シバケンの天国
<−介護・凡人の憂鬱ー>
−明日は我が身の話−
禁談・奇談VNO.1 | 禁談・奇談VNO.2 |
要介護[2]NO.1 | 見えるNO.3 | 禁談NO.9 | 禁談UNO.2 |
要介護[2]NO.1 | 見えるNO.3 | 禁談・奇談NO.9 |
番外・爺さん・婆さんの話 | 母入院NO.4 | 要介護1NO.3 |
題目一覧表 |
NO.30 告別式の話(3) 喪主挨拶の話(1)
NO.29 告別式の話(2) 逮夜の話
NO.28 告別式の話(1) 大ホールにチラ怪の話
NO.27 通夜の話(3) 寝乍らの、喪主挨拶考えるの話
NO.26 通夜の話(2) 止まるは、8人の話
NO.25 通夜の話(1) 立礼の話
NO.24 形見別けの話(2)
NO.23 形見別けの話(1)
NO.22 通夜の話(1)
NO.21 ハタと、過日、過月の夢見の話(2)
NO.21 ハタと、過日、過月の夢見の話(2)
ソラ、その当時、夢見たの時。
4月の初旬なら、です。
町内会の役員、単なるの、組長<支部長>なれど、です。3月末を以て、任期満了。
されどの、諸般の難問あっての、尾を引いててねえ。ゴミ集積場問題なれどの。その件の後始末等々、次期えの引き継ぎをと。
なんかは、本来的、区長のでの、組長の役目であらへんですが。乗り出さな、仕方の無いの状況でして。
新区長に経過説明するに、土俵が違い。
いやなあ、当方からしたらの、区長に理解求め、我が組、新組長に丸投げでも、結構の、さえ、話成れば、区長の面目、新組長もやり易いと、考えたですが。
土俵違うで、話に成らず、進まずでして。
当方、再度の、只の組長故に、そんな事まで、考えんでも、ええのやけれど。肩入れしたの、責任感じてまして。何とか、してやりたいと。せねばと。
結果、不首尾で、スキリと、しんの時期であったは事実。
されどの、当時、母が、「こもれび」退所予定に、1箇月と迫り。「こもれび」も、概ね、1箇月前には、家族との、打ち合わせをするの時期でもあって。
その連絡があらへんしで、困ったなあと。
思てたの、頃の、夢であったも事実。
そやけれどの、親父の、25回忌の事と、頭っから、思い込み。
23回忌や、27回忌やと。25年はある<菩提寺>とか、あらへん<東大谷祖廟寺務所>とかの。読経ではアカンの、法要とかと。
その法事も、菩提寺<光圓寺>で、執り行うにしての、無事にと。孫、嫁にも、「菩提寺」承知させるのええ機会也もあってと。
更には、祖父の、戦死の叔父の、70年でもあっての。コレも、一緒にしといたら、良かったかなあと。しもたなあと。とは、後刻の話なれどです。
とかとかの、どちにしたって、法事も、終わりの、この夢の事も、スカリと、忘れてもてたですが。
そらなあ、夢は、夢でして。
とは云えどの、当方には、親族の事については、摩訶不思議、不可思議なるの現象、あるも、承知。
イヤ、くどいけどの、霊感的なるで無いです。偶然にしては、偶然に過ぎるの事でして。
此度、母でして。
何にも、無いなあと。その内には、奇怪<きっかい>現象でも、呈するの怪の、堪忍してやと。
の程度に、思てての、ハタと。ンと。もしかして、もしかしたらと。
過日、過月の、夢見の事、振り返ればです。過ぎたるの夢、無理にでもの、解決とした夢を、何故に、振り返るの気になたか、なんか、問おてくれるな。理屈やあらへんわと。
ハタと、気になったのダケでして。
ほならの、モノのお見事、予見、予知的、夢での、悉くの、正夢でして。我れ乍らに、へえと。
そもそもがの、ケータイが、上布団の上にあるが、当時、説明付かんでねえ。寝てるの、2階の部屋に、ケータイなんか、持ち込んでませんでして。置いてるは、1階の、居間でして。
置き出したは、1箇月以上、経てからの、5月13日からでして。
医者<理事長>の、想定外の話、あったが故でして。
あっても、今日の、明日の、とは、考えてえへんわの。されどの、相応の心の、準備等々、しんならんのかと、思たは、事実の。濃い親族にも、連絡したも、事実なれどです。
夢では、ケータイを取る。呼び出し音、鳴ってるでは無いの。単に、取りの、どこかえ、電話するの積もり、みたいな感覚でして。
よて、当時の掲載にしても、それで、どこに電話するの怪と。
更に、深めて、推測するにです。その手の話、聞くが嫌の、嫌々であったの哉と。よて、取るに、取れへんかったの哉と。
問題は、その夢見の事に、近いの事、時経ての、実際に、してまして。
云うとくの、それは、夢の事なんか、全くの、意識なんか、してへんわの。夢は、法事の事と、解釈の、過ぎたるの事。
振り返りの、一番の、驚愕、和服を着せたの事、やわと。
我が承知の範囲、こんな姿のを、知らんです。その発想がと。コレ、嫁はんの、でして。当方、夢想だにもの。
只、「こもれび」の方から、どしますかと、尋ねられの。その服装では、汚れ、少々目立つしと。我が思い浮かんだは、綺麗な服、洗濯したての、洋服の事での、でもと、ダケでして。そのままでは、可哀想と。
それ以前の、「こもれび」で、そこまで、して戴けるを考えも、してへんわと。
そこまで、とは、着替えをでして。
それするは、葬儀社での、納棺師也と。頭っから、思てるわと。
での、草色の、綺麗な和服着せて戴きの。その姿、見ても、尚、夢の話とは、無縁の、連想なんか、全くのしてへんわと。
再度、申すの、夢の話、なるは、法事で、ケリ付いてるです。且つは、見たは、祖母での、母に非ず。
そもそもがの、当時、母、生存してるわと。
生存してよが、してまいがの、幾ら夢でも、母なら、母と認識致すわと。
話簡単の、祖母が、何を伝えに来たの怪の、範疇での。嗚呼、法事の事怪と。
とか、云うても、一度目のと、二度目のとでは、迫力がと。
一度目のは、祖母、枕元には、瞬時での。小用で、起きての、ンの、あれは、夢哉と。夢に決まってるですが。
二度目は、掲載の通りの、夢の中で、ケータイが取れずの、大声張り上げ、その声で、起きてもたですが。
当方にしてみたらの、夢見からは、日数、経ち過ぎてるわと。2箇月も、でして。
しかも、夢見の話での、万事、想定外の出来事でして。想定外と、云い切るは出来ひんけどや。
覚悟すると、覚悟決めるは、違うです。
覚悟決めるは、「こもれび」より、電話一発、息のあるの内に、ご家族がの、報でして。
電話の呼び鈴聞こえた瞬間、相応の、覚悟決めたわと。
時間が、時間でして。夜の、1時24分。この時刻に、間違い電話やてみい。怒るぞと。
イヤ、諸般、母、介護施設のお世話になるに、なって以来。
コレ、「ディ・サービス」「ショート・スティ」「リハビリ・センター」の差無くの。ケータイであれ、固定電話であれどの、鳴れば、ギクリの、日々、過ごしてるわと。
ケータイなら、相手様、表示で、分かるですが。
固定電話は、「ナンバー・ディスプレイ」契約してませんでして。鳴れば、ギクリの、「こもれび」と、名乗られれば、尚、ギクリ。
先様も、心得ておられの、「急ぎの用事ではありませんので。」と、一番に申されるですが。
ソレ、云われへんでみい、何事かと。怪我でも、病気でも、異変、急変でもと。ソラなあ、気が気やないわと。
ましてやの、医者より、二度目の話、「同意書」を手渡された時より。6月1日の事なれどの。これは、モ、そんなに長くは無いの、宣告也と、解釈したわと。
とは、云えどの、今日の、明日のの、話でも、あらへんわと。
只なの、そこまでは、掲載、記載、してへんですが。二度目の話の日、担当ケア・マネージャーと、一寸、話をと。当方より、申し出の、「同意書」の件、再確認致したの。「看取り介護」なるの、真意をでして。
先様より、遠慮、逡巡、されるの事、ありませんと。
「看取り介護」になてるの方、既に、4名居られるですと。嗚呼、あの方々哉の。概ね、察知の。
と、までの辺りは、掲載してるですが。
ここから先、担当ケア・マネージャーより、当方の、従前からの話、考えに対するの、尊敬してるですと、評され、伝えられの。正直、申すの、この時、絶句の、涙したです。
コレ、イヨイヨの、覚悟せねば、ならぬのかの、涙の意でして。
担当ケア・マネージャー曰くの、「同意書」提出されても、保つの事、多々あるですと。
との、話まで、あったですが。ンの、保つ、保たんも、どれ程かは、分からんですが。聞くの勇気あらへんわの。基準も、目安の、あらへんやろと。
イヤ、先様、担当ケア・マネージャーの申すの、尊敬の意なるはです。
親に対するの、暖かい考えの、家族、保護者、珍しくの、稀少也と。
(15/06/28)
NO.22 通夜の話(1)
詳細割愛、致すと、しとき乍らの、ひつこくも、再度、再々度。
何故に、祖母と、決めつけてるか、をと。
夢見の舞台、場所なるが、決定的故でして。
舞台、懐かしの、京都、仏光寺<通り名>の家也と。
コレ、鮮明でして。その、1階の奥の部屋、居間で、当方、寝てるの情景でして。構造まで、夢見の世界で、分かってたです。
奥の部屋から、土間のあるの、部屋に移動の。そこから、タタキの方えの。行くの、日本髪の女性。
部屋と、部屋の仕切りは、あっても、襖でありの、冬場以外、閉めえへんの。障子なんかであらへんのに。土間の方に、何故か、灯りがで、その部屋にも、電灯なら、あるけれどや。当時、裸電球でねえ。
