シバケンの単なる雑談NO.164

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題目一覧表

目次

雑談NO.165

NO.1910 年末年始の話(11) いよいよの、墓参の話(1)

NO.1909 年末年始の話(10) 1月2日の墓参の話(5)

NO.1908 年末年始の話(9) 1月2日の墓参の話(4)

NO.1907 年末年始の話(8) 1月2日の墓参の話(3)

NO.1906 年末年始の話(7) 1月2日の墓参の話(2)

NO.1905 年末年始の話(6) 1月2日の墓参の話(1)

NO.1904 年末年始の話(5) 1月1日の夜の、四方山話の話(2)

NO.1903 年末年始の話(4) 1月1日の夜の、四方山話の話(1)

NO.1902 年末年始の話(3) 話、逸れて、逸れての、逸れまくりの話

NO.1901 年末年始の話(2) 出雲大神宮、駐車待ちの話

雑談NO.163


NO.1901 年末年始の話(2) 出雲大神宮、駐車待ちの話

諸般、考えてみ鱈、今年の初詣、墓参は、少々、状況異なったです。
「大井神社」えは、特段ので、いつも通りなれどです。
「出雲大神宮」に参拝するに、いつものコース、経路で行くに、警備員が通行止めして、別途の道を使えと。
そこを行けば、駐車待ちの車が数珠繋ぎの、その駐車場なるは、例年、駐めてるの場所で無く、臨時の駐車場でして。

いやなあ、待つの時間、相当での、何分、何十分待ったかは、時計見てへんしで、分からんのけどや。
この日は、当方、次男の車に乗っててね。
その待ち時間哉に、嫁と、話をしたりして。ンの、次男家なら、良く来てるが故、諸般の話もしてるですが。

いやね、嫁、結婚までは、山科在住。
山科のどこかと、尋ねられても、当方、山科なるは、よお、知らんわと。細かな地名をや。
住んでた、マンションなら、知ってるのけどや。次男の車で、運転で、でして。行けと、云われても、よお、行かんですが。
ンの、現在、住んでえへんしで、行っても意味あらへんけどや。

ンンの、よ、考え鱈、妹婿母の見舞いに行ったの時、もしかして、もしかし鱈、その帰りの道中、JR山科駅え、送ってもらうの際、真ん前、通過した鴨なと。
あくまでもの、鴨での、極めてのええ加減。

オッとの、嫁とは、その手の話、一部はしたけどの。イヤ、「出雲大神宮」の臨時駐車場えの待ち時間の時に、でして。
当方、勝手に、大学在籍時代より、結婚するまでの期間、そのマンションに住んでたの哉と、思ててね。

いやね、チラと、記憶の範疇ならばの、結構、ええ雰囲気と、するのか、ええマンションでね。ええの、意味なるは、女の子好みの、センスの、ええの意での。
当人曰くに、新築、出来たて、ほやほやの、やったですて。そやろなあと。云う程には、ジクリと、見てへんけどや。見るも、外観だけを、車中から、やしなと。

いやね、そこから、大阪薬科大学えは、どんな風に行くの哉と。要は、通学の手段を常々、とは、大袈裟も、疑念と、するのか、疑問に思ててね。
尋ねたならばの、就職してからでして、へえの、そかと。

それまでは、とするのか、どこにと、尋ねたならばの、在籍中、大学のすぐのそばのマンションと云うたか、多分なら、マンションなんやろなの、居てたのらしく。便利やったと。へえの、そら、結構なると。
とは、云えどの、そこは、詳細、細々の、詳しく、聞いたって、皆目の、見当付かんですが。

イヤ、大学になら、二度か、三度の、回数までは、忘れたのけどの、行きはしてるですが。周辺さっぱり、分からんわと。次男卒業以来、行くの用事もあらへんしと。
そもそもがの、彼女が、同じの大学とは、露程、夢にも、知らんかったしなと。
とかの、話なんか、してへんのけどや。

そらなの、当方の母校、「立命館大学」「京都市立堀川高校」にさえ、卒業してからは、行ったの事、あらへんのにと。
ンの、「京都市立郁文中学校」にも、行ってえへんなあと。
「京都市立格致小学校」なら、諸般の用事で、何度も、何度も、行ってたですが。町内会の催しで、或いは、夏休みの、児童教育と、するのか、小学生の宿題のお手伝いを、青年団から、頼まれて。青年団との名称かは、知らんけど。
イヤ、それは、当然の、大学生時代やでと。

実はね、小学生、同窓生、3クラスで、概ねの、150名。
その誰が、大学進学したか、までは、知らんでねえ。そらな、数人なら、承知してるですが。東京さの、東京大学なり、早稲田大学か、慶応大学であったの哉に、行ったのも、居てるですが。東京えは、2人だけと。
イヤ、正確なるは、知らんわと。

明確になら、中学、高校も一緒の学友の、京都大学のと、女の子で、京都学芸大学<現京都教育大学>のと、高校は違うので、女の子で、龍谷大学の、三人しか、知らんでね。
イヤイヤ、もっと、居てると、思うのけどや。案外に情報乏しくて。

これ又、正確になら、京都大学進学のは、中学から、こちの小学校区に移住での、小学校は違うです。つまり、「格致小学校」出身で無くて。
いやな、頼まれて、小学校に行ったのけどや。行けば、どの教室にと、だけで、他に誰が教えに来てるも、全然の顔合わせしてへんでね。

とかとか、云うたって、残念無念の、中学校も、小学校も、廃校になてもてね。
オトトの、くどいけどの、そんな話もしてへんでと。

したは、山科のマンションの話と、学生時代には、大学のすぐのソバに住んでたと、だけでして。
そやろなあの、山科から、大学までは、大変やなあと。
イヤイヤ、実際には、経路も知らんのけどや。我が家、亀岡からなら、山超せば、容易に行けるのけどや。車なりで、なければ、行けへんでね。次男当然の、電車、バス通学。時偶には、バイクでね。
とかとか、この辺りの事、想い出話、云い出せば、相応の話題ありの、切りあらへんのけどや。

いやな、「山科」なるは、現在唯今、「山科区」なれどの、その昔には、単なるの、とは、異なるの表現なれどの、「山科」でして。「区」でも、「町」でも、あらへんの、中途半端状態でと。

いやなの、いやなで、我々、「山科」と云うてたですが。「山科」で、正解なれどの、よ考え鱈、「京都市東山区山科」であった鴨なと。
要は、「東山区」であったよなでと。
との、話までは、してへんの、その辺り、よお、知らんでね。云うても鱈、「市」か、「府」かも、よお、知らんでね。余り、考えて無いとも、云えて。当時はなと。
当時とは、「山科」の当時。そら、「区」となればの、「京都市」に決まってるわと。

イヤイヤ、現在唯今なら、「山科区」として、「東山区」からは、独立してるですが。
そら、東山の峠<トンネル>を境にしてると、思うしなと。但しの、五条通りから、ならばの話の、三条通りからも、行けるのけどや。

オッとの、そんな話、今更の、なれどの、当方、就職したの頃、ン十年、半世紀近くの、経つのけどや。
その頃には、山科の方えは、よお、行ったわと。何をしにと、問われたならばの、困るの事よの、単にドライブがてらと、でも云うの哉の、当時には、ガソリンの安い、スタンドあったし、ボーリング場もあってね。

ンの、現在唯今も、ある鴨の、用事あらへんしで、そのガソリン・スタンドも、どこ鴨、忘れたし、ボーリング場も、気にもせずで、よお、知らんのけどや。
オトトの、ガソリン・スタンドなるは、石油ショックの頃の一度か、二度やし、ボーリング場も、そこで、ボーリングしたは、一回だけ哉と。当時、ボーリング・ブームでね。

そ云う鱈、山科には、「京都薬科大学」があったなと。
云うたって、当方、薬学志望でもあらへんしで、山科の、どこにあるかは、知らんけど。
(17/01/06)


NO.1902 年末年始の話(3) 話、逸れて、逸れての、逸れまくりの話

種智院大学<弘法大師・828年><四年生大学=1949年>
大谷大学<東本願寺派・親鸞聖人・1665年><四年生大学=1902年>。
龍谷大学<西本願寺派・浄土真宗・1639年><四年生大学=1939年>
佛教大学<浄土宗・法然上人・1868年><四年生大学=1949年>
花園大学<臨済宗・関山慧玄・1872年><四年生大学=1949年>
<注=前身が、女子短期大学は省略>

