シバケンの単なる雑談NO.76

雑談NO.71 雑談NO.72 雑談NO.73 雑談NO.74 雑談NO.75

雑談NO.55 雑談NO.60 雑談NO.65 雑談NO.70
雑談NO.30 雑談NO.35 雑談NO.40 雑談NO.45 雑談NO.50
雑談NO.5 雑談NO.10 雑談NO.15 雑談NO.20 雑談NO.25
題目一覧表

目次

雑談NO.77

NO.1030 方向音痴自慢の話(4) くら寿司での話

NO.1029 方向音痴自慢の話(3) くら寿司えの話

NO.1028 方向音痴自慢の話(2) 母君の様子

NO.1027 方向音痴自慢の話(1) 見舞いの道中

NO.1026 則を超えずの、自分流

NO.1025 年末年始の話

NO.1024 大晦日となりて

NO.1023 顔の左側の出来物の話(3) ピンセットで検体収集されるの話

NO.1022 顔の左側の出来物の話(2) 更なる1件の話

NO.1021 顔の左側の出来物の話(1) 激痛走るの話

雑談NO.75


NO.1021 顔の左側の出来物の話(1) 激痛走るの話

そんな次第の、斯くなるでの。
散髪屋で、皮膚科の先生にバッタリ。
とは云え、先様、当方の存在をば、ご存知では無く。

散髪屋のマスターとは、ヒソヒソの、さっき、行ったとこなんです。へえと。初診でして。フウンと。来週月曜日<12月19日>に、切開ですて。へえと。
とかとか、云うてるの間にも、我が方、散髪も終わりまして。散髪台を立ちの、精算に向かうの道中。云うても、数歩なれどです。その道中に、皮膚科の先生が散髪しておられましての、散髪中ならば、当然の遠慮するですが。
間合いらしくの、この際と。会釈、お辞儀を致しまして。オッとの、鏡越しになれどです。先様、先生様、ビックリしたよに、姿勢を正しの、返礼されたですが。まあ、常連さんなら、イザ、知らずの、我が方、誰か、分からんやろなあと。
オッとの、常連とは、皮膚科のですが。当日、初診故でして。

こっちにしたって、こんな事、初体験。
ソラ、年に数回、ン十年ともなればの、散髪屋で、顔見知り、町内会の面々にも遭遇するですが。過去何回やの、4回かと。4回の内の1回だけです。先様から、声を掛けられたのがです。イヤ、マスターと喋ってまして。声で、誰と分かったですて。
区長会のメンバーでして。
後は、町内会のが2人で、近在の方が1人かと。こっちの方は、我が方から、挨拶したですが。
大体が散髪屋では、あまり、きょろきょろ致しませんの、隣に知り合いが居てても、分からん事が多いですが。散髪が終わって、立つの際に、えと成る事がと。
云うたら、常平生には、無愛想な面々でも、嗚呼、こんにちはと、声掛ければ、ビックリしたよに、嗚呼、嗚呼と、返礼致すですが。私なら、誰と認識すれば、誰彼、構わず、挨拶程度は常識の範疇故、躊躇無く、致すです。
挨拶なるが、潤滑剤的、基本故。


オトトの、そんな話は結構の、実は、その明くる日<12月17日>から、一泊にての、神戸の息子宅に行くにしてまして。散髪を即の、当日にしたも、日が無いからでして。神戸の話は、その気になれば、別途に致しましての、その切開の当日<12月19日>の話をと。

イヤイヤ、当日、月曜日の、12時から故、5分前には、来ててくれと。との、メモ書きを戴いてまして。
その当日、歩いて行くかと、考えてた矢先、ピンポンと、呼び鈴がで。出れば、介護用品のレンタル屋。
大体が、この担当者か、責任者、所長か、知らんですが。イツも、間の悪い時間に突然にです。
イヤ、昼飯喰てるの真っ最中とか、諸般、バタバタしてるの時に来てくれて。
用件なるは、聞かずとも、分かるの、母のポータブル・トイレの件でして。かねてより、パンフレットなりを欲しいと云うてたですが。持って来てくれたです。
本来ならば、じっくりと、聞きたいですが。時が時だけに、困ったなあと。イヤ、ホンマやでの、こんな時に限って、話が長そでねえ。申し訳無いですが、用事があって、出んならんですと、お断り致しまして。しかるべくの、後日連絡致しますと。

オッとの、話が終われば、歩いて行くの時間的余裕は消滅の、車で、行ったです。丁度、指定時刻の5分前に到着の、着けば、即の、呼び出され。前回とは、別の看護師から、こっちにと。そっちは、処置室なんかなあ。ベッド等々があっての、そのベッドに横に成れと。ハイ、承知の、横に成れば、血圧を測定致すですと。フウンの切開で、血圧を測定かと。

測定し終われば、先生が現れ、説明するに、検体を取りますと。ハイと。
その検体の検査結果に基づき、ここで、処置出来るのか、しかるべくの、総合病院なりで、やるべきかを判断致しますと。フウンの、話が違うよにも、聞こえたですが。私なら、検体を取るは分かるの、ならばの、1針、2針の、抜糸は次週と、一寸、違うよにも思えてねえ。もしかしたらの、切開<出来物を取る>は、別途の日になるのかと。よお、分からんですが、云われるよに、して戴くしか無いなあと、大層なれどの、覚悟を決めて。

デハと、先生、麻酔を致すですと。イヨイヨかの、標的の箇所を消毒等々、されてるの間に、過日の話、散髪屋の件をと。
先日、金曜日、散髪をしてたら、先生が来られましてと。嗚呼、誰かが、挨拶されてたは承知の、メガネを外しますと、見えませんでしてねえ。失礼致しましたです。
イヤイヤ、本日、切開と云われまして。諸般の事情もあっての、ならばの、即日にもと。さもなくばの、抜糸までが一週間ともなればの、時期が、時期だけに、散髪する日も年末に迫りと。
丁度、この件、出来物の話をしてたなら、来られましてねえ。散髪屋のマスターの跡取り息子と、我が息子が同級生でして。へえの、ソですか、息子さんが同級生ですかと。マダ、カットは出来ないみたいですねえと。
よお、知ったはりますねえ。練習台に使って戴いても構いませんよと、話をしてたです。へえと。ソ云うたら、髭剃り、耳掃除、シャンプーはやってもろたかなあと。
私は3年前に当地に来ましてと。ソですかと。私は、早やの、30年になりますねえで、どこ出身ですかで、市内ですと。
散髪屋はんは、山科らしいですねえで、フウンの、よ考えたら、そんな話はした事が無いですねえ。次回、来年、散髪に行けば、ネタ話で、尋ねてみますと。イヤイヤ、先様は、京都時代の住処は大凡承知でして。
理由は、当時の散髪屋をご存知でしてと。
現在、娘さん、云うても、私より、一寸だけ下故、婆様ですが。アトを継いだはるみたいな話でして。奇遇ですねえ。ソですねえで、デハ、麻酔をと。ハイ、承知と。


オトトの、痛いですねえ。痛いですか。痛いです。
ホンマやでの、大体が、首から上を注射針は初体験。肉厚の薄いの場所でして。正直、アタタのタッタと、思わずの声が出たですが。モ一寸、注射を致しますねえの、又もやの、アイタタ、タッタの、痛たたたたと。
ならばの、モ一発の、マダ、痛いですか。イヤ、大丈夫です。感じませんですか。感じませんです。デハと、切開し出したかと。
最早の、何をされても、チクとも、感じてませんの、好きにして頂戴の、まな板に非ずの、ベッドの上の、患者でして。