そこで、日本髪女性のシルエットが、でして。その姿、写真で、見た事のあるの、祖母の若い頃の、でして。
との、印象受けたの意での。
そもそもがの、自分でも、夢見の世界で、ンの、何故に、ここで、寝てるの哉と。
しかも、ベッドで、天蓋状、カーテンまでが、あってねえ。
大体が、ベッドで、寝た時期、あるには、あたですがの、槇島時代の一時のみの。基本的、こんな習慣あらへんわと。一度はベッドで寝てみたかただけの話やわと。
変な具合の、寝てるの辺りのみ、明るくて。
反対に、カーテンの向こうが、暗くの。薄暗くの、その暗い場所を、日本髪の、妙齢の美女、北から、南えで。その気配、重々認識してまして。
オッとの、くれぐれもの、万事、夢見の世界での、話やでと。
まあ、詰まり。
京都、仏光寺の家で、自分の状況も、気配の日本髪のも、行動全て、記憶の、把握のしてるの、希有なるの夢でして。
異なるは、当方、寝てるの方向、北枕。
コレ等、現在唯今、振り返りの、分析すればの話やでの。その部屋で、寝た時期あったですが。中学生時代まで哉の。寝てるの方向、西枕。
大体が、その場所、床の間<部屋の西側>有りで、ベッドなんか、トンでもの、場所でして。までも、認識してるわの、夢でして。
それは、それとしての、仏光寺の家となればの、大原則、祖母をしか、連想致さんわと。
最大理由、超の簡単、祖母、仏光寺の家で、他界してるです。葬儀上げてるです。
それもあるし、祖母との、想い出、沢山、あるです。
この場所が、槇島なり、亀岡ならばの、今度は、祖母、有り得ぇへんですが。母やろなあと、成るですが。
女性ならばの、嫁はんでありの、妹なれどの。日本髪となればの、想像出来ひんわと。母のでさえ、難しいのにと。とは、云え、祖母の日本髪の姿、写真で以外、知らんですが。
どちにしろ、仏光寺の家の、夢見故、祖母でして。
問題は、土間から、タタキの方に、移動の状況より、これは、裏庭えで、裏庭から、又、自分の寝てるの、居間に来るの哉の。来られたら、嫌やでの。
その裏庭、薄暮でして。
手が、カラダが動かんのに、動かせへんのに、その光景、夢見で、見てるわと。首だけ、動かし、見たんやろなあと。見えたんやろなあと。
この薄暮状態なるが、母移送のため、セレマからの車が到着の頃の時刻哉と。
あくまでもの、夢見の状況、振り返ればの話やでと。
こんな事、薄暮の頃哉のなんか、親父の法事と、無縁故、「不可思議の世界」で、掲載してへんかたけどや。
変な話、嫌やでと、思いつつも、裏庭の、あの辺りに、トイレで、手水の石、あったなと。あるの筈と、仏光寺の家の配置確認したり、してたですが。
イヤ、自分がどこにの、認識がためでして。
何故にとなればの、宇治槇島も、亀岡にも、今一、馴染んでませんでして。当方がや。生まれ、育ったの地がええに決まってるわと。
オッとの、話、戻すですの。6月9日<通夜>の話。
ソレ、云い出せば、母のであれ、当方のであれ。
葬儀となればの、この地、亀岡では、参列者、焼香に来てくれるの人数、知れてるわと。
そもそもがの、この地に、我が同級生、居てへんがな。幼友達、竹馬の友なんか、居てへんがな。
祖母の時なんか、数まで、数えてえへんけどや。家の前、人で一杯。多分なら、祖母の知り合いやろなあの、年寄りも、沢山来たはてねえ。
親父の取引先の方やろなあの方、叔父達のと。当方にも、沢山でして。
イヤ、どこの、誰様のでも、相応の人数、来たはるですが。
想定外の、とするも、異なるの表現なれどの。
決めてから故、今更の。大ホールになてしもての、困ったなあと。当日、葬儀、少ないの、余所様のが、1件ダケがあっての事もあるですが。
席、親族のは、そんなモン哉の、30名分。誰が、どの程度、来てくれるかが、確認取れてえへんでねえ。
オトトの、四国、嫁はんの里の方からも、義兄夫婦、義姉夫婦の、4人、到着の。これは、次男に迎え頼み。亀岡駅に、なれどです。
受付担当、町内会のと、するのか、我が組の面々がと。
実は、そちらは、町内会と、一般の参列者をと。親族なるは、従兄弟達に頼んでまして。当然の、柴田の従兄弟なれどです。
組長来た故、その辺りの事を伝えたらです。
香典の事もあっての、親族のは、受理。町内会、一般のは、遠慮致すの事を、でして。昨日、朝に手渡しのメモには、遠慮するは、記入してたですが。親族のまでは、記載してへんでねえ。
又、親族のは、従兄弟に頼んでるの件も、です。
ならばの、イヤ、やるでと。親族のも、でして。へえと。ソラ、その方、有り難く。
いやなあ、受付、やてくれるは、承知も、人数までは、知らんでねえ。結果、組長の奥様までが、来て戴いての、5人も、でして。へえと。
イヤイヤ、有り難う御座いますの。宜しく、お願い致しますの。
にしても、大ホールになてしもてと。この辺りの、事情も、説明しとかんとなと。概ねの、想定出来るの参列者の数、知れてまして。
とかとか、雑談してるの間にも、親族も集まり出して。
そちの、応答、受付頼んだの、従兄弟には、その辺りの事、説明をと。その積もりで、来てくれてるのに、でして。
そんな次第の、斯くなるでの。
こっちに、挨拶。あっちに、挨拶。セレマの、式次第担当からは、諸般の確認されたりの、落ち着いてるの間がないねえ。喪主たるは。
での、担当曰くに、町内会の送迎バスには、20名ですて。へえと、多いなと。
少々、安堵したです。送迎バスに、20名なら、それだけで、従前のと、同じの人数でして。むしろの、自家用車で、来るの方、多少なりともの、多い筈での。それでも、大ホール故に、参列者、チョロなれどです。
まあ、今更でして。
担当も、曰くの、えやないですかと。遠慮すなと。まあねえと。
どちにしたって、「通夜」なるは、特段の、でして。
問題は、明日、10日の、「告別式」の、喪主挨拶。
(15/06/29)
NO.23 形見別けの話(1)
オッとの、話、前後するですが。
元々が、順不同の、バラバラの話、してるですが。
過日、昨日<6月28日>。
妹夫婦、三逮夜<みたいや>、はたまたの、三七日<みなぬか>とも、称するの。あれから、七日が、三度の、三週間。でも、無いですが。マ、ええかの、その日やしと、来てくれて。
にしても、時、日の経つは早いねえ。或いは、遅いと、するのか、よお、分からんですが。
次男一家も、別途の用件にて、来るになってたですが。次男、体調崩しの、又の機会にと。まあ、それで、結構也と。
での、15時にと、聞いてたですが。
1時間も早いの、14時着。まあ、ええけどなの、連絡一発、くれたら、ええのにと。
まあなあ、諸般の用事、外出も、早くに済ませの、家での用事、してたですが。イツ、来られても、ええよにと。されどの、こんなに早くとは、想定外。
来て、お供えしてくれての、母所有の写真等々、見せまして。
妹に関係のがあれば、持ってけと。結構なるの枚数あったですが。
いやなあ、写真ねえ。
よくぞ、まの、これだけ、方々、旅行してるなと。思う程に、方々での、写真撮ってもろてましての。只なの、一緒に写ってるの方々、どこの誰様かも、分からんでねえ。
コレ、困るなと。
基本、このよに、親族に、です。見せてやりの、しかるべくの、相応の、処分するの積もりなれどです。
諸般の記念写真も、当人にとての、記念でもです。こちには、全くの、でして。残しといても、仕方無く。オッとの、全部を全部、処分致さんですが。兎に角、どこの誰様かも、分からんの方が写ってるのまではなと。
見てて、自身を振り返りの、写真をの、沢山もは、あらへんけどや。所謂の、終活として、整理なり、処分なり、して行かんとなと。後に残されたの方が、困るやろと。
にしても、母のを、以来、整理整頓、廃棄もしてるですが。
儚いモンやねえ。まさしくの、おしまいやねえ。
イヤ、我々、親族の記憶には、残ってるですが。
残ってても、母の曾孫まで。曾孫世代にまで、残れば、結構なれどです。
いやなあ、諸般、諸々の、困った事に、我々夫婦にとての、母。余り、ええ記憶があらへんでねえ。こんな事、してくれた、あんな事をの、想い出がでして。お見事、皆無でして。
反対の、こんな事、あんな事、されて、云われての、事、話、尽きぬ程の、ばっかりでして。
母には、悪いけどや。
イヤ、それが出来るの環境にあったと、云う事でして。
何がと、問われたならばの、説明、厄介なれどです。無難、一口になら、我が儘、気儘を云うて、出来ての環境であったです。
それを、許しの、我々、夫婦であった。とも、云えるですが。伴うの、荷物も、相当なモンやったんやでと。
只、1つ、正々堂々の、云えるは、あれを、これをと、してやったら、良かったのにの、後悔、思い、一切無いなあと。全くの、一切と、云うてもたら、そらなあ、上には、上をの、あるですが。
母のアルバム見てたら、つくづくの、思うは、自身の老後、満喫してるなと。
我々夫婦では、まあ、無理の事やなと。
コレ、一口になら、自身の年金、全部、自身のモノで。生活費なんか、不要でして。借金したら、我々夫婦が処理してるしなあ。外出しても、我々と一緒なら、全部、こち持ちやし、結構やなと。
オッとの、こんな具合に、写真見ても、思うんやと。ここまで、してくれるの、なんか、あらへんぞと。
での、妹えの、形見別けねえ。
アクセサリー類、衣類、帽子等々、妹には、ええのがあれば、持ってけ、ドロボーの、一切の、遠慮すなと。
