みんながパソコン大王
雑談<NO.115>

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総 合 目 録 趣意書

表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.116
1379 【ビートルズ初来日から50年 各社コラム①】 河北新報 秋田魁新報 上毛新聞 静岡新聞 京都新聞(47ニュース) 磯津千由紀 16/06/29
1378 転がらないスイカ1万円(毎日新聞) 磯津千由紀 16/06/29
1377 <ローカル>京都・祇園に、「漢字ミュージアム」「祇園祭ぎゃらりぃ」 シバケン 16/06/29
1376 プログラミングを知らない人がプログラミング教育をする危険性(WirelessWire) 磯津千由紀 16/06/28
1375 参院選:住民票移さぬ下宿生 投票できたりできなかったり(毎日新聞) 磯津千由紀 16/06/28
1374 勤務中の排便の自由回復(毎日新聞) 磯津千由紀 16/06/28
1373 日本にも、パブリックフットパスが<?> 磯津千由紀 16/06/26
1372 訃報:鳩山邦夫さん67歳…衆院議員、法相など歴任(毎日新聞) 磯津千由紀 16/06/22
雑談NO.114

NO.1372 訃報:鳩山邦夫さん67歳…衆院議員、法相など歴任(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(16/06/22)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/22 (Wed) 15:01

 こんにちは。


 もう亡くなられたとは、驚きました。


> 法相や総務相を歴任した自民党の鳩山邦夫衆院議員(福岡6区選出、当選13回)が死去したことが22日分かった。67歳。


> 祖父は一郎元首相、父は威一郎元外相、兄は由紀夫元首相。邦夫氏は1976年に衆院初当選。91年に文相で初入閣したが、93年に離党して非自民連立政権に参加。94年に労相を務めた。96年に由紀夫氏らと民主党を結党したが、兄弟対立で離党し、00年に自民復党。07年から安倍内閣と福田内閣で法相に就き、13人に対し死刑執行命令を出した。麻生内閣で総務相となったが、日本郵政社長人事の混乱で辞任。09年の自民党下野後、新党結成を目指し離党したが断念した。12年衆院選に自民推薦の無所属で当選し復党。安倍晋三首相を支援する派閥横断グループ「きさらぎ会」の会長を務めた。

<参考=「訃報:鳩山邦夫さん67歳…衆院議員、法相など歴任」(毎日新聞)>


NO.1373 日本にも、パブリックフットパスが<?><起稿 磯津千由紀>(16/06/26)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/26 (Sun) 08:37

 おはようございます。


 今、NHK総合テレビの「サキどり↑」でやってますが、国民性を考えると、普及するものかどうか。


NO.1374 勤務中の排便の自由回復(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(16/06/28)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/28 (Tue) 15:20

 こんにちは。


 私も「禁止」は行き過ぎだと思っていました。


> 集団食中毒の発生を受けて福井県若狭町が町給食センターの調理員に勤務時間中の排便をマニュアルで禁じた問題で、町は27日までに、排便に関する項目を削除する方針を固めた。

> 町は、5月に学校給食が原因でノロウイルスによる食中毒が小中学校で発生したのを受け、衛生管理マニュアルを改定。昼食時間なども含めて勤務中(午前7時半〜午後4時45分)の調理員の排便を禁止した。しかし、報道を受けてインターネットなどで批判の声が高まったため再改定。排便については「調理作業中に排便しなくて済むよう心がける」とし、便をした場合は責任者に報告するよう改めて今月15日に業務を再開した。

> しかし、再改定したマニュアルについても「生理現象を制約するのはおかしい」「報告義務を課すなど、働く人の権利をどう考えているのか」などの批判が寄せられていた。町は「人権問題になる恐れがあり、公共施設のマニュアルにふさわしくない」などとし、報告義務を含めた排便に関する項目の全廃を決めた。28日に県と協議し、正式にマニュアルから削除する方針。【高橋一隆】


<参考=「給食センター:勤務中の排便の自由、回復 福井・若狭」(毎日新聞)>


NO.1375 参院選:住民票移さぬ下宿生 投票できたりできなかったり(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(16/06/28)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/28 (Tue) 15:47

 こんにちは。


 住民票を移さぬのも悪いのですが、自治体によって対応が違うのは問題です。


> 7月10日投開票の参院選から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられたが、大学などへの進学で転居後も住民票を残したままの学生が、実家のある自治体で不在者投票を断られるケースが出ている。総務省は「転居先に住民票を移して投票するのが原則」としており、投票資格がないと判断されるためだ。半面、不在者投票を認めている自治体も多く、対応が割れている。【石川貴教】