実は、その間にも、種々雑多、話をしてたですが。ハイ、終わりましたですと。嗚呼、ソですかで、看護師に再度の、血圧測定をされまして。
先生、再びの現れての、ベッドで、横たわったはるからかなあ。血圧が低めですねえと。フウンと。大体が、私め、この辺り、配慮無く。病院に行って、血圧計があっても、計る気無く。健康診断等々での、自分の数字も把握してませんでして。要は、無関心でして。


そんな次第の、看護師から、患部を絆創膏等々、保護処置して戴きの、あっちにと。
あっちとは、診察室での、行けば、先生鎮座の、曰くに、明日来いと。明日ですか。ハイ、明日です。傷口の状態を見せて戴きますと。へえと。
での、風呂に入るは結構の、患部を水に濡らせてはいけませんですと。ハイ、承知の、明日は、特段の指定は無くの、午前中にと。ハイと。

結果、精算金額、5千円札一枚では、不足の、アイタタ、タッタの、タタタタのタと。
超の、激痛全身駆け巡りと。
(11/12/22)


NO.1022 顔の左側の出来物の話(2) 更なる1件の話

イヤイヤ、「N皮フ科クリニック」に用件2件としてたですが。
モ1件の話を致すです。

まずは、過日。
12月14日<水曜日>の事なれどです。行ったです。云うたら、「N皮フ科クリニック」には、16日でして。
どこにとなれば、「亀岡シミズ病院」でして。「泌尿器科」にでして。「泌尿器科」は、「前立腺肥大」で通てまして。

イヤ、前回、薬のみを処方して戴きに行ったですが。大体が、診察までは、して戴いて無いですが。その際、看護師を通じ、血液検査をしたいと。へえと。されどの、別途、「漢方外来」でしてまして。ホナラの次回はその結果を持って来て欲しいと云われまして。
ソレが、12月14日に相成ったですが。

丁度宜しいので、「泌尿器科」の先生に診て戴こかと。
オッとの、「皮膚科」の話と、「泌尿器科」に何の関係がとなればの、経過から云えば、我が持病の最大、最長、「耳鳴り」がと。
「痔」が、「便秘」が、「頻尿<前立腺肥大>」にと。上から、下まで、諸般諸々のと。
これが、若かけりゃ、恥ずかしくの、一々の、自分のホーム・ページに掲載なんか致しませんですが。最早のええ歳でして。別段にと。
されどの、モ1件の、この件なるは、すんなりの掲載、一寸なあと、はばかれたです。そもそもがの、表現難しく。露出趣味と思われるも癪でして。


ででの、「亀岡シミズ病院」での話を致すの、順番到来の、この際と。
若き先生に勇気を以て、云うたです。
別件がと。
何ですかと。
実はですねえ。陰部が赤くなってまして。痛いのです。デハと、先生、即の、ベッドの方にと指示されまして。
道中、「悪い事をした覚えはありませんか。」で、きっぱりの、「ありませんです。」
いつからですか。いつからですかねえの、一週間程度ですかねえ。

での、仰向けで結構の、ズボン脱げ。パンツ脱げの、足は伸ばせの、一寸見て、へえと。
「これねえ。どしたんやろ。何やろなあ。」と、ビックリしたよな声を発しの、聞いたこっちも、へえの、もしかしての、大事(おおごと)やろかと。
ででの、先生、看護師に、「リンデロン<VG軟膏0.12%>」をと、指示致しまして。塗っときますねえと。塗って戴きまして。多分なら、これで、良く成る筈です。ハイ、結構ですと。
さっきまで、へえの、どしたんやろ。何やろなあと、云うてたのが、一転の、塗り薬で、これで、良く成る筈とは、どお云う事かと。

ででの、机に戻って、椅子に座りの、先生曰くに、「皮膚科」の先生に診て戴いた方が症例良くご存知の筈ですと。へえと。
私の方は、赤くなってるの部位が部位だけに、「泌尿器科」と思てたのが、違うかと。
とは云うてえへんの、先生曰くに、素人治療してませんですかと。
オッとの、それなら、充分の心当たりがあるの、消毒液を掛けたり、風呂でしっかり、石鹸で洗たりと。要は、現象が現象だけに、変なバイ菌にでも感染したかと。
正確には、一寸、不衛生にした結果でと。

よって、先生曰くにの、多分なら、カブレと思うですがと。
まずは、患部、この辺りは、皮の薄い場所でして。一寸した傷が付き易く。清潔にと、石鹸で、ごしごし、洗ったり致しますと、逆効果なんですねえ。又、軟膏も、モノに寄りましてと。専門医に処方して戴くが一番ですと。
私からしたら、「泌尿器科」は専門医と思てたですが、「皮膚科」かと。

イヤイヤ、その約一週間前から、何やら、ひりひりとしてまして。見たら、真っ赤になってまして。正直、触っただけでも、痛い、イタイ。
これは大変の、変なバイ菌でもと、消毒液を付けたり、風呂場で、石鹸で、念には、念ので、ごしごしとと。
結果、益々の、痛くの、痛くで、これは、万事休すの、専門医にと、相成ったですが。
そらなあ、下着に触れてるだけで痛く。股に触れてたら、熱っぽく。見たら、真っ赤で、どなったかと。

先生曰くに、ほっとけば、良かったの可能性がと。
再度の、消毒液を付けたり、かゆみ止め等々の軟膏を塗ったり、石鹸で洗うはトンでもですと。へえと。
実際には、出来ぬ事ですが、パンツもはかずの素っ裸が宜しいですがと。要は、空気に晒すが一番かと。へえの、実は、薄々は、そかなあと。されどの、家の中であっても、そんな恰好してられへんわと。それこその、露出趣味の、変態、精神異常者やあるまいにと。
オッとの、時たまなら、聞くですがと。父親が、素っ裸で、家の中を闊歩の話をと。特には、子どもが、居てるの目の前をと。私共にしたら、信じられませんですが。家の中とは云えどの、限度があっての、最低限の羞恥心は存在してしかるべきかと。
でででの、要は、肌にピッタリの、ブリーフよりも、所謂のパンツがと。風通しを良くと。ソですかと。


そんな次第の、軟膏、「リンデロン<VG軟膏0.12%>」を処方しときますと。そして、くれぐれもの、専門医、「皮膚科」にと。
仰ってたのに、イザの、処方箋には、「前立腺肥大」の薬だけで、「軟膏」の記載がなくて。イヤ、一旦は書いてたのを、わざわざの、二本線で消して、先生の判子まで押してあってねえ。不要と判断か、「皮膚科」にどしても行けかと。
ソラなあ、我が判断なら、塗り薬を一度で、完治するよな状況には無く。
されどの、様子を見て、検討かと。

オトトの、要はそんな前提がありましてと。
様子を見て、ども、思わしく無くの、「N皮フ科クリニック」に出向いたです。どっちがついでかの、左頬の上、耳のソバの出来物もありましての、この際と。
イヤイヤ、鋭意決断の、受付の妙齢の美女に、初診ですがと、伝えればの、問診票をで、何が、イツから、どこが、どんな具合にと、症状記載するに、つらあてねえ。
この歳故に、まだ、しょがないかと、思えるですが。紅顔の美青年時代やってみい。どしょかと。赤面するの、羞恥心は存在でと。現在唯今でも、あるけれどや。
かと云うて、町医者の受付に、男は知らんわの、男でも一緒かと。
(11/12/24)