但しの、残ったのは、当方の好きにする故と。
とするのか、過去、2度、持ち帰ってるですが。三度目、最後でして。最後やでと、とは、申してませんですが。毎回、毎回、来る度、持ってけと、する程の、数もあらへんわと。そんな事、してたら、際限あらへんしと。
イヤイヤ、現在唯今、整理してるです。
下着類等々、不要なのは、処分してまして。それでも、まだまだ、あっての、これは、誰か、欲しい人に。これは、とりあえずは、妹にでも、見せて、欲しいとするなら、持ってけ、ドロボーの、類のもあってねえ。
要は、処分するに、ソラ、誰かが、欲しいとなれば、その方がと。
云うたって、後世に、孫子の代、その又先にもの、伝えるのよな、価値あるの、なんか、あらへんけどや。
オッとの、ソラなあ、分からんですが。鑑定もしてへんしと。
してんでも、分かるわと。分かるにしても、よ考えたら、我々夫婦の持ち物よりは、数段の値打ちモノを所有してるやろと。そらなあ、自由に出来たの、金が、潤沢での。こちからしたらの、半端で無いわと。
我々、そんな事、逆立ちしたって、出来ひんしと。
での、妹、これは、自分に、コレ、娘に、孫娘にと。まあ、好きにして頂戴の世界なれどです。
まあなあ、こちにも、嫁共、孫娘、居てるですが。マダ、見せてませんでして。そんな機会もあらへんかったしと。
これも、難しいてねえ。
このアクセサリー類、財産、遺産と、するならばの、厳密になら、当方と、妹の折半でして。
されどの、当方、男に、ネックレスとか、指輪になんか、興味あらへんわと。
ならばの、鑑定でもして、価値的折半にするが、ええのやけれどの。そこまで、するの、べき事怪と。
よて、代行、嫁はんで結構でして。ええよにと。
ほんまやでの、過日には、鑑定でもの、話ありの、ええ考えと、瞬時、思たですが。
当方、資産となんか、考えてませんの、形見別け感覚での。意なるは、本来的、使いたい人、興味があれば、持ってけドロボーの類のモノと。
興味無ければ、いらんで結構と。
結果的、後刻、諸般で、金に換えるなら、替えても結構の。所有者のご自由での。その時、鑑定してもらえばと。
ほんまやでの、コレ、ン万、ン十万円の価値と聞けば、モノとして、興味無くの、欲しくなくとも、高額なら、高額な程に、欲しくもなるわの。コレ、人情での、当然也と。誰が、二束三文、無価値のを、なんか、欲しい、欲しいの、後生大事にするモンかの。
余程の想い出深きの、モノでして。
その想い出なるは、母の思い出でありので。
妹にも、嫁はんにも、当方にもです。
云うたら、姪、その娘。我が嫁共、孫娘に、ある筈、あらへんわと。
オトトの、トッとの、ならばの、当方の、しかるべくの時の、遺品となればの、何があるやの。あらへんなあと。
衣類なんか、寸法合わんしで。誰が我が古着をなんかをと。腕時計にしたって。オッとの、コレ、我が還暦の時、皆が出資してくれての、買えたの、こちからしたらの、値打ちモノで、記念の、大切なる、なれどの、ン万円ので。ンも、十に近いけどや。
息子共、名実共の、高級腕時計所有してるわの。ン十万円クラスのでして。モノ違うわと。
そしたら、常に大切に使てるの、モノと、なればの、パソコンやけど。
パソコンなんか、アと云う間に、時代遅れで、サポート切れに相成り、使いモノにならんよになるわの、代物怪。アホ臭と。
とか考えたら、ほんまに、ほんとに、何にも無いなあと。寂しいなあ、情けないなあと。
自分がや。
(15/06/30)
NO.24 形見別けの話(2)
いやなあ、写真ねえ。
当然の、昔の写真ばかり、なれどの、その当時の写真見たら、妹も可愛らしかったんやと。
正直、名実共の、身贔屓あるけれどの、可愛らしかったわと。こんな時代もあったんやなあと、云えば、妹抜かすに、ソラ、現在唯今、孫居るの婆様やと。
とか、申したりの、ほんとに、母にドンドン似て来るなと。
母の如くに、婿を邪魔者扱いしてへんけどや。反対には、大切にしてるが故、喜ばしいですが。
性格がなの、云うてる事、やる事、酷似して来てるわと。
オッとの、借金してまでの、贅沢なんか、してへんですが。
での、相当の以前との事での。
妹婿殿なら、母から、猫の目の石の数珠貰たですて。へえと。ええなあと。
その日、28日の日に、見せてくれたですが。
いやなあ、その手の事も、当方には、あらへんでねえ。
反対には、我が持ち物、サと消えての、気が付けば、ボロボロになって、そこらに置いてあるを、見つけたり。それが、十年、十数年。下手したら、ン十年。
どんなモノが、ン十年かと、なればの、新入社員時代、抵抗器の、磁器棒製造工場の関係先で、造らせて戴いたの、焼き物、湯飲みでして。
新入社員当時故に、22歳頃での。発見、数年前での、60歳過ぎてからやでの、湯飲みが、一輪挿しの、花瓶替わりに使われててねえ。何故に、延々の、発見出来ずかは、それまで、どこかに、しもてたんやろと。
母がや。密かにや。
そんな当時の作品を、当方も、よ、覚えてたになるですが。ソラ、唯一、初体験の焼き物でして。見覚えあるわの、何を隠そおの、見て、一発、判明の、確認してるですの。名前まで、書いてるわと。
オトトの、くれぐれもの、我が妹、そんな性格でもあらへんけどや。
とりあえず、残余のアクセサリー類をば、当家の、女性陣であるの、嫁共、孫娘にもと。思えど、数的になら、あても、嗚呼、これはと、するよなの、めぼしいの、なんか、あらへんわと。我が見解ならばの話やでと。
要は、選択の余地、乏しく、欲しがるやろかの。多分なら、年代的にもの、又、趣味趣向の事もありので、どかなあと。
ソラ、蓋開けて、見な、分からんけどや。
ソレ云うたら、当方なんかも、アホ臭の、男女の差もありので、そもそもがの、これならと、するの、欲しいモノが、あらへんでして。
まだまだ、未整理の箇所もあるですが。コレ又、残余の、謡曲の本なんか、残しててもなと。燃えるのゴミとして、廃棄処分でもの、範疇のばかりでねえ。
オトトの、あるです。
当方に、では無くの、そら、女性用数珠故での。コレ、多分ならばの、水晶の、でして。の筈ので、ガラス玉との、区別、分からんけどの。嫁共、孫娘のと、してでして。
云うたって、3つもは、あらへんですが。1つだけなれどの、コレを3つにしてです。と、する程の、長い数珠でして。上等なんやろなあと。水晶にしたって、価値的、ピン、キリなれどです。
くれぐれもの、形見別けと、してでして。
イヤ、コレ、アクセサリーを入れてるの、宝石箱に入ってえへんの。入ってるのは、全部、諸般、見せてるですが。妹夫婦にでして。
コレ、数珠故、当然の、仏壇の引き出しに、でして。
気が付いてえへんでねえ。ハタと、嫁はんが、でして。そんな手もあるなあと。
どちにしたって、肝心の、当方のは、皆無なれどのです。
そらなあ、くどいけどの、女性用、戴いてもなと。
親父のでも、形見的、これならと、手にしたは、三文判1個。判子も、別のを、使用で、使うの用事、あらへんけどや。1つくらい、手元と、するのか、家にでも、置いといてやらんとなと。
痕跡無くなるですやんかと。
云うたって、マダ、嫁共には、話してへんの、数珠の件。
これで、我が家に、母のも、一応の、痕跡残るになるですが。いらんと、なればの、コレ、どするやに、なるですが。そらなあ、当人の意向重要での。
イヤ、嫁はんも、一点、アクセサリーを、手元に残したですが。真珠のネックレスやったかなあと。真珠も、本物かは、分からんですが。本物やろと。ンの、別段の、売るの積もり無く。
只なあ、水晶と、思うの数珠での。ガラス玉では、そこまでして、残すの事もと。
ネックレスも同様での、プラスチックのでは、形見にと、手にしてもなと。
まあなあ、一応は、真珠のは、宝石箱に入ってまして。
数珠は、相応の数珠入れに入れて、仏壇に、でして。偽物を、曲がりモノを、そんなには、扱わんやろと。当方とは大違いの、資金も潤沢での、二束三文のは、大切には、扱おてえへんやろと、勝手に思てるのだけ。
ならばの、再度の肝心の、当方のは、どするやと。
この際、この機会に、それこその、水晶の男性用数珠でも、調達したろ怪と。
資金なら、母の葬儀のためと、こちで、積立てたの、資金あての、ここからでもと。
ソレ云うたら、長年、一緒に暮らしてたの、息子共のもと、相成って。
皆、それぞれに、確認の上、どするやを、決めるの積もりなれどです。
とか、云うたって、実際には、葬儀費用、相当額での、既に、ここまでで、ここだけの話の、イヤ、具体的には、止めとこの。出てるですが。但しの、「セレマ」の会員になってての。その積立金も、含めての事での。
その積立金あたが故、会員特典での、割引、相当額での、助かってるですが。
オッとの、総額、どれ程かも、ここには、掲載致さんですが。
当然の、「セレマ」には、3日以内の期限には、全額精算終了してるわの。戴いたの、香典も、全部、あらへんわと。超の簡単には、会員の、では無いの積立から、香典とホボ同額出てるです。
ここから先の、香典返しも、諸般の仏事諸々なるは、これからの話の、さあ、どれ程の出費哉と。されどの、それこその、積立資金で賄うになるわと。
事程左様の、我々夫婦の葬儀の事も、真剣に、考えんならんなと。
残されたモノ、具体的には、息子共夫婦に、我々みたいな、葬儀資金までの、心配させとは、あらへんしと。
