シバケンの単なる雑談NO.15

単なる雑談NO.13 単なる雑談NO.14
単なる雑談NO.11 単なる雑談NO.12

単なる雑談NO.5 単なる雑談NO.10
題目一覧表

目次

雑談NO.16

300.コンビニ・ダンス・ストア(10) 閑話休題・男親の気持ち

299.コンビニ・ダンス・ストア(9) 安堵無事識別

298.コンビニ・ダンス・ストア(8) 余裕ある生活

297.コンビニ・ダンス・ストア(7) 京都御苑一般公開

296.コンビニ・ダンス・ストア(6) 希しき縁

295.コンビニ・ダンス・ストア(5) 援軍要請実らず

294.コンビニ・ダンス・ストア(4) シバケン大丸

293.コンビニ・ダンス・ストア(3) 一文字違いの人

292.コンビニ・ダンス・ストア(2) MA君の話

291.コンビニ・ダンス・ストア(1) 発起塾

290.年会での話(5) 余談

289.年会での話(4) 食前酒一杯

288.年会での話(3) お説教(2)

287.年会での話(2) お説教(1)

286.年会での話(1) 早く着き過ぎて

285.卒業旅行で大騒動

284.内輪の食事会(4) 悪酔いしてしもた

283.内輪の食事会(3) 役立つ資格

282.内輪の食事会(2) 挨拶の話

281.内輪の食事会(1) 就職祝いと進学祝いの食事会

雑談NO.14


281.内輪の食事会(1) 就職祝いと進学祝いの食事会

前を走ってる車が急停車してぶつかりそおになりまして。
其の数分後には、前を走ってる車がズルズル後退してくれて。どっちにしても、ぶつからなければ何事もないのですが、何かしら慌てさせられただけ損した気分。
特に、事情を知らん成章高校の学生諸君にはクラクッションを鳴らしとおて鳴らしたのではナイし此方は被害者であると背景説明をしてやりたいワイ。
私にしてもズルズルと後退したことはありますが、クラクッションを鳴らされるまで、気のつかんことはなかったし、気がついて更に後退したことはありません。彼奴は鈍感なる私が断言出来る程の鈍感やで。マサカとは思いますが、もしかして、一発目のクラクッションには気がついてなかったのではと思たりして。云うたら悪いけど、その調子では私の歳まで生存出来ん。
話はコロリと替えまして、痛めた足首の筋肉痛がよおやく完治して、完治とは無関係ですが、一家揃いまして、ささやかなる食事会を催したのです。一家とは夫婦と息子二人と母の五名です。
目的は長男の卒業と就職祝い。二男の卒業と大学院進学お目でとおさんです。
長男の就職先は早くから決まってました。就職活動は早くも三回生の終盤からで、エライ早いことやるなあと思てたのですが、当世就職難の時代はそんなもんかいなあ。
昨年の年明け早々から色んな会社から会社案内が届いたり人事関係者からの電話が有ったり。其れは其れは、凄まじいものでした。会社案内は日本経済新聞社出版の分厚い本に葉書に小冊子で、ダンボール箱でナン箱になったのか。電話も毎日のよおにありまして、其れが数ヶ月続いたのです。
電話が鳴れば、其の電話かワケの分からん勧誘電話。ナンとかと申しますが、誰其れ君居られますか。女の子であったり男であったり。最近は巧妙になりまして、同窓会の連絡でと携帯電話番号を聞き出すのです。一度は引っかかりまして、教えてから、此れ此れの人から電話があってと当人に確認すれど、そんな奴知らんやて。
結果的に事無きを得ましたが、以降、相手さんの電話番号を聞きだし、此方から電話させんよおにせんとアキマセン。そしたら結構ですと断られてしもた。イヤイヤ、その電話と人事関係者とが交錯して大変でした。
ナカには横柄な人事の奴も居てまして、当人は不在ですがと伝えたら、本日中にどおするかの返事をするよおにやて。授業中に携帯電話もナンやしねえ。そもそも、そんな程度の社員教育しかしてない会社に就職することはナイ。顔を洗て出直して来いとは申してませんが。
私のときには大学の教室にダイヤモンド出版社のが沢山置いてありまして、ご自由にお持ち帰りくださいとしてあったから一冊戴いたのを覚えてます。その本で調べた会社に就職したのではなかったし、就職活動には役立ててない。葉書の一枚も戴いたことはなかったのですが、通信費用も当時とは桁違いです。
会社案内、電話の内容は我が社はこんな会社ですから是非共会社説明会に参加と就職試験に来てクレ。何処とは申しませんが、知った会社も多かったし、妖し気なのもありました。ではありますが、採用したいからどおですかではありません。あくまでも会社案内。
今では会社案内の申し込みもインターネットでするのが一般的手段になってますから、パソコンの出来ることは最低条件になってます。
私にも相談してくれましたから会社内容をインターネットで調べたりもしてましたが、運良くと云うべきか、一番最初に応募した、本社が京都市内のとある小型モーターが主力の製造会社に採用されたのです。実に四回生になってスグの四月の始め頃でした。
お目出度いのはお目出度いのですが、此処は関連会社を含めて一括採用。配属先が何処かも分からんのです。ナンせ、天神橋の京都本社は狭いし製造開発部門はナイのです。比較的近いのが彦根の工場で此処かなあ。
向日町に研究所が出来るらしいのですが、二年先らしい。運が良ければ其処に戻れるやも知れんとか、想像逞しく勝手に予測してたのですが、正式に配属先が決まったのが先週でして、予想外の峰山工場やて。同じ京都府下ではありますから近いと云えば近いのですが、家から通うにはチと遠いがな。
当面は独身寮になりますが、以降、如何なる運命が待ち受けてるかは神のみぞ知り賜うことであります。
そして、来週早々からは卒業旅行と称し、学友と共にグアム島に往くのやて。資金捻出のためのアルバイトをしてますが、帰れば就職先での新入社員教育が待ち受け、終われば職場に赴任予定となってます。就職前にはあれやこれやと準備することもありますでしょうし、家族揃うのも後幾日。早い目に一家揃って食事を奮発の一計と相成りました。
二男のホウはアト二年、当家から通うことになりますが、此れも就職先が如何なることになるのやら。
此方は薬学を専攻してますので、先が沢山有るワケでナシ。京都にも有ると云えば有りますが、タブン、出ることになるのやろなあと覚悟してます。
(02/02/28)


282.内輪の食事会(2) 挨拶の話

隣の兄ちゃんは顔を合わせれば会釈してくれますし、ご両親も同じでどちらからとも無く自然に挨拶が出来る。
隣でも反対側の兄ちゃんは顔を合わせてくれることがナイ。合わせたいけど、避けるがな。其処に居てたらコンニチハの意味で会釈でもと思うのですがアカンなあ。完全に無視されて。
此方から大声で挨拶すれば辛うじて会釈してくれますが、そおでもなければ知らんふり。知らんウチに何か悪いことでもしたのかと心配になる。
さて、息子達もソレゾレにいずれは自活独立することになる。そおなってくれなければ困りますし、理屈屁理屈口実はナンであれ、順当ならばですが、男は自活独立して一家を養わねばならぬ。
古かろおが新しかろおが、其れが男の役割であると思てます。共働きに反対してるのではありません。基本的には男の甲斐性で生活出来ることが前提で、嫁はんに収入があるのは結構なことですが、ヨリ贅沢な生活を営むための補助的なもので佳し。
にも関わらず、結婚して子が出来ても収入不安定なフリーターではナンとする。嫁はんは当人の意志で結婚したのですが、子は親を選択して世に出たのでナイからなあ。言語明瞭に表現すれば、親の勝手で出来た子には責任を持たねばならぬ。
責任とは愛情のことではナイ。愛情は当たり前のことで、難題ではあるけれど、佳いこと悪いこと、そして世間の常識を弁えさせること。隣の兄ちゃんではないけれど、最低限、挨拶の出来る子であって欲しい。よって、家でもやってます。チと大袈裟ですが、お早うさんの一言は常識の範疇であることを家訓としてる。
お陰様で、近所の奥様方からも挨拶してくれると伝え聞いてますから満足してる。
そのウエで、親として何が出来るかと云えば、子が進みたい方向に進ませてやることしか出来ません。
進みたいと申しましても親にナンの才能もナイのですから子に才能があるハズもナシ。
トンビがタカを産むハズがナイし、トンビはトンビでタカはタカ。子がタカであったとしたら、親がタカであるのを知らなんだだけ。
そこらの標準的収入のくせに、有名幼稚園に入園させるのは親のエゴ。イジメからの防衛のために私立中学校に通わせるのは時代の背景かなあ。
世の親達が甘やかせた結果と一部の先生方の欠陥もありますが、彼の先生、此の学校、彼処の親が子が悪いと非難しても仕方がナイ。彼方様には彼方様の常識が存在してまして、噛み合わんなら自己防衛するしか手段ナシ。
私立では理屈抜きにお金は掛かるし、ここからが親の責任となる。息子達の時代は幸にして市立中学校で充分でした。高校からは私立でしたが、勝手と云えばナンですが、当人が選択しただけです。
受験についても当人任せ。私が代わりに受験するワケにもイカンがな。受験したら間違いなく不合格に決まってる。親が出来ることは志望校に受験させてやり、幸運にも合格すれば、授業料の面倒を見ることだけ。
学校のことは別問題として、私には娘は居てませんが、挨拶さえ出来ぬ男になんか娘を嫁にはよおやらん。
何かの魅力が有りまして、可能性を求めて結婚するのも結構ですが、フリーターでは困る。しっかりした目的、余程の幸運、才能でもなければ見果てぬ夢に終わるのが関の山。親に面倒見る甲斐性があれば結構ですが、何時までも親が安泰でもナシ。簡単に夢が実現出来るのなら、世間全てが幸せ者で充満してるし、平々凡々な人生こそが難しい。夢ばかり見てたら運に寄ってはですが、地獄を見ることになる。と、我が身を振り返れば、そんな具合に思てんとショウガナイ。
其れにしても挨拶出来る兄ちゃんが独身で、出来ぬホウが子まで居るから分からんわ。
いずれにせよ、自活独立の時期が早いか遅いかだけのことと割り切って。と思いつつ、思いつつ。そんな意味からは、立派な家業がありまして、其れを継ぐ、継がんで揉めることもありますが、有れば当人の立場からは選択肢があると云えますし、親としては其の道もあるぞと云えますから羨ましいと感じてるのは家業を持たぬ身やからかなあ。
いずれにせよ、人生如何なることになるのやら。神のみぞ知る未知の世界です。
そんなことで、家族揃っての食事会と相成りました。しかも、就職祝いに進学祝いが口実ですから、世にも羨ましいばかりの佳いことづくしの食事会とも云えますが、内実はそんなことでありまして、送別会にヤヤ近い。
さて、二男の授業が夜も続いてまして、帰宅したのが八時半やで。何処にするかは決まってまして、丹波牛の焼き肉の平壌亭。値段が高いため、二度しか往ってない。
狂牛病問題も心配ではありますが、全品半額出血大サービスやで。
其れなら久しぶりに焼き肉でもとなりました。
(02/03/01)