NO.1023 顔の左側の出来物の話(3) ピンセットで検体収集されるの話

そんな次第の、斯くなるでの。
「亀岡シミズ病院」の、「泌尿器科」の先生に、「軟膏」を塗って戴き、一発、解消したならならの、「N皮フ科クリニック」に行く事はあっても、「陰部」の件は末梢してるですが。
ソは易々の、治らへんしで、どっちがついでか、問診票に記載したです。

での、順番が来て、先生早速にも、ベッドの方にと、指示されて。ベッドに行くの道中。道中も、すぐのそこの、一歩、二歩で到着するですが。
「悪い事をした心当たりはありませんですか。」と。
又かと。
とは、云わずの、即の、「ありません。」と、きっぱりと。

ででの、指示されるがままの、ズボンも、パンツも降ろしまして。先生問うにどこですか。ここですと。フウンと。「検体を取ります。」と。ンと。何をするのか、されるかと思いきやの、ピンセットを取り出し。一寸、手伝ってくださいと。何を手伝うかとなればの、ピンセットで、検体をサンプリングをし易いよに、保持せよと。ハイと。
しかるにの、先生、一生懸命に挑戦するに、思わしく無いのか、アカンなあ。アカンなあと。イヤ、私め、イタイんやでと。局所の患部をピンセットでやられてみい。イタイもあるけれどの、心配で、心配で。

過日の、「泌尿器科」の先生の言葉を記憶してるの、ここらの皮膚は薄いです。傷付き易くと。
にも関わらずの、ピンセットで、コチョコチョやられてみい。当人、私め、気が気や無いの、されどの、我慢を致しまして。只ナの、やられてるの箇所は、比較的、痛く無い部位でして。先生には、こっちの方が赤さも酷いですがと、訴えるに、ハイ、ハイと、相手にされずの、その内にも、あいたた、たったの、たたたたたと。
激痛と評する程では無いにしても、可成りの痛さがあったです。
咄嗟に先生、すみませんですと。
謝って戴く事も無いけれどや。
先生、ピンセットに検体をサンプリング出来たのか、シャーレーに擦りつけての、ハイ、結構ですと。パンツ、ズボンをと。ハイと。

そんな事で、椅子に戻れば、先生、顕微鏡で観察の、コレと云うよなモノは無いけどなあと。何やろなあと。

そして、検体観察終わったかで、我が方に向かいの、曰くにの。
コレと云うよな、モノは無いのですが。カビかなあと。されどの、カビとは断定し難いですが。よって、強いてならの、カビかなあと。鮮明では無いのですが。
これがカビとしても、そこらにあるカビでしてと。空気中にもありましてと。
カビかなあの程度ですがと。
とりあえず、軟膏を処方しておきますので、日に2回、塗って下さいと。ハイ、分かりましたと。
でででの、処方して戴いたは、「メンタックスクリーム1%」と、称するの、塗り薬。

そんな事で、この軟膏を患部に塗布で、概ね回復してるです。
イヤ、正直なる見解ならば、最初の、「リンデロン<VG軟膏0.12%>」でも、治った可能性がと。されどの、期間が短か過ぎてるです。「皮膚科」で処方して戴いたの軟膏も、1日、2日目は、適応してるのかと、心配になったですが。3日目辺りから、急速に回復致しまして。
変な話、患部を触っても、イタイ、痛い、嗚呼、イタイとは成らんよになったです。
赤くなってたのも、相応に解消されてるです。
ならばの、原因は、「カビ」かと。
先生の言からは、怪しいけれどと。


でででの、そんな次第の、処方して戴いたが、12月16日でして。その当日、散髪屋で、先生にバッタリの、19日には、イボとするのか、麻酔を掛けられ、こっちも検体を取られまして。
その明くる日にも、来いと。
イヤ、先生の指示通り、「N皮フ科クリニック」に出向いたです。

で、先生、頬の上、耳のソバの、イボ状の出来物を保護のための、ガーゼ、絆創膏を取られまして。
まずは、こんな事になってるですと。小型デジタル・カメラにて、バシャリの、ハイ、こんな具合、状態になってますと。云われて、カメラの画面を見て、何が分かるかとなればの、矢鱈、我が横顔も、皮膚が汚あなってるなあと。イヤ、黒く、くすんでるの、歳やなあと、実感させられまして。

肝心の、患部、イボの方は、よお見えへんでねえ。
只、黒い糸状のが見えまして。これが、1針、2針の針かと。イボの大きさ等々は、確認が難しく。

先生曰くの、こんな状態での、血は止まってますので、以降、水が掛かっても大丈夫ですと。要は風呂で、髪洗い結構ですと。
イヤイヤ、実は、顔とするのか、首から上は、切開するにしても、出血すると、きついのですと。よって、慎重の上にも、慎重にと。
その上で、検体の結果は出てませんの、しかるべくの来週、抜糸ですので、26日に来てくださいと。その頃には、検体の結果も判明かと。

以上で、先生の話は終わったみたいでねえ。
特段の、モ1件の話は出ずの、ええのかなあと。変な話、看護師が真後ろに控えてて、下手に、陰部が、あそこが、局所が等々、表現が難しいの話をこっちから出すも気が退けて。
イヤ、悪化してるならばの、そんな事、構てられへんの、斯くなるでと、こんな事でと、困ったと、訴えるですが。でも無いしと。

斯くなる次第の、斯くなるでの、次回は、26日<月曜日>の結果次第かと。
結果とは、抜糸と、検体の結果やわと。
(11/12/25)


NO.1024 大晦日となりて

やっとで、年賀状が出来たです。
オッとの、年賀状は、昨日、30日には出来て、投函してるですが。
云うたら、単純なるモノで、手が混み、工夫をしたよなでもあらへんのにと。その気にさえなれば、一気出来上がるのにと。
処がの、追い込まれん事には、やる気に成らんです。
根が、邪魔臭がり屋でして。

そんな意味なら、その昔には、「理想科学工業株式会社」の、「プリントゴッコ」で、やった事もあったです。しかるべくの、謄写版方式でして。フラッシュを焚きまして。絵の具を種々準備して。
丁度、息子共が幼稚園時代辺りであったかと。息子共にも手伝わせまして。ソラ、やりたがる故で。
手伝わせた分、時間が掛かってねえ。
その上、インクを乾かすに一苦労の、一枚一枚、重ならぬよに、広げた新聞紙の上に載せまして。軽くの一晩を要したかと。

で、現在唯今では、「筆まめ」でデザイン作成。プリンターで印刷しての、桁違いに楽なれどです。出来映えも、「プリントゴッコ」とは、質が違いましての、上出来でして。
ソラ、あっちは、手動で、葉書の置くの位置がずれたり、インクがにじんだり。相当枚数失敗しまして。

プリンターを使い出しても、当初のは、フィーダーも不正確で、二枚、三枚を供給したり。しなかったりの、インクが葉書に付着したりで、ズレたりで。印刷するに、張り付いてたですが。張り付いても、ダメでして。
での、現在唯今のは、プリンターも三代目。益々の、設定も楽で、位置合わせの調整も、一度やれば、大丈夫の、失敗も、葉書を逆さにしたりの、我が方がミスせぬ限りは、相応にと。
されどの、こっちも、年々、歳喰てまして。

