シバケンの天国
パソコン大魔神

奥の院NO.2

奥の院NO.1

奥の院NO.3


新春講座U

PD−34 国営マルチ商法

PD−33 謎の国”北朝鮮”の歴史的背景

PD−32 防衛論議の忘れ物

PD−31 消費の低迷が不景気の原因なのか

PD−30 大都会のタマちゃん

PD−29 道路問題を社会学的な側面から考えよう

PD−28 公務員問題の遺伝子的考察


新春講座T

PD−27 火だるまのエネルギー業界

PD−26 銀行よ!さらば!(後編)

PD−25 銀行よ!さらば!(前編)

PD−24 どうした!労働組合

PD−23 戦いのススメ


秋の夕暮れに想う

PD−22 アフガニスタンに吹く秋風

PD−21 ニューヨークに吹く秋風

奥の院NO.1


秋の夕暮れに想う


PD−21 ニューヨークに吹く秋風

「パソコン大魔神の夏期講座」に引き続き「秋」に因んだ寂しい話を思いつきで掲載させて頂きます。”秋の夜長”をこれからの寂しい話を参考に、色々考えて見て下さい。

9月11日に世界中が唖然としてしまった”あの事件”について色々な方面の方々から「パソコン大魔神のコメントが欲しい」と言うリクエストを頂戴していたのですが、余りに衝撃的な事件であったため、下手な事を言うと命を狙われる危険も有り、また詳細な情報も事がコトだけに信用出来ず。あえてコメントを差し控えておりました。
しかし、”あの事件”の真相は闇の中でも世間の状況は徐々に見えて来ましたので、マスコミ報道とは異なる視点からのお話をさせて頂きます。

--- ニューヨークに吹く秋風 ----

事件から3週間が経ち、不眠不休で瓦礫の撤去と行方不明者の捜索が行われていますが、地下まで崩れ落ちた膨大な瓦礫を取り除くのに一年かかるとの事。しかし、ビルが倒壊したのはビルの構造上の問題で、そこまで「ウサマ・ビンラディン」を敵として狙うのはいささか疑問が有るのでは無いでしょうか。確かに、一般乗客までも巻き添えにして実行したテロ行為は許せるものでは有りませんが、あのビルが完璧に倒壊するとまでは予想しなかったハズです。従って、厳密に考えれば4機の旅客機の乗員・乗客と実際に突入した階に居て犠牲になられた方は”テロの犠牲者”ですが、ビルが倒壊して亡くなられたり、行方不明になられた方は事故です。どうも、現在のマスコミ報道や米国の政府関係の話は、ミソもクソも一緒にしているような感じがします。
勿論、原因は大型の航空機が体当たりすると言う”想定外”の行為が原因ですので、無理に線を引く必要は有りません。どのように考えるかは個人の自由ですが、マスコミにそのような論調が無いのが不思議です。

不思議と言えば、何故あれほどの日本企業があのビルに事務所を構えていたのかと言う事もマスコミの論調から見事に抜けています。今はもっぱら、自衛隊の海外派兵(後方支援という口実の)問題や、アフガン情勢ばかりがニュースになっていますが、肝心な”現場”の話が飛んでしまっています。国会でどう言う議論が行われようと、時限立法と称するドサクサ紛れの憲法改正をしようと、国際社会からの認識は日本がアメリカ軍の重要な軍事的拠点で有るという事実です。自衛隊が行こうが行くまいが、他国から見ればアメリカの基地です。もし、テロ攻撃を受けるとすれば日本は非常に優先順位の高い位置に居る事を認識する必要が有ります。つまり、自衛隊の問題はあまり意味が無いという事です。(どうも、このドサクサを利用すると言う作意が感じられます)

さて、話が若干逸れましたが、何故ニューヨークに日本の金融機関が大勢居たかと言う問題です。現在、不幸にも24名の日本人が死亡または行方不明となっていると発表されていますが、現地法人に勤務していた日本人も含めると100名近くになります。更に、日本企業に採用されていた外国人に付いては数百人が行方不明になっているという話も有り、この点については正確な情報が有りません。少なくともアメリカ国籍であれメキシコ国籍であれ、日本企業に採用された方々は日本人と同列に扱うべきだと思います。

この大勢の日本企業に採用された方々が、一体ニューヨークで何をしていたのかと言う事が見えません。私の個人的な見解ですが、彼等はマンハッタンで”博打”をやっていたと見ています。つまり、外国為替の取引や、米国での株取引、更にはデリバティブなどの金融先物取引など、言い方は悪いのですが「賭博行為」に近いものをやっていたと考えます。これには、色々反論が有るかと思いますが、本来の銀行の役割を忘れた「出稼ぎ」をやっていた事は否定出来ないと思います。
「経済の専門家」と言われる人達にとっては当たり前の事かも判りませんが、現状の”グローバル経済”は明らかに狂っていると私は考えます。

日銀の金融政策の大きな誤りは、景気対策と称する公定歩合の引き下げで、これが長期化したために取り返しの着かない事態になっています。この長引く低金利政策によって資金が企業に回らないという事態になっている事は意外に知られていません。事の善悪は別として日本独特の”土地神話”が崩壊し、多くの企業が担保割れに陥っています。その事で、企業に対する融資が事実上不可能になっています。
日本の銀行法では担保以上の融資は「不正融資」と見なされますので、銀行としては企業に融資をすれば”手が後ろに回りかねない”事態になっています。本来であれば先に銀行法や出資法を改正するべきなのですが、財務省の「不作為」は極刑に値する行為です。

公定歩合が6%(平成2年8月)から現在(9/19時点)で0.1%であれば金融機関の収益は単純に60分の1に低下しているワケです。
これはあくまで公定歩合の話で実際に企業へ貸し出す「貸出金利」は1%程度まで低下していますので、企業に資金を供給しても金利収入は半分以下に下がっています。問題は、労働基準法の関係で金融機関の収益が低下しても銀行職員の給与を減らせない事です。私達のようなコンピュータ業界は、この10年で価格も収益も10分の1に低下しましたので給料も人員も大幅にカットされているのですが、金融業界は危機感の無さからこの10年で職員の給与が倍増しています。少なくとも年齢は全体が歳を食って行くワケで、経費は大幅に増えています。ここにも厚生労働省の「不作為」が有りますが、それ以上に金融機関の危機感の無さがここまで問題を深刻にしてしまったワケです。
その結果、バブル崩壊による不良債権問題に企業倒産による破産債権が上乗せされ、株価も低迷している事から「賭博行為」に活路を求めるしか無くなったと言う事です。

この事は、過去に起きた「住専問題」や「長銀・日債銀問題」と同じで、「住専」の場合は一般銀行が住宅ローンを始めたこと、「長銀・日債銀」は証券市場からの資金供給が増えた事と産業構造の変化が原因で、金融機関に存在意義が無くなったという事です。企業に資金を供給する役割の一般銀行が保険会社や信託銀行のような「博打」をしなければならない羽目になった事が問題です。一般銀行の経営を圧迫している問題は他にも有り、その中で無視出来ないのが「郵貯」の問題で、銀行などの民間金融機関から流れた資金が民間企業に融資出来ない”聖域”に隠されてしまった事で、これは「民業圧迫」などと言うレベルの話では有りません。私に言わせれば「民業殺戮行為」です。公共事業が凍結状態であれば「郵貯」の莫大な資金も(本当はもう無い)民間企業に回りませんので、土木建築業界が干上がるのは時間の問題です。大量に「郵貯」に移った資金が”死に金”になり、預金量の減った一般銀行はサラ金業界に融資するか「博打」に賭けるしか手が無くなった。これがニューヨークの悲劇の実態です。
第一勧銀の「オータム・ジャンボ宝くじ」が突然に飛び出すには、実は深いワケが有ったんです。
今回のテロ事件で世界中で200兆円以上の金融資産が一瞬で消え更にアメリカでは消費が大幅に減速しています。日本にとっても、ニューヨークでの博打の資金が一瞬で消え、国内の株価もドン底で「金融大恐慌」の前夜という状態になっています。銀行の中間決算が発表される時が、大恐慌の始まりとなります。(10月末頃か)

普通のマスコミの論調であればこれで終わりですが、ここで打開策まで言及するところが”無責任マスコミ”との違いです。
先ほどの「金融大恐慌」を回避する方法は、一つに戦争を始める事です。小泉首相はどうもこれを想定している可能性が有ります。
しかし、これは何の解決にもなりません。確かに金融恐慌の先送りにはなりますが、もっと大きな人的被害を被ることになります。
ただし、日本の人口を大幅に減らすという事まで考えるのであれば彼は「悪魔」ですが、100年先を考えた場合には必ずしも間違いとは言い切れません。事実、日本の国土では5,000万人しか養えませんので策としては大胆ですが、出来ればヤメて欲しい政策です。
それに代わる政策としては、国民の所得水準の大幅な引き下げ、相続税制の完全撤廃、公務員の資産を没収し公営住宅化を推進、公定歩合の引き上げ、農林漁業の振興、道州制の導入による行政機構の大幅な簡素化、特殊法人の全面撤廃、地価の凍結などの思い切った政策を実行に移す事です。ただし、これを本気でやれば日本国内で内戦になる危険性は有ります。
最終的には如何に日本の人口を段階的に減らすかという事に尽きると思います。そんな事を考えると背筋が寒くなりますが、実際「お寒い」状態だと言う事を認識する必要が有ると思います。