> 総務省によると、投票するには、市区町村の選挙管理委員会が管理する「選挙人名簿」に登録される必要がある。住所を持ち、3カ月以上住んでいることが条件で、選管は住民基本台帳などを基に名簿を作る。住民票を移さない学生の場合、この「住所」の扱いが問題となる。

> 毎日新聞が道府県庁所在地と政令市、東京23区の計74自治体に取材したところ、青森▽松山▽高知▽長崎▽大分▽宮崎▽鹿児島--の7市が、住民票を移さず市外に下宿する学生の不在者投票を「原則認めない」と回答した。その根拠は、学生の場合は住民票を実家に残していても、修学に伴う転居先が住所になると判断した1954(昭和29)年の最高裁判例だ。

> 高知市は、学業を理由に不在者投票を申請した有権者全員に事情を聴き、明らかに長期間にわたり市内に住んでいない場合は投票を断っている。ただ、申請があっても「事情を積極的に聞き出すことはない」(長崎市)とする自治体もあり、実際は投票できるケースもあるとみられる。

> 一方、残りの67市区は「投票は可能」と答えた。「居住の実態を一人一人確認するのは困難」(宇都宮市)、「『住民票を移して』とアピールはできても、それ以上の判断は限界がある」(京都市)からだ。

> 公益財団法人「明るい選挙推進協会」の2015年の調査によると、実家から住民票を移していない大学・大学院生は63.3%に上る。総務省選挙部管理課は「自治体の対応がバラバラなのは望ましくないが、どちらの対応が間違っているとは言い難い。住民票は転居先に移すのが原則で、学生に周知していくしかない」と話す。


> ◇私の1票かなわず

> 「人生初の1票を投じようとしたが、かなわなかった」

> 大阪府内の私立大に通う女性(20)=同府吹田市=は無念そうにうつむいた。高校まで住んだ香川県内の実家に住民票を残しているため、参院選は実家のある自治体に郵便で不在者投票をしようと選管に問い合わせたが、「1年以上も住んでいない。投票はできない」と言われた。住民票を残したのは「成人式までは住民票を移さないでおこう」と決めていたからだ。住民基本台帳法は住所が変わった場合、14日以内の届け出を義務づけ、過料5万円以下の罰則もあるが、女性は「違法とは知らなかったので驚いた。友人にも知らない人が多い」と話す。


> ◇バラツキは問題だ

> 選挙制度に詳しい只野雅人・一橋大大学院教授(憲法)の話 不在者投票が認められたり、認められなかったり、自治体によってばらつきがあるのは問題だ。選挙権は行使しなければ意味がない権利で、広く認めようとするのが基本だ。公選法改正で選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる際にも、若者に旧住所での投票を認める立法上の配慮もしている。不在者投票を認めている自治体が多いことを考えると、認める方向で統一するのがいいのではないか。

<参考=「参院選:住民票移さぬ下宿生 投票できたりできなかったり」(毎日新聞)>
<消滅・21/05/20>


NO.1376 プログラミングを知らない人がプログラミング教育をする危険性(WirelessWire)<起稿 磯津千由紀>(16/06/28)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/28 (Tue) 17:25

 こんにちは。


 筆者が述べているように、アルゴリズムを教えずにコーディング技法のみを教えるなんて、論外ですね。
 昔、P.J.プラウガー氏と話したとき、プログラマーを育てる最良の方法は何かと聞いてみたら、良いプログラマーの横に座らせておくことだという返事が返ってきました。


> ある日、角川アスキー総研の取締役兼主席研究員である遠藤諭氏から、「プログラミングが他の職業でも役立つということに関してなにかアイデアはないか」と相談を受けました。

> アスキーの遠藤諭氏といえば、筆者も少年の頃、毎月夢中になって誌面を熟読した往年の「月刊ASCII」の編集長として活躍された方で、自らもプログラミングのプロフェッショナルでもあります。プログラマーでありながら、プログラミングを本業とせず、編集業を生業にしているところは、プログラマーでありながら経営者を生業とする筆者と相通じるものがあります。

> よく、「清水さん(筆者)は、まだ自分でプログラミングしてるんですか?」と驚かれることがあります。経営者とプログラマーというのがどうも符号しないようです。

> プログラマー出身の経営者が、経営者になってもプログラミングをしているケースは、大きく2つに別れます。

> ひとつは、自分自身がエンジニアとして現場の先頭に立って、なおかつプログラミングもしているという場合、弊社グループの場合、子会社のUEIソリューションズ社長の水野拓宏がそれにあてはまります。彼はプログラミングはもちろん、電子回路からVR機器からなんでも手作りしてしまう生粋のエンジニアで、なおかつ営業センスもあり、自ら営業先の要望を聞き取ってはプログラマーのわかる言葉に翻訳してしまいます。