オッとの、その懐かしの、「プリントゴッコ」も、三年前<2008年>に廃版になってたです。

その、「理想科学工業」には、その昔、ローム時代、クレーム発生にての、茨城の工場に、一団を引き連れ、不良品の選別に行った事があったです。
イヤイヤ、クレーム処理は、処理として、嗚呼、ここが、「理想科学工業」かと。敷地の広い、立派な工場でして。「プリントゴッコ」を想い出したりと。


オトトの、そんな話は結構の、その息子共も、早や、30代。
2人共に無事に結婚もしまして。
長男には、三人も子どもが出来ての、こっちも、ビックリ仰天の、昨日<12月30日>、戻って来まして。正月2日まで、滞在なれどです。
二男夫婦は、昨日より、本日<31日>まで、嫁の実家<伊勢>にで、1日に、こっちに戻って来て、2日までの予定でして。

どっちにしたって、長男一家が戻って来たら、大変ゾと。孫共が、上に下に、あっちに、こっちに、ウロウロしまして。孫君2号は、産まれたばかりで、大人しいですが。
イヤ、これがねえ。当たり前に、腹が減れば泣き、うんち、オシッコ、腹減ったで、泣くですが。その他諸々の泣くのネタ、タネは尽きずとも、どちかとなればの、上2人からしたら、大人しいです。
変な話、私が抱っこしてやっても、泣かんです。
イヤイヤ、泣くけれどや。泣き方が知れてるです。

とかとか、ハタと、振り返りの、我が身もそんな歳。
孫を抱っこしたりの歳になったんやと。
それはええけれどの、パソコンを触ってたら、孫娘、孫君が、邪魔しに来るわ。
これがあっちに行けば、孫君2号が、泣き出しの、泣かれて、ほっとく訳にもの、我が鎮座の横手で、寝かされてましての、抱っこしたら、大人しくなりの。それでも、我慢たまらずの泣けば、最早の爺の手に負えずの、母上様<嫁>に、引き渡し。

そんな、こんなの、次第の、本日、大晦日。
との事なれどの、そんな気が全然の致しませんです。
とは云え、その合間を縫っての、正月準備。
居間、神棚、仏壇、三宝さん等々の鏡餅を飾ったり、正月用結び昆布を造ったり。

ででの、零時になれば、新年を迎える事になるのやなあと。
ホンマかいなと。

オッとの、での、諸般諸々、本年も残り僅かの数時間。

皆々様には過分のお引き立てを賜りまして、有り難う御座いました。
欲張りとは承知の、来る年、辰年も、本年同様、宜しく、御願い申し上げます。
(11/12/31)


NO.1025 年末年始の話

そんな次第の斯くなるでの、年末年始の話をと。
年末ともなればの、何かと気忙しく。
兎に角、年末には、正月準備をせなばと。

特段に難しい事をするで無しの、祝い箸に名前を書いたり、結び昆布を造ったり。鏡餅をしかるべくの造ったり。毎年、毎年、やってる事での、特段にと。
されどの、有り難い事に、この数年、毎年の如くに、祝い箸の数が増えてねえ。
されどの、されどで、名前がなあ。難しい漢字でも無いですが。間違おたらアカンと、予めに記録のパソコンのデーターで確認しつつ。イヤ、家族、我が一家の名簿を作成してまして。

書いてたら、孫共が、これは誰。これは誰と。自分のはと。
オッとの、日本語が喋れるのは、孫娘だけなれどです。孫娘が云うてたら、孫君も同様にと。オトトの、こっちは、喋れませんですが。言葉は理解してまして。ああ、ああと、自分のはと、一々確認致しまして。
これがおまえのやと云えば、持って、遊び出し。

イヤ、危ないです。
箸を持って、走られてみい。転けてみい。
過年には、割り箸を口にくわえて、走って、転びの、脳にまで、突き刺さってた子の事件、事故がニュースになったです。
当時から、さもありなんの、子どもはそんなモノ故、気をつけんとと。思てたですが。イヨイヨの、我が孫が出来てみい。走って、転ぶの年代故に、怖くて、怖くて、神経使うです。
そんな事、話をして、理解出来るの年齢でも無し。
別段に口にくわえて、走るでも無いですが。手に持って、走られて、転んで、目にでも、刺さってみいと。
何分の、怖さを知らんの年代でして。
知らぬが故に、周囲が気を付けねばならぬです。

云うたら、孫娘、4歳と半年。孫君2歳と2ヶ月。そして、産まれて3ヶ月のは、まだまだ、これからでして。
特には、この孫君が一番に怖いかと。流石に男の子なれどの、喜んでばかりもナと。兎に角、怖さ知らずで、向こう見ず。限度が分かってませんでして。同じに分かって無いの、孫娘と比較で、桁が違うかと。

孫娘も、4歳と半年故に分かって無いけれどの、2歳頃、ここまでの無謀さは無かったかと。
イヤ、例えばの、私なら、私を見つけて、飛びついてくれるは嬉しいけれどの、まともに、文字通りの飛び込んで来て。2歳程度故に、受け止めるが可能でも、もっと、大きくなってみい。こっちも、孫君も衝撃に耐えられるかと。
それ程に、全身で、ドンと来るです。

イヤイヤ、そんな意味ならばの、孫娘は、兎角にママ、ママの子であったです。
孫君が出来てから、ママ、ママの一辺倒でも無くなり、親は楽になりの、こっちは、可愛がり甲斐が出来て来たですが。イヤ、2人で、爺婆の取り合いをする故でして。これで、母親も多少は楽になるのかと。
そらなあ、従前なら、面倒見てやるに、見させてくれへんでねえ。孫娘がです。下手したら、泣いて、泣いて。或いは、ご機嫌麗しく無く。トイレにまで、追い掛けられてみい。落ち着くの間が無いゾと。
そんな時代からは、雲泥の差になりての、少々なら、母親が見えずとも、私共で、充分に遊んでくれるよになりまして。

でででの、12月の31日の、零時が過ぎの、正月元旦の時には、孫共3人も、寝てくれてまして。
大人のみで、「明けまして、おめでとう御座います。」と、新年の挨拶方々、長男と一緒に、初水を取りの、この日は無事に終えたです。

イヤイヤ、アトの予定なるは、正月元旦には、二男夫婦が戻りまして。
全員にて、お雑煮を祝いまして。
しかる後、息子夫婦共は、後厄のため、男山八幡に行くになってまして。先に、「亀岡シミズ病院」に寄りの、祖母<我が母>を見舞いにで。手土産不要の、テレビ・カードでも買おてやってくれと。
<参考=「禁断・奇談NO.3NO.4」又々の母転倒>

での、そのまま、八幡にと。
その間、私共夫婦で、孫3人の面倒をと。
ソラ、人手の多いの場所に、小さな子ども達3人を伴うは無謀でして。
まあまあ、息子共夫婦4人で行くが一番に宜しいかと。
孫共も、私共で、面倒見られるの状態になってまして。

そして、正月2日は、墓参、氏神様<大井神社>に初詣と、出雲大神宮にと、お参りで、干支の辰の置物をと。
その夜には、二男夫婦は、帰宅で、長男の嫁と、孫3人は、嫁の実家にと。長男は諸般の事情にての、我が家に戻るですが。
オッとの、二男夫婦は、年末、12月30日、31日と、嫁の実家に行ってまして。正月はこっちにと。
(12/01/04)


