不可思議の世界NO.32

京都・亀岡の良く当たる占い師の話

京都でよく当たる占い師は?
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不可思議NO.5 不可思議NO.10 不可思議NO.15

題目一覧表 お問い合わせ状況 三栖神社・炬火祭

目次

不可思議NO.33

NO.350 妹婿母がご挨拶に来られたの話(4) 通夜の日、帰るが最後になてもたの話

NO.349 妹婿母がご挨拶に来られたの話(3) その家、その家のやり方の話

NO.348 妹婿母がご挨拶に来られたの話(2) モ一発、13日の金曜日の真夜中の電話の話

NO.347 妹婿母がご挨拶に来られたの話(1) 13日の金曜日の真夜中の電話の話

NO.346 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(9)

NO.345 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(8)

NO.344 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(7)

NO.343 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(6)

NO.342 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(5)

NO.341 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(4)

不可思議NO.31


NO.341 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(4)

いやなあ、祭壇には、親族、会社関係の、供花<くげ、きょうか>多く。
へえと、感心するです。

親族、別として、会社関係のが、軽くの、20基。
まさかの、当人、サンジさんの関係するの会社数では無いやろと。親族一同のやろと。
基本、この手、会社のは、二親等が殆どでして。ならばの、当人の親族。息子さん、その奥様、孫。当人奥様の、兄弟姉妹等々の関係会社総出なんやろと。
その割には、親族席の人数、少なくて。まあなあ、はみ出しの、親族もいたはっての、まあ、当家、母の時のと、ええ勝負なれどです。

いやなあ、この会社関係のは、壮観でして。余所事乍らの、ええなあと。
諸般、思うの、親族総出と。されどの、サンジさんの、顔の広さ、人柄から、でして。
対して、母の時なんか、その手の無くて、弔電で、幾つや、亀岡市長、ロームのと、息子共の2社と、上の叔父の息子、我が従兄弟のとの、たたの、5通やでと。寂しいモンやでと。
その辺り、サンジさんのなんか、以下、省略ですて。会社関係の花の数あっても、20通以上で、そんなに沢山、読み上げてたら、時間掛かってまう故での、ええなあと。

そらなあ、家での、葬儀で、家の前に飾るの、供花。
名称、そと、思うですが。昔の葬儀なら、殆どが、これしてて。その家だけで無くの、両隣の宅様。だけでは、不足で、もと、沢山の、家々の前にも、飾られるがあったですが。
一々の、全部見ての、へえの、ここにも、ここにも、関係したはったんかの、その数、その中身で、概ねの、どの辺りに勤めたはったか、親族の勤め先まで、分かってねえ。
皆、ええ会社に行ったはるなあ、とかとか、申してたですが。

再度、申すの、兎に角の、故人の、顔の広さ、親族の、何ちゅうかの、そらなあ、名の通ったの、会社がええに決まってまして。聞こえが、ええしと。
数、少なかってみいの、へえの、付き合い、狭いんやなあと。親族も、勤め先、あらへんの怪の、
まさかの、1個もあらへんかったら、恰好付かんです。故人の親族、大した事、無いなあと。コレ、口にする方、あるんやでと。よて、せめてもの、親族の供花でもと。

オッとの、母の時には、祭壇の元の花を立派に致し。
担当者より、親族のなんか、勿体ないし、いらんでっせと、云われてねえ。へえの、葬儀社でのは、そんなモン哉の、確かに、余計なるの、出費、親族のや。止めるかと、そのよに、皆に申したですが。
コレ、担当者によて、云う事、違うなと。

イヤイヤ、実は、喪主たる、そこまで、考えるの余裕無く。
そらなあ、振り返れば、夜の2時過ぎに、「こもれび」から、電話一発。そこから、延々の、でして。一睡もしてへんわと。当方、その時刻、起きててねえ。
はきりと、徹夜でして。
嫁はんと、2人で、延々でして。
あれやらんならんな、これも、あれもの、親族えの、電話等々。葬儀社、セレマえの、連絡もで、そのままに、セレマ、「亀岡シティ・ホール」に、でして。諸般の打ち合わせでの。

いやなあ、サンジさん宅には、孫君さんやろ哉の、年齢的、若い故での、一緒に居たはってねえ。息子さんは、よ知らんですが。
イヤ、区長当時、度々の、宅様訪問してるです。家に上がったの事、までは、あらへんですが。そんな混み入ったの話で無くて。
諸般、孫君さんなりが、工作してくれて。とは、聞いててねえ。その孫君さんなら、見てるですが。見てるだけで、話、した事、あらへんですが。
息子さんなら、3人と。とも、聞いてるですが。サンジさんからでして。親族席のらしき方、見ても、顔知らんでねえ。まあなあ、息子さん、年齢的、50台故、当家、当方、転入した当時なら、居たはったと、思うですが。知らんなあと。
そらなあ、家には、殆ど居てませんでして。当方がや。朝出て、夜帰るのだけでして。町内会行事になら、出てるですが。サンジさんご夫婦しか、知らんわと。
オッとの、孫君さんなら、顔見てるし、承知してるですが。

でや、喪主、、長男さんでねえ。結構なると。
そらなあ、この歳なら、イヤ、長男さんがや、喪主で、結構と。

にしてもの、2階のホールで、まあ、有り体には、狭い方のホールでの。
只なの、この方がと。
そらなあの、母の時なんか、ホールが広過ぎて。弔問に来て戴いたの、人数、僅少、目立ってねえ。特には、告別式の時なんか、母方親族、下の伯父家の、長男、長女、要は、我が従兄弟妹の、2人だけ。
上の伯父家のは、通夜には、来たですが。諸般でと、あかんのやと、告別式には、来てへんでねえ。
云うたら、母方親族でして。最早の、そちの、兄弟であるの、伯父、伯母他界で、居てませんですが。オッとの、母の妹1人、存命なれどです。

ここだけの話の、当方なら、柴田家長男として、母方親族、仏事には、声掛かればの、必ずやの、万難排しの、出席してるです。
母の妹婿、叔父の葬儀のみでして。顔出しただけはの、そらなあの、当日、父方、叔父嫁の葬儀と重なったが故での、葬儀社には、行って、叔母と、従兄妹には、挨拶しの。その足で、叔父嫁の葬儀、告別式に参列でして。
要は、葬儀の梯子。

ここだけの話の、これが、家代表、長男の立場やわと。
いやなあの、母方伯父家の長男、他界してて。次男が、しかるべくの、墓、仏壇、引き継いでるですが。
そらなあの、母方従兄弟妹達にしたら、当家親族で、知ってるは、我が嫁はんだけ哉と。多分ならなと。居辛いは理解してるです。

オッとの、何の話、してるやと。
モ一発、そらなあの、サンジさんのでも、狭い方のホールで、空き席、散見も、概ね満席での。この方がええなあと。広過ぎるのホールで、人数僅少なるは、チョとなあの。されどの、最早の過ぎたるの話。

只なの、当家も直前には、葬儀出してるだけに、諸般、中身分かってもてねえ。
どしても、あやった、こやった、こした方が、あした方がと、諸般、考えてまうわと。
それでも、正直、他家の葬儀故、気楽、気楽。受付も関係しやへんしで、尚更での。オッとの、前回、同じの組の婆様のは、当方、挙手での、受付でして。頼まれての事に非ずの。
何度でも、申すの、当町内会で、一番に仲良くして戴いてたの、方の葬儀でして。
挙手したは、感謝の意でして。
(16/02/03)


NO.342 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(5)

諸般、昨日<2月3日>の、元、ワコー電器、黒君からの、電話一発。
<参考=「単なる雑談NO.139」NO.1655 黒君からの電話の話

当方の話、暗いなと。
そら、コレ、葬儀の話でして。
はたまたの、以前には、介護の話で、明るくもなと。その介護の話も、基本、過ぎてもての。
そらなあ、現在唯今、過日の、介護の事も、昔話で、懐かしくもありの、自身、そんな状態での、日々、辛いなと。ハタ迷惑故でして。されどの、してくれるが身近に居たらの話。
云うたって、最終的、避けられへんやろと。嫌やなと。自身、経験してるだけになと。そらなあ、やて無いモノには、分からんわと。

オッとの、黒君の事、云うてえへんです。
彼、明る過ぎてねえ。羨ましい程にでして。
いやなあ、彼、歩くに、工場内での話の、上履き履くですが。ペタペタ、音立ててねえ。独特の歩き方、印象深く。

