シバケンの単なる雑談NO.178

雑談NO.176 雑談NO.177
雑談NO.171 雑談NO.172 雑談NO.173 雑談NO.174 雑談NO.175

雑談NO.160 雑談NO.170
雑談NO.110 雑談NO.120 雑談NO.130 雑談NO.140 雑談NO.150
雑談NO.60 雑談NO.70 雑談NO.80 雑談NO.90 雑談NO.100
雑談NO.10 雑談NO.20 雑談NO.30 雑談NO.40 雑談NO.50
題目一覧表

目次

雑談NO.179

NO.2050 祇園祭の話(4) 「祇園祭」の意の話

NO.2049 祇園祭の話(3) 鉾の囃子方の話

NO.2048 祇園祭の話(2) 祇園祭の時期は特別の話

NO.2047 祇園祭の話(1) 外食の習慣は無かったの話

NO.2046 近所に出来た歯医者の話(15) 歯の掃除、一時間也の話

NO.2045 近所に出来た歯医者の話(14) 金閣寺の話

NO.2044 近所に出来た歯医者の話(13) 光悦寺の話(2)

NO.2043 近所に出来た歯医者の話(12) 光悦寺の話(1)

NO.2042 近所に出来た歯医者の話(11) 歯科衛生士の話(2)

NO.2041 近所に出来た歯医者の話(10) 歯科衛生士の話(1)

雑談NO.177


NO.2041 近所に出来た歯医者の話(10) 歯科衛生士の話(1)

そんな事で。
本日<6月27日>、「下京区役所」に行って参じたです。
オッとの、何をしにかと、なればの、長男嫁のパスポート申請の為の、戸籍謄本取得のため。

オッとの、とっとの、これ、当方が申したです。取って来てやろ怪と。
いやね、当世、郵送で、頼むも出来るですが。請求人の身分証明、発行手数料分、低額小為替とか、返信用封筒に、切手とかとか、ややこしいねえ。
当方なら、別段にと。

オッとの、とっとの、安全見て、委任状を書いて呉れたですが。
イヤ、よお分からんでねえ。
息子共、独身時代なら、或いは、母とか、自分、嫁はんのなら、特段のややこしい事、考えずの、すたすたと、区役所に行きの、所定の用紙で、請求したですが。

息子共結婚で、戸籍上は、独立してまして。実際にも、独立して、同居はしてませんでして。
独立とは、筆頭者、当方の戸籍からは、抜けてるです。
結婚故、嫁は、息子の戸籍に入籍してるですが。まあ、つまり、当方の戸籍でありませんでして。この場合、代理人になるのか、成らぬのか、その辺り、初故、安全見て、委任状をと、書いて呉れて。嫁が。

当方的、直系でして。独立しよが、何しよが、です。
いやね、その話の時、嫁と一緒に、インターネットで、でも、要旨拝読したですが。結婚した、兄弟のは、取得出来ませんですが。委任状あれば、取れるですが。

要は、直系であるの、祖父母、父母、配偶者、当人、子、孫なら、取得出来ると。当方、父故、取得出来る筈でして。
但し、嫁から、当方、義理父でして。ンの、義理であるとか、実のであれ、所謂の、「柴田」家の戸籍故、父は、当方。
変な話、嫁の実の父、戸籍上、直系で無いになる故、戸籍謄本なりの取得、娘のは、代理人となり、委任状がいるのよにも、受け取れて。

まあな、確立、95%で、当方なら、委任状不要で、別居であれどの、息子共一家のは、取得出来る筈也と。
一応は、安全見て、持参するにしたですが。折角の書いて呉れたもあって。

考え鱈、母のも、取得出来てるなと。
云うてるは、当方結婚にて、戸籍上、親から、独立してるになるですが。同居故、その辺り、一切の考えた事が無く。
云う鱈、直系と、同居、別居、無関係でして。

そんな事で、コレ又、安全見て、JRで、行くにしたです。そらな、「下京区役所」なるは、京都駅のすぐの、そこ。まあ、歩いて、5分掛かるか、掛からんの距離。
勝手知ったるの、場所でして。スタスタの、何階であるのか、3階であったの哉の、階段で登って、所定の用紙に、しかるべくの、記載。

受付に出せば、ンの、番号札取って下さいと。へえと。
取って、出せば、ンの、現在、ン番の方ですので、前に1人、居られるですねえと。へえと。
よお、見鱈、受付には、受付番号掲示してあったです。

云うたって、先客1名様の、すぐにも、番が来ての、記載の用紙提示で、「父」は、どちらのですか。「戸籍筆頭者」のです。
必要な方は、この方<嫁>ですねえ。ハイ、そですで、受け取りの番号札戴いて。
いやね、判子もいらんのやねえ。所謂の、窓口に来た、当方の身分証明であるの、運転免許証の提示のみ。

イヤイヤ、その昔々の、ン十年の昔には、細々、色々云われて難儀したですが。
当世、簡単、簡単、超の簡単の、且つは、手空きの職員が、用紙に記載法分からんの方々、高齢者等々に対し、懇切丁寧に、指導、相談してまして。フウンの、隔世の感。

とか、思てるの間にも、モニターに、受け取り番号表示されましての、受け取りましての、一件落着。
帰りには、京都駅の、京銘菓売り場に立ち寄りまして。
まあな、一番に安い、でも無いけどや。
「三昇堂小倉」の、生麩餅、3個入り<648円也>を注文。
いやね、京都駅には、良く来てるですが。時間あれば、この界隈見てるですが。これを、一度、喰てみたかったです。当家、爺婆2人故、3個は中途半端なれどの、1個半ずつに、してでもと。
いやね、かと、申しの、5個入り、1080円でして。云う鱈、1個、200円也の消費税。
いやねの、いやねで、夕食後に、喰たですが。ンの、これねえ。一寸した、会席では、時々、デザートで、付いてるの生麩餅。


そんな次第の、斯くなるでの、歯医者の歯科衛生士の話。
いやね、彼女、結構、喋って呉れて。
最初曰くに、自分は、三人姉妹の末っ子也と。へえと。
ところがですねえ、姉に、三人の男の子で、中手も、男の子で、自分も、男の子が出来ましてと。子どもが、皆、男の子ですと。へえの、凄いねと。

での、当方に尋ねるに、お子さんはと。当方ねえ。男の子、二人ですと。
結婚はと、尋ねられの、お陰様で、してるですと。孫が、上が、女の子で、10歳でと。
申せば、そんな大きなお孫さんがおられるですかと。ンの、何と、返答して良いのやらの、そんなに若く見られてるの怪なあと。
問診表には、相応に、生年月日記載しの、別室での、質疑応答、問診でも、その辺り、分かってると、思てたですが。

での、話のついでにと、女の子は、可愛いねえと。
初孫で、女の子で、珍しいと、するのか、息子二人であったが故もあっての、可愛いねえと。更に、孫君三人でしてと。
これはねえ、珍しくは無いのと、怖いねえと。怖いとは、やんちゃ故と。
いやね、男の子と、女の子では、全然の、ここまで、違うかと、感心する程に、違うねえと。

いやねのいやねで、男の子は、ある程度、やんちゃの方が結構なると。女の子みたいに、大人しいでは、困るしねえと。
さりとての、怪我されても、困るの事よの、お子さんが、男の子との事故、その辺り、大変と、思うですと。
余計なるの話、親としても、難しくと。

そらね、男の子の方が、頼り甲斐あると、云えば、あるけれどの、女の子は基本、優しいしねえ。
まあね、当世と、我々の時代で、考え方、相当に違うですが。
(17/06/28)


NO.2042 近所に出来た歯医者の話(11) 歯科衛生士の話(2)

少々、話、戻るですが。
主目的、嫁の戸籍謄本、手にして、一件落着の、帰りしな。
「三昇堂小倉」の、生麩餅を手土産にと。
云うとくの、仏壇、ご先祖様には、一番にお供え致すですが。戴くは、生き仏様なれど、です。

いやね、京都駅の、京銘菓売り場に立ち寄ったと、してるですが。
具体的には、塩小路から、中央改札口に向かいの、駅構内右手。
そこの、ショー・ウィンドウに、ワラビ餅とか、生麩餅が、陳列してあったです。

概ね、これにしょと、3個入りのを選択、決めて、店内に入ったですが。ンの、モノが見付からんでねえ。売店の、姉さん、この場合、若手不在で、中年小母さんばかり、なれどの。内の1人に、生麩餅が欲しいですがと、申せば、ンの、きょとんとした表情されて。ンと。
見付からんが故、尋ねてると、するのか、注文してるのに、その表情、何たるチアの、惨たるチアと。