いやね、何が云い鯛のかと。
なればの、京都には、佛教系大学が沢山あるです。
龍谷大学なら、西本願寺境内にあったです。

いやね、我が家、西本願寺になら、歩いて、10分、15分哉と。
境内の一角には、舗装されたの通路があって。イヤイヤ、それこその、当方、小学生高学年から、中学1年生の頃の事でして。まあ、云う鱈、我が家前が、舗装されたも、その頃なれどの、ローラー・スケートをしに行ってたわと。

何故に、そこえと、なればの、車は走ってえへんし、人、居てへんし。安全でして。加えての、舗装されたの通路があって、その手、練習、遊びに持って来いの場所。
まあな、当時には、車も少なく、家の前で、滑ってても、どて事、あらへんけどや。西本願寺の境内に行けば、何人かが、練習してて。
どこの誰かも、知らんけど。

でや、大学なるの存在知ったは、その頃でして。当たり前に、龍谷大学。
それで、叔父達、親父、祖母に、どんな大学なん怪と、問えば、所謂の坊さん学校也と。
意味なるは、寺の坊主になるがための大学なるぞと。へえと。
当家、家業、お寺さんでありませんでして。あかんなと。

いやね、それで、何が云い鯛のかと。
なればの、小学校の同窓生。当然の、中学も一緒なれどの、三年で、同級になったの哉のが、我々、大学進学決まっての時、中学3年の同窓会開催の、当方、幹事でね。

女の子が、当家に来て。
いやね、その子、我が家に来たは、それが、最初で、最後でね。要は、その一回だけでの、何事かと。
は、結構の、まずは、同窓会、欠席致すと。へえと。
龍谷大学に行くになったと、聞かされての、えと。びくりしてね。
そらなあ、先入感、坊主学校でして。女の子が、坊主となればの、尼さん怪と。
冗談に非ずの、心底、そ思いの、びくりしてね。
イヤイヤ、その子、同窓会欠席の件、わざわざの、当家に来たの、本題、本命の用件、龍谷大学合格の事、伝えに来たんやろなあと。

ここだけの話の、他言無用の、その子、口達者とするのか、喋れば、立て板に水の如くの、速射砲でして。
そらなの、小学校6年間と、中学3年生が、同級でね。よお、知ってるわの、モ一発、申せば、ここだけの話、なれどの、結果的、一度も、同窓会には、出席した事、あらへんわと。
但し、キチン、キチンと、応答なりは、して呉れてるですが。結果的、それこその、その時以来の半世紀、会おてませんでして。

いやね、実は、モ一発、びくりの、唖然とした事あっての、その子、化粧してて。えと。
正直なるの話、そらなの、高校生までは、女の子で、化粧なんか、してるの子、知らんわと。当時、大学生でも、知らんわと。
余程の、ミー、ハーでして。社会人でもあるまいにと。当時はなと。

まあな、龍谷大学にも、所謂の文学部なるが、存在するなあと。その子が、文学部か、どかは、知らんのけどや。そこまでの話、してへんでして。当人、云うてる鴨なれどの、覚えてえへんでして。
よて、尼さんになるのでもあらへんの、やろなあと、その時、初めて、佛教系大学も、坊主になるだけの、とは違うんやと、認識新たにしたですが。
そこ様、家業、お寺さんでもあらへんでして。

では、そもそもがの、京都に、佛教系大学多いの理由なるは、そらなの、総本山多く。
加えての、昔、昔の、坊主なるは、所謂の、知識人でして。学者様でして。
そらなあ、戒名、法名、考え、書かんならんわと。法要、読経、しんならんし、説教も、しんならんわと。説教なるは、相応の尊崇されてるが故に、出来るわと。

加えての、その昔、昔には、「寺子屋」なるが、存在の。その、「寺」なるは、当たり前だの、クラッカーの、「お寺」の事なんやと。
要は、お寺が、教育の場也で、坊主が先生。
当世とは、その社会的地位、数段の違うわと。

云う多呂怪の、昔、昔には、文字、読めるだけでも、大したモンでの、読み書き、ソロバン、出来てみい。どこえでも、就職と、するのか、雇て呉れるわと。
引き手、数多やわと。

モ一発、そらなあ、その昔なら、尋常小学校通える、出られたのだけでも、立派でして。家が、親が。
ましてやの、中学校、高校、大学と、なんか、云うてみい。相応の家でなければ、トンでもやと。
家業、坊主で、住職ならばの、寺守るに、その子、息子には、何としてでもの、大学えと、成るのけどや。
今時なら、家業の寺継ぐに、佛教系大学出ずとも、資格と、するのか、坊主には、成れるですが。チョとした、講習受け鱈なと。
されどの、一応は、その手、修行なり致しませんとと。
ンの、一言加えるの、宗派によりの諸般異なるですが。

オッとの、当方の、ロームの同期生で、実家、家業、住職のが、居てて。
一人は、兄様、家業継ぎ。
一人は、退職してから、家業継ぎ。とするのか、奥様が、住職代行されてるですが。奥様曰くに、ご主人、同期生なれどの、講習会も受けての、坊主資格得たけれどの、ペーパー坊主故、困るの事よと。

ンの、何の話、してるの怪の。
「山科」の話から、話、逸れて、逸れての、逸れまくり。
ついでになら、そのペーパー坊主の寺、西本願寺の近くやわと。京都に寺なんか、そこらに一杯あるけれどと。
(17/01/07)


NO.1903 年末年始の話(4) 1月1日の夜の、四方山話の話(1)

いやね。
我が愛車、カローラの、何ちゅうかの、右手後方の、底部の傷。
修繕に着手したですが。ども、ド素人ではなと。
折角に、「99工房」の、各種材料、道具揃えたですが。

いやね、「タッチアップ・ペン<ペイント>」。
それを、噴霧するの、道具、「エアー・タッチ」。
の前に、錆が出てる故に、錆取りのための、「サンド・ペーパー」。
等々での、だけでは、無いけどや。

実際にやって見鱈、「エアー・タッチ」なんか、あかんなあ。
とするのか、コレ、「エア・ダスター」でして。すぐにも、冷却されてもての、ペイントが噴霧されんよになって。
結果、直接に塗布した方がと。されどの、直接には、ムラが出来て。
はきりと、相当に小傷で無いと、この手の作業しても、あかんなと。理由なるは、すぐにも、噴霧されんよになって、連続作業に不向き。

イヤ、間を開けたら、肝心のペイントを吸い出すのチカラが弱まってもてね。細いチューブが使用されてるがためでして。
いやな、ペイントも、速乾性でして。間を置けば、固まってしまうわと。固まるも、諸、固まるで無くの、粘度が下がってもての、エアーばかりで、どもならず。

さての、その上で、強引にでも、手塗りはしたですが。チョとなあと。目立つです。
そらなの、当方、場所を承知故もあるけどや。
での、結果的、旧知の車屋に電話一発。嫁はんが、でして。ンの、すぐの、そばに来てるのらしくて、5分も待たずに到着。イヤ、園部の方でして。まともなら、即も、30分程度は掛かるわと。
早速にも、場所見て、ン万円哉と。ンは、「2」か、「3」でして。

いやなの、いやなで、さての、保険を使うかの問題でして。自損としての、車両保険でして。
問えば、当世、等級プロテクトは、保険会社もやってえへんでして。
とは、保険屋より、聞いててね。計算と、するのか、算出法、ややこしく。下手し鱈、保険代が一気、高なてもての、何してるやの話になるが故、この程度なら、保険を使わん方がと。そ鴨なと。

での、別件の、嫁はんの、コーナー・ポールの話。
これ又、年末に、当方、ガソリン・スタンドの、洗車機で、洗車をしたは、ええけれどの、コーナー・ポールを外すを忘れてもてての、洗車機で、ボキ。

いやな、その段階にての、嫁はんが、その車屋に問えば、万円すると、申したですが。電動式の、でもあるまいにの、検索、探索なら、ン千円の、「1」か、「2」か、「3」まででして。
ンの、現物、見てもらいの、嗚呼、この手かと。ならばの、万円までは、しやへんなと。

とかとかの、やとで、本日<1月7日>になって。
昨年末に発見したり、失敗したりの、車の件も、一応の、善処するの方向に相成ったわと。
にしてもの、当方の傷、どこで哉の、よお、分からんですが。飲酒運転なんか、してへんしと。

