不可思議の世界NO.24

京都・亀岡の良く当たる占い師の話

京都でよく当たる占い師は?
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不可思議NO.21 不可思議NO.22 不可思議NO.23

不可思議NO.15 不可思議NO.20
不可思議NO.5 不可思議NO.10

題目一覧表 お問い合わせ状況 三栖神社・炬火祭

目次

不可思議NO.25

NO.270 続・桜散る散る、花吹雪の話(1) 喫茶店の話

NO.269 桜散る散る、花吹雪の話(61) オバが招いたの話

NO.268 桜散る散る、花吹雪の話(60) ひつこい営業担当の話

NO.267 桜散る散る、花吹雪の話(59) オバ達、親父に面会の話

NO.266 桜散る散る、花吹雪の話(58) 母方従兄妹の話

NO.265 桜散る散る、花吹雪の話(57) 会議所周辺、桜の木が一杯の話

NO.264 桜散る散る、花吹雪の話(56) エレベーターの扉の話

NO.263 桜散る散る、花吹雪の話(55) 点滴にはモルヒネの話

NO.262 桜散る散る、花吹雪の話(54) 寿司屋での話

NO.261 桜散る散る、花吹雪の話(53) 母を伴いの東京えの話

不可思議NO.23


NO.261 桜散る散る、花吹雪の話(53) 母を伴いの東京えの話

どんな具合に掲載をと。
イヤ、我が家周辺の話。

私も物干し台に上がり、洗濯モノを干したり、取り入れするです。
その際、見える範囲のお宅様が、干したり、取り入れされる事がありまして。イヤ、当然でして。大体が似たよな時間帯に致すですが。中の一軒、一寸なあと。
宅様、パジャマ姿で出て来る事、度々でして。見れば、気が付けば、当たり前に、お早う御座いますと、挨拶致すですが。無言。

そもそもがの、物干し台は外でして。
外に出るに、パジャマ姿は無いやろと。私でも、チャンと、白のカッター・シャツに、ネクタイにスーツ。
までは、致しませんですが。このまま、外に出て大丈夫の普段着には着替えて、物干し台に上がるですが。間違おても、下着、パジャマでは、出るは致しませんです。余程の、緊急事態でなければなと。そら、緊急事態で、一寸待てと、顔を洗い、歯を磨き、髭を剃って、正装致しまして。持ち物大丈夫かと、財布、小物入れに、免許証はと、確認してたら、アホでして。オッとの、緊急事態の中身、状況にもよるけれどや。

先様、物干し台を内と見成してるのかと。
内には間違い無くとも、窓の外でして。少なくともの、余所様から、容易に見えるの場所は、外でして。家の中。内なら、どんな恰好してよが勝手の、見えませんですが。物干し台は見えるです。
且つは、挨拶しても、無言の、ムツは困ったモンでして。
とは云えどの、こっちは、外と見成してるが故、挨拶返ろが、返るまいが、お早う御座いますの声掛けるです。

での、いつも、そんな調子かとなればの、所謂の、外では愛想宜しく、ニコニコと。
私め、この手の方、苦手やわと。どっちが、本物かと。どっちも、本物なんやろねえ。只、基準が世間とは、ズレてまして。パジャマ姿をば、見られるが嫌なら、せめてもの、普段着に着替えてから、物干し台に出て頂戴と。


での、斯くなるでの、東京方面へは出張で何回かは足を運んでるですが。東京駅近辺の事はほとんどありませんでして。
その先であるとか、横浜に戻る等々、大体が関東方面に詳しい誰かと一緒のことが多く。自分で考えての、駅構内、周辺ウロツクことも無く。そもそもが、私用で行くのは初めてでの、右も左も、さっぱりのと。

イヤ、改札口の八重洲口、丸の内口とかとかの、くらいは知ってるですが。従兄弟の指示、八重洲口の、「銀の鈴」とのことでして。
イヤ、過日、過年。講習会で、東京に行った際、ひばりケ丘のオバ宅に泊まったですが。
その時の、従兄弟との、待ち合わせ場所が、「銀の鈴」であったですが。正直、この時には、完全、消滅、失念。

「『銀の鈴』なんか、初めて聞くなあ。」と、従兄弟に云えば、東京駅での待ち合わせ場所としては有名らしく。
「そこに、何か、目印あるのか。」
「『銀の鈴』があるんだよ。」
「そんな鈴みたいなもん、分かるんか。」
「分かる。分かるよ。有名なんだよ。」
「有名云うても、初めて、聞くんやからなあ。」
「タケチャン。心配しなくったって、そんな、ちっぽけな鈴じゃないよ。大きいんだよ。大丈夫。」


そんな次第の、早速にもの、母を伴いの、東京えと。
東京駅に着けば、兎に角の、「銀の鈴」を目指しまして。幸いにもの、案内板に掲示されてて、矢印の方向に進んで行けば、「鈴」を発見以前に、従兄弟の姿を見つけましたです。
オッとの、彼のソバに、「銀の鈴」がありましたです。嗚呼、これかと。ソ云うたら、過年、見た事があるなあと。

只なあ、大きい云うても、高さ1m弱程度。もっと、もっと、巨大なモノを想定してまして。案外に、小さいという印象でして。
「ヤア、コッチコッチ。伯母さんも、タケチャンも、ワザワザ、来て戴いて、有り難う。ドオ、スグ、分かっただろう。」
「そやねえ。」と、それ以上の、交わすの言葉無く。

斯くしての、お見舞い以前の、当面の目的、待ち合わせ場所で、従兄弟に会うは、達成したです。
このアトを、どおするかは、考えてませんでして。従兄弟に任しとかんと、しょがないです。

まずは、宿で、その日の宿泊先、駅前、「丸の内ホテル」を予約してあるとの事で。チェック・インして、荷物を部屋に置きまして。荷物も大してあらへんけれどや。お見舞い故、着替え程度であっての、ホカには、特段にと。
そして、家族を紹介しよと云うことで、車でドライブ。場所は、千葉県市川市<ディズニーランドの近く>。東京から、千葉ですから、遠いと思てたですが、30分程度。
実は、従兄弟の家族とは会おた事が無く。

結婚直後、夫婦で京都にも来たですが、ホテルに宿泊での、そこに呼び出されたです。行けば、ロビーに現れたは当人一人での、嫁、顔出さず。
での、子どもは、女の子ばかりの、長女が、当時、まだ、保育園程度かと。我が二男と同じの歳で。双子の妹との、三人の筈。
そして、嫁の、お母さんが同居されてまして。
とは、聞いてるですが。
(12/09/05)


NO.262 桜散る散る、花吹雪の話(54) 寿司屋での話

従兄弟の家が、市川のどこか。
ソラ、年賀状の住所を見れば分かるけれどや。
兎に角、家は、モダンな風で。カラフルでの、メルヘンチックとするのかでして。車は家の真ん前に置きの、別段の門柱があるでなし。程度しか、覚え無いですが。

イヤイヤ、果たして、従兄弟の家族とは、話をしたのか、してないのか。
コレ又、定かに覚えてませんでして。
そもそもがの、出て来やはったのかなあと。出ては来てる筈の、ソラ、紹介するとの事で、家に行ってるですが、本当に挨拶だけの、瞬時かと。結果、顔形、全くの記憶に無し。

覚えてるは、従兄弟が、お土産にと、電話器をくれて。へえと。
営業担当でして。顧客に差し上げるのが、余ってるしと。そのよに、聞いたつもりでして。ならばの、二階にでも置くかと。有り難く。

での、そしたら、夕食にでも行くかと、家を出るに、娘さんが出て来まして。3人出て来たのか、1人であったか。兎に角、抱き上げ、チューしなさいと。ほっぺにしてもろてねえ。へえと。ええなあと。
我が家、男の子故、そんな事、夢にもでして。娘さんなら、そんな事も有りなんかと。