いやね、表情見鱈、概ねの、内包されてるの感情、読み取れてるです。
あんた、何云うてるのかの、蔑んだ目つき、顔つきでして。ンと。
場違いであったの哉の、されどの、ウィンドウには、置いてあったですが。

での、その中年小母さん、云うたって、まあ、50代哉のが、目線で、あっちと。そっちに、行けば、目的とするの生麩餅があったですが。
ど云う事かと、申せば、その店内、店一箇所で無く、何箇所かが、入ってるんやねえ。尋ねたの一角、多分なら、「おたべ」の売店。
そんな事、知らんがな。京都駅には、回数知らずの、度々の来てるですが。そこの京銘菓売り場で、京土産なるを、買うは、初でして。

その昔々、大昔には、度々の買おてるですが。京都駅も、改装されて、何年経つやの、「伊勢丹」が出来て、十年、二十年は経つの哉の、再度の、改装以来、初でして。
にも関わらずの、あの、この、冷たい目線、表情なるは、何たるチアと。
まあな、同じの、場所で、ライバル店同士で、仲が悪いの哉と。
にしても、あの表情、瞬時、ゾとしたです。申してるです。その方の内心、内包されてるの感情、スケスケに見て取れて。へえと。
云う鱈、所謂の、京都弁で、イケズ顔。標準語でなら、意地悪顔。

これが、お愛想であっても、ニコとした笑顔で、あちらですと、指指されたら、次回、何年先か、分からんですが。買うかも、未定なれどの、当方、その昔の、京都の手土産には、「おたべ」を選定してたですが。
機会あらば、その、「おたべ」をと、思うの気、霧散の、余程で無いと、買わんなと。

だけでは、終わるらんです。オトトの、順番、逆なれどの、生麩餅を買い求めるの、直前。
さての、電車の時刻には、少々早いですが。駅に入ってもて、列車到着に並ぶかと。その前に、手土産、調達したですが。
更なるの、その直前の、「下京区役所」より、京都駅でして。その、京都駅構内に入るの時、1人の、外国人と、ばたり。

オッとの、知ってるの外国人。
いやね、当方、ここ数年、「大井神社」秋の大祭、本御輿に、参加、ご奉仕してるですが。中に、1人の外国人も、参加してまして。
イヤ、参加履歴、経験、年数、当方の方が、永いですが。
昨年度、ホンのチラと、喋ってまして。その外国人と。
オッとの、純正、真性、外国人かは、知らんですが。どこの国の、かも、知らんですが。とりあえずは、外見、外国人。

それでや、構内に入るの、その時、ンの、そいつがと。
そいつ、とは、失礼なる表現なれどの、名を知らんです。「大井町」在住は、分かるですが。よて、御輿に参加してるですが。何年か、参加故、偶々の参加でもありませんでして。

イヤイヤ、それでや、ハタと、そいつが、駅の中から、出て来るのを見た故、振り向き様、ぽんぽんと、肩を叩き、会釈するに、きょとんとした表情しやがるが故、あのなあと。
とは、申してませんの、「大井神社」の、御輿で、会おてるなあと。
当然の、純正、真性、日本語で、申せば、嗚呼と。ニコと。
だけの話の、あちも、こちは、帰るだけなれどの、少々急いでるの様子故、ではと、だけで、別れたですが。
とりあえず、日本語通じてるなと。まあな、何年か、居てる故、通じて、当たり前だの、クラッカーなれど。以て、次回、今年の事なれどの、会えば、又、話も、出来るなと。


そんな次第の、斯くなるでの。
歯科衛生士の妙齢の美女。
愛想が宜しいと、するのか、色々、喋って呉れて。
そらね、従前の、子、別途の、歯医者の、歯科衛生士も、黙っての、歯の掃除では無いですが。基本、歯の事について、だけ。
まあな、あちら様の方が、この子よりも、遙か、年齢上でして。多分なら、なと。

イヤ、あちらのが、無愛想と、するでは無いです。
簡単なるの、会釈、会話なら、してるですが。先の通りの、歯の掃除の話のみ。結婚されてるのか、子どもさんの事までは、皆目の知らんです。
年齢的になら、結婚もされてて、お子さんもと、推測してるですが。あくまでもの、推測でして。

こちらは、そんな具合に、自身、三姉妹の末っ子也と。姉妹、皆結婚で、子どもが、男の子ばかりの話で、へえと。そんな事もあるのやねえと、までは、申してませんですが。
云うのなら、実際には、そこまでは、申してませんですが。細々に過ぎての、当方の親族、甥、姪、義理のも含めの、孫世代、女の子は、2人だけで、男の子、7人。

云う鱈、長男嫁は二人姉妹で、姉のなら、男の子3人。この3人は、先の数には、数えてませんですが。
次男嫁は、ンの、三姉妹の中手なれどの、その下に男の子。されどの、妹家には、上、三兄弟で、その下に女の子で、親とは、正反対。
とかとか、女系とか、男系とか、申すも、世代、世代で、ころりと、変化するなあと。

くれぐれもの、そこまでの話はしてませんです。しとても、出来ませんです。
こちは、口をパカリと開けて、歯の掃除をして戴いてるの身。
応答するにも、ン、ンと、頷くと、するのか、が、やっとの話の、まともなるの、会話が出来るの状態で無く。基本、聞き手。
(17/06/29)


NO.2043 近所に出来た歯医者の話(12) 光悦寺の話(1)

いやね。
この話、どちらに掲載するか、投稿<みんながパソコン大魔神掲示板>かを、迷てるの内に日が経って。

いやね。
過日<6月24日>、神戸、長男宅に向かうの直前、朝に、ケンイチ君より、電話一発。
最初、ケータイに呼び鈴、着メロ、「踊る大捜査線」が鳴ったですが。出るが遅れたです。即の、電話の方にで、今、ええか。
まあな、短時間なら、なで、用件、パソコンの件、メーラーの件、Outlookの件。
当方、Outlookは使てませんですが、大した話と、違うやろと。大抵なら、なと。

での、不具合なるは、Windows10で、Outlookの開き具合が超の緩慢になったですて。何でやろと。知らんがな。
とは、申さずの、やれるの手、遠隔操作、指導、対策なるは、知れてるです。
一番、メーラーのブロバイダに異常の有無調査。これは、Webメーラーが正常にアクセス出来れば、結構でして。
二番、「プログラムと機能」で、「修復」をと。
三番目、まあ、最終的、大抵ならばの、これで、治ると、思うですが。要は、「回復」機能で、正常であったの時点に戻すの法。

ででの、細々、省略の、今度は、ほんとに家出るの直前、電話の呼び鈴、りんりんの、ケンイチ君より、「回復」にて、治ったと。そか、ヨカツタなで、一件落着。


そんな次第の、斯くなるでの。
イヤ、嫁のパスポート用、戸籍謄本なるは、後日、7月17日の、「祇園祭」の、宵山か、宵々山かは、分からんの、来る日で結構。
との事での、どちみちの、ハワイ行きなるは、10月の話。
戸籍謄本も、パスポートには、6箇月以内に取得が条件での。軽くの、有効。

話、一杯、あるですが。
ハタと。
いやね、10月16日から、ハワイと、聞いたですが。その、16日なるは、「大井神社」秋の大祭の、御輿の日。
やった、なと。

イヤイヤ、戸籍謄本取っての、その帰り、外国人と、ばたりの話。ここ数年、御輿で、見てる、話もしてるの外国人でして。
云う鱈、予兆的、ばたりと、会おてるのに、その事、御輿が、10月16日であるを、失念してまして。
での、ハタと、本日、先刻、気が付いて。
長男宅に、孫共の事、なれどの、面倒見るに、出向くに、前半か、後半かの件。考えるまでも、ナカツタの、後半にと。

いやね。
当方には、この手、不可思議なるの事、頻度高く、あるです。
只な、当方、察知するに、日数要するですが。これも、27日に、「下京区役所」で、京都駅で、御輿で、見てるの、外人にばったりで。
本日<29日>、ハタと。御輿の日の事、気が付いて。

一応は、此度。
とするのか、御輿の参加ご奉仕するの積もりにしてまして。
既に、多分なら、イヤ、きっと、最高齢に達してると、思うのけどや。どちみちの、戦力には、成ってませんの、賑わしだけの、数の内の、なれど、です。
云うとくの、話あって、諸般、出るが出来るの状態、健康ならばの、結構なると。

その件、受けるの積もりなら、歩け、歩けで、運動もせねばの、あるよで、無いの日にちでして。そらなあ、最早も、6月も、オシマイの、明後日からは、7月でして。
のんびり、ゆくりも、してられんです。
そらな、若けりゃ、高がの、15キロと、少々、大した距離で無いですが。道中、走るが故、それで、一発、足腰の、足、ガタガタ。腰は、どて事、ありませんですが。幸いにして。