283.内輪の食事会(3) 役立つ資格

三月になって上着に気迷うポカポカ陽気。
昨夏は猛暑でエアコンが売れに売れ、景気回復かと思われたのに冬は暖冬でアカンかったなあ。近来希なことで、亀岡では交通渋滞になるよおな積雪もなし。昨年とは大違いで、寒がりの私にとっては有り難いことですが、東大寺二月堂のお水取りが終わるまでは安心出来ません。其れでも大雪はあるまいに。
さて、当世携帯電話も小学生が持つ時代ですて。しかも私等のより上等ですて。若い分だけ使いこなしも早いやろ。息子共はカラー液晶で、二男はJ−PHONEの写メール機能付きにしてますが、嫁はんはお金が勿体ないしと白黒で、私なんか護身用ですから考えることもナイ。チナミニ、二男以外はdocomoです。
結局の処、当家では母以外は持ってますが、むしろお年寄りにこそ有効か。自分で使えたら佳いのですが、徘徊されたら家族が困りますので、居場所探知のため。母はまだボケてませんので、一般論です。
先日のことですが、朝刊を取りにカドに出たら、女性の話声が聞こえるのです。お隣の奥さんが話掛けてくれたのかと其方を見ても気配ナシ。ヨクヨク見れば、若き女の子が携帯電話で話をし乍ら歩いてるのです。何処の子かは知りませんが、携帯電話も文化を替えたなあ。
比類なき便利さであればこそ、値段も機能も大きさ重さも改善されまして、急激な勢いで此処までに普及したのですが、歩き乍らの電話はお上品とは云えませんで。どっちみち、大した用事もナイくせに。
私など間違ったよおに掛かって来ますから、思わず何事かと立ち止まってしまいますし、電話も何処に仕舞たかと探すのに一苦労。
息子達の時代を振り返ってみれば、高校生が持ちだした頃ですが、頑として持たせませんでした。要は自分のお小遣いの範囲で賄えるなら結構。高校ではアルバイトが禁止されてましたから事実上の禁止宣言。大学生になればアルバイトでお金を稼げるため、自力で調達して通信費が払えるならと許可しました。
焼き肉を喰い乍らそんな話もしたのですが、平壌亭は休みやて。休みは狂牛病事件のためでなく、平日火曜日が定休日やて。スナックだけはやってましたが用事がないしなあ。
そこまでは車で約二十分。さてどおするかと、焼き肉ではないけれど、市民体育館の近所の料理屋さんにしよかと往ったのですが、夜で暗いこともありますが、此処も定休日かラシキ灯りも見当たらんわい。
ショウガナイから近所にあるのに一度も入ったことのない焼き肉のホームランにしたのです。
其処も定休日ならどおするのや。イヤ、彼処は開いてたでとキッチリ確認してました。
車の運転も息子共が一緒の時には私はしません。なるべく、此奴等に慣れさせるため息子にさせてるのです。取得して三年四年になりますし、マダ怖いのですが、次第にマシにはなりました。
そお云えば運転免許取得の費用も家からは出さず、自分たちの資金でさせました。此れも当然のことと考えてまして、長男は何処であったのか、短期間集中教習の合宿に往きよりまして、二男はバイクで通える近くの教習所。それぞれの性格を佳く現してます。
当日は二男の運転でお店が閉まってたりで、亀岡市内を彷徨き九時頃に焼き肉屋のホームランに到着したのです。
当世資格の時代。二男の当面の目標は薬剤師の国家試験に合格して薬剤師の資格を取得すること。
そのためには受験資格を得ることで、条件としては大学で薬学を専攻し、卒業すれば佳い。
ナンで其の道を選んだかは知りません。少なくとも、私が強力推奨した覚えはなく、全てご当人任せ。
私も進学希望を聞いたときには驚いた。驚き乍らもこの方面に無縁ではナイと思たのです。
伝え聞く処に寄ればですが、祖父が呉服用の染料屋を商いしてまして、染料ですから化学に関係してますし、祖母の父が彦根で医者をやってたらしい。
いずれにせよ、喰える資格を持ってれば有利ですし、体さえ健康であれば喰うに困ることはナイ。就職も薬品会社だけが選択肢ではなく、病院とかマツモトキヨシにも勤めることが出来ますし、ナンなら薬屋さんも開業出来ます。開業するには資金が要りますが、其れはそっちで調達してクレ。店番ならやってやる。
私なんか、実用的な免許と云えば運転免許だけ。資格なら五本の指以上に持ってますが、どれもこれも講義さえ受ければ無茶セヌ限り、誰でも取得出来るものばかり。喰える程の値打ちのものは難関ですし、そんな資格は持ってませんので、現在苦労してますがな。
学生時代に電検三種でもと云うてたのに。長男も取ってない。
私も学生時代に電検三種を取っておけばよかったと反省してます。退職直後、中学時代からの親友と一緒に受験しに往きましたが、とてもやないけど難しかった。其奴は努力家ですから準備万端合格で、同年輩の面々も多数受験されてましたが、実務としてやっておられるか、必要に迫られてと思うのです。私みたいに適当にと甘い考えでは歯が立たんかったなあ。
若いときなんか、資格が此れだけ物を云うことになるとは夢想だにしてませなんだし、何時でも取れるワイと馬鹿にしてた面もある。そやけど、もおアカンなあ。受験前には一応テキストも買おて勉強もしたのですが、分かった気になるだけ。本を閉じればナンにも覚えてナイし、物覚えが悪くなりました。自慢やないけど、今に限ったことでなく、益々酷くなっただけ。
そんなことで、二男は佳い道を選んでくれたと思てますが、まずは国家試験に合格しての話です。其の前に卒業出来ることでありますが、国家試験は三月下旬。
イヨイヨ、一ヶ月を切りました。
(02/03/02)


284.内輪の食事会(4) 悪酔いしてしもた

国家試験も大変やねえ。
大学側の脅しもありますが、国家試験に合格させてこその大学の値打ちでもありますから、一定の学力を有しないと卒業させてやらんとして卒業試験があるのです。
何処の大学でも必須科目は絶対で、選択科目は所定単位以上取得しなければ卒業出来ませんが、其れ以外に学力試験が有りまして、国家試験合格水準に達してるか否かの判定でして、ダメなら卒業させてやらんのやて。卒業試験以外にも国家試験の傾向と対策としての模擬試験が有りまして、まるっきり高校みたいやで。
お陰様で二男のホウは学生生活を謳歌するには至ってませんが、無事に国家試験に合格出来ればですが、院で謳歌出来るやろと思てたら、院では研究ばかりで休みがナイらしい。其れでも気分は違うやろ。
薬学では女子が過半数の七十%。其の七十%が就職で三十%が院に進学。男子は逆転して七十%が院に進学やて。結局の処、半数以上が院に往くのです。
このことは二男が入学の際、大学から戴いた小冊子に書いてありました。さもありなんと当時から覚悟だけはしてました。勿論、当人の希望にも寄りますが、薬学は理系よりも更に授業料が高くて、1.5倍やで。あと二年分の工面をどおしたものかと心配でしたが、院の授業料は半額とのことで僅かに安心ですが、其れでも軍資金は不足です。
数ヶ月前には決まってましたので、今更辞めてオケとも云えませんが、其の分社会人になってからの稼ぎで親を養おてクレ。冗談では無いぞ、本気やで。
オマエ等が我が歳になり、子がその歳になれば分かるワイ。それにやで、車も替えずにグッと我慢の十年や。オマエ等が卒業しても疲弊してしもて再起不能かも。
いずれにせよ、院では希望の研究室に入れるのか、定員がドオたら、院への入学試験の成績がとか。諸般の事情も有りまして、結果的にはヨカッタなあになりましたが、其れでナニがナニでどおなんか、門外漢の私には理解不可。
長男のホウは四回生ともなれば一週間の半分程しか大学に通てませんでした。
就職難の時代故、就職活動に重点が置かれてるのか、取得単位の関係もありますが、親の目から見れば授業料が勿体ないから減額セヨと云いたいワイ。
幸にして就職先が早くから決まってましたからその分余計に目立ったなあ。其れで電検三種でも受けろと云うてたのに無視しやがった。親の経験上からも助言だけはしておいたし、後のことは知わんワイ。
大学を卒業しても就職先が無ければ路頭に迷うか引き続き親の厄介になるか、何処かでアルバイトでもせにゃならぬ。其れを避けるがために計画的留年と大学院進学が流行ってる。反面、長期不況で親の資金が続かず中退が激増してますが、当世奨学金も充実してますし、その気になれば自力でナンとかなると思うけど、此処から先はお家の事情もありますし、他府県からの進学で下宿なら奨学金だけではお話にもなりませんので必死にアルバイトせにゃならんし、理系では難しいかなあ。
正直申しまして、当家にしても二人が自宅通学出来る範囲ですからナンとか此処まで来ましたが、下宿でもされたら、とてもやナイけど二人同時進行は挫折してたやも知れません。
斯く申す私のことですが、親からの資金援助は無きに等しく、自宅通学出来る範囲でしたからナンとかなったし、お金なんか無いなら無いなりに学生生活は楽めたし、ポケットに無一文でもナンともなかったなあ。そお云えば、教科書さえ試験前まで持ってないのも有ったし、よくぞ卒業出来たなあと守護霊様に感謝しています。イヤまあ、そんな連中は珍しくもないのです。
それで云うのです。北海道選出の小熊鈴木宗男の涙の馬一頭物語なんかナンでもないし苦学生とは大袈裟です。もっと云いたいけど主題でないから辞めてオク。とりあえず、息子共は金の亡者になってくれるな。天命に従え。
学歴の一点に絞ればですが、ロームにしても此処数年来九十%が院卒やで。しかも、超有名大学の院卒も博士も居てますからから大したものになりましたが、反面では頭でっかちばかりになってしもて、活きた開発と製造が出来ません。
理論的には正しくとも工程、現場では理屈に合わんことが多いのです。合ってれば、全ての理論は実証出来てUFOは完成し、相対性理論も体感出来、風邪薬も不老不死の薬も世に出てます。まずは、汗まみれ、泥だらけになって生産設備と格闘してクレ。
もっと云えば、不況の長引く当世、少ない求人でありますのに院卒が主たる就職先を取ってしてしまうから就職難に至ってるとの話も有る。
出身校や学歴は無関係とし、選考段階で履歴書は参考にせずとする企業も多くなってますが、内情は分かりませんし、一部では大学教授のコネでの推薦枠もありまして、就職のための院進学もありまして。当然ですが、折角の学資なら留年されるより院のホウが価値が有る。
結局の処、我が身に才能が有れば、遺伝的に我が子にも伝わり、英才教育も出来ますが、ナンの才能も資質もなければ、我が子が将来を活きて往くため、その身に無形の資産を施してやるのが親の立場と思てます。そのなかで一番手っ取り早いのが学歴でありまして、多くの親の思うことは皆同じです。
さて、焼き肉のホームランの肉も丹波牛ですから柔らかくて美味いです。もしかしてですが、平壌亭より美味いかもと、次々と追加注文しましてねえ。そんなよおな話に華も咲きまして、イヤ、小熊関連はしてませんです。
私も珍しく生ビールを飲みまして。此の際と一杯だけ注文したのですが、二男は隔世遺伝で強いのです。もお一杯と注文しまして、母も一緒に注文したクセに全部は飲めんと半分私に飲んでクレやて。
イヤイヤ、母はアルコールは大好きですがお金を出すのは大キライです。ナンでも彼方様持ちで何時も同じに注文するのです。注文しては、食べられん、飲めんと余所に廻すクセが有る。
アルコールだけはなあと思いましたが、勿体ないしと余計な半分を飲みまして。
最後はお茶漬けを喰いまして、其処まではヨカッタのですが、二男が云うには、アト二年あるから、兄と一緒に家を出ることにならんでヨカッタなあやて。親が同情されてたまるかい。
食事会も終了しまして、家に戻って暫くしたら、二男の一言が影響したのか、半分の生ビールがアカンかったのか、悪酔いしてしもて急に気分が悪くなりダウンした。
(02/03/04)


285.卒業旅行で大騒動

三月三日と云えばお雛さんの日。
其の日の夜、長男がグアムに出発しました。学友五名での卒業旅行がグアムとは羨ましいことやねえ。時代も違うなあ。私は同窓生の故郷、宇和島でした。宿泊代がタダですから。
グアム旅行の軍資金はアルバイトで調達しましたからその点に関しては文句をつける筋合いはないのですが、早くから住民票と戸籍謄本を取りまして、パスポートまでは手配してたのに、持ち物の準備が佳い加減でしてねえ。
元々、ノンビリ屋ですからナンでもカでもギリギリまでホッタラカシ。まともに準備をし出したのは当日のこと。
当日もお昼まで寝てまして、起きて来たら散髪にも往かんとなあやて。其んなことは前の日にやっとかんとアカンがな。
かと思えば几帳面な処も有りまして、準備しとくべきものをメモ書きしてまして。あれがこれがとチェックをして、ボストン・バックの中身を確認してました。メモ書きしてるなら大丈夫やろと安心したり。
その他、旅行保険のことで悩んでまして、十日間の旅行では八千円も取られるからどおしょかやて。万が一のことがあればイカンので掛けておけ。死亡保険が一億円ともなれば一万円高いのやて。其処までは居らんけど、八千円ので受取人は私にしてオケと冗談云い乍ら、チとだけ軍資金を手渡しましたら、駅前の旅行会社に申し込みに往ってました。実際問題、旅行先で怪我でもしたら大変やで。事故に怪我は無いに越したことはないけれど、有ったらエライことですし、そのための保険です。
此れ又、方々からアドバイスがありまして、盗難、紛失等に備え、パスポートのコピーを持っておくと安心と、コンビニにコピーに往きまして。
或いは十三日には戻るけど、車で迎えに来て欲しいと二男に交渉したりして。こんなときには兄弟仲がヨイのです。二男も車を運転出来ますから、二の返事。そして、アア忘れてた。お金を持って往かんとなあ。オイオイ、お金を忘れたらエライことやで。
お父さんのお土産にはナニが佳いと嬉しいことを聞いてくれまして。煙草を二カートン買おかいなあやて。そやけどお土産に煙草ではつまらんなあ。其れよりも、飲みはしませんが記念に洋酒でもと、此れ又阿呆な返事して。ホンマに洋酒を買おたらどおしたものか。そやけど、考えてないからホカのが思い当たらんのです。グアムに往ったこともありませんしねえ。
とまあ、見掛け上は和やかなウチに順調に、準備万端整いまして、余裕を持って少しでも早めに出たホウが佳いしと、最寄りの駅まで二男の運転で出発しましたのです。
そして、京都駅に到着した頃ですが、嫁はんの携帯電話に飛び込んだ話が驚きです。荷物を入れたボストン・バックの鍵を持って来るのを忘れてしもた。
時間的余裕がありますから、ヨカッタのですが、残り時間が迫ってるがな。二十分後に発車の電車でなければ万事休すです。駅までは交差点の信号一発で通過出来れば車で約五分。大慌てで探し出し、二男が京都駅に持参することになりました。二男を送り届けるのは私の担当でして、信号一つ狂えばどおしたものかと心配しつつナンとか三分前に到着出来ましたので、マズは一安心。
イヤまあ、ギリギリの綱渡りですが、またもや、電話が掛かって来まして、パスポートのコピーを忘れたのやて。ナルホド、炬燵のウエにパスポートのコピーが一枚置いてありましたが、そんなモン、今更どおにもなるもんか。二男も電車に乗ってるし、時間切れ。そこらでコピーしてクレ。
そんなことで、二男は可哀想にボストン・バックの鍵を届けるために京都駅まで往復でした。必ずや佳いお土産を期待やなあ。
ところで、私にも似たよおな経験が有る。旅行ではないし、時間も切迫してませんでしたが、キーはキーでも車のキーで、宇治に棲んでた三十年前のことでした。休日出勤してまして、会社の駐車場に停めてた車のキーを付けたまま、ドアをロックしてしもた。昔はドアのロック・ノブを操作して、バタンと閉めればロックが出来たのです。
スペアー・キーは家に置いたままでして、急遽、家に電話して、何処其処にあるからと電話に出た妹にスグに持って来い。
当時、キーをつけたままのロックは珍しくもなく、アイデア・グッズも出てました。磁石製のケースで車の底にくっつけるとか。其れで一度だけ助かったこともありますが、車を下取りに出したとき、そのまま出してしまいまして。
長男の大騒動で、フとそんなことを思い出したなあ。妹にも悪いことをしたもんで。
イヤ、もお一度やったことが有る。結婚してからで、この時は嫁はんにです。何せ会社には初めて来るのですし、携帯電話も無かったしなあ。
対策として、スペア・キーを小銭入れに入れることにしてミスもなくなった。車種も替わったのですが。
(02/03/05)