> 彼はよく「脳内プログラミング」をしています。客先で要望を聞いている段階から頭のなかでプログラミングを始め、ほとんどそれが出来上がった状態で帰社し、頭の中でやったプログラムの手順通りに部下に指示を出します。その意味では同じくUEIソリューションズ取締役の原大輔も、取締役という経営層にありながら、現役バリバリのプログラマーです。

> 彼らは自分たち自身が生み出すコードがすなわちそのまま製品になるので、負担も大きく、超人的なセンスと体力がなければとてもこういうレベルの経営者は務まりません。

> 一方、プログラマー経営者には、筆者のようにプログラミングは日常的にしているけれども製品にはしない、という人間も居ます。というかむしろこっちが主流派ではないでしょうか。

> 出版社であり、アニメ、ゲーム、そして動画配信サービスと幅広く手掛ける株式会社カドカワの川上量生社長(ドワンゴ会長も兼任)も、元はプログラマーですが、今はプログラミングをほとんどしていません。ところが川上会長は技術のかなり詳細な部分や全体の性質まで理解しようとします。勉強熱心で、筆者らがドワンゴ社内で深層学習に関連した会議を開いているのを見つけては顔を出し、数学的な詳細の説明を求められることもしばしばあります。彼は状況に応じて臨機応変に対応できるようなプログラムを頭の中で常に修正、実行を繰り返しているのでしょう。彼はそれを「ゲーム」と呼びます。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」というインタビュー集もあります。こんなに技術理解に熱心な上場企業の経営者というのは珍しいと思います。

> 筆者は川上社長とも違った形でプログラミングをします。
> それはいわば「理解のためのプログラミング」です。
> もしくは「経営のためのプログラミング」とでも言うべきものです。

> たとえば人工知能の技術分野は進歩が非常に激しく、毎日5〜20本の論文が発表されています。それをキャッチアップするのは容易ではありませんし、あまりにも膨大でどこから手を付けていいかわからず途方に暮れることもしばしばです。

> そんなとき、筆者はまずいの一番に自分がプログラミングをしてみます。

> 難しくても、わからなくても、とにかくプログラミングしてみます。そして暴れ馬のような新しいアルゴリズムや人工知能の学習法というものを御し、それを思い通りに動かせるようになった時、初めて部下にバトンタッチします。

> 部下は筆者の書いた数行から数十行にまとめられたサンプルプログラムを見れば、誰でもすぐに筆者が勉強して得た知識を業務に応用できるようになります。たとえば昨年は非常に複雑だった人工知能による画像認識なども、筆者が社内用に開発し、今はgithubで公開している深層学習プログラミング言語Deel(https://github.com/uei/deel)を用いれば、わずか数行で求めるタスクをこなすことができます。


≫ deel = Deel()

≫ CNN = GoogLeNet()

≫ CNN.Input(“deel.png”)
≫ CNN.classify()
≫ ShowLabels()

> 実際にこれらの命令が何を行っているのか知りたければ、それぞれのクラスの中身を見ればいいし、そこに興味がなければとりあえずこの部分だけ使えば実験はできます。

> 同様に、Virtual Realityに関しても、UEIソリューションズでは水野が自ら率先してドローンや撮影機材を開発し、実験を繰り返して技術を高めたり、筆者は自らUnityというプログラミング環境でルームスケールVRのプログラミングを行ったりして「その技術を習得するのがどのくらい難しいか、その技術を応用する最短経路はどれか」ということを見極め、それから部下に引き渡します。

> 注目すべき新技術を見つけ出し、限界を早期に見極め、しかるのち即座に部下が活用できるような形態までブレークダウンする。
> それができるのがプログラマーが経営者をやっていることの強みです。

> 実際にプログラミングして確かめるのと、本だけ読んで上辺だけの知識を取り入れるというのは根本的に違います。

> 筆者のようなタイプの経営者はプログラミングそのものを仕事とせず、経営方針を決定するため、世の中の最先端を理解するために自らプログラミングして確かめるのです。

> また、しばしば、「こういうプログラムが欲しい」ということを文章や動画ではなく、プログラムで表現します。

> そこまで作るなら最後まで作ればいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、最終製品に求められるクオリティのものを経営者が作るよりも、そこは専門的な知識を持つ専任者にやってもらったほうが高品質なものが素早くできます。

> しかし、「こういうものが必要で、これを実現するためにはこのようなアルゴリズムが最適である」ということを言葉で説明しても、それは結果的に嘘になってしまうかもしれません。なぜなら、検証していないからです。検証しない以上は無数にある仮説のひとつでしかありません。