それでも日本には中国5千年と日本2千年の技術の積み上げが有り、世界的に見ても非常に特異な文化国家ですので滅びる事は絶対に有りません。
(01/10/02)


PD−22 アフガニスタンに吹く秋風

ニューヨーク、ワシントン、ピッツバーグでの前代未聞のテロ事件から一ヶ月が経ち、アメリカとイギリス軍がアフガニスタンの本格的な空爆が開始される中で、アメリカ国内では「炭疽菌」が郵便物で送られて各地で感染者が出るという、これもまた前代未聞の事件が起きています。いずれの場合の共通点は文明社会の盲点を突くもので、完璧に見えた高度な文明社会が意外に原始的な攻撃に弱いという脆弱性が露呈したと言うことです。

---アフガニスタンに吹く秋風---

アフガニスタンへの容赦無い空爆の映像が10年前の湾岸戦争の時と同じようにテレビの画面に流れています。しかし、あの映像を見て「綺麗だなぁ〜」と思う人は一人も居ないと思います。あれは花火大会では有りません。アメリカが「精度の高い爆撃」と言っているのが事実であれば確実にあの爆発の中で何人もの人が粉々に飛び散っているハズです。勿論、NYのITCビルが崩れて行く信じ難い映像の中でも阪神大震災の死者に匹敵する人数の人が押し潰されています。まるで自動車レースの事故の中継映像を見ているような感覚で、世界中の人達が死刑執行の映像を毎日見ています。
しかし、テレビに放映される映像に対しては私達は何も出来ません。
私達に出来ることは、そう言う事実が有ったという事を記憶に留めて死者を悼むことだけです。

それにしても、高度な文明社会と言えば高層ビル、高速道路、整然とコンピュータが並んだオフィス、スーパーマーケットなどがイメージ出来ると思いますが、高層ビルは飛行機の体当たりで一瞬で瓦礫の山と化し、高速道路は地震で簡単に崩壊し、オフィスも一瞬でゴミとなり、スーパーマーケットは大から小に至るまで次々と倒産しています。アメリカが世界中に提案して来た「文明社会」が今、音を立てて崩れています。
これに正面から抵抗しているアフガニスタンは、アメリカ流の文明社会とは程遠いものですが、アメリカの強大な軍事力を以ってしても降伏させるのは困難だと思います。アメリカの軍備は同じような文明社会に対しては効果が有っても、ガスや電気や水道も無いような相手に対しては決定的な打撃を与える事が出来ません。そうなると太平洋戦争やベトナム戦争で行ったような無差別大量殺戮しか打つ手が無くなります。
日本やベトナムの時と比べて決定的に違うのは、今は何をやっても衛星中継で世界中に配信されてしまうという事です。もし、同じような無差別攻撃をすれば、今度はアメリカ自身が墓穴を掘るという事になります。そして今、アメリカ自身は「炭疽菌」という非常に原始的な微生物の恐怖に怯えています。
これを「神の裁き」と見るか「無差別テロ」と見るかは議論の余地が有りますが、それにしても意外な盲点が有った事だけは間違い有りません。
例えそれが卑劣なテロ行為であっても、簡単に文明の利器が逆に利用されている事に注目する必要が有ります。

アフガニスタンでのアメリカの空爆映像が世界中に流れる毎に、世界中の多くの人達が「文明とは何か」という事を考えていると思います。

そんな世界の緊迫した情勢をよそに京都は観光シーズンを迎えており大勢の観光客が京都の秋を満喫しております。今年は海外旅行をヤメて飛行機を使わず新幹線で京都に来られる方が多いと内心は喜んでおります。京都には飛行場が無いというのも面白いところですが、お陰でジェット機の騒音は一切聞こえません。何が有っても墜落する心配が無い新幹線は気楽です。
京都と言えば祇園祭ですが、これは7月に終わってしまいましたので、今月は時代祭です。ちなみに、祇園祭の鉾や曳き山の飾りは大半がイスラム世界(現在のイランやアフガニスタン)からシルクロードを越えて運ばれた絨毯(じゅうたん)です。京都には何故かイスラム世界の文化がそのまま大切に保存されています。また祇園囃子も使われている楽器はペルシャやインドを起源とするものです。例えば、横笛は現在では「能管」が使われていますが、起源は中東から中国を経由して渡って来た雅楽で使う「龍笛」です。京都には多くのイスラム世界の文化が保存されております。国宝になっている多くの仏像もほとんどは日本人の顔では無く、インドやパキスタン、アフガニスタン系の顔です。そう言う角度から日本の歴史を考えると、決してアフガニスタンの問題は”対岸の火事”では無いと言う事がお判り頂けるものと思います。実は日本人の思想の中にはイスラム世界に良く似た考え方が沢山残っています。
(01/10/15)


新春講座T


PD−23 戦いのススメ

パソコン大魔神のファンの皆様に新年のお慶びを申上げます。

21世紀の幕開けは「戦」の文字に象徴されるように、テロ事件とそれに対する報復という悲しい出来事からスタートしてしまいました。これは人間の本性だと言う意見も有りますが、暴力的に解決しようとするのは弱い人間のする事で、本当の強さでは無い事は誰でも判っていることだと思います。しかし、暴力に訴えざるを得ない場合が有ることも事実ですので、そこを慎重に考えて行動しないと獣にも劣ることとなります。

--- 戦いのススメ ---

冒頭にお話した通り、問題の解決を暴力的な行動に求めるのは、”下の下”なるものです。今回のアメリカに対するテロ事件は究極の暴力行為で、これを太平洋戦争の真珠湾攻撃以来の出来事として言われますが、確かに根本的な原因については多くの類似点が有ります。実はあまり議論されていない事ですが、戦争の発端となる事件の前に、実は目には見えない原因が有ります。
それは、「経済制裁」と言う名の”村八分”状態が必ず存在する事で、今回のテロ事件にビンラディン氏やアルカイダ、タリバンなどが深く関与していたと仮定すれば、その前にアフガニスタンに対する経済制裁が根源に有ります。これと同じ事はパレスチナ、ボスニア、コソボ、イラク、北朝鮮に対しても行われています。つまり、テロと言う究極の暴力の影に必ず西欧諸国の「経済封鎖」が有ります。
これはかつて日本が受けた「経済制裁」と同じで、生きるためには最後の手段として暴力的な行動に出ざるを得なかったというジレンマが有ります。勿論、テロを正当化する気は毛頭有りませんが、そこまで追い込んでは「窮鼠猫を噛む」というコトワザ通りになると言うことです。従って、テロ攻撃を受けたから報復爆撃をするというのは”下の下の下”だという事です。今回の一連の事件でアメリカという小心者の集団が同じ土俵では絶対に戦わず、遠くからリモコンで爆撃するような姑息な手しか使わない事が判ったと思いますし、その多くの原因がアメリカ側に有った事も良く判ったと思います。
9月11日が歴史に残る事件になる事は間違い有りませんが、それがアメリカ式の覇権主義が、世界中から「ダメ」の烙印を押された記念日として後世に語られる事になる筈です。

さて、問題はこれからです。アメリカ式の「勝てば官軍」型経済原理主義が正しい方法では無い事が判った以上、これと同じ考え方の仕組みには本気で戦うことが可能になったという事です。
先ずは、「”リストラ”こそが業績回復の王道」と考えている馬鹿な経営者達、そして、「無秩序な競争原理を導入しようとしている政府」に対する戦いです。勿論、テロのような暴力的な方法は逆効果です。
取り合えず、アメリカ式経済原理主義の信奉者達の術中に填まらないように抵抗を続ける戦いです。
昨年、松下電器グループでも大幅なリストラの計画が発表され、8,000人の希望退職者募集に対して1万人もの応募が有ったという事がニュースになりましたが、これこそが馬鹿な経営者の術中に填まった典型的な例です。私自身過去に松下電器グループとは色々な取引をさせて頂きましたので言える話ですが、松下の社員の皆さんは日本IBMの社員と違って非常に優秀で真面目です。
しかし、どうしても頭の中に「天下の松下」という意識を持っています。
これが常に高い品質の製品を世に送り出して来た原動力なのですが、「松下」の看板を降ろしてしまえば”タダのオヤジ”だという立場になった経験が有りません。悪く言えば世間知らずですので「天下の松下」というプライドを捨てなければ世間では通用しません。問題はそう言う事が判らない”世間知らず”が1万人も居たという事です。

私が「戦え!」と言いたいのは、所詮サラリーマンは”餌付けされたサル”に過ぎませんので、ジャングルでは生きられません。それならオリの中で戦うべきだと言いたいのです。日本の企業は欧米の企業と違い「資本家」と「労働者」という明確な区別は有りません。しかし、法律家達の頭が悪いために「商法」では非現実的な条項がそのまま修正されずに残っています。従って、法律的には発行株式の大多数を外資系企業に買われても、それは「資本金」という勘定科目の世界の話に過ぎません。日本の企業の資産は株式だけで無く、従業員の能力も資産ですので、日産自動車やマツダのように株式を買われただけで外資に乗っ取られるのは間違いです。何故、日産自動車やマツダの労働組合は抵抗しなかったのか不思議ですが、単に労働組合の幹部達が馬鹿だっただけの事だと思います。私は会社を占拠してでも自分達の職場を守る必要が有ったと思います。外資系の企業は社員が意のままにならないと判れば簡単に株を手放します。
そこまで戦ってこそ社員だと思います。勿論、給料や労働条件は一時的に悪くなりますが、自分達が育て上げてきた会社を見す見す得体の知れない外資系の企業に買われるのを見過ごすのは、”日本人の恥じ”と心得るべきです。
(02/01/04)