歩いて行ったか。車でか。コレ又、定かに非ずの、すぐの、ソバ故、多分なら、歩いてかなあと。イヤ、車で行ったかと。全員かと、思てたら、当人、従兄弟と、3人でして。
行った先は、寿司屋。
母<オバ>が、京都で、手巻き寿司をご馳走になったらしくと。ソ云うたら、ソやったなあと。されどの、寿司屋に行ったでは無いの、ネタは寿司屋で調達なれどです。

寿司屋で、寿司喰い乍らの、オバの様態をば、説明してくれたです。
余り、芳しく無くと。モ、手の施しよも無くと。

「ダメなんだよ。もう少し、早くサア、病院にでも行ってくれればよかったのに。
お袋も、病院嫌いだから、ダメだよ。末期だってさあ。手術も意味ないんだって。
本人には、このことを、知らせて無いからね。明日もダメだよ。
単に、肝臓が悪いことにしてるんだよ。」

オバは、自分の病状の事を知らされて無いらしく。これは、長男であるの、従兄弟の選択にして、ハタが、トヤカクの、口を挟むことは無いですが。
確かに、難しい問題なれどの、私が、「ガン」なら、教えてくれた方がと。

実は、オバ婿も、ガンであったらしく。ガンであるを、承知でして。自分で、国立ガンセンターに手続きして、入院したですが。結果的には、ダメで、早くに他界。従兄弟の話では、苦しんで、苦しんでの、状況であったらしく。
見る見る、やせ細っての、壮絶での。可哀想で、思い出すのも、嫌と。

そんな光景、様子をば、目(ま)の当たりで見てるだけに、母には、「ガン」告知をしないと、決心したですて。ンの成る程のと。
手術で、治る可能性あっても、「ガン」である事だけは、伏せるのつもりであったらしく。

「病院嫌いは、お婆ちゃん<祖母>と一緒やねえ。」
「そおなんだよ。調子が悪けりゃ、病院に、行きゃあいいんだよ。
伯母さんも、気をつけなよ。」
等々、そんな話をしたですが。

実は、ここだけの話の、我が母も胃ガンで、胃を全摘してまして。オバの見舞いの数年後でしたです。幸いにも、手術出来る範囲で、現在唯今、20年以上経過で、生存での、云いたい放題、し放題。最早の、「ガン」は大丈夫なれどです。
勿論の事、担当医と相談の上、当人には、「胃潰瘍」と伝えてまして。現在唯今でも、そのよに、信じさせてるです。
手術当日、来てくれてたの、一部親族には、手術結果も、何をどしたも、一切の隠さず、伝えてまして。但し、当人には、「ガン」告知してないし、今後もしないと。

理由なるは、当人の性格がありまして。云いたい放題、し放題も、我が母、「ガン」と知れば、アカンやろと。
そんな意味でなら、オバなら、告知されても、大丈夫と。
思てたですが。ンの成る程の、オバ婿、オジの件があったかと。イヤ、この時、初めて、知ったですが。


斯くしての、寿司屋から出て、ご馳走様と、車で、「丸の内ホテル」にと。従兄弟に送ってもらいまして。
イヤ、立派なホテルで、当時、すでに、「IH」の湯沸かし器が設置されてたです。フウンと。されどの、使うの用事無く。使うに使い方も知らんしと。
変な話、ツインの部屋で、1人、1万円であったかと。母と2人故に、2万円。
ビジネス・ホテルなら、5千円から、7千円かと。されどの、東京の駅前やしなあと。こんなモンかと。
(12/09/06)


NO.263 桜散る散る、花吹雪の話(55) 点滴にはモルヒネの話

何時頃か。
朝、従兄弟が、「丸の内ホテル」に、迎えに来てくれて。
オバの入院先へ向こたですが。
ホテルから、約一時間、「ひばりケ丘」のソバの病院らしいですが。ソ云われても、西も東も分からんです。

私なんか、不案内な地方では、車に載せてもろたら、貴方任せの、何にも考えず。考えても仕方無く。雑談三昧の、さあ、着いたよと。ここと。
での、病室に入る前に、「あの件だけど、ダメだよ。単に肝臓が悪いだけだよ。」
と、念には、念の、再確認されて。イヤ、もお、すっかり、忘れてたですが。ガンの事をです。単純明快の、気持ち、全面的、見舞いでして。


従兄弟に確認したら分かる事なれどです。
オバが入院の先。病院の名前も、場所も、知りません。単に、「ひばりケ丘」のソバと云うだけでして。どっちが、「ひばりケ丘」かも、知らず。兎に角、西え、西えと、来ただけでして。にしても、こっち、東京は行けども、行けども、建物一杯。流石に、東京駅から、離れたら、離れる程に高いビルは消えてるですが。まあ、云うたら、都会やなあと。車も一杯。人も一杯。私は、住む気せず。
都心の高いビルには、押し潰されるの感してねえ。


オッとの、兎にも、角にもの、そんなに綺麗でも無く。汚くも無く。小さくも、大きくも無くの、至って普通の総合病院でしたです。
入って、従兄弟に誘導されるがままに、エレベータに乗ったは、記憶してまして。
何名かなあ。4人、5人では無くの、モっと大勢の、相部屋にオバのベッドがありまして。オバは点滴中でしたです。

「来てくれたの。ワザワザ、遠いのに、ご免なさいねえ。
要らないって、云ってるのに、弟達<実際には、名前で云うてるです>も、来るらしいのよ。大層な事ねえ。」

相変わらず、強気で、オバの表情も、明るくて。ホッとするものがありましたです。イヤ、実際、朗らかで。声には張りがあっての、元気でねえ。顔の色艶、綺麗でねえ。これで、口に入るが、プリン程度とは、嘘やろと。
但し、オバは、元々が、化粧気少なく、きめ細かくの、白い肌ですが。更に、白おなって、頬は、ヤヤ、痩(こ)けてると、見えましたです。
とは云え、強いてならの話の、殊更の、目立つよな変化、見当たらず。

「ズーっと、ご無沙汰してて、会い出したら、立て続けやねえ。
そやけど、思てたより、元気そうで安心した。」
実際、もっと、痩せこけて、正視に耐えるかなあと危惧してましたが、そんな状態ではありませんでした。これで、本当に末期ガンかなあと、思ったくらいでして。

「そうそう、タケチャン、これねえ、送って戴いて有り難う。
だけどねえ、食欲は、少しはあるんだけど、食べ物を、口に入れても、飲み込めないの。
ご免なさいねえ。
だから、封も開けてないけど、回復したらさあ、いただくからね。」

「そおやねえ。原料は大豆やし、腐るモンでも無いし、美味しいモンでも無いけどねえ。そんな事、気にして貰わんでもええよ。後で、ゆっくり、試してみて。」
「そうするわ。ご免なさいねえ。」

ベッドの横の、物置を見ると、私が従兄弟宛に送った、大豆の健康食品の缶が置いてあってねえ。確かに、封を開けた様子はありませんでして。
オバの状況は聞いてますから、余り、変な事も云えず。
私の、僅かな望みも、一寸、遅かったかなあと、そんな気持ちになりましたです。ソラ、実際の効能疑わしくとも、ダメ元一発。奇跡でもと、思たですが。さもなくばの、注文致しませんの、安い金額にも非ず。

での、この辺りから、ジワジワと。
感情押し殺してたツモリなれどの、大豆の缶を見て、目頭熱くなって来てしもて。オバには、見せられぬ故、母を前に押しやりの、私は、後ずさりしまして。イヤ、母は、健康食品の経緯は知りませんです。