とまあ、今回、「祇園祭」の話を、するの積もりが、別途の話をしたですが。
さての、本題、コレ、5月15日の、歯医者での話。

いやね、担当、妙齢の美女、歯科衛生士が、良く、相手して呉れまして。話をして呉れて。
従前のは、何年か、何回か、回数数えてませんですが。永いおつきあい、してるですが。そんな個人的話なんか、した事が無く。結婚されてるのか、お子さんの事も、皆目のと。
対して、此度、まずは、三姉妹の末っ子、末娘であるは、冒頭判明。且つは、姉妹の子が、皆、男の子であるも、聞きまして。結構なると。

まあな、その内、女の子も、出来るの可能性あるですが。
にしてもの、その手、偏るの傾向あるのやなと。
イヤイヤ、女の子が出来ると、以降、女の子の連発。男の子なら、男の子の連発傾向。

とかとか、それは、こちが、思てるの事での、云うてるの、当方、歯の掃除をして戴いてるの身。
口、パクリで、思うよには、喋るは出来ずの、八割方、九割方、先方、妙齢の美女の話を聞く、聞かされてるの身。
当方、ウン、ウン、そですかと、相槌打つがやっとの事。

での、更に、曰くに、彼女の実家と、するのか、話の筋なるは、こちらに、こちとは、亀岡の事、なれどの、嫁ぐ以前の、実家は、北区。
と、申し。
ンの、北区ねえ。北区のどこ怪なあと、尋ねたならばの、「鷹峯<たかがみね>」也と。

まあ、云う鱈、亀岡の人間、とは、当方の事、なれどの。
細々云うたって、分からんやろと、大まかなるの、「北区」と、申したと、思うですが。
そこで、「鷹峯<たかがみね>」と、聞いて、嗚呼、「光悦寺」があるなあと。申せば、へえの、よく、ご存じですねえと。まさしくの、実家は、その近くですと。まあね、「鷹峯」を代表するは、「光悦寺」でして。さもありなんと。

この時には、小休止の時であったの哉の。当方、口に暇出来、喋り出し。
いやね、高校1年生の夏休み、学友と、するのか、同級生と二人して、自転車で、行ったんやと。
高校はねえ、堀川高校。と、までは、云うたか、云うては無いかは、忘れたですが。多分なら、したかったの、本命の話、それで無く。

そらねえ、半世紀以上昔の、「光悦寺」の話。
それこその、彼女、産まれるの以前。
当世、どかは、知らんの、その当時には、閑散、閑静なるの、寺でして。

要は、門番、拝観料支払うの受付もありませんでして。
門のあるの、入り口には、竹筒が置いてありの、そこには、「寸志」と、してあって。
何の事かと、なればの、拝観料なるは、「寸志」で結構の、入れよと、ダケでして。果たしての、その当時、金潤沢持参でもありませんですが。
相場、拝観料、100円がと。よて、一緒に行った、それこその、「祇園祭」の、現、「菊水鉾」理事長、コウイチ君と、100円にしとこかと。投入したを覚えてるです。

いやねえ、彼女曰くの、当世、観光バスがと。
特には、外人、中国人哉が、団体さんで、観光バスで、大挙して押しかけましてと。へえの、さもありなんの。当時には、京都も、観光都市は、観光都市も、今程の、大宣伝してへんでねえと。

先の通りの、入り口、門には、竹筒一本、「寸志」の時代。
まあ、云う鱈、流石は、「本阿弥光悦」也と。とは、云うたです。
そらな、本阿弥光悦の寺でして。光悦の墓あるです。
(17/06/30)


NO.2044 近所に出来た歯医者の話(13) 光悦寺の話(2)

本日、6月30日。
とは、何の日哉。
と、なればの、日本国では、「夏越しの大祓の日」で、茅の輪巡りするの日。
とは、一年の丁度の半分、6月30日。津々浦々の神社、氏神様にて、執り行われるの行事。
当地、「大井神社」でも、行われるが故、行って参じたです。

お祓い済んで、お守りであるの、茅の輪と、水無月を一個ずつ戴きまして。
イヤ、嫁はんと、二人で参加で、一家に一個ずつ故。

での、一旦、家に戻りまして。戴いたモノは、置いて、夕食には、「ガレリア亀岡」<道の駅>の、そばの、にぎりの、「長次郎」に行って参じたです。
イヤイヤ、ここには、三度目でして。
一度は、嫁はんと。二度目は、次男一家と。そして、此度、三度目、嫁はんと、でして。
だけの話。

では、無いの。
この、「茅の輪」なるは、疫病退散の、「祇園祭」の、「ちまき」と一緒。
7月17日の、「祇園祭」では、「ちまき」を鉾から、まくです。囃し手が、でして。それを、受け、家々の軒先に吊して、疫病退散をと。
実際には、まかれて、拾えるモノに非ずの、そら、もの凄い人出で、とてもやないの、争奪戦展開されて。
大抵なら、近所の、囃し手が、事前に寄付とするのか、集めまして。そこ様には、別途、配ってくれるの習慣あったです。
よて、当家、実は、隣家の兄さん、菊水鉾の囃し手、してましての、その兄さん通じて、ちまきを戴いてたです。
の話は、別途に致すにするです。

いやね。
過日、テレビが壊れまして。
壊れたは、5月の話での。直すに、出張代と、するのか、技術料だけで、1万円也でして。

いやね、当家に、テレビなるは、三台。我が家の人口、たったの二人。
要は、母亡くなりましての、台数、多過ぎるです。
そもそもが、居間に一台で、基本、家族全員が見てるですが。

居間のは、BSが映り、他は映らんでして。アンテナ線さえ、引けば、繋げば、映るですが。
元がどこかが、分からんでねえ。
オッとの、その話をするでは無いです。壊れたのを、廃棄の話。

亀岡では、何箇所か、廃棄の場所あっての、ガレリア亀岡、市役所でと、してあったですが。
よ、考え鱈、家電4品目、テレビ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機については、しかるべくの、リサイクルせねばの、とりあえずは、「Edion」に持ち込みましたです。
処分費用、テレビ<17インチ・液晶>では、リサイクル費、2916円也に、運送代、1080円。
都合の、3996円也の、要は、約の、4千円も掛かるんやねえ。凄いねえ。

新しいのを、買うなら、処分もしてもらえるですが。
廃棄のみ故、まともに、費用発生。
ま、しょがないなと。とりあえずは、以て、一件落着。


そんな次第の斯くなるでの。
歯科衛生士の、妙齢の美女、諸般の話をして呉れて。
へえの、北区ねえ。鷹峯<たかがみね>ねえ。ならばの、「光悦寺」やなあと。へえの、家は、その近くですと。へえの、そかと。
そこで、ン十年昔の、「光悦寺」の話をしたり、致してね。

いやね、当初、まさかの、北区で、北区のどこやと、尋ねられ。彼女がや。
鷹峯で、まさかの、まさかで、「光悦寺」の話が出て来るとは、夢にもの事。
こちにし鱈、半世紀の昔の、高校生時代、1年生の、夏休みに、後年、「菊水鉾」の理事長になったの、学友と、一緒にの、「光悦寺」の近所の方とは、夢にも、でして。
当然の、年齢的、その当時には、彼女、陰も形もあらへんですが。

いやね。
その後年、とは云え、何年昔かの、二十年経つのか、下の叔父の息子、従兄弟なれどの、その鷹峯の、「東急ハーヴェストクラブ」であったの哉で、結婚式致しまして。
参列したのが、鷹峯が二度目の事。
云う鱈、鷹峯には、早々に用事は無いですが。

無くとも、細々は、知らずともの、どの辺りの事か。どんな様子かは、承知してるわと。
それが、所謂の地元であるの、強み。

いやね、妙齢の美女、歯科衛生士曰くに、当方、半世紀の昔、「光悦寺」に、自転車でと、申したならばの、あの坂道を自転車は、しんどかったでしょと。
ンの、当時は、高校生やしなと。半世紀の昔の話やしなと。

イヤイヤ、その界隈、所謂の、北山でして。山でして。
京都は、盆地也の、その山手でして。山手たって、山の麓に成るですが。坂も、勾配が、凄いで無いです。多分なら、なと。
自転車では、少々きつい鴨の、下りは楽、なれど。

どちにしても、その高校生時代、一度、行ってるが故、従兄弟の結婚式場、当然の、存在知らんかったのけどや。
それから、三十年経ってたですが、場所的、概ね察知の、一発、迷子に成らずの、到着してるです。
それが、勝手知ったるの、地元の強さでして。
イヤイヤ、「光悦寺」には、行った事、無くとも、分かるです。
いやね、神社仏閣、名称聞けば、場所程度、承知してる故。正直には、高名なるの、神社仏閣なら、一度は、探訪してるです。
よて、嫁共、孫共にも、出来れば、機会あらば、連れてってやりたいなと。常々、思てるです。