さりとて、現金でと、なれば、至難の技。
その辺り、親父は、大したモンやたなあと。
本来、始末家でもあったですが。結果的、葬儀費用、残してくれててねえ。反面、葬儀費用以上では、あらへんけどや。
当時、家でやたもあるけれどの、そもそもがの、香典で、賄えたわと。香典も、当世とは、相応の多く。そら、町内会等々の、お断りをしてへんしと。
結果、残余の、親父のは、母に、妹夫婦に、当然の我々夫婦に、親父の孫に当たるの世代、息子共、姪、甥にもです。相応の比率で、ほんとに、平等にです。分け与えたです。
皆の前で、これだけ余ったと、公開致してでして。当然の、母には、半分モロでの、その他、相応にと。そこまで、するの必要性あらへんかたけどや。この手の事で、金の事での、もめたりは、絶対に嫌でねえ。
そらなあ、結果的、嗚呼、しもたなと。失敗したなと。
いやなあ、ソレ、葬儀費用のみでして。大変なるの、計算ミス、見落とししてたわの。葬儀に続くの、諸般の仏事、懐石料理等々の、事まで、考え、及んでえへんでねえ。
まあなあ、当時なら、当方、現役での、何とか、なたけどや。しな、仕方があらへんしと。
此度なら、その経験、踏まえての、積立でして。出費してまして。
イヤイヤ、当然の、集参の親族、家々より、御仏前なり、お供えとして、相応の金額、持参してくれるですが。そんなモンで、賄えるの筈、あらへんやんかと。
ならばの、賄えるの範囲でしたら、ええのやけれど。
そもなあと。
(15/07/01)
NO.25 通夜の話(1) 立礼の話
オッとの、母の形見別け。
この機会に云々なるは、当家、内輪の話で、且つは、こちの、腹案でして。
当人達には、マダ、話をしてへんし。当人達の意向重視。
話するまでに、こちの考えも、又、違て来るやもでして。どなるの事やらの。どかするにしたって、先の話やわの。今は、その他諸々の、仏事、整理、処分で、手一杯。この整理だけでも、イツまで掛かるやと。
それもあるし、香典返しもなと。
そらなあ、金額があるし、諸般、料理喰た方、スと帰った方、様々やしと。
これも、しかるべくの、決めて掛からんとと。
地方、地方で、違うみたいやけど。ここは、当家は、京都やしで。こちにの、慣わし、あってねえ。
お返しなんか、いらんと、してへんと、するのがあれば、何でもええでと、する方もと。いらんとされたって、片方して、片方せぬも、変でして。
オッとの、そんな次第の、斯くなるでの。
「通夜」で、親族が参集、町内会、その他の方も、集まり出して。
イヨイヨやなと。
これもなの、席の数、どこに、誰が座るもあっての、ややこしいわと。
イヤ、人数、分かってるのも、分かってえへんのも、あっての、分かってるのは、ここここにと、決めてるですが。
そらなあ、我が一家、妹一家なら、人数明確の、席も、決まるですが。四国からのも、明確なれども、ここは、悪いけどの、末席でして。
母、「柴田」故、柴田家、親父方が上座になりの。母方、親族、下座でして。
とかとか、云うたって、親族席、30席でして。
問題は、母方親族、ここは、従兄弟が来るですが。この従兄弟も、どこまでが、来てくれるか、分からんでねえ。
どこまでか、とは、当然の、伯父家、次男家、長男家に。叔母家、長女家にと。その長女の連絡先、分からんかたりで、分かる範囲で、してるけどや。
そこが、更に、兄弟姉妹の、どこまでに、連絡してくれてるか、してへんが、分からんしと。夫婦で来るのか、1人でかと。これを、確認も、してるの間があらへんわと。
云い出したら、父方は父方で、母方は、母方で、顔馴染み故に、出来る限り、近くでと。そらなあ、父方と、母方の従兄弟では、顔知らへんわと。
従兄弟達も、母方のは、我が息子共を知らんわと。当然の、甥、姪も、知らんわと。
その連れ合いとなればの、皆が、知らんやろと。オッとの、我が従兄弟がの、話やでと。
そんな意味でなら、こんな場で、孫共含めの、お披露目と、相成るですが。場が場で、一々の紹介もしてられんわと。結果的、してへんですが。
それは、結構の、ンの、母方従兄弟、人数、多なてもてねえ。
これが、又、ギリギリに来るモンやから、どするやの、セレマ担当に、席をと、伝えたならばの、承知と、返答の、での、どこえと、問えば、一般席ですて。コレ、仕方あらへんですと。
意味なるは、親族席、最大、30席での、増やせずと。
コレ、部屋と、するのか、ホールの出入り口の、位置の関係での。一般参列者が、親族席に紛れ込まんよにと。する故、30席以上、無理でして。
イヤ、出入り口、2箇所なれどの。祭壇近くの、箇所ので、これで、親族席数決まるです。
結果、母方従兄弟、4名の積もりが、7名来てくれて。ソラなあ、多い方が嬉しいけれどの、困ったなあと。
ホンの間に、すまんなあと。席なら、あっちに、あるけれどの、皆一緒の方がと。ええで、ええでと、そかと。すまんなあと。
その母方従兄妹の中には、この手、葬儀、年会等々には、初めて来るのが居てねえ。
当然の連絡してるの従兄妹なれどです。この歳まで、何度会おてるやの。三度哉のは、多分あれやろなあと。イヤ、叔母に似てるの、面影有りで。女の子は、分からんわと。化粧の事もありので、まともに喋ったと、なればの、40年程の昔の、1回のみでして。
直近なら、叔母婿殿の、葬儀の日。
コレ、全くの、喋ってえへんの、叔母と、のみでして。そこの、長女とは、チラの。
実は、この時、この日、柴田家叔父嫁の葬儀と、重なってもての。葬儀の梯子したの時での。ここ、5人姉妹での、悪いけどと、顔だけ出して、手を合わせて、即の退散。ソラ、長居してるの、間あらへんわと。
そんな、あんなの、座るの席も、ここに、誰がと、何家がと。決めて、指示し乍らも、母方のが、想定外の人数での。
そらなあ、母方のは、母の葬儀でして。さもありなんと。
とは云え、結果的、「通夜」のみの、参列での。「告別式」にも、来てくれたは、内の1人。
「通夜」には、来れずで、「告別式」に来たは、1人。
父方も、この日には、従兄弟のみで。「告別式」には、下の叔父が。上の叔父嫁が、来てくれたですが。
叔父も、叔父嫁も、歳が、歳での、体調もで、よお、来てくれたですが。連れて来てくれてるの、従兄弟が大変でして。
とかとかの、本番近くになればの、俄然、気忙しく。
担当より、式次第の進め方をと、場内、全員に聞こえるよに、解説、説明致しまして。
我々、喪主と、長男なるは、両脇より、焼香に参列の方々に、立礼をと。
それが、終われば、親族の焼香なれどの、筆頭、喪主。あとは、適宜、両側より、1人ずつ、焼香にと。その際、お辞儀も、最初に1回。終わって、1回、中央にしてくださいと。
これを、右に、左に、又、右左と、お辞儀するは、丁寧みたいに、見えても、クルクル、回ってしもての、不格好ですと。
簡単に、簡単に、綺麗にと。ハイ、承知と。
云うてる、聞いてる、予行演習してるの間にも、開始でして。
いやなあ、町内会席、見たら、想定外の、多さでねえ。概ね、50名はと。
コレ、くどいけどの、従前、承知の範囲、20名、30名でして。その倍はと。イヤ、有り難いわと。諸般、感謝致すわと。
での、コレ、ここだけの話の。
当方、度々の、ここ、「セレマ」の、「亀岡シティ・ホール」での、焼香してるですが。担当者によるのか、喪主にもかの、喪主立礼、知らんでと。
イヤ、くれぐれもの、喪主と、その長男、立礼するは、丁寧でありの、順当也と、思てるですが。
従前、そこまで、注視も、してへんは、あるですが。喪主なるが、その奥様であるが多かったも、あるですが。喪主、座ったままやた筈やでと。
正直には、立礼されたの事が無く。ここ、「亀岡シティ・ホール」ではなと。
親父の時になら、我が家でして。
当方、喪主なれどの、骨折入院中でもありので、椅子に座っての、黙礼でして。大体は、親族一同、屋内にての、全員がと、までは、申さんの、正座なりで、黙礼してるが、形式であたみたいにと。
ででの、叔父嫁の時には、当然の、場所、異なる<樟葉>ですが、立礼なるは、親族何名かが、横一列やったかに、並びの、やったなあと。父方親族数知れてるですが、嫁方多く。
コレ、「通夜」の時には、してへんですが。「告別式」では、親族参列者の数、減って。自発的、数に加わったですが。
要は、場所により、担当によりの、立礼も、喪主であたり、親族なりと、違うの怪と。
イヤイヤ、別段の、どであれ、結構なれどです。
<参考=「不可思議の世界NO.6」NO.88 叔母の話(11)葬儀形態の話>
(15/07/02)
NO.26 通夜の話(2) 止まるは、8人の話
当初には、質素にと、思てたですが。
結果的、派手になたなあと。コレ、母の意向通り哉と。
実は、今だ、家族葬と、一般葬の差、区別、分からんですが。
多分なら、親族控え室の広さ、違うの怪と。狭いと、入り切れへんですが。何分の、親族席、30でも、不足でして。
残ってくれる、残らんは別途の、親族として、来てくれてるの人数、入れんとなと。
イヤ、宛がわれた部屋、控え室なら、充分なれどです。
オッとの、それでや。
6月9日の、19時からの、「通夜」。
想像以上の、人数でねえ。感謝、感謝の、遠くで、来られぬの方も、電話なり、弔電戴いてるですが。そらなあ、諸般、無理して来て戴くの事も、あらへんしと。ソラ、近くならで。近くでも、我が母を知らんの方もあるです。