286.年会での話(1) 早く着き過ぎて

久しぶりに滋賀県まで運転して草臥れた。
妹の婿さんのお父さんですから、私にとっては義理の父の七回忌で母と往ったのです。
場所は琵琶湖大橋辺り。湖西道路真野インターで降りればスグ其処の新興住宅街。
此処まで往くのも便利になりました。妹夫婦が引っ越した頃には大仕事。湖西道路も分断されてまして、上道であったり下道に戻ったり。年々便利になりまして、今では山科から一本で往けてしまうのです。そおなった頃には持病の出不精病も進行しましてねえ。
亀岡から沓掛までは亀岡縦断道路。其処から山科までは国道九号線と一号線で、交通状況もどんなもんか不明です。
十一時にはお坊さんが来られるからなとのことで、其れまでには到着しなければなりませんし、余裕を持って二時間半前に出発したのです。早く出た分だけ車も少なく順調でして、走行中にも状況は分かります。トイレにも往きたいし、山科トンネル前で寄り道しまして、とある草むらで用足ししまして、男は便利なもんです。
イヤ、この辺りは佳く知ってます。その昔、ホンダのNVで山科トンネル前の喫茶店にはショッチュウ来てましたがな。
若き時代ですから一杯のコーヒーで数時間粘ったり。何時往っても超満員でして、車を置くにも席を探すにも一苦労しましたが、私が往かんよおになったのが原因か別問題か、急速に寂れてしもて、一度は閉店になったよおな気もしてます。気がしてるだけで確たることは申せません。
何時ものことですが、此処を通る度にどおなってるのかと気になるのですが、お店の辺りを通過の時には忘れてしもて。チラリと見る限りでは、外観だけは当時のまま。其れ以上のことは佳く分かりません。
今回も、まずは出すべきものを出して仕舞わんとと、出してしまえばホッとしてしもて真ん前を通過してるのに確認もセズ。
朝食はトーストとコーヒーですが、コーヒーを飲みますと例に寄りまして利尿作用がありまして、家を出る前には往ってますが、早目にやってしまえです。此処を過ぎますと着くまで隠れてやれる場所がナイ。其れもありますし、此の日はヤヤ寒かった。
湖西道路も順調でして渋滞らしき渋滞もないがまま、団地内に到着しましたが、ヤッパリ時間が早過ぎるがな。みどりと称する開店前のスーパーで再度のトイレ休憩致しまして、其処から妹に連絡したのです。
近くやけど、往っても佳いかいな。往っても佳いかでアカンとも云えませんが、お坊さんの到着予定までには一時間以上有るのです。幾らナンでも一時間も前に予告もなく訪問したのでは迷惑至極やろ。
まあ佳いよとのことで出発ですが、此処からなら所要時間一分。ナンやエライ早いなあ。
早いから連絡したと返答しまして、まずは、本日の主人公、お仏壇に奉られてますご先祖様にチンと鈴を鳴らしてご挨拶。お供え物もお渡ししましたら、婿はんがコーヒー飲むかやて。
私は好きですが、今から飲めば丁度読経の辺りでトイレがなあと断ったのですが、トイレは其処やから何時でも往けますがなと、説得されて、ツイツイ、飲まさせられまして。
親戚縁者の面々もボチボチ到着されまして。私と母以外は婿はん方の親戚筋ですから誰が誰やら分かりませんが、結婚式でもお葬式にでも、その他ナンやカや見た覚えのあるお顔ではありますが、ウニャムニャでウニャムニャで御座いますと言語不明瞭意味不明の形ばかりのご挨拶しまして、されまして。
妹があの方は誰其れと説明してくれますが、そおかそおかと生返事だけ。人名地名音痴もありますが、覚える気がナイのです。覚える気が無いから音痴かも分かりませんが、一発で記憶する特技のお方は賢いなあと尊敬してます。
そおこおしてる間にお坊さんも到着されまして、予定の十五分前ですから婿はんがお相手ですが、今のウチにトイレでもと思いましたが中途半端でしてねえ。
此方も同じ東大谷派でして、お仏壇も金ピカでして、お仏壇を正面に集まった親戚縁者十数名が何処に座るかで一悶着。常にお坊さんのソバ、最前列は敬遠されることになってます。
私はなるべく目立たぬよおにと、コッソリ静かにとある片隅に席を取りました。
そしたら、遠慮しやはらんと、こっちこっち、此処が空いてますとご親切にも余計なお声を掛けられまして。
遠慮なんかしてません。隠れてるのですからホットイテくれたら佳いのになあ。迷惑至極で御座いますが、見つかってはショウガナイ。
無視するわけにも往きません。渋々ではありますが、表情だけはニコリと微笑みまして、イヤイヤ、此処等で結構で御座いますとチとだけ移動しまして。
(02/03/06)


287.年会での話(2) お説教(1)

ご一統様は私からしましても、皆様ご年輩でもありまして。
喋るべき共通の話題も有りませんから邪魔せぬよお、借りてきた猫に徹しまして。
お坊様は宇治から来ておられてまして、気さくなお方様で、ご一統様も同じ檀家であるらしく、先日はナンとかで有り難う御座いました等とお坊様をお囲みされてお話にも花が咲いてます。
其れは其れとして、読経が始まりまして、さて、どれ程の時間が掛かるのかと心配になりました。案の定、始まるや否や催してるのです。
お断りしておきますが、常にはそんなことないのです。当日ヤヤ寒かったのと、案じたとおり、あのコーヒー一杯がまずかった。されど、出されたものは飲まんとアカンしなあ。其れ以外にもチョコレートまで戴きまして。甘党ですので、ついついと。
チョコレートとトイレは無関係ですが、此の日は確かに異常でした。山科トンネルの草むらどころか、普段でもそんな場所でやったことは無いのです。
当家のお坊様なら読経も三十分ですが、其れでは終わりそおにない雰囲気でして、そそくさとトイレに立つにも人前をねえ。佳く知ってる面々ならナンですが、知らんお年寄りだけに気も使います。今時の若いのは我慢が出来んなあとか。
出物、腫れ物に我慢は無関係ですが、場が場だけに多少の我慢は要りますしねえ。
我慢や我慢と懸命に我慢ですが、我慢するにも限度が有ります。読経が終わったとしても、皆様一斉にトイレになるやろし、其れを見越して素早く飛び出すことも出来ますが、お年寄りを押しやってまではナンですし、私如き若輩者は順番を譲らねばなりません。
其れでは一つしかない膀胱が破裂してしまう。さて、どおしたものか。決断するなら早いホウが佳いし、さりとて読経しておられるのに失礼やしなあ。
出口は彼処かと見遣ったり、往くならこんなコースで彼の方と彼の方に退いて戴きましてと、シュミレーションまでしまして。
お経は聞いててもサッパリ分かりませんし、南無阿弥陀仏の鈴で数珠を手に拝むだけやし。そやけど、其のために来てるのですし。
頭のナカはそんなことばかりを考えてましたが、次第に切羽詰まって来まして、もおアカン。
座っておられる前を後を、ドオモ、ドオモ、スミマセンですとすり抜けて往くことも決断しなければと。さりとて、扉の前にお座りの彼のお方様には迷惑やしと、アレコレ悩み、モゾモゾしてましたら、妹がナニか有るのかと尋ねるのです。
イヤまあ、トイレがなあ。ナンやな、此処から往けるのえ。
ナンとまあ、私の座ってる後にも扉が有りまして、其処からトイレに往けるのやて。そお云えば扉が有ったなあ。使たことがないし、扉の向こう側では甥がハムスターを飼ってまして、駕籠を置いてたのですが、何時ぞや居なくなったと聞いてました。
其れなら悩むことは無いし話は早い。デハとコッソリ抜け出しまして用を足しました。スッキリしてしまえばコッチのものです。読経なら幾らやってクレても構わんぞ。
イヤハヤ、其れにしても長いのです。終わったと思えば、勧行集の唱和ですて。云うたらナンですが、当家のお坊様はそんなことしたことないのです。何名様かは準備万端持参されてまして、お坊様も十何冊か有るけど足りるかやて。キッチリ足りまして、勧行集の三十二頁まで一緒にやって、アトは聞いててクレ。
皆様、唱和も慣れて居られまして、上手なものです。自慢やないですが私は音痴故、抑揚が分かりませんので字面だけを追ってました。
此れも終わりましたら、所謂お説教ですて。云うたらナンですが、当家のお寺さんにおかれましては、先代はやってくれましたが、今のお坊様はやってクレません。
私はお説教を聞くのは嫌いではありません。どんな法話をしてくださるのかと興味津々。
小さい頃は祖母に連れられまして松原通りのお寺に往きましたし、お盆、年会等々には家にも来て戴きまして。全部は覚えてませんが、たったの一つだけ記憶してることが有る。
地獄極楽の話でありまして、嘘をついたり、人の物を盗むと閻魔様がお見通しで、地獄に堕とされるゾ。其処は血の池、灼熱、煉獄、餓鬼の世界。
お年寄りを大切に、親孝行し、人様には親切にして差し上げ、困ってる人は救ってあげ、常に佳い行いをしてれば極楽浄土に往けるのや。
私は理屈抜きで此の話を正しいと信じてますが実行は甚だ難しい。其のウエで、理屈抜きで善悪を教えるのが祖父母、親兄弟、伯父伯母親戚縁であり、教師であり、年寄り、近所の小父さん小母さんであり、宗教家の役目であると思てます。
此処が今の日本に欠落してる重大事也。
(02/03/07)


288.年会での話(3) お説教(2)

