シバケンの天国
<−介護・凡人の憂鬱ー>
−明日は我が身の話−

禁談・奇談VNO.2


禁談・奇談VNO.1

要介護[2]NO.1 見えるNO.3 禁談NO.9 禁談UNO.2
要介護[2]NO.1 見えるNO.3 禁談・奇談NO.9
番外・爺さん・婆さんの話 母入院NO.4 要介護1NO.3

題目一覧表

目次

禁談・奇談VNO.3

NO.20 ハタと、過日、過月の夢見の話(1)

NO.19 万事、滞り無くの話(14) 受付の話

NO.18 万事、滞り無くの話(13) 好物の話

NO.17 万事、滞り無くの話(12) 納棺師の話

NO.16 万事、滞り無くの話(11) 枕経も、滞り無くの話

NO.15 万事、滞り無くの話(10) 住職到着の話

NO.14 万事、滞り無くの話(9) 中身決まるの話

NO.13 万事、滞り無くの話(8) 日程決まるの話

NO.12 万事、滞り無くの話(7) 予算の話

NO.11 万事、滞り無くの話(6) 和服の話

禁談・奇談VNO.1


NO.11 万事、滞り無くの話(6) 和服の話

イヤイヤ、諸般。
この、5月から、6月、大変でしたです。
誤解、畏れずの、云うてもたらの、特には、5月。
入れ替わり、立ち替わりの、母えの面会でして。

当たり前に、当家、中継所でして。
そらなあ、母えの面会、してくれんとなと。当然の、我が家に、寄るの、べきでして。基本、熱烈の歓迎でして。
只なあ、茶も出さずは、出来ひんわと。茶を出すなら、茶菓子もと。
茶で無く、コーヒーで、洋菓子なれどです。コレ、頻度、増えれば、我が家の財政にも、影響致すわと。
そらなあ、5月4日には、親父の25回忌も催したです。コレ又、正直、モノ要りでして。
<参考=「不可思議の世界NO.29NO.30」親父の25回忌の話>

それもあるし、普段、年寄り3人。このところ、年寄り2人で、静かやわと。
そこに、息子共一家、孫共来るは。妹夫婦が、姪一家が、甥がと。賑やかで、結構なるが、前提の上での、コレ、重なってみいと。カラダ、気持ち、休まらんでして。常平生、日常からは、かけ離れてて。

母見たら、イツまで保つかと。明日は、我が身での。
小さいのがはしゃぎ回ってたら、ええなあと。されどの、怪我すなよと。寄って来てくれたら、嬉しいけれどの、その内には、爺婆なんか、相手してくれへんやろなあと。
いやなあ、そのギャップが大き過ぎて。その、とは、母の状態と、小さいのが、はしゃぎ回るの光景でして。

オッとの、での。
ドクターが消えての、看護師と、熟練介護士が、母の着替えの事、尋ねたですが。
どしますかと。

この時、曰くに、そのままで結構と、云う方もあると。
へえの、このまま怪と。それはなあと。
されどの、祖母、親父、その他、親族の時、どやったの哉と。思い出せんでねえ。
そもそもがの、介護施設で、そこまで、して戴けるを想定してへんです。
ソレ以前の、こんな時、そんな事、頭の中にあらへんです。朧気の、浮かぶは、白装束と、違うの怪と。そして、三角巾が想念されるですが。どやったの哉と。
そこまで、見てへん、覚えてえへんが、正直なるの。

にしたって、そのままの服装も可哀想でねえ。普段着で、汚れが散見してるしと。コレ、食べ滓でして。こぼれてまして。
嫁はん、申すに、兎に角、母の好きな、和服をと。母の和服も沢山あっての、どれにするかが、あるですが。どちみちの、当世、着るの用事無く。
諸般、妹にも、過日、この、5月、母の持ち物、見せててねえ。欲しいのが、あれば、どれでも結構の、貰てくれと。一部、持ち帰ったですが。残余のなら、こっちが、どしょが、構わんわと。