NO.1026 則を超えずの、自分流

例年ならばです。
一応は、当年の抱負を考えたですが。

イヤ、ホンマです。この歳で。

されどの、この歳ならばこその、飾らず、素のまま、無理せず、思うがままにと。

知らずは、知らずと。
承知は、承知と。
腹が立てば、腹を立て。

感動には、涙して、おもしろければ、抱腹絶倒。
イヤイヤ、孫共を見てましたら、つくづくにソ思うです。
嬉しけりゃ、満面の笑み。腹が立てば、全身全霊で、泣きの、叫びの、暴れまして。面白くなければ、不機嫌なる表情にての、プイと。

幼子故に素のままで結構での、産まれて、ンヶ月や、2歳、4歳で、大人みたいに、言動と本心が裏腹では、思いやられるの、裏腹が好ましく無くの、ウソであるは、重々の承知の上かと。
イヤ、時には、ソもしんならんの事もあっての、大人社会なれどです。

初心の貴重さなるは、幼子、孫共を見てたら、思い知らされるです。
保護者なるは、社会通念、慣習、慣例、所謂の、世の常識から、幼子を教育指導もせねばならぬです。

イヤイヤ、その保護者が果たしての、社会通念、慣習、慣例、所謂の、世の常識を承知してるかとなればの、甚だの怪しくて。


例えばの、子どもに挨拶を教えんの親が居てたら、お目に掛かりたいの、その親が、実社会にて、実践してるか、習慣化してるかとなれば、してへんゾと。
子どもの居てる場ではええ恰好して。
チャンと、挨拶するのえと。

イヤイヤ、ホンマやでの、この正月、ン日。
外に出て、近在の面々を見掛けたならばの、本来的、明けまして、おめでとう御座いますの、声くらいは掛けるですが。

オッとの、私はです。
されどの、面と顔を合わすを避けられてるの気配濃厚での、要は挨拶が苦手か、私が嫌われてるかと。

嫌うも、好きも、左程に話をしてへんの近在の面々なれどの、こんな時くらい、正月程度は、明けまして、おめでとう御座いますの一言はと。
知らんふりは寂しいかと。
どこ様か、全然の知らんなら、別問題の、そこの人でして。

イヤイヤ、ホンマやでの、当世、挨拶一つ、出来ぬ人が多くなってるです。

加えての、人間社会には、不文律、モノの道理がありましての、礼儀があるです。
それを実践して、損は無いです。
知らねば、損する場合があるです。

損得で、礼儀を実践するでも無いですが。
まずは、大人に教えてやるべきかと。

オッとの、新年早々に下らんの話になったですが。物事、打算で動いてたら、一発、見破られるです。
少なくともの、打算は見えるです。

でででの、思うに、そんな次第の、本年、素のままに、思うが事をと。
当たり前に、大人社会には、常識の範疇なるがあるですが。

何れにせよ、辰年、昇竜の年。
万事、昇竜、興隆、一流、則(のり)を超えずに自分流をと。
(12/01/06)


NO.1027 方向音痴自慢の話(1) 見舞いの道中

イヤ、昨年末、母転倒にて、腰椎圧迫骨折にての、「亀岡シミズ病院」に入院。
での、1月4日、妹一家、婿殿と甥が見舞いに来てくれまして。

イヤイヤ、母転倒にての入院は、12月25日の事なれどの、その数日前に、妹婿の母が転倒してたですて。しかも、腰の複雑骨折<ヒビ>でして。人工骨を入れたですて。へえと。
へえは、ええけれどの、ホナラのお見舞いにと、本日<1月7日>、行って参じたです。
場所は、伏見の、「大橋病院」でして。

「大橋病院」は大手筋のソバ、竹田街道沿いにありまして。かつて、我が一家が一時的に槇島に住んでた時には、通勤の経路でもありまして。外からは、重々承知の内部には入った事が無く。
当たり前に用事が無いからでして。

イヤイヤ、その昔には、その婿母が勤めてた病院でもありまして。
オッとの、妹一家は、昨年、滋賀から、伏見に引っ越したです。しかも、そのソバにです。歩いて、5分も掛かるかの場所でして。

そんな次第の、インターネットにて検索の、「大橋病院」に行くに、妹が住むの近在にも、コイン駐車場はあるですが。病院の駐車場はと、探索したなら、あったなあ。

折角なら、そっちに駐めよかと。
での、嫁はんと車で向かいの、妹には、その旨連絡にての、イヤイヤ、恐ろしいモノで、前回は、我が息子の運転にて、引っ越したばかりの妹宅に行ったですが。此度は、自分の運転は結構の、元々が人名、地名、方向音痴で、真正、純正音痴なれどです。道中、以前の風景から、道程から、変わってしもててねえ。

まずは、国道9号線<山陰道>の、「樫原秤谷<かたぎはらはかりだに>」から、樫原山陰街道を真っ直ぐの、桂方面にと。阪急京都線の踏切突破の、直進は結構の、あれれのおかしいなあと。
イヤイヤ、こんな道、過日、過年、嫌と云う程走ってまして。されどの、高架の下を潜った筈が、潜るの箇所があらへんでねえ。多分なら、JRが上を走ってたのにと。

その界隈には、その昔、キリン・ビールの工場がありまして。イヤ、無くなってるは承知はしてるの、兎に角、おかしいなあと。
おもいツツの、真っ直ぐに走ってたら、ドン突きでして。イヤイヤ、桂川街道、「下津林<しもつばやし>」の信号でして。ソ云うたら、過日、過年にも、同じの現象に遭遇したです。
父方、叔父嫁の際です。他界しましてねえ。見舞いと、葬儀の道中でして。
<2008年12月>
<参考=「不可思議の世界NO.5NO.6NO.7」叔母の話>

云うたら、その当時からです。
道なりに行けば、様子が違うのがです。
まとも、予定、想定ならばの、「上久世<かみくぜ>」になって、国道171号線を南下の筈でして。
まあなあ、桂川街道でも、南下で、上久世に行きの、国道171号線に行けるですが。

その171号線を、「東土川<ひがしつちかわ>」で、東に向かえばええものをや。何を錯覚、錯乱、勘違いの、攪乱したかの、行き過ごしてしもてねえ。ンと。行き過ぎやと。
とりあえずは、適当なる信号、場所で、左折せねばならぬゾと。適当なる信号、「菱川・上植野<ひしかわ・かみうえの>」で、左折。要は、「横大路<よこおうじ>」の外環状線に向かうの道をと。
されどの、一寸だけ、行き過ぎでして。

イヤ、外環状線からでも、妹宅、「大橋病院」にでも行けるですが。自慢や無いけれどの、人名、地名、方向音痴で、真正、純正音痴の我輩ゾの、どこから突入したらええのか、皆目、さっぱり、分からんわと。
言語明瞭には、「大手筋<おおてすじ>」通りなれば、良く承知の、正直には、多少は承知の、道中、現在地も、周辺の景色もある程度は理解の、記憶もしてるけれどや。他は分からんです。

オトトの、そんな次第の、横大路を東に進みの、嗚呼、ここかの、正確には、どこをど行ったか、分からんの、適当なるの信号にて、「大手筋」に突入したです。
イヤイヤ、大手筋にさえ到達すれば、大手筋商店街の手前の、竹田街道とするよりは、モそこには、「大橋病院」がと。
ところがや。
当世、イツからか、油小路通りと称するの。イヤ、油小路通りの、その先の、仏光寺<通り名>ならばの、我がご幼少時代の住処の存在するの場所なれどの、阪神高速道路8号京都線<高架>なるのが出来てまして。