でや、そんな事で、サンジさんの告別式の話なれどの、どしたモン怪と。
暗い、云われたって、しょが無いわと。
場が、場だけに、ニコニコも、してられへんし。さりとての、親族でもあらへんしで、神妙なるの顔もなと。
かと、申しの、町内会の面々、顔見たら、目合わせたら、会釈とするのか、軽くのお辞儀して。そらなあ、知らぬの顔、横向いてられへんわと。失礼千万でして。そんなの、町内会には、居てるですが。何の恨み、買おてるの怪と。思い当たるの事、あらへんですが。

そんなの、ほっといての、この場、告別式に顔出してると、するのか、参列してるは、皆、ええ方でして。その手の事、一切のあらへんでして。
そして、申してるの、基本、区長経験者でして。でも、無いの方も、当然の参列してるですが。

何故にと、なればの、区長した方なら、少なくともの、サンジさんが、健在の時には、お世話になってるわと。諸般の支援、戴いてるわと。
もしかして、もしかしたらの、当方、一番にお世話になってる鴨と。
とりあえず、物事、聞きに行くに、知恵借りるに、お役目故、職務故の、一切の、引っ掛かりも、自尊心云々もあらへんでして。

やるに、経験者に尋ねるが、一番に早く。
経験者なら、我が期、4人もの、経験者が役員で居たですが。当然の、諸般、聞きまくってるわと。陰に、陽に、手助け、支援戴いてるわと。
それでも、不足で、役員以外の、区長経験者にも、足繁くの、訪問致しの、知恵貸せ、出せと。

そらなあの、役員に聞けぬの、鬱なるの話もあるし。
餅は餅屋の、とするのか、一番に詳しいのに、尋ねの、チカラ、手を、時間を、手間暇貸せと。
そんな事、頼むに、云うに、尋ねるに、全くの遠慮してませんでして。してたら、相応の、役、勤まらんわと。
単に、自期、無難に、過ごすのダケなら、そんな事、しんでもの、ええけどや。分からんは、分からんで、出来んは、出来んで、結構なら、です。
イヤ、基本、そでも、仕方が無いの事もあるですが。

出来るの事なら、最善の法をと。
とするのか、新米区長に、適切なるの判断出来ひんわと。出来るの頃には、任期1年の、1年、終わるの頃やんかと。そら、以て、一通りの行事等々、経験積んで。積んでも、その1回なりで、オシマイでして。
諸般、諸々の、その時々には、役員であるの、区長経験者の助言、ああせえ、こせえなんか、有り難くの、拝聴の、そのよに実行致し。

もお、居たはらへんですが。
昨年かに、転出されての、多分なら、地元、峰山の方に戻られたの方なれどです。
イヤ、実際は知らんです。気が付けば、その部屋、空き部屋になっててねえと。
特段にの、当方、お役で無くの、連絡もあらへんしと。ましてやの、区長したは、2005年の事での、道端で会えば、会釈したですが。ども、先様、こちの事、忘れてもてるよでして。それでも、委細構わずの、顔見たら、会釈したですが。当方はなと。

での、町内会には、アパートあっての、住人、6軒。大体が、組長適任居てずで、ズと、延々の、その某さんでして。
当方なら、お役目故、度々のその宅様には、お邪魔したですが。上がれと、云うし、上がらせて戴き、お茶を出してもろたり、してねえ。
ンの、この事、特段にの、サンジさんに関係あらへんですが。

先様曰くに、毎回、毎回、区長たるが、直々に、来るは、当方だけですと。へえと。
それこその、当方、特段にの、区長は、区長も、その役目故に、出向いてるのダケの、積もり、なれどです。
曰くに、大体は、配りモノ程度、ポイと、ポストに入ってるのダケやでと。ンの、そでも、ええと、当方も、思てるですが。先様、アパートでの、灯りあって、ポストに投函も、そこに人影見えてたら、手渡し原則では、なかろかと、思う故でして。

それが、先様にとて、チョと、迷惑感、チラとでもの、察したらです。こんばんわの、一言、申さずの、投函のみで、去るですが。
居てるし、特段の、ご主人、まあ、上がれと。そして、諸般の、愚痴話等々、聞かされたりの、又、あんな、こんなと、不平、不満、要望事項、云われてみい。ソレ、拝聴するも、区長の役目哉と、思うしと。

変な話、デハと、適当にお暇しよと、したら、チョと待て、でして。話、あると。
よて、一声、こんばんわで、特段の、配りモノ、手渡せばの、当方の目的それでの、ハイ、さいなら、なれどの、そこで、上がれ故に、上がるだけ。
そこで、先様、峰山出身と。へえの、我が息子、長男、一時、日本電産の、峰山工場にと。されどの、峰山工場、封鎖になっての、こち、京都本社に戻ったですが。戻って、家で無くの、寮なれどと。

そえもあるし、当時、通てたの、散髪屋のお弟子さん。当家、亀岡に引っ越したの頃、居たはったの方での。
遠の昔に、地元に戻って、散髪屋してるのらしいですが。それも、地元が、峰山での。
云うたってなあ、峰山なんか、の、なんかは、失礼なれどの、息子が大学卒業しての、そもそもがの、配属先、峰山での。その赴任のための、家財、電化製品買うに、一度、嫁はん共々、行ったのだけでの、殆ど、知らんも、同然なれどです。

イヤ、それも、寮でして。
工場隣接の、でして。通勤には、楽も、隣接も、嫌やろなあと。

オッとの、そんな背景あっての、親しくの、話が出来てたですが。
曰くに、そんな具合に、話聞く、云えるのが、従前には、居てへんわと。そんな事、あらへんと、思うですが。
歴代区長、先様、峰山の住人也と、承知してるが多く。ソラ、知らんのも、居てたのけどや。

オトトの、サンジさんとは、無関係の話を何故にしてるの怪の。
話するに、無関係も、当然の、目的あったですが。ンの、忘れてもたわと。

忘れてもたついでに、無関係なるの話、も一寸の。
そのご主人、多分なら、当時で、60台。奥様、当方と、同級生。ンの、学校当然の違うのけどや。

面白いねえ。不思議やねえ。
区長当時になら、何故か、出先で、奥様とは、バタリと、会おたりしたですが。数度は、スーパーで、数度は、町内会界隈で。

面白いねえ。不思議やねえの、意なるは、区長お役目ご免で、会わんよになて。
結果、10年を経ての、昨年には、先様、アパート付近で、ご主人様とは、数度、顔合わせの、会釈、こちは、してるですが。忘れてしもて、られて、もての、感での。
その頃、直後に、先様転出でして。
(16/02/05)


NO.343 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(6)

ンの、マの、その方、アパートの方の事なれどの。
そらなあ、こちから、ドア越しに、人影見えるは、反対には、中からも、こちの影、見えてるわと。
ポスト云うたって、ドアに取り付けので、配りモノ、突っ込むも、中から、見えてるわと。見てたらの話なれどの。それで、ハイ、サイナラでは、愛想無く。

いやなあ、このアパート、6軒でして。下に3軒、上3軒。ここ様、一階の、一番の手前でして。
長くに住まわれてたですが。
はきりと、区長故、訪問してましての、そこ様以外、全くの知らんです。
ンの、何故にそこ様に訪問かと、なればの、配りモノなるは、区長より、全組長<支部長>に組の軒数分なり、回覧なら、1部なれどの、配付致し。ここ様以外なら、一々の、こんにちは、こんばんわと、直接には、渡さんですが。
ポストは、門柱なりに設置されてるしと。一々の、ピンポンの、パンと、呼び出してたら、大変でして。

実は、基本、そのアパートについては、町内会は、町内会も、役員会に出席、遠慮されてまして。町内会行事も、遠慮でして。イヤ、参加して戴くは、熱烈の歓迎なれどの、大体が、アパートなるは、出入り頻繁。
先の通りの、住人の顔も知らんです。知ったは、お役目にての、ここ様のみ。
まあ、云うたら、準町内会の方でして。町内会の動き、「大井町」の、動きについては、連絡するの、取り決めでして。

やから、諸般、お役目の時には、訪問度々の、行けば、茶に、茶菓子出してもろて。
ンの、何故に、峰山の方が、夫婦で、ここに住んでおられるか、までは、聞いてえへんわと。聞いてるも、簡単の、まあ、云うたら、仕事で、でして。時偶と、するのか、盆、正月には、地元に戻ってられて。

での、何がため、サンジさんの葬儀の話で、この方の事に触れたか、思い出さんでねえ。
歴代区長、サンジさんには、お世話になった。支援戴いた。それと、アパートに何の関係がと。