ででの、後ろ一歩。
さがれば、そこに、従兄弟が居てまして。
されどの、顔見合わるはせず。彼の眼にも、涙が溢れの、手で拭てまして。よって、双方、反対方向に顔向けて。
そらなあ、一応の、表現的、言葉でなら、色艶良くと。元気そおでと。云うてるですが。事実、パっと見、そやけれどの、「ガン」で、末期で、手術出来ず。しても無駄の話は理不尽でして。このオバが、何か悪い事したかと。
世間に顔向け出来ずの人間かと。誰かを、騙したか。名指しで、罵ったかと。知らんなあ。

只、単純に、夫一番。出しゃばらず。
息子3人、立派に育て。大学出して。独立させて。されどの、夫に先立たれの、独り暮らしにはなったものの、さあ、これから、勝手気儘の、自由なる余生をの、まだ、63歳。当世では、早過ぎるです。100年の昔なら、まあ、そんなモンかなあと、思うですが。


オバと、母の会話が、時折、聞こえてまして。オバの口からは、従兄弟の名前を連発でして。「あれ<名前>がねえ。」「あれがねえ。」と。
そればかりが聞こえてねえ。夫他界で、当然の、長男頼り。

母が、オバの体を拭くことになって、カーテンが閉められて。カーテンの向こうでは、
「お姉さん、ご免なさいねえ。汚いでしょ。
ズーッと、点滴されてるから、お風呂がダメでしょ。
看護婦さんが、一日一回、体を拭いてくれるんだけど。」


カーテン閉められ、暫くしたら、従兄弟云うに、
「タケチャン。下にでも行こうか。」
彼に促され、一階へ移動。
下に何があるかと思えば、そんな意味、目的では無くの、私が愛煙家であるを承知の、タバコを吸えるの場所に案内してくれたです。
休憩所と云うても、廊下に、長椅子があるだけ。この日、土曜日。休診日かで、外来患者も無くの、二人だけ。

での、彼ポツリと、曰くにの、「あの点滴にはねえ、モルヒネが入ってるんだよ。」
「本人には、栄養剤だって事にしてあるんだけどね。
栄養剤も、嘘じゃないけどね。あれが、取れなくなっちゃった。
神経を麻痺させてるだけさ。取ると、激痛で、苦しむんだよ。
お医者も、それしか、手の施しようが無いって、云ってるからさあ。」
(12/09/07)


NO.264 桜散る散る、花吹雪の話(56) エレベーターの扉の話

「あの部屋の人は、皆、アレなんか。」
「イヤ、分からないよ。内科の患者と云うだけさ。
そうだったとしても、本人に、知らされて無いんじゃないかなあ。
本人に、云ったら良いのかどうか、迷うこともあるけどさ。親父のこともあるからさあ。」

「難しい問題やねえ。治る見込みがあったら、ねえ。」
「良く、ガンからの生還とか云ってるけどさ。ふざけるなって。
あんなの、本当の末期じゃないよ。出来た場所にも関係するとは思うけどさ。
治療もしないで、消えた、治ったとか、だってさあ。無責任な事、云ってるよねえ。
そういうケースがあったというのを、否定はしないけどさ。
お袋だって、何もしてないよ。点滴で、痛み止めと、栄養補給してるだけなんだからさあ。
ソレ以外に、何も出来ないんだから仕方ないよねえ。」

「そやねえ、ホンマに末期やったら、相当な、激痛らしいなあ。
抗ガン剤の副作用で、丸坊主になってしまうとか、聞くねえ。
ガンを押さえる前に、肝心の、体が滅ぼされてしまうみたいなもんやなあ。」
「そおだよ。親父だってねえ。もう、見てられなかったよ。モルヒネも効果が無かったんだ。
顔が歪んじゃってさあ。可哀想なもんだよ。お袋も、それを、見てるからねえ。」

病院の休憩所では、そんな、話をしてたです。
勿論の事、近況報告的、仕事の話。家の事、家族の事、オジ達の事、妹一家の話もしたですが。オッとの、場が場故、簡単にと。

「それにしてもさあ。タケチャンの伯母さんのことだけどさあ。元気そうで、いいじゃないか。」
「オバさんと違て、病院に、しょっちゅう行ってるさかいにねえ。それもあるし、ゲート・ボールも、最初、お誘いがあったときなんか、アンナモン、行くかいな。そんな年寄りと違う。
とか、云うてたけど、もお、お誘いの電話があったら、ソワソワしてるで。」


そして、再びの、オバの話です。
「後、10年かなあ。有効な治療法が出来るだろうけど、まだまだ、不治の病だからねえ。」
「イヤ、まだ分からんで。
さっきの話やないけど、そういう事例が有るんやし、可能性はあるで。
電話で、元気な内て、もうアカンみたいな話やったけど、そんなこと無いで。
ベッドから起きあがる事も出来ひんくらいに思てたけど、普通にしたはるし、元気なもんや。」
「そうだよねえ。まだ、元気だねえ。」

健康食品のときは、感情が込み上げ、涙したですが。一息、付いて、気持ちも落ち着いたら、オバは大丈夫。絶対に、回復するの気持ちで一杯になってたです。


さての、病院での、お見舞いなるは、滞在時間が難しいです。
折角やから、モ暫く、居てもよいよおな。そかと云うて、病院は、話をするの場所で無く。
そんな場所も病院にはなさそおで、同部屋のホカの患者さんのこともあるし、肝心のオバの具合もありまして。
整形外科とかの、そお云う事での入院ならば、状況により、バカな話も出来るし、周囲も明るいですが。内科は、何処の病院でも、総じて、静かで、暗いです。

そおこおしてる内に、お暇することになりましたです。
オバは、ベッドから立ち上がると、点滴を吊り下げた器具、キャスターを携え、エレベーターの場所まで、見送ってくれました。
そのベッドから、エレベーターの間にも、こんな会話がありました。

「この点滴がねえ、邪魔なのよ。
絆創膏も、方々に、張られちゃってねえ。それも、もう、慣れちゃった。痒くもないのよ。」

オバはそんなことを云い乍ら、
「遠いのに、ありがとうねえ。
そのうち、また、亀岡にも、お邪魔するわねえ。
お姉さんも、タケチャンも、こんな事じゃなく、こっちに来て頂戴よ。
新幹線だったら、早いわよ。たったの、3時間でしょ。私が元気になれば、東京を案内させて戴くからさあ。
泊まる事なんか、心配しなくていいわよ。
それとも、ホテルの方が、気楽なんかしら。それはダメよ。」

「そやねえ。マタ、亀岡にも来て貰て、手巻き寿司も、食べんとアカンしなあ。
今度は、オバさんと一緒に、保津川下りもせんとイカンしなあ。」

一昨年、8月。
墓開きで、オバが来た時には、母と、我が息子共2人の4人で保津川下りをして貰たです。私は、まだ、乗船したことはありません。

「そおねえ。あれはよかったわよ。
是非、もう一度、保津川を下って、嵐山で、お食事でも戴きましょ。
この前は、皆<息子共の名前を云うてます>で、嵐山で、おうどんを戴いたのよ。」

「あそこやったら、湯豆腐やで。」
「そおよねえ。それなら、今度は、皆さんと、一緒に、湯豆腐でも食べましょうか。
楽しみねえ。早く、退院しなくっちゃねえ。」


終始、オバは、朗らかな口調で、笑顔も絶えませんでした。
そして、エレベーターの扉が閉じるまで、笑顔のまま、手を振ってくれて。その扉が閉じる間際、そのホンの瞬間。
オバは、バイバイと、振ってくれてた、その手で顔隠し、うつむいたのが瞬時、見えたです。見たです。