そんな次第の、斯くなるでの。
早速にも、家に戻りの。戻ったが、3時頃哉の。
嫁はん、和服を探しの、当方、順々に、母の事、連絡なれどの、長男家、諸般の、結果、嫁即のケータイに出てくれて。へえと、感心したですが。
次男家、次男が即ので、斯くのと。妹家、婿殿出ての、こんな時間に起きてる怪と。
親族も、優先的には、基本、ここまで、でして。イヤ、この時間故、それ以外の親族なるは、遠慮するです。気も使うわと。寝てるを、起こすのもと。

オトトの、トッとの、「通夜」「告別式」の日程、時刻、決まってえへんですが。
葬儀社、「セレマ」にも連絡をの。チョと、待ての、カレンダー見たら、9日<火曜日>、「友引」でして。
いやなあ、順当なら、その日、8日が、「通夜」で、明日、9日が、「告別式」に成るですが。日がズレるなと。9日、「通夜」で、10日に、「告別式」怪の、又やなあと。
云うてるは、私共夫婦、このところ、少々、お疲れ気味での、この日も、マダ、寝てへんしと。当方なら、3時頃まで、起きてるの事、あるですが。まあ、この時間、まで、でして。

この日、8日は、ここからが、実働、本番でして。寝てられへんぞと。
日が1日、ズレるも、チョとなあと。一気、葬儀、執り行うの方が、当方、当事者であるの、嫁はんと、2人、楽なれどです。気力、カラダがでして。
諸般の連絡には、1日、余裕あるの方がと、思うですが。仕方があらへんわと。まさかの、「友引」にはと。

オッとの、での、葬儀社にも、連絡をと。
イヤ、母をどこに移動と、葬儀をどこでも、あるですが。
コレ又、考えてるの余裕無くの。とするのか、相応に、考えてたですが。
親父の時には、選択肢、問答無用の、我が家でと。25年の昔やしと。「セレモニー・ホール」「メモリアル」云々も、極の少数派でして。
その当時には、当家、家族も、少ないわと。

息子共、小学生でして。
現在唯今、嫁居て、子が居て。人数、総勢何人やの。当方にしたって、何歳怪と。馬力も違うわの。我が家では、とても、とてもの、居場所無く。25年の昔なら、隣家にも、お世話になったですが。時代がなあ。環境がなあと。

実は、そんな事、考えても、してへんでねえ。
全くの、してへんは、嘘なれどの。近くに、「府民葬祭場」なるが、出来てるですが。過年、見学にも、行ってるですが。費用、安いみたいなれどの、チョとなあと。
イヤイヤ、近くやしで、町内会の面々、参列賜るに、便利なれどの、狭いわ、暗いわ、雰囲気がと。
そこで、町内会の方々、葬儀されるの事例無く。見学にての、候補地からは、消えててねえ。
矢っ張り、やるのならばの、「亀岡シティ・ホール」でして。「セレマ」でして。駐車場も広いし、建屋大きく、明るくて。従前、亀岡の方々、ここでして。

そんな次第の、斯くなるでの。
電話番号の確認含めの、電話一発、嫁はんが。
とりあえずは、正解の番号での、状況伝えの、後刻、再度の連絡すると。宜しくと。

水飲み、タバコ一服。さあ、行こかと。
母の和服、ええのを選んで、「こもれび」に、でして。
部屋では、既に、相応に進んでての、和服一式、介護士に手渡せば、ロビーで、暫し、待っててくださいと。

待つ事、約の、20分哉の、出来ましたと。連絡あっての、部屋に行けば、ンの、綺麗に化粧まで、してもろて。ンの化粧も、口紅だけなれどです。
和服も鮮やか、上品、落ち着いたの色合いの、草色の、でして。
嫁はん、曰くに、コレ、当方、母を伴いての、嫁はんの実家に、ご挨拶の際、母着てたの和服なんやて。
へえの、よお、覚えてるなあと。