これが、ども、我が感覚を狂わせるです。
当然の、その昔には存在せずの高速道路とするのか、高架でして。
それが、道のど真ん中に、ドカンと、延々の存在しててみい。現に存在しの、何年も経つけれどや。話簡単の、硬直化、陳腐化、柔軟性欠如、拒否反応が先に立ちの、只でさえ、方向音痴、地名音痴で、真正、純正、音痴の我輩ゾの、錯覚、錯乱、勘違い、攪乱現象をば呈しましての、この道でええのかなあと、なるんやわと。
ソレが無ければ、まともに、すんなり、道を間違いもせずの、一直線、速攻にて、到達してるの、この時代、こんな人間なら、カー・ナビゲーションでも付けたら、多少は心丈夫なれどです。
我が愛車、カローラには、付いてませんです。付けてませんです。

そんな遠出も年何回やと。
その年何回が、大変なれどです。付いて無いのは、付いてませんでして。今更の、付けるの気も無くて。イヤ、正直には、付けたいなあと、思てるですが。宝くじにでも、当たったらと。
オトトの、そんな次第の、大手筋通りにさえ、到達の、商店街がさえ、視界に入れば、こっちのモンやと。
話、超簡単の現在地把握。
そんな意味ならばの、道中、途中より、現在地が分かって無かったです。
オッとの、分かって無くとも、どっち方向に進めば、何とかなるの程度は分かってるですが。東京、大阪、神戸や、名古屋、北海道、九州やあるまいにと。
かと云うて、ハタと気が付けばの、大阪方面、奈良方面に向こてるの可能性なら、大いに存在するですが。
途中で、気が付くかと。
(12/01/08)


NO.1028 方向音痴自慢の話(2) 母君の様子

そんな次第の、斯くなるでの。
地名、人名、方向音痴で、真正、純正音楽音痴なるは、走り慣れてないの地域、道路では、心中、余裕が消滅してるかと。
承知してるの界隈ならば、先の先まで、予測をしてまして。道路幅から、車の様子。家並、景色を想定出来てまして。信号の有無、長さまで。よって、迂回等々、選択も出来るですが。
慣れて無いと、先の先が、読めへんでねえ。そもそもが、現在地が分からんわと。

イヤイヤ、伏見界隈を走ってるは承知をしてるですが。目的地、「大橋病院」に、接近してるも分かってるの。問題は、一筋違えば、大間違いでは無いものの、到達出来ませんです。
要は、その近辺、ピンポイントにしか、分かってませんでして。
外環状線を真っ直ぐ行ってしもて、国道24号線まで、出てしもたら、反って、分かり易いも承知の、左折で、「御香宮神社」の信号にての、又、左折の云々での、「大橋病院」には行けるです。
とは重々承知の、遠回りやしナと。

道中、こっち、「大手筋」の標識を発見での、嗚呼、こっちから行けるかと。
その、そっちに行くが大変の、車が多てねえ。下手に進路変更、車線変更したら、余所様の車に接触するしで、されどの、意地悪して、入れさせてはくれへんしと。都合良くの信号が赤になりての、何とか、左折側に移動出来たですが。
ホンマやでの、意地悪が多くなったナと。私なら、入れてやるのにと。

当世、入れてやっても、ハザード・ランプ点滅での、アリガトさんの合図を発信するの礼儀も、無いのが多数なれどです。
イヤ、ホンマやでの、人間社会も同様でして。ドアの向こうから、余所の面々がこっちに来る故、片隅に待機で、道を譲ってましても、知らぬ、存ぜぬ、当然の如く。
タマに、黙礼されたら、へえと。分かってくれたはったかと。親切の押し売りしてるで無いけれどや。狭いドアなら、同時に、交錯も出来ひんわと。どっちかが、譲るなら、こっちがサと、譲って差し上げる方がと。

オトトの、そんな次第の、「大橋病院」には無事に到着の、さての、駐車場なれどです。
予め承知の、大手筋の次の信号を右折で、あったです。
イヤ、様子を伺えばの案外に空いてまして。イヤイヤ、当日、1月7日<土曜日>なるは、午前中診察されてまして。到着は、正午に30分程の手前での、下手したら、満車かと思てたですが。
満車なら、妹宅のソバのコイン駐車場に行けば宜しいですが。
こっちなら、入院患者に面会等々、病院に用事なら、1時間無料。以降、20分で、100円也でして。
コイン駐車場は、当然にして、無料無し。
そこで、妹にケータイ一発、大橋病院の駐車場に着いたと。ここになら、5分もあればと。一家も来られるです。

斯くしての、妹一家、婿殿、甥<二男>の3人が現れまして。
ホナラと、「大橋病院」にと。
イヤイヤ、事程左様の、「大橋病院」の前なら、幾度も、通過はしてたですが。入るは初めてでの、用事が無かったからでして。
正直、案外に大きいのやなあと。云うたら、町医者と、大型総合病院の中間的での、「亀岡シミズ病院」の規模と同程度かなあと。あちら、亀岡のは、駐車場が狭いモノの、こちらよりは、数段に広いかと。
且つの、只でして。

そんな話は結構の、婿殿が、駐車カードの判子を貰てくれて。さての、病室へと。
入って、婿母君を見れば、はっきりとは、綺麗にされててねえ。過日、一昨年、この時は、大津の日赤病院なれどの、時には、病棟そのものは、新しかったですが。病室は暗あてねえ。
当人、母君も、諸般の事情にての、要は、脳出血で、左半身不随症状での、すっかりの、落ち込んでまして。
極端には、泣いて、泣いての、顔さえまともに合わせてくれへんの状況なれどです。

オッとの、実際には、泣いたあらへんけれどや。
顔も合わせてるけれどや。表情からは、情け無い、情けないと、訴えてるみたいでねえ。
ソラ、分かるです。突然の不自由なる身にもなってみいと。特には、左足が動きませんでして。

実は、此度の腰の複雑骨折<ヒビ>の原因なるは、この、「大橋病院」での、ディ・サービスの際、車椅子で、落下のモノを取る際、左手を伸ばし、その左足が踏ん張れずに、ズルズルと転倒でして。
高齢故に、その程度で骨折したかと。

そんな次第の、斯くなるでの、此度はニコニコしてまして。病室は古いけれどの、明るくて。
正直、一目見て、安堵したです。前回とは、状況が違うと云えば、違うけれどや。腰に人工骨をと、聞いてたしで、大変やなあと、思てたですが。
イヤイヤ、そんな事で、如何なるの挨拶したか、明けまして、おめでとう御座いますとは、云えずの、開口一番、正直に、綺麗にしたはるねえと。ホンマやしと。

での、母君、孫<二男>に、よお来てくれたと、握手をしたり。イヤ、新年初めてらしく。
ででの、自分から、ここを切らはってねえと。手術アトを見せてくれまして。オトトの、これ又、正直、傷口が小さくて。
私の骨折<足首>の際には、プレートを入れたにしても、20センチもメスを入れられてまして。ベッドから、足を降ろせば、血が下がって来ての、痛あて、痛あてねえ。暫く、声も出せへんでねえ。
見舞いに来てくれたの面々には、申し訳無いと。正直、痛あてねえと。血の動きが分かるんやと。されどの、心配無用の、日にち薬やしと。