ソかと。
オバは、自分自身の、ただならぬ気配、分かっていたかと。
むしろ、私なんかに、それを気付かせぬよに、ニコニコ、元気、明るく、活発に。我々には、ソのよに、見えるよにと。一生懸命、振る舞おてたよに思われるです。
イヤ、従兄弟も、本人が分かってよが、分かるまいが、口が裂けても、「ガン」とは、云わぬだけでの、私共にも、重々の口止めしたですが。当人、分かって当然かと。


での、病院から、東京駅には、従兄弟が送ってくれましたです。
その時、オバの状態、痛み止めのモルヒネも、脊髄から注入してる状態やから、今日明日では無いにしても、後、一ヶ月がどかなあと、申しましたです。

その事は、点滴の注射針の場所からも、分かってました。
さぞかし、寝るも大変な事と。イヤ、感覚は無いのかも知れません。その事、話題にしませんでした。

肝臓がどおこおも、最初だけ。後は、我が従兄弟達、二男、三男はどしたはると。
二男は、ええ歳やのに、まだ、結婚どころか、彼女の気配も無い。京都に誰か、ええ人あったら、紹介してやって。
とか、一昨年の夏の話の続きみたいなものでした。

そして、オバの悲報。
彼の予告通りの、ほぼ、一ヶ月してからです。覚悟はしてたですが。そんなに早いかと。理不尽な。
(12/09/08)


NO.265 桜散る散る、花吹雪の話(57) 会議所周辺、桜の木が一杯の話

さての、この話。
墓開きなるは、昭和の59年<1984年>8月の話。そして、オバ他界、昭和61年、4月10日でしたです。27、8年の昔の話をしてるです。
よって、記憶曖昧なれどの、鮮明な箇所もありまして。

での、どんな具合に行ったんやろねえ。イヤ、オジ達夫婦とです。妹には連絡したですが。諸般、遠慮すると。まあ、ソレで結構なれどです。
行ったは、多分なら、バラバラかと。ソラ、上のオジ、田辺。下のオジ、男山八幡。私共、亀岡でして。まあなあ、京都駅で待ち合わせの法もあるですが。

従兄弟からは、行き順、東京駅から先。何線のどっち行きの電車で、何駅にと。着けば、分かると。フウンと。
ソラなあ、通夜、葬儀の準備で忙しく。構てられへんです。
イヤイヤ、もしかしての、所定の駅、駅名覚えてませんですが。母と降りたら、張り紙があったかで、ソレに従い、進めば、公民館があったのか。
或いは、もしかしての、従兄弟<二男>がでも、迎えに来てくれてたのかなあと。最寄りの駅にですが。
とりあえず、この辺りの情景。全然の覚えてませんです。
張り紙は、まだ、準備中であったの筈でして。


兎に角、桜が満開。先の通りの、4月10日に他界。行くは、明くるの、11日やろねえ。
その桜が満開も、着いた時には、目には入ってませんでして。着いた先は、先の通りの、ひばりケ丘の、公民館。既に、祭壇は飾られてまして。
思たは、ソかと。マンモス団地、公団では、この手の公民館で、葬儀が出来るのかと。
イヤイヤ、ひばりケ丘の団地となれば、当時、日本住宅公団最大のマンモス団地でして。国民百科事典にも載ってたです。

正直、ええなあと。
公民館で、葬儀の出来る事がです。
云うたら、葬儀場を借りんでも済むです。余計な費用が掛からんです。近在の知り合いが弔問に来易いです。
我が、団地にも会議所はあるですが。葬儀には開放、貸してませんでして。勿体ないの話やなあと。使用目的なるは、期首、期末の総会と、役員会。その他、区の行事にだけでして。
槇島では、この手の公民館、会議所なりの、存在を知らんの間に引っ越しまして。仏光寺時代には、元々が、そんなモノはあらへんです。町内会の寄り合いとなれば、町会長の自宅でして。相応の家の広さで無ければ、しんどいかと。
現在の状況知らんですが。その昔、我々が居た頃なるは、町会長は固定されてたかと。

イヤイヤ、ひばりケ丘の公民館が何カ所有るかは、知らんですが。葬儀が軽くの出来るの広さ、規模でして。大団地故、総会を開催となれば、この程度のは要るのかと。
公民館は畳が敷いてあっての、何畳程やろねえ。50畳はあるのかなあと。イヤ、数えてませんですが。長机はあるし。そこらで、適当に横になるも出来るです。その日、通夜をするにしても、親族一同、集まっても、充分なるの余裕があるかと。余程の親族数でも無い限りと。


そんな次第の、斯くなるでの。
オバは、公民館に設置の祭壇に安置されてまして。
京都からは、私共、母と2人。オジ達夫婦の、6人。そして、こっちの、従兄弟。三兄弟と、その家族。

通夜で、祭壇を親族が囲みますが、あらためて、柴田の親族少ないなあと。来たは、たったの6人。
京都であったり、大阪ならば、もっと集まるかも知れませんが。それでも、オバの血縁となれば、オジの子<私の従兄弟>が3人と、我が妹が加わるだけでして。

での、長男、曰くの、
「今夜は寝ないよ。お袋のソバに居てやるよ。皆さんは遠慮せず、寝てくださいよ。」
多少でも寝んと、明日が大変やでと。云うても聞きませんでして。

彼の気持ちが分からんでも無いですが。
これで、結果的、父も、母も、無くなったです。以降、彼が、家の長男として、名実共の、家長として、存在しんならんです。今までにも、してるですが。何かと云えば、彼と、オバが来たりしてくれてたですが。
当然の、オバの見舞いの時は、彼でして。彼が全面的に出て、我々の面倒見の、オバを診てるです。オバは母親故、当然は当然の。実の父母に対しの、当然で無いのが当世数多。冷たいのが多いゾと。

での、彼の近くに居るの親族となればの、二人の弟だけでして。それもありますし、長男としての、気持ちもあるのやろ。
諸般、これ以上の話は避けるです。極めて、淡々たるの掲載してるです。淡々故、気も付かずの、素通りしてしまうですがと。ソレで結構かと。


での、オバのこっちの親族の姿がなあ。良く覚えてませんでして。
ソラ、我が従兄弟達は覚えてるですが。ソレ以外となればの、従兄弟三男坊がこの団地のメンテナンス部門に就職らしく。その職場仲間の何人かが、葬儀を全面的協力してくれて。それこその、辻々の張り紙したり、何したりと。
イヤ、この時、初めて、三男坊が、団地の仕事してるを知ったですが。ええ仲間やなあと。

それこその、この三男坊、祖母の葬式<昭和46年>以来でして。
云うたら、オバが墓開きの際、折角やからと、この三男坊の嫁の妊娠のための、腹帯をば、「わら天神」で、拝受したですが。ならばの、その嫁の出産も、この頃かと。その嫁も、同じの職場で、職場結婚とかとかの、話も聞いたですが。長男からでして。

云い出せば、長男の嫁、3人の娘。同居の嫁の母親も、全くの、記憶になく。イヤイヤ、当然の居てた筈なれどと。
オッとの、記憶に無くとは、喋った等々、何かした等々の記憶がでして。ソラ、居たはるに決まってるの、居て、一言も喋らんの筈が無く。されどの、記憶に無い故、掲載のしよも無く。

斯くしての、祭壇の線香の火、絶やす事の無くの、長い通夜は過ぎて行ったのかと。
イヤ、私も寝てませんですの、オジ達、従兄弟達と、夜通しの、四方山話に華が咲き乱れたかと。

外に出れば、夜桜満開。
風が吹けば、それこその、桜散る散る花吹雪の世界。見上げれば、顔に当たりの、目に、口に、入るの。
イヤ、この周辺、会議所の、周辺なるは、桜、桜。
桜の木が一杯。
(12/09/09)