この時、ロームの協力会社の、香川、高松、アオイ電子に嫁はん、勤めてましての。
出張での、常宿、「ホワイト・ホテル」で、初めて、嫁はんをば、母に会わせましての、明くる日、嫁はんを寮のソバに、迎えにの。
3人して、詫間、比地木の実家に訪問の。
ご両親、兄夫婦、姉夫婦に、ご挨拶致したわと。

乗ってたの、車。
買値、5万円也の、「5」ナンバー、中古の、「ボロ・バード」。これが、初の、普通車でして。
それまでは、再生車<中古>の、HONDAの、「NV」で。ガタガタになっての、新車の、HONDAの、水中眼鏡の、「Z」でして。
これも、ガタガタにしてもてねえ。
まあ、当たり前の、皆、若かったなと。
嫁はんの、和服の選択根拠、聞いての、フと、思い出し。
(15/06/18)


NO.12 万事、滞り無くの話(7) 予算の話

オッとの、「セレマ」には、ロビーでの、待ちの間に連絡してるです。
熟練介護士の指示に基づきまして、4時15分頃にと、との事でして。嫁はん、ケータイ一発、先様、仮眠中での、4時半にと。

母の着替えも終わって、介護士より、母の荷物をと。
意味なるは、まとめて、持ち帰るの意での。この時刻、部屋の皆様、就寝中なれどの、宜しいですと。
オッとの、トットの、持ち帰るの事まで、気が回ってえへんの、準備をしてへんでねえ。紙袋1つなら、あるですが。間に合わんやろの。段ボールなら、詰め所に居るの介護士に云うてくださいと。ハイと。

この日の当番、男性介護士でして。
来た時、1人、母が居たと、するのか、移動先の部屋で、我々の到着、待って戴いてたですが。段ボールをと、お願い致しの、紙袋と、段ボールに、詰め込んで。
車の、トランク・ルームにと。
にしたって、母の荷物も、知れてるですが。殆どが、着替えでして。
後、置き時計、小物入れ、眼鏡等々でして。

眼鏡ねえ。
コレ、4月の初旬であった哉の。母、眼鏡の上に座ってもての、フレームが折れたです。
よて、早速にもの、「アル・プラザ」の、「メガネの松山」で、新調したですが。昨年であったかにも、壊してねえ。この時には、万円のにしたですが。この調子では、又、やるやろなあと、その半額程度のに、してるですが。
こんなに短期間で、お役ご免に成るとはなあと。


イヤイヤ、事程左様の、最早の、この時には、夜も明け出しててねえ。
「こもれび」にての、ウロウロしてるの間にも。と、するのか、母の荷物、持ち物も、しかるべくの、引き上げ済んで。母の部屋に居てたの時、葬儀社の車が来てねえ。
男性2人で、まあ、云うたら、手際良くの、布なんやろかなあの、白いモノで、全身、くるんでもての、ベッドから、キャスターに移動させの。そのまま、車にと。

母、乗せたら、付いて来てくださいと。ハイと。
「こもれび」の方々には、お暇と、するのか、御礼の挨拶しての、デハと、嫁はんと、2人、葬儀社の車の後、追い掛けて。
着いたの先、「セレマ亀岡シティ・ホール」。

そして、母の入ったの部屋、霊安室。
ここでも、運んで戴いたの方、母の処理、諸般され。諸般とは、ドライアイス等々での。綺麗にされてるですねえと。ここから先、納棺の際、専門家が、やりますのでと。ハイと。
イヤ、母の首が、横向き気味での、口も開けっ放しでの。その辺りの処理の事でして。
曰くに、暫し、お待ちくださいと。担当のモノが来ますのでと。

この部屋、寒うてねえ。
さもありなんの、ドライアイスが、しかりの、冷房でして。
その、暫しで、担当者入室の、さての、ここからでして。葬儀をどんな具合にと。この方、運んで戴いたの片方での。
ここだけの話、説明下手。
まあなあ、当直で、寝起きもあると、思うですが。