余計なるの話、車屋申すに、最近では、無保険車横行してるですて。下手し鱈、任意保険の加入者、30%程度哉と。
事故の多いのは、保険屋も、敬遠しての。要は、最近では、保険屋も、経営苦しくてと。
ンの、それでやろなあと。等級プロテクトも、廃止されてもて、厄介やなと、思てたですが。云うたって、ここ、10年、無事故、無違反やと。
ンンの、それ以前の、この車では、自身、加害者には、なってませんの、被害者ばかりでね。保険代も、ン十万円は、支払おてるわの、優良運転手やでと。


とっとの、そんな話は結構の。本題、本題。
その日、1月の1日の元旦と、するのか、その夜。
孫共4人、寝てもてから、大人の時間と、するのか、酒でも飲み乍らの、四方山話をと。これ、このところ、高齢化、イヤイヤ、恒例化してもてね。
高齢化は、当方の事でして。前期高齢者。後期高齢者との、中間点。

まあな、正月、皆が集まった時くらい、諸般の雑談、四方山話もええやろと。
話題、何やったの哉の、アルコールも少々回ってるもあるのけどや。
云うたって、元々が下戸、下戸の、ウィスキーやったの哉の、酒豪の次男に作ってもろて。それを、チビリ、チビチビの、ン時間で、グラスに1杯だけなれどです。

いやな、過日の、長男家の、孫君2号の、七五三の会席の時、嫁父なら、電車で来ておられるが故に、飲まはったらと、勧めたですが。イヤ、結構と。
いやなの、いやなで、飲まれるなら、当方も、おつきあいで、ビールでもと、思たのけどや。
イヤ、結構の、飲まずとされたが故、ほならと、ノン・アルコールのビールにしたですが。多分ならなと。

イヤイヤ、特段の、当方にしたって、先の通りの、下戸でして。ある意味、嫁父、飲まずも助かるの事よの、酒豪なら、よ、つきあえんでね。
でや、嫁に実際のところは、どなん怪と、尋ねたならばの、飲まんですと。えと。
いやな、実はの、親父様の話からは、飲めるけれどのと、的ニュアンスに、受け取れたが故に、嫁に尋ねたですが。

まあな、当方も、基本、飲まず。飲まずとするのか、飲まずでも、飲んでも、どちでも結構なるの口でして。何度でも、申すの、ビールを、日本酒の如くに、チビリの、チビチビでの。
ウィスキーなら、割って、割って、それを、チビリ、チビチビの、マイ・ペースで、適当に真っ赤っか。その真っ赤っかを維持出来るの程度に、飲んでるが宜しくて。

ご心配無用の、それで、あらぬ事、ある事、べらべらの、絡んだり、歌、歌たりは、あらへんわと。限度超し鱈、寝むとなるか、気分悪なてもての、急に静かにと。
ここだけの話の、吐きそに相成ってもてね。
吐けたら、良いけれどの、吐く程には、飲んでえへんでね。正確には、飲めへんでね。

モと、正確には、気分の良い状態なら、色々と、喋るですが。
別段の、酔っての、話でもあらへんでして。ンの、意味なるは、酔った勢いでの、無責任発言では、あらへんわと。云うてるの内容程度、覚えてるわと。
(17/01/08)


NO.1904 年末年始の話(5) 1月1日の夜の、四方山話の話(2)

での、本日<1月8日>。
「イオン桂川」え、映画、「スター・ウオーズ<ローグ・ワン>」をば、嫁はんと、二人しての、見に行って参じたです。
オッとの、大抵、二人で、行ってるですが。
11時5分からので、間に合う怪なあと、危惧してたですが。満席、大入り満員、空席まばらの、ええ席無いなら、一つ遅らせ、14時からの、でもええなあと。

しつつの、ンの、前回も、そであったですが。向かうのらしきの車が多く。
別途の駐車場えの入り口から、突入の、屋上駐車場、まだまだ、ガラガラでして。
での、映画の申し込みの、列も、左程であらへんでして。へえと。
云うたって、先客、3組、4組程は居てたですが。さての、席決めなれどの、どこにしますかと、問われの、席の状況見たなら、ン、ンの、空き、空き状態での、選り取り見取の、へえと。

まあな、結構なると。
されどの、モと、満席、一杯かと、思てたわと。
さもなくばの、次の14時からでもと、次善の案、考えませんですが。

での、正直申しの、受付姉ちゃん、無愛想でね。
ここだけの話、でも無いの、概ね、一言、二言、会話をし鱈、先様の、表情、喋り方等々にての、性格と、するのか、気性分かるです。
いやな、まあ云うたら、外見<がいけん>、外見<そとみ>、美形でね。その姉ちゃんがや。
されどの、鬱なるの表情でして。我々のどこが気にいらんか、分からんのけどや。的、応対の仕方での。
口調、ぞんざいでね。
まあな、基本、マニュアル通りと、思うのけどや。

でや、料金ですがと、一覧表見せられ、どれですかと。ンと。
いやな、「一般」1800円也での、「障害者」1000円。「夫婦50割引」二人で、2200円也の、「ハッピー55」なるは、1100円也でして。
まあな、見鱈分かるの、「夫婦50割引」は、夫婦のどちらかが、50歳以上なら、二人共、1100円で、2200円。
「ハッピー55」は、55歳以上ならばの、1100円也でして。
どちにしたって、残念乍らの、嫁はん、共々の、55歳以上でね。「夫婦50割引」でも、「ハッピー55」でも、料金一緒。

いやなの、いやなで、従前、一覧表なんか、見せられたの事なんか、あらへんでね。再度の、見鱈分かるやろと。
オッとの、こちから、55歳以上ですと、申請してるですが。
この、55歳以上ですも、成ったの頃なら、云い易かったのけどや。このところ、幾ら何でもの、図々しく思えての、云い難く。見鱈分かるやろ状態。

での、肝心の映画。
なれどの、所謂の、93席の、狭いの座席の部屋で、スクリーンでね。席は、選り取り見取の、ええ場所、取れたのけどや。観客、概ね、20名様哉と。
オッとの、肝心の映画の話、なれどの、まあな、こんなモン哉と。従前のからは、やや、迫力欠けるですが。
最後の、最後で、出たです。レイヤ姫がで、役してたの、女優、キャリー・フィッシャー。
過日、昨年末、12月27日。何とまの、60歳の若さで、心臓発作で、死亡。


とまあ、「スター・ウオーズ」見てから、「イオン」で、昼飯喰て。それも、「ハマムラ」の、ラーメンと、チャーハンのセットでね。
ンの、云うておくの、この、「ハマムラ」。
その昔には、四条通りの、何中華<ちゅうか>の、記憶曖昧の、されどの、油小路の辺り<格致小学校区>にあったんやでと。
いやな、懐かしく。
とか、云うたって、当時には、店屋物、外食なんか、トンでもの。とまでは、申さんのけどの、「ハマムラ」には、一度も入ってえへんですが。
近所にあったの、だけになと。遠の昔に、店替えてもて。


そんな次第の、斯くなるでの。
長男嫁の親父様の話、なるは、酒に強い、弱いの話だけ。
だけで、延々の、ン時間もは、してへんわと。ついでになら、嫁母の方、親父様より、多少は強い鴨の、話。
まで、でして。

いやな、次男嫁の、親父様のなら、ご当人様に聞いててね。何かと、なればの、酒の話。それなら、長男嫁父のも、先の通りの、ご当人様より、聞いてるのけどや。本音と、実際は、ど哉があるけどや。
ご当人様に、聞くも、聞かんも、実は、会おてるの回数、少ないのけどや。

いやね、そらなあの、初対面、双方、息子共の、結婚についての、ご挨拶にお伺いしたが最初でね。
二度目なるは、結納の儀でして。やはり、先様え、訪問致し。
三度目、結婚式当日、式場でありの、「都ホテル」でしての、双方まる切りの一緒。次男の方、なるは、式そのものは、「平安神宮」なれどです。

まあな、回数的、ここまでは、長男のも、次男のも、嫁のご両親とは、まるきりの一緒。且つは、会おたは、次男嫁の親父様とは、その三回だけ。
だけやのに、諸般、双方、オシッコの話で、華が咲き。コレ、結納の儀での話、なれどです。
嫁母となら、孫君3号、生まれたの時と、七五三で、こち、長岡京市に来られたの時の、二度が加わるの、都合の五回だけ。