当家にお越し戴いてますお坊様は七十歳前後。
お目出度いことに跡継ぎ様が先日結婚されまして。跡継ぎさんは私にとりましては三代目となるのですが、一度だけ、父の葬式で来て戴いたことがあるよおな、無いよおな。場が場だけにお話もしてませんし、どんなお方であったかも覚えてません。
先代はお説教されましたが、今のお坊様にはして戴いたことがありません。お説教どころか、無口ですから困るのです。私にしても話題貧弱無知蒙昧無趣味無口です。
お盆など、出られる際にでも一報あれば有り難いのですが、着かれてから着いたとの電話で最寄りの駅までお迎えしまして、車のナカでは無口な人間が二人っきりになるのです。
家まではたったの数分ですがナンせ二人っきりですし、無言のままもナンですし、ナニを云おかいな。此処数日佳いお天気ですねえ。
お盆なら、猛暑で大変ですねえ等々。話題の時事問題で場をつなぐのにも四苦八苦。お坊様から話をされることは滅多にありませんです。イヤ、マッタク有りません。
先代様には祖母か父がお相手してましたし、にこやかな方で、話題豊富でもありました。
とてもやないですがエライお坊様に小倅の私なんかが話掛けるなど思いも寄りません。
祖母からも重々聞かされてました。お坊様とは修行をお積みになられ、勉学にも励まれた学識者でありますからとてもエライのです。くれぐれも丁重に、粗相などしてはなりませんゾ。ならば、近づかんのが一番佳いのですが、事有る度に呼ばれるしなあ。
今のお坊様は話そのものが苦手ですが、軽い脳溢血になられて以来、余計にお喋りになるのが辛くなられたのです。其れでも読経の際は精一杯、渾身のチカラを込められてるのが伝わって来ますので感謝してます。
渾身のチカラを込めての読経は当たり前と云えば当たり前ですが、色んな機会で余所のお坊様にも接することがありますが、ナカナカどおしてヒシヒシと伝わって来る読経は少ないです。
そんなことなら、お説教されるお坊様も少なくなって、読経が終われば単なる一言二言の挨拶程度でオシマイで、其れも埒が明いて佳いのですが、心に伝わる読経はされず、お説教もナシでは有り難た味も無いワイ。
此方のお坊様は見方に寄れば私と同じ歳で、見方に寄れば其れ以上。要はお歳が分かりませんが、読経のことはナンですが、イヤ、トイレのことばかりで気も漫ろで上の空。そんな意味からどのよおな法話をして戴けるのかと期待してたのです。
そしたら、此のナカで沖縄に往った人は有りますかやて。私は往ったことないのですが、妹夫婦は新婚旅行で往ってまして。
そおですか。ホカには居ておられませんか。私は沖縄が好きで佳く往くのです。京都新聞の記事にこんなことが書いてありましたと切り抜きを持参されてまして、読みますね。
沖縄は米国の同時多発テロ以来、観光客が激減し、失業率も日本で一番高く約十%。記事をお読みになったのは此処までで、アトはお坊様の独壇場。
日本で唯一地上戦を展開した地が沖縄であり、犠牲も多大であった。一般住民までが巻き添えにされ、戦争とは惨いものである。
反戦地主の知花昌一さんは米軍の通信所、通称象のオリの一部を所有する地主でありまして、反戦を訴えておられます。
戦時中の日本軍がやった洗脳教育は鬼畜米英、捕虜になったら殺されるから自決セヨ。実際には捕虜になって助かった人もありますが、捕虜になるまいと、我が子を殺した人もあるのです。
敗戦となり、日本に於ける米軍基地の大半が沖縄にあるのですが、沖縄も日本から独立してでも基地撤廃を叫びたいとまで云うてるのです。基地だけが生活の糧ではないし、無いなら無いなりになんとかなるのです等々。
締めくくりとして、観光目的だけで無く、こんな見地からでも沖縄に是非往ってくださいね。
私など、北は北海道、南は沖縄には往ったことが無い。死ぬまでには是非往きたいとは思てますが、さりとて、ハイ、そおですねえと象のオリを見に往く余裕は無いのです。
お坊様だけに殺生の代表格である戦争がお嫌いであることは理解致しますがこんな難しい問題をお説教に出されても困ります。
沖縄が琉球王国として独立されることで米軍基地が少なくなれば佳いけれど、米国はそんなに甘くはないと思います。日本の防衛のための基地ではなく、自国保安のために要るのであって、地政学的にも沖縄は重要拠点。
その他諸々反論も有りますが、こんな場で手を挙げるワケにもいかんがな。戦争反対は誰でも一緒ですし、戦争に荷担の基地も無いのが佳いに決まってます。
そして、ご老婦人のヒソヒソ話が聞こえて来ました。この話も何回か聞かされてるなあ。
此れも修行やなあ。
(02/03/08)


289.年会での話(4) 食前酒一杯

此の日は異常に寒かった。
裏山には比叡山で北には比良山があり、下れば琵琶湖。そのワリにこの辺りに雪は少ないのですが凍結が怖いとか。
読経、お説教が都合二時間半。トイレを我慢してたら、間違いなく膀胱が破裂してました。
案の定、トイレも順番待ちになりまして数珠つなぎでは無いけれど、出たり入ったりの順番待ち状態。私はお先に失礼してましたから涼しい顔してられた。
お説教も地獄極楽の話とか仏教用語にマナー、エチケット等をして戴ければと期待してたのですが諸説紛々難解なる問題でして、悪いですが期待ハズレではありますが、人前で此れだけ喋ることが出来るのですから大したものです。こんな方が町内会に一人居ておられれば、区長さんをお任せ出来るのに。
私なんか、人前では赤面恐怖症で呂律廻らず、焦ってしもて頭のナカは真っ白け。震えが停まらず声も出ず、泣き出すやも知れません。
そんな話は別にして、これからお食事に堅田駅ソバの日本料理の千都に総勢十五名が車三台に分乗しまして。
此処は姪と二人の甥に義理の母上様の六人家族。私の車には甥が二人乗り込みまして。場所は知ってるのやろなあ。早目に右か左かチャンと誘導してクレよ。長男は大学二回生で二男は高校受験やて。
姪は社会人で、ボチボチ彼氏でも出来てお嫁に往く頃かいな。イヤ、知りませんで。余計なことを聞いたら殺される。妹の話では居るよおな、居てないよおな、佳く分からんのです。とりあえず、最近は早いか遅いかですが、もおスグ誕生日で年女。私の長男と同じ歳ですが、学齢が違うのです。此れが結婚する時は親族代表で挨拶させられるかと思えば今から気が重い。
京都の短期大学を出て、室町筋の呉服の小物屋さんに就職しまして、其処のホーム・ページを運営してるのですが、待遇が悪いから辞めるとか辞めへんとか。辞めて、ホーム・ページを引き継げるのやろかと心配なんやて。そんなモン、誰にでも出来るし、更新月二回で閲覧日に数件では我がサイトの初期と同じやで。ウチ、週一回の閲覧者は私です。
兎角、女の子は職を転々としたがるのです。こんな話、何人から何回聞かされてることか。十人なら九人は職を変えてます。私もエラソオなことは云えませんが、とりあえず、三人共グレもセズ、極普通に育ってます。
実は婿さんも昨年末にリストラで退職しまして。四人に一人の割合で削減ですから、人件費の高い中高年は保ちませんで。
ナニをヤルかは決めてませんが、職安からの紹介で何名かが大津の平和堂のパン屋に研修中で朝の三時からお昼までで、日当は食事代の六百円ですて。
パン屋のオーナーは大変で、三時からパンの生地を造って、夜八時、平和堂の閉店まで働きっぱなし。日に何個ナニが売れるかもバラバラで、研修生も何ヶ月かが経ちましたから多少の手助けも出来ますが、慣れてないときは足手惑いやったやろなあ。と、本人が申してました。
一つの案として自家製のパンを売る喫茶店でもやれたらなあとマダマダ思案中ですが、其れなら姪も手伝ってヤルやてエラソオに。
私も人事では無いのです。佳い加減に方向性を定めねばなりません。と思いつつ、今だに試行錯誤中。
大学二回生の甥は春休みでアルバイト中。以前のアルバイト先、養老乃滝では余り物の喰い物も食べさせてもらえませんでしたが、今の処ではくれるのですて。今の処の屋号も聞いたけど、有名では無いので忘れてしもた。どちらも居酒屋で、当人は下戸。
さて、それではと婿さんの挨拶で乾杯で、食前酒として出されてた梅酒一杯で私の顔は真っ赤っ赤。
此れでは帰りの運転がなあ。アカンでと甥に注意されたけど、乾杯の一杯だけやしなあ。
隣の老婦人はそんな会話を聞いてなかったのか、私の顔だけを見て、お酒はお強いみたいですねえ。イヤ、弱いです。
毎日晩酌するのですか。さあ、お注ぎしましょう。イヤ、一週間に一回有るか無しかで、ビールもコップに一杯だけですよ。
お婆ちゃんではアカンのかなあ。まあ、其の一杯だけやからと注がれてしもて。
酒を飲むと朗らかになるのねえ。イヤ、その時の調子と雰囲気に寄りますです。
でも、お強いみたいで、お話が面白いし、以外に佳く喋るのねえ。
イヤ、お酒は弱いですし、無口で話題貧弱ですと何回云うても信じてもらえず。
単に梅酒お猪口に一杯の口当たりが佳かっただけやがな。
(02/03/09)


290.年会での話(5) 余談

ネクタイも冠婚葬祭でしか結ばんよおになりました。
冠婚葬祭が度々有るワケでナシ。チャンと結べるのか気掛かりでしたが、手が覚えてるのか、迷うことなく結べました。
黒のネクタイではありますが、正装致しますと猿にも衣装で気も引き締まり、鏡に映った我が姿も凛々しいなあと。常日頃、如何にだらしない格好してるかと云うことですが。
婿はんは礼服のズボンが合わんよおになったのやて。早朝三時からの研修は大変ですが、退職してから気がゆるんだのか、お腹がブクブク出てしもてと嘆いてました。
そお云えば私もそおでした。僅かの期間で下腹だけが出てしもて、ズボン全部がキツくなったから修繕に出して。其れでもダメになりまして、限度一杯まで治してもろて。
図体がデカイならまだ佳いのですが、小柄で下腹だけが目立つのは格好の悪いことです。元々、肥える体質でもありませんし、小食ですので何時の間にやら戻り気味になりまして、今度はダブダブになりまして、一度は礼服のズボンもバンドが要るよおになったのですが、何時の間にやら、丁度佳いくらいの寸法に体のホウが合わしてしもた。
婿はんのホウは私とは反対でして、背があり太り症。お腹も出気味でありましたが、益々酷くなったのやて。バンドも寸法不足になりまして、タマにしか履くことのない礼服用のズボンは体に合わず、四苦八苦。チャックするのさえ苦しいのやて。
まあ、娘や息子ののお見合いの席ではあるまいし、身内だけやから気にすることないけど、折角の美味しい料理が喰えんなあ。イヤ、チャックをはずせば喰えますで。
喰うと云えば、妹が此れを忘れたらアカンで。一番沢山入れといたしなとお供養のお裾分けを渡してクレまして。当家は若菜屋の栗大納言。前日に嫁はんが調達したのです。
そして、引き出物は家に送ってくれてるのやて。そんなに沢山のお金は包んで無いのに悪いなあ。
其の引き出物は母のものとなりまして、食卓のおかずには佃煮、ゴボウの肉巻き等々が出てましたが、あれが其れやったのか。悪いけど、余り好きで無いのです。私はお菓子を期待してたのに。
ところで、琵琶湖大橋西詰めには遊園地が有るのです。正確には過去形になってまして、国道からでも、琵琶湖周辺、一望出来る場所なら大観覧車は見えてます。ナンせ直径百八メートル。
昨年の夏に廃園になったため大観覧車も見えてるだけで停止してますが、婿はんの話では遺産相続で相続税が払えんかったのやて。遺産相続も持てる者の深刻な問題ですが、と云うことは個人のチカラで開園されたことになりますから、凄い資産家です。
甥も一時ですが、其処にあったうどん屋にアルバイトに往ってたのですが、遊園地が無くなってはなあ。
大観覧車には一度だけ乗ったことがあるのです。韓国工場の幹部連中が来ましたからチと観光に連れてった。イヤ、休日にですが、縁日の屋台が目立ってまして、大観覧車は順番待ちで、子連れなら佳いのですが、オッサンばっかりが五人ではねえ。其れでも結構楽しめた。
こんな処にも不景気の爪痕が残ってますが、そお云えば、比叡山のお化け屋敷には中学生の時、香川のレオマ・ワールドは嫁はんの里の近くですから、開園当時一族郎党十数名で一度だけ往ったことがありますが廃止になって、奈良のドリーム・ランドは度々往ってますが流石に健在です。
一回しか往かんかったのは廃止で数度往ったのは健在ですが、レオマ・ワールドは場所が悪いし規模も小さい。如何せん、開園の時期も悪かったから短命でした。
不景気だけでは無い。子等の嗜好がゲーム三昧になってるのです。
そんな話はしてませんが、会食もボチボチお開き間近になりましたなら、老婦人の面々は勿体ないと残った料理を準備宜しくビニール袋持参されてまして、詰め込みです。ご飯とおうどんは大人気。私の喰いさしまで取られてしもて、文句も云えず。それにしても生活の知恵は大したもので、今晩は此れで一食助かるで。食べ切れんから明日の分もと。ウチの母上様もチと見習ってクレよなあ。
お腹一杯は結構ですが、おうどんなど、もお見るのも厭と拝受さえしませんのです。しっかり、老婦人様が見つけられまして、勿体ないとビニール袋に消えました。
そして、皆様、千都で解散で。イヤまあ、多少なりともお話した関係からか、老婦人様から、又お会いしたいですねえと挨拶されまして、恐縮至極で御座いますが、お会いするのは五年後の十三回忌になるのか、その前に姪の結婚式か。もしかして大逆転で甥の結婚式か。
結局、高校受験を控えた二男君には緊張感が漂ってましたので、余り喋れず、只一言、頑張れよだけ。
その試験も既に終わってまして、結果はまだ出てませんが気に掛かるなあ。
(02/03/10)