ででの、このサンジさんの葬儀で、「不可思議の世界」に掲載の理由なるは、何度も、云うてるの、葬儀、この1期の間の、たて続けの、3人様、共通点、多分なら、当方のみが、気が付くの、分かるの、「敬老会」繋がりの、ダケ。
ほんまやでの、以外に、参加されてるの方、されたの方、知らんわと。
それも、ホンの僅かな期間、数年、数回でして。3人揃ての、参加がでして。くどいけどの、揃ても、3人が仲良くの、でもあらへんの。さりとての、くれぐれもの、仲悪いの意では無く。
サンジさんは、単独行動での、自転車で、でして。
そやからと、会場で、3人並んで、では、あらへんでして。一緒は、婆様2人で、サンジさん、別席。

そらなあ、本来的、我が町内会から、「敬老会」に参加、し難いわと。
何故かと、なればの、この地で、生まれ、育ったで無いです。延々の過ごして来たで、あらへんです。
参加者なるは、地の方、過半故、昔馴染み、同級生、同じの、町内会の方でして。

対して、我が町内会なるは、新興故、年寄り同士のお付き合い、云うてもなと。一緒に、参加しよかは、ナカナカにあらへんわと。そこまで、親しくも、したはらへんやろしと。参加したって、周辺、知らんの人、ばっかりやでと。
サンジさんなら、区長もやりの、顔も、広くなりての、知り合いも、何人かは、居たはるのやろと。
ンンの、そんな事でなら、母も、「亀楽会」と、称するの、「老人会」に入会してて。とするのか、地の方から、ゲート・ボールに誘われて。
ゲート・ボール命で、頑張っててねえ。結果的、地の方に、知り合い多く。云うたって、この近在の方なれどの。

ンの、ンンの、その他、農協からの、旅行会にも、参加してて。
まあ云うたら、性格もあっての、忽ちにしての、当地の知り合い多くなりて。
モと、云うたら、出たがりでもあるしなあ。婆様同士、息も合おたんやろと。誘いの、誘われの、「敬老会」にと。
息合わんかたら、一緒に参加もしやへんわと。

そんな事で、そもそもがの、「敬老会」に参加、そのものを、該当者、嫌がって。
そんな歳かと。年寄り扱いされるを嫌うです。当世なら、所謂の、「後期高齢者」該当でもあって。
当方、区長の立場の時には、3人様、参加してくれるは、有り難かったわと。
そらなあ、ゼロやてみい、恰好付かんです。との、考えするの、当方、異常鴨の、参加せずなら、気楽とも、云えるですが。

ましてやの、母参加で、当時には、「区長会」、全区長で、隠し芸致し。
これ、結構、恥ずかしいモンでして。親、参加故で。且つは、女装。

結果的、女装なるが、ここまでの、我が人生で、2度目でして。
一度目、高校3年時代の、学園祭での、「源氏物語」。
時経て、40年ブリに、でもなるの、女装。これは、まあ、云うたら、適当でして。簡単なるの会話を、男女のカップルで、するの、当方、女装にさせられたのダケでして。
当たり前に、挙手なんか、してへんわと。そんな趣味あらへんわと。

ンの、この辺りの、性格からは、サンジさん、至って真面目、大真面目な方なれどです。
元気な時、お若い時には、「町民大運動会」で、仮装して、応援団してたなと。
仮装云うたって、鼻付けて、丁髷の鬘被って、ンの、何の哉の、衣装着て。太鼓叩いて、扇子を振って、フレー、フレーと、、応援の音頭取ってたなと。

いやなあの、思い出したわの。
これ、暫くしてへんかったですが。我が期、当方、サンジさんにやてくれと。応援団をです。
さすれば、とあるの方に声掛けてくれと。申すが故、声掛けたですが。この歳故、ご免と。

ンンの、微かなるの、記憶辿れば、仮装までは、してへんですが。チラと、ではあれ、太鼓叩いてくれたなと。
当方なら、応援団、断られたが故、1人、旗振って、応援したですが。最早の、恥ずかしいとか、恰好付けてられへんでねえ。
後にも、先にも、多分なら、区長で、応援団したは、サンジさんと、当方くらい哉と。
こんな事、とは、当方、区長で、旗振ったなんか、覚えてるがです。1人も居てへんわと。当人でさえ、やとで、思い出したの程度でして。
サンジさんがも、多分なら、皆様、忘れてもてるです。既に、10年以上、昔の事でして。

オッとの、それでや。
サンジさんの性格、真面目、大真面目の、大人しいの方での、仮装して、太鼓叩いて、扇子振るも、常平生の、様子からは、想像も、想定も、出来んでねえ。
さりとての、「総会」では、必ずやの、発言、提案致すですが。
この発言なるが、辿々しくの、つっかえ、つっかえの、雄弁で無くの。只なの、一生懸命でねえ。

それ程に、町内会の事、誠意以ての、考えてたの方でして。
後世の区長たるも、チョとは、見習えよと。
ほんまやでの、恰好ばかりが多いんやと。誰が、とは、口にチャックで、申さんですが。
申したって、町内会の面々しか、分からんのけどや。
(16/02/06)


NO.344 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(7)

さての、この、三連発。
葬儀の話故、三連発も、ええ話で無いけどや。
「不可思議の話」と、考えるは、当方のみ鴨なれどです。どなんやろなあと。
偶々やと、云われたら、偶々でして。

イヤ、我が町内会、元々が、葬儀件数、少なくて。
ンの、こんなモン、次々出てたら、困るの事よの、相応に、皆様、その年齢に達して来てるを意味してるですが。皆様、云うたって、我々の親世代、大体が、人数少ないですが。
ソラなあ、成人した、親子で住むの家、少ないしと。

この、親子も、我々世代のが、その親と、同居が少なくて。
ンの、我々世代のが、親として、その子と、同居が、又、少なくて。
はきりと、前者のは、我が組では、当家と、該当の、2軒のみ。その2軒の親、昨年、続けて、亡くなってもた故、ゼロになったですが。
サンジさんの組なら、当人、世帯主でして。云うたって、83歳。多分なら、お孫さんが同居でして。これも、正確に非ずの、良く見掛けてた、ダケの話での、近所故、時々、爺様、サンジさん宅に来ておられてたの鴨と。

とりあえず、息子さん、3人、居たはったを、知らんかったなと。
イヤ、居たはるは、承知してるですが。3人とはなと。

我が期の頃の話の、「敬老会」。当時なら、72歳以上の、該当者、8名。
この、3人入ってるですが。残り、5名様の、内の2人。他界されてるですが。葬儀されず。オッとの、ややこしいの話になるですが。婆様1人は、余所でされたのやろかと。或いは、完全なるの、家族葬哉の、よお、覚えてえへんわと。訃報、知らんでねえ。

モ1人のは、明確の、されてませんです。
されて無い方の事情なるは、説明簡単には、ンの、するに、やり難いなと。
他家の事、余りに、ゴタゴタ、申すもなと。その上で、その爺様の、息子が、障害者でして。その宅様担当介護士の方なりが、処理されたですが。当然の、我が期、以降。
そもそもがの、伝聞的、亡くなったらしいなと。へえと。フウンと。そんな事でして。
ここだけの話でも無いの、その息子さんも、過年、2年前に亡くなったですが。介護士が処理。
これは、当方、組長の時での、経緯承知してるですが。云うとくの、我が組に非ず。

での、他の3名様なら、健在でして。
モ一発、云うたってなあ。我が町内会、約の、110軒で、我々の世代のが、親と同居、現在唯今、2軒のみ。云うてるは、世帯主が、その親と、同居がでして。
当世なら、世帯主が、高齢化してるわと。
そらなあ、家々の、構成、種々あるわと。


オッとの、何の話、してるの怪の、サンジさんとの話をやるの積もりの。
沢山あるです。
いやなあ、数えで、83歳になったはったは、考えもしてへんでねえ。
そらなあの、当方よりも、数段の年長であるは、承知してるですが。要は、当方にしたら、大先輩的感覚でして。やからと、年配者的、感覚でも無くて。この辺りの、感覚説明するに、難しいなと。