前提、ソラ、沢山の方、参列、焼香に来て戴けるは、有り難いです。
その上で、傍系<姪>の、婿殿の親が。直系<息子>の嫁の親が。となればの、ンの、当時なら、結婚式に母、出席したなあと。されどの、次男の時には、どやた哉の。出席出来てえへんですが。
されどの、どちにしても、会おてるは、ソレ、一度切りでして。
とかとかの、立礼にての、焼香の方々に黙礼、お辞儀致しながらの。声にまでは、出してませんですが。
正確には、聞こえるよには、云うてえへんですが。有り難う御座いますと、申し述べ乍らの、へえの、この方が来て戴いてるかと。
別途には、あの方、見えてえへんなあと。イヤ、町内会とかの、近くの方なら、でして。ソラ、そちらのに、参列した故でして。
いやなあ、この手の事、難しいなあと。
そらなあ、自分が喪主なり、したら、分かるですが。自分の家族の時にも、分かるですが。
訃報聞けば、全て、参列、焼香に出向くが、ええに決まってるですが。どの範囲、どこまで哉と。
自身、健康で、動けるならです。どこえでも、行けば、宜しいですが。反って、気を使わせてしまうの可能性もと。
モ一発、我が従兄弟になら、気は使わんですが。親の兄弟姉妹の子でして。そちのには、問答無用の参列してまして。そこの兄弟姉妹の、どこまでに伝え、来てくれるかは、そちら任せなれどです。
母の妹、叔母なりが、顔見せぬは、心配でして。どしてるの哉と。
オッとの、この立礼で、皆様に挨拶も、辛いねえ。
くれぐれもの、立ちの、礼するが、辛いで無く。この方、この方、来て戴いてるかと、思うだけで、胸一杯になてもてねえ。
ソラ、諸般の状況、承知故で。
とかとか、云うてるの間にも、一般、町内会、親族の焼香も終えてもて。
町内会の面々の人数、多いと云うても、総数、知れてるわと。100名には、達してませんでして。そんな意味でなら、寂しいけどや。さりとて、母の友人にまで、連絡してへんし。するにも、諸般、難しく。
しても、果たしての、来られるかと、なればの、高齢故に難しく。
での、「光圓寺」住職の、読経、法名の説明も終え。退席されて。
担当者より、喪主と、嫁はんに、こっちにと、促され。ンの、何するのかは、参列者に対するの、お見送りのため、出口で、立礼をと。
これも、従前、あったか、無かったか、注目してへんでねえ。
イヤ、立礼するに、挨拶するに、成る程の、ええ事やと。
ででの、親族席に居てへんかったの、親族。母方、従兄弟達、嫁の親。姪婿の親には、諸般、この後、「通夜」で、食事でもと、促せどの。イヤ、有り難う御座いますの、遠慮すると。
従兄弟達なら、明日、来てくれるのかと、問えば、明日はなあと。
これも、全員に尋ねるに、出来ひんでねえ。ソラ、次々と、退席、出て来られての、挨拶しんならんわと。
いやなあ、親族には、控え室での、「通夜」のため、寿司と、オードブルを準備してあっての。
当然の麦酒等々も、あってねえ。来てくれさえしたら、久しぶりにの、話も出来るですが。そのための、「通夜」でもあっての。
されどの、母方従兄弟達にしても。姪婿殿親、嫁親にしたって、そらなあの。親族席に居てるの面々の、殆ど、全員を知らんわと。従兄弟が知ってて、我が嫁はんと、妹やろと。
オッとの、従兄弟同士なら、重々承知してるですが。
ここ等が、又、難しく。
当方なら、その手、葬儀に参列も、親族のなら、殆どの方、承知してたですが。知らんでも、呼ばれれば、声、掛かれば、参加したですが。
知ってる者同士で、談笑してればの、済むの話でして。
結果的、柴田の方、父方従兄弟3人、残ってくれて。
これもなの、変な話、父方のは、母方のを知らず。母方のが、残れば、当方、どちを相手にしたらの問題あるですが。片方のみ残りで、妹と、2人は、従兄弟と談笑したですが。
後の親族、それぞれに、でして。
基本、家族なり、兄弟で来てるし、任せとけと。
そらなあ、こちも、全員相手には、してられへんわと。
にしてもの、19時から、20時で、「通夜」次第、焼香がで、夕食には、丁度、ええ時刻になって。
昔話、今の話で、花咲いて。従兄弟達と、話するも、久しぶりでの、こんな時にしか、あらへんでして。特には、東京のと、するのか、千葉の、叔母の長男なら、親父の時以来哉と。
その前には、叔母の葬儀で、その以前には、叔母の見舞いでと。そんな時にしか、会うの機会無く。
ソレ、云い出したら、どの従兄弟も一緒の。葬儀で、年会で、しか、会わんよになっての。会うの、用事があらへんしと。
さての、本来の、「通夜」なら、このままに、皆、そのままに、徹夜で。眠となれば、適当に、そこらで、雑魚寝なれどです。
どれだけの人数、「通夜」で、残るかが、分からんけどや。
近くで、帰るのも、居てるやろし。遠くで、帰るに、帰れんのも、居てるやろしの、夜を徹しの、「夜伽」なれどの。その前に、一旦、解散をで、適当に、帰り支度なれどです。
ンの、千葉のは、ホテル取ってるですて、へえの、ここに泊まれるのにと。されどの、取ってるしと。そかと。明日は来てくれるなと。来ると。
その他、従兄弟は、明日、叔父なり、叔母を伴いの、来てくれるし。本日、帰るは、聞いててねえ。
四国組、当然の、ここで、寝るですが。
息子共の嫁、孫共、ここでは、諸般、子の事もありので、我が家、当家に戻るになてるですが。
基本、当たり前の、当方、喪主、嫁はん、息子共は、ここでして。
さりとての、それ以外の全員もは、無理の。ここで、寝るなら、でして。「夜伽」で、夜を徹するなら、結構なれどです。
オトトの、妹家、全員、帰るのみたいでねえ。
ソラ、ご自由にで、構わんけどの。姪は、子の事もありで、帰るの哉と。とは思てたですが。一家、車で、来てるもあるですが。
基本、ご自由なれどです。
結果の結果、「夜伽」「通夜」で、親族控え室に止まるは、四国組、4人。
喪主たる、当家、嫁はん、息子共の、計、8人と、相成ったなと。
まあなあ、ええけどや。諸般、チョと、寂しいは、あるけどや。
オッとの、布団なら、部屋の押し入れに入ってましての。借りた分、費用いるですが。
ここだけの話の、1セット、3千円也の。その替わりに、手拭い、歯磨きセットに、髭剃り、ブラシまでが、付いててねえ。
イヤ、風呂は、別の場所での、「柴田」家、専用のが、準備されてるです。循環式での、常に湯が出てるですて。
云うても、この日、泊まるの他家、家族葬の、1件のみなれどです。
(15/07/03)
NO.27 通夜の話(3) 寝乍らの、喪主挨拶考えるの話
そらなあ、「夜伽」なるは、共に居てくれるの、人数多けりゃ、多い程に、情感がと。
それが、「夜伽」也と、思てましての、寝具不足なら、不足なりに、座布団でも、そこらのを適当に引っ張り出して、でもでして。
邪魔になど、一切、考えもしてへんですが。
まあなあ、小さい子は、諸般、無理あるが故、嫁と一緒に、我が家えと。我が家とは、当家でして。好きに使て頂戴なと。
いやなあ、家での、なら、行き場無くの、皆一緒なれどです。
この辺り、「セレマ」では、母、大ホール。こちは、隣の、親族控え室でして。では、あても、共に居ててやるの、気でして。感覚でして。
結果、四国組の嫁はんの兄夫婦、姉夫婦と、我が一家、嫁はんと、息子共の、8名が止まり、泊まるになったですが。
コレ、四国での、義父の時とは、大違いなやあと。
あれは、10年の昔に成るですが。親族は当然の、皆、泊まり。近所の方まで、共にの、泊まり。それこその、座布団でも、適当に引っ張り出しての、雑魚寝で、仮眠でして。
家でなら、コレが自然でして。
とは云え、その時には、小さい子は、居てへんし。
との話なるは、別途に掲載してるですが。ここでは、敢えて、リンクせずに致すです。
兎に角、皆、それぞれに、都合あるやろと。
無理してまで、共にの、「夜伽」する事も無く。そやから、云うて、なの、寂しいぞと。この人数ではなあと。
それこその、自分の時、果たしての、どなん怪と。考えたら、そらなあ、場所にも寄るし、年齢にもと。やから、長生きしと無いなあと。惜しまれるの間がええの哉と。
ほんまやでの、当方自身、この歳故、余計に、そんな下らんの事、考えたり、致すわと。
オッとの、「夜伽」してくれるの人数、多いがええかとなればの、ええに決まってるわと。一応は、寿司喰て、オードブル喰て、酒でも、飲んで。「行事」としての、「夜伽」なら、終わったけどや。
ここからが、本来、本番なんやでと。
まあなあ、皆で、残余のを、喰い。次男、麦酒なんかを、取り出して。
当方、諸般、食欲無くの。されどの、喉乾きの、コーヒーでもが、欲しいなと。冷たいのも、欲しいなと。コーヒーは、暖かいので、冷たいとは、アイス・クリームの類での。
ではと、長男と一緒に、近在の、「コンビニ」えと。出向いたが、夜中の、1時頃やった哉と。零時頃かもの、その辺り、時間的なるは、よお、分からんでして。
四国組は、遠路遙々故に、疲れたのやろの、風呂入り、モ、寝ると、布団敷いて、寝てもたり。
イヤイヤ、長椅子なるは、適当の片脇に寄せまして。この人数なら、どにでもなるです。
オッとの、「コンビニ」えのは、皆に、要望、注文聞いての話やでの。自分等だけの、では無いの。そんな水臭い事、しやへんわと。
での、ででの、明日とするのか、10時からの、「告別式」の最後には、喪主挨拶でして。
それまでに、考えとかんとの、原案をと。