> だとすると、文章にするよりも簡単なプログラムの形にして渡すほうが遥かに効果的なのです。
> いわば表現手段としてのプログラミングがあるということです。

> ところで、プログラミング教育ということでいえば、今はいろいろな教室が乱立しています。
> これは非常に玉石混交なので少し注意が必要です。

> 先日、筆者のところに「御社にプログラミングを教えます」と、T某というところからメールを頂いて、最初は「なにかの冗談だろう」と思って放っておきました。

> ところが、無視していると何度もメールをいただくので、とりあえず一度会ってみてどんなことを教えていただけるのか聞いてみようと思い、会ってみることにしました。

> 筆者の会社は技術企業と銘打っており、どのお問い合わせ先にもまずいの一番に「開発案件のご相談」という項目があるわけです。その問い合わせフォームから大胆にもプロのプログラマー集団である我々にプログラミングを教えていただけるというからには、さぞかし我々の知らない最新技術に精通しているのだろうと思ったのです。

> 現れたのは浅黒くて目の大きい青年・・・ちょっとプログラマーにはなかなか居ないタイプの青年・・・と、いかにもプログラマーという感じの、気が弱そうな黒髪の色白の青年でした。名刺交換すると、執拗にメールを送ってきたのは、案の定、浅黒い方の青年ということがわかりました。

> 「今日はご足労いただきありがとうございます。私たちにプログラミングを教えて下さるということで、大変楽しみにしていました。実は私も勉強不足でして、まだまだプログラミングについて知りたいことが沢山あるんです。たとえば最近話題のConvolutionalLSTM、いわゆる畳込みLSTMについて原理を解説していただけませんか?」

> と聞くと

> 「えっと・・・いや、そういうのは・・・」

> としどろもどろです。
> ちなみに彼は「まだ入社して三ヶ月だから」プログラミングができないそうです。そんな人がどうやって私に教えるつもりだったんでしょう。
> それにその教室のトップページには「一ヶ月でマスターできる」というようなことが書いてあるのですが・・・。

> というか、プログラミングができない人が営業に来るプログラミングスクールってなんなのでしょう。自ら効能がないと認めているようなものではないでしょうか。

> これは話が違うではないか、じゃあたとえばどの程度のレベルまでプログラミングを理解しているのか知りたくて

> 「えーと、じゃあ、そこのホワイトボードに、バブルソートのアルゴリズムについて説明していただけますか?」

> と聞くと

> 「私達はアルゴリズムは一切教えておりません」

> という返事が返ってきて、ものすごく驚きました。

> プログラミングを教えるという人が、アルゴリズムを教えない。

> えーと、むかしから「プログラム=アルゴリズム+データ構造」と言ってですな・・・と言っても始まりません。しかし、アルゴリズムを教えずにプログラミングを教えるということは、受け身を教えずに柔道を教えるようなものです。要するに、何の意味もないどころか却って危険ということです。

> というか、プログラミングを教えると標榜する立場の人がバブルソートのアルゴリズムを説明できないということは、おそらく知らないのでしょう。バブルソートは最も簡単なアルゴリズムのひとつです。我々はもう少し高度な、クイックソートのアルゴリズムや三次元の変換行列などを入社時にホワイトボードに説明してもらいます。それができない人は入社できません。つまり、目の前で私にプログラミングを教えて下さるという方々は、我が社の入社試験にパスするかどうかも怪しいということです。

> 最初のConvolutionalLSTMの質問は少々意地悪でした。これは最新理論で、人工知能の専門家でも必死にキャッチアップしなければならない分野です。ただでさえややこしい畳込み(Convolution)に、さらにややこしいLSTM(Long Short Term Memory)が加わるわけですから、これを解説しろと今の筆者に言われても無理です。まあ無理だからこそ、敢えていま自分が一番知りたい最先端の分野のテクニカルタームを聞いてみたわけです。その前の週末に全脳アーキテクチャ勉強会に参加して、日本中から集まった気鋭の人工知能研究者たちのあたまを悩ませていた難問中の難問です。並大抵のプログラマーなら、説明どころか単語すら知らないでしょう。

> とはいえ仮にも私にプログラミングの手ほどきをして下さるというからには、当然ながら私の知らないことを知っているべきではないですか。
> まあ解説していただくことは期待しておらず、反応を見たかったのです。「Convolution」でも「LSTM」でも、知っていればちょっと見どころはあるかな、と思いました。この2つはいまやかなり有名な概念で、一線級のプログラマーがこの2つの単語の意味を知らないというのは、ちょっと恥ずかしいことだからです。