基本、こっちの決断、選択が全てなれどの、こんな事、葬儀次第の打ち合わせなんか、慣れてえへんわと。
前回、喪主なるは、親父の時での、25年経つんやわと。

とりあえずは、「家族葬」にされますか。「一般葬」ですかと、尋ねられ。
規模、分からんでねえ。「家族葬」とは、どんなですかと、問えば、家族のみで、執り行うの、小規模葬ですと。その程度なら、承知の、人数具合でして。家族だけですので、10人、20人程度、ですかねえと。
20人となればの、息子共、一家、二家、含めただけで、10人でして。
そんな訳にはの、当然の、娘であるの、妹家も当然の、呼ばんならんしの。甥、姪、一家で、8人でして。
そこに、柴田家、親父の兄弟。母の、実は、津崎家と称するですが。親族とも、なればの、数、読めへんでねえ。20人は軽くの突破やなと。
イヤイヤ、親族、多くは無いけれどの、今、ここで、この場では、どこまでの範囲、来てくれるが、分からんわと。

それもあるし、町内会をどするやと。
母も、我々とは、ズと一緒での、町内会の方々も、承知して戴いてるです。
加えての、地の方々とも、付き合いあっての。当方よりも、数段の、顔広くの。広くともの、こっちが、苗字等々、知らんでねえ。こっちは、地で育ったであらへんし。

この辺りが、困るですが。
いやなあ、仏光寺の家なら、相当数の参列、焼香に来て戴けるですが。ソラ、瞬時、この件、広まるです。伝わるですが。
何分の、出身地と違うしなあ。わざわざの、地の方に、伝えに行くも、どかなあと。伝えたって、母の年齢考えてみいと。知り合いも、この辺りの歳でして。知って、来られるの怪と。

云うたら、当地に引っ越して来ての、亀岡の老人会、「亀楽会」の、大井町支部から、声掛かっての、入会してるですが。
何してた、かとなればの、ゲート・ボールでして。
それこその、母、元気な当時には、ゲート・ボール命で、週2回であったの哉の。近所の、云うても、1キロはあるですがの、「雨蛙公園」に出向いてたです。時には、大会で、「月読橋」のところに、行ったりと。
してたですが。
メンバーも、そのまんまの高齢化で、「雨蛙公園」の、ゲート・ボールも、ここ、数年、ダアレも、されてませんでして。


オトトの、「家族葬」「一般葬」ねえと。
「家族葬」で、ひっそりも、可哀想哉の。「一般葬」でと、返答致し。

での、「祭壇」はと。
コレ、一番下で、30万円也の、1ランク上がると、10万円。又、10万円加算と、相成るですと。どしますかと。問われたってなあ。さっぱりの、分からんわと。
一応の説明なら、してくれてるですが。それが、10万、10万の、加算されるの、値打ち怪と。

にしたって、一番の安いのでは、チョと、なあと。
コレなんか、こっちの、見栄みたいなモンなれどです。
よて、こんな話、嫌なんやけど、1つ、1つ、決めん事には、先、進まんわと。

ででの、気持ち、チョとだけ、上のでと、決めて、花の飾りを、どしますかと。どしますかが、又、困るですが。
曰くに、下のでは、寂しい故、その上にと。それにして戴けるなら、祭壇なるは、下げられても、宜しい哉と。
フウンの、それなら、それで、結構ですがと。

ここまで来て、先様、担当者、申すに、当方、「セレマ」の会員と、するのか、「互助会」にての、積立してて。コレが、2口有るですと。
とは、当然の、承知してるですが。
当方のが、昭和の時代の契約での、18万円の口での。嫁はんのは、平成時代ので、30万円也での。2つ共の、払込終わってるですと。
更に、曰くに、昭和のに、利息付かんですが。替わりに、特典、サービスとして、「祭壇」を3ランク上げる、等々出来るですと。ンの、えの、あのなあと。