云うたって、相応のなら、頭の中にあるけどや。
それの、どれを、どのよにと。これが問題での、1つの事、云うにも、幾通りにも出来て。
「母、某、大正12年5月14日」に生まれたは、結構の。父親の名、「平八」は、承知も、母親の名まで、聞いてたの怪と。聞いてたと、しても、思い出さんでねえ。
何故に、「平八」を記憶で、母の名、覚えて無いは、云うてても、チラではと。
父親の、近衛騎兵の事なら、度々の聞かされてての、耳にタコなれどです。どちにしたって、この話、止めとこと。
どこで、生まれた、「下京」と、するのか、「京都、下京」哉と。
コレ、細かな話、なれどの、大抵ならばの、「下京」でも、「京都」と、分かる筈なれどの。ここは、亀岡での、京都府下であれどの、参列の皆様、出身が、京都で無ければ、京都市の事、を知らんの可能性がで、明確にの、「京都」を云うた方がと。
反対には、「下京」を云わんの手もあるけどや。基本、「京都」としたなら、「京都市」を意味するですが。コレ、こちの、勝手判断でして。
ならばの、「京都、下京」とした方がと。
とかとか、寝乍らの考えてたら、まともには、寝てられんけどや。
元々が、こんな場、「セレマ」の、控え室で、明日には、「告別式」で、式次第、「行事」なるが、粛々と、進行するに、喪主たる、気の休まるの筈も無く。
挨拶の文言、考えつつの、まんじりとも、せずの、一夜あかすになたですが。
結論的、何を云うべき、云いたいの事柄なら、当初よりの、決まってまして。
母の出生、趣味、ここに至るの過程。
過程とは、転けて、転けての、要介護等級、上がっての話と、誤解されては困るの、「リハビリ・センター」入所中の出来事やでの話。これ、「特別養護老人ホーム」に入所とは、大違いでして。
この、5月には、退所予定であたの事も、触れんとなと。
いやなあ、何より、重要なは、嫁はんの事。
全て、失念も、失念とは、挨拶文言の事、なれどの、これだけはの、感謝表明致すですと。こんな公開の場で無くとも、宜しいですが。あらたまっての、当人に、云うよりは、喪主挨拶とは、最重要の事、申すべき也と。
そらなあ、筆舌には、尽くせんの、大変でして。
親と、同居がでして。
ましてやの、この親、母親の性格、我が儘、気儘の、勝手放題でして。息子であるの、当方でさえが、腹の立つノリの、傍若無人ブリでして。
親子故、腹の立つも、尾を引かんですが。大体が、当世の如くの、無理、無茶でもの、親に反論致さんですが。説得なら、致してるですが。
イヤ、毎年、盆近くの、8月には、嫁はんの里に皆で、行ってるですが。この事、1つ、出るに大変なんやでと。
母、まだまだの、若い頃には、何を勘違い哉の、一緒に行くと、云い張って。事実、何度か、一緒に行ってるわと。母も加齢によりの、留守番するになったですが。それでも、贅沢しにの、「旅行」みたいに、思ててねえ。里帰り、をや。
そらなあの、娘婿の母親来たら、里でも、歓待の、下には置かんわと。ご馳走も、してくれやはるですが。我々だけなら、そはなあと。それでも、客人故に、相応なれどの、母との時とは、そらなあと。
この辺りの一事でさえ、云い出したら、切り無いの程の、大変でして。
要介護認定、受けてからなら、「ショート・スティ」を嫌がって。1人で、留守番してるとかの。自分で、諸般、自分の事、元気な時でも、してへんの、嫁はん、万事、してた、のにです。
ましてやの、1人で、留守番されてたでは、落ち着いて、四国に居てられへんわの。
その間の事でも、無茶、無理ばかりを、申してねえ。
それするなら、里には、行けんよに、なるの事柄を、でして。
よて、行くとなればの、ン箇月以前より、説得に掛からんとなと。一旦、ンと申しても、安心出来ずの、直前になればの、一緒に行くと、云うたり、「ショート・スティ」には、嫌と、申したり。
要介護のを、四国にまで、一緒に連れてけるのモンかと。
云うてるは、一事が万事の、この調子での。
要は、自分を最優先にせよと。そのよに、してるですが。
ほんまやでの、エアコンにしたって、母の部屋、一番でして。ここと申せば、その部屋、母の部屋と致しの。息子共の成長に伴いの、部屋替えたですが。替えた部屋には、エアコン設置。
結果的、台所には、無いですが。5部屋の内、4部屋にまで、エアコンがと。
結果の結果的、息子共結婚しての、泊まるに、殆どの部屋にエアコンあるが故に、助かるの面あるですが。
オトトの、当方、夫婦だけの時には、エアコンあっても、動かすは、年に幾度哉の頻度なれどの、そらなあ、人数多けりゃ、その分までの、電気毛布なりの数あらへんわと。
オッとの、そんな次第の、当方、生まれて以来の、ズと、親とは一緒。
結婚以来、嫁はん、我が母と一緒。
表現的、言葉でなら、只単に、それだけの話でして。
コレ、真似出来るかと、なればの、まあ、至難の技での、現に同じの、延々の、間断無くの、経験した方で無ければ、実情理解出来んわと。その裏に、表に、嫁はんの、相当なるの、努力、犠牲あるわと。
云うとくの、家屋敷、資産、財産あるの親と違うぞと。有れば、ソレ目当ての、なれどです。とは、云い過ぎもです。多少なら、あるやろ。あて、当然の、人間でして、人情、世情でして。
年金は、全部、自分のやったんやでと。それでも、借金造るの親やったんやでと。全部、こちが、精算しての、最早の、あらへんけどや。
葬式代も、残してえへんかったんやでと。
それでも、親は、親でして。
守り抜くと、抜いてやるの、表現するも、ども、当たらんの、異なれどです。
とりあえずは、当方、一切の、口答え、なんかは、してへんわと。誰か、当方なり、嫁はんがや。親に、母に、反論、口答えなんか、してるの場面、見た事、ある怪と。
くれぐれもの、口答えと、説得とは、違うぞと。
兎に角、反論、口答えしてるの場面、あたら、云うて頂戴なの。稀少価値、奇跡的故、録音、録画でも、したらと。
オッとの、愚痴なら、あんな、こんなと、こぼしてるですが。さもなくばの、保たへんわと。
その母がと。
マダ、実感あらへんでねえ。
(15/07/04)
NO.28 告別式の話(1) 大ホールにチラ怪の話
喪主挨拶で、云うべきは、コレをと。
とは、コレ又、以前より、決めてるですが。
決めてると、口にして、云うは大違いの。どのよに、云うかが、あってねえ。その辺りをば、9日、「夜伽」終えて、寝乍らに考えてたですが。
そらなあ、スコンと、寝られるの状態なら、寝るけどや。
まんじりとは、出来ずの、トイレに行ったり、喫煙場所で、タバコを吸うたり、大ホールの様子見したり。
大ホールは親族控え室からも、見るが出来るですが。見ても、何にも無いけどや。トイレねえ。寝しなに、カフェ・オーレなれどの、拙かった哉と。喉が渇いて、茶も何杯も飲んだしなあと。
いやなあ、親見るを余りにクドクドも、分からん人には、分からんでして。
現に親見てても、一緒に暮らしてても、個々人、状況異なるわと。それぞれの、事情もあってねえ。一律には、語れませんの、千差万別。ソラ、親にも、寄るわと。
当方、諸般、沢山の方々の話、聞いてる、聞かされてる、見てるし、見えてまして。万事、よっく、分かるです。云われてえへん事まで、お見通しでして。余所様からも、こちを、そと、思うですが。
表現、極めての、難しいけどや。
変な話、当方、どちの立場の方からも、愚痴なり、心情聞かされててねえ。
或いは、見てへんの方から、当方、上手く行ってるなあと、評されたり。ハタ目、上手くと、見えてたら、結構なると。但しの、親見てるの方から、そんな話、一切の、聞かへんわと。
イヤイヤ、上手く行ってるとか、行ってへんの事なれどです。
そんな事、ハタ目で分かるモンかと。
分かるよなら、上手く行ってえへんからでして。ハタ目からでさえ、分かるの程に、でして。
そやけど、そんな事、当事者、当人に、云える怪。親族でも、云えへんぞの。親族なら、尚更に、云えへんぞと。
の程度に止め置くですが。
ハタ目、上手く行ってると、見えるならの話、万事、そこの嫁はんでして。
簡単なるの話、嫁はんで決まると、云うて過言で無いわと。嫁はん次第やわと。
そらなあ、当方、男也でして。細々なるは、分からんわと。母の飯、作るは、嫁はんでして。衣類、下着類、調達、考えるは、嫁はんでして。男に、そこまでの、細々、分からんわと。
要介護度、上がるに連れの、チカラ仕事増えるですが。ソラ、抱えたりせねばならずの、コレ、男のやるの事での。次第、次第に、やる事、増えるですが。
基本、母、女。こち、男で、出来る範囲の垣根突破せねばの、そこは、親子故。
こちは、突破も、果たしての、あっち、母はどかと、までは、考えず。考えても、全部を、嫁はんでは、出来ひんわと。倒れてしまうわと。
とかとか、この手の話、し出したら、切りあらへんでして。
ここだけの話、当方、基本、亭主関白。
表面的にはなと。オッとの、ハタから、そ見えて、見えてて、間違い無いけれど。
当方、嫁はんに、言葉、荒げたり、喧嘩口論、要は夫婦喧嘩的場面、見た事有る怪の、あれば、一発、云うて頂戴の、録画でも、録音でも、出来るモンなら、やて頂戴の。
まあ、そんなチャンスあらへんわと。
イヤイヤ、別段の、常平生より、このまんま。表も、裏もあらへんわと。
オッとの、そらなあ、冷戦なら、あるですが。
内と、外ででも、ソレ、出来るよな、器用でも、あらへんわと。