NO.266 桜散る散る、花吹雪の話(58) 母方従兄妹の話

イヤ、実は、三男坊の嫁はんは気さくでね。
話もしやすい女性でしたです。かと云うて、その状況が浮かび上がらんです。何でかなあと。

三男坊は、既載の通り、当時、「ひばりケ丘」団地のメンテナンス作業をやってるとのことでした。現在の仕事は知らんですが。
その同僚が数人<女性2名を含む、6名かと>が、細々、オバの葬儀の世話をしてくれまして。
要所、要所への案内掲示。通夜に訪れる人の道案内等々、親身に担当してくれてまして。

リーダーも、メンバーも、この手の事に、手慣れてるのか、手際良く。機敏に行動しますから、当事者は何もすることの無い状態でしたです。年齢的には、当時、30歳そこそこかの、所謂の、親分肌の性格かと。
にしても、ええ仲間やなあと。感心したです。

での、当人、三男坊に、メンテナンスとは、何があると。問えば、何でも屋であると。便利屋であると。
配管の詰まり。一寸した、壁の補修。水回り、設備の点検等々、幅は広いらしく。業者には、その後でして。殆どは、メンバーで処理するらしく。

にしても、何分の、一緒に遊んだとなればの、一家がこっちに引っ越すまでの、私が小学生時代の事でして。何歳違うのかの、多分なら、我が妹と一緒であったかの。そしたら、7歳違うのかの、7歳違えば、小学6年で、幼稚園やでと。
となればの、これは、相手に成らんです。
実際にも、私と従兄弟<長男>と、喧嘩になれば、3対1。2対2で遊ぶとなればの、何とかして、二男坊を味方に付けたかったけれどの、云う事聞かんでねえ。
での、考えたら、長男文系。二男、三男技術系になるのかと。


にしても、この通夜の日。
私共が到着の頃には、通夜そのものは、どやったんやろねえ。行くからには、朝一番。通夜までには、着くよにしてる筈なれどです。
イヤ、通例、所定の時刻、坊様が来られ。読経の間に、参列者、焼香致すですが。皆目の覚えてませんでして。云うたら、葬儀本番も、情景見事までに、覚えてませんでして。

覚えてるは、集会所の外は、桜が満開。道路一面、桜だらけの、素晴らしい光景だけでして。

イヤイヤ、ホカにも、覚えてるとなればの、葬儀の日であったか。通夜であったか。定かに非ずの、母の妹の長女<従兄妹>が来てくれてまして。へえと、ビックリしたです。
イヤ、私は、そこまで、連絡してませんの、したとしたなら、母でして。
正直、遠路遙々の、説明通りの関係での、葬儀のオバなるは、殆ど、知らんの、遠い親族になりまして。私でさえが、何回と、数える程しか、会おてませんでして。ソラ、モっと、小さい時の話は知らんです。

当然の母の妹の代行で来たと思うですが。我が母も余計な事をと。
ここが来るなら、筋としてなら、母方のオジ達も来んならんですが。はっきりとは、来るにしても、母方長男1人で宜しいかと。当時は生きてまして。それが、諸般ダメなら、二男となるですが。大体が、その長男、諸般の年会致しませんでして。
二男が代行してたかと。
どっちにしたって、私からしたらの、母方、兄弟の連れ合いの、兄弟の葬儀に相成るです。殆ど、連絡すらも無いなあと。ソレで結構の、兄弟何人も、知らんがな。顔さえ、見た事、あらへんわと。

結果、私の立場からは、大きな義理が出来たです。
よって、彼女<従兄妹>から、その親父さんの他界。葬儀の件、連絡があった際。
彼女の母の兄弟関係。当時は全員他界故、従兄弟達に一報をと。電話で頼まれ、しかるべくの、連絡したですが。変な話、母方故、そっち、従兄妹が連絡先承知してるべきなれどの、我が方しか、知らんのみたいでねえ。

彼女曰く、時間があれば、親父さんの顔だけでも見に来てやってと、云われたですが。
正直、その葬儀の日なるは、我が柴田の、下のオジ嫁の葬儀と一緒に重なってしもての、葬式の梯子と相成ったです。幸いにして、あっちが時間的、先であったが故、梯子も出来たですが。但しの、当然の、あっちは、顔を出すだけでの、オバと、彼女には、その場で、しかるべくの、事情説明の、即の、柴田の方に移動したですが。
イヤ、従兄妹には、重なるの可能性については、連絡あったの際、話はしたですが。
<参考=「不可思議の世界NO.6」叔母の話 葬式のハシゴの話>

斯くなる次第の、彼女の来てるを見て、へえと、驚嘆の、鮮明に記憶してまして。
但し、夜<通夜>か、昼<葬式>かも、覚えてませんの、桜の木の下に居たを覚えてるです。顔見て、来たんか。有り難うと。もしかしたら、私か、母を捜してた可能性がと。ソラ、来たなら、来たと、明確にするべきでして。

私共が、他家の香典帳、芳名帳には、目は通しませんです。
彼<従兄弟>が、不明な面々について、この人、知ってるかと、尋ねて来たら、知らんですが。
オッとの、「知らんと」は、こっち方面の表現での、他家の香典帳、芳名帳には目を通さんの話は、当方より、覗き見したり、見せて頂戴は無いですが。
先方より、尋ねられ、見せられたら、目を通すになるの意でして。
(12/09/10)


NO.267 桜散る散る、花吹雪の話(59) オバ達、親父に面会の話

そらねえ、京都周辺の、近くならねえ。
加えての、故人を良く承知やったらねえ。一声、掛けるは当然なれどです。
東京ともなればの、交通費が馬鹿にならぬです。
まあ云うたら、我が母、そんな処がありまして。自身の親族に来て欲しいと。されどの、私から、云わせればの、声掛けるは不要の、掛けるにしても、筋、順番が違うやろと。この従兄妹が来るなら、我が妹が来るべきでして。
妹にしたって、会おた回数、知れてまして。強いて、来いとは云うて無いです。見舞いも、葬儀もでして。

での、葬儀は滞り無く、終えまして。従兄弟達、オジ達と一緒に、棺を霊柩車に載せまして。
火葬場になれどの、従兄弟から、この車に乗れと指示されて。ハイ、承知と、乗り込みの、一同、火葬場に向こたですが。
当然のどこに火葬場があるも、知らんですが。兎に角、公民館から出て、右にで。私共が降りた駅の前の道路を西え、西えと。暫くしたら、川の土手やろかねえ。手前を川沿いに進みの、後は、全然の記憶の彼方。
要は、さっぱり、覚えてませんです。
とりあえずは、近くに川があるのかと、だけでして。


ででの、その先も記憶に無くの、帰りは、オジ達夫婦と一緒に、6人にての、新幹線で帰ったですが。イヤ、3人掛けの椅子、2つを向かい合わせに致しまして。
諸般、色んな話をしたですが。私はどしても、一言、オジ達に云いたかった事がありまして。

中身なるは、オジ達、一度は我が親父に面会してやってくれと。
理由なるは、言葉通りの、一度も面会に行ってくれて無いからでして。言葉、選ばずなら、兄弟のくせに、水臭いでと。とは、申してませんですが。
イヤイヤ、私なら、親族が入院したとなればの、どこにでも、見舞いには行ってるです。父方のは当然の、母方のにも、聞けば、必ずでして。それこその、近くなら、何度も行ったりしてるですが。
オッとの、親父は入院に非ずの、老人ホーム、明星園に入園なれどです。よって、面会にと。