そらな、知って、損致さんわと。
「光悦寺」は、本阿弥光悦の寺也の、墓所也の、本阿弥光悦なるは、日本史に出て来るわと。
(17/07/01)


NO.2045 近所に出来た歯医者の話(14) 金閣寺の話

いやね。
「大井神社」の権禰宜<ごんねぎ>。
丁度、当方、区長時代<2005年度>に、消防分団のえらいさん、されてまして。イヤ、分団長では無いですが。
亀岡市長より、表彰受けて。イヤ、消防分団が。
その激励会とするのか、披露会にて、テーブルが一緒になりまして。

その時、初めて、その方が、「大井神社」の方と知りまして。
それで、諸般、尋ねたです。坊主になるに、例えばの話、龍谷大学、大谷大学、佛教大学等々、その手、大学あるですが。
所謂の、神職、神主になるに、その手大学はあるの怪と。ほならの、國學院大学、皇學館大学の2校あるを、知ったですが。

とかとか、その時、神職についての、詰問、多々致し。
今度は、偶々の、2009年度、副区長より、「大井神社」の秋の大祭、御輿のご奉仕を頼まれて。
偶々としたは、当方、スポーツ・マンに非ず、年齢的、若くも無く。何の加減で、その手、話が来たか、分からんでして。

但し、何度でも、申すの、当方、基本、この手、頼まれ、断るは無いです。
断ったは、自治会役員の会計だけ。
それも、一番最初の話の時には、一切の断ってませんです。この経過は、何度か、掲載してるの、時の流れに従おただけでして。
話簡単には、当方が、するの流れに非ずの、別途の地の方が、就任されるの運びであったですが。急遽、諸般の事情にて、その方より、やて呉れんかと。

まあ、云うたら、出来るの状態に無い故、代行でして。ンの、会計就任そのものは、代行で無いですが。
ならばの、代役怪。
諾と、返答の、結果的、その方の都合が付いてもての、又、急遽、土壇場の、任期最後の日の、3月31日に、その方に成ったです。
モ、一発、まあ、云うたら、自然の流れで、別途の方が、会計やると。その方の都合で、当方にやって呉れへんかと。
その方の都合で、矢っ張り、出来ると。
翻弄されたです。

どちに、しても、その時なら、会計就任も、覚悟決めたです。
決めて、流れ。又、次年度、やて呉れんかと。話あったですが。やる気、霧散してまして。
イヤ、勿体ぶるでも無いですが。モ一発、説得に来られ鱈、動いてた鴨なれど。それは、何度も、何度も、足、運んで戴くも、失礼千万と、思う故。
但し、間髪入れずになと。

ンの、何の話をしてるの怪の。その、2009年度の御輿以来、2015年度は、母亡くなり、遠慮致したですが。
ズと、参加、ご奉仕してまして。その都度、声掛けられ、声、掛けたり、致し。

での、何の話をしたかったの怪と、なればの、この、5月4日。
その、権禰宜が、テレビに出てね。
この件、「大井町」には、回覧で廻りまして。録画したですが。
前回、1979年<昭和54年5月4日>の取材以来、現在<2017年>も一緒哉と。その当時には、現、権禰宜の祖父様神主。現在、親父様。

での、余計なるの話、当家、当地に転入、その明くる年の、昭和55年になるなあと。そしたら。37年経つの哉と。
ででの、中身、この、「大井町」では、鯉のぼりは上げませんの風習ありての、その話。
ここでは、その程度に止め置くです。


オッとの、それでや。
6月24日、25日と、孫娘の誕生祝いにて、神戸、長男宅に行ったの際。
長男曰くに、当方が、祇園祭のお稚児さんになったの話を、お婆ちゃん<我が母>から、聞いたと。えと。あのなあと。

まずは、お稚児さんには、二度成ってるです。
一度目、「喜吉荒神町」の、「観音寺」で、これは、中身、知らんの、祭礼あって。小学生時代の事、なれどの、町内会の子等々、お稚児さんしたを覚えてるです。
この時、初めて、化粧をされて。気色が悪かったなと。
イヤ、隣の一歳下の女の子も、一緒に、お稚児さんを致し。真向かいの、酒屋の前、本来、駐車場なれどの、そこで、記念写真撮ったなと。

モ一度は、高校生時代。
これは、黒門の伯父<母方>が、山伏をしてまして。聖護院派でして。聖護院なるは、百万遍<ひゃくまんべん>にあるですが。
そこで、これ又、何の行事か、中身知らんの、伯父に連れられ、山伏の格好、装束着せられまして。
まあ、云う鱈、山伏のお稚児さん。

当方、お稚児さんをしたは、この二度。
長男が、お婆ちゃんから、聞いたとするの、祇園祭のお稚児さん。
まあ、ズバリの、何かの間違い、勘違いの、そこらの子が、とても、とてもの、候補にも、俎上にも、上がらんわの、次元が違うわの、トンでもないの話やわと。

この、祇園祭のお稚児さん、なるは、官位を戴くです。
「正五位」でありの、これ、十万石の大名の位。
理由、超の簡単、長刀鉾に上り、観客であるの、公家、武士共をば、見下ろすになるが故と、されてるです。それでも、公家の方が、官位上なれど。

とりあえず、その他、諸々の、基本、鉾町の子、孫が選ばれるです。
そんなモン、親、爺世代からし鱈、是非共の、子、孫にさせたいの役職でして。間違おたって、そこらの子に、させるの筈は無く。

そらな、亀岡の田舎の、「大井町」の、自治会役員にしたって、会計、副会長なら、新興住宅街の区長経験者に役職、回るはあっても、会長、土木役員なるは、まあ、回って来ませんです。
地の面々が回してるです。それも、こっち、あっちと、しかるべくのと。

日本の三大祭の、「祇園祭」の主人公、お稚児さん、しかも、正五位を授かるの子でして。まあ、云う鱈、鉾町、それも、基本、長刀鉾町が主で、室町筋の子がど哉と。
且つは、しかるべくの、問屋、当世なら、会社になってるですが。そこの御曹司に決まってまして。現住所は、異なっても、でして。
そらなあ、テレビ中継まで、されるです。全国放送されるです。場合により、ドキュメンタリーで、記録されるです。
まあ、云う鱈、お稚児さんになれば、概ね、ン千万円いると、されてるわと。そこらの子が、ホイと、成れませんの、公募されてるで無く。


オッとの、そんな次第の、斯くなるでの。
歯科衛生士曰くに、以前には、金閣寺の方の歯科医院に行ってたですて。へえと。
へえも、さもありなんの、「鷹峯」なら、金閣寺は、すぐの、そこ。
何なら、歩いてでも、通えるの位置関係。とか、申しても、実家が、どこかは、知らんです。歯科医院も、金閣寺のどこかも、知らんですが。
一口に、鷹峯、金閣寺と、申しても、ピンポイントでもあありませんでして。
かと、申しの、近距離でして。結構なると。

金閣寺なら、何度か、拝観してるです。
それこその、当世、外人多く。オッとの、過年、嫁はんの姉夫婦が、京都見物に来てね。
どこを案内したのか、金閣寺にも行きたいと。そこで、次男一家、当時には、孫君誕生以前であったの哉の、金閣寺で、待ち合わせしたの筈の、行って、拝観客の多さにビクリしたです。しかも、周囲、外人ばかり。外人も、アジア系なれどの、それ系の言語が飛び交いまいして。隔世の感。

それを、云い出せば、その金閣寺から、立命館大学<衣笠学者>、竜安寺、御室三井寺、広沢池、大覚寺から、嵐山えの、道は、宜しいねえと。ドライブにはねと。
イヤ、嫁はんの姉夫婦も、そのコース経由で、次男宅に行ったですが。
妙齢の美女、姉ちゃんには、そこまでは、申してませんですが。

当世、ムリと、思うですが。
その昔には、竜安寺石庭をば、寝転んで、眺めるが出来たです。何なら、昼寝したり致してね。
とは、云うたです。

ンの、実は、その真向かい、立命館大学でして。我が母校でして。
とまでは、申してませんですが。
(17/07/02)


NO.2046 近所に出来た歯医者の話(15) 歯の掃除、一時間也の話

本日<7月2日>。
野暮用諸々の、出たり、入ったり。
又、雨降ったり、止んだり、雷鳴ったり。

オッとの、その本日、中学3年2組の同窓生。女の子、なれど。
ンの、お婆様世代なれどの、当方からし鱈、同窓生は、女の子でして。近所の奥様方、若くとも、小母さん。

いやね、「発起塾」と、称するの、劇団、中高年対象なれどの、「京都府立文化芸術会館」。場所、御所の近くなれどの、そこで、演劇の発表会。
当方、諸般で、観劇に行けぬと、返答してまして。