当方の、あのなあ、なるは、この説明の仕方でして。
「祭壇」の事について、諸般、悩ませとき乍らのです。一番下ではなの、チョとでもの、上でと、するは、こちの、見栄哉、見栄也と、思わせ乍らのです。花の飾りを豪華にさせて、ならばの、「祭壇」、下げてもと、ウロウロさせとき乍らです。
結果的、会員特典での、3ランク上げるは、話の進め方、変やろなと。

最初に、ソレを云えと。
会員特典にての、「祭壇」は、3ランク上に出来るですと。さすれば、最低でもの、このランクに出来ての。このランクならです。花貧弱では、バランスがで、上等の方に、して戴けませんですかと。
そなればの、豪華絢爛、ご立派なる、「祭壇」で、花飾りに成るですがと。
こんな具合に説明、解説してくれたら、「祭壇」どするかに、悩まんわと。会員特典にての、立派なるの、葬儀に出来ると、満足するです。得した気分になれるです。下のを選択で、母に対しの、後ろめたいの、気、感じずに済むです。
ソラ、「祭壇」、可成り、高いしなあ。予算の事、考慮で、見栄張ってられへんしと。

さての、香典、どするやの。
コレ、「こもれび」から、「セレマ亀岡シティ・ホール」えの、道中、車内にての、嫁はんとは、相談の、決めたです。
諸般、町内会の方、一般の方には、香典、ご辞退申し上げの。コレ、当世、このところ、そんな仕来り、定着してもてて、逆らうのもと。
されどの、親族からは、戴くと。
又、参列者全員には、粗供養をの、その粗供養も、1個1080円也<消費税込み>でして。これが、何名様分かが、よ、分からんわの。とりあえずは、大見栄、200個。まあ、目算、100名様も、来て戴けるの哉、なれどです。残余は、引き取って戴けるわと。

トトトの、トットの、ここだけの話の、他言、どでも結構の、お寺さん以外の、「葬儀」だけの、「セレマ」のみの。会員特典、積立金、なんかを除外、したならです。
概算、目算、丼勘定的、150万円とチョと、哉と。結果的、追加あったり、差し引かれ、たりので、したですが。最終的も、概略、こんなモン哉と。
別途の、ここだけの話の、お寺さんには、ン十万円をと。「ン」では、さっぱりの、分からんですが。これが、案外にデカいなと。
されどの、25年昔の、親父の時と、同額なんやでと。
されどの、されどで、世間相場、よお、分からんでねえ。とは、云えどの、高くも、低くも、あらへんと。
とはとは、思てるですが。
(15/06/19)


NO.13 万事、滞り無くの話(8) 日程決まるの話

ほんまは、いらんのやけどねえ。
葬儀場での模様の写真でして。出来たと、「セレマ」の方、当日、諸般の担当して戴いたの方なれどの。持参して戴いたです。
コレ、見積書に記載無く。サービスなん哉と。にしては、立派なアルバムで、出来上がってまして。
多分なら、「遺影写真」として、28千円也が記載の、それに含まれてるの怪と。当然の、見積時、説明されてるの筈が、全然の記憶無く。
イヤイヤ、アルバムが出来るのダケは、承知してまして。イツ、出来上がるの哉と、思ててねえ。

での、雑談ついでに、見積担当の方の話、会員割引、特典で、「祭壇」を3ランク上げて戴いたですと、申したならばの。
イヤ、4ランク上がってるですと。へえと。
昭和に入会の、金利分で、4ランク上がるですと。そのよに、記録がと。フウンと。

実は、アルバム持参方々、「セレマ」の積立して欲しいの、勧誘でして。
此度の葬儀で、2口使てしもたが故でして。会員に成って戴ければ、諸々の特典、サービスがと。
ンの重々の承知の感謝してるですが。我々は、我々の考えあっての、会員となりの、やるべきをしたですが。果たしての、息子共は、どかと、なれば、分からんし。
心は、我々なら、こんな派手と、するのか、費用掛けたの、葬儀、不要と、考えてまして。