291.コンビニ・ダンス・ストア(1) 発起塾

珍しく、携帯電話が鳴りまして。表示を見れば、ナンとかさんであります。
ナンとかさんとはYO子さんでありまして、名前からして女性でありまして、中学時代の同級生であります。
私の携帯電話は住所録的な取り扱いをしてまして、過去一回でも電話をくれた人は入力してるのです。
さりとて、此のYO子さんから電話を戴いたのは携帯電話の時代どころか、過去を遡ること三十数年前でありまして。以降、一回くらい有ったやも知れませんが、記憶には御座いません。
そんな人まで入力してるのかと問われれば、住所録的なものであると云うてます。
ではありますが、過去三十数年を通じまして私から電話をしたことはナイのです。イヤ、相手先の男女を問わず、電話をするのが超億劫。何故か緊張致しますので、どおしても必要な時だけの一大決心であります。
此の女性は中学三年の同級生でありますから、同窓会ではお会いしてますし、其れ以外にも奇妙なる縁もありまして。イヤイヤ、奇妙なるご縁と申しましても怪し気なる関係ではありませんです。
度々お会いしてますが、此れも説明が厄介ですので、追々に致しますが、直近にお会いしましたのは、十数年前のやっぱり同窓会でありまして、イヤ、其のアトでも一度だけお会いしたかいなあ。何れにせよ、年に一度の年賀状だけのお付き合いとなっております。
其の年賀状のことですが、今年のにはこんなことが書いてありました。
昨年から演劇をやりだしたから、是非、見に来てクレ。
私にしてみれば、そおかいな。演劇ねえ。ホカに書くこともないから、まあ云うたら挨拶文。
其の人からの電話が掛かって来まして、YO子ですけど、久しぶりですねえ。お元気ですか。お変わりありませんですか。
さっき、YASU子さんに電話して、此れから柴田さんにも電話する云うたら、小学校の同窓会の件、宜しく云うてたと伝えてクレと云われたわ。ついでに中学校の同窓会も計画してクレ。
オイオイ、返事に窮することを云うてくれるな。私は其処までの暇人では無いし、電話は苦手です。電話が厭なら往復葉書でも佳いのですが、其れでは近況が分かりませんし、私みたいな不精者ならイツ返事をくれることやら。
此の歳になりますと、チリチリバラバラを通り過ぎまして、黄泉の世界に往ってるのも居てますし、疎遠にもなってまして、電話で名前を名乗っても想い出してくれるかどおかも心配になる。
其のYASU子さんも同じく同級生でありまして、名前からして女性ですが、此方とは桁違いの同級生経歴がありまして、何れにせよ、その都度一々説明をし出しますと彼方此方脱線ばかりになりまして、電話の話が何処かに掻き消されます故、追々に致します。
よって、電話の話に戻りますが、突然やけど、演劇に関心あるのか、見に往ったことは有るのかと。
正直云うて、そんな高尚なものにはマッタク縁が無いのです。映画なら年に一回程度は往ってます。落語は二十年前に米朝を見に往ったかなあ。ポール・モーリアとベンチャーズも一度だけ見に往った。
ではありますが、前段の話は別にして、YO子さんと云えば当面の話題と致しましては年賀状の件しか思い当たらんのです。当たり前です。其れ以外、私なんかにナンの用事があるもんですか。
イヤ其れで、四月の十三日の土曜日やけど、京都府立文化芸術会館でなあ、私が参加してる発起塾の発表会が有るのやけど。
要するに、其れに来てクレと云うことや。
正直云えば、本来が邪魔臭がりでありますのに、年々の加齢と共に余計に外出が面倒臭くなってるのです。さりとて、ナン年ぶりかの会話で往ってやらんと冷たくも無下にお断りするのもナンですし、友達甲斐の無い奴めと攻め立てられるのも癪ですし。此の癪が私の欠陥でもありまして。
イヤ、攻めらた処で痛くも痒くも無いのですが、逆にこんな時こそ、数十年来の友情を発揮せねばなりませんのです。イヤイヤ、お断りしておきますが、友情でありまして、クドイですが、イヤ、残念乍らと云うべきか、個人的なるお付き合いは有りませんのです。
発起塾のコンセプトはなあと彼女は切り出しました。
「中高年の五十歳から百歳までのミュージカル劇団で、実際には七十歳かなあ。
出来れば、ご夫婦で来て欲しいけど、MA君を誘ってくれても構へんけど。」
事程左様に自分自身で中高年と称するのが癪でも無く、自然に出る年代となりました。
そして、MA君とは名前からして男でありまして、同じく中学三年の同級生ですが、彼此十年近く会ってない。此れが同窓会のアトでありましたが、同窓会には来てなかったのです。
そおやなあ。久しぶりに電話でもしまして、どおしてるかと声でも聞きまして、ダメモトで出て来いと云うてみたろかな。此奴は土日がダメなことが多いのです。
山が好きでして、其方が最優先。仕事は嫌いでしょうが、其れも優先。真面目と云えば真面目で、融通が利かんと云えば利かんのです。私と似た面も有りますが、桁違いの堅物。
そんなことは別にして、話を続けます。
「其れでどおしょかなあ。券を送るしな。」
まあ、お好きにしてクレ。今更、断るワケにもイカンやろ。
とは申してませんが、実は此の電話が掛かって来たのは夜の七時過ぎですが、車の運転中でありました。携帯電話に掛かってくれば誰からで何事かと大慌てしてしもて。兎に角、車を停車させまして。
停車の場所は国道筋でも繁華街でもありませんでした。我が家まで、アト百メートル手前の閑静なる団地内。
(02/04/15)


292.コンビニ・ダンス・ストア(2) MA君の話

そおそお、MA君に電話をしなくてはならぬのですが、この前電話をしたのは何年前かいな。
担任の先生が他界されて三年が経ちまして、其の連絡をした時以来です。
会ったのは結婚することになったとのことで、中学時代の仲間を呼び集められまして、職場で知りあったと婚約者のご紹介に預かりましたときで、十年近く以前のことです。
彼の嫁はんとは其の一回だけですから、そこらで会っても分かりませんで。
考えて見れば同級生の相方まで知ってるのは居てないのやなあ。同級生同志が結婚でもすれば別ですが、いずれにせよ、彼の結婚は其の時でして、晩婚でありまして、その時に集まったのが、SIGE君、YO子さんにYASU子さんでありました。
SIGE君は超頭脳明晰な奴でして、中学時代から大学時代を通じまして最も親しくし、佳く遊び、学んだ間柄で、彼は京大の経済学部に合格し、就職してからは京都を離れ海外が多いがため、ナカナカ会えなくなりまして、年賀状どころか現住所さえ知らんのです。
そお云えば、SIGE君の相方は中学時代の同級生でありました。生徒会の会長と副会長の関係でして、結婚相手が其れであることは相当後に知ったのです。
当時、生徒会の役員に立候補と云えば学業成績優秀で、人望が有りましてと、条件が幾つも要りまして、立候補するクライですから、大したものと云えますし、相方も立候補して、選挙では名前を連呼してたのですから学校内では超有名人でしたから、私は記憶してますが、彼方様が此方を覚えてるかとなれば、まあ、知らんやろ。
私なんかはその他大勢も大勢。大人しいかったとは申しませんが、居てるのか居てないのか、影形存在感皆無でありまして、眼中になどナシの口でありました。
中学時代の仲間であると申しましても、中学時代に此のメンバーでナニかしたと云うことはないのです。むしろ、卒業してからで、もっと云えば高校時代を飛び越して、大学生になってからのことでした。
キッカケがナニであったのか。其れこそ、同窓会開催の打ち合わせであったよおな気もしてるし、成人式の応募ではベビー・ブーム世代でもありまして、参加希望者は往復葉書で申し込み、全員が抽選漏れのため、揃って平安神宮にお参りに往ったことよおなことを覚えてる。
そんなことは別にして、携帯電話でしてみたのですが、電話が掛からんのやなあ。
もしかして、例に寄って入力ミスかと思いまして、筆まめで検索したらヤッパリや。其の間に住所変更が有ったのか、電話番号が違ってた。何せ、携帯電話では初めてなもんでして、修正しとかねばなりません。
そんなことは佳いのです。電話に出て来られたのは嫁はんでして、ご当人さんも居てました。
カクカクシカジカでと用件を話する前に、近況の確認もしたいなあ。今ナニしてるのや。電話番号が替わったのか。お母さんは元気かい等々。
今ナニをとは、彼は或る木工屋に就職しましたが、職場の気質が合わず、悩みに悩んで二三年程で退職しまして、とある京都の高級ホテルに再就職。
其処で長く勤めてたのですが、何年か前にリストラ絡みで退職したと年賀状に書いてあったからですが、そのままアルバイト的に彼方此方で日銭を稼いでるとのことやった。
アルバイト的と申しましても、山が好きですから、滋賀県の比良山でロープ・ウェイ関係の業務を毎年してるとか。尤も、ロープ・ウェイですからスキー客相手です。
今年は積雪が少なかったため、十二月から三月末までの予定が早々に停止になり、明日からでも職探しに往くのやて。
其れなら、時間は有るのやなあ。カクカクシカジカで、YO子さんがなあと切り出したら、ヤッパリ土日は山歩きやて。彼は登山とは云わんのです。何故か山歩きと称するのです。
ナンやな、マダ病気が治らんのか。私には山の趣味はありませんので、病気の類と見成してます。
ナンとか一日だけでも都合が付かんのかいな。YASU子さんも来るやろし、YASU子さんとも久しぶりやろし、私もお前さんの顔も見て、積もる話もしてみたいがな。
とかナンとか説得したのに頑として予定が先に入ってるやて。此奴には其処をナンとかと、此れ以上云うだけ無駄でして、話題は近況主体にせんとショウガナイわい。
其れで、電話番号が替わったのか。
そんなことイツの話やな。何年か前に引っ越した。其の番号は実家のや。
実家と云われても困るのですが、私の思う実家とは京都に棲んでた処のことになりまして、其処なら度々往ってましたが、今は滋賀県でして、お宅にお邪魔したことは無いのです。
間違ったとは云え、番号違いも滋賀県でして。まあ、何れにセヨ、昔っからこんなペースで扱い難いのであります。
其れでお母さんは元気にされてるのかい。
彼のお母さんとは何度も話はしてましたし、出来ることならたったの一言、単にお元気ですかと云いたかっただけ。
もお、死んで何年やな。今年が三回忌やで。
そおやったのか。そしたら、親父さんはどおなんや。其れも古い話やなあ。もお、死んで十年になるのかなあやて。
喪中の葉書は出してなかったかなあ。そんなことは無い筈やで。
イヤ早、其れはスマンことで。戴いてるとは思うけど、注意して見てなかったなあ。
面と向かって話でも聞けば記憶に留めますが、喪中の葉書を戴きましても、当人以外のことなら年賀状を出したらアカンのや程度にしか受け取ってませんでした。
(02/04/16)