そんな事で、手術も二三針ですて。事実、傷口も殆ど治ってまして。傷口とは、メスを入れた箇所なれどです。フウンと。当世、凄いですねえと。
オッとの、こんな場で、私の手術の話なんか、してへんわの、徹頭徹尾の、母君の事だけやと。
当たり前の、時々、居てるの、自分の時は云々のと。こんなに、あんなに、大変でと。あのなあの、誰の見舞いに来て参じたかの、手術自慢に来たかと。
多少ならばの、経験談も結構なれどです。


宜しいねえ。
婿殿から、人工骨云々と聞かされたの際には、大手術かと。高齢で、耐えられるかと。耐えられるが故に、手術なれどです。されどの、複雑骨折では、手術をせねば、歩けませんです。
手術をしても、傷口がと。そっちが、早期に回復せねば、リハビリも進まんかと、勝手に心配してたですが。見て、嗚呼、これならナと。

更に、母君の様子を見てたら、自力で、腕のチカラで、カラダの移動を簡単にしてまして。フウンの、大したモンやと。我が母なるは、現在、それが難儀でねえ。病院でも、カラダの移動がナカナカにと。
イヤイヤ、ホンマやでの、これだけ、動けてたら、大丈夫かと。
とは云え、足の方はと、見れば、不自由な方、左足はむくんでまして。当人も、腫れててねえと。わざわざの、パジャマをめくって見せてくれたですが。太さが倍とまでは、申さんの、見て一発、太さが違うの、むくんでまして。されどの、色艶が宜しくて。

オトトの、斯く申すの、私め、相当人数の見舞いに行って参じての、その辺りの様子は観察してるです。失礼乍らの、死期が迫ってたら、色艶、土色。むくみ以前の、骨と皮。
これでは、とてもやないの、歩けえへんなあと。
とは口にはしてへんけれどや。

対して、母君なるは、とりあえず、回復も早いかと。
但しの、左足が不自由は、不自由にての、自力で動かせませんですて。困った事やなあと。
(12/01/10)


NO.1029 方向音痴自慢の話(3) くら寿司えの話

イヤイヤ、ホンマやでの、想定してたよりは、数段のと。
元気でねえ。明るい表情でねえ。綺麗にしたはってねえ。オッとの、高齢、85歳故に、化粧まではしたはりませんの、色艶良くの、もしかしたらの風呂上がりかと。
見舞いに行って、落ち込んだはったら、やり難いゾと。元気過ぎても、異な感するですが。

ソラなあ、見舞い、百戦錬磨。
おじ、おば、義理の縁者に、いとこ、はとこ。友人、知人に、会社関係等々。
これがなあ、おじ、おば、義理の縁者に、祖母の姉妹等々、我が祖母の代より、延々でして。親父が行かんし、孫の私、長男の長男が連れられて。
祖母が動けんよになりの、他界にての、我が母にと。
祖母の代なら、私め、無収入の学生故に、万事、祖母の負担なれどの、母になってからは、丁度、私も社会人になりので、一から、十まで、万事、経費、こっち持ちでの、冗談や無いの、大変ゾと。
お陰様で、この辺り、諸般諸々の、承知してるですが。
ソラなあの、常識的、冷静には、見て一発、分かるわと。見込みの有無がです。見舞いの品も、何にすべきかと。喰えへん人に、ケーキはアカンやろ。花もなあ、考えモノの場合もありまして。
世話が要りまして。
好きな人には、宜しいですが。

イヤイヤ、余りに深く考えず。喰えへん人にでも、ケーキ類でも構わんわと。孫子が居たら、そっちに回して戴ければと。同部屋の面々にでもの、ホンマやでの、菓子折を手渡したって、1人で全部は喰えへんわと。

話反対の、私も入院経験ありましてと。見舞いは要らんは本気であれどの、来て戴ければ嬉しいわと。
遠路はるばるの、伯母が、叔父が、来てくれれば、感動致すです。特には、母方、兄嫁が来た時には、ビックリしたです。この伯母は、バスは勿論の、電車もの、そもそもが、乗り物が超の苦手の、里帰りさえしてへんのにと。
ソレが、京都から、亀岡まで、来てくれて。言葉が出ませんでしたです。

余計な話の、この伯母も他界してるですが。後日、思えば、奇っ怪なる事があったです。
機会があれば、開陳をと。
オッとの、怪奇現象には非ずです。
イヤイヤ、私め、不思議な事を良く体験致すですの、但しの、くれぐれもの、霊感一切あらへんわと。そんな類の話で無いの、但しの、但しで、諸般、見守られてるの感はしてるです。
オトトの、再度、くれぐれもの、霊感的の意では無いです。
単純明快の、先祖を祀り、神仏を尊んでるだけでして。立場的、我が家を代表しての事でして。

モ一発、オトトの、先の見守られてるは、当然にして、私をなれどの、私自身は、我が家<親戚縁者全て>を代表してるの意識有りの、自分大事(だいじ)に非ずの、子々孫々を守れと、神仏、先祖に、モノ申してるです。
よって、神仏に、先祖に向かうの際、1人、1人の名を告げるですが。私の名は一番最後。下手したら、忘れてたりと。
それは一朝一夕に非ずの、一環、1つに、見舞いもあるです。礼儀もあるです。常識の範疇、慣習を遵守があるです。


トトトの、話を戻すの、元気な顔さえ見れば宜しいです。
さてのお暇の、昼食の時間に相成っての、我が心づもりならばの、一寸だけ、嫁はんを妹宅を見せて貰いの、そのままに、男山八幡の叔父宅にでもと。

イヤイヤ、過年、十年は経つかと。
叔父宅を最後に訪問したのがです。
叔父そのものは、その間、2008年末、叔父嫁が入院の際、見舞いに行きの、残念乍らの、葬儀の際。そして、2009年には、母入院での、見舞いに従兄弟<叔父の長男>と一緒に来てくれて以来の、3年が経つかと。

イヤ、久しぶりに、叔父宅に行くかと。
話をしたら、妹も、婿殿も一緒に行くと、サヨカと。


オッとの、そんな次第の、まずは、昼食でして。
婿殿曰くに、回転寿司に行こと。
我が車で、行っただすが。
イヤ、婿殿の車は諸般の都合で、娘一家宅<マンション>に預けてまして。駐車場の都合によりの、伏見の界隈、月、1万3千円ですて。へえと。へえも、この辺りなら、ソかも、分からんなあと。

とかとか、云うてるの場合で無いの、先は、油小路通りの、「くら寿司」ですて。へえの、実は、甥のアルバイト先でして。
ソラなあ、折角ならばの、宜しいかと。
コレ又、回転寿司も、足が遠ざかって、ン年が経つの、最近、行ってえへんなあと。

での、どんな具合に行くかを知らんの、あっち、こっちと、指示して頂戴の、さての、「大橋病院」駐車場を出発の、早速にも、油小路の交差点で、直進してしもて。
云うたら、油小路の、「くら寿司」とは、聞いてませんです。結果、分かっただけの、最初は、単に、「回転寿司」とだけでして。聞いて、我が方、ソかと。甥のアルバイト先かと。
までは、承知の、どこにあるかを知らんわと。

イヤイヤ、婿殿、右折と云うてたらしいですが。
耳に入ってえへんでねえ。その信号にて、「直進か、曲がるのか。」と、婿殿に尋ねてるのに、その時には、婿殿、耳に入ってえへんでねえ。直進してしもてから、曲がるのやでと。云うてくれの、云うたのにと。
オトトの、聞いてたのに、返事が無かったでと。

