父、他界での、以て、明星園に行くの用事も無くなりの。早々には、宇治にまで、行けませんでして。一気にケリをと、考えたですが。これを、数日ほったらかしでは、故人の預金、封鎖されの、親族、全員の許可得ての、引き出しになるですて。
とは云えどの、当時、平成3年<1991年>では、オンラインで、即刻の封鎖は出来ませんです。まだまだ、手作業全盛時代故。
(12/09/30)



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