PD−24 どうした!労働組合

前回の話の中に「不甲斐ない労働組合」の話が出ましたので、今回はこの件についてお話をさせて頂きます。

かつて日本の高度成長期には多くの企業で労働運動が盛んでした。
しかし、国鉄がJRに民営化されて以降「労働組合」の華々しさは無くなり”一億総中流意識”の中に埋もれて絶滅に等しい状態になっています。
もともと労働運動が盛んになったのは大正時代に民主主義思想が海外から流入し、日本の基幹産業であった石炭産業での労働条件の問題が全国的に大きくなったあたりから芽生えたのですが、それが第二次世界大戦前の急激な軍国主義化と戦後のGHQの占領政策で中断していたものが復活し、高度経済成長の時期にすべての産業に浸透し、日本が世界に自慢出来るほどの「富の公平な配分」が実現したという現実が有ります。日本の労働運動の詳しい事は専門書をお読み頂きたいのですが、その華々しい成果もバブル経済の頃には労働組合自体の存在意義が無くなり、「社会党」や「民主党(旧民社党の一派)」を見れば判る通り実に”不甲斐無い”状態になってしまいました。

いよいよヨーロッパ諸国では今年からユーロへの切り替えが始まりましたが、現在イギリスは「労働党」が政権を取っていますし、フランスもドイツも社会民主主義政党が政権を取っています。だからアメリカに対抗して一致団結したのですが、実際は「呉越同舟」という感があり、何れ将来はゴタゴタするものと思います。それに引き換え日本の社会民主勢力の不甲斐無さには目を覆うものが有りますが、実は日本の社会制度は共産主義国家並みの制度がすでに実現していて、「自民党」も「共産党」もやっている事には大差が無いんです。ここが日本民族の摩訶不思議なところで、基本的には”何でもアリの仲良し倶楽部”で、「全共闘」と「公安」だけが浮いていたという状態でした。同じように警察とヤクザに妙な信頼関係が有ったり、経団連と連合が仲良しだったり、実に平和な「ノー天気社会」だったのですが、犯罪もお金もグローバル化して、そうそう呑気では居られなくなって来ています。そこに小泉内閣がアクシデントで誕生し、共産党より過激な政策をブチ上げたためにどちらが「保守」で、どちらが「革新」かワケが判らない状態になっています。

「自治労」の問題でも明らかなように、存在意義の無くなった労働組合は存在自体が無駄なのですが、情報社会や経済社会がグローバル化しているのに労働界が未だに「江戸時代」の感覚なのには困ったことです。そこで自治労は”21世紀の地方行政のあり方”を真剣に考える必要が有ります。省庁再編の流れの中で、今後は地方分権が進むのは明らかですので、行政の主役になるという意識を持って欲しいものです。それが出来ないなら一日も早く辞めて頂かないと邪魔なだけです。
これは企業の労働組合でも同じ事で、何時までも「ベースアップ」だの「操業時間の短縮」だのと時代の流れに逆行する事を言っていては話になりません。”国際社会の中での日本の企業のあり方”を馬鹿な経営者達に代わってブチ上げる必要が有ります。これが出来るのは現場を知っている叩き上げの労働者ですので、何時までも寝ていて貰っては困ります。日本の企業がかつて「世界一」と言われ世界中から経営者が見学に来た事を忘れてはいけません。その時多くの外国企業が参考にしたのは馬鹿な経営者のやり方では無く、「労使協調」路線や「品質管理活動」だったワケで、「トヨタ」の”カンバン方式”などというデタラメな方法は実際には何処も真似をしてはいません。

最後に私ごとですが、かつて「ローム」の前身であった「東洋電具製作所」時代に、シバケンさんと私は労働運動で対立関係に有った時期が有ったんです。
勿論、私の方が過激派だったのは言うまでも有りませんが、今では逆になっています。実際に経営する立場を経験すると色々な勉強になるのは確かですが、対立するというのはお互いに真剣に考えているという事ですので、「戦うべきところでは戦う」という姿勢を忘れてはいけないと思います。
中国の古典兵法書では、「戦わずして勝つ」ことが”上の上なるもの”とされておりますが、戦わずして負けるのは”論外”なんです。
(02/01/04)


PD−25 銀行よ!さらば!(前編)

今年はいよいよ懸案のペイオフが実施されます。一般庶民には未だに何の事かサッパリ判らないのに「ペイオフ」という言葉だけが一人歩きをして「大変だ!大変だ!」と騒ぐ人もいます。その日暮らしの貧乏神にとっては関係無い話ですが、これでまた一つ銀行の存在意義が無くなる事になります。
そもそも銀行というものは「預金」という名目で無担保の資金を集め、それを企業に融資することで企業の経営を支援し、預金者には利息を支払う事業なのですが、何処で歯車が狂ったのか、その存在自体に疑問が出るほど危機的な状態になっています。

「銀行の経営悪化は”不良債権問題”」という大ウソ

度重なる公的資金の投入にも拘わらず、銀行の経営破綻が後を絶たないのですが、その一番の原因は「問題の本質を間違えている」という事です。「不良債権」と言ってしまえば「貸した企業が返済をしない」という意味になりますが、実態は銀行自身が蒔いた種なんです。
もう少し判り易く言うと、銀行の経営者が大馬鹿者だったために、銀行自身が財テクに走り、その結果大失敗をしたという事です。
確かに、表向きには不動産会社などに融資をして、その融資が焦げ着いた形に見えますが、その実態は銀行が馬鹿な競争をして不動産会社やノンバンクを迂回融資先にして莫大な資金をドブに捨てただけの話なんです。それを誰が「不良債権」と名付けたかは判りませんが、これだと銀行は「被害者」という形になってしまいます。しかし、実態は「加害者」なんです。

”地上げ”の手口

銀行が直接手を下せない運用方法として「土地取引による”地上げ”」が有ります。この方法は非常に高い収益が得られますので小さな不動産業者をダシにして大儲けをたくらんだ典型的な手法です。この方法は東京や大阪などの都会の住宅密集地域を対象に行われた悪質な手口でした。先ず、駅に割合近い住宅が密集した地区にターゲットを定め、始めの内は路地の奥などの路線価の低いところから土地を買いあさります。次は交差点の角地をワザと残して道路に面した土地を買います。
そして、最後に角地を買って一面の”サラ地”にすれば全体の地価が角地と同じ路線価に評価されるという「路線価のカラクリ」を悪用した手法です。この方法を使えば何倍もの利益が得られますので、零細な不動産業者にしては一攫千金のような話ですので多少はヤバイと思っていても銀行の口グルマに乗せられてしまったというのが実態です。
その後、かの橋本龍太郎(当時大蔵大臣)が土地取引の総量規制などという大バカをやってしまったために一気に総崩れになってしまったのですが、彼も世間の実態を知らなかっただけの事で、悪気は無かったと思います。何れは総崩れになるのが判っていたのですが、誰も止める事が出来ないほどにフィーバーしていたのは事実です。しかし、お祭りが去った後に残されたのは地上げに失敗した”虫食い”状態の土地と、間が悪かった不動産業者で、当の「仕掛人」である銀行は”被害者面”しているのが許せない事です。

山林原野がお金に化ける「ゴルフ場開発」の手口

家庭用の燃料が電気やプロパンガスに変わり、田畑の肥料も化学肥料になって殆ど使い道の無くなった都市近郊の山林を莫大な金に変換するというイリュージョンをやってのけたのがゴルフ場開発の手口で、この収益も半端では有りませんでした。これは銀行だけで無く、時の政府も一丸となって仕掛けた荒ワザで、「ゴルフ会員権」という債権にするのがミソでした。この時”天下の悪法”と言われた「リゾート法」が鳴り物入りで成立してしまったのが事の始まりでした。未だに何故このような法律が国会を通過したのか”永遠の謎”ですが、未だに廃止されていませんので笑うしか有りません。
とにかく、この手口は非常に幼稚で、山林を二束三文で銀行のダミー企業であるゴルフ場開発会社が購入し、適当に山を削り、谷を埋めて、それなりの芝生を植え、申し訳程度のレストハウスを建てれば完成します。それに国会議員の先生の名前入りのパンフレットを印刷すれば億の単位でお金が集まるという単純な手口です。しかしこのような幼稚な手口が簡単にバレない仕組みは、銀行とゴルフ場開発会社の間にノンバンクを噛ましている事で、そのノンバンクも一つや二つでは有りません。これは明らかに背任罪になるのですが、ノンバンクを噛ませたために背任罪の立証は出来ません。実は、公的資金が中小企業に行かない原因は、このような背任行為として告発される可能性のある不正融資を優先的に債権放棄したためで、この事は金融業界の内部事情に詳しい者しか知らない事実なんです。