> 「ええと、本職のプログラマーさんたちではなくて、営業さんとか事務の方とか、文系の方を対象としてRuby on Railsを教えるのがメインなんです。もちろんここからプロを目指される学生さんもいますが・・・」

> ところが弊社の場合、たとえプログラミングが本業でない文系の社員ですら、プログラミングを理解していて、教えることができます。実際、バリバリの文系だった元タミヤの前ちゃんこと前田靖幸CHOや、東浩紀の元秘書で、編集者である後藤大喜は単独で講義ができるほどプログラミングに精通していますし、それ以外にも秋葉原プログラミング教室で教えている土屋さんや片境といった面々は、もとは完全な文系です。彼らに組織だってプログラミングを教えたことは一度もありません。まわりが百戦錬磨の猛者だらけ、という状況から、彼らが勝手に学び、いつしか人に教えられるレベルまで育っているのです。

> UEI本社の営業マンは全員がプログラマーまたはプログラミング経験があります。彼らは筆者が毎月講師を務める本職のプログラマー向けの深層学習ハンズオンセミナーを毎回受講しているため、人工知能研究の最先端の知識を常にアップデートして共有しています。しかもソースコードレベルで実際に追体験しています。土日ともなれば、UEIの営業マンが走らせた学習タスクで会社の深層学習ワークステーションが頭から湯気を出す勢いです。

> T某が教材としている「Ruby on Rails(ルビー・オン・レイルズ)」は、少し前に流行ったWeb向けのプログラミング環境です。
> しかし問題なのは、それだけできるようになっても、実際にはなんにもならないということです。

> たしかにプログラミングを体験する、という意味ではRuby on Railsは悪くない題材でしょう。
> ところがどっこい、ただそれだけです。

> これだけでは実際にプログラミングを分かったことにはなりません。

> ScratchやMOONBlockと同じ、表面をなぞるだけです。いや、ある意味では単純作業しか学ばないという点ではScratchやMOONBlockのような子ども向けプログラミング言語未満でしょう。

> ScratchもMOONBlockも、目的は表現手段としてのプログラミングを学ぶことです。
> しかしRuby on Railsの目的は、典型的なWebサイトを短時間で作ることです。目的が絞られているから、教えるのは簡単で、そして、それだけです。いまどき、Ruby on RailsでWebサイトを構築するだけでは全くウリになりませんし、表現の幅としてはむしろ狭まります。
 

> そして典型的なWebサイトを素早く立ち上げたいだけなら、wix.comやwordpressを使ったほうが遥かに効率的です。 

> そういう意味では、T某のセミナーは、教材は非常に良く出来ているものの、12万円の値打ちがあるかどうかは断言できないと思いました。
> ふつうに参考書を買ってきて、独学で勉強したほうが身につきそうですが、先生に質問できるのは初学者にはありがたいのかもしれません。
 

> さて、その意味では、筆者が来月からNHK文化センター青山教室で開講する教養のためのプログラミング講座  〜ゲームからVR/人工知能まで〜は、似て非なるものですが、ややリーズナブルと言えるかもしれません。

> 全6回で、一ヶ月半に渡って教えるセミナーですが、かかる費用はT某の1/6程度です。

> ただし、講座の目的は大きく違います。
> 筆者が自ら解説するこの講座の目的は、あくまでも「表現手段としてのプログラミングを学ぶ」ことにあります。
> 実際にどこにでもあるようなWebサイトをコマンドラインで作る、といったことではありません。

> それはそれでそういう知識が必要な方もいると思うので、別途探してみていただきたいのですが、その会社の営業マンは営業メールを送るのに熱心で、自分はプログラミングできないんですよ。

> ちなみに本当に教養としてさらりと知りたいのではなく、プロのプログラマーになるためのプログラミングを学びたくて、しかも独学でやる自信がないのであれば、学校法人系のちゃんとしたコンピュータの専門学校に通うことを強くおすすめします。まじめに通えば二年間でちゃんとプログラマーにしてもらえます。まあまじめに通うということがなかなかできないんですけどね。

<参考=「プログラミングを知らない人がプログラミング教育をする危険性」(WirelessWire)>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/28 (Tue) 22:36

 こんばんは。


 話は逸れますが。


 記事の筆頭にある写真、いちばん右は沖電気工業の8ビットのパソコンif800model30ですね。
 名札が付いていることからすると、コンピュータの博物館でしょうか。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/28 (Tue) 22:49

 こんばんは。


 著者名のクレジットが抜けておりました。

 しかし、記事には、現職が何であるかの記述がありません。


> 清水 亮(しみず・りょう)