293.コンビニ・ダンス・ストア(3) 一文字違いの人

MA君のお母さんは気の佳い人で、往く度に話をしてました。
本人が不在ならお母さんとだけ話をしたこともあったかなあ。
とりあえず、彼は山歩きと模型が好きでして、模型は軍艦と戦闘機でして。貴奴の部屋の棚には其ればっかりで溢れてしもて、天上からもぶら下げて、足の踏み場も無いくらいですから、部屋に入る時は気を使た。何せ軍事雑誌「丸」を欠かさず買おてまして、所謂マニアで御座います。
此れがナニで、あれがナンとかでと往く度に新しく造ったのを一々説明してくれますが、私は模型を造るだけの手先に器用さが無いのと根気が無いのと、其処までの興味が無いのとで、フンフン、そおかいなと聞いてるだけやった。
委細構わず、次は此れが欲しいと申してまして、大き目のはケースに入れて飾ってまして、次第に棚も満載となり、積み上げてましたで。
ケースは就職先の木工屋で材料を戴いて造ってたのですが、棚が一杯になれば天上からぶら下げまして、天上は戦闘機だらけで空中戦してました。
このまま、ヤリ続けたら本当に寝る場所どころか、空間も無くなりますが、其れを云うともっと佳い棚を作って、ケースも佳いのを考えてるのやて。まあ、どおでもお好きにしてクレ。
事程左様に趣味は無関係のため、話を聞かされてただけですが、口論、喧嘩はしたことがありませんし、ナニを云われても腹が立たんかったのが不思議な程です。
イヤ、私は気が短い方でして、気が合わん奴ならスグにもカチンと来てしもて、負けじと云い返し、喧嘩になってしまいます。あくまでも中学生時代のことですぞ。
そして、私も社会人となりまして、市内から槇嶋に引っ越し、更に亀岡に往きまして、益々疎遠になって今に至ってます。
こんな具合に昔話ばかりをしてたら肝心の話が前に進みませんが、此の話の登場人物が人物だけに、色々と想い出されますからショウガナイです。
さて、MA君がダメなら折角の機会ですから、ホカに誰が居るのかと同窓会の時に戴いた住所録を引っ張り出しまして、名前を繰ったのですが、此れはと白羽の矢を立てることの出来るのが居てないのやなあ。
イヤマア、名前からなら居てるには居てますが、疎遠も疎遠で住所が遠くであったり、気易く声を掛けられそおなのは他界してたりしてまして。そお云えば、先の同窓会で参加した男はSIGE君と私の二人だけであったよおな気がしてます。ホカにも居てたかも分かりませんが、覚えてないなあ。
さて、どおしたものかと悩んでましたら、またもや、携帯電話が鳴りまして、何事かと表示を見たら、YASU子さん。
彼女が携帯電話に掛けて来るのは初めてですが、住所録的携帯電話故やっぱり登録はしてるのです。
話の中身は私が参加をどおするかの確認と、MA君への連絡と、KA恵さんにお声を掛けよかと思てるねんて。
私なら往くつもりにしてますが、MA君には連絡したけどアカンしねえ。KA恵さんはねえ、勿論知っております。同じく同級生であります。
彼女のことを下手に解説致しますと旧姓がバレてしまいますので、チと迷いますが、悪い引き合いでありませんので、思い切ってやってしまえば、明治文学の才媛、樋口一葉と一文字違いでありまして。
ナ二かの折りに、イヤ、中学三年生当時のことですが、ご当人様のお口から直接聞いた記憶が有るのです。
美人薄命と申します。一葉と同じく私も早死にするかもとのことでした。
一葉は二十四歳の若さで他界しましたが、此方のKA恵さんは目出度くも、軽く其の歳を突破し、生存されております。
くれぐれも、よって美人で無いとは申してませんで。一文字違いと云うてるだけです。
(02/04/17)


294.コンビニ・ダンス・ストア(4) シバケン大丸

KA恵さんの当時の家にも往ったことがあります。
中学校卒業直後の同窓会の開催連絡ではMA君と一緒に全員のお宅を訪問して廻ったのです。
電話はありましたが、今みたいな情報通信手段の簡便な時代でもないから一軒一軒歩いて廻ったで。考えて見れば、私もMA君も世話焼きでして、今とは大違いです。
そんなことは佳いのですが、又もやYASU子さんから電話が有りまして、KYO子さんも誘ったからなやて。
思わず、錚々たるメンバーになったなあと返事しましたが、KYO子さんも佳く知ってます。同級生なら知ってて当たり前ですが、KYO子さんは同じ町内でした。
我が家から六軒目が彼女の家でして、いわば幼馴染みで御座います。とは申しましても、彼女は小学三年からの転校生でした。
さて、ナンで錚々たるメンバーであると評したのか。YASU子さんと云い、KYO子さんと云い、単刀直入には学業成績優秀なカタです。
私なんかと比較するのはナンですが、私の小学生時代は勉強苦手でお遊び優先。グッスリ快眠してました。半目を辛うじて開けたのは小学六年になってからのことでして、算数だけはチと自信を持ったかなあ。
担任の先生が家庭訪問でイツも仰られたには、もおチョッと頑張ってクレたら佳いのになあやて。そのもおチョッとがナンとかなるなら誰でもやってるワイ。そのままの成績で中学校も高校もですが、佳くぞそんな成績で大学進学まで出来たものと自分でも不思議に思てます。
イヤマア、私の話はアト廻しです。彼女等がどの程度の学力かと申しましたなら、文句なしに上の口であります。
文句なしと云うことは、所謂勉強が佳く出来た口でありまして、私なんかが逆立ちしても勝てませんと云うことや。
そんなことまでナンで分かるかのか。ホカのクラスなら相当に賢いか馬鹿な奴でなければ分かりませんが、同じクラスならどの程度かくらい詳細に分かるやろ。
ナンとまあ、YASU子さんは小学校の六年間が組み替えなしのためズッと一緒のクラスでありまして、中学三年も同じクラスとなりまして、一緒のクラスにはなってませんが、高校も一緒やで。
KYO子さんは、小学二年までが違うだけのことで、アトはYASU子さんと一緒の経過でありまして、此処まで一緒はホカに見当たらず。よって、三人には希しき縁があったと云えます。
イヤイヤ、学業成績のことですが、彼女等は先生から突然当てられてもすんなり答えてましたし、通知簿を渡される時にも分かるやろ。成績の佳い子なら自信満々やし、厭味な先生でして、テストの採点結果を渡されるときにも公表しやがったこともあったがな。
此のお二人さんは誉められっぱなしでありまして、私にはもおチョッと頑張らんとなあと苦言と共に手渡されまして、無言で受け取り、ガックリうつむいたままの着席でした。
とりあえず、学業成績優秀だけなら其処等にも居てますが、彼女等はそのことを鼻に掛けることがありませんでしたから素晴らしいのです。
其の反対に誰とは申しませんが同じ町内の野郎ですが、クラスは別でしたが忘れもしません、こんなことが有りました。
家に来やへんかと珍しくも呼ばれましてねえ。今日お善哉するけど食べに来やへんか。
私は甘党故、悦び勇んで往きましたがな。善哉は出たのですが、一緒に出たのが通知簿でして。其奴のお母さんが、タケちゃん見て見て、体育と音楽以外はオール五やでやて。
タケちゃんも佳く出来るやろし、オール五やろやて。オール五が其処等に一杯居て堪るかい。
ナニを仰いますやら、自慢やないけど、私の成績はその他大勢の口やワイ。ご立派過ぎる通知簿まで見せられてバカバカしいけど、折角やから好物のお善哉だけは戴いた。
云うときますが、其奴の運動神経は私以下でありまして鈍臭い奴。にも関わらずナンで体育が私より佳い成績かが謎でありましたが、彼方のクラスは鈍臭いのばかりか、五教科が佳ければ下駄を履かすのやろか。そんなことで正真正銘のオール五ではありませんでしたが、限りなくオール五でありました。
其奴は高校までは一緒で進学課程でしたが、伸び悩みましてねえ。何処のとまでは申しませんが、とある大学受験に失敗しよったみたいです。大学進学だけが人生ではありませんし、その後が如何なることになってるのかも知りませんのです。
其れにしても、ナンで私が引っ張り出されたのかが謎であります。
イヤ、YASU子さん、KYO子さんがオール五かどおかは知りませんで。通知簿なんか見たことないしなあ。
謎と云えばこんなことが有りました。
YASU子さん、KYO子さんと私の三人共通の小学時代の想い出ですが、YASU子さんの家に遊びに往ったのです。
KYO子さん以外にも誰か居てたとは思うのですが定かには覚えてません。遊びと申しましてもお店屋さんごっこでありまして。
其の時に私が開いたお店の名称が四條烏丸にある大丸百貨店を文字った、「シバケン大丸」で御座いました。
ナニを隠そお、我がサイト名称、「シバケンの天国」銘々の源が此処にあります。サイト名称検討に際し、充分過ぎる程に当時のことを意識してのサイト名称でもあります。
其の時、何故か此のお二人さんに笑われた名称でもありまして、ナンで笑われたのかが今だに謎でありまして。笑われたから私は覚えてるのでありますが。
ナニが可笑しいのかなあ。そやから女の子は分からんのやと。
このとき以来女の子とは不可解なる存在と認識しましたが、「シバケン大丸」のことまでは、流石の頭脳明晰、容姿端麗、才色兼備なるお二人さんも記憶に御座いませんやろ。
イヤ、当時は女の子でありましても、今や、お互い様ではありますが、其処等のオッサン、オバハンになっておりまして、此れまでに笑た理由を確認したこともありませんし、確認した処で覚えてる筈もないことです。
今更確認する気もありません故、未来永劫、永遠の謎となります。
(02/04/18)


295.コンビニ・ダンス・ストア(5) 援軍要請実らず

早い話が、小学生時代からの印象がそのまま存在してますから、錚々たるメンバーと評したのも大袈裟ではありません。
何れにしましても、恐竜、お化け、妖怪、猛獣でもあるまいに取って喰われるワケでも無いけれど、此の面々三名様を私一人では幸せ過ぎて荷が重いがな。
加えまして、YASU子さんが云うには、折角の機会やからお茶でもしよか。ついでに夕食でもて云うてるのやけど。どおしやはる柴田さんはやて。
そんなことまで考えてもなかったなあ。そおやねえ。どおするか考えてオクと曖昧に答えたものの、仰るとおりで御座います。
ナンの因果か因縁か、此の広い世間で知り合いましたる昔馴染みの幼馴染みで、其のウエ同窓生で同じ組で御座いました。演劇だけ見て、用事が済めば、ハイ、其れでは皆様サヨウナラでは幾らナンでも味気無いなあ。
折角の機会でもありますのでお茶でもして、夕食でもは当然の成り行きです故、逃げ出すワケには往かんやろ。
ナンとかカとか口実をつけて退散するとでも云うたら其れこそ、ナンでやの、どおしたん、水臭いなあと三名様から口々に攻め立てられます。攻められても、口実以上にナンと返事をしたものか理論武装するにも名案ナシ。理論武装してまで退散とは卑怯やし、失礼やし、勿体ないし。マサカ、三人様が怖いからとは申せませんしねえ。
イヤ、待ってクレ。もしかして、YO子さんまでが加われば四名様になるゾと尋ねれば、流石に情報に詳しかったなあ。
YO子さんは演劇が終われば打ち上げ会でありまして、アカンのやて。助かったと云うべきか、残念としとくべきか。
何れにせよ、援軍要請も本格的に検討せねばと考えまして、中学三年の同級生に限定してては前に進みませんので、範囲をチと拡大しまして高校時代を含めれば、心当たりが二名思い当たったのです。
勿論、同じ中学校出身者でありまして、女性四名様を知ってることが前提になりますが、迷うことも無いのです。たったの二名ですから電話で確認するホウが早いのやワイ。
二人共、格好佳く云えば高校時代の勉強仲間です。
一人は正矩君と申しまして、略歴と致しましては同志社大学文学部出身。京都新聞社に入社して、当時の滋賀県知事武村正義氏の番記者から不動産屋を経まして、今では住宅関係のメンテナンス会社に勤めてます。
此処の長男と我が二男が同じ歳で同じ高校で、其の長男さんが一度だけ私にメールをくれたことがありました。私からの年賀状を見て試しに出しただけですが、ご当人は機械物に弱く、インターネットはやってません。
我が郁文中学校は格致、醒泉、淳風の三小学校から構成されてまして、私は格致の出身者ですが、格致は京都市内の学童激減のため、廃校にされたのです。
MA君は淳風出身で、KA恵さん、YO子さんとは同じ小学校の筈。
カクカクシカジカでと切り出したら、ウンウン、そおか知ってるで、覚えてるで、懐かしいなあと、其処までは佳かったのですが、勤務形態が夜昼逆転してまして、場所は何処やな。起きられたら往くかも分からんけど。
そんな中途半端は困るのやなあ。往くなら往くで、通り道やから拾ってやるで。そおか、其れなら自信が無いから辞めておきます。
お次は実君でありまして、東京の電気通信大学でして、NECに勤めてたのですが、諸般の事情に寄りまして、ナンとロームに再就職したのですが、私が退職するより前に退職してしもた。今は関西電気保安協会の職員さんです。
醒泉小学校出身ですが、カクカクシカジカでと説明したら、ウンウン、そおか知ってるけど、当日は出勤なんやなあ。二日後やったら空いてるから往っても佳いけどな。
イヤイヤ、其の日だけやからアカンなあ。
事程左様の次第でありまして、援軍要請実らず。兎角、大袈裟なことばかり云うてますが、私にとりましては一大事です。
そもそも、此の歳に至るまで、幸か不幸か、多勢に無勢、女性三名様とたったの一人で相対峙した経験が有りませんのです。
タダでさえ上がり症で対人恐怖症の赤面恐怖症で女性恐怖症ですのに、ご案内のとおりの絢爛豪華、優美華麗なる面々であります。自制自粛制御不可となりまして、我が顔は上気して強張ってしもて、骨格はガチガチに硬直化で、手はワナワナと震えてしもてねえ。
お茶でもしよか、食事でもやて。トンでも御座いませんです。
手に持ったコーヒー茶碗からコーヒーは零れてしもて飲む前には空っぽで、口のナカはカラカラとなり。
食事は何処でナニになるかは分かりませんが、どっちみちナニ喰ってるかも分からんよおになり、発する言葉も言語不明瞭支離滅裂で上擦ってしもて、頭のナカは上の空。
私如き小心者故、まんざら、そおならんとも限りませんのですが、今更ショウガナイ。
イザ、腹を括って討ち死覚悟せねばなりません。
(02/04/19)