銀行が財テクに失敗しただけの話

このような銀行に絡む”笑い話”は幾らでも有ります。金融のプロである銀行が財テクに失敗したというのはシャレにもなりませんが、所詮銀行はお馬鹿さんの集まりで、商売のセンスは有りません。それがスケベ根性を出して失敗したワケで、これと同じ事は企業の経理部門が財テクに失敗しているのと同じことです。要するに銀行も経理部門も「商売は出来ん!」という事です。
ただ、これらの大馬鹿共のために会社を無理矢理潰された中小企業の経営者の怒りは半端では有りません。そのために一家心中や自殺に追い込まれた経営者の怨念や、会社の倒産によって解雇された従業員の怨念は、銀行職員や旧大蔵省職員達に末代までタタるものと覚悟することです。
(02/01/04)


PD−26 銀行よ!さらば!(後編)

私が契約していた自動車保険が突然に無くなってしまいました。
先日突如TVのニュースに出た「大成火災海上の破綻」だったのですが、一応保険は保護されるとは言え「何でや?」と思うのは当たり前です。その破綻の理由に更に驚いたのですが、何とNYのテロ事件で多額の保険料を請求されて破綻したとの事、私もテロ事件の被害者になってしまいました。これもグローバル化の一端なのかと複雑な思いなのですが、それにしても「何でや?」という疑問が更に膨らみます。

「大成火災海上」破綻の謎

同時多発テロの被害を中心とした保険金の支払額は、国内損害保険12社(大成火災海上を含む)合計でおよそ2,600億円と見込まれています。この中に私が支払った自動車保険の保険金も含まれることになってしまいましたが、被害者に対する義援金だと思えば諦めもつきます。しかし、何故アメリカで起きた事件の保険金を日本の損害保険会社が支払うのか言う大きな疑問が起きて来ます。このカラクリは、「再保険」という契約をしていた事なのですが、何も起きなければボロ儲けになる筈の再保険が命取りになったと言うことです。
そこで耳を疑ったのが「現地の代理店に任せていたので、保険の請求が来るまで判らなかった」という保険会社側の釈明でした。いくら何でもそんな言い訳が有るのかと思うような話なのですが、これも保険業界の無責任体質が露呈したものだと思います。
前編でお話したように、まるで他人事のように”不良債権”という単語を使うのが銀行業界の救い難いところでしたが、保険業界にも同じ体質が有ります。勿論、証券業界も無責任体質は染み付いていますので、この業界は実にアメリカ的だと言えます。それにしても、自社の支払能力を超える再保険契約を代理店任せにしていたと言うのは、いくら考えても理解出来ません。

全く報道されないニューヨーク支店の謎

9月11日のテロ事件での法人犠牲者はビルの倒壊で22名、墜落した旅客機の乗客として2名となっていますが、日本法人に勤務していた現地採用の社員や現地法人で勤務していた日本人の情報は未だに正確な情報が公表されていません。これが海外で起きた痛ましい事件である「えひめ丸事件」と比較すると余りの違いに疑問が湧いて来ます。
なぜ日本の優秀なマスコミ(?)がこの事件の報道を避けて、アフガンの報道に終始するのか、普通では考えられない事です。事件から間もなく4ヶ月になりますが日本人行方不明者の大半は未だに発見されていないのに、すでに過去の話にして良いのか、日本の報道機関に大いに問いたい事です。その「報道されない理由」が政府の緘口令(かんこうれい)なのか、銀行側の徹底した取材拒否なのかは定かでは有りませんが、なぜブラックホールになっているのでしょう。
この答えは、恐らく「大きな声では言えない」という事が有るからだとしか考えられません。このテロ事件による株価の暴落で日本の金融業界は公表出来ないほどの大きな損害を被っているのは誰でも予想できる事です。これを報道してしまえば日本の金融の実態が世間に晒され、銀行株は勿論、日本の国債の格付けさえも転落する程の壊滅的な数字が隠されていると考えられます。前項でお話した損害保険での巨額な損失は公表せざるを得なかったために報道されたのですが、実はそんな額をも遥かに超える損失が有って、金融パニックに陥る状態になっている可能性が高いために政府が押さえ込んでいると考えるのが妥当だと思います。テロ事件で犠牲になられた方々は殺されると思ってNYに赴任した人は一人もいない筈です。その方々の存在さえも消さなければならない程のものとは一体何か、まさにミステリーです。

日本の金融業界はすでに破綻している

小泉首相のインタビューでの表情を見ると顔の表情が硬くなっているのは誰でも感じる事だと思います。特に金融に関連した話になると明らかに”強張って”いるのを感じると思います。いくら隠しても表情に出てしまうのが小泉首相の憎めないところですが、明らかに頬がこけた顔を見るのは辛いものが有ります。とにかくサッカー・ワールドカップが中止になるような事にならなければ良いが...と願うしか有りません。
(02/01/05)


PD−27 火だるまのエネルギー業界

1月4日のNHKのニュースで電力会社や都市ガス会社が景気低迷による産業需要の低下で、一般家庭の需要を増やす努力をしているという話題が放送されていましたが、その実態はエネルギー業界の仁義無き戦いが繰り広げられています。しかし、こう言う戦いは「規制緩和」がもたらした副産物で、庶民にとっては迷惑な話でしか有りません。

「関西電力」と「大阪ガス」の場外乱闘

現在、電力会社とガス会社は地域ごとに分かれて独立した企業体として成り立っていますが、元々は電力会社を親分とすればガス会社は子分のような関係で大きな問題も無く現在に至っているのですが、何故か関西だけは状況が違っています。
そもそも事の発端は、大阪ガスが「ガス・コージェネレーション」と呼ばれるガス発電システムを猛烈に売り込んで、関西電力の発電所何機分かに相当する電力需要をガスに替えてしまったところから始まった戦いです。バブル経済の時代は電力需要もどんどん伸びて夏場はエアコンのために発電所がフル稼働になるほどの需要に対して供給する側の関西電力は原子力発電所の建設がママならず、火力発電所の建設にも限界が有り八方塞がり状態だったので、大阪ガスが当時売り込んでいたガス冷房はむしろ有り難い存在だったんです。ところが、関西電力が大阪ガスに気を許している間に、ガス・コージェネレーションで電力を供給したから話は違って来ます。まさに「虎の尾を踏んでしまった」という状況になってしまったんです。
ブチ切れてしまった関西電力は1,500億円もの投資をして大阪湾に新しいLNG基地を建設し、大阪ガスに対して宣戦布告。これに対して大阪ガスは大阪府庁の電力を横取りするやら、関西電力は逆に三菱重工高砂工場にLNGを売り込むと言った具合の大乱闘に発展。電力会社がガスを売り、ガス会社が電力を売るというワケの判らない状態になってしまいました。これと同じ事が一般家庭向けに波及し、関西電力は「オール電化」と称してガスの領域に侵入、大阪ガスは「温水床暖房」で電気の追い出しを図るという全面戦争に突入してしまいました。
実は、その前に関西電力も大阪ガスも景気低迷による需要減少でジリ貧状態になっているという夫々の”お家の事情”が有ったのですが、関西電力の場合は更に深刻だったんです。ちょうど一年前の元日、原子力発電だけで必要電力量をオーバーしかかって、大変なことになったんです。つまり火力も水力も要らない状況が短時間にせよ起きたことになり、それ程に電力の供給体制が硬直化していたんです。折角建設した自前のLNG基地もタンクが溢れそうになっている状態で、処分先を必死に探している最中だったという笑えない事情が有ったようです。

影の仕掛人は「経済産業省」の小役人

このような”泥試合”にまで発展した背景には「規制緩和」と称して脇からあおったアホが居たんです。元々は戦後電力事業を再編成した時の「通産省」の怨念が原因なんです。
最近でこそ公共事業の民営化は当たり前になっていますが、当時は電気事業を官僚統制の枠内に閉じ込めようとする国や通産省と、私企業の立場を貫く電力の主導権争いが熾烈だったんです。電力事業がなぜ「国鉄(現JR)」や「電電公社(現NTT)」、昨今の”行革の天王山”と言われる「道路公団」のような国営企業にならなかったのかは、当時の東京電力会長の木川田一隆(故人)の力が大きかったと言われています。
その後、木川田の後任の平岩外四が1993年の細川連立政権誕生時に自民党が野党に転落すると「自民党だけに献金する意味は薄れた」として経団連の企業献金斡旋をあっさり廃止しまったんです。ところが、翌1994年には自民党が政権に復帰しまったから大変。
自民党の”東京電力イジメ”が始まったんです。そうなると期を見るに敏な役人供が悪乗りし、それに対して東京電力が腹を立てて通産省の天下りを受け入れないという報復手段に出て、通産省と東京電力の関係はすっかりこじれてしまったワケです。そこでまた経済産業省の小役人が”東京電力イジメ”に電力の自由化をガンガン言い始めて、滅茶苦茶なってしまったのが現在の姿です。勿論、東京では東京電力と自民党・政府官僚連合が戦争している状態なのですが、遥か彼方の大阪では「規制緩和」の余波で関西電力と大阪ガスが「共喰い」を始めたワケです。一般庶民から見れば、まるで「ガキの喧嘩」にしか見えませんが、当事者は大真面目なのが困ったことです。

間違った「競争原理」の果ては?