とりあえず、当方、区長職、拝命。云うたって、組からの選出の際、阿弥陀籤にて、当たってもたの、区長なれどの。
当然の、それ以前より、サンジさんとは、気楽に話は出来ててねえ。元々が、気楽、気さくな方でして。
そらなあ、サンジさんが、区長時代、そして、副区長したはった時、当方、役員でして。何の、役員かは、忘れたですが。組長<支部長>でも、やてたの哉と。或いは、体育振興会役員なり、子供会やったの哉の。よ、覚えてえへんわと。
そらなあの、1990年辺りでして。20年も、30年もの、30年もは経ってえへんのけどや。2005年に、当方、区長やるなんか、夢想だにもの。

コレ、当時、三役、輪番制で無く。
諸般、頼まれ、頼まれ、されてたです。よて、サンジさん、2年連続の、三役でして。
経緯から、申せば、区長やり、次期、三役決めるに、受け手無く。自ら、副区長、受けたの哉と。その他、役員なるは、組での輪番なり、前任者からの、依頼でして。
まあなあ、三役以外ならと。

での、サンジさんからは、諸般の役員会にて、議題についての、感想なり、意見、求められたり。こちは、右も、左もの、単なるの、役員やのにです。
ほんまやでの、区長拝命にての、区の事、行事の事、計画しの、采配振りの、分かるのけどや。単なるの、役員なんか、当時、ン十年の昔に、分かってえへんわと。
只、組長なりの立場で、思うの事、素直に、発言したですが。ソラ、意見なりを、求められるが故での。指名されへんかたら、一言も、申さんわと。中身、大して、イヤ、全然の、分かってえへんのにと。

ほんまに、ほんまやでと。
単なるの、組長に、細々、町内会の事、分かってるモンかと。と、云い切るも、変なれどの。何度でも、申すの、区長経験を以て、細々と、分かったわと。
ソレ云うたら、区長経験してるの方でも、ンの、分かってえへんなと、するが多く。

オッとの、多分ならばの、当方、子供会役員の時、サンジさん、三役のどちかでして。
実は、子供会の重要なるの役目の一つに、「大井神社」の、「秋祭り」の、子供御輿組立あって。これの、陣頭指揮、サンジさんがしてくれて。とするのか、当町内会の子供御輿は、ご立派に過ぎて。
組立方、サンジさんなり、承知してるは、極の少数でして。

こちからしたら、オンブに、抱っこ状態での。
基本、歴代区長、子供御輿については、サンジさんにと、頼みの、組立等々、お願いしてたです。
当方、区長拝命の、いの一番、サンジさん宅訪問にての、この件、子供御輿の際には、宜しく、お願いと、要請したです。

さもなくばの、役員の時、役員皆で、一緒に組立るですが。サンジさんの指揮、指示の下にの、覚えてるモンかと。
よて、この辺りの件、細々、そら、単なるの、役員時代には、知らんの事、こせえ、あするんやでと、一々の、教えてくれての、そのよに致し。
滞り無くの、区長職、執行出来たよな、モンでして。

斯くなるでの、子供御輿、秋祭りについては、全面的、サンジさんのご指導でして。
それ以外なら、我が期、4名の、区長経験者なり、それ以外の、区長経験者にも、知恵貸せ、知恵出せ、協力せよと。
当方、その手の事、躊躇無く。片っ端からでして。尋ねたり、要請したりがでして。

まあなあ、他の区長には、出来ぬの事なんやでと。精々が、子供御輿の、組立だけやろなあと。サンジさんにお願いに上がるが、でして。
その他の事で、区長経験者に、尋ねたりは、まあ、無いやろと。それだけ、賢いのか、適当か、なれどです。はきりと、申しの、新米区長で、諸般の判断、処理等々、明確に、なんか、出来るのモンかと。

そんな次第の、斯くなるでの。
サンジさんには、多くの事柄、助言賜りまして。
ンの、よ考えたら、「夏祭り」の、出し物、「おでん」の、具材の調達も、してくれやはったの哉と。
京都の、中央市場に買い出しにでして。ソラ、そこらで、買うよりは、安いしなと。

ンの、この辺りの事、失念したです。頼んで、1人で、行ってくれたか。一緒にかと、なればの、当方、中央市場に行ったの記憶無く。
基本、頼むだけで、こちは、区長たるの、くせして、任せっ放しの、一切の、動かんの筈無く。
要は、昔なら、その手の買い出しの事、までもを、協力してくれたの方でして。ソラ、区費、皆から、集めたの金故、チョとでもの、出費、少ない方がと。
(16/02/08)


NO.345 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(8)

いやなあ、サンジさんに、「夏祭り」の出し物、「おでん」の具材の買い出し、応援、頼んでませんです。
サンジさんが、区長なり、副区長されてた時、京都中央市場に買い出しに行かれたを、記憶してた、だけやったです。

サンジさんとの事、正確には、当時、掲載の、「不慣れな役員さん物語」「我輩は区長也」を、読み返せば、分かるですが。
そこまで、しんでもと。
とりあえず、サンジさんは、町内会の多くの方から、敬愛されてたです。
えらそで無く、無愛想で無く、協力求めたら、分かった、分かったと。親身に支援してくれたです。町内会の行事には、全部、顔出してたです。

そやそや、「町民運動会」で、雨が降り出したの年。チラと来て、されどの、以降の競技中止になって。この、運動会では、最後に、抽選会あって。抽選参加には、プログラムに印字された、抽選番号を抽選箱に入れるですが。
抽選で、当たった方が、その場に居たら、景品戴けるの、最高の一等賞が、自転車でして。

いやなあ、サンジさん、チラと来て、競技中止で、その一等賞当たってもてねえ。へえと。ええなあと。
イヤ、こちに来たが、自転車で、でして。どするやの、町内会の軽トラック、テントやとか、クーラーとかとか、持って来て、持ち帰るの、トラックなれどの、当たったのは、ソレに載せてもろて、自身は、乗って来たの自転車で帰ると。
その時、サンジさんと、一緒に居てて、そんな話をしたですが。

そんなサンジさんが、2、3年前より、町内会行事等々に、顔出さずになり。
とするのか、その出さずと成るの、直前の、「環境衛生」行事で、顔だけは、出してたですが。公園のベンチに座ってましての、その姿。
その当時、スーパー、マツモトのバス停で、バス待ちの、サンジさんの姿。

バス待ちねえ。どこえでも、自力、自転車で、どこえでも行くの、サンジさんが、です。バス停で、どこに行くんやろかと。
思てたですが。
風の便りにて、目が白内障、緑内障云々でと。へえと。見難く、なって、来てたですて。よて、国道沿いの、眼医者に通てたみたいで、大変やねえと。

そんな話、聞いた時辺りより、町内会の、「総会」にも、顔出さず。
それまでは、必ずや、出席して、必ずや、自身の意見などを、メモ書きで、モノ、申したですが。所謂の、町内会の、今後のための、意見でして。コレ又、当方、議長する時には、相応の中身、教えに来てくれたですが。
オッとの、そんな事、一度だけ、なれどです。
当方にしったて、そは度々の、総会議長、してませんでして。2度哉、3度やったの哉の、程度でして。

いやなあ、この町内会で、宅様に、訪問したり、訪問されたりは、余り無いです。数知れてるです。この、同じの組でさえ、訪問なり、してる、された、なるは、軒数知れてるです。
諸般の、役員拝命の、お役目の時でさえ、希やのにです。
当方なら、基本、当然の用事あれば、訪問致すですが。但しの、訪問も、玄関先やでと。家にまで、上がる、上がらせて戴いたの宅様なるは、何軒やろねえ。4軒やろかと。この組、14軒でして。
新興住宅街、団地なるは、そんなモンですが。
オッとの、サンジさん宅にも、家にまで、上がった事、あらへんですが。そこまで、込み入ったの話なんか、してへんと。
とも、云えるですが。

そんな、あんなと、読経の間、焼香の間にも、色々、諸々、情景去来致し。
あれは、何の時やったかも、思い出さんの情景もあっての、表現、よしやへんでねえ。
とかとか、思てるの間にも、最後のお別れで、サンジさんの姿見たですが。ンの結構、ふっくらしてて。よかったなあと。

そして、最後の喪主挨拶。長男さん、なれどの。
聞けば、晩年と、するのか、晩年やねえ。当人、一番に悔しがってたは、全盲になった事ですて。へえと、最後、全盲かと。可哀想になあと。ソラ、残念の、悔しかったやろと。
こんな、ええ人が、何でやと。

そして、当人も、こんなに沢山の方に見送って戴いてるを、どこか、から、見えぬ目で、見てると、思うですと。
そこで、喪主、ンと、声詰まらせて。さもありなんの、当方も、母の事、転けて、転けての、その度、杖が一本から、二本に云々のくだりで、思わずの。
とするよりは、重々の、覚悟の、声詰まりの、涙してもたわと。
あかんねえ、この手の事、挨拶で、言葉にしたら、マザマザの、その光景、脳裏にと、するよりは、鮮明に、目の前に、浮かんでもて。