何故かと、問われて、返答せずの。するなら、出来るですが。余計な話やわと。
余所様見て、諸般、上手く行って無いなら、無いで、評しの、原因これと、云えて、当たっててもの。今更、どするも、出来ひんわと。そこ様が、でして。そこ様以外の、誰様にも、どするも、出来ひんわと。
そもそもがの、どちからも、上手くなんか、行ってるの宅様なんか、有り得えへんわと。親子でも、人間故もあるし。
それこその、一言、二言、詔<みことのり>程度で、云い現すなんか、出来ひんわと。
とかとか、つらつら、そらなあ、明くる日になれば、起きた時から、喪主挨拶なんか、考えてるの間あらへんです。
「告別式」が、10時からでして。それまでには、顔洗わんならんし、風呂にもと。
オッとの、夜には、入ってませんでして。邪魔くさいがあって。カラダがシャキリと、せぬもありの、気怠いもあって。その気にならぬもあってねえ。
ならばの、何故に朝風呂かと。なれば、折角故に、入っとこかと。そこで、顔洗いの、髭剃りもと。
朝飯も喰わんならんし、8時、9時にもなれば、帰った親族、新たな親族も来るやろし。誰が、何時に来るかも、分からんですが。町内会の面々も姿、現すやろしの、知らぬフリもの、挨拶せねばの。
当日、10日には、基本、事、行事済みの。済ませねばならずの、その分、気忙しいなるわと。
での、誰が一番にかは、忘れたですが。
とりあえずは、町内会、組長なりが、現れて。有り難う御座いますと、挨拶致しの。ども、受付の顔ぶれ違うのみたいでねえ。
別途の方、玄関先で、会いの、この度はと、挨拶して戴きの。での、何か、手伝うの事あればと、丁寧なるの。
嗚呼の、受付頼まれやはったんやと。
こちは、誰に頼まはたか、までは、聞いてえへんでねえ。すみませんの、組長、居られる故、そちらに、ご確認をと。
純粋に、手伝い、買って出ておられるの事も考えられて。さりとての、受付なら、組長でして。ソレ以外に、町内会の面々に支援頼むの事、あらへんでして。
とか、やてたら、柴田の、末の弟、叔父が。その上の、叔父嫁現れ。千葉の従兄弟、叔母の長男現れて。
ンの、母方、津崎家の、下の伯父の娘、我が従兄妹なれどの、年齢、ホボの一緒のが、現れて。昨日は、来てへん故に、へえと。来てくれたかと。
そして、そちの、長男、従兄弟も現れ。昨日、当人、スと帰ってもた故、帰りしな、今日の事、尋ねられへんかっての、来てくれての、ホと、安堵したですが。
いやなあ、当たり前に、従兄弟も、父方、母方あっての。
母方のは、血縁。
父方のは、母とは、血縁では無く。よて、本来ならばの、母方、従兄弟がモと、来てくれるのべきなれどです。
「通夜」には、母方、従兄弟、7名来てくれてたですが。結果的、「告別式」には、2人でして。2人来てくれ、良かったですが。
モ一発、いやなあの。
柴田の従兄弟達も、叔父も、叔父嫁も、諸般、当人、体調の事もあっての、仕事の事も有りので、母の見送りまでは、出来るですが。そこで、申し訳無いけどと。との事での。
最後まで、残ってくれるは、柴田の、叔母の長男であるの、従兄弟1人と、母方のが、2人。
結果の結果、この日の、親族席、足るですが。
問題は、果たしての、それ以外の、参列者の数がなと。
時間的、10時から故、想定出来るの、半減哉と。大ホールの片脇に、チラに、相成るなあと。
されどの、仕方があらへんわと。正々堂々の、一般葬でして。
派手好き母故、満足怪と。
(15/07/05)
NO.29 告別式の話(2) 逮夜の話
「御礼」とするのか。
「お供養」なんか。
「光圓寺」住職も、さてはてと、申すの、お寺さんえの費用。
これは、前夜、「通夜」の日、住職到着されたの際、担当より、挨拶に行きましょと、嫁はんと、2人して、「住職控え室」に参上。
早速にも、不祝儀袋に入れたのを、手渡しまして。
いやなあ、挨拶をと、申されても、この処、度々の、会おてまして。
5月4日には、親父の、25回忌を、菩提寺、「光圓寺」にての、執り行いまして。
8日の、枕経の時にもでして。要は、5月のを除きの、3日、連続でして。
9日には、「法名」を書いて来ましたと。へえと。
オッとの、8日の枕経が終わった時、そのよに、聞いてたですが。明日には、書いて、持参致すと。その法名、ナカナカに、ええのを戴いてるです。感心したです。
イヤ、前日には、お寺さんえの、「御礼」とするのか、費用、お渡し致しまして。法名の事も、見て、説明聞いて。
さての、この日、10日の挨拶に伺うに、何の話をと。
行けば、住職居てへんでねえ。ンの、周辺伺えば、オッとの、トイレに居たはるが見えて。小用終わるまで、待たな、仕方が無いなあと。
そこに、柴田の叔父がトイレ待ちでねえ。その長男も、同伴、付き添いで、来てたですが。様子見るに、足元がと。怪しいなあと。そらなあ、ええ歳でして。86歳辺り哉と。
柴田で、親父の兄弟で、残ってるの、たたの、1人でして。一番に若いもあるですが。若い云うても、ええ歳でして。過日、過年には、嫁はんと一緒に、愛車、カローラで、妹夫婦を誘いの、家に、迎えにの。叔父宅えと。
イヤ、叔父嫁の墓が出来てる。との事での、拝みに参じたですが。以来と、するのか、叔父嫁他界<2008年12月>で、現在、1人暮らしでねえ。
まあなあ、ホンの近くに長男一家居てるですが。週に1回はと。来てるのみたいでねえ。えらいなあと。
但しの、叔父も、高齢故、その内には、週に1回とは、云うて、られんよに成るですが。兎に角、足元、フラフラ、気に掛かるの。足腰弱ると、歩くが億劫になるし。体力低下、衰弱に直結致すです。
とも、当方、えらそに云うてられへんですが。
この叔父嫁の葬儀の時、喪主なるは、当たり前の、叔父やったですが。
喪主挨拶を、この従兄弟、長男が代行にての、やりまして。叔父、口下手もあるですが。
コレ、立派でして。内容、概ねなら、母<叔父嫁>は、何でも、自分を一番に考えてくれてと。自分の事、犠牲にしてもと、涙乍らに語りまして。当方、感涙。
いやなあ、上手とするより、正々堂々、思うの事、素直に熱弁致しの。へえの、人前で、こんなに云えるかと。大したモンやと。
この葬儀の時には、母既に、要介護認定受けてての、参列出来てえへんですが。
この明くるの年<2009年1月>哉に、母、又、転倒、骨折致しの、「亀岡シミズ病院」入院でして。2人で、見舞いに来てくれたですが。事実上、これが、最後の面会に相成ったなと。
この叔父、当方、高校入学までは、同居でして。
世間一般の、当方との、叔父、甥。母との、兄嫁と、義弟の関係に非ず。親密度、高いわと。
反面では、当方、大学生時代に結婚してるが故、従兄弟関係も、年齢、違い過ぎて。概ね、20歳はと。それでも、当方、呼ぶに、「チャン」でして。こちからなら、「君」でして。
大体が、柴田の親父も、叔父達、晩婚型でして。上の叔父のも、従兄弟は、15歳は下なん哉と。
オッとの、そんな話は結構の。
上の叔父の従兄弟とは、その叔父嫁の葬儀以来。下の叔父の、とは、先の通りの、母入院見舞い以来。
この叔父同士、叔父の従兄弟同士なら、年齢も近いが故、比較的、交流あるよでねえ。
トトトの、何の話、してるの哉と。
早いモンやねえ。年月経つが。叔父が、80代半ば怪と。一番下の従兄弟も、モすぐにも、50代怪と。ならばの、上の叔父の従兄弟なんか、50代なんやなと。
いやなあの、ここだけの話の、千葉の従兄弟なるは、親父の葬儀には、来られずで。そこの次男が代行にての。長男たる、後刻、我が家に来てくれたですが。以来でして。25年経ってる故の。
9日、来た時、瞬時、分からんでねえ。あくまでもの、瞬時、なれどの。嗚呼と、コレ、当方より、1歳上での、ボチボチの、もしかしたらの、既に、70歳怪と。
そらなあ、親族、あれこれ、応対してたら。又、諸般、気忙しくの、誰が来るも、考えてえへんわの。来て、見て、からでして。
要は、ここの三兄弟なるが、当方にしたら、年齢近く。されどの、東京方面やしなあと。会うの機会、僅少での、それこその、こんな機会にしか、会えず。
イヤ、むしろの、変な話の、加齢と共にの、叔父達の従兄弟も、当方に接近してるよに思え。年齢差、なら、そのままなれどの、この歳で、1歳、2歳なんか、無いも同然の。10歳、20歳も、以前の程にはなと。感じんです。
それでや、住職に挨拶の話、なれどの。小用済みの、住職控え室に入り。
宜しく、お願い致しますと、挨拶致しの。住職からは、逮夜の件。
初七日なるは、この日、骨上げ後に、致すですが。二逮夜<二七日>等々、百箇日の日程、このよにと。一覧表に明記されてましての、説明戴きまして。
での、本来なら、逮夜毎に、親族一同、集まり、しかるべくの、法要営むですが。皆様、早々には、集まれませぬ故、そこまで、キチリ、キチリは、不要ですと。へえと。
住職がそのよに云うなら、気が楽、気楽やわと。
大体が、真宗大谷派なるは、門徒、モノ知らずの、結構なると。
余りの、クドクド、細かな事、云われませんでして。
要は、気持ちや、気持ちの世界での。ご家族様の、気持ち次第での。供養なり、拝んで差し上げるで、宜しいですと。
親族一同も、濃い親族がで。話簡単の、要所、要所の、四十九日なりの、時、しかるべくのと。住職招きの法要なり、寺ででも、結構なると。その間の、どれか、都合の良い逮夜にての、親族のみでも、結構の、しかるべくのと。へえと。