さりとて、この手の事、突然でして。予測出来ませんでして。
イザの時、慌てずに済むよにも、方策なれどです。
いやなあ、当方なら、この日の来る事、相応の、準備してたですが。何口も、何口も、掛けてまして。親父のは、自宅で、なれどの、「セレマ」、当時なら、「互助会」と、云うてた哉の、積立してて。
母のみ、しかるべくのと。
よて、その時、迷う事、無くの、「セレマ」に連絡したですが。まあ、再度の、息子共とも、相談をと、この場は、済ませたですが。

ほんとに、どなんやろなあと。
イヤイヤ、くれぐれもの、会員で、相当に助かってるは事実。
少なくともの、積立金、都合の、48万円也は、差し引かれ。会員特典もあるが故に、割引あっての。更なるの、このための、積立金、独自の、なれどの。それと、親族からの、香典にて、余裕持て、事、終えてるですが。

この、独自のが、無かってみい。とてもの、とてもやないの、葬儀も、さての、どするやの。悲嘆に暮れてるです。
こんな場、局面にての、金策等々、悲嘆に暮れるの間は無いですが。即応の、葬儀の準備等々、必要でして。あるから、見積の際にも、フンフンと、冷静に聞けてるですが。
一切、無かってみい。大変やぞと。
いやなあ、当世、互助の精神、町内会、一般の皆様の、香典辞退するの風潮、高まってるですが。ええの哉と。或る意味、水臭いの世になってるなと。思わんでも無いです。
そやけど、どこ様、香典辞退とされて。後発、右に習えとされてたならばの、最早の、香典受理なんか、出来ひんわと。

且つは、お寺さんの費用、当日でして。葬儀社えの、支払いも、即と、するのか、3日以内とされてまして。
表現、露わに、香典なるは、現金収入でして。粗供養なら、当日、手渡しまして。これも、1個、1080円也でして。沢山の方、来て戴ければ、嬉しくの。嬉しいの分、出費。
高額の親族のは、お返し、別途になるだけでの、その他のは、その場で、ケリ着くですが。

オッとの、金の話、好かんですが。
手持ち資金、金無ければ、葬儀も出来ませんでして。
我が母なんか、全然の、自身のを、準備してへんかったし、こちが、相応に貯めててねえ。この事態、本番突入も、特段の焦る事無く、進められたですが。遅れててみい。悲惨ぞと。
準備どころか、借金こっちが、全部を処理してて。我れ乍らに、嫁はん共々、よお、やってるわと。感心致すですが。

事程左様の、次ぎ、自分。
そは、遠くも無いの話やわと。どするやの。どしてくれるの怪と。ども、こも、万事、任せな仕方が無いの話やわと。
とは、云えどの、葬式代程度、残さんならんの怪の、我々夫婦、どなってるの哉と。
イヤ、やるべきを、それ以上を、やてるの、やったぞの、自負あるわと。
あっちの世界に行ったって、正々堂々の、後ろめたさなんか、皆目のと。
オトトの、まだまだの、この世の世界、一寸先、何があるか、分からんですが。
ここだけの話の、ここから先でして。我々夫婦の世界がと。成って、この歳になてもてるんやなと。


オトトの、トットの、での、話の続きをと。
この、最初の、見積担当、話の進め方、下手でねえ。
粗供養の話にしたって、「通夜」「告別式」の、両方いるの、各々、別のをと。されどの、値は一緒の、一律の、1080円也と、最初に教えてくれたら、事、理解、早いですが。

云うに、粗供養どれにしますかと。品は、コレコレでと。値はと、見れば、1080円が多いなと。
ではの、これが、ええのと、違うかと。嫁はんとの、話の。数は、どしますかと。この数も、挨拶状なるは、100枚単位で、8000円也の。粗供養なるは、余れば、引き取りますと。そかと。
目算、概算、200個でもと。ならばの、挨拶状も、200枚でと。

話、決まってから、コレ、「通夜」のでの、「告別式」のは、どれにと。ンと。
確かに、「通夜」と、「告別式」の粗供養、別のに、するべきでして。こちは、そこまで、考えてえへんわの。考え、及んでえへんわと。
大抵の、方々、そと違うの怪と。