そらなあ、サンジさんにしたって、全盲の、とは、何も見えんの意故、辛かったやろと。周囲も大変やったやろと。特には、奥様がです。
当方、想像するだに、ゾとするです。
慣れてえへんし、下手に動けば、危ないし、怖いし。何にも、出来ずの、動けずと。

そんな事で、イヨイヨの、霊柩車、当世、リンカーンなんやねえ。母の時も、そと、思うですが。全然の、見てない、気にもならずの、その次ぎの事、考えてたですが。
見送りの際、正直、ついついの、涙してもたわと。
イヤイヤ、周辺には、町内会の方での、諸般、サンジさんの事、生前の、色々、話してたら、たまらんわと。

での、そこには、O本さんご夫婦が居て。
実は、子供御輿の組立、この、O本さんが、されてると、聞いててねえ。らしいなと、申せば、ンの、ここ、2年、させて戴いてるですと。
そかと。
今期と、前期の、2回かと。ならばの、2年前から、動けんよになったんかと。
ならばの、ならばで、今期、当方、役員でも何でもあらへんですが。前期には、組長なれどの、「大井神社」の神輿に参加故、子供御輿の組立には、出てませんでしたですが。
O本さんが、しやはったんかと。
ほならの、以降、O本さんが、継承かと。

イヤ、基本、その関連の仕事したはてねえ。
そ、云うたらの話の、我が期、太鼓の撥<ばち>壊れてもての。O本さんが、撥程度ならと、町内会に、寄付して戴いて。
いやなあ、金銭、不要と。

云われたって、困るの事よと、サンジさんに、相談致しの、一緒に、O本さん宅、訪問したですが。矢っ張り、そんな大した金額と、違うし、結構でっせと。
結果の、結果、サンジさんが、そしたらなと。
まずは、撥には、O本さん寄贈と、書くと。

そして、何かの、ついでの時にでも、出先等々、お土産でも買おて。高いので、なくて結構の、気持ちや、気持ちと、差し上げたらと。ンの、そやなあと。
実はの、その年、嫁はんの親父様、当方の義理の父に相成るですが、他界してねえ。
ここだけの話、でも無いの、区長としての、行事と、重なってもての、諸般、誰様にと、とは、ここでは申さんの、代行託すに、拒否、拒否、拒否の、徹底的拒否されたりしてねえ。
大変なるの、強行日程、行事、ある程度、こなすにや。

そらなあ、区長たる、町内会代表の、顔でして。次世代のためにも、不義理出来ずの、そんな固い事、考えんでもと、するの方、当世多いけど。ソラ、義理の親父の葬儀にと、申して、拒否、拒否、拒否の、代行、徹底的拒否やしなと。
ダケで無いの、悉くの、拒否なれどです。この誰様はや。
この、一件にて、当方、我慢の限界、切れたですが。オトトの、この場で、切れたでは無いの。モ、コイツには、一切の、物事頼まんわと。するのほが、コイツの方、願ったり、叶ったりなれどです。

そんな役員、結構、多いんやでと。実際にはなと。
イヤ、後刻、マダ、その手の事、当方にするの、明確なるの、イヤガラセ故、怒鳴ったわと。
くれぐれもの、手も、足も出さずの、言葉だけの、一喝の、怒鳴りやわと。

兎に角の、用件済ますがための、ギリギリまで、京都に、留まりの。葬儀、終われば、とんぼ帰りの、ギリギリの後始末に間に合おて。コレ、「町民祭」の時でして。
云うてるは、葬儀で、四国に参りの、その時、讃岐うどんやったの哉の、お土産にと。
そらなあ、そんな事、宅様には、した事も無く。一発、嗚呼の、その、あれ、怪と、分かるで、結構なるの、素直に受け取って戴けたわと。

ソラ、宅様に渡すのための、土産モノでして。
果たしての、O本さん、その事、覚えてるかと、なればの、何分の、ヤハ、11年の昔の事やしなと。
とかも、思い出したなと。
(16/02/09)


NO.346 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(9)

<参考=「不可思議の世界NO.27NO.28」<枕元に祖母の話><夢で、京都の家の話>>

いやなあ、今更の話の、昨年、母他界以前。
<参考>のよに、<枕元に祖母がの話><夢で、京都の家の話>をば、掲載してるです。
掲載当時には、祖母と、してるですが。ソラ、母存命中の現象での、祖母としたは、そのよに感じた故で。
京都の家での、日本髪で、和服の女性も、祖母としたですが。
くどいけど、夢の中でも、覚めてからも、頭っから、祖母と、思いの、感じた故で。

おりしもの、親父の年会、25回忌の、積もり、予定してたの事もあっての。そっちの話、とも、頭っから、思たですが。
最近になて、ンの、もしかしたら、もしかしての、アレ、母が、当方に、挨拶なりに、来たので無い怪と。
特に、京都の家のでは、諸般の情景、面白いと、するは、問題なれどの、日本髪こそは、してへんですが。和装で、母、送ったです。

夢で、ケータイが出たですが。
結果的、同意書の話、ドクターから、出てからには、枕元に、ケータイ置くよになってたわと。イツ、「こもれび」から、連絡ある鴨でして。
実際には、固定電話に掛かったですが。
面白いは、その夢、当方見たですが。母を和装で、送り出すは、当方意見出してませんです。嫁はんの発案でして。

イヤ、京都の家と、なれば、当方にしたら、祖母の想い出多く。
日本髪で、和装の祖母の、現物見てへんけどや。写真でなら、若き頃のを見た故、夢の女性、祖母也と。

いやなあ、枕元のは、婆様でして。息子共誕生より、母の事を、お婆ちゃんと呼んだですが。一応は、母でして。
オトトの、云うてるは、歳喰ても、母は母での、老婆、婆様となれば、明確に、我が祖母でして。この祖母とも、当方、生まれて以来の、ズと一緒。むしろの、お婆ちゃんっ子であったわと。

ンの、何で、この話をしてるの怪のと。
最近なあ、この手の事、多々あって。何かの目的がため、掲載し出しの、掲載途上で、ンの、何故にこの話をと。

それは、それでの、そらなあ、葬儀も、喪主たるは、気忙しくの大変でして。
何度でも、申すの、母の時には、前日より、一睡もしてませんでして。ソラ、学生時代の、同窓会開催してて。帰ってからも、諸般、パソコンなりで、インターネット等々、してての、電話の時、2時過ぎには、起きてるわと。

そのままに、嫁はんと、2人して、「こもれび」にで。
そのまま、「亀岡シティ・ホール」で、打ち合わせ等々、親族に、連絡等々。家と、ホールの往復したり。
寝たは、通夜が終わっての、「亀岡シティ・ホール」の親族控え室で、でして。これも、諸般で、気、高ぶってての、まともの、熟睡には程遠くの、寝られてえへんわと。
それもあるし、諸般、ゴタゴタ、あるし。イライラしっ放しでねえ。表面的、穏やかに見えてたって、何の、何のの、苛立ってたわと。誰とは、申さんの、自身そんな気、無くともの、当方からしたらの、逆撫でするのも、居てるしと。疲れても、いるし、場が場、事が事だけに、尚更での。
それこその、喪主挨拶も考えんならんしと。

ンの、何で、こんな話をと。
オッとの、斯くなるでの、そらなあ、自家、我が家族の葬儀では、落ち着くの間もあらへんですが。殆ど、気、高ぶったのままなれどです。
そらなあ、正直申しの、この、三連発の、一番手、当家、母での。それから比べたらの。比べるも、対象、異なれどの、楽、楽、楽の、当方、当たり前の、当然の、親族でも非ずの、第三者。

二番手の、同じ組の婆様の時には、受付担当に挙手致したですが。
この程度しか、応援と、するのか、手助け出来ませんでして。云うたって、通夜、告別式の、受付故、2日間、「ホール」には、出向いたですが。式そのものは、1時間で、受付故、1時間前に集合も、高々の、2時間の、2日で、4時間でして。

当然の細々なら、往復の時間と、着替え等々、準備の時間もあるけどや。
喪主とは、親族とも、桁違うわと。

三番手、サンジさんには、大いに、お世話になったと、申せどの、組違えば、協力なんか、何も出来ずの、完全なるの、参列者で、傍観者。
単なるのは、気楽やなと。つくづくの思うです。