自動車業界や家電業界のように自由競争に慣れている業界ではこのような馬鹿なことはマズ起きないと思いますが、自由競争の経験が乏しい業界では信じられない事が起こります。しかし、電力会社もガス会社も”火ダルマ”になってはシャレになりません。
(02/01/05)


新春講座U


PD−28 公務員問題の遺伝子的考察

新年おめでとうございます。

恒例の「パソコン大魔神の新春講座」を昨年に引き続き開講させて頂きます。これまでに「夏期講座」や「新春講座」に書かれた内容はほとんどが国政に反映しております。今の日本には数え切れないほどの問題が指摘されていますが、個々の問題は時間をかけてユックリ解決するとして、今回の新春講座はもっと根本的な問題から掘り下げて考えて行こうと思います。

昨年(平成14年)は外務省ODA問題と北朝鮮拉致問題と道路公団民営化論議が大きな変化でした。これらの問題の共通点は国家公務員の資質の問題に尽きると思います。公務員と言えば”収賄”、”談合”、”天下り”、”お手盛り”、”自己保身”、”不作為”など形容する言葉が溢れていますが、世界一優秀なハズの国家公務員がこれほどまでに堕落したのは、根本的な原因が有ります。
つまり、「遺伝子」の問題が根底に有ります。

本来であれば、代々摂家に仕えたり、藩の要職に従事していた人であれば、その家に代々伝わる”家訓”のようなものが有り、公職を勤める者の心構えを子孫に受け渡すものです。伝統芸能の世界や伝統工芸の世界は「一子相伝」と言って門外不出のノウハウを口伝(くでん)によって伝えるという非常に合理的な継承方法が千年以上続いております。しかし、この方法の問題は人事を硬直させ、その弊害が江戸時代末期に表面化し、西欧列強の強引な開国要求という歴史の転換点で機能不全に陥り”明治維新”という言わばクーデターを起こさせてしまったという問題が有りました。

明治維新は、ご承知の通り徳川幕府に対する外様大名のクーデターだったのですが、明治政府の要職を務めた人達の多くは平民ではなく藩の要職を務めた家系の人が多く、支配力を失った徳川幕府の人達より地方政治に長けていたという背景があり、天下国家を真剣に考える人達が多かったと考えられます。
もちろん、その関係で太平洋戦争の敗戦まで突っ走ることになったのですが、太平洋戦争の大きな原因は、今の「イラク問題」や「北朝鮮問題」とほとんど同じようなアメリカとイギリスによる経済制裁に根本原因が有り、当時の日本政府は米英のような「ハゲタカ国家」に屈しなかったために徹底的に叩かれてしまったというものです。
ここで重要なのは、紀元前660年の神武天皇の時代からと言うのは別としても、3世紀の「邪馬台国の卑弥呼」あたりから太平洋戦争までは「天皇主権の”王国”」だった事になります。世界広しと言えども一つの王国がこれだけ長期間続いたという国家は他には存在しませんので、そこに隠れた秘密が有ると思います。

私は、このような世界でも稀な国家を維持して来た影の力は「遺伝子」だと考えています。数千万人の人口を一つにまとめるための「政(まつりごと)」を司るには一代や二代の知識では困難で、それが何十代もの世代を引き継がれて来たものに他ならないと思います。
ところが、戦後のアメリカの占領政策で「遺伝子」の伝承が断ち切られ、誰でも試験の結果次第で公務員になれるようにした事が、現在のような「志(こころざし)」の低い人間を国政の中枢に据える結果になってしまい、多くの問題を起こす結果になっています。アメリカのような移民の寄せ集め国家で、かつ、歴史の無い国の制度を無理矢理に日本に押し付けた事は、日本国の歴史上の最大の誤りであったと考えられます。

同じ問題は企業の経営者にも言えることで、官僚出身者が民間企業に天下りして経営陣に名を連ねるというのは、最悪のシナリオだったということになります。昨年大きな社会問題になった企業モラルの問題も元を正せば「経営者の器でない者が経営者になった」という事に尽きます。
銀行が救い難い状態なのも、ゼネコンが半死半生の状態なのも、多くの原因は「経営者の志の欠如」で、悲しいかな経営者の「遺伝子」を持たない者が上に立ってしまったという事だと思います。

今後、公務員の採用試験や企業の採用試験にDNA鑑定が必要になるかは議論の有るところかと思いますが、5年や10年の勉強で幹部官僚になれたり、企業の幹部候補になるほど世の中は単純では有りません。
このまま行けば”世界最長の王国”である日本国はアメリカと同じような「衆愚政治」の国家に落ち込むのは必至ですが、民主主義とはこう言う危ない面がある事を頭の片隅に置いておく必要が有ると思います。
その上で、歴史の選択に委ねるしか無いと思います。
(03/01/05)


PD−29 道路問題を社会学的な側面から考えよう

昨年、国際的には何ら意味の無いことで世間を騒がせた「道路関係四公団民営化推進委員会」は未曾有のドタバタ劇を演じたという”落ち”までついて一応の決着を見ました。ここでの最大の争点は、莫大な国費や財政投融資資金を湯水の如く喰った上に、毎年これまた巨額な赤字を計上している「道路関係四公団」を如何にするかというもので、建設コストとか通行料収入とか債務返済とかの「お金」を基準に考えたものです。この点が道路族議員の最も弱い部分で、そこを突くのは「反則だ!」と言わんばかりの反撃を展開しております。確かに「お金」を基準に考えれば説得力が有りますので簡単なのですが、これが総てでは有りません。
私は、道路族議員の皆さんとは異なる論点で、過去の道路政策の根本的な誤りを指摘したいと考えます。

昭和40年代初頭から始まった日本の大衆車の普及は、その後の画一的な道路行政と呼応するかたちで私達の社会生活を一変させてしまいました。
それまでの鉄道や路線バスなどの公共交通機関での移動方法のほかに自家用車で移動するという手段が加わっただけの事なのですが、これが色々な方面に影響を与えてしまいました。確かに、「便利になった」と感じるのは間違いないのですが、最近になって”大きな落とし穴”が見えて来ています。
都市部では、渋滞解消のはずの道路拡張が更なる自動車の流入を呼び、むしろ渋滞はヒドイ状態になっています。それに連れて周辺地域での騒音・振動・大気汚染が悪化しています。石原東京都知事が声高に「排ガス規制」を叫んでいますが、そういう結果を招いたのは歴代の都の行政が根本的に誤っていたと言うことです。逆に、地方では「地域の活性化」の名のもとに道路整備を行って来ましたが、結果はその正反対で”過疎”を招いてしまいました。そういう事から考えると、過去に道路行政を推進した人達は全員が”詐欺罪”で告訴されなければならないものだと思います。
この上、更に全国隅々まで高速道路と作れば、地域の農産物は大都会に流れ、地域の将来を担う若い人達がその地域から去ってしまいます。
一時的には地域の活性化に見えますが、それは高速道路の工事を行っている期間中だけのことで、一旦完成してしまえば通行料収入さえも怪しいという状態になってしまいます。そこで藁にも縋る思いで「観光に力を入れよう」なんどと叫んでも、観光産業で成り立っているのは日本では京都だけです。

「便利になればエエやんか!」と思う気持ちは否定はしませんが、そのために農地や山林が荒れ、それが原因で都市部での水不足や慢性的な漁業不振が起きています。自家用車での通勤による交通事故も40年前にはほとんど無かったものですので、目に見えない損失は計り知れないものが有ります。
目先の損得勘定も大切ですが、この40年の間に何が変わったかをそれぞれの地域で再検討する時期に来ていると思います。

これは暴論かも判りませんが、日本の馬鹿な自動車メーカーが低公害車の開発に苦心しています。しかし、道路を意識的に狭くしたり、交通規制をすることで自動車の物理的な台数を減らすことが出来ます。”走る電気椅子”のハイブリッド車や、危険極まりない水素燃料を実用化するという方向よりも、自動車を減らすのが最も即効性の有る方法です。自動車が無ければ住めないような郊外の住宅地などは元の山林に戻せば住む話です。市街地にイノシシが出没する問題は、イノシシの縄張りに人間が住むのが問題なんです。イノシシやサルやシカの言い分も良く聞いて見る必要が有るのではないでしょうか。

日本人はマスコミなどが画一的な報道をすると簡単に流される傾向が有りますが、道路の問題は単なる損得勘定で片付けてはいけない重要課題です。
5日、乗鞍高原と白骨温泉の間の林道で雪崩による事故が有りましたが、あの道路は冬場に白骨温泉に通じる唯一の道路です。夏場に走ってもガードレールすら無いような危ない林道なのに何故か有料です。何兆円ものお金を湯水の如く使って無駄な道路を作っている公団と違って、地域の人達が私財を投じて生活道路として作った道です。通行料金を払うときに気持ち良く払う気になる珍しい道路ですが、国の規制に縛られないために苦肉の策として取った方法だと思います。これも議論が有るところかと思いますが、道路は必要なところに作るべきで、間違っても選挙公約にするものでは有りません。
(03/01/06)