とか、愚痴っても、仕方無くの。ほならの、挨拶状も、その倍。返品不可で、粗供養なら、出た数だけの分やなと。
まあなあ、挨拶状も、100枚もあれば、収まると、思うですが。万々が一の、突破してみい。恰好ワルツでして。我々が、です。
ンの、この手の事、全部、我々の事でして。喪主の、喪主一家の、恰好付けでして。どこまで、見栄張るかの、ここまで来て、ケチるもなと。200枚にしとこ怪と。都合の、400枚になるですが。

での、ででの、です。
肝心なるの話、なるは、日取り、日程でして。
この日、6月8日。「通夜」では、明日の、9日、「友引」でして。日をずらさん、ならんの。
ずらす、ずらさんも、ずらさざるを得ませんですが。ここから先、火葬場の空きの問題。お寺さんの、都合の問題あるです。

ででの、見積担当曰くの、お寺さんは、どされるですかと。
お寺さんは、呼ぶですと。当方より、連絡するですと。菩提寺、京都の、「光圓寺」でして。
担当、空きの件、確認の、10日なら、火葬場云々の、10時から、「告別式」にと。
9日は、18時でも、19時でもと。

へえの、まずは、その辺り、菩提寺に確認致すの、とりあえずは、9日、19時からと、決めまして。理由、特段のあらへんですが。
兎に角、お寺さんの都合の問題の。あかんなら、そちら、菩提寺で、何とか、手配、都合をと、相成るですが。時計見たら、既に、5時半頃になっててねえ。時の過ぎるは、早いねえ。
住職も、起きてるやろと、ケータイ一発、出て来てくれて。先様、固定電話なれどです。

ども、住職の、応答の様子、不元気でねえ。
ま、ええ哉の。こちの、予定、伝えたならばの、それで、結構也と。そですかの、先様、申すの、枕経はと。ンの枕経とは、何ぞやと。
このよな時、即の行うの、読経ですと。旅立つ方に聞かせるの経。安心して行きなさいと。フウンと。

これを、何時と、云われた哉の。失念の。多分ならばの、11時頃怪と。
この辺りから、頭は冴えての、されどの、記憶がの。カラダは気怠くのと。
そらなあ、昨日から、一睡もしてへんわと。バタバタ、しっ放しでと。
はきりと、覚えてるは、枕経終えて、昼食、「サティ」で、次男夫婦、妹夫婦の、6人で喰たなあと。矢っ張り、午前中に執り行おて戴いたです。

頭冴えては、眠気は吹き飛んでもてての、住職の、それで、結構ですの、返答受けて、以て、日程、決まり、での。
後は、連絡して無いの親族。町内会えの連絡等々、やらんならんなと。朝飯も、喰わんならんしと。
最早の、待った無しで、事、進むに相成って。
まだまだ、寝てられんの、亀岡市役所にも、しかるべくの、届け、出さんと、火葬も出来ひんしと。コレ又、最重要。
されどの、この辺りの手配、長男に託すかと。こちは、こちで、喪主としての、やるの事、想定出来るだけでも、一杯でして。
葬儀なるは、喪主は当然の、周囲大変やなと。
(15/06/20)


NO.14 万事、滞り無くの話(9) 中身決まるの話

この辺りより、記憶、曖昧での。
とりあえずは、概略の、予算決まり。
霊安室での、枕経の席、椅子の準備だけして、時間はあるしで、一旦、家に戻った筈の。
椅子の準備も、さあての、何人揃うかが、あるですが。
まあなあ、妹夫婦、次男がの、5人やろかなあと。結果的、次男嫁も、来てくれての、6人と、相成ったですが。
結果の結果的、この日には、濃い親族、全員揃たか、揃たは、明くる日であったか、曖昧でして。
イヤ、揃てえへんです。
長男家、到着、昼からの。妹夫婦、次男夫婦、枕経終えて、昼飯喰て、帰宅故。