296.コンビニ・ダンス・ストア(6) 希しき縁

昔話をしてたら切りが無い。
表題のコンビニ・ダンス・ストアにはイツ突入するのかです。
とは思いつつ、ヒツコクもっと範囲を拡大しまして、女性四名様は無理として、出演者のYO子さんだけに限定すれば我が学生時代の友人のナカにも知り合いが居てるのです。
但し、三十数年前のことになりますから、状況は記憶してましても名前も顔も覚えてません。よって誘うことはありませんが、下手に誘って、佳し分かったと返事して、来てしもたら、見も知らぬ三名様が対応にお困りになる。
彼女は或る百貨店に勤めたのですが、三年後に退職しまして樫原の京都保育専門学院(現京都保育福祉専門学院)に入学したのです。
専門学院ではYO子さんが姉貴分でありまして、元々、姉御肌でありまして、進歩的発展的でもありまして、云うことには、皆さん三歳年下になるから丁度お似合いの年頃やろな。佳い子を見つけて頂戴なやて。
斯くなる次第で、我が大学での卒業研究グループの面々と合ハイと合同コンパをしたことがある。今なら合同コンパは合コンと称してますが、当時は合同コンパと云うてたで。
合ハイも何処に往ったのか、合同コンパも何処でしたのかまでは覚えてませんが、合同コンパではお互いにペアにされまして、私の相方がどんな人であったのか、YO子さんのも記憶してませんが、或るペアだけは覚えてるのです。
イヤ、特段の理由はありません。単に真正面であっただけ。
先方の学園祭にも呼ばれまして、仲間と往ったこともある。概略の場所は聞いてましたが、往ってビックリしたのは、私が家庭教師として教えてた桂高校生の家のスグ側やった。側も側、五十メートルも離れてなんだなあ。
其れがキッカケとなりまして、メンバーはバラバラでしたが、何人かでYO子さんの引っ越し先の山科の家に訪問して、所謂ダベリングをしたこともあったなあ。
山科の家には佳く往った。MA君と一緒であったり、学生時代の友人とであったりで、単独では往ったことは無いのです。とりあえず、真偽不明でありますが、私は女性恐怖症である。
此処までなら、学生時代にはそんなこともあったなあダケのことでして、卒業し、就職してからはYO子さんとも同窓会とMA君の嫁はんお披露目以外には会ってませんし、会っても特段の話はしてませんが、希しき縁が有りましてねえ。
卒業してから数年後のことですが、母方の従弟が結婚することになったと報告しよったのです。そして相方のことはタケちゃんも知ってるでと云うのです。
嫁はんになる人のアルバムを見せられて、ドレドレ、ホンマかいな誰のことかいなと写真を見てビックリした。ナンと合同コンパの時のメンバーではないですか。従弟は私の七歳年下ですから、嫁はんは年上女房となる。
そんなことはドオでも佳い。写真には私も写ってますし、従弟もアルバムを見せられてビックリしたのやて。エライのを知ってるなあ。此れ従兄やで。
実は、合同コンパで真正面のペアであったのが其の子でした。クドイけど、美人、不美人とは無関係でありまして、単に真正面のため記憶しただけで、不思議なことに、其の子だけは下の名と出身地を記憶してたなあ。
其の子と申しましても、三十年前のことでして、今や立派なオバハンとなりまして、娘は昨年結婚したのです。
其の子とは合同コンパでの一度だけしか会ってませんし、席が真正面と云うことは距離も遠いため、話はしてませんのですが、現物と再会したのは結婚式当日のこと。間違いなく、其の子でして、挨拶としましては、愛想ナシなことですが、あれ以来やなあの一言だけ。
ではありますが、親戚筋になったため、彼方の年会では会いますので、適当に会話などしてます。
会話と申しましても、私は根っからの無口故、一言二言だけですが、今だに其の話になるのです。
先方は、相方の従兄とは、ビックリしたなあと。
私のホウはそんなことよりも、結婚式では新郎新婦が二人して太鼓叩きを披露されたことでして、モ一度ビックリしたなあと。
果たして、其のことをYO子さんが知ってるかどおかを確認したことが無い。
同窓会でお会いしても、殆ど会話はしてないからで、クドイけど、私は無類の無口故。
(02/04/20)


297.コンビニ・ダンス・ストア(7) 京都御苑一般公開

追々に、追々に、想い出話をするつもり。
ではありますのに、疎遠になってるとは云えど、ナンせご幼少の折りから懐かしき青春時代の或る一ページ。イヤ、何十ページ、何百ページをも共有しましたる面々故、ナカナカそおも往きません。
マダマダこんな話、あんな話と幻想の世界か夢物語か、ウツツの話であったのか、ハタマタ、単なる思い違いであったのか、昔過ぎて定かでない話までを取り混ぜまして、やり出せば数限りなく有りまして。ページ数からしましても、軽く一冊の単行本になってしまう程でして。
本音でなら委細構わず一気加勢に言葉も選ばず、先方様のご迷惑も顧みず、斟酌もせず、やってしまいたいのですが、其れではイツまで経っても前には進みませんし、何処からか、オイオイ、あのなあ、有ること無いこと、無茶苦茶で失礼千万。名誉毀損で訴えてヤルと訴訟沙汰、刃傷沙汰になっても困ります。
ならば、此れでも言葉を選び、話題と表現には斟酌もしてるのかと問われれば、私なりに相当なる配慮はしてるのですが、適当に揉めない程度に手を替え品を替え、ボチボチに致します。とは思いつつ、思いつつ、どおなることやら自信ナシ。
さて、コンビニ・ダンス・ストア開演の前日のことですが、京都御苑の一般公開やったはるし、早めに集まって往こかて云うてるのやけど、どおしやはる柴田さん。
YASU子さんからですが、YO子さんからの電話以来、何故か携帯電話に切り替わったのです。年賀状には番号を記載してますので、掛けて戴くのは大歓迎。
此処数日は此の件で逐一連絡戴いてますので、掛かって来ても何処からや、何事やろと、大慌てすることもなくなりまして、お陰様で小慌て程度になりました。
其れで、京都御苑のことやった。
確かに京都府立文化芸術会館の側には御所が有りまして。イヤ、反対であります。
御所の側に京都府立文化芸術会館が有るのですが、此れ又、イツから往ってないのか、定かでない。
高校、大学時代には佳く往ったなあ。
正矩君、実君、ホカには厚夫君、浩治君達と夏休みには学校の教室を勝手に使いまして、受験勉強してたのです。休みのため通電されてませんから灯りナシ、冷房ナシで蒸し風呂みたいに暑かったで。
其の合間には気分転換と称して、御所にソフト・ボールもしに往った。
町内会の野球大会も御所でやりましたから応援もしに往きましたし、SIGE君の京大野球部の練習も見に往かされたがな。
高校三年生のときですが、関西文理学院の数学の夏季特別講習会であったのか。確か一日だけ無料開放された筈で、参加した其の帰りしなやったかなあ。
数学でしたから、先ほどの教室無断使用の面々から文系志望の正矩君を除外してですが、講習内容が難しかったなあ。チンプンカンプンやったなあ。ホカの奴は熱気ムンムンで圧倒されたなあ。
こんなことで大学受験は大丈夫かいなと、意気消沈気味で肩を落としてしょんぼり、トボトボ、御所の砂利道を自転車を押して、横切ったことがありました。
日没の薄明かり。小雨降る御所。傘はナシ。傘の要る雨でもナシ。傘が有っても佳しの小雨。
御所の街灯の光も寂しくて、小雨が其の光でキラキラと舞ってたのを覚えてる。
関西文理学院は予備校ですから夏季特別講習会の参加者は浪人生が主ではありましたが、学力の差、意気込みのチガイを思う存分見せつけられて、我が学力と意気込みの甘さ加減を思い知らされ、これはイカンと痛感してたのに、情景哀愁感慨無量茫然自失。小雨に混じって、目に涙も有ったかなあ。
此の楽天家の私でさえ、自信喪失最高潮の思いとなりまして。無理かなあ。アカンかなあ。あんな凄い奴等相手では討ち死にかいな。そしたら諸般の事情に寄りまして、はっきり申せば家の経済事情によりまして、浪人なんかは許されませんし、浪人どころか運良く受かった処で学資さえ危ういのに、一発勝負で落ちたら就職しかないぞと腹を括った瞬間でもありました。
アトで考えて見ればのことですが、無料に吊られて往って、ナンの資料もナシで、準備もナシで、予備知識もナシでは分からんのもショウガナイのですが、其の時は大衝撃を受けたのです。
御所と聞きますと、其の日没小雨街灯の情景が今でも瞬時に目に浮かぶのや。
イヤまあ、其れは御所のことでして、御苑には結婚してからのことですが、嫁はんとも往ったことがあったよなあ。京都に居てましても、都合二回しか入ったことが無い。もお一回はナンであったかは忘れてしもた。
今ではホイホイと往くことも出来ず、往くのも邪魔臭い位置関係で年齢ともなりまして。
出来ればご一緒に往ってみたいのですが、当日は其れなりの野暮用を無理矢理予定してまして、早めにとはイカンのです。
コンビニ・ダンス・ストアの開演は六時半で、八時頃までの予定です。全席指定席になっておりまして、YO子さんから送られて来たチケットで指定席の予約をせねばなりませんのですが、受付が四時半からやて。
四時半は中途半端やし、折角の機会やから、その前に集合して、京都御苑に往こかいなとなったのですて。
結構なことですが、残念乍ら諸般の事情に寄りましてねえ。
真相としましては、只でさえ錚々たるメンバーですから、気後れしそおなだけですが、野暮用もホントであります。無理矢理の予定なら無理すればナンとかなりそおやけど、そおも往きません。如何様に工面しましても、ダメなものはダメ。
そおか、ほなショウガナイなあとは、YASU子さんの返事でありました。
(02/04/21)