でや、親族なら、むしろの、ここからが、本番、とも云えて。
我々なら、お見送りを以て、解散と、するのか、用事終了。ほなら、サイナラと。気楽やなと。
さりとての、これ以上、する事もあらへんしと。

イヤ、こやって、掲載も、追悼してるですが。
申すは、葬儀も、諸般、チョと、以前までは、何とも、思てえへんと、するのか、他家の事でして。故人には、諸般の想い出あっても、ダケでして。
ところがや、母の葬儀以来、そして、こちの、年齢もあるですが。余所事とも、思えんでねえ。

意味なるは、ハキリと申しの、早晩、当方、古希でして。
古希ねえ。コレ、ここから、何年怪なと。生存がです。20年もとなればの、90代突入の。
そんな歳で、あちこちには、行けへん。喰うにしたって、沢山もは、喰えへん。若い頃のよにはなと。

モと、ハキリとは、自身の寿命、イツまでかは、神のみぞ知るの、当人、知らんわと。
まあなあ、まずは、健康である事でして。自分で、動けるの事でして。喰えるの事でして。頭、呆けんの事でして。
云うたってなあ、矢っ張り、精々が、70代までやろと。80代ともなればの、この世に居たって、何か、ええ事、あるの怪と。
オッとの、くどいけどの、生きててこその、何か、あるですが。何かあっても、身不自由になって、ど哉と。

いやなあ、サンジさん、晩年、全盲となりての、悔しがってたと。喪主挨拶にて、長男さん、申したですが。ンの、そやろなあと。
若い頃なら、全盲も、或る程度、克服も出来るですが。80代ともなって、克服するは、相当なると。
そらなあ、自身の余命と、体力、気力のバランス、天秤、可能性でして。

全盲だけで無くの、それ以外の、身体上不都合あったよで。
只、全盲になったがと。最大の辛かったと。喪主の話、ならでして。只なの、辛いは、当人だけで無くの、サンジさんの、奥様やろと。やろで無くの、奥様也でして。
そ云う事になったら、当人は、勿論の、家族も、大変なんやと。
自身、思えば、嫌やなと。

言葉上でなら、何とか成る故、全盲でも、頑張れ、リハビリせよと、相成るですが。
歳喰てからの不具、耐えられるの怪と。耐えるも、耐えられんも、死ぬまで、耐えな仕方が無いけどや。残酷やなと。
当方なら、どするやの。どするも、こするも、死ぬまで、耐えな仕方が無いけどや。嫌やなと。

そら、諸般、こちは、経験してるわと。ハタも大変やでと。
それも、ハタが若けりゃ、マダ、結構なるも、それも、当人加齢で、ハタも相応にの、奥様にしたって、何歳やと。
似たよな、歳やろと。体力、保たんわと。
ソラなあ、健康なればの、こその、長寿結構も、方々不具合出て来てみい。不具合も、耐えられると、耐え難いもあるわと。
(16/02/10)


NO.347 妹婿母がご挨拶に来られたの話(1) 13日の金曜日の真夜中の電話の話

超の簡単に。
イヤ、過日、5月12日<木曜日>の。とするのか、実際には、日付、替わっての、13日の金曜日。
モ一発、申すの、13日の金曜日。
時は、真夜中、1時か、2時頃。
電話、固定電話が、リンリンと、鳴りましての。ンの、こんな時間、真夜中の電話なるは、余り、良い気は致しませんの。瞬時、頭過ぎったは、妹婿母の訃報。

がしかしの、呼び鈴も、出るも、出んもの、一度、二度で、終わってもて。
ンの、間違い電話か。酔っぱらい怪と。こんな時間に、迷惑やなと。
での、よ、考えたら、妹家からの電話なら、ケータイに、でして。固定電話には、あらへんなと。矢っ張り、酔っぱらい怪なと。
思たです。

ででの、明くるの本日、14日<土曜日>の朝一番、何時頃怪の、8時頃やろかの、嫁はんのケータイに、妹より、訃報。婿母がと。
本日、2時頃にと。
詳細、追って、連絡すると。へえと。

結果、10時頃に妹から、嫁はんに、ケータイで、通夜、本日、19時。場所は、深草の云々でと。左様かと。
告別式なるは、明日、14時からと、連絡あっての、急遽と、するのか、嫁はんより、息子共にその件伝え。どするやと。
どするも、こするも、土曜日、通夜で。日曜日、告別式での、当方、夫婦なら、立場上、両方、参列致すですが。息子共なら、通夜なりで、結構哉と。
での、急遽の、長男、神戸より、こちにと、来るに成って。葬儀会館えの、道中故、次男を迎えにの、その足で、会館えと。

斯くなるでの、通夜は、当家より、4人、参列しの。明日は、我々夫婦での参列と、決めて。
長男なら、15時頃、当家に到着。16時半頃、出発の、家出るかと。17時には、次男を迎えの。結果的、18時には、葬儀会館に到着。
イヤ、当方、到着、2番手でねえ。イヤイヤ、1番手の、よお、知らんの、婿家の親族1人の婆様、会館に来て居られ。
当然の、妹家の面々、婿殿、甥達、居てるですが。
オッとの、何ちゅうかの、婿殿の妹一家<4人>も来てまして。結果、当方、3番手哉と。

イヤ、この婿妹なるは、ン十年の昔、多分なら、30年哉の昔。出雲大神宮にて、ばたりと、会おてるです。以来でして。
イヤイヤ、申せば、妹結婚したの当時、婿殿の実家。結婚して、1年は、親元で、同居してたが故、何度も、実家でなら、会おてるですが。

以来の、久しぶりに会おて、替わらんなと。イヤ、事実でして。当方から、したらの話なれどの。そらなあ、30年来なら、当時より、30歳、歳喰てるですが。一発、嗚呼、妹さんやなと、分かったです。
実際には、年賀状のみなれどの、交換してまして。ご主人様とは、初での、同様にしての、年賀状のみですがと。名前なら、承知してまして。

とかとか、挨拶なるは、その程度での。
まずは、顔見たいと。婿母の、でして。祭壇に飾られた、婿母見たら、まあ、綺麗な顔でねえ。

の、程度で、此度は、止めに致すです。
正直、草臥れたです。
そらなあ、沢山の親族、集まりまして。されどの、当方、婿殿の親族なるは、殆ど、知らんです。強いてなら、姪一家と、姪婿のご両親まで、でして。
その他、婿母の兄弟姉妹なり、婿父の、兄弟姉妹なるは、分からんわと。

加えての、当家の位置付けが、よお分からんでねえ。
分からん以前の、故人、婿母とは、血縁で無くの、姻戚でして。単に、婿殿嫁の兄の立場での。とりあえずは、末席で、静かにしてたら、宜しいですが。
再度の、兎に角、草臥れたわと。
(16/05/15)


NO.348 妹婿母がご挨拶に来られたの話(2) モ一発、13日の金曜日の真夜中の電話の話

さての、実質的、5月13日<金曜日>、夜の1時、2時。
電話の呼び鈴、リンリンの、2度で、切れたですが。こんな真夜中に、迷惑な話やな。
で、終わったですが。
これは、嫁はんも、知ってまして。明くるの朝、13日の金曜日なれどの、電話あったなと。あって、出るに、スグにも切れたなと。迷惑な話やなと。
その、更なるの、明くるの、14日の朝、妹より、嫁はんに、ケータイで、当日、2時、婿母、亡くなったと。へえと。

そもそもがの、そんな真夜中に電話なんか、早々にあらへんわと。
前回、イツかと、なればの、それこそのの、昨年、6月8日の、2時過ぎでの。これは、リハビリ・センターの看護師からの、母の件での、息が薄くなったの報。
「こもれび」には、固定電話と、ケータイの両方、知らせてるですが。概ね、固定電話に掛かって来てまして。

この当時には、固定電話なり、ケータイの呼び鈴、リンリンなり、着メロ鳴れば、ギクリの日々やったですが。真夜中、2時過ぎともなればの。加えての、「こもれび」の方、それも、看護師からの電話なら、一発、用件、推察するです。
そして、この、5月13日の、1時、2時のも、瞬時なら、ンの、婿母の事哉と。されどの、スグにも、切れたし、こんな時間に、迷惑なるの、酔っぱらい怪と。