更になら、墓開きの際、東京から、来た、オバに、兄であるの、親父に面会をと。提案したなら、あっさり、断られた経緯があって。正直、衝撃でして。親父の問題もあるけれどや。結果的、兄妹、顔会わさずでして。
祖母の葬儀が最後になったです。
私には、信じられんの水臭さでして。
下手したら、このオジ達も、生前、会わぬがままに、親父の葬儀に成るの可能性ありまして。下手して、ソなっても、止むを得んの、されどの、息子の私としたら、残念なる話でありの、かと云うて、縄付けて、引っ張って行くは出来ませんでして。

出来る事は、このよに、正直に伝える事でして。
伝えて、行ってくれんは仕方が無いけれどの、云わずして、行ってくれんは、私として、生涯の悔い残すになるです。
そもそもが、兄弟とは、そんなモノと違うのかと。
親子兄弟、夫婦でありの、血縁とは、そんなモノと信じてるですが。さもなくばの、この人生とするのか、寂しいゾと。つまらんゾと。

私からしたらの、確かに、水臭いの親父かも分からんですが。オジ達にしたら、兄貴らしいの、兄貴で無かったかも、分からんですが。血を分けたの兄弟でして。
云い出せば、そんな親父、兄であっても、飯喰わしてもろてた時期あったと違うかと。
とも、云うてへんけれどや。


そんな次第の、斯くなるでの。
オバの葬儀済めば、日常生活に戻るですが。
私の方は、オバ他界で、親父の方が気になり出してねえ。その1つが、オジ達夫婦に対しての、小言、要望でして。一度は面会にの話でして。

斯くしての、一箇月してからやろか。二個月経ったかの、とあるの日。
いつも通りに、親父に面会の、諸般、話をしてたらです。オッとの、当然の、オバの話、葬儀の件はそれまでに伝えてましての、親父曰くの、オジ達の嫁、2人して、面会に来てくれたと。へえと。
来てくれたかと。
オジ達、当人では無いけれどの、ソレで、充分でして。我が、気持ちを伝えて、良かったなあと。
イヤイヤ、親父、涙して、言葉、詰まらせ、その件、云うてくれましたです。面会になあ。来てくれてなあ。嬉しかったと。気にしてくれてたんやなあと。ソやなあと。
そらなあ、何度も申すの、妹婿が、一度か、二度、面会してくれたかと。肝心の母は、自分1人で、行く事は無く。必ず、運転手付きでして。運転手とは、私の事でして。どこに行くにも、一切の自身の金銭使う事も無く。

ここで、更なるの、余計な話の、オバを見舞いの際、オバの話の、保津川下りは分かるの、嵐山で、うどん喰たと云うたですが。聞いて、正直、えと、ひっくり反りソになったです。湯豆腐も、食べられる程度の軍資金なら、託してるです。

オトトの、そんな話は結構の、いつであったかの、後日、後年。オジ達、オバ達には、行ってくれて、有り難うと、御礼申したですが。
イヤ、無視せず、一度行ってくれれば、充分でして。にしても、オジ達も、余程なんやなあと。あらためて、知らされたですが。オバ達を出してくれただけでも感謝でして。そこまでが、精一杯の、妥協点かと。
イヤイヤ、お小遣いまで、くれたと、聞いてるです。フウンと。


とかとかの、「桜散る散る、花吹雪の話」はまだ、終わらんです。
続きがあるです。
ここから先が本命の、「不可思議なる世界」です。
(12/09/11)


NO.268 桜散る散る、花吹雪の話(60) ひつこい営業担当の話

嵐山での、「うどん」の話なれど。
そらなあ、もしかしたらの、その時、既に、オバ、体調、思わしく無かったの可能性がと。
「うどん」と、「湯豆腐」
どちらが、軽い食事か、分からんですが。「うどん」なら、精々、数百円。
云うたら、家でやるで無いの、しかるべくの、嵐山で、専門店の、「湯豆腐」ならば、千円軽くの、二千円以上はするかの、単なるの、「湯豆腐」では無いやろしと。
遠慮以前の、オバ当人のたっての希望にての、「うどん」にした可能性あるですが。

とは、思えど、当人他界。母に尋ねる事もせず。息子共知ってるの筈が無く。


そんな次第の斯くなるでの。
この当時。
イヤ、一年経った頃です。
業務、極端に忙しく。クレーム、クレーム、品質異常。
あっちの顧客に謝りに。取って返して、工場にと。対策のためでの、忙殺されてたかと。

そんなおり、東京営業所の担当より、とあるの顧客<会社>より、品質管理担当者が、GSR<ガラス封止整流ダイオード>の品質保証体制についての、説明に来て欲しいと云われましてと。
イヤ、クレーム関係ではありませんでして。
オイオイの、一寸、待ての、そんな程度、営業で処理出来んかと。

そらなあ、行ってやりたいは重々なれどです。土日も無く、やってるの時期でして。
どっちにしたって、クレーム対応最優先。工程対策最優先。
説明だけに、東京まで、行ってられんの状況でして。

云うてるにの、返事してるのに、どしても、私に来て欲しいと。来てくれねば、収まらんと。あのなあと。クレームでも無いのに、収まらんは無いゾと。
とかとか、断りツツも、ソラ、行ってやるが一番でして。
にしても、この営業担当、ひつこかったです。
とか、云い乍らの、この営業担当、誰であったか。肝心の顧客名も、皆目の覚えてませんでして。そもそもがの、行った事の無いの先様でもありまして。やからと、行かんと云うてるでは無いです。先の通りの、行ってやりたいは重々なれどの、カラダは1つ。諸般の事もありましてと。

モ1つ、実は、直接の担当品目では無かったかと。
そいつも、クレーム、クレーム、品質異常で忙殺の、その営業からの連絡の際、居て無かったの可能性がと。居て無くとも、行き先、顧客以外なら、電話一発、連絡するですが。多分なら、連絡付かずであったかと。

での、私も出張したりのため、アシスタントの子<女性>に、担当者にしかるべくの連絡をと、頼んで、数日後、会社に戻って来たら、又、営業からの電話で、どしても、来てくれと。
担当者には、アシスタントの子から、連絡付いてたですが。これも、当面、帰れソに無く。
ホナラの、GSR<ダラス封止整流ダイオード>の、品質保証体制についての説明に行くかと、相成ったです。

イヤ、別段にの、ガラス封止タイプなら、どのタイプも工程殆ど一緒での、大きな違いは無いです。
又、GSRの、開発当初より、携わっても居てまして。変な話、直接の担当者より、数段の詳しいの立場でもあったです。

モっと、云うたら、時間のある時なら、面倒でも、気楽な出張でもありまして。
ソラなあ、クレームでは無いです。理論武装の必要性無く。説明資料なら、ありまして。単に、必要部数、コピーして、持参するだけの事。
且つは、この程度、営業担当も、一寸、勉強家なら、自分で出来るの範疇かと。
イヤ、ホンマやでの、少々のクレームなら、営業担当で処理してしまうの事もありまして。相手先にも寄るですが。


斯くしての、急遽、代行と云うのでも無く。
強いてなら、営業担当の顔を立てるの感かの、東京にと、行くになったですが。
元々が、私、方向音痴、地名音痴。人名も殆ど、覚えてませんの、要は、その営業担当からのファックスに従いまして。ファックスの中身なるは、当日、どこで待ち合わせるかの件の、東京駅から、何線で、どこの駅に、何時にと。
気の利いた、営業担当なら、何時、何分の電車でと。そこまで、記載してくれるですが。果たしての、この担当者、そこまで、記載は定かに非ずの、兎に角、指定の日。指定の駅に指定通りの時刻に到着。

変な話。
そのファックスに基づき、移動するだけでして。その他、一切の考える事も無く。指定の駅に着けば、その営業担当から、お久しぶりですと、挨拶されて。ンと。イヤ、その上司と、2人来てたですが。
失礼乍らの、担当者に記憶無く。