298.コンビニ・ダンス・ストア(8) 余裕ある生活

イヨイヨ、当日となりました。
土曜日は世間一般休日のことが多いため、早朝なら道も空いてますが、何せ四時半ですから交通状態が読み切れず、或る程度の余裕を持って出発せねばなりません。
ところが、長男の新しい車の件が有りまして。経緯は「不可思議の世界」(九死に一生)を参照して戴きまして、新しいと申しましても中古車で、車両保険から買える範囲の車との意味ですが、何処が佳いのか、またもやスカイラインを云うてるのです。事故の件がまだ懲りてないみたいで、懲りる程の怪我してたら大変ですが、此処等が難しい処。
ホカの車ならナニが佳いと尋ねれば、色々タント列挙してくれたのですが、私も古臭くなりまして、当世車種名ではナニがナニやら分かりかね、納車はイツが佳いのか等々、所謂、縁起担ぎの大安吉日、車種と当人の相性はどおかいなと、そんな処を占い屋さんに診て戴こかと、其れが二時からでした。
イヤ、診て戴いても、盲信してるワケでもありません。人知に推し量れぬことがあったり、悩み多きとき、判断に困ったときに診て戴くだけ。前回は息子共の大学受験の時期でした。診て戴くことで、頭のナカのゴチャゴチャが整理され、スッキリしますので助かってます。
場所は亀岡市役所の側。如何で御座いましょうかとお伺いすれば、三月は長男にとっては佳くない月やったのですて。
イライラとしてまして、気分落ち着かず。其れで事故が有ったのかも知れませんですねえ。あの車に佳からぬ因縁が有ったとか、そんなことはありません。
相性だけで云うならば、列挙されたのは全部ドッコイドッコイでして、もっと大人しい車種が好ましいのではと。されど、どっちみち云うことを利く人でもありませんしねえ。
運が強いお子さんですから、お好きにさせて上げたらどおですやろかやて。そんなこと云われましたら、親馬鹿丸出しになりまして。
そしたら、好きにしてやろかいな。まあ、相談してくれるのも今のウチだけ。自分の甲斐性だけで買うよおになったら、相談も無くなるワイ。
其の息子も四月の一日から峰山ですので、電話連絡だけとなってますが、連絡は殆ど嫁はんとですが、早々に家族全員に葉書をクレまして、私には安全運転に心掛けるから、やっぱり、スカイラインにしたいなあやて。どの車でも安全運転は当たり前やワイ。
そんなこともありますし、此の件は車屋さんと本人に任せることに致しました。
ついでと云えばナンですが、私も最近佳くないし、気分落ち着かず。どおなってるのかと尋ねれば、どっちみち今年は佳く無い年で、来年からですねえ。今はグッと我慢有るのみで、強いて云えば五月がチと佳いだけで、アトは体調に要注意してくださいね。
そしたら、本日も佳くないのかなあと思いつつ、時計を見れば二時半です。最早ユックリともしてられませんし、お暇しまして、家に帰って準備して。
準備と云うてもナニもナシ。服装だけは着替えまして、煙草をポケットに。ハンカチ、ティッシュも忘れずに。そおそお、危うい処でした。肝心のコンビニ・ダンス・ストアのチケットを忘れる処やった。
嫁はんからは夕食は要らんのやなあとダメ押しされて。皆様とお食事でもの話が有ります故、要らんなあと答えてしもて。此れで退路が断たれてしもた。
実際問題、面々とお会いして、イザ食事にでもとなりまして、皆様勝手に往ってクレ。私は一人で待ってるワなどと本気で云うたらキチガイです。イヤ、その場になれば上気してしもて、トンチンカンなことを口走るかも分かりませんが。
サテ、家を出られたのが三時です。一時間半も見れば充分とは思いますが、駐車場が空いてるかどおかが大問題。
YASU子さんが、そのことをエライ心配してくれまして、ナンやったら、一台くらいならナンとかなるし、私の処に置いとかはっても構へんえ。ご親切にも電話の度に云うてくれてるのに、どおしても車で現地に往くのであると、頑として断って。
ホナ勝手にしてクレとは云われてませんが、意地っ張りやなあと思われたやも知れません。
時間的に余裕を持つために亀岡縦貫道を突き進み、国道九号線から五条通りを京都市内に突入して、久しぶりの堀川通りです。堀川通りも一年に一回も有るやろか。
其の度に懐かしいくも産まれ育った場所ですから、彼方此方チラリ、チラリとは見てますが、車を運転し乍らでは思うよおには見てられんので、単に替わってしもたなあ程度の印象です。
前出の件も有りまして、今回はとある一点に絞り、集中観察を試みた。標的はYASU子さんの自宅でありまして、目をやれば、ナンとまあ、其処等辺りがビルになってるで。私の持ち合わせてる残像ならば、下京の京都らしい佇まいのお家です。
しかも一階、二階の建物では無いぞ。其の何倍もの高さが有りまして。そもそも、此の辺りにビルが有ったのかいな。私が知ってる頃とは大違い。疎遠になってるとは云え、昔は何回かお邪魔してますし、間違い無く此の辺りの筈。
其処でフと思い出したのが、彼女の言葉でありまして。MA君と中学の同窓会の相談でお邪魔しましたら、此れしながら相談しよかと、袋物かナニかの作業を手伝わさせられて、その合間に聞いたことがある。
「余裕の有る生活がしたい。」
余裕の有る生活であって、贅沢不要。
ナルホド、堅実なる彼女の性格を現してると一人納得してました。
そして、ご主人のお勤め先も堅実堅牢盤石で。イヤ、実体は知りませんが、世間一般通念ではのことでして、当世危うくなってる銀行屋さんではありませんです。
そして、ビルのオーナーなら、充分に余裕有る生活が出来ます。
(02/04/22)


299.コンビニ・ダンス・ストア(9) 安堵無事識別

錚々たる面々とは大袈裟なことを。
とんでも御座いません。揃いも揃て、正真正銘の頭脳明晰、容姿端麗、才色兼備。
筆舌を尽くし誉め讃え、自慢してますが、妙齢のとは一言も一回も申してませんし、何処までも私の評価見解であります。
ナンせ私の同窓生です。此のお歳で生涯独身なら怖いのですが。イヤ、ナニかの目標が有れば別ですが、結婚されてまして、お子様も立派に成長されてます。
もしかして、ソロソロお孫さんの話が出る頃やも知れませんが、お会いするのが十数年ぶりのこと故、詳しい内部事情までは知りません。
そんなことよりも、疎遠になってます故、お互いを認識識別出来るかどおかのホウが心配で、心配で。
擦れ違てから、何処かで見たことの有るご婦人やなあでは失礼千万。
早合点して、ヤアヤア、此れは此れはお久しぶりでと挨拶しまして、人違いならエライことですし、ハタマタ、面と向かい合いまして、此奴誰かいなと怪訝な顔されたり、怪しい奴めがと警戒されてもエライことですぞ。
等々、色々思いを巡らし乍ら、京都府立文化芸術会館に到着しましたら、心配してた駐車場もガラガラで一安心。ナンせ収容台数三十六台とか云うてましたで。
そもそも、コンビニ・ダンス・ストア公演のホールには何名様が収容出来るのか。収容可能人数と見に来られる数は別ですが、パステル・ナーキーさん、ルーチンさんご夫婦の芸術作品展示会無生展で来たのが初回でした。(「単なる雑談NO.7NO.8」京都府立文化芸術会館参照)
当然のこと乍ら、ホールでの催しに来るのは初めてのことでして、ホールの広さ等の内情が分かりません。
公演には発起塾の出演者及び関係の面々も来る筈ですし、義理で有れナンであれ、友人知人に親戚縁者親兄弟姉妹子に孫まで、ひっくるめ、見に来る人、見させられる人も多いやろし、駐車場のことが心配でしたから、電話で確認したのです。
駐車場が満杯なら何処かありますか。
御所にも有りますし、向かいの京都府立大学病院の駐車場も有ります。大学病院のは時間に寄ってはダメですから、其の先の私営のなら二十四時間可能ですし、捜せばホカにも有る筈ですよ。
そんなことなら心配することもありませんが、遠くになっても不便ですし、此処のが空いてれば一番宜しい。遅刻するのもナンですが、到着したのが四時に少し前ですから、チと早かったかな。
暫く前から小雨もパラパラ降ってまして。ホンの小雨ですから傘が要る程でも無いのですが、皆様、御苑に居てたら濡れてしまうがな。雲の具合からは本格的に降る様子もありませんし、其のウチ止んでしまうかなあ。
いずれにせよ、どおしたものか。御所御苑を探しに往っても広過ぎるし、往きチガイになてもアカンから、下手に動かず此処で待機しておくべきですが、さて、此処としても何処で待機するかでありまして、小雨でもありますから、ナカが佳かろうと。
展覧会会場側の出入り口付近には灰皿も有りますし、集合場所は此の会館の前と聞いてます。此処からならガラス越しに外の様子も伺えて丁度佳い。
マズは一服してと、煙草を吸いまして。吸うてしもたら手持ち無沙汰。一人でボケッとしてるのも阿呆みたいやし、時間は充分にありますから、待つ間にでもホールを偵察でもしに往こかいなと、二三歩歩き出した其の時です。
見たことの有るご婦人が喫茶部から出て来たで。イヤ、瞬時に誰であるかは分かりましたが、意外な処から出現したのです。
喫茶部は目の前に有りますし、遮るものも無く解放状態で、丸見えなんやで。
誰か知った人でも居てるかと。例えば出演者のYO子さんとかですが、その程度のことなら、灰皿を見つけ、煙草を吸うまでにしっかり確認してますがな。
よって、数組が座ってるのは分かってましたが、知った人でもナシ。
出て来たのは厨房と云うのかカウンターなのか。其の辺りの席だけは見えませんでしたが、面々は御苑であると思い込んでたし、此処に居てるとは予想外故、誰か知った人でもと覗き込んでまでは見てませなんだ。そもそも、ジロジロ見るのもナンやしねえ。見られるのも厭やしねえ。見えるだけの範囲をザッと見ただけや。
斯くして、喫茶部から一番に出て来たのがKA恵さんで、お辞儀しまして。其れだけかいなと思てましたら、続いてKYO子さんの姿が見えまして、又、お辞儀しまして、最後にYASU子さんも現れたから、又々お辞儀です。
突然ですが、此れにて全員集合。案ずるまでも無く瞬時にお互いを識別出来て安堵した。
(02/04/23)


300.コンビニ・ダンス・ストア(10) 閑話休題・男親の気持ち

やっとのことで、錚々たる面々と落ち合う処までの話をしましたのに、気分転換、閑話休題。
コンビニ・ダンス・ストアは四月十三日のことで、此の話は十九日の夜のことでして、チと先回りの話を致します。
実君から久しぶりにコンバンワやなあと電話が掛かって来まして、
「この前はスマンかったなあ。アトでアルバム見て分かったわ。
其れなら知ってるで。ナンとかさんて、生徒会の会長やった人やなあ。」
詳しい説明は省略しまして、簡単簡潔に解説すれば、中学校で生徒会の会長をやったのはSIGE君のことでありまして、発起塾で出演のYO子さんとは旧姓が同じでありました。
「違うがな。其れは男のホウで、話をしたのは女のホウやがな。」
姓名共に伝達してましたのに何処かで捻れてしもたのか。イヤ、実君には時々こんな惚けたことがあるのです。
「そおかそおか、YO子さんかいな。聞いたこと有るし、知ってる筈や。もお一辺アルバムで確認するわなあ。」
そのことでワザワザ電話をしてくれたのかと思いきや、違うのです。
「其れで、お前処の息子さんのことやけど、新聞に載ってたなあ。」
我が子が新聞に載ってたとはナンのことかいな。
暫し思いを巡らしまして、そおかあの事かと思い当たったことが一つ有る。
お陰様で二男が薬剤師の国家試験に合格しまして、十八日の京都新聞朝刊に氏名が掲載されました。
ではありますが、親の私でさえ掲載されてるのが分かってましても、何処かいなと捜すのに一苦労した程の小さな記事で活字であります。合格者全員の氏名が京都府下の出身地別に羅列されてるだけ。天眼鏡でジックリ見んと分かりませんで。イヤ、天眼鏡は持ってませんし、老眼鏡を掛けるのは邪魔臭いから、裸眼で発見致しました。
其れにしても、実君が二男の名前を知ってたかいな。薬学を専攻してるとは伝えてましたが、国家試験を受けるのがイツであるとも云うて無い。お誘いの電話でも其の手の話はしてませんので、新聞の話が飛び出すとは夢にも思てなかった。
そしたら、我がサイトを閲覧(「単なる雑談NO.15」内輪の食事会参照)でもしてくれたのかと思いもしますが、此奴はメール・アドレスは持ってはいますが、電気通信大学のクセしてインターネットをやってるとは云い難い。イヤ、やってない確率のホウが高いのです。
「オオキニ。そやけど、よお、あんな記事で分かったなあ。」
「ヤッパリそおかいな。薬剤師に合格やなあ。其れで卒業で就職かいな。おめでとうさん。新聞に載ってたから確認しただけや。」
「ホーム・ページを見てくれたのか。」
「イヤ、パソコンは嫁はんと子供に独占されてるし、パソコン画面は目が疲れる。」
そしたら、又、そのウチ合いに往くからな。
そおか。又、来てクレ。待ってるワと、話は其れでオシマイですが、パソコン画面で目が疲れ、新聞の細かな活字が大丈夫とは異なことでして。
大学は卒業したけど、マダ院に往くけどな。
お金が大変やから貸してクレ。とまでは申してませんが、ナンとまあ、あんな記事にも関わらず小マメさにもビックリすると感心してましたら、嫁はんの曰くには、ナニも云うてないのに此の件ではホカにも二名様からお祝いの電話を戴いたのですて。
へえ、其れは凄いことでして。私なんかナニも注目してませんから細かな記事など見たことが無い。大見出しを読むだけでも疲れてしまう。パソコン画面の小さな記事は見てますが。
こんなことは、常日頃から気配り心配りしてまして、新聞記事を丹念に精査せねば分かりません。ズボラな私に見習うことなど到底出来ませんし、悪いけど、見習う気もありません。
二男も薬剤師の国家試験に通りましたから薬剤師になれる資格は出来たのです。だから薬剤師志望とも限りませんが、二男にとっては大きな区切りがつきました。
この国家試験があるばっかりに模擬試験とかナンやとか、四回生ともなれば、試験、試験で明け暮れてまして、大学もマルッキリ国家試験のための予備校か高校並で手枷足枷。学生生活も満喫出来ませんでした。
合格したからには此れからの二年間、気分も晴れ晴れ、院生としての学生生活を謳歌出来るやろ。佳かったなあ。
と、思てましたが、大学生時代より今のホウが時間的に大変なよおで。朝は早くから出掛け、夜も遅くまで研究室で頑張ってます。
嫁はんは毎日々々可哀想やなあ。体力が保つのかいなと心配し、至って同情的であります。其れは其れで母親として当然のことであると解釈してます。
私にしても我が子です。体のことは心配は心配ではありますが、されど、其れも自分で選んだ道であるからにして、マダマダ学生でもありまして、社会に出ればもっとキツイことが一杯有るぞ。
とまあ、そんな気持ちが根底にありますが故、頑張れよとは思えど、一辺の同情心も無いがため、冷たい態度と思われてましてねえ。
事程左様に何処の男親もご同様で、損してばっかりやろなあと。其れだけの話です。
(02/04/24)