親父の時にも、そのよにしてるカモでして。
確かに、逮夜、逮夜の、一週間毎に、親族集まり、住職に読経、法要、して戴くも、大変でして。
大変とは、正直、皆、近くなら、なれどの、相応の距離あるし。モと、正直には、諸般の費用、出費も嵩むわと。
よて、逮夜、逮夜の、七日毎には、基本、我々夫婦のみで、しかるべくのと。要所、要所で、集まれるの面々にての、しかるべくのと。
但し、四十九日なるは、正式にと、するのか、我が家ででも、菩提寺で、でもの、住職にと。
そして、墓参も致しの、会席料理でもと。
まあなあ、コレ又、正直、値が張るですが。ここは、一発、円山公園の、「いそべ」にでも、しよかと。
するに、諸般あるけどの、まあなあと。
までの、計画、住職には、してへんけどや。
「いそべ」云々なるは、後日、後刻に、決めただけの話の。10日の、住職えの挨拶では、七日毎も、基本、亡くなられたの日の前日よりの。その日を1日としの、含むの、七日目でと。
それも、基本、正午から、次ぎの日の正午までを、考えるですが。
諸般、皆様の、都合で結構なると。
そらなあ、基本、平日よりは、土日の方がで。無理しての、平日に、営むの事、ありませんですと。
より、多くの親族、集まれるが、重要也の。
そら、そでして。
(15/07/06)
NO.30 告別式の話(3) 喪主挨拶の話(1)
母の持ち物の整理。
まだまだ、あるです。
一気、やる気なら、出来るですが。矢っ張りなあ、四十九日、済んでからにしとこかと。思うのも、あるです。
よて、母の部屋、見掛け、何にも変わってませんでして。ゲート・ボール命の、入賞のメダルも、そのままでして。整理箪笥も、洋服箪笥も、そのままでして。その部屋に飾り付けしてあっての、骨壺置いてまして。
供物欠かさず、出来るの限り、線香点してるですが。部屋締め切ったら、線香の煤で、部屋の天井、煤ける故、四方八方の、八方までは無いけどの、解放してるですが。
本来、ロウソクなれどの、恰好したの、豆電球点し。これは、基本、四六時中。
この飾りも、仕舞えてからにしとこも、あってねえ。
要は、四十九日、過ぎてからが、本番哉と。
とかとか、線香については、外出時には、消すですが。
ロウソク替わりの、豆電球も、基本、消すですが。
そらなあ、線香と云えどの、火付けっ放しで、置いとけへんし。豆とは、云えどの、コレ又、同様での、多少は熱帯びるしなあと、外出時には、消すにしてるですが。出火でもしたら、大変でして。
オッとの、いやなあ、母の荷物も、少ないよで、多いねえ。
あの日、母の荷物、「こもれび」のを、引き上げるに、詰め所で戴いたの、段ボールに詰めたですが。フウンの、こんなモンかと、思たですが。家には、一杯あってねえ。
靴なんか、ダアレも、履かへんし、履けへんしで、粗方、処分したですが。
オトトの、それでや、「こもれび」には、葬儀次第、終え、その月、6月の14日。直近の日曜日には、担当ケア・マネージャーに連絡の上、その方の都合に合わせての、日曜日なれどの。嫁はんと、2人しての、御礼、お伺い致し。
イヤ、ご丁寧にと。
イヤイヤ、御礼とするのか、その手の事、するの方、少ないみたいでねえ。へえと、当方、当たり前に、思てたですが。
担当ケア・マネージャー曰くに、当方、頭が、着いてけへんかったのではと。我が母の様子、急激故にと。
その通りでして。
年齢が年齢故。又、ドクター<理事長>から、しかるべくの話、聞かされたの時、そは、長くは無いの哉と。とは、覚悟したですが。そは、長く無いと、近いとは、意味異なるわと。
少なくともの、今日の、明日の話で無いわと。
これが、2度目の話の、「同意書」を手渡されたの時には、コレ又、相応の覚悟したですが。コレ又々、今日の、明日の話で無いわと。
とは云え、会う度、様子の急変、察知なら、してるですが。
「同意書」に署名、担当ケア・マネージャーに提出した日にも、母の洗濯モノの、収納、回収してるですが。その以前より、会話なんか、してへんし。出来るの状態であらへんし。
これはなあ、又、出来ると、思てるわと。
よて、珍しくも、ベッドで寝てたのが、当方に気付いたのか、手をベッドの枠とするのか、手摺りに。そして、必死に起きたがてるのを、無理すなと。又、次回、多少なりともの、元気な時にでもと。云いたい事あればと。その時、聞くからと。
と、までは、云うてえへんですが。
実は、これが、最後になったですが。
トトトの、それでや。
先月、14日。
担当ケア・マネージャーに、御礼申し述べの日。同じくの、お世話になったの、現場の、介護士、看護師にも、御礼をと。
申せば、皆様、ロビーの方に、出て来てくれやはって。
ンの、実は、こちから、詰め所の方に、出向きの、御礼をと、思てたですが。ソラ、スグのそこ故、でして。
コレ、何を云うてるかと、なればの、母、結果的、退所での、「こもれび」には、居てませんの。最早の、我々家族、「こもれび」にしたら、部外者かと。
事実、部外者でして。母、居てませんでして。
母の部屋、ベッドも、余所様が、居てるのやなあと。多分、なら、なあと。
での、過日。
妹曰くに、5月17日<日曜日>、妹夫婦、「こもれび」には、コレが初めてなれどです。
母に面会の際、婿殿母、要は、妹の、義母。
「特別養護老人ホーム」に入所したと、母に伝えたならばの、「可哀想になあ。車椅子やなあ。」と、返答したらしくの、それが、最後の会話になったと。
へえの、我々とは、その当時には、その手、まともなるの、話、出来てえへんですが。したと、聞いて、ビクリしたですが。
にしてもの、当人、母自身、車椅子の分際のくせしてからにと。
イヤイヤ、その日も、当方、同行と、するのか、母の部屋等々、手続きの仕方も、知らんやろと、向こたですが。可成りの手違いにての、一緒には、建屋に入れてませんですが。
よて、その話の時には、「こもれび」の周辺で、イツ、着くの哉と。妹夫婦が、でして。待ってるの間でして。
ほならの、既に、入っててねえ。へえと。
とかとかの、その事の、詳細、割愛致すですが。
そんな次第の、斯くなるでの。
「告別式」も、進行。焼香、終えて。
菩提寺住職退席の、ここからが、この手、葬儀社、「シティ・ホール」での、イベントでして。
司会進行役が、最後のお別れですと。花をと。我々、親族に、又、焼香に参列の方々に。
コレ、辛いねえ。
或る意味、泣かせるよに、し向けてねえ。堪らんねえ。
当然の、当方、涙してるです。嫁はん、息子共も、でして。母の額、おでこを触り、頬触り。嫁はん、息子共々でして。
この辺りより、イヨイヨの、盛り上げ、イベント化での。
司会進行役、モ、これで、最後ですと。再度のと、当方、嫁はん、息子共、母に触り、触れの。
ンの、妹には、嫁はんが、促しの。最後故と。
ンンの、コレが、最後の最期也の、促されずに、来たは、母方、下の伯父の長男只1人。コレ、血縁でして。
残念乍らの、上の伯父のは、叔母のも、「告別式」には、来てませんでして。血縁なれどです。柴田のと、なれば、我が息子共以外、皆、母とは、血縁に非ず。
息子の嫁共はなの、小さい子はなの、仕方が無いわと。小さいのは、血縁なれどです。これらは、コレで、結構なると。
事実上、血縁以外で、母に触れたは、嫁はんダケでして。これはなあ、血縁同然でして。
オッとの、当方、花を、等々、一番の最初故に、皆が、やてるの時、誰がとなんかの、詳細一々の、見てへんわと。
そこまでの、余裕、あらへんしと。
只、主要なるはなと。
での、最後、蓋がで、その上に、花束をと、当方に手渡されの、置きまして。
そして、法名を。遺影は、長男に。骨壺、次男にと。
親族、最前列にと、嫁はん共々、促されの。ンの、イヨイヨの、喪主挨拶怪の。困ったなあと。
何が困るは、一連の、イベント、盛り上げにての、涙してもての、胸一杯。
片手に、ハンカチ、片手に、法名状態での。
まあ、ええかと。
ええとは、涙するを、胸詰まるを、避ける、ガマンするは、止めとこと。
正直には、この歳、ええ歳して、なれどです。喪主挨拶、度々の拝聴してるですが。喪主、涙しての、感涙しての、なるは、柴田の、下の叔父嫁の時の、喪主代行での、従兄弟だけなれどです。
これは、これで、拝聴の、感動とするのか、立派やなあと、感心したですが。年齢も、若いしと。
他の面々で、涙見せての、挨拶、知らんですが。
大体は、そこの宅様のご主人の、でして。挨拶なるは、代行での、長男なり、奥様がされてるですが。
ここだけの話の、えらいモンやなあと。涙1つ、見せずにでして。且つは、チャンと、紙に書いての、挨拶殆どでして。もしかしたらの、全部怪と。
ンの、当方、そんなモン、書いてませんの。さりとての、ぶつけ本番、でも無いけどや。一応の構想なら、練ってるですが。
問題は、デハと、司会進行役より、喪主挨拶と、促されの、ンンの、頭の切り替え、難儀するです。
こんな場、舞台で、突然では、無いにしろの、盛り上げられての、冷静であらへんでして。当方、それでのても、喜怒哀楽激しくの、表面に出るです。出るの方でして。
での、ででの、問答無用の、マイクに向かうは、結構の。
ンの、ンンの、第一声からしての、何を云うの積もりやったの怪と。
再度、申すの、頭の中、切り替え出来てませんでして。
(15/07/07)