> 1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。

<参考=https://wirelesswire.jp/author/ryo_shimizu/


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/28 (Tue) 23:16

 こんばんは。


 同じ筆者の同じシリーズの記事で、プログラマーを育てる次善の策を伝授しています。
 全く同感です。

<参考1=「誰もが知ってるけど敢えて言わない確実に身につくプログラミング学習法」(WirelessWire)>


 この人が書く記事には納得がいくものが多いですね。

 例えば、プログラマーはなぜ紙やホワイトボードを必要とするかという記事。
 プログラマーに限らず、設計を生業とする人間の多くに当てはまります。

<参考2=「プログラマーはなぜ手書きするのか」(WirelessWire)>


NO.1377 <ローカル>京都・祇園に、「漢字ミュージアム」「祇園祭ぎゃらりぃ」<起稿 シバケン>(16/06/29)


【シバケン】 2016/06/29 (Wed) 14:21

本日<6月29日>、京都、祇園に、「漢字ミュージアム」「祇園祭ぎゃらりぃ」が、オープン<!>

イヤ、
全然の、知りませんでしたです。
当家、新聞を取ってませんでして<汗>

イヤイヤ、
この近く、円山公園の先、「東本願寺祖廟」には、当家、墓地ありまして。
月参りの、墓参では、ここを、通過してるです。

場所なるは、四条の、東大路通り、西南側にあるです。

イヤイヤ、
過日、過月より、何やら、やってる<工事>は、承知してたです。

ここは、従前、「京都市立弥栄中学校」が、あったですが。少子化によりの、6年前の、平成22年<2010年>、廃校<!>
こんな場所、京都を象徴するの、ド真ん中の、中学校が勿体ないなあと、思てたですが。

その跡地に、「漢字ミュージアム」「祇園祭ぎゃらりぃ」なるが、出来たです。

<参考1=「祇園祭・鉾の実物大模型常設、辻回し映像上映も 京都に施設開設」(京都新聞)>
<消滅・17/07/19>

<参考2=漢検 漢字博物館・図書館 [漢字ミュージアム]

<参考3=「京都)祇園祭ぎゃらりぃ、漢字ミュージアムにオープン」(朝日新聞)>
<消滅・17/07/19>

<参考4=「日本初の漢字ミュージアムが京都に」(maga.jp)>
<https://www.lmaga.jp/news/2016/05/11253/>
<表示せず・18/07/29>


【シバケン】 2016/06/29 (Wed) 16:07

副題=「弥栄」と、「八坂」

イヤイヤ、
補足的、余計なるの話。

「京都市立弥栄中学校」があったの場所にと、申したですが。
「弥栄」は、「やさか」と、読むです。

「祇園祭」の、「八坂神社」の、「八坂」も、読み、「やさか」でして。

本来、「弥栄」は、「いやさか」<意味=いよいよ、栄える>とも、読むです。


がしかし、
地名の、「弥栄」と、「八坂神社」の、「八坂」とでは、起源異なるです。

地名の方、なるは、そのままの、「いやさか」。

神社の方、なるは、下記<参考>。

云うてるは、
各々の、起源、考えずに、読み、一緒故、意味一緒<いやさか>也と、するの方、多く。
「Yahoo!知恵袋」<一々の紹介せず>でも、無責任なるの回答でして<笑>

ここに、正解をば、投稿致すです。


>当社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。

>また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるともいう。

>伊利之来朝のこと、また素戔嗚尊が御子の五十猛神とともに新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降られたことは、ともに『日本書紀』に記されており、『新撰姓氏録』の「山城国諸蕃」の項には渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」について、その祖を「狛国人、之留川麻之意利佐(しるつまのおりさ)」と記してある。この「意利佐」と先に記した「伊利之」は同一人物と考えられている。伊利之の子孫は代々八坂造となるとともに、日置造(へきのみやつこ)・鳥井宿祢(とりいのすくね)・栄井宿祢(さかいのすくね)・吉井宿祢(よしいのすくね)・和造(やまとのみやつこ)・日置倉人(へきのくらびと)などとして近畿地方に繁栄した。

>天長6年(829)紀百継(きのももつぐ)は、山城国愛宕郡八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀の地とした。これが感神院の始まりともされている。そして、八坂造の娘を妻とし、男子のなかった八坂造家の職を継承したといわれ、その後裔である行円(ぎょうえん)は、永保元年(1074)に感神院執行となり、以後子孫代々その職を継ぎ、明治維新による世襲制の廃止まで続いた。

<参考=「八坂神社の歴史」(八坂神社)>


NO.1378 転がらないスイカ1万円(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(16/06/29)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/29 (Wed) 21:01