どちでも結構の、引き返せば宜しい事での、引き返しの、今度は、左折で、油小路をとりあえずは真っ直ぐの、さての、「くら寿司」はあっち、油小路の、右側にあるの、走ってるは、左側での、どこか、適当なるの、信号で、上手い具合にと。任せて頂戴の、目的地さえ、見えたら、何とでもと。
(12/01/11)


NO.1030 方向音痴自慢の話(4) くら寿司での話

本日<1月11日>、誕生日。
結果、60と、ン歳に相成るです。ン歳は隠す事も、無いの、5歳。丁度、60代、前半末期。来年は、後半初期になるのかと。歳やなあと。
ホンマやでの、昔年、余所様の歳で、65歳とか、聞いてみい。爺さんやなあ。年寄りやなあと、思たですが。自分がその辺りの年代に突入してるんやと。30代、40代、50代前半からの、65歳辺りは、遙かなる先に思てもいたしと。
そもそもが、そこまで、生存してるのかと。
とは、事実、20代、30代の頃には、思てたです。

での、自分が、その歳やなあの年代に達して、思うの事は、我れ乍らに、値打ちの無い、年寄りやなあと。
オッとの、されどの、別段にの、駆け足程度なら出来てるしと。とは云え、全力疾走は無理なれどです。現に昨年、10月には、氏神様、「大井神社」の、「大神輿」に参加させて戴いてるわと。
イヤ、時には、走らさせられてるのやでと。歩いての、約15キロではあらへんでと。
とは云えどの、しんどかったです。

高い処から、飛び降りるにしても、50メートル程度なら、逡巡致しませんですが。これが、1メートルにでもなってみい。若き頃なら、何にも考えずに、飛び降りてたですが。最早の安全に、安全にと、しかるべくの体制でと。
これが、70歳近くにでもなればの、50センチでも、警戒信号発令になるのかなあと。下手に飛び降りて、骨折でもしたらエライ事と。
オトトの、反面、孫共も成長して来るかと。又、成長の反面、生意気になって、云う事も聞かんよになるのかなあと、余計な事まで、考えたりと。オッとの、5年やそこそこでは、孫娘は、9歳。孫君はまだまだ小学1年とか、5歳、6歳かと。5歳辺りが一番に可愛く、面白く、怖い時期、何をしでかすか、冷や冷やの年代かと。

で、相応の値打ちとは、体力、運動能力の事に非ずの、人間としてなれどです。思考能力、経験値、堂々たるの態度かと。堂々とは、エラソな振る舞い、言動と同意で無いです。むしろの謙虚さが必要かと。
されどの、当世の見掛け、同年代の面々は、全くの値打ちが無いなあと。エラソな振る舞いしてるのが目立ちましてねえ。

でででの、現状、一番に困ってるのが、「視力」でして。イヤ、番外、断トツなら、シリョクは、シリョクも、「資力」なれどです。
パソコンの文字が見え辛(つら)あてねえ。
過日までは、日によりの、見えたり、見え難かったりしてたですが。最近では、四六時中、見え難く。メガネでも掛ければ宜しいですが。掛け慣れて無いがため、掛けての長時間、長時間も、半時もしたら、辛あてねえ。

二番手なら、明らかに、記憶力低下を実感してるです。
さての、本日、母の入院先、「亀岡シミズ病院」に行ったですが。殆ど、毎日とまでは申さんの、一週間に、3回、4回、行ってるですが。ご用聞き、その他、洗濯モノの回収等々でして。
出しな、何かあったなあと。何やったかなあと。
何かあった事を覚えてるだけ、マシとは思うの、その何を想い出すに、小一時間はウソなれどの、やっとで、嗚呼と。

昨日、それがために、銀行に出向きの、現金をば、引き出したですが。
要は、母の入院費、一週間分の請求書が届いてましての、支払いのつもりでしたです。思い出して、良かったなあと。病院到着で、思い出してたら、ガクリと来るです。
イヤイヤ、支払うべきは早々にと。


そんな次第の、斯くなるでの、「くら寿司」の話。
先刻、云うてるの、ここ、ン年、回転寿司屋には足も遠離ってまして。久しぶりでして。
車を駐車場に突入での、車が一杯でねえ。こら、待ち時間も相当かと。思いつつの、予約を取るに、手法が、タッチ・パネルでして。人数ン名。カウンターか、テーブル席かと、選択したなら、出て来た紙には、ナンバーと、待ち時間が記載されてまして。7分と。
へえの、そんなに早いのかと。確かに、待ち人、数人、一組かと。ホンマかいなと。車の数からしたら、十数組の待ちと思たですが。
ホナラと、7分もあれば、タバコ一服吸えるなあと、婿殿と階下<店は階上>に降りるの途中で、呼ばれたえと。まさかの、ソかの、吸うてるの間が無いのかと。

案内されたの、テーブル席に着席の、当世、くるくる回るの状態が変わってまして。皿には、透明のカップで、蓋がしてあってねえ。要は、下手に触らせぬよに、又、モノが乾燥せぬよに、埃、ゴミ、異物が付着せぬよにかと。
時代も進歩してるとするのか、工夫されて来てるなあと。

で、甥が極めて、大人しく。どしたんやと、問えば、見えるんやと。何がと、問えば、あそこから、店内丸見えなんやと。
云われて、真正面を見れば、成る程の、調理場とするのか、ネタ、仕込み場とするのか、舞台裏が見えてまして。甥はアルバイトに来てるが故、面々を承知の、面々から、店内丸見えの、照れ臭いのやなあと。
事実、あっちから、店内、客の様子が見えるし、見てるですて。見えるなら、見て、当然の、私共なら、知らぬ面々故に、どて事無いの、甥は顔見知りばかりでねえ。

オトトの、そんな話は結構の、寿司を選んで、カップから取り出すに、難しいてねえ。引っかかるです。
甥曰くに、遠慮せずの、強引にと。強引にはしてるのつもりなれどです。何分の初体験でして。従前ならばの、カップが無かったしで、ヒョイと取れるし、取ってたですが。カップが邪魔でねえ。
更に、曰くに、ソやなあと。甥がです。一寸だけ、皿を上に上げたら、パカと開くと。
ンの成る程のと、皿を一寸だけ、上げ気味にすればの、カップがパカと開きまして。やっとで、要領会得したです。

にしても、回転寿司も、一寸、来ぬ間に、手法が変わってしもてねえ。
悪い事では無いけれどの、回転してるの寿司以外の別注にしても、テーブル毎についてるの、メニューを見まして。ページをめくりの、しかるべくの、品があれば、これをと、タッチ・パネルで示せば、以て、注文が出来るの方式でして。フウンと。

皿も、積み上げる事も無くの、しかるべくの、放り込むの場所があっての、放り込めば、皿、5枚毎にクジがあっての当たれば、景品が戴けるですて。フウンと。
確かに、その方が合理的ではあるです。一皿、一律、100円故に、枚数のみで計算可能の、可能ならばの、ゲーム感覚で、放り込ませの、景品、子ども用なれどの、店員が重たいのを回収、運ぶの必要性も無く。

おあいそで、皿以外のを確認、集計するだけかと。
賢いなあと。
云うてる間にも、満腹、満腹の、食事は終わったですが。
(12/01/12)