まあねえ、人に寄りの、偶々の、偶々の、偶然のと。
フウンの、そかと、もしかしたらなと、知らせ哉と、思うの方も、あるやろしと。
当方なら、掛かったの時には、記載のとおりの、瞬時には、ンの、婿母のと。切れてもての、間違い電話と、解釈致したですが。その明くるの、14日の、土曜日の、報により、再度の、ンンと。

この件、13日の金曜日のは、掲載迷いつつの、止めたですが。
そらなあ、酔っぱらいの、間違い電話の話なんか、掲載してもなと。瞬時の、婿母のと、思いつつも、です。

イヤ、当方には、この手の事、時々あると、申してるです。特段の、霊感なんか、皆目のあらへんのけどや。あったら、怖いわと。
只なの、母の時にも、その以前より、諸般の夢か、現<うつつ>かの。おっとの、現なら、怖いけどや。
寝てるの枕元に、祖母が座ってたり。ンの、その時には、祖母がと、思たですが。あくまでも、そのよな、気配、感じたの意なれどです。
その後日、これ、夢の中での話の、仏光寺の家で、寝てたらの、この寝るも、当方、天蓋付きのベッドでね。仏光寺の家では、ベッドでなんかで、寝てへんし。天蓋付きのなんか、トンでもの、なれどの、夢やしなと。見たは、日本髪で、和服の女性、これも、祖母と、感じてたですが。くどい、くどいけどの、夢の中での、話やでの、何やら、恐怖に襲われの、ケータイを探すの自分が居たですが。
そのケータイが取れへんでねえ。まあ云うたら、夢の中での、金縛り状態。

イヤ、実際の金縛りに遭遇に非ずの、自身のカラダにチカラが入らんで。腕が、上がらずの、身動き出来ずがため、ケータイが取れませんでして。これを、金縛りと、するは出来ずの、そらなあ、金縛りは、カラダにチカラは入るものの、凄いチカラで、抑え付けられるの感覚かと。この時のは、抑え付けなんか、されてませんでして。
とかは、くれぐれもの、夢の中の話やでと。
つらつら、考えるに、夢のは、祖母がと、解釈してたですが。もしかしての、母怪なと。云うたら、挨拶に来たと。

此度、真夜中の電話の、リンなら、即の、婿母、当方、当家に挨拶に、怪なの。そんな筈はのと。
そらなあ、血縁に非ずの、姻戚でして。
とは、思うけれどの、事実は事実。


さての、いやなあの、過日の、3月の13日<日曜日>には、婿母入院先の、病院には、見舞いに行ってまして。
あえて、リンク致さんの、「単なる雑談NO.142、NO.143、NO.144、NO.145」の、「見舞いの話」として、掲載してるですが。
とりあえずは、元気、元気でね。

表現、難しいけれどの、その時には、保って、3月中哉、みたいに、聞いてたですが。
見た限りは、とても、とてもの、3月中とは、信じ硬くの、もしかしたらの、半年はの、元気でして。
結果的、半年とは、保たずの、2箇月かと。

にしてもの、人生、ツマランなと。
頭がある程度、働き、自由に動けるの範囲の、健康で。
これは、思えば、どこえでも、自力で、行けるを意味するですが。少々の、資金力あってと。ならばの、歳喰ても、人間として、楽しいけどや。
自力で動ける程に、行動出来ず。頭は、少々の呆け出して。呆けんでもや、資金力無く、自由が効かんでは、人間として、何が楽しいの怪の、死を待つだけと、違うの怪と。

いやなあ、このところ、幾つもの、死を見てまして。その半生、までもは、知らんでもの、全くの知らんでも無いの方々でして。
そらなあ、人間、誰しもの、内面と、外面、違うですが。内も、外も、一緒は、まあ、居てへんわと。
されどの、概ねの事なら、分かるわと。分かってるの積もりなれどです。

ンの、当方にしたって、原則、外と、内とは、違うやろと。外面良くて、内面悪いの怪と、なればの、基本、左程の差、あらへんわと。差あっても、大きな違いはあらへんと、自分では思てるわと。
されどの、家に帰れば、ホと致し。自分の城での、当然での。かと、申しの、余所様を騙したり、自分だけがよければ、それで良しの、類の人間ではあらへんわと。自負してるです。


オッとの、何の話、してるの怪の。
さての、通夜の日、19時から、なれどの、1時間早くに到着。
それで、結構での、遅刻はあかんわと。まずは、親族控え室にで、顔出して。そこには、婿殿妹夫婦が居てましての、ン十年ブリなれどの、一発、それと、分かってね。妹婿殿なら、初なれどです。
久しぶりやねと、言葉を交わしの、さての、祭壇の婿母のお姿見たいと、申し述べ。ンの誰に云うたか、多分なら、妹一家が祭壇の方に居たの哉の、この辺りの細々、忘れたですが。

婿殿、棺の、顔の辺りの、窓開けてくれて。
ほんとにねえ、過日、2箇月前の、3月の時には、元気、元気で、饒舌で、色んな話をして戴いたですが。フウンの、死ねば、何も話せずの、動かずの、単なるの、遺体、物体でして。
生命とは、摩訶不思議なモンやなと。

イヤ、以て、先刻の話、13日、金曜日と。までの、詳しくは、申してませんですが。昨日の夜、1時、2時頃の、電話の話を致したです。
イヤイヤ、当家に挨拶に来やはったでと。
長男には、家に着いた時。出るの前に。
次男には、長男の車で、長岡京のマンションに迎えにの、同乗してからでして。

での、各々、どんな具合に受け取ったか、までは、知らんわと。
嘘、作り話也と、までは、思てえへんと、思うのけどや。さりとて、根堀の、葉堀の質問もされてませんの。
されたって、事実は、それで、全てでの。
するにしたって、母の時にはなの、話をするだけでして。質問なんか、されてえへんし。ダケで、終わってもたわと。
つまらんなと。
(16/05/17)


NO.349 妹婿母がご挨拶に来られたの話(3) その家、その家のやり方の話

そらねえ、まずは、自宅と、葬儀会館で。
葬儀会館も、場所とするのか、会館により、大夫、違うですが。
場所、会館一緒も、担当者で、葬儀のやり方、微妙に異なるですが。
よて、此度、葬儀も、ここのやり方での。一々の違いなんかは、掲載致さんの、単に、事実のみをと。

での、此度、深草の、洛王セレモニー・ホールでして。
24号線<竹田街道>沿いにあっての、当たり前の、初でして。
通夜には、長男の車で、運転で。概ねの場所、分かったですが。分かっても、当方、郊外からの、道順、よお、分からんでねえ。
イヤ、京都市内から、国道24号線に、入るの法なら、分かるですが。中心部避けての、道順、さっぱりでして。

長男のなら、カー・ナビゲーション装備での。我が愛車、カローラには、その手、文明の利器、備えてませんでして。携帯のなら、貰い物のが、あるですが。京都で、そこまで、準備せずともの、地図検索で、道順程度、分かるわと。
分かっても、大体が、郊外の、地名、道の名がなと。景観がなと。それも、年々の景観、替わってもての、困るの事よの、そち方面、24号線も、その昔には、槇島在住での、7年間は、よお、車で走ってたですが。
それも、亀岡に転居で、三十有余年やでと。

オッとの、そんな事で、通夜には、当家、4人で、参列での。
1時間もの前に到着の。
そら、周辺の様子、交通状況も、分からんが故の、遅刻せぬよに、万全の体制でして。早くに着いて、そこらで、時間潰してるの方がと。
妹家の面々には、挨拶も致しの、棺の婿母にも、面会致しの、我々、会館内に居てもなと。道中、会館の手前に、マクドナルドを見たし。Web地図でも、それを、一応の目安にしてたですが。
ではと、時間潰しに、マクドナルドえと。

まあねえ、一番に大変は、喪主。強いてならばの、喪主夫婦。
故人の家族なるは、相応に大変なれどです。
次ぎ、親族、姻族での。一般なるは、一番に気楽。
一般なら、葬儀にさえ、間に合えばで、概ねの、法要、1時間の、あとは、サイナラでして。
家族、親族、姻族なるは、住職によるの、法要済んで、故人を偲びの、喪主の振る舞いに参加での。まあねえ、これが、ホントの、通夜なれどです。本来的、夜を徹しの、故人を偲び、そのソバで、親族なりが、語り明かすですが。