いやな、嫁母、初対面の時には、無口やなと、思たのけどや。
実際にも、大人しいの方なれどの、七五三で会おたの時には、案外に、喋らはるなあと。そ云う鱈、親父様も、嫁母にも、電話でなら、一度か、二度喋っててね。
電話での話故、一分と、喋ってえへんのけどや。

何中華の、あくまでもの、ここまでなら、会おてるの回数とは、又、異なるの。延べ時間的になら、次男嫁のご両親の方が、よお、喋ってるの、よな感致し。
そんな事でなら、長男嫁の親父様とは、挨拶の初対面の時が、それ以降と比較で、一番に長く喋ってるですが。

ンの、云うとくの、その時等々、何を、どんな話題であったかなんか、手に取るが如くに覚えてるわと。
流石に、電話での話なるは、一分も喋ってえへんが故、中身、忘れたのけどの。そらな、中身あるの話で無いわの、お中元なりが、着いた等々、ありがとうの件でして。
ンンの、それが、中身やなと。

とかの話。
なんか、1日の夜には、してへんでと。
してへんの話、ばかり、してるけど。
(17/01/09)


NO.1905 年末年始の話(6) 1月2日の墓参の話(1)

本日<1月9日>、昼から、なれどの、方々えと。
内の一箇所、「Docomo」。
一昨年の12月に、嫁はんが、ケータイをスマホにしまして。
その際、モ一台、タブレットを持って戴けるなら、タブレット代、無料ですと。へえと。

只で、呉れるなら、結構なると、戴いて。
但し、諸般の契約要るですが。基本、家の無線Lanで、接続して鱈、通信費用もいらんですと。
で、その時には、1年間使って戴き、解約も、タブレットは、そのまま、所有で、無線Lanでなら、インターネットも出来るですと。
聞いた筈なれどの、確信無く。

いやな、その解約の期間なるが、1年後の、1月だけと、聞いたよなで、その1月故、解約するがため、「Docomo」えと。
只なの、本来、2年間の縛りがあるのではと、危惧してたですが。順番取り以前の、受付嬢に尋ね鱈、尋ねたは嫁はんなれどの、解約の手続きなるは、2年後ですと。
それまでに、解約されますと、約、1万円の解約料発生と、云われてね。

仕方があらへんしで、更に、1年、待つにしたですが。
その一年、覚えてられるかが、不安でね。
イヤ、当方、基本、家以外で、インターネットなんか、する気、あらへんでして。経費、勿体なく。

そらねえ、その昔、昔には、インターネットなんか、あらへんでして。それでも、死にはせず。
そもそもがの、通信費用、バカ高く。その昔、昔には、まあな、殆どの先、近くが故、電話で、これから行くからな。なんか、伝えず、出向いたですが。
ある意味、突然の来訪にての、びくりするですが。皆一緒。

それと、インターネットでは、目的違うですが。違うも、メールなりは、目的一緒。
何よりも、ケータイは個人持ちでして。家人を煩わせるの事も無く、当人に直接の話出来るですが。反面では、家族が、余所様と、どのよな、付き合い方してるのか、どんな知り合いが居てるかが、さっぱり分からんわと。
要は、極めての、個人主義、秘密主義に相成ってもて。

まあ、云うたら、子に対するの親の監視と、申せば、監視なれどの、目が行き届かんわと。
結果、余程に、子ども達がしっかりしてへんかったら、変な友達出来たりしてね。
イヤ、ケータイの無い時代には、親が、概ねの、把握してたわと。

それもあるし、当世、兎角に、余所様に電話なり、するに、時間帯、斟酌せず。
まあな、余所様にと、申すは、家族に対しては、大目に見てるですが。
親族に対しても、時間帯、考えんとなと。ましてやの、余所様にはなと。

いやなあ、それ以前の、歩きスマホが常態化してもてね。
昨日、「イオン桂川」に、映画見に行ったですが。映画館は、ガラガラも、モールそのものは、人出一杯。それもあるし、映画が終わったりし鱈、トイレに走るの面々、多いは分かるの、只な、人が、正面に居ても、避けるの気配無く。
いやな、真正面から、来られてみい。ンの、どちらに避ける、道空けるのべきか、迷うわと。それも、子どもに対し、若手に対しに、こちが、でして。

オッとの、当方、云うとくの、まあ、云う鱈、都会生まれの、都会育ちでして。
人混み、上手く突破のコツと、するのか、接触せずに、進むの要領、体験的、感覚的、出来るわと。
いやな、余計なるの話の、言葉選ばずなら、人混みに慣れて無いの面々程に、無神経で、余所様の進路を塞いでしまうわと。それさえ、気にもしてへんのが、若い子でして。
イヤイヤ、余所様が、避けて呉れるモノと、誤解してるです。話簡単の、その手、同士なら、確実にぶつかるわと。周囲、注視してませんでして。

オトトの、又、余計なるの話になってるですが。
若干のみ、話戻せば、当方、その昔より、現在でもや。基本、隠し事あらへんわと。そもそもがの、隠し事の出来るの性格であらへんでね。
その方が、気が楽。称して、気楽やわと。


での、正月、2日の話を致すですが。
元旦には、氏神様、「大井神社」と、パワー・ポイント豊富の、「出雲大神宮」に出向き。
2日の日、なるは、皆で、墓参。
この時には、長男の車に乗ったですが。嫁はんなら、次男の車にでして。

イヤ、先にも、申してるの、昨年の墓参は、私営駐車場の、バカ高く。30分、500円也であったの哉の、正月料金とは、云えどの、ボッタクリ料金でして。
知らぬ故に、そこに駐めたですが。

此度なるは、最初っから、祇園のと、するのか、正式名称、「京都市円山駐車場」。
イヤイヤ、市営駐車場故、ボッタクリはあらへんわと。30分250円也の通常料金でして。
只なの、正月でして。初詣客等々、多いやろと。何分の、この界隈、観光地。

何度でも、申すの、そんな場に、当家、墓地あるは、ささやかなるも、当方の自慢でして。自慢も、祖父の代で、場所確保したですが。
まあな、それを、親父と、当方、受け継ぎ、守ってると、云えるです。
まあなの、実際には、祖母が守ってたと、云えるですが。
そらなの、祖母の墓参の都度、当方、連れられて。云うとくの、歩いてでして。家からやと。云うたって、30分、45分で、行けるの哉と。
朝早くに出て、朝食なるは、円山公園の、屋台でして。トーストと、牛乳を戴いて。

要は、祖母のおごりやわと。
その当時、パンも、食パンは珍しく。多分なら、バター、玉子、砂糖の混ぜたのを、塗ってたよな記憶がと。
おやつも、禄にあらへんのに、加えての、牛乳でして。牛乳ねえ、当世とは、価値感、まるきりの違うわと。我々にしたら、超の、高級、贅沢なるの、朝食でして。ほんまやでと。
それが、楽しみで、祖母のお供した。とも、云えるですが。祖母に教育された、とも、云えて。

特段の、その道中、祖母と、何の話したか、されたか、皆目の覚えてえへんのけどや。
祖母も年々、足腰がで、時には、市電に乗ったり、阪急<地下鉄>で行ったりしたけどや。当時には、当然の、四条通りには、市電が走っててね。
(17/01/10)


NO.1906 年末年始の話(7) 1月2日の墓参の話(2)

結果、我が愛車、カローラは、修繕に出すにしたです。
そらなあ、最早の、13年選手なれどの、さりとて、後、ン年乗るに、気持ち良くと。
ンの、修繕に出すも、しかるべくの、宜しくと、車屋に連絡しただけなれどです。果たしての、何時に取りに来て呉れるかは、分からんわと。

それと、懸案事項の、「IQOS」のフォルダー異常の件、遂に、サポート・センターに電話確認致したわと。
そらなあ、12月10日にしかるべくの、「IQOS」より、メールが届き。所定の事項、住所、氏名、電話番号、該当の製品番号をば、記載で、即の打電してるですが。
梨の礫故、どなってるですかと、オペレーターに、尋ねたならばの、処理出来てませんと。ンの、えの、あのなあと。
とは、云うてませんですが。