よて、花束、花キューピットと称するを、手配してやるのつもりで居たですが。ンの、ハタと、気が付けば、終わってるの時刻。
いやね、ホントはね。昨日、或いは、一昨日にでも、代理店と、するのか、スーパー・マツモト大井店の花屋が、やってる故、申込するの積もりが、失念してたです。
気が付いたら、終わってるの時刻では、どしょもありませんでして。
イヤイヤ、結構、高いです。
花代、最低3240円<消費税込み>で、手数料<配達料>が、540円也の、合計3780円が最低料金に相成るです。

オッとの、失念故、次回、イツの事か、分からんですが。
同窓会で会えば、申し訳無いなあと、謝っとこかと。コレ又、覚えて鱈の、話。


さての、長男一家、祇園祭の、宵山、宵々山なりに、行ってみたい。
との事故、そら、結構なると。
只ね、皆が、どこまでの予備知識があるかが、分からんでして。予備知識無くとも、見物に歩けば、それだけでも、楽しいですが。

いやね、諸般、祇園祭をまともに、承知は、当方のみでして。我が一家での話やでと。
そらねえ、叔父達も、妹も、知ってるですが。叔父も、下の叔父しか、居てませんでして。妹よりは、当方の方が、よお、知ってまして。そら、見てるの年数違うわと。

いやね、そらね、祇園祭の、お稚児さんの事にしたって、誰でもが、成れるよに、思てるのが、一般的。
先の通りの、そもそもがの、公募してませんです。
成れば、ン千万円いると、されてまして。イヤ、事実、相応の資金いるです。一説では、ンは、「2」とされてるです。
相応の家柄で無ければ、勤まらんです。

それ、云い出し鱈、「荒神町」の観音寺で、挙行されたの祭礼、当方、お稚児さんに成ったですが。あれも、その手、行事が毎年あったで無いです。
承知の範囲、その一度だけ。観音寺の、100年祭とか、50年祭では、無かったの哉と。要は、50年なり、100年に一度の祭礼。
かと、申しの、これは、町内の子であれば、お稚児さんに成れるです。参加費用、幾らか、知らんですが。ン千万円の気の遠くなるの費用で無く、当世の金額なら、一万、二万円の範疇哉と。
そらね、高額なら、やらせてもらえるの身分で無く。

それを、云えば、聖護院での、山伏。装束着ての件も、所謂の、稚児行列。
とは、称するですが。果たしての、費用掛かったのかは、知らんですが。又、毎年、毎年、挙行されるの行事でも無く。
諸般、検索、探索したですが、これと、するよな、行事が発見出来ませんでして。
あれは、一体、何やったの哉と。とりあえず、黒門の伯父が、連れてって、呉れて。聖護院で、山伏の衣装着せられて。舞台で、記念写真撮ってる故、夢の話に非ず。

祇園祭のお稚児さんは、そんな事で、主人公でして。
成りたいからと、成れるの、役で無く。成りたいのは、幾らでも、居てまして。内々の、関係者の間で、相談なり、して、決めてるのかと。
更に、申せば、当、「大井神社」秋の大祭の、御輿にも、お稚児さんも参加してるですが。コレ又、ホイと、成れるで無いです。
基本、地の町内会で、例えばの話、親が、消防分団長歴任とかや。その手、「大井町」に貢献の親の子でして。
要は、地元の方。

それ云う鱈、当方も、地元の方、なれど、です。意味違うです。我々、新参者でして。余所者でして。
それこその、余所者でも、新参者でも、消防分団なりに、入団致し、分団長就任でも、し鱈、その子は、お稚児さんに推挙される鴨なれどの、変な話、当方的、我が子が、それに選ばれ鱈、光栄は、光栄も、自慢するよな、でも、ありませんでして。

先の、京都での、観音寺のお稚児さん、聖護院での、稚児行列に参加も、ここで、掲載してるの程度でして。
当時の、町内の面々になら、観音寺のお稚児さんなら、見てるですが。
余所の町内の方に、一言も、話をした事、ありませんです。聖護院のも、しかり。
別段にの、隠してもいませんですが。宣伝する事でも、ありませんです。
そんな事なら、息子共が子どもの時、現在なら、孫共にでも、その手、機会あれば、お稚児さんをやらせてやりたいな。
とは、思うですが。当世、その手、機会ありませんです。

当方、二度も、偶々の事。
特に、聖護院のは、母方伯父が、山伏してまして。
コレ又、山伏なるも、当世、通じるの哉と。


オッとの、そんな次第の、斯くなるでの。
そんな事で、歯科衛生士の子、とは、云うたって、結婚して、お子さんが居られるですが。よく、喋って呉れて。
こちも、つられて、まあ、云う鱈、情報交換したですが。

まあね、京都で、北の方。
金閣寺方面、鷹峯方面なるは、まあ、云う鱈、良い所。嵯峨嵐山方面にしたって、まあ、云う鱈、隠遁所であり、昔なら、閑静な住宅街、別荘の地。
モと、云う鱈、一流の文化人、公家等々が好んで、別荘を構えたり。

当世なら、軽くの、京都市内なれどの、平安京時代から、近代には、北の端、北西の端になるですが。
そらもお、イメージ的、西大路、北大路。とか、申せば、端の端でして。西なら、精々が、桂川辺りまでが、まあ、云う鱈、都になるの哉と。
そらな、交通手段、徒歩でして。馬、牛の、牛車でして。

よて、最初、鷹峯の方に実家がと、聞いた時、嗚呼、ええ場所、方面也と。
云うても鱈、桂も、地名的、響き宜しいですが。上桂、桂坂とかとか、「桂」を冠した、地名多いですが。
そちらよりも、嵯峨、嵐山、鷹峯なりの方が、上哉と。
あくまでもの、一般論的、響き、聞こえの話。

それでや、歯の掃除も、大体が、30分もあれば、終わるですが。検査を含めての話の。
しかも、一度、通い出すと、三回なり、歯科医の、下手し鱈、誤解、六回と、回数通うになるですが。
彼女曰くに、1時間程度、行いますと。えと。

そんなに時間、掛けて、歯を磨かれるの哉の、それで、三回、四階、誤解もと、なれば、大変ぞと。
思いきやの、その1回で、一旦、終わるですて。へえの、ヨカツタなと。
次回なるは、二箇月後に、案内状、出しますのでと。そら、ヨカツタなと。

あちら、従前のは、概ね、三箇月乃至四箇月で、案内状が来てたですが。二箇月は、少々、早めなれどの、それは、こちの、都合もあっての、三箇月単位に、通うなり、するの手もあるです。

ででの、この初回のが、5月15日。
現在唯今、7月の2日故、ボチボチの、案内状が届くの哉と。
(17/07/03)


NO.2047 祇園祭の話(1) 外食の習慣は無かったの話

冷静に考えれば、当然の事。
されど、極の最近まで、気が付かず。
いやね、京都は有名故、日本人なら、皆承知と。
いやね、更には、有名は有名も、細々承知と。下手し鱈、我々よりも、詳しく、承知と。
事実、地方の方が、我々、知らんの細々承知で、ビクリする事、度々でして。

殊に、最近、見知らぬと、するのか、見知らんでも無いですが。墓参の帰りの道中、清水寺に行くの道の店。何屋か、知らんの食べ物屋、やろねえ。
うどんか、ラーメンか、さえも、よお、知らんですが。長蛇の列で、ンの、何事かと。
イヤイヤ、従前、そんな場所に、店あるも、知らんの、単なるの店の筈。
その昔より、有名で、評判の店なら、当然の承知してるですが。
簡単には、何かの、ガイド・ブックで、紹介されたの哉と。

例えばの話の、銀閣寺の、「おめん」。単に、うどん屋ですが。
それこその、当方、大学生時代<1967年>に出来た、創業の店。
にしては、有名でして。中学生時代の同窓生、何名かで、何度か、云ってるです。金もあらへんのに、なと。
云うてるは、現在なら、創業50年なれどの、50年では、老舗でも、ありませんでして。但し、旨かったなと。

モ一発、それこその、機会あれば、嫁共、孫共を連れてってやり鯛なと。思うですが。
うどんかと、がっかり、されるのでは無い怪なと。
今時なら、「丸亀製麺」の方が、安くて、ボリュームがと。「おめん」は、値が高く、倍程して、ボリュームがありませんでして。
ついでになら、当世、ガイド・ブックに掲載されて、大入り満員の、順番待ち哉と。当時、半世紀昔には、満員は、満員も、順番待ちする程で無く。