PD−30 大都会のタマちゃん

昨年、文句なしに”癒された”話題は「愛子さま」と「タマちゃん」と「ノーベル田中さん」だったと思います。(あくまで個人的なランク付けです)
その中で、多くの専門家を悩ませたのが「タマちゃん」で、そもそも何故多摩川に迷い込んだのか、保護すべきか非か、何処の役所が担当するのか、交通規制はどうするか、など前例の無いことだったので裏では相当なパニック状態になっていたようです。こう言っては申し訳ないのですが、「タマちゃん」を文句なしに「可愛い〜!」と思う子供達とは逆に、パニック状態で対応に苦慮する役所や見事に翻弄されていたマスコミの対比が実に面白かったと思います。
これが”アゴヒゲ・アザラシ”でなく”ゴジラ”だったら、自衛隊やら駐留米軍まで動員する大パニックになっていたヤロ〜、と想像するだけでも楽しくなります。

一躍大スターになってしまった「タマちゃん」ですが、実はこれまででもアザラシが何らかの理由で出現するのは珍しいことでは無く、東北地方から房総までの太平洋岸では良く有る話だそうで、これがタマタマ東京湾の中に迷い込み、多摩川で発見されたから話題になっただけの話です。
ちなみに、京都では少し大雨が降ると中心部の三条大橋付近で体長1メートルを超える”オオサンショウウオ”が出没します。単に上流から流されて来ただけの話なのですが、これが年に一度や二度では無いんです。その度に役所の方がトラックに積んで上流まで運んでいるのですが、余りにも日常化しているので話題にもなりません。

そこで考えたのが、「東京は話題にもならない話を無理矢理”ニュース”にしているのか?」という素朴な疑問です。いや、実は、そう言うことだったんです。
「東京には情報が集中している。時代の波に乗り遅れないためには東京に行くか、拠点を置いて情報収集する必要が有る」というのは単なる思い込みで、実は「取るに足らない話」、「ガセネタ」、「ウソ」の中に極僅かの「真実」が有るというのが本当の姿ではないかと思います。

元々、東京は「江戸」と呼ばれた時代から世界でも有数の大都会だったのですが、それでも”下町”と呼ばれる江戸城の城下町が中心で、新宿などは甲州街道の最初の宿場町だったわけです。日本橋あたりから神田川沿いにタラタラ歩いて市ヶ谷の坂を登ったところの丁度良いところに宿場が有ったという今では想像も出来ない光景が150年前には有ったと言うことになります。
今の東京は地形が判らなくなるほど建物が密集してしまいましたが、地方から移住した方は意外に坂道が多いことに気付くと思います。本来なら家を建てるには適さない傾斜地にまで建物が密集しているのが東京の本当の姿です。
そうまでして一箇所に集まろうとするのは何故か、「タマちゃん」如きに狂喜する巨大な集団は一体何なのかと思います。
これはあくまで私の個人的な考えですが、東京には人を集める”魔力”のようなものが有ると考えています。”魔力”と”魅力”は似て非なるものですが、あの地域特有の地質的なエネルギーのようなものを感じます。あの一帯は3つのプレートが衝突している場所で、今の日本列島では地殻変動の激しい地域に属すると思います。関東平野の周囲は活火山に囲まれ、富士山も含めて殆どが活動中です。地震も非常に多く、無感地震も含めると毎日揺れているような特殊な地域です。その関係でこれまでにも何度も大災害に遭い、その都度リセットされて今の姿があります。

同じ都会でも京都の場合は、周辺に火山は有りませんので地震災害のサイクルも紀伊半島沖の地殻変動が間接的に周辺の活断層を刺激する程度のものです。もちろん、過去には大地震が有ったのですが、社寺建築を見ると地震を想定して設計されており、逆にその設計を見ればどの程度の地震が過去に起きたのかが判ります。人為的に起きた災害は、応仁の乱と鳥羽伏見の戦いくらいですので、殆どリセットされずに残っています。
それに比べれば東京は過去に何度も壊滅的な災害に遭っていますので、その事が逆に”活力”を生んでいるのだと思います。東京の場合は次のサイクルが迫りつつありますので、”東京”の罠にハマる人は多いと思います。
元々、日本の国土で養うことが出来る人口は5,000万人ほどですので、増え過ぎた分は自然に減るような仕組みになっています。京都でもかつては疫病が流行ったことが何度も有りましたが、これも人口バランスを保つための自動制御の一種で、人口が過度に集中すると食料の供給が不足して栄養不足の状態になり、その結果として疫病が流行るもので自然現象の一つに過ぎません。今、世界各国で問題になっている”エイズ”も非常に感染力の低いウィルスですので、人口バランスの崩れたところだけで発生しています。
医療の世界では考えられないことかと思いますが、人類にとって”疫病”というのは不可欠なもので、折角生態系のバランスを取るために有るものを医療行為で崩してしまっています。
幸いにも日本の場合は、”東京”という生態系のバランスを保つシステムが存在しますので、定期的に処理されるという事になります。

東京にお住まいの方にはショッキングな話だと思いますが、これは過去の歴史が証明しておりますので反論の余地は無いと思います。そもそも、今の東京は巨大な消費地であって”生産”には殆ど寄与しておりません。戦前までは巨大な農業生産拠点だったのですが、それらを市街地に変えてしまったために全国各地から食料を送り込まなければ生活の維持が出来
ません。頼みの高速道路も大地震が来れば総て壊滅状態になりますし、飲料水の確保すら出来ませんので、一週間と生きられない状態になります。
何よりも、生産に寄与していないところが壊滅しても日本全体には大きな影響が有りませんので、急いで復興させる必要も無いという事になります。

「タマちゃん」から恐ろしい話になってしまいましたが、アザラシ一頭で大騒ぎするほど東京というところは異常な状態だと言う事に気付くべきです。
(03/01/07)


PD−31 消費の低迷が不景気の原因なのか

「教育指導要領」が一部改正され、その中で円周率を3.14から3にするという事で大論争になっています。私は、公式を暗記させることに終始して来た頭の固い文部科学省にしては画期的な発想の転換だと思います。
円周率や平方根のような係数の場合は、精度によって有効数字の桁数を判断すれば良いわけで、天文学で使う場合と一般社会生活で使う場合では適宜判断するという事の方が大切です。

公式暗記型の教育の弊害は至るところに有って、例えば、良く言われる「金融業界の問題は不良債権だ」とか「景気が悪いのは消費が低迷しているからだ」という事が半ば公式のように言われています。
しかし、円周率と同じように、何故そうなのかという事を掘り下げて考える人は殆どいません。金融業界の問題は、以前にも「銀行自体が不良だ」という話をしています。折りしも、昨年の”みずほグループ”発足時のドタバタ劇で世間に知れることとなり、「銀行がアホなんや!」という事が社会に定着しています。大手銀行も合併に合併を重ね、今では大手四行になってしまいましたが、「合併により経営体力を強化する」と言っていましたが、”馬鹿”が何人寄っても”馬鹿”である事に変わりは有りません。その事は、その後の株価が証明しております。

そこで本題の景気低迷の原因ですが、「消費が低迷している」というのはメーカー側の論理に過ぎません。物を作って売るという立場の側から見れば確かにその通りでしょう。しかし、戦後の物が無い時代からバブルの時代までの40年間に散々色々な物を買わされて、「もう買わなくてもイイや!」というところまで来てしまったという消費者の側の論理が有ることを真剣に考える必要が有ります。これまでの庶民の夢は、洗濯機、冷蔵庫、テレビ、ピアノ、クーラー、ステレオ、自家用車、持ち家、海外旅行、ブランド商品、というように果てしなく誘惑され続けて来て、もう疲れてしまったというのが本音のところです。何を買っても自慢出来るのは始めのうちだけで、何を買っても満たされるわけでは無く、残るのはローンだけという虚脱感が一般消費者に広がっています。庶民は決して馬鹿ではありませんので、物を幾ら買っても幸福にはならない事に気付いています。そういう庶民の心の変化に気付かない企業の経営者こそ、発想が貧困なのだと思います。

もう、テレビCMを打てば大量に売れるという時代では有りませんし、安くすれば売れるというものでも有りません。また、高性能なら売れるかと言うと必ずしもそうでは有りません。早い話、「要らないものは買わない」という単純な論理なんです。
今、大企業として株式を上場している企業は、その大半が戦後の”物が無い時代”から物を供給することで大きくなった企業ばかりですので、発想の大転換をするなら、”物作り”の発想を捨てるしか有りません。
もし、それが出来ないのであれば、一日も早く潰すことを考えるべきです。
例えば、研究開発は続けても、製造や販売は中小企業に任せるという方法も有ります。何でも自社でやろうとするからロクでもない製品しか作れないんです。

これも私の個人的な意見ですが、松下グループや日立グループなどは、すでに社会的使命が終わっていますので、解体する方向で考えるべきだと思います。解体すれば、そこから新しいものが生まれて来ます。
企業を解体するための法律が無いので、時代の変化に対応出来ない企業が残ってしまい、それが社会全体の足を引っ張ってしまいます。
サラリーマンや公務員に定年制が有るように、企業も株式を上場して30年で分割し、50年で強制的に上場廃止するくらいの定年制が必要だと思います。組織として硬直した企業に多くの資金が塩漬け状態になるから産業全体の活力が無くなるのだと思います。
株価情報をそう言う目で見る人は稀だと思いますが、株価が額面割れしているような企業は「強制退去」されるべきですし、莫大な資本金を塩漬け状態にしている古参企業は企業分割して一企業当たりの発行株数を減らすべきです。そして、活力の有る中堅・中小企業に資金が回るよう活性化を図るべきです。試しに「もうアカンなぁ〜」と思う企業の資本金を総合計して見て下さい。恐ろしいほどの金額になります。
それが生きた金になっていない事に株価低迷と景気低迷の本当の原因が有るのだと思います。
(03/01/09)