での、先方の指示通りの、フォルダー<吸い口>の放電状況の確認致し。フォルダーの製品番号をば、天眼鏡にて、読み取りの、報告致し。
結果、それで、不具合と、判断されたのか、よ、分からんですが。兎に角、1月12日着で、代替え品発送致すと。そですかと。ありがとうございますと、御礼申し上げ。

いやな、この件、過日、正月に、長男に云うたです。不具合連絡して、なかなかに代替え品届かんわと。
さすれば、電話でやた方が、早いでと。
ンの、もしかし鱈、そ鴨なと。後回し、後回しにされてるの可能性がと。
その事、ハタと、思い出しの、電話一発、正解でしたです。さもなくばの、延々の、処理されませんでしたです。ならばの、不具合状況等々、「IQOS公式サイト」より、連絡せよと、なんか、云わんでええのにと。

正直申しの、ここ、「IQOS」のサポート体制なるは、ども変でして。
そもそもがの、サービス・センターの、オペレーターに直接の繋ぐの手段、「製品登録が出来ません」の選択肢でのみでして。
いやな、製品登録なら、やっとで、出来てるです。不具合状況なるは、その上で、公式サイトでと、されてまして。よて、その通りにし鱈、先様より、メール受信で、即の、しかるべくの、打電、返信で、この状況。
要は、1箇月経って、処理出来ておらずと。
どちにしろ、1月12日に、届くが故、ヨカツタなと。


そんな次第の、年始、2日の話。
「京都市円山駐車場」の話。
ここは、知る人ぞ、知るの本来的穴場的駐車場でして。とか云うたって、当世、カー・ナビゲーションなるの近代兵器搭載の車が大多数故、地図見鱈、誰にでも分かるの事よ、状態なれどです。
云うとくの、当方の愛車カローラには、近代兵器付けてませんでして。正直、時代遅れを地で行ってるですが。モと正直には、13年前、ン十万円ものは、よ、付けんです。
次回、買う、買えるなら、付けたいなと、思うのけどや。オッとの、貰いモノのケータイの、なら、あるですが。数年経てば、道無きの道を行くの感。
そして、簡易取り付けがため、ダッシュ・ボードから、ポロリと、外れてね。

オトトの、2日の話をと。
イヤ、家族全員にての、墓参でして。毎年恒例でして。
只、昨年より、年末年始の、12月31日から、1月3日は、「東大谷祖廟駐車場」が封鎖になてもてね。一部、不心得者のため、多くが不便強いられる世の中になてもてね。

昨年は、バカ高いの、私営の駐車場。此度、市営のにと。
の程度の、市営駐車場の存在程度、当方承知してるわと。何度でも、申すの、京都で、生まれの、育ったわと。
ここで申すの、「京都」とは、「市」を指すです。

ここで、ややこしいと、するのか、基本、当方が、「京都」と、申したの時には、京都「市」を意味してるです。
現在、亀岡在住故、亀岡と、申した時には、京都「府」の、亀岡「市」であるです。コレ、当たり前だの、クラッカーでして。

ンの、話、逸れてまうですが。
基本の、基本、京都「市」の、親族を指すに、一々の、「京都」のと、なんか、申さんわと。そんな事、云わんでも、分かってるです。

イヤ、妹、伏見。
「京都」の伏見となんか、当方申せば、京都の事、地名さえも、知らんの怪と、相成ってもて。
オッとの、当方、再度申すの、京都で、生まれ、育ったが故やでと。

これ、申すの時、伏見のと、云う時、ホンの、偶には、あるけれどの、殆どの場合、名前でして。或いは、婿殿の名でして。或いは、姓の時もあるけれどの、まあ、地名出すは無いなあと。
ホンの偶とは、どんな時怪と、なればの、滋賀大津より、伏見に引っ越したの当初のみ。
コレ又、云い出し鱈、妹、当然の、京都「市」にて、生まれの、育ったわと。
余計なるの話、滋賀大津に引っ越した時にも、滋賀の、となんか、云うた事、あらへんなと。名であり、婿殿の名でありの、婿殿の姓も、偶でして。

そんな事云い出し鱈、皆、「京都」。「京都」では、区別が出来んなと。ンの、皆が、皆、現住所、「京都」で無いけれどや。「府」もあり、他府県の場合もあって。
されどの、皆が、皆、京都「市」出身やわと。

いやな、おもしろい事、云うたろ怪の。
四国、嫁はんの里なれどの、ンの、斯くの如くの、「四国」のと、申したり。
京都から、見鱈、四国なるは、可成りの、遠いんやと。又、四国の親族と、なればの、嫁はんの里以外に存在せず。

モと、おもしろい事に、四国、香川なれどの、「香川」と、なんか、申さんわと。ンの、云うた事、無いなあと。ンの、無い事も、無いけれどの、極の僅少。
云うなら、仁尾の、とか。比地木の、とかの、ピン・ポイント的、限定されたの、地域名を申してるです。
まあな、大抵ならばの、苗字なり、名でして。殆どの場合、名哉と。この方が、正確でありの、無難やわと。ンの、基本、誰様の事を云うてるが、分かれば結構なれどです。

それとや、チョと、細かくに、「三豊市」のと、なんか、云われたって、京都の人間等々、他府県のモノには、ピンとは来ませんでして。
少なくともの、当方にしたって、四国の細々なるの、地名、云われたってなと。分からんわと。

反対に、嫁はんの里の面々<親族含む>からし鱈の、単純明快の、当方、「京都」人。イヤ、正解でして。
亀岡のと、なんか、殆ど、云われたの事、あらへんわと。ンの結婚したの当時には、亀岡ではあらへんでして。宇治槇島でして。槇島とか、宇治なんかと、云うたって、四国の面々には、さっぱりの、分からんわと。
されどの、おもしろい事に、四国の面々から、四国に対しての、近畿のと、なんかは、云われんなと。

そらなの、四国なるの文言、一般的も、近畿なんか、一般的で無く。
下手し鱈、近畿の面々も、近畿とは、どこどこやと、問われの、迷わずに返答、回答、云える怪と。
四国なら、四県、サと出るですが。
(17/01/11)


NO.1907 年末年始の話(8) 1月2日の墓参の話(3)

さての、我が愛車、カローラの件。
なるは、本日、車屋より、連絡あっての、明日、朝、取りに来て呉れるですと。
修繕完了、1月20日<金曜日>と、聞いたですが。

代車も持って来て呉れる。
との事なれどの、まあ、その期間、余程の用事とかとか、でも無いの限りは使わんやろと。近所なら、歩いてまして。
とは思えどの、まあな、先様も、来るに車置いとかんなら、モ一人、相棒とでも、一緒に来<き>ん事にはなと。修繕終わって、持ち込んで呉れるも、帰りが困るの事よと。又、二人で怪と。
代車を置いとけば、その辺り、一人で出来て。


での、本日より、満の、70歳。
めでたくもあり、めでたくも無く。
ども、この、70歳なるは、気が進まんですが。進まんでも、自動的、日が経てば、成てまいまして。

いやな、次男家孫君3号から、突然の電話。
オッとの、親が電話して、替わっただけなれどの、おじいちゃん、お誕生日おめでとうの、言葉で、嗚呼、ありがとう。
切った途端、とまでは、申さんまでもの、間無く、今度は、長男家、孫娘より、電話あっての、おじいちゃん、お誕生日おめでとう。次、孫君2号で、1号の順に電話を替わり。
まあな、ありがたい事ではあるです。

そ云う鱈、長男嫁より、誕生日のお祝いに何が欲しいかと、再三尋ねられてるですが。この、正月にも、聞かれたですが。イヤ、いらんと。
特段の、欲しいモノが無くと、返答。
ンの、よ、考え鱈、この、古希<本来なら、数え年の、70歳>の記念にの、意図あったの哉と。

されどの、パと、思い浮かぶの無いのに、無理して、コレ呉れもなと。
そらなの、欲しいと、するなら、幾つか、あるのけどや。例えばの話の、自転車壊れ。
とか、云うたって、今、欲しいと。とは、思て無く。夏場辺りまでにと、考えててね。それもあるし、値が問題。
いやな、高級自転車なんか、全然の、いらんです。それこその、年に何回乗るやの、自転車でして。それも、ここから先、何年乗れるやと。
80歳に達しても、乗るは、乗れても、危険が一杯。当世、可成りの高齢でも、乗ってるの方、見てるですが。傍目、危ないなあと。