での、此度の、「祇園祭」の、宵山なり、宵々山に、行き鯛と、長男家申してまして。
ンの、ならばの、河原町通り、とするのか、六角通りの新京極の、「かねよ」にでも、皆を連れてってやり鯛なと。

「かねよ」ねえ。
これは、創業、大正末期で、それこその、老舗。何屋かと、なればの、「ウナギ」。
京都では、「ウナギ」とは、申さんの、「マムシ」。

ンの、先刻、「かねよ」の、ホーム・ページを閲覧したなら、「マムシ」の表現、無くなってるです。そのままの、ウナギ。おもしろ無いなあと。
「マムシ」は、「マムシ」で、押し通して欲しかったなと。

いやね、その昔、それこその、祖母と、墓参に行ってたですが。年に1回、土用の丑の時期には、「かねよ」に連れてって呉れて。
「キンシマムシ」とか、「マムシ」とかの、「キンシ」は、「マムシ」の上に、玉子焼きが乗せられてましてね。
当方、それを、好みにしてたです。

いやね、いやね、当時には、下足番が居てまして。
当世でも、祇園、「かに家」なら、下足番が居てるですが。下足番が居てるよな、料理屋なんか、珍しく。
とするのか、そらな、「吉兆」なり、相応の高級料理屋なら、常識なれどの、そんな高級料理屋になんか、ご縁無く。
「かねよ」は、そんな意味でなら、大衆食堂。単なるの、ウナギ屋でして。されどの、所謂の、ハイカラで無くの、木造の、昔乍らの店構えで、京都的店。

当たり前だの、クラッカーの、その年に一度の、土用の丑の季節が楽しみでねえ。
後年、家族五人、母、嫁はん、息子共、何度か、連れてってるですが。
コレ又、当然の、嫁共、孫共にも、連れてってやり鯛なと。先刻の、「おめん」は、うどんなれどの、値が高いも、知れてるですが。知れてても、うどんで、千ン百円也なれどの、「マムシ」で、その値は、ありませんでして。
モノにも寄るの、2倍、3倍にての、アイタタ、タッタの、タの、タの、タッタなれどの。
大袈裟でもないの、一生に一度、生きてるの内には、是非共と。
オッとの、申してるは、我が一家、10人、行ってみい。ン万円なるぞと。

祖母と行ったは、二人。その後、家族全員も、息子共、子どもの頃での、云うてるわの、母含めての、総勢5名。
されどの、嫁共、孫共も、是非共と。
そは、思いはするものの、祇園祭の宵山に、新京極の、「かねよ」怪と。

待ち時間ど哉と。
祖母と共に行ったの頃には、まあ、普通。とするのか、待たされた覚え無くの、スと、席に通されまして。

いやね、当世とは、事情が違うの、今時、外食なるは、まあ、普通なれどの、我がご幼少時代には、その、年に一度あるか、無しかの時代やわと。
云うても鱈、結果的、京都のその手、店を知らんです。

云うてるです。
祖母と、でして。親と、その手、外食した覚え無く。
祖母とは、行ったも、「かねよ」だけ。

だけでも無いけどや。
そらな、墓参、月参り故、ン十回、ン百回と、行ってるですが。
余計なるの話、数限り無くと、云えども、祖母、当方24歳の時、84歳にて、亡くなってるです。そらねえ、80歳に達した辺りでは、祖母も、墓参出来てませんです。
今度は、小さい時も、せめてもの、歩け出し、まあ、云う鱈、幼稚園時代の、6歳辺りからかと。

ならばの、精々が、14年。掛ける事の、12箇月で、168回。
とは、計算上の話。
「かねよ」になら、14回になるの哉の。この孫、当方の事なれどの、祖母の云う事、一切の、従おてるです。その日、予定あっても、問答無用の、ハイでして。

いやね、毎回、毎回、でも無いけれどの、墓参は、当然の朝の早くに、家出まして。歩け、歩けで、「祇園」の、「東大谷祖廟」なれどの、そこには、「八坂神社」が。その先には、「円山公園」ありまして。

でや、「円山公園」では、早朝より、テントが出てて。テントでは、パン<トースト>と、牛乳をと。
云うておくの、その当時に、パンは、パンも、食パンで、バターなんかが、付いてまして。牛乳も、ホット牛乳であったり、アイス牛乳であったり、してね。

牛乳ねえ。
そんな高級品、口には、入ってませんです。月に1回の、墓参の時だけ。
オトトの、パンも、給食のパンなら、口には、入ってるですが。乾パンやでと。
ついでになら、牛乳は、牛乳とは、云うてたですが。所謂の、脱脂粉乳。

いやね、我々の時代、それが、給食でしたですが。時々、我々世代のが、申すに、抜かすに、臭くてと、味無くてと。
そ哉と。
ならばの、余程の金持ちの子倅でして。
当方、美味しく、戴いたです。記憶の範囲、不味いと、云うてるの子なんか、居てませんでしたですが。後生、余程に贅沢になったか、そのよに、云うてるだけではと。

オッとの、話、逸れてもたですが。
云うてるは、外食なるは、習慣無く、京都のその手、店知ってるも、ホンの、1店、2店。
その後、方々、知ったですが。知れてるです。
(17/07/04)


NO.2048 祇園祭の話(2) 祇園祭の時期は特別の話

本日、台風3号、接近。
イヤ、結果的、大した事無かったです。
只、15時前後には、天空、俄に暗転、豪雨。
出してるの植木は、家の方に。これは、昨夜に処置してまして。
ベランダの、小物は、家の中に。竿は、下にで、一応の対策致し。

オッとの、天気予報情報より、諸般の野暮用、外出なるは、午前中に済ませてたですが。
酷かったは、その15時前後の、1時間のみで、後は、大した雨でもありませんでして。
明日には、処置した事を、元に戻すかと。

そんな次第の、斯くなるでの、そらね、所謂の地元の食堂なんかに、行かんです。
その昔には、なと。
基本、外食なるは、贅沢でして。遠足なら、弁当持参。
家族での、行楽にも、弁当持参。

現在、やってるかと、なればの、どやろねえ。
円山公園の、テントの、パンと、牛乳。他にも、メニューなら、あったと、思うですが。あれを、これをと、注文するの性格でもありませんでして。当方も、祖母も。
一度、コレと、決め鱈、ズと、それ一点張り。

正確には、祖母が、これにするかと、尋ねたのに、してたと、思うですが。多分なら、一番に安いメニュー哉と。
この、朝の、墓参するの手前での、パンと、牛乳。今、思えば、祖母、歯がありませんでして。硬いのは、ダメ。そのパンでさえ、牛乳に浸し、柔らかくして、喰てたです。

余計の上に、余計なるの話。
祖母、「ぶぶあられ」が好きでねえ。「ぶぶあられ」とは、何ぞやと、問われたならばの、返答に窮するですが。
要は、小さな、「あられ」。

まあね、当世、余り、見ませんですが。
昔には、お茶漬けにするなら、「ぶぶあられ」を、ご飯の上にパラパラと。まいて、熱い茶を掛けて、喰てたです。「あられ」の塩加減が丁度良く。
問題は、出来る限り、「あられ」が硬い内に喰うが、食感良く。
されどの、硬いでは、歯の無い、祖母、歯茎が痛くなるがため、充分に、ほぐして、ほぐして、柔らかくして、喰てたです。

更なるの、余計なるの話。
コレ、お茶漬けなるは、基本、冷や飯。出来たて、ホヤホヤ、暖かいのご飯を茶漬けにして喰うは、贅沢でして。
されどの、当世、電気釜は、保温が出来て。冷や飯、喰うがありませんですが。
云うてるは、保温の出来るの、炊飯器、電気釜の無いの、時代の話。

ンの、当世、「冷や飯喰い」なるの文言、死語化哉と。
これは、暖かい、出来たて、ほやほやの飯、喰えるの身分で無いの、冷遇されてるの意。要は、残りものしか、与えられぬの身。居候とかや。
まあな、当世なら、わざわざと、するで無いの、温ご飯で、お茶漬けもするし、「ぶぶあられ」を、温ご飯に掛けても、旨いですが。

いやねえ、当方、ローム<当時は、東洋電具>に入社して。
先輩社員より、歓迎会等々、して戴きまして。
「魚仁」なる、料理屋にて、なれどの、そこで、最後の締めで、お茶漬けするかと、問われてね。場所はねえ、「桂」の方の範疇にて、止め置くの、現在唯今でも、存在するの、料理屋。