 こんばんは。


 存在は以前から存じておりましたが、1万円もするとは知りませんでした。


> 香川県善通寺市のJA筆岡集荷場で29日、さいころの形をしたスイカの出荷作業が始まった。価格は1万円。店舗の装飾用などで約400個が市場に出る。


> 45年ほど前から始まり、現在は6軒の農家が栽培。一辺18センチの立方体で、強化プラスチックの中で育てられる。生育途中で収穫するため甘みは少なく、食用には向かないという。

> 普通のスイカと違い、転がることもなく、出荷用の箱にもぴったり収まる。作業中の農家の男性は「TPPなど農業を巡る問題は山積みだが、こちらもすっきり収めて」。【山中尚登】


<参考=「四角いスイカ:価格1万円、出荷始まる…香川・善通寺」(毎日新聞)>


NO.1379 【ビートルズ初来日から50年 各社コラム①】 河北新報 秋田魁新報 上毛新聞 静岡新聞 京都新聞(47ニュース)<起稿 磯津千由紀>(16/06/29)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/29 (Wed) 21:53

 こんばんは。


 私は小学校低学年でしたから興味もなく覚えてませんが、シバケン様などの世代は鮮明に覚えてるのではないでしょうか。
 尤も、日本で「ロックンロール」が市民権を得たのは十~廿年後ですから、当時は興味のない方も多かったでしょうが。


> 【河北新報】<河北春秋>
> ■過去から今を見つめ直す 

> 節目の年というのは、やはり大切だ。過去から今を見つめ直すことだから。若者向け雑誌『ポパイ』が今月、創刊40年を迎えた。新刊に、復刻した創刊号が付録として付いていた。特集は米カリフォルニア。ジョギングやスケートボードが紹介されている▼巻末に、英語で米大使館協力とある。1976年。ベトナム戦争終結の翌年である。米側に、日本の若者の反米感情を親米に転じさせたいという意図があったのではと、元編集者の椎根和(やまと)さんが『popeye物語』に書いている。当時は思ってもみなかったが▼きょうはビートルズの初来日から50年。特集や特番が、雑誌やテレビをにぎわせている。66年。高度成長期ではあったが、まだ戦後が色濃く残っていた。………(2016年6月29日)


> 【秋田魁新報】<北斗星>
> ■「粋な計らいでした」 

> 50年前、県警本部はビートルズの初来日を前に「多数の熱狂的なファンがやみくもに上京する恐れあり」として、青少年の家出に注意するよう県内各警察署に通達した

> ▼入場券がないまま出掛けても会場の警備が厳重なので姿を垣間見ることすらできない、入場券を世話すると言い寄って金品をだまし取ろうとする者がいる、婦女を誘惑する者も多い―などの参考情報を添えた

> ▼ビートルズは1966(昭和41)年6月29日に来日、翌30日から7月2日まで東京・九段の日本武道館で5回の公演を行った。案の定、ひと目見ようと入場券を持たずに地方から上京し、補導される未成年者が相次いだ

> ▼湯沢市の高校では女子生徒が、武道館に行きたいので休ませてほしいと学校に申し出た。ビートルズといえば不良の代名詞。校則にも反する。だが申し出たのは成績優秀で誰もが認める聡明な生徒だった。校長は目をつぶって欠席を認めたという………(2016年6月29日)


> 【上毛新聞】<三山春秋>
> ■若い頃に覚えた歌は忘れない 

> ▼高校時代の仲間が集まると、2次会のカラオケでザ・ワイルドワンズの「想い出の渚(おもいでのなぎさ)」がよく歌われる。若い頃に覚えた歌は忘れない。仲間の誰かが歌い始めると、他の何人かが口ずさむ

> ▼この歌は50年前の1966年11月に発売された。この頃から日本ではグループ・サウンズ(GS)が大流行、ザ・タイガースやザ・スパイダース、ブルー・コメッツなどがヒット曲を競った。「想い出の…」もそうした一曲だ

> ▼日本のGSブームに火をつけたのは、英国はリバプール出身の4人組、ザ・ビートルズ。彼らは66年6月29日に初めて来日し、翌30日から7月2日まで日本武道館で5公演をこなした

> ▼それまで歌は作曲家や作詞家といった専門家が手がけるのが主流だった。62年にデビューした彼らは自ら楽曲を作り、自ら歌い、自ら演奏するスタイルで母国のみならず、全米のヒットチャートを席巻。日本でも熱狂的なファンが来日を切望していた ………(2016年6月29日)