イヤ、値とし鱈、精々の、1万円以内ので、充分でして。されどの、それ云われても、買う方にしたら、困るやろと。ほんとに、そんなので、ええの怪と。
遠慮しんでもと、云われたってな。遠慮なんか、してへんけどや。

オトトの、自転車なら、安けりゃ、安い程に結構なると。
且つは、今、あってもなと。この寒い時期には、乗らんわと。そもそもがの、その、80代まで、生存してるの怪と。
冗談で無く、本気やでと。
とするが、この、70歳でして。
要は、いよいよの、先がなと。この先の意なるは、元気で、どこえでも、行ける。好きなモノ、喰うが出来るの年齢なるは、精々が、ここ数年、70代一杯、それで、過ごせれば、凄いなと。

とっとの、そ云う鱈、本日、<1月11日>なるは、鏡開きの日。
一応は、格好だけ、鏡餅の、「サトウ」のお飾りをば、分解致し。中身、小餅なれどの、小餅で結構の、パック詰めがため、カビてませんでして。
それ以外の、神棚、三宝さんえの、飾りは、本物の餅故、カビてもてね。ンの、小餅も、本物の餅なれどです。こちのは、パックなんか、してへんしと。
その昔なら、青カビ結構の、肺炎対応の、ペニシリンになるわ。とか、云うてたですが。あかんですて。青カビだけでなくの、毒性持ったカビも繁殖してるの可能性あるですて。


そんな次第の、斯くなるでの。
正月、2日の墓参の話で、えらく、話、逸れてるですが。
実際問題としてなら、殆どの場合、地名なんか、云わんなと。近在ならなと。云う事もあるのけどや。これ、正確を期しての事やなと。
九州には、学友沢山居てるですが。基本、九州の、とか、苗字でして。学友同士なら、苗字で、通じる故でして。

学友で無いなら、苗字は申さず、九州のと。或いは、細かくに、熊本には、福岡とか、大分の、とかとかでして。それ以上の細かくには、こちも、知らんがな。
ンの、知ってるのも居てるですが。知ってても、行った事、あらへんわいと。ンンのコレマタ、正確には、九州の、以外のなら、行った事あるのも居てるのけどや。

での、にしては、何故に、嫁はんの里の事、香川で無く、三豊でも、詫間でもく。比地木、仁尾とは、云うも、珍しくで、四国のと、云うかは、先にも、申してるの、四国の親族、そこだけでして。
それも、二軒あれどの、正確には、三軒なれどの。兎に角、嫁はんの、親元でありの、兄宅でもありの、姉宅でして。要は、親でありの、兄姉の、でして。

とかとかの、まさかの、四国在住のが、四国で、四国のと。
とは間違おても、云わんわと。それでは、さっぱりの、分からんわいと。
京都在住が故、四国のと。それでも分かるの、間違わんの、通じるの、充分でして。

ここで、ややこしいは、香川なるは、県名での、「香川市」なるは、あらへんわと。県庁所在地、「高松市」でして。
京都なるは、基本、府名なれどの、「京都市」なるが、存在致すわと。そこに、府庁存在。
まあつまりの、単に、「京都」とされたの場合、当方的感覚ならばの、「府」で無くの、「市」を意味してるです。イメージするです。

そらなの、再度の、当方の場合で、感覚なれどです。
モ一発、そらなの、何度でも申すの、当方、京都「市」生まれの、京都「市」育ちやでと。はきりと、申しの、亀岡よりも、細かくに承知してるです。
とか、云う鱈、次男に文句云われるのけどや。亀岡に住んで、何年経つやと。
過去に云われてね。重々の記憶してるわの、それも、そやけれどや。

京都「市」には、24年。宇治槇島には、7年。
ンの、ほならの、39年が経つになるの哉の、最早の、期間一番に長くになるのけどや。
会社が、京都「市」やしなと。基本、自宅と、京都「市」の往復でして。退職しても、そこらを、ウロウロとは、してへんしと。
何分の、出不精故。

そやけれどの、モと、云う鱈、亀岡に、学友も、親族の、誰一人も居てへんけれどの、京都「市」になら、沢山居てるです。
まあな、ロームのなら、数人居てるですが。もしかし鱈、十人程居てるの鴨なれどの、家まで承知は、一人だけ。
ンの、「芋煮会」の、農園主宅。
(17/01/12)


NO.1908 年末年始の話(9) 1月2日の墓参の話(4)

本日<1月12日>。
朝一番には、車屋が愛車カローラの修繕のため、引取に来て呉れたです。
代車も、置いて呉れたですが。とりあえず、来週、金曜日<20日>に納車予定であると。

そして、正午辺り、クロネコヤマトの宅急便が届いたです。
イヤ、IQOS、フォルダーの代替え品でして。諸般、とりあえずは、そのままにして、明日やなと。
イヤイヤ、開梱等々、試用がでして。本来なら、旧の不具合品をば、そのままに、運送屋に頼めば、しかるべくの処理して呉れるになってるですが。
試用もせずに、ハイと、返送もなと。
そんな事で、懸案事項、二つが、本日、処理とするのか、何ちゅうかの、事、進んだです。

での、正月2日の、墓参の話が逸れに、逸れての、逸れまくってるですが。
これ、当たり前だの、クラッカーの、あくまでもの、当方主体の話やでと。

そらなの、京都「市」生まれの、京都「市」育ちなるは、当家、当方一人やでと。
いやな、嫁はん申すに、当方、「京都」に拘り、思い入れ強過ぎると、申し。当方から、云わせて戴ければの、コレ又、又の、当たり前だのクラッカーやと。
何度でも、申すの、京都生まれの、京都育ちで、「京都」に、対しの、拘り無く、思い入れ薄いは変でして。ここでの、「京都」、くどいけどの、「市」。

嫁はんなら、四国、比地木で、生まれの、育ち。
結婚で、京都、宇治、槇島でして。そこには、数年で、亀岡えと。

息子共なら、正確には、長男、香川、観音寺「市」で生まれ。2歳で、亀岡故、事実上、亀岡育ちで、現、神戸在住。細々なら、就職してから、色々あるけれどの、割愛致すわと。

ンの、話、逸れるの、余計なるの話の、神戸「市」なるは、兵庫県なれどの、まあな、殆どの面々、兵庫県の神戸とは、云わんやろと。神戸で、軽くの、通じる故。
ここも、兵庫市なんか、存在せずの、県庁所在地、神戸でして。
そ云う鱈、姫路城の、姫路が、県庁所在地とは、違うんやなと。今更乍らにハタと、気が付いて。
そらなの、神戸なるは、息子共一家が、行かんなら、遙かなるの、遠方。当方から、し鱈なと。云うても、四国よりも、近くなれどです。

での、次男はと、なればの、槇島は、槇島なれどの、正確には、伏見で生まれたわと。
イヤイヤ、現、妹家住むの極の近所。歩いて、5分、10分哉の産院でして。その産院無く、歯医者になってるですが。

次男が生まれた故、将来的、槇島の家<15坪辺り>ではなと。そらなの、5人家族<母同居>での、狭あてね。親父も、退院し鱈、一緒に住むの積もりでね。
当方の考え、だけ、なら、なと。

コレ又、正直なるの話、その当時で、当方甲斐性にて、買えるの家と、なればの、偶々の新聞広告見て、見学、見聞の、亀岡の大井町の、現住所。
オッとの、槇島の家も、所謂の持ち家やでと。仏光寺の家なるは、借家も、当たり前だのクラッカーの、親父名義やわと。

はきりと申しの、24歳での話故、目一杯も、借りるが出来るの住宅ローンもそこまでやと。亀岡の家も、そやけれどの、何でも、目一杯。
コレマタ、又の、余計なるの話の、24歳で、何で、京都の家<仏光寺、油小路西入る>、出んならんのかと、なればの、借家で、家、老朽化で、壊れ出し。
くどいけどの、そこが、本籍とは、違うの、本籍なるは、綾小路大宮東入るの丸屋町。これ、通り名で申してるの、京都「市」やでと。

ほんとになの、祖母、他界で、間無くの、親父、強制入院<肺結核>で、アと、云う間に、壊れ出し。住めんわと。
問答無用の、どこか、探さな仕方が無くの、ええも、悪いも、あらへんわの、母を、妹を、守らんならんわい。
と、云う程の深刻さは、あらへんけどや。万事、自然の流れ故。
オトトの、妹は、槇島の家から、嫁がせたですが。嫁ぎ先、当時は、宇治黄檗。