意味、分からんでねえ。締めで、お茶漬けの意が。
ほならの、温ご飯で、「ぶぶあられ」を掛けて、梅なり、わさびも付けてあっての、自分で、お茶を掛けるのお茶漬けでして。
へえの、贅沢な事をと。
されどの、馬勝ったの、牛負けたです。
イヤイヤ、これが、初めての、家以外で、お茶漬け喰た、初体験。且つは、贅沢にもの、温ご飯でねえ。


とかとか、いよいよの、どこが、「祇園祭」の話怪になってるですが。
何を云うてる怪の、出だし、何の話から、してるやの。墓参の話。
当家、墓地、墓石、「東大谷本願寺祖廟」にあると。
それは、「円山公園」の、先と、するのか、横手にあると。その、「円山公園」なるは、「八坂神社」の先にあると。
「八坂神社」の祭礼なるが、「祇園祭」。

モと、云う鱈、その、「円山公園」には、倉庫あって。イヤイヤ、「八坂神社」から、「円山公園」に入って、右手を見てみい。
一々、覚えてませんの、何とか「鉾」、何とか、「山」と、明記してるの倉庫があるです。

いやね、これね、倉庫の事、なれどの、その昔には、ありませんでしたです。
忽然と、現れたです。現れて、ン十年哉の、ンは、「3」か、「4」辺りが経つの哉の、出現の当時、へえと。

理由、原因なるは、大推測、想像、空想、当たらずともの、遠からじの、多分なら、保管されてたの家の、蔵が無くなったと。
別段にの、倒産の意で無くの、会社組織、或いは、マンション化されたりで、蔵を取り壊すになったがため哉と。
いやね、そらね、元々が、「鉾」も、「山」も、その町内が保管してるです。

「八坂神社」の祭礼であれどの、「八坂神社」で、保管されてませんでして。されて鱈、基本、出発の場所、組立の場所、「八坂神社」になるですが。
コレ、各々の、町内にて、組立、出発してるです。まあ、つまり、町内の資産であり、管理してるのモノでして。

話簡単なるの、「大井神社」の秋の大祭、御輿なるは、「大井神社」にての、保管。組立も、組み立てる程のモノでは無いけれどの、組立て、「大井神社」から、出発してるです。戻るも、「大井神社」。

されどの、「祇園祭」の、「鉾」も、「山」も、「鉾町」、「山町」にて、組立、出発しの、戻って、そこで、分解。
まあ、つまり、町内にて、創意工夫して、「鉾」を、「山」を、飾ってるです。
表現、替えれば、その町内の、財力、資力を示してるです。

まあ、つまり、「長刀鉾」ねえ。
これ、「祇園祭」を代表しの、筆頭、一番の、「鉾」なれどの。ンの、ならばの、「長刀鉾町」なるは、当時の、一番の、財力、資力のあったの、界隈、「町内」であったを意味してるなと。
まあ、云う鱈、四条通りの、烏丸から、東洞院の間の町内。目印はと、なればの、「大丸」のある場所の、西側。

オッとの、これ又、こんな話、するのつもりは、無かったですが。
出だし、墓参の話、なれどの、外食の話を主にするの積もりがね。逸れたです。
どちが、逸れたか、分からんですが。

少々、話を戻しまして。
外食は贅沢。
の以前の、近所の店、うどん屋があって、そこで、食事するはありませんです。
そこで、食事するが無くて、近所の店、良くぞ、維持出来るになるですが。
我が、学区、「格致小学校」区になら、うどん屋、うどんだけでも無いですが、2軒あったです。現在でも、あると、思うですが。
そこで、喰うは無くとも、客人あれば、出前を頼んでるです。

まあ、云う鱈、出前専門怪なあと。でも、無いと、思うですが。
只ね、店内で、喰てる人、見た事無くて。
そらね、大通の店で無く。オッとの、西洞院通り、仏光寺の店もあったですが。西洞院なるは、大通も、四条、五条通り、とかとかの、大通に非ずの、中通り哉と。
通り掛かりの方が、入るに、少々、逸れてまして。

モ一軒なるは、綾小路の、仏光寺にあったですが。ここは、「小路」故、地元、近所の面々しか、分からんですが。
近所のが、入れば、一発、分かるです。
別段にの、悪い事、してるで無いですが。当時の風潮ならばの、店屋モノ、喰てるは、そこの家の、奥様なり、お母様、飯も造らんのか、造って呉れんのかと。情け無い、奥様、お母様やなと、思われるです。
独身なら、しょがないですが。
ホンの偶でもの、ンの、奥様、お母さん、病気でもしたはる怪と、相成るなと。

でや、注文、出前頼むにしたって、当世なら、電話一本なれどの、当時には、電話代、勿体ない故、当方なりが、おつかいにて、伝えに行ったり、したです。
よて、中身、よっく、覚えてるの、素うどん、しっぽく、きつねうどん等々、程度の、うどん類が主でね。

ところがや。
「祇園祭」での、来客とも、なればの、思いっ切りの張り込みまして。この時期、特別の日での。
寿司喰いねえ。

イヤ、ほんまやでの。
突然の来客なら、でして。
予めの、分かってるなら、バラ寿司でもを、家で、造ってたです。バラ寿司にしたって、早々に、口には、入らんわと。他にと、なればの、誕生祝い程度哉の。
誕生祝いなら、その当時には、赤飯でして。

事程左様の、「祇園祭」なるは、当然の、「祭」ですが。
様相、一味、二味、違うの雰囲気、呈したです。
オトトの、我が、「喜吉荒神町」なるは、町名に、「山」も、「鉾」も、付いてませんでして。一筋ハズレに相成るですが。

横町には、「山町」あるです。
具体的には、油小路側には、「太子山町」。仏光寺側には、「木賊山町」。横町では無いの、「芦刈山町」。
四条通りを挟むですが、「傘鉾町」があるです。これは、「格致小学校」区では無いですが。
(17/07/05)


NO.2049 祇園祭の話(3) 鉾の囃子方の話

台風3号については、左程の事も無く。
過ぎたですが、その余波もあっての、本日<7月5日>、九州、福岡、大分地方にて、未曾有の大豪雨。
被害をもたらしてるです。
にしても、2016年4月14日の大地震では、熊本城が、崩壊したり。このところ、九州地方、天災続き。

こち方面なら、台風3号も、何事も無く、過ぎ、本日雨天なれどの、被害らしい、被害無く。
悪いけど、その手、災害の無い。とは、云い過ぎも、ヨカツタなと。
イヤ、大雨で、大豪雨で、何か、あるかと、なれば、左程に高い山、近在に無く。川も、保津川なら、亀岡を流れてるですが。位置的、距離あり、洪水になって、当家にまで、被害及ぼす事、考えられず。

天災で、被害、考えられるは、地震でして。
いやね、現建築基準法に基づくの、耐震基準なるは、昭和55年<1980年>6月導入。事実上、1981年度以降の建物なら、安全とされてるですが。
オッとの、当家、導入前年度に転入してるです。要は、現耐震基準に、合致せずで、コマツタなと。

とかとか、その話は、置いといて。
置くと、するのか、亀岡市を通じ、耐震の診断して戴けるの制度ありで、その内には、申込みをと、考えてるですが。考えてるだけで、イツの事やら、分からんですが。


そんな次第の、斯くなるでの。
当方、承知の話、或いは、思いこみの話で、正解かは、分からんです。別段にの、学校の教科書で、勉強したで無く。講習会で、学習したでも、ありませんでして。
そもそもがの、講習会もありませんですが。要は、伝聞、聞いた、見たの話。

且つは、そらね、産まれた時から、見聞きしてまして。万事、当方的、常識の類でして。
まずは、「鉾」とか、「山」とか、申してるですが。「鉾町」「山町」とかとかの、では、「鉾」とは、何ぞや、「山」とはと。
基本の、基本の、初歩的になら、そこからに成るの哉と。

まずは、「鉾」なるは、まあ、簡単には、デカいです。
鉦<鐘>、太鼓、笛を鳴らすの、囃子方が乗ってるのが、「鉾」。乗って無いのが、「山」。
乗ってるねえ。何人乗ってるか、までは、知らんの、概ね、20名辺り哉と。の人数乗れる大きさ、広さがあるが、「鉾」。

ついでになら、囃子方が、祇園囃子を演奏してるですが。
祇園囃子とは、コンコン、チキチン、コン、チキチン。チキチン、チキチン、コン、チキチンと、こんな具合な感なれどの、実は、「鉾」で、皆、曲が異なるです。
どんな具合に違うかと、なればの、当方知らんわと。実際に、全部の、「鉾」のを、聞けば、違いが分かるです。

更なるの、ついでになら、この囃子方に成るに、どすればと。
簡単には、仏光寺の時代、隣の兄さん、事実、年上の兄さんなれどの、菊水鉾の、囃子方してたですが。
当方、させて欲しいと、云うて、させて呉れるかと、なればの、運良ければ、成れる鴨と。
但し、当然の、練習せねばで、生半可には、出来ませんです。