> 【静岡新聞】<大自在>
> ■伝統的武道の聖地での公演には批判もあった 

> ▼1位矢沢永吉さん、2位松田聖子さん、3位がエリック・クラプトンさん。1万人を優に超える観客収容能力を誇る東京・日本武道館。通算の公演回数を演奏会情報サービス会社が集計した
> ▼日本の人気歌手に続き、英国人ロックギター奏者が堂々の3傑入り。さほど意外ではない。そう思えるほど頻繁に外国人音楽家の来日公演会場として利用されている。武道館で初めて演奏会が開かれて半世紀を迎える
> ▼記念すべき初コンサートの主役は、世界を席巻していた英国人4人組ビートルズ。50年前のきょう未明に初来日し、3日間で昼夜5公演を行った。ロックが「不良の音楽」と非難されていた時代。伝統的武道の聖地での公演には批判もあった
> ▼演奏する側も「常識外れ」とみていたようだ。「無理だよ。あんなだだっ広いところで何ができるの。冗談じゃないぜ」。前座の出演依頼を受けたザ・ドリフターズのリーダー故いかりや長介さんは声を荒らげて即座に断ったという………(2016年6月29日)


> 【京都新聞】<凡語>
> ■「何をしてもいいんだ」とビートルズが教えてくれた 

> 「50年前のビートルズ来日公演、実際に見た人いますかぁ」。参加者およそ150人のほとんどが、かなり前に若者だった人たち。その中から1人が手を挙げたので、会場がどよめかないはずがない▼日曜日、京都ノートルダム女子大での来日50年記念コンサート。手を挙げた京都市西京区の小山和子さんは当時19歳。河原町二条のチケット販売所前に並び、抽選に当たる幸運に巡り合った▼「4人をいっときも見落とすまいと必死でしたよ」。高校2年の時に「抱きしめたい」で衝撃を受け、少女にはレコードは高価なので、ラジオにじっと耳を傾けてきたビートルズが、同じ空間にいる▼3日間の5回公演。5万枚のチケットに20万人以上が応募した。あの頃の中高生には東京は遠く、諦めるしかない………(2016年6月28日)

<参考=「【ビートルズ初来日から50年 各社コラム①】 河北新報 秋田魁新報 上毛新聞 静岡新聞 京都新聞」(47ニュース)」>
<消滅・18/01/19>


【シバケン】 2016/06/30 (Thu) 00:33

ハイ、
ビートルズ、来日50周年<1966年>ですので、当時、19歳<!>
鮮明に覚えてるです。


続いて、
来日してませんですが、エルブス・プレスリーの、「アロハ・フロム・ハワイ」<1973年>は衛星生放送されたです。
<注=BS放送の意では無いです。>

そんな意味でなら、初の衛星放送で、生放送されたは、ケネディ大統領、暗殺事件<1963年>


プレスリーの時には、ビデオ<レコーダー>を持ってましたので、テープに撮ったですねえ。

での、
ビートルズについては、前座が、ドリフターズでして。
びっくりしたを覚えてるです。

理由、
クレージー・キャッツなら、まだ、分かるですが、ドリフターズでは、格が違い過ぎるのではと。

での、
報道で、覚えてるは、ビートルズの、熱狂的、ファンの失神で、へえと。

<参考1=「ザ・ドリフターズ ビートルズ来日公演前座」(YouTube)>

<参考2=「The Beatlles 日本武道館公演」(YouTube)>

<参考3=「初の日米宇宙中継 大統領暗殺の悲報」(NHKアーカイブス)>
<消滅・19/03/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/30 (Thu) 00:48

 シバケン様、こんばんは。


 「衛星生放送」ではなく「衛星生中継」ですね。


> 来日してませんですが、エルブス・プレスリーの、「アロハ・フロム・ハワイ」<1973年>は衛星生放送されたです。
> プレスリーの時には、ビデオ<レコーダー>を持ってましたので、テープに撮ったですねえ。

 1973年(昭和48年)当時はまだ、家庭用ビデオテープ・デッキが発売されてなかった筈ですが。
 業務用の「Uマチック」も出ていたかどうか。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/30 (Thu) 00:56

 追伸です。


 ベータマックス(1時間)が昭和51年、VHS(2時間)が昭和52年と、記憶してるです。
 私が出たばかりのVHSデッキを買ったのが学生時代の昭和52年でしたから。約27万円。バイト代で。


【シバケン】 2016/06/30 (Thu) 01:08

オッとの、
大間違いです<汗>

>「衛星生放送」ではなく「衛星生中継」ですね。

ハイ、
それが、正解です。


そして、
録画<ビデオ>では無かったです。
単なるの、録音<音声のみ>です<大汗>。