ンの、何の話をしてるの怪と。
云うとくの、これでも、相当に、端折った話にしてるんやでと。

更にの、嫁共のその辺りの事。
長男嫁なら、里と、云うのか、実家、向日市。そこで、生まれの育ったと、思てるですが。

次男嫁、伊勢でして。ンの、これ又、三重県の、とは、云うた事無いなの。そもそもがの、三重も、「三重市」なんか、存在せずの、県庁所在地、津「市」。
津市も、津市とは、一般的、申さんの、単に、「津」。
ンンの、そと、承知の面々、どれ程怪と。正直申しの、津より、伊勢の方、有名でして。そらなの、お伊勢さんの、「伊勢神宮」がと。

それ、云う鱈、向日市は、向日市と、云うてるなと。
オッとの、意なるは、向日<むこう>では、聞いて、間違おてまうわと。こっち、むこうの、向こう哉と。
よて、一般的、云うは、「向日市」でして。

ンの、これ又、以前には、「町」での、「向日町<むこうまち>」と称してたなと。今でも、「向日町商店街」なるが、存在致すわと。看板も、そのまんま、やわと。
その方、「向日市」より、「向日町」の呼び名に、馴染みがある故でして。
いやな、「町」の時には、「町」省略せずの、「向日町」と、云うてたですが。

そんな意味でなら、「向日町」も、「町」省略し鱈、一緒の事よの、変なれどです。
どちでも、結構の、我々からし鱈の、「向日町」の呼び名の方、馴染みがあるわと。
オトトの、「向日町」ねえ。そ云う鱈、商店街だけであらへんわの、JRの駅名から、警察署から、沢山の施設、そのまんまの、「向日町」。再度の、その方が、馴染みがある故哉と。

ンンの、モと、云う鱈、その昔、昔には、乙訓郡<おとくにぐん>向日町。
なれどの、市街地なら、区別が付かんの程に、京都市と、隣接してるわと。論より証拠の、「イオン桂川」なるは、正式には、向日市なれどの、現実問題、建家、二分怪の、場所なんやと。


それ云う鱈、当家、その昔、亀岡に引っ越したの当時には、ンンの最早の忘れてもたけどの、「字<あざ>」が付いてたなと。「字」が付くは、はきりと、申しの、田舎の意でね。

半分冗談、半分本当なれどの、大字<おおあざ>、田舎、字<あざ>、田舎の、小字<こあざ>も付い鱈、嗚呼、田舎やわと。
いやな、正直申しの、当方、云うたら、都会生まれの、都会育ち故に、えらい、田舎に来たモンやと。心底思たわと。
そらなの、周辺、田んぼ。当時には、モと、田んぼが多かったわと。

いやなの、いやなで、引っ越しの都度、田舎え、田舎えと。京都のド真ん中から、宇治、槇島で、亀岡でして。自身の甲斐性に見合うの土地<地域>で、家でして。
そらなの、云うたるの、24歳当時で、家族3人、母、妹をば、養うと、までは、大袈裟故の、申さんまでもの、近いモノあっての、そらなの、妹とは、7歳違うんやでと。

この意味、分かる怪と。まあ、分かるの面々僅少也と。
と、までの、深刻でも、重くも、無いけどや。
一口でなら、経済的なるは、祖母から、親父飛び越してもての。ンの、母もで、要は、親突破の、突然にの、当方にバトン・タッチされたの感あって。

まあな、大学も卒業してたし、就職もで、ほんとに、ほんとに、ヨカツタなと。
正直、諸般、運がヨカツタと、云えるです。
コレ、我が、「柴田家<け>」にとってもでして。
との、認識あるは、全柴田家で、当方だけ、鴨なと。
ンの、邪魔くさい故、「全」とは、どの範囲の、「柴田」を云うてるかは、割愛致すの、今更の、意味無く。
(17/01/13)


NO.1909 年末年始の話(10) 1月2日の墓参の話(5)

本日<1月13日>。
「健康保険高齢者受給証」なるが、届いたです。
何かと、なればの、70歳以上の、には、年収に応じの、医療費2割負担の優遇証書。

で、説明、厄介故、簡単なるの説明の、当方、その年収僅少故の、「福祉医療費受給者証」なるを、66歳であったか、67歳哉から、申請しの、受けてるです。
これ、69歳まで、でして。
要は、以て、医療費2割負担が繋がったに相成るです。
云うても、3割から、1割になって、又、2割になりの、その軽減措置受けられるよになてから、医者通い少なくなったわと。
イヤイヤ、1割から、2割なるは、優遇措置の縮小化でして。その標的、話簡単の、我々、ベビー・ブーム世代やわと。

当方より、2歳以上、上の面々なら、既得権認められの、従前通りの、1割負担やでと。
これ、ベビー・ブーム世代の直前でして。人数少なくて。ええなあと。

云う多呂怪の、基本、同世代の人数少ないは、何でもが、得でして。
コレ又、話簡単になら、受験戦争、激戦の直前になるです。又、我々の、2歳下からは、ピーク過ぎて。
当世、その歪みの、少子高齢化の、高齢化で、所謂の老人福祉切り捨ても、我々世代の切り捨てでして。コンチクショウめと。
とかとか、云うたって、我々声大にしたって、どもならず。政府は無い袖振れんと。我々にし鱈、直前で、ハシゴ、外されっ放し。それも、次から、次えと、マダ、やるかと。
若き世代にし鱈、自分達が、その時になれば、モと、切り下げられてるの大不満。


オッとの、トトトの本題。
とは、云えどの、まだまだ、話、逸れるですが。
そらな、当方、京都「市」の事なら、土地勘あれどの、一歩出たら、さっぱりの、知らんわと。ンの、亀岡の事なら、多少は承知も、もしかし鱈、もしかしての、もしかしんでもの、息子共の方が、詳しいやろと。

そらなの、向日市の事にしたって、息子の嫁が、そこ出身故、関心持つけどや。でも、無いなら、詳しい事、さっぱりの、分からんわと。
次男の、長岡京市の事も、一緒やわの、そらなの、地名なら、当たり前だのクラッカーの、重々の承知の、そこなら、「長岡天満宮」あるを承知の。遙か、以前なれどの、行った事あるわと。
イヤイヤ、向日市との、位置関係も、承知なれどです。云い出し鱈、歴史とするのか、経緯も、ある程度は承知してるわと。

されどの、神戸と、なればの、その辺り、分からんでして。
長男宅の近在にての、云う鱈、「長岡天満宮」「伊勢神宮」に相当、該当するの、有名神社なりは、どなん哉と。皆目の見当付かんわと。

でや、「伊勢神宮」ならばの、これ、全国区と、思てるですが。
全国に、「伊勢講」あったり、してまして。

そらなの、小学校の修学旅行が、「伊勢」でして。
「伊勢神宮」と、「二見浦」に行ったですが。
ついでになら、中学校のが、「東京」で、東京タワーに登ったなと。高校が、「九州」で、宮崎では、青島で、ラクダに乗ったの覚えがと。
ンンの、只なの、「伊勢神宮」と、「夫婦岩」の、「二見浦」が高名なれど。それ以外、知らんなと。

そらなの、そらなで、京都市内、或いは、周辺ならばの、意識的で無くの、自然と、行ったり、聞いたりしてての、承知してるですが。
モと云う鱈、「長岡天満宮」なるが、全国区的には、どの程度の知名度かは、知らんですが。京都の面々なら、まあ、承知してるです。コレ又、遠くになれば、なる程に、知名度、下がるのやろと。

そらなの、誰とは、申さんの、地方の方<かた>での、次男の新居尋ねられての、「長岡京市」を知らんでね。まあな、そら、そ鴨と。
よて、「長岡天満宮」の事、申せど、通じずの。
そやろなあと、都<みやこ>としての、「長岡京」遷都時代のと、申せど、通じませんでして。これは、コマツタなと。

奈良の、平城宮と、京都の平安京の間の、長岡京があったやろなの、その長岡京なると。云うても、通じんでね。コマツタなと。
イヤ、そんなモン鴨と。
されどの、地名で無く、歴史の話、なんやけどと。
とは、一切の申してませんですが。

いやな、その、「長岡京市」。
ここも、以前には、乙訓郡。JRの、「長岡京」駅なるは、昔は、「神足<こうたり>」駅と、申してまして。
正直、「長岡京」駅と、改名正解也と。その方が、良く分かるわと。