オッとの、運が良ければの、運とは、何ぞやと。
コレ又、「長刀鉾」のお稚児さん同様、公募されてませんでして。
実際には、「鉾町」の町内の方がされてるです。且つは、概ね、10歳頃から、最初は、鉦で、練習に練習重ねの、15年の経験を積んでから、太鼓、笛を演奏するになるです。
この練習も、どの程度の練習量かは、知らんの、当然の、祇園祭が接近して来鱈、集中的と。

オトトの、我が町内、「喜吉荒神町」なるは、「鉾町」でも、「山町」でも無いと。
にも関わらずの、隣の兄さん、「菊水鉾」の囃子方してたと、申したですが。何故にと。
理由、経緯、聞いた事、ありませんでして。真相知らんです。

がしかしの、概ねなら、その、「菊水鉾」関係者に、知り合いが居てる鴨と。親なり、祖父なりが、でして。
或いは、親なり、祖父なりが、関係者であるの鴨と。
その知り合いとして、隣の兄さんに、当方が、囃子方させて頂戴なと、懇願致しの、運が良けりゃ、成れる鴨と。

ならばの、当方、「堀川高校」の一年生の、同窓生に、現、「菊水鉾」保存会理事長が居たですが。それを通じて、成れる鴨の。されどの、知ったが、高校一年生でして。チョと、遅かったなと。

イヤイヤ、クレグレもの、実際のところは知らんです。その手、伝<つて>で、囃子方、出来るかが。
実際なら、「鉾町」の町内の方でして。
オトトの、されどの、それは、原則での、「鉾町」の方が、余所の、「鉾」の、囃子方してるのも、存在致すです。
云うてるは、「長刀鉾町」の方が、「船鉾」の囃子方してるの場合も、その逆も、又、別途の、「菊水鉾」の囃子方してるの事もあったり、致しの、ンの、ならばの、「鉾町」の町内の方が、方々の、「鉾」の、囃子方が出来るの哉と。
ンンの、もしかして、もしかし鱈、隣の兄さんの、親元なり、親戚筋が、室町筋、「菊水鉾町」なりに、あるの可能性があるなあと。

まあ、つまり、囃子方も、基本原則、町内の方がされてまして。
親なりが、そこに住んでて、転出で、その子がやるで、練習等々、通えるなら、囃子方出来るです。
モと、云う鱈、代々、引き継いでると、とも、云えて。
運が良いも、悪いも、「鉾町」にご縁の無いの、ご縁も、親戚筋の居て無いの、当方が、やらせて頂戴なで、やらせて戴けませんです。
そらねえ、やらせて戴けるならの、囃子方には、やりたいの面々、山程居てるです。

オッとの、そらねえ。
「祇園祭」なるは、「八坂神社」の祭で、京都の祭。京都も一地方でして。
祭に携わるの面々なるは、基本、氏子でして。
その氏子とは、どこまでの範囲を云うかが、分からんですが。

概ねなら、西は、「堀川」。東は、「東大路」。
北は、「御池」で、南は、「五条」哉と。
よて、「喜吉荒神町」なるは、その範囲に入るです。入る故、隣の兄さんも、当家も、氏子故、その気なら、囃子方には、成れるの哉と。
但し、原則、「鉾町」の方、優先故、チョと、辛いなと。
基本的、代々引き継がれてるが故、尚、辛いなと。
(17/07/06)


NO.2050 祇園祭の話(4) 「祇園祭」の意の話

隣の兄さん。
年齢的、3つ、4つ、上であったのか。
3つも、4つも、上は、相当に上でして。一緒に遊んだ、遊んでもろた事は殆ど無いです。この年代のは、人数も少なくて。
我々が、所謂の、ベビー・ブーム世代でして。人数多い故、同年で、町内だけで、6人居たです。自分を入れて。
1つ下なら、3人。その下も、3人とかとか、高がの、40軒程で、子どもは一杯。

ンの、何の話哉の、隣の兄さんの話。
3つも、4つも上は、大袈裟には、雲の上の存在でして。殆ど、話もした事は無く。
只ね、祇園祭の時期、接近で、「菊水鉾」の浴衣着て。いやね、鉾々で、浴衣があるです。所謂の、ユニホーム。傍目で見てても、格好宜しいねえ。羨ましいねえ。
いやね、接近故、浴衣で、出掛けてるですが。どこえと、なれば、祇園囃子方の練習場。場所がどこかは、知らんの、聞いた事、ありませんの、「菊水鉾」の町内のどこかに、決まってるですが。

云うてるです。
大体は、10歳くらいで、囃子方に入門致し、15年で、笛なり、太鼓になるの哉の。その15年経って、まあ、云うたら、一人前でして。
15年ねえ。
つまり、25歳からが、一人前。

当方、大学生になってたの頃、祇園祭接近で、その兄さん、その浴衣着て、町内一軒、一軒回ってたです。
何をしにかと、なればの、まあ、簡単には、寄付集め。
イヤイヤ、それまでは、そんな事、してませんでしたですが。只、頼まれたら、菊水鉾の、粽を持って来て呉れたです。
当家、隣故、当方に、では無く親の方に、尋ねてたです。そらなあ、中学生や、高校生に尋ねてもろても、返答、よ、しませんです。粽も、只では無いです。

大学生になってたの頃には、正式に、寄付集めとして、町内を回ってたです。直接に、話も聞いたです。どするやと。
イヤイヤ、粽の事での、千円なりを出せば、粽を手配して呉れると。当然の強制でも、何でも無いです。但し、縁起もの故、皆、快く。

ここで又、基本の、基本の話の、粽なるは、子供の日の、5月5日の、笹で包んだの、粽は、中身あるの、喰うが出来るの、粽なれどの。祇園祭の粽なるは、形、見掛け一緒も、厄払いの、「蘇民将来子孫也」と記した護符を付けたの粽でありての、中身無し。
まあ、云うたら、家々の軒下にぶら下げておくのモノ。
よて、勘違い致しの、喰えると、紐解けば、中身無いの、ンの、スカと相成るです。

加えての、護符一緒も、「長刀鉾」は、「長刀鉾」の、粽で、「菊水鉾」は、「菊水鉾」の、でして。
要は、鉾々、山々で、違うです。
違うでも、護符一緒。つまり、効能一緒。疫病除け也と。


ンの、ここで、一応は、申し述べておくです。「蘇民将来子孫也」と記した護符の意。
「八坂神社」のホーム・ページより。

---<ここから>

<蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)>
八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。

その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕します。
また7月31日には、蘇民将来をお祀りする、八坂神社境内「疫神社」において「夏越祭」が行われ、「茅之輪守」(「蘇民将来子孫也」護符)と「粟餅」を社前で授与いたします。
このお祭をもって一ヶ月間の祇園祭も幕を閉じます。

---<ここまで>

イヤイヤ、元々が、「祇園祭」なるは、京の都で、流行ったの疫病退散祈願のためでして。

ここでも、「八坂神社」の掲載文を転記致すです。

---<ここから>

<祇園祭の由来>

祇園祭は貞観年中(859~877)京の都に疫病が流行したとき、勅を奉じて神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を迎えて祭り、洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったのに由来し、平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきました。

室町時代になると町々の特色ある山鉾のあったことが『祇園社記』に記されています。応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中絶しましたが、明応9年(1500)には復活、その時より山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われることになりました。以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、近世には度々の火災で多数の山鉾が消失しましたが、その都度、町衆の心意気によって再興し、今日に至っています。

---<ここまで>

おっとの、記載されてませぬ故、補足致すです。

「祇園祭」で、山鉾の先陣切るの、「長刀鉾」。
この鉾の天辺には、文字通りの、「長刀」が、取り付けられてるです。これは、その昔には、本物でして。当世、複製と、されてるですが。
何がため、長刀をと、なればの、天空の悪霊、疫病をば、長刀にて、一刀両断。
イヤ、ほんとです。
オッとの、適当に云うてるでは無いです。そのよに、伝え聞いてるの話を記載してるです。長刀は、疫病悪霊をば、斬り払うがためのモノ也と。

での、粽の話に戻れば、6月30日の、「夏超の茅の輪」。
これも、「蘇民将来子孫也」の護符の意での、効能と、するのか、目的一緒。
よて、「祇園祭」の粽同様、家々の軒下にブラ下げて置き、疫病よ、ここから、一歩も入るなと。
つまり、家の中に入って来るなと。
再度の、それがための、「祭」であり、「行事」「儀式」なるが、「祇園祭」。
(17/07/07)



inserted by FC2 system