ここだけの話、余程頻度高く、会わんと、営業担当の顔を覚えてるは無いです。理由なるは、方々の営業所。営業担当と会おてまして。主たるの目的、クレーム関係故、そっちの方に神経集中での、同行の担当者には、クレーム回答の中身等々、説明しの、話をすれどの、意識の中、眼中に無し。
説明は当然の、打ち合わせもしとかんと、回答途中に、身内から、詰問されての、変な事になっても困るし、教育のためもありまして。

ソラなあ、時々、変な営業担当居てまして。裏切り行為するのがでして。顧客の立場に立つは結構の、自身の勉強のための、質問も結構の。只なあ、顧客からの質問なら、理解もするの、身内から、他社でも同種クレームはありますかと。あのなあと。

オトトの、そんな話も結構の、営業担当から、そのよに、お久しぶりですと、挨拶されて、どこで一緒したかなあと。問えば、どこそこでと、顧客名、云われて、覚えがあるよな、無いよなでの、返答に困ったを覚えてるですが。

そんな事で、車の処に案内されて。営業担当2人は運転席、助手席にで。私は後部座席に乗せてもらい。
車中、先様の事を根堀りの、葉堀り、問いまして。要は、何の目的での、品質保証体制についての説明要求されてるかと。この程度、電話で聞けば良いよなの、聞かぬ事の方が多いかと。
での、返事の内容、皆目の覚えてませんですの、多分なら、その返事されてるの時です。

車は、駅の前の道路をとするのか、線路沿いに、西え、西えと、走ってたですが。オッとの、線路は見えてるのか、見えて無いのか。家並かまで、定かには覚えてませんの。次第、次第に、見た事のあるの風景やなあと。
イヤ、進行方向に対しの、右手がでして。左手は線路か、家並か、でして。

何よりも、桜の木が一杯。行けども、行けどもの、桜の木が一杯。
しかも、満開。
コレ又、満開、満開の、どこまでもの、延々の、桜の木での、風吹けば、桜散る散るの、花吹雪の世界。

ンの、もしかしてと。
もしかしての、処では無いの、オバが入院してたの病院が、見えた。見た。目に飛び込んで来た。
云うとくの、道路沿いの病院に非ずの、奥の方、向こうの方にあるですが。
桜の、木々の間に間に、チラと、見て、見えて。一発、アレは、オバが入院してたの、病院であると、断定したです。
イヤイヤ、病院名等々、何も覚えてませんですが。断定、間違い無くの、断言出来るです。断言するです。

そして、その次には、私を涙させるの光景がと。目に飛び込んで来たです。見えた。見たです。見えるの、期待、予測、予感があったです。
(12/09/12)


NO.269 桜散る散る、花吹雪の話(61) オバが招いたの話

そらねえ、云われたらです。
一年前、その線に乗って、葬儀に行ったんやろと、なるですが。その線が一年前が初めてでも無いです。降りるの駅がバラバラでして。
気楽で、理論武装不要と云うてもです。一応のシュミレーションなるは、新幹線でも、その何線でも、してるです。下手したら、営業担当が運転するの、車中でもし乍らの、雑談、概ねの打ち合わせでして。初対面でも、営業担当者と、名刺交換するで無し。電話で、話をしてるが故で。
又、車で迎えに来てくれて。話をするに、真向かいに相対峙でも無いです。担当者が、京都に何回も来て、話をしてるで無し。京都本社には来てても、営業部止まりで、製造部まで、来るのと、来いひんのも居てるです。

での、そんな事で、まずは、オバが入院の病院が目に飛び込み。ンと。
ドンドンと車は進みの、えと。
公民館が目に入ったです。
オバの葬儀をした、公民館です。道路から、少し入った処にあったが故、シカと記憶の、桜の木々。桜満開。咲き乱れの、全くの、一年前の光景、そのまんま。

但し、この事は予測出来たです。何号棟、何号棟と、大団地の一端が見えてるし、桜が延々の続いてまして。それこその、昨年のオバの葬儀の時と、一緒の光景、風景でして。
全景までは、見えんまでも、デカイ団地であるが、彷彿の、こんなにも、桜の木が多かったかと。

とするよりも、昨年の事が思い出され。想定通りの、公民館が目に飛び込めば、モ、あきませんです。胸に、ずきん。熱いモノが込み上げて。涙が溢れ出まして。
その通りの、オバが招いてくれたかと。一年経ったかと。

その日、まさしくの、4月10日、オバ、他界の日<葬儀、12日>。我れ乍ら、1人感涙、感動、そして、不可思議なるの話やなあと。こんな事があるのかと。
誰も計画せず。意図せず。全くの偶然。
この手の件、クレームであれ、説明であれどの、そもそもがの、この道を営業車で走行初めてでして。従兄弟の車は、病院まででして。公民館から、先をとなればの、霊柩車と共に、タクシーで行ったですが。

イヤイヤ、その道を営業車が行くです。
営業担当が運転での、その上司、助手席。私は、行き先、会社名は聞いてるですが。場所を知らんの、まさかの、川の土手の箇所までもの。もお、たまらんです。懐かしいとするのか。間違い無くの、オバがなあと。
オバが、間違いなく、招いたです。

助手席から、運転席から、諸般、色々、話掛けて来るの、私の方は、涙、涙で、胸一杯の、声が出ず。
ポケットから、ハンカチ出して、見えぬよに、涙ぬぐいの、適当なるの応答、ン、ン、と、相づちのみ。話の中身、全くの聞いてませんです。耳には入って来てませんの、感涙、感激、オバが、オバがで、頭の中が一杯、満ち溢れてしもて。

助手席のが、後ろ、振り向くの気配したなら、アタッシュ・ケースから、何か出すの素振りで、顔を見せぬよに、伏せまして。
最早の目が充血してるは承知故。
そらなあ、1人、感動、感涙、知らぬモノ、何事かと成るです。事情説明も、彼等、無縁の話。出来れば、公民館辺りから、ゆっくり、走ってくれと、云いたい程の。イヤ、車は左程に速度は出して無いです。

そして、土手を過ぎたら、見知らぬ先えの、ソラ、営業車が火葬場に行くは無いです。


そんな次第の、斯くなるでの、結果、どこの、何と云う会社に、GSR<ガラス封止整流ダイオード>の品質保証体制の説明に行ったかは、吹き飛んでしもたです。
詰問され、立ち往生の惨状、醜態、さらけ出したなら、記憶もするですが。一体の、私がわざわざの、行って、説明しんならんよなの話、一切無し。失礼乍らの、通り一辺、極当たり前の説明のみで、質問あったのかなあと。
全くの覚えてませんの、もしかしたら、資料が欲しかっただけかと。
そんな程度なら、最初っから、云うてるの、営業担当だけで、処理の出来るの話、要件でして。

どしてもの、品質管理担当が来ての、説明の目的がと。
そんな事は、長い経験上、あるには、あるです。えらい、重大問題の如くに営業から、云われの、覚悟して、赴けば、何にも無しの、拍子抜けの事がです。
その反対の事の方が多いけれどや。簡単に済ますがため、今の内、話が大きくなるまでに、即刻来て欲しいと云われ、行けば、先様、凄い剣幕であったりと。よって、先様の様子を道中、営業担当に尋ねるですが。
先の通りの尋ね乍ら、車窓から飛び込むの、風景、情景に、我れを忘れたです。


での、その時、初めて、病院と、公民館の位置関係知ったですが。
そやろなあと。オバの住み処から、遠くは無いわなあと。歩いて行けるの範囲やなあと。
ならばの、従兄弟は、片道、約1時間半掛かって、オバの。イヤ、母親の、諸般の見舞い等々、してたんやと。