ここで、親族、姻族なりは、立場上、喪主の指示なりに、従うが原則での。姻族は特に、難しく。基本、大人しくしてたらと。
婿家、親族も、よお、分からんしで、マクドナルドで、半時の時間潰ししての、葬儀会館に戻り。戻っても、マダ、時間あるですが。受付には、ンの、妹家の長男君がで、嫁はんに、記帳を頼み。
これも、少々、気を使たわと。我々、到着、1番手グループでの。着けば、会館担当者が、記帳をと、促したですが。ダアレも記帳して無いのに、筆頭に記載もなと。
所謂の、一般なら、構わんのけどや。

イヤイヤ、戻った時には、沢山の参列者が、居たはって。
ンの、妹の娘、姪の婿殿の、ご両親も居たはって。軽くの会釈、挨拶致し。
いやねえ、このご両親、当家、母の葬儀、通夜にも、参列して下さり。へえと、感心したですが。更には、四十九日の、お供養までもを、姪に託されて。

の程度のご両親故、此度、息子の嫁の、祖母でして。参列されるは、予測してたですが。
ンの、そ云うたら、当家、母も、息子の嫁の、祖母やなと。今更乍らの、成る程なと。父方か、母方かの、違いだけなんやと。
当方、当家からしたらの、姪は、姓異なるの、他家の娘で、その婿母なるは、感覚的、遠いの存在なれどです。
ンンの、そ云うたら、参列までは、されてませんですが。次男結婚式の時には、姪の子を預かるがため、結婚披露宴の場、「都ホテル」に、来られてたなと。

さての、我々、どこに席をの、祭壇に向かって、右手、親族席は、チョと遠慮して。左手、一般席なれどの、一般でもあらへんですが。そちの方が無難やろと。
ンの、姪婿ご両親なるは、親族席、最後尾に、席を取られたですが。事程左様の、姻族なるは、席も、どするやの、難しいわと。

そんな事で、住職到着の、入場の、法要始まりの。
概ねの、40分で、終わったですが。
住職退場されてから、参列者によるの、故人えのお別れのと、するのか、花などを、棺に添えるの儀式がと。
これ、此度、初での、前例、知らんですが。オッとの、やからの、どの、こので無いわと。息子共なら、明日の、告別式には、参列せぬ故、この方が、良かったなと。お別れが出来てと。

オッとの、そんな事で、息子共なら、明日、告別式には、参列せぬ故、喪主を初めの、妹家の面々には、当人より、その旨、伝えとけと。礼儀やしと。
イヤ、しかるべくの、喪主を初めの、そのよに、伝えまして。
そらなあ、明日、告別式にも、参列なら、別段にの。されどの、せぬなら、そのよにと。我々、夫婦なら、当然の参列致すですが。
当然も、姻族故、少々の悩むのけどや。
何分の、故人なるは、妹の義理母での、当方、故人との、血の繋がり無くともの、その兄夫婦故の。

その他諸々には、原則、妹婿殿であるの、喪主の意向に従うの、のみと。
反面、当家、昨年、6月、母の葬儀出した故、諸般、問われたならばの、当方の場合、或いは、考えなら、述べるですが。あくまでもの、参考としてでして。
そらなあ、妹婿家には、婿家の考え、方針あるが故、そちが最優先やわと。
(16/05/18)


NO.350 妹婿母がご挨拶に来られたの話(4) 通夜の日、帰るが最後になてもたの話

昔には、葬儀会館なんか、あらへんし。原則、皆、自宅。
そらなあ、自宅では、諸般の理由あるの場合、菩提寺なりで、執り行うですが。

自宅でなら、家の外、両隣の軒下に、花がズラリと並びまして。両隣で、足らんなら、更に、その隣えと、飾られましての、隣近所には、お手数とするのか、支援して戴きまして。
その花には、何々家とか、会社名とか、記載されてましての。要は、その花を出してるの名を見れば、故人の、親族の多さ、お付き合いの広さを物語ってたですが。

それを、云い出せば、お商売されてるの宅様なら、花一杯で、豪華絢爛。
会社勤めなら、その会社なり、親族の会社からも、花が提供されるですが。
家には、祭壇が設けられ、そこにも、花で、親族のが、飾られてましての、そらなあ、見るです。見て、多いと、豪華に見えるし。少ないと、正直、貧相でして。

これは、その昔の自宅での場合でして。
当世、大抵ならばの、葬儀会館。
葬儀会館も、数知れずの、出向いてるですが。当然の、家の外に飾るの花は省略されて。祭壇に飾るの花になるですが。これはなあ、沢山あっても、なくともの、左程に思わんわと。当方はなと。

されどの、多けりゃ、多い程に、華やかに、豪華に見えるは事実。
只なの、昔の、家の軒下に立て掛けられたの、花に比べたら、迫力無く、見栄えせず。
これも又、担当者により、沢山にと、するのがあれば、いらん、いらんと、する方もと。どちが、正解かは、喪主の判断哉と。

オッとの、申してるは、葬儀も、経験での。
冷静に、申すの、数多く、見聞するが、よかろうと。自身が、喪主なりに、なるの際の、大いなるの参考になるわと。
なっても、イザの、その時には、当事者での。当事者とは、自身の親族の葬儀での。まあなあ、親なら、順当なれどです。喪主の大変さなら、分かるわと。

それとや、当世の、葬儀会館でなら、自宅の場合の、倍程の金掛かると違う怪と。
そらなあ、会館でなら、頭っから、会館を借りるの費用いるわと。
只なの、されどの、自宅でなら、近在、両隣等々に協力求めねばならず。昔なら、お互い様の、互助の精神旺盛なれどの、当世、ど哉と。イヤ、頼めば、事が、事だけに、快諾されるですが。
モ一発、只なの、家人が大変でして。親族もや。豪邸なら、イザ、知らずの、そこらの家では、夜伽するにも、横になれるの場所もあらへんしと。
かと、申しの、葬儀会館でも、そんな場、大してあらへんのけどや。


それでや、通夜の日の、会食では、告別式、終わってからの、山に行くの方の選定あって。
ども、当方、夫婦、行くのメンバーらしく。まあ、一切は、喪主の指示に従うですが。ほんとはなの、故人、婿母とは、血縁あらへんですが。ま、ええかと。ええも、悪いも、指示に従うのみでの。

にしてもの、婿家に親族多く。
イヤ、妹と、するのか、妹の親族なら、我々夫婦と、息子共、2人の、都合の、4名でして。
そらなあ、範囲、広げたら、モと、居てるですが。イヨイヨの、血縁、薄れるわの、元々があらへんのけどや。
要は、婿殿、ご両親の親族が多いになるのやなと。そらなあの、通夜の日の、親族参列者、40名様からでして。それだけ、ご両親の、兄弟姉妹が多いになるですが。
ならばの、本来的、そちの方が、山行きとするのか、骨拾いにと、思うのけどや。再度の、ま、ええかと。

でや、会食も、相応の時間経ったし、時刻も、遅いしなと。そらなあ、最早の、22時でして。通夜開始が、19時故、そんなモンなれどの。ボチボチの、お暇するかと、思てたの矢先、嫁はん、小用と。
行ってるの間にも、皆様、ボチボチのと、立ち上がり出してね。そら、時刻も、時刻の、22時でして。

云うてるは、我々、姻族、姻戚なるは、立場、微妙での。
本来的、末席故、早々に、お暇するの立場也と、理解してるですが。よて、ボチボチの、喪主を初めと致しの、親族の皆様には、お暇致しますの、挨拶なり、致しましてと、思てたのに、先越されてもてね。
コマツタなと。

イヤ、親族の皆様、口々に、デハと、挨拶されての、こちは、嫁はん、小用での、戻るまで、ハイ、さいならと。とも、出来ず。
結局は、見送るの立場みたいに、なてもてね。見送られるの立場やのにと。云うたって、思たって、嫁はん、ほっといてはなと。
とか、思てるの間にも、現れたですが。
これも、皆様、席立ち出したら、一斉やしなと。ホボの、見送ったところで、喪主をはじめの、妹家の面々には、デハと、失礼致しますと。ほならの、妹、申すの、明日、14時やしなと。ンの、承知してると。

にしてもの、14時から、告別式ねえ。
これで、1時間で、火葬場、東山の方なれどの、行くに、半時。あちらは、やや、距離あっての、待ってんならんの。これが、1時間半から、2時間での。それから、骨拾いで、半時掛けて、戻りの、初七日の法要での、会席怪と。
ンの、概ね、会席なるは、19時なら、早くて、20時には、成るやろなと。そこから、概ねの、2時間での、解散、22時頃哉と。

イヤイヤ、告別式、14時からの、原因、住職が、当日、午前、お骨収めがあるのらしく。
先客優先、当然でして。
(16/05/20)