PD−32 防衛論議の忘れ物

昨年、インド洋にイージス艦を派遣するという説明の根拠に使われた「居住性」については、国民一同唖然としたものと思います。
防衛論議になると、大抵の場合はハードウェア的な要素の能力や性能が議論の対象になりますが、居住性というソフト面の要素が登場したのは、あまり前例が有りませんでした。

イージス艦は日本では「護衛艦」と呼ばれていて、言葉のイメージからでは「戦艦」の護衛をする補助的な艦船のように思われますが、実際は「駆逐艦」を「護衛艦」と呼んでいるだけで、空母と戦艦を取り上げられてしまった日本海軍(俗称:海上自衛隊)にとっては「戦艦」以外の何物でも有りません。それよりも、イージス艦に装備されている高性能レーダーはアメリカ海軍の防空システムにオンライン接続ができ、アメリカ軍の他の艦船からの指令で自動的にミサイルを発射する能力を持っているという特殊な戦艦です。これをインド洋に派遣するだけであれば憲法上はギリギリのセーフなのですが、仮にイラク攻撃が開始されれば、その時点で小泉内閣と防衛庁は「憲法違反」で逮捕されるという事になります。(誰が告訴して、何処が身柄を拘束するのかという問題は有ります)
私達一般国民は、ただイラク攻撃が起きない事を祈るしか有りません。

実はそんな事よりももっと深刻な防衛問題が有ります。それは食料自給の問題で、日本国の食料に関しては危機的な状態を通り越しています。
確かに現在は”飽食の時代”などと言われコンビ二に行っても、スーパーに行っても色々な食料品が山積みになっています。しかし、その実態は発展途上国の多くの犠牲の上に成り立っているもので、純粋に国内生産されている食料はカロリーベースで40%しか有りません。それでも飢餓の問題が起きないのは工業生産品の輸出で外貨を稼ぐことが出来ているからで、もしも何かの間違いでWTO脱退という事にでもなれば、その制裁措置で原材料や石油の輸入がSTOPし、一気に北朝鮮と同じような状態になってしまいます。WTO(国際貿易機関)が最近はアメリカに都合が良いだけの協定であるという化けの皮が剥がれて、多くの国々から疑問視する声が噴出しています。発展途上国の貧しさの問題から発生する治安の問題やテロの問題も、元を正せば不平等な貿易によるものが多く、紛争の火種はWTOに有ると言っても過言では無いと思います。
諸悪の根源であるアメリカの「自己中心主義」は、その事には触れないようにして「テロ撲滅」とか「正義」とか言って傍若無人な振る舞いをしていますが、裏では「農産物の関税撤廃」の圧力を各国にかけています。

アメリカ人の考えている事は、私達のような歴史と伝統を有するアジア民族には到底理解できないものですが、非常に短絡的なモノの考え方をしているようで、アメリカ国内で粗製乱造した小麦やトウモロコシを売って大儲けを企んでいるだけのようにしか見えません。実際にアフリカや中南米諸国で起きていることですが、貿易相手国の農業と経済を破綻させることが目的のように思えます。しかし、彼らにとって米と魚介類を食べるアジア地域の国々は、小麦と肉を食う民族のようなワケには行かず、何とかパンと肉を食べるように仕向けたようですが、そのための「マクドナルド作戦」も日本では”おにぎり”との戦いに破れ、哀れにも大ダンピングしなければならない状態に有ります。そうなると、今度は作戦を変えて「北米産の米を買え!」とか「オーストラリア産の米を買え!」と脅迫して来るわけです。
ところが、日本は米が余っている状態ですので、農水省はノラリクラリと逃げているのですが、何れは本気で喧嘩をする事態になるものと思います。その時が日本の危機で、日本からの輸出品目に莫大な関税をかけるという報復措置を取る動きに出るものと思います。

そんな時に食料自給率が40%では持久戦に持ち込むことが出来ません。
アメリカの”兵糧攻め”に屈しないためにも食料自給率は80%程度にまで上げておく必要が有ります。そのためには200万ha程度にまで減ってしまった”田んぼ”の維持をしなければなりませんし、これも含めた耕地面積500万haを増やす国策が求められます。
幸か不幸か全国各地に雨ざらしになっているゴルフ場跡地などは、残留農薬が消えるまでは”芋”などを栽培し、それを発酵させてアルコールを精製し、石油に代わる燃料とすることも可能です。
その後、元の森林に戻すか農地にするか判断すれば良いわけで、この分野での雇用は労働問題を一気に解決するものです。
こう言う事に税金を使うのであれば誰も文句は言いませんし、国債の発行額が増えても構わないのではないかと思います。

過去の歴史を見ても判ることですが、紛争の火種は食料問題に端を発する領土問題と民族問題で、逆に食料問題さえ無ければ紛争は起きません。アメリカの穀物企業はそう言う常識さえも判っていない未熟な経営者ばかりなのか、或いは、それを判っていて紛争の火種を撒いている”性悪企業”なのかと言うことです。発展途上国の農業を破綻させて、政情不安を作り出し、そこに武器を輸出して大儲けを企むアメリカの政策は、”悪魔の手先”と言われても仕方が無いことです。
目先の防衛論議をする前に、その火種が何なのかを冷静に考える必要が有ります。
(03/01/11)


PD−33 謎の国”北朝鮮”の歴史的背景

昨年の小泉首相訪朝から突如明らかになった「北朝鮮による拉致事件」、その後、核開発を暴露したことでアメリカとの関係が急激に悪化し、更に核不拡散条約(NPT)から脱退宣言と、にわかに風雲急を告げる事態になっています。日本のマスコミには連日のように拉致事件に関連して金正日体制下での北朝鮮の異常な社会について報道されています。
私達から見る「北朝鮮」は確かに異常な国家だとは思いますが、それを蔑視するのでは無く、これを機会に「北朝鮮」の歴史を知る良い機会と考えるべきです。日本と北朝鮮(正確には”高句麗”)の関係はアメリカとの関係と比較にならないほど親密なもので、多くの日本人が「日本文化」だと思っている事の大半は朝鮮の文化であることを認識するべきです。

朝鮮半島の歴史は日本よりも古く、事によると中国よりも古いのではないかとさえ言われています。正確なことは判りませんが紀元前2,000年には朝鮮国を建国したとされています。ただし、これは「日本書紀」と同様の神話の時代ですので今後の考古学の成果に期待するしか有りません。
それでも、中国の前漢の時代には”高句麗”の記述が有り、”倭国”と共に紀元前の時代から独立国として成立していたのは事実でしょう。
”高句麗”は朝鮮半島北部、現在の北朝鮮そのもので、常に中国から領土を脅かされる存在でした。ただし、当時の中国は朝鮮半島や日本のような”へき地”を占領するメリットが無かったようで、一旦占領しても放棄するような事を繰り返して来たと考えられます。「項羽と劉邦」で知られる漢の時代に何度か中国の属国になり、その時期に”高麗国”に改称されて現在の「KOREA」の語源になっています。

興味深いのは、この頃朝鮮半島の南部は”倭国”の勢力下に有って、今の韓国は日本だったという記述が有ることです。この時期は今でも論争が絶えないのですが、”倭国”と”邪馬台国”が同じものなのか、”邪馬台国”は九州に都が有ったのか、それとも今の奈良県”大和”を指すものなのかというように、実にミステリアスです。従って、南朝鮮(現在の韓国)が日本だという考え方と、日本が韓国だったという考え方が有ります。それはそれとして、アメリカの余計なお節介で勃発した朝鮮戦争のお陰で38度線で分断されている北朝鮮と韓国は、実は4,000年以上前から別々の国家だったという事を知っておく必要があります。
現在の韓国が倭国から独立したのは、今から1,700年ほど前の西暦200年代で、”辰韓”、”馬韓”、”弁韓”の三国に別れ、その後、辰韓は”新羅国”、馬韓は”加羅国”、弁韓は”百済国”となります。この三韓時代と言われる時代は中国では”三国志”の時代の終わる頃で、その後”五胡十六国時代”から”宋”に移る戦乱の時代で、朝鮮半島もその影響を大きく受けることになります。この頃の三韓は言わば中小企業のようなもので、中堅企業の”高麗国”からは常に領土を脅かされていたようです。
それが西暦560年頃、加羅が新羅に滅ぼされ、更にその100年後には百済も滅ぼされてしまいます。これが有名な”白村江の戦”で、多くの百済の人達が日本に亡命しております。この三韓時代は日本の歴史との接点が多く、奈良明日香村の古墳群や法隆寺の建立、大化の改新などが知られています。更に朝鮮半島を統一したはずの”高麗”も中国の”唐”に攻められて、多くの人々が日本に渡っています。滋賀県琵琶湖の西側に有る”白髭(ひげ)神社”は”新羅”から来たものだという説が有力です。
日本の文化の基礎は、強大な”唐”に押し出された形で日本に逃れて来た朝鮮半島の人達によって作られたものだと言っても過言では有りません。