ソラ、今更の、見舞いの際には、宿泊の、「丸の内ホテル」から、従兄弟宅までが、約30分。「丸の内ホテル」から、約1時間で、病院でして。見舞いの際には、病院が遠いとか云々、全然の考えもしてませんでして。
容態のみ、どなんかと、頭の中は一杯でして。

葬儀の時には、間違い無く、所定の場所に行くが主の、無事に着けて、ホっとしの。
とは云え、葬儀の日、本番以外は、暇でして。雑談的、話をしてると思うですが。
家と、病院の往復、1時間半は大変やなあとは、微塵も考えてませんです。当たり前です。親です。長男です。

平然、常識、責務として、淡々とこなして、長男の値打ちで、立場也の、出来なければ、しなければ、弟から、ボロのクソで、反論出来ませんです。

でででの、この時の件。
業務で、葬儀の一年後。ひばりケ丘の病院、公民館、土手の辺りを営業担当の車に載せてもろての、偶然の通ったでと。
後日、ン年後、この従兄弟が、諸般、我が家に来て、泊まったの際、話をしたです。従兄弟、話を聞きの感涙、言葉出ず。

後日、ン年後。
とは、オバ他界より、5年後<1991年>の、我が親父、葬儀の日の、後刻。
実は、葬儀の日には、彼、来られぬ故、二男が代行。よって、後刻、長男として、来てくれたです。
(12/09/13)


NO.270 続・桜散る散る、花吹雪の話(1) 喫茶店の話

イヤ、ここからは、桜には、関係無いです。
関係無いですが、オバは、紛れ無くの、我が血縁親族でして。ここから、我が血縁親族の悲報が続くです。

ソラ、強いてなら、親父の兄弟姉妹で、一番手に他界なるは、親父の妹<6歳・長女・大正9年>になるですが。要は、東京のオバは二女でして。
次には、我が曾祖母<70歳・大正11年>。
祖父<69歳・昭和20年>。大東亜戦争、満州にての戦死<27歳・昭和20年>、二男。
ここまでは、私が産まれるまでの話で、知らんです。
認識してるのなら、我が妹<0歳・昭和26年>、祖母<84歳・昭和46年>、東京のオバ<二女・64歳・昭和61年>、親父<80歳・平成3年>、オジ<三男・67歳・平成4年>

での、話は、親父の事でして。
ハタと、他界して、21年が経つのかと。月日、過ぎるは早いなあと。

妹の時、私、4歳。
死と云うモノが分からんの時での、記憶の、どこが、夢、幻で、どれが、現実であったかと。
全て、現実であったよにも思うですし。一部、理屈に合わん事もありまして。記憶の中身がです。

ソラ、当日、沢山の方が、我が家に来られて、嬉しくて、嬉しくて、興奮状態にあったかと。祖母にたしなめられたを覚えてまして。
又、見知らぬの親族も来てまして。見知らぬとは、母方、上のオジ嫁の親族でして。二階で着替え等々されてたのか。覗きに行きの、叱られたのも、覚えてるです。イヤ、小母さん連中でして。叱ったは、祖母なれどです。

イヤイヤ、階段をこそりと上がりまして。その情景、つぶさに覚えてるです。2人、居たはったかなあ。
知らん人故、尚更の気になってねえ。オジ達に、あれ、誰と、ひつこく尋ねたも記憶してるです。オジ達の表情厳しく、尋ねてはいかんの事を尋ねたのかなあと。幼いなりに、感じてたり。

或いは、母方、下のオジ<母の兄>が、自転車の荷台に、妹を乗せて。それも、リンゴ箱であったかの、産院から、我が家に連れ戻すの光景が記憶の中にあるですが。その自転車の周辺を私が、ステップ、踏んで、飛び跳ねてるのは、多分なら、夢、幻と、現実とが、混ざった状態かと。
理由として、産院は、すぐのそこ。横町での、距離にして、100メートル、150メートルでの、自転車で運ぶ事もありませんでして。ましてやの、リンゴ箱は、有り得ませんでして。多分なら、小さな棺に入れられてたかと。

只、嬉しく思たは事実かと。
死と云うモノを知らず。妹が帰ると聞かされた筈での、当然の、生きて、帰るの筈でして。
よって、親族だけの葬儀も、葬儀そのものの、意味を知らんです。
以来、記憶鮮明、祖母からでして。オバでして。


そんな事で、オバの葬儀からの帰りの新幹線にて、オジ達に正直なる気持ちを吐露。親父に是非共の、面会に行って欲しいと。
結果、オジでは無く、オバ達2人が、明星園に行ってくれて。以て、私としたら、満足でして。形はどであれ、我が注文無視せず、実行してくれたからでして。とは云え、兄弟から、余程に親父は嫌われてるなあと。
とは、思たですが。私にとっては、親でして。

での、そんな次第の、斯くなるでの、時間的、都合付けば、明星園に。
出来れば、息子共を伴いまして。イヤ、それ以前より、連れて行ってはいるですが。息子共にも、祖父の存在、記憶させたいと。ソラ、現に居てるし、私は祖父を知りませんでして。
行けば、応接室に通されて。
考えられるの理由は既載してる故、ここでは割愛の、1人の時には。又、昼の時間に掛かる時には、連れ出し、一緒に食事をと。食事云うても、明星園の近在で、適当なるの、店を知りませんでして。
一軒のみ、喫茶店がありまして。
オッとの、探せば、ホカにもあるとは思うですが。マメで無く。一度行けば、そこばっかり。無難故。

での、その喫茶店、云うたら、昼の時間帯にも関わらずの、閑散でして。私からしたら、気楽で、必ず、席があるになっての、サンドイッチ、オムライス等々もありまして。
店の名は覚えてませんの、最早の場所も忘れたですが。多分なら、明星園のあるの通りのどこかかと。
イヤ、店の人、親切でねえ。
店の人も、店長1人と思うですが。ホカに見た事がありませんでして。年齢、私と同年配か、若干の年配でして。

今、思えば、親父も大腿部骨折してまして。歩くに、杖が無ければ、ダメでして。されどの、手を貸されるは、嫌いまして。
イヤイヤ、その店に入るに、石段、数段がと。私も経験不足の、若かったしで、階段は杖ではしんどいも、気が付かず。オッとの、そこで、転けたりはしてませんですが。入るまでに、時間を要し。
されどの、出て来る客も、入るのの客も居てませんでして。

ででの、注文は、親父、サンドイッチ。お付き合いで、私もサンドイッチ。何のサンドイッチにするだけの、コーヒーと一緒に頼みまして。
只なあ、親父、喰うに、ボロボロと、床にこぼしてねえ。店主にすみません、すみません。店主、イヤ、結構ですよ。そのまま、そのまま。気を使わんで、宜しいですよと、云うてくれて。ソ云われてもねえ。
テーブルの下に落ちたのを、拾うに、気にしない。気にしない。やっときますからと、やらせませんでして。
それよりも、お父さんの面倒をと。
おおきにと。

そんな事もあって、行くなら、ここにと、成ったのもあるですが。
そらなあ、客多く、ボロボロ、床にこぼされてみい。こっちは、肩身狭くの、店主にしたら、気分爽快な筈は無く。嫌な顔、チラとでもされたら、モ行くに、行けずの、別途の店でも探さんならんですが。気にしない、気にしないは、嘘、商売言葉に非ずの、心底からでして。

行けば、こちらにと、いつもの席に案内されて。
イヤ、親父が一番に座り易いの、大きめのテーブルでして。ホカに客が居てへんのもあるですが。
変な話、これで、よお店存続出来てるなあと、思う程。
(12/09/15)



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