とかとか、この辺りまで。
イヤ、男山八幡の、叔父宅の辺りまでなら、度々の行ってるし、承知してるですが。長岡京市には、ロームに在籍のも、人数居てたしなと。
同じの京都も、亀岡よりも、更なるの西。とするのか、北部の事、分からんわと。精々が、園部まで。

そ云う鱈、大学時代の、同期生なれどの、何とまの、園部から、電車通学してたのが居たですが。
当時、へえの、そんな遠方より、よお、通うな、通えるなと、感心したですが。オッとの、当時の山陰線なるは、ジーゼル、単線故、時間掛かるわと。
での、よ、聞い鱈、「花園」駅下車で、歩いて、大学に来られるですて。へえと。
いやな、当時には、「円町」駅、あらへんわと。
多分ならばの、園部から、花園までで、1時間半程度掛かったやろ哉と。

での、そいつ、無口で、地味でね。
そらなの、疲れてたと、思うわと。通学でや。卒業しての、その後の事、皆目のと。
(17/01/14)


NO.1910 年末年始の話(11) いよいよの、墓参の話(1)

いやね。
本日<1月14日>。
遅れたですが、当家、当方の誕生日祝い。
云うたって、いつも通りに、嫁はんと、二人しての、ショート・ケーキで、ささやかにと。
又もやの、めでたくもありで、めでたくも無く。複雑怪奇なるの気分。
オッとの、誕生祝いしてもらえるは、嬉しいですが。それも、一応の一つの区切りの歳でして。

でや、諸般、脱線と、するのか、話逸れて、逸れての、逸れまくりの話の。
ならばの、亀岡は、どなん哉と、なればの、全国区的、有名、高名なるのは、何もあらへんわと。
「出雲大神宮」も、正直申しの、我々、亀岡に引っ越してから、知ったしなと。

きっかけなるは、Dr.コバの占いと、するのか、風水の本。
それと、御利益のあるの水として、近在の方から、戴いたり。その水なるが、「出雲大神宮」の御神水でしたですが。
要は、パワー・スポットとして、近年、益々の、認知度上がってるですが。当然の、知る人ぞ、知るの神社。
はきりと申しの、ここ、10年では無いの怪と。平日でも、参拝客、見るよになったがです。

以外には、西国三十三箇所巡り、第二十一番札所、「穴太寺<あなおじ>」なるが、あるですが。
まあな、その手の巡礼の旅に興味あるの方ならなの、寺でして。
当方にしたって、この地に来るまで、知らんかったわと。
まあつまり、亀岡には、全国区的なるの、モノ。神社仏閣的なるは、あらへんなと。まあな、その手ので無く、「湯ノ花」温泉なら、近在にあるけどや。
そち方面に趣味のあるの面々なら、なと。
オッとの、当然の、「湯ノ花」温泉なら、来るの以前より、承知してたですが。再度の、「出雲大神宮」「穴太寺」なるは、全然の、知らんかったわと。

さての、そんな次第の、斯くなるでの、話、逸れて、逸れまくりの、ついでの話の、果たしての、四国の嫁はんの里の面々、姻戚に限らんですが。
「亀岡」を、「宇治」を、承知してた、かと、なればの、まあ、知らんかったやろと。
姻戚なら、聞いてから、へえのと、記憶し、認識も、界隈の面々なら、聞いて、へえも、次なるの瞬間にも、忘却哉の。要は、右から、左に、スと抜けるやろと。
結果的、姻戚に限らずの、ズと、「京都」のと、云われてるですが。それで、正解でして。「亀岡」も、「宇治」も、「京都」やわと。
そもそもがの、四国からし鱈、「京都」の、細々なんか、分からんわと。


ではの、いよいよの、本命の話の、「東本願寺祖廟」えの、墓参の話。
でも、無いけどや。墓参の話、なるを、延々のしたって、墓参は、墓参。我々夫婦なら、月参りしてるわと。特段のと。
又、この話も、度々の掲載してるわと。

されどの、此度、経路が異なりましての、「京都市円山駐車場」からでして。
理由なるは、何度でも、申すの、「東本願寺祖廟駐車場」が諸般の理由にて、昨年より、年末年始が封鎖になって。
仕方があらへん故、市営駐車場からになったんやと。

でや、ここからと、なればの、当方以外、多分なら、経路を知らんやろと。
ンの何のと、なればの、「駐車場」から、墓地えの道順を。
そらなの、界隈、少々の、ウロウロし鱈、分かるですが。迷わず、目的地に行けるかと、なればの、ホンのチョとだけ、苦しむやろと。
全員、何度も、何度も、墓参、してるのけどや。限られたの経路でして。
とは云え、駐めたの駐車場の場所、分かってるし、なと。
要は、「祇園」の横手。

云うとくの、当たり前だのクラッカーの、当方、ご幼少時代より、墓参してまして。且つは、何度も、申してるの、祖母とは、我が家より、歩いて、行ってるです。来てるです。
何を云うてるかと、なればの、車での墓参と、歩いてでは、経路少々、違うわと。

とか云うたって、「京都市円山駐車場」からの、墓参なるは、当方にしたって、初なれどです。
とかとか、云うたって、この、界隈、熟知と、までは、云い過ぎも、車の無い時代より、数限り無くの来てまして。来るは、行くは、別段の、墓参だけと、違うわと。

ここには、「祇園」がありの。
「八坂神社」がありの。「円山公園」で、「東大谷祖廟」で、云々の、主たるで、「清水寺」「知恩院」。
どれが、全国区かは、知らんのけどや。

全国区のと、なればの、一番に怪しいは、むしろの、「東本願寺祖廟」也かと。
要は墓地でして。
ここは、下手し鱈、下手しての、下手しんでもの、京都の面々も、知らん鴨なと。知らんの方<かた>、多いやろと。ここに、墓無いなら、無縁の、ご縁無く。
そんな事なら、むしろの、「西本願寺祖廟」の方が、京都人からも、より、認知され、承知されてるやろと。

理由、分かる怪の、墓地が、五条通りから、見えてまして。五条通りと、するのか、正確には、国道1号線。それこその、山科「区」え、行くの道中。或いは、山科から、京都にと、とも、云えるですが。この表現、正しくは無く。

そら、山科は、京都市「山科区」故での、正確になら、東山「区」から、山科「区」に成てもての。されどの、国道1号線の、京都から、山科えと、した方が、我々的、云い易く、聞いてる方<ほう>も、分かり易く。
京都人ならなと。
そらなの、京都人も、「東本願寺祖廟」「西本願寺祖廟」を知らぬ方、沢山居てるです。先の通りの、墓、そこで無いなら、無縁。

でや、「東本願寺祖廟」なるは、京都人からでさえ、余り、認知されて無い鴨と、してるの理由、京都の、どこからも、見えませんでして。これ、当たり前だのクラッカーの、間近ではの意。
それ云う鱈、「西本願寺祖廟」も、国道から、見えたって、どこの宗派の墓地か、分かってるの怪と。
ましてやの、墓地故、観光地でもあらへんわと。最近では、外人が、カメラ片手に、迷い込んでか、承知の上でか、知らんの、よお、見掛けるですが。


オトトの、この界隈の、「祇園」も、難しいわと。ややこしいわと。まともに、説明するならばと。
当方、申してるの、「祇園」なるは、正確には、「祇園社」也と。「祇園社」とは、「八坂神社」の事也と。通称、「祇園さん」の事也と。
モと、云う鱈、石段のみ、「祇園石段下」なるの、云い方あって。待ち合わせ場所として、有名でして。
京都ではなと。

何で、こんな事、くどくど、くだくだ、云うてるかと、なればの、一口でなら、「祇園」も、諸般の意あって。モ一つ、地区の名称でもあって。そら、「祇園社」<八坂神社>があるが故でして。
まあ、云う鱈、「門前町」なれどです。

モと、云うたら、地区とは、所謂の、「花町<花街>」界隈指すわと。
「花町」とは、「遊郭」でありの、「色町」とも、称するですが。
「花見小路」通りなるは、その中心、代表的とも、云えて。
やから、この界隈、祇園界隈とも、云えるの、この辺りでなら、本物の、舞子さん、芸者さんがウロウロしてるし、よお、見掛けるわと。
(17/01/15)