当時、東アジアで強大な勢力を誇っていた”唐”は、朝鮮半島を攻略した勢いで日本にも進駐しており、禅宗の寺院はその流れだと考えられています。雅楽の”高麗楽(こまがく)”と”唐楽”は、この時代に相前後して日本に流入したもので、それが千数百年の時を越えて今に伝えられているものです。その後、”唐”の政情が安定し領土拡大政策が終わると、アッサリ朝鮮半島の統治を放棄してしまいます。日本では「壬申の乱」が終息した頃、朝鮮半島は”高麗”の人達によって統治されます。
日本では余り知られていない事ですが、高麗民族は実に根性が有って、”唐”に追われて日本に逃げた人、韓国の山中に身を隠した人、そして中国東北部や沿海州に逃げた人が、”唐”の勢力が衰えると見るや空かさずに国家を復興したことです。特に中国東北部に逃れた人々は”唐”の領内に”渤海国”を建国するほどタフだったわけです。

その後の歴史は、”元”によって潰されたり、大日本帝国に併合されたりと散々な目に遭っているのですが、北朝鮮の”意地っ張り”な性格は筋金入りだと考えるべきで、これをアメリカは完璧に甘く見ています。隣国の中国でさえ容易に手が出せない”北朝鮮”は東アジア地域で最も独立心の強い民族だと言えます。日本のマスコミ論調に「北朝鮮の瀬戸際外交」という言葉が使われていますが、これは根本的に間違っていて、大国の力を背景にした「脅し外交」には屈しない民族だと考えるべきです。
韓国がアメリカの意に反して「太陽政策」を採ろうとしているのも、その事を良く理解しているからで、日本政府もアメリカと共同歩調を採るのは明らかに間違っています。勿論、過去の”米支援”のような軟弱外交は論外ですが、経済制裁を加えてギブアップするような軟弱国家では有りません。

このような朝鮮半島の歴史認識は教科書に載っていないものですが、事実は曲げられません。日本の文部科学省もイイ加減考え方を変えて正しいアジアの歴史を教える必要が有ると思います。
(03/01/12)


PD−34 国営マルチ商法

正月気分も15日で終わり、本格的に動き出そうとしています。
「新春講座 II」もこのあたりで一旦”幕引き”とさせて頂きますが、最後ですので「爆弾」を派手に落としておきますので、皆さんで考えて見て下さい。

経済対策が叫ばれる中で、”減税の話”やら”産業再生の話”やら”ペイオフ延期”の話やら色々と出て来ていますが、現在の社会構造は「国営マルチ商法」に支配されていて、この問題を片付けなければ何も解決しません。

先ずは産業全体についてですが、戦後のGHQの政策で財閥が解体され、戦時国債も紙切れになって日本から「お金」が消えて無くなるという深刻な問題が起きてしまったことから、復興資金を如何に調達するかという問題に直面した事から話は始まります。戦勝国であるアメリカも復興資金を投入することになったのですが、主要都市が焼け野原になってしまいましたので、アメリカ一国では荷に余る状態だったことは容易に予想出来ます。そこで政府が考えた苦肉の策は「紙幣の増刷」と「有価証券の増発」で、今でも商取引の決済手段に使われている「約束手形」という擬似貨幣の流通を黙認する事でした。”手形”の話をすると、それだけで本が何冊も書けるような話になりますので、取り合えずはそう言う”イカサマ”が存在している事だけを認識しておいて下さい。
「お金」が無くても「お金」を自由に作れる”手形”には、間違った運用に対する制裁措置が有りますので無節操に乱発することは出来ませんが、「破産法」と組み合わせる事によって銀行強盗に近いことをやるのは可能です。しかし、多くの企業経営者には国会議員とは比較にならない程の崇高なモラルが有りますので、”手形”によって設備投資をしたり、仕入代金を支払ったり、社員に給料を支払ったり出来たわけです。折りしも、隣りの朝鮮半島で「朝鮮戦争」が勃発したことに助けられる形で、日本経済は驚異的な回復をするのですが、その裏で絶対的に不足している「お金」を如何にして回すかというところで、常識では考えられない方法が使われていたわけです。
経済活動が復活すると見るや、それまで黒子的な存在であった貧乏役人達が色々な手を使って”税金集め”を画策することになります。その柱になったのが間接税制度で、今でも残るのは「酒税」「揮発油税」「たばこ税」などです。また贅沢品には法外な「物品税」をかけていたのですが、これは後に廃止されています。その他に存在意義が判らない「印紙税」なども含めると色々な物品に税金が隠れています。平成元年には「消費税」がスタートし、総ての物品やサービスに税金が上乗せされているのですが、従来の税制を抜本改正していませんので随所に二重課税の問題が有ります。しかし、これだけでは足りないという事で、直接税も強化しています。
給与所得者が源泉徴収される「所得税」、企業の収益に強引にかける「法人税」、不労所得にかける「贈与税」や「相続税」、預金利息にかける「利子税」、株取引にかける「株取引税」など、良くもこれだけ考えたと思うほど税金が付いて回ります。そこには、税務所職員の退職後の仕事として「税理士制度」を作るという付録まで付いて、金を集める事に命を張った”貧乏役人”の成果は恐ろしいものが有ります。(問題は、集めた税金の使い方を真剣に考えなかった)
企業は、一銭の利益にもならない土地や建物などの固定資産を決算上の”資産”とされたために「お金」が無くても利益が出る勘定になります。
言い換えれば「国が粉飾決算を指導した」という事になります。もちろん土地は売った時にも「収入」の見なされますので課税されます。保有していても「固定資産税」のほかに粉飾決算による「所得税」が取られているわけです。その不合理な部分に、「担保設定」を保証し、銀行から資金が借りられる制度にしているところが憎いところで、企業は不当な税金分を借金をさせられていた事になります。
それが、バブル経済崩壊で担保価値を保証しなかったわけで、「国営マルチ商法」が破綻した顕著な例です。

国営マルチ商法は、そのほか「道路公団」に代表される土木建設業界の構造が強固なもので、マルチ商法と言うより”新興宗教”に近いものが有ります。見方によっては、なり振り構わず集めた税金の使い道なのかも判りませんが、これも「公共事業見直し」の流れで破綻する運命に有ります。
役所から発注される公共事業の「指名競争入札」には裏が有って、仕事が少ない行政書士による「経営審査」というものが有ります。これによって税金を払っている企業に絞られます。税金を取るためには確実に利益を与えなければなりませんので、「予定価格」を裏で流して業者間で談合をさせ、役所と建設業者が共存共栄出来るような磐石の仕組みを作っています。このような役所の下請け的企業は、役人達の天下り先として利用されるだけで無く、選挙の時の実働部隊として有効な戦力として機能します。このマルチ商法は完璧な組織形態だったのですが、市民派の知事が当選したり、国や途方自治体での公共事業費削減で崩壊の危機に有ります。

まだ有ります。医療制度も国営マルチ商法の代表格で、税金と同じ方法の源泉徴収制度を”悪用”して「政府管掌健康保険」制度が莫大な金を集めて医療の拡充と、製薬会社の育成に成功して今が有ります。ところが、完璧な制度を作ったのは良かったのですが、その先まで考えなかった役人の浅知恵が色々な問題を起こしています。良く問題になる「薬漬け医療」「検査付け医療」、患者を苦しめる「延命治療」、果ては「薬害」に「医療ミス」など挙げれば切りが有りません。この制度が破綻する方向に動き出したのは、思いつきで始めた「老人医療無料化」で、年寄りが予想に反して元気だったという見込違いが財政破綻の危機を作り出してしまいました。
今頃になって、医療費負担のアップや保険料率の引き上げなど「対症療法」を行って何とか凌ごうと画策していますが、本当に治療が必要なのは”厚生労働省の役人の頭の中身”で、イッソの事「隔離施設」に隔離する方が早いのではないかと思います。(”沖の鳥島”あたりに流刑にするという方法も有る。ただし刑法改正が必要)

もう疲れたので、このあたりでヤメにしますが、「国営マルチ商法」は農林の世界にも、自動車業界にも、情報通信業界にも、郵政・運輸の世界にもシッカリ存在します。むしろ、無いところを探す方が難しいのでは無いかとさえ思います。そのドレもが破綻の危機に有るのが困ったことです。
そのドレもに言える事ですが、”戦後復興体制からの脱却”に尽きると思います。今でも霞ヶ関に生き残っている”貧乏役人”の考え方が、未だ「戦後」を引きずっているうちは抜本的な改革は不可能です。

<注釈>:
「貧乏役人」というのは考え方が”貧乏”という意味で、高級マンションのような官舎に住みたいとか、特殊法人の理事になりたいと思うことが”貧乏症”なんです。役人を目指す以上は、「滅私奉公」の崇高な理念に生涯を捧げるべきで、それが嫌なら最初から民間企業に就職するか、商売の道を選ぶべきだったんです。それも出来ないクセに背伸びをしようと思うのが”貧乏役人”なんです。
(03/01/15)