我々、夫婦なら、枕経までに、一旦戻るも、そらなあ、顔洗てえへんし、朝飯、喰てへんし。町内会えの連絡もと。そおそお、親族えの、詳細、日程、連絡もと。
イヤ、ここと、我が家、車で、10分、掛からんでして。

パンと、コーヒーにて、ササと、朝食済ませば、主要、簡単なるの、メモ書き致し。組長宅えと。
概略の、香典、辞退と、町内会からの、バスの送迎場所、会議所なれどの、時刻もメモしまして。
マダ、6時半頃であったと、思てるですが。組長宅様、朝早いしねえ。
イヤ、コレ、筋でしての、組長より、区長えの連絡されたしと。町内会の皆様えの、通知、配りモノがあるし。コレ、区長の役目での、組長が、当家の事、知らんで、突然の、配付物ではなと。立場あらへんわと。
そして、親族えの、連絡なれどの、一発では、済まへんわと。皆が、皆、居てへんしと。

こちは、基本、その家の代表者でして。代表者も、叔父、叔母でありの、長男、長女でして。その家の、誰が電話口に出て来るかは、知らんけど。
そらなあ、あとは、そちの考えに、託すわと。更に、誰に連絡するを、でして。こちが、諸般、指示するも、僭越でして。
そらなあの、東京在住の従兄弟にしたって、三兄弟。三人に連絡も、してられんの、長男家に決まってるわの、この代表者でして。

ここから先の親族には、母の近況、知らせてませんでして。突然の話での、皆、へえと。そかと。
4月20日辺りからの、話、説明したりで、電話、ケータイなれどの、切ってから、しもたの、葬儀の日程、時間を伝えてえへんぞと。再度の電話したり。
オトトの、葬儀の場所を云うを忘れてたりで、又、電話したり。
伝えるを忘れてるを、気ぃ付くだけ、マシ哉の。この調子でして。兎に角、カラダが、痛い、辛い、シャキとせずの、気怠うて。
眠気、睡魔に襲われずは、気が張ってるのセイでして。

モ一発の、そらなあ、ブっ通しでして。完徹、何年、何十年ブリかいなあと。
新入社員時代、クレームにての、三日連続、完徹で、倒れたですが。倒れたと、するよりは、一旦眠気に襲われたら、起きるが出来んでねえ。若い分、尚更でして。
同期生にオンブされて、仮眠室かで、寝たですが。要は、自力で、行けませんでして。作業途中で、寝てもたから、でして。くどいけど、三徹でして。

以来哉の。マダ、あったかも、分からんですが。あっても、一日哉の。
嗚呼、あったなあと。出張前夜、MS−DOSの、パソコンを弄くってからにの、データーから、Osから、消えてもて。どもならずの、フォーマットからの、インストールするに、徹夜になったなあと。
ソラ、出張に、パソコン持参、常態化の、全データー入力してまして。
オッとの、コレ、自前のでして。会社からの支給なんか、してもろてえへんわと。バック・アップもバチリ。

オトトの、何の話、してるの怪の、母の件。
兎に角、まだまだ、親族全員には、連絡出来ぬのまま。この日の、多分ならばの、午前中には、出来たですが。
母1人にしとくもなと。
住職が来るまで、用事あらへんですが。家に居てても、落ち着かず。
祭壇に飾るの、遺影写真の候補も、探さんならんですが。探したですが。次男嫁にも、ええのを、持ってえへんかと、パソコンに電送してもろたり。

話、前後するですが。
どれにするかの、決定、この日、8日の夜になったですが。ソラ、明くる日には、持参しんならんしで。
長男含めて、どれにしよかと。

いやなあ、親父の時にも、そやったですが。
親父は、マダ、撮らせてくれたですが。息子共、親父の孫なれどの、一緒に連れてたの際、適当に、パチパチと。25年の昔故に、写真撮影、その以前なれどの。遺影写真、意図しての事なれどの。そこから、選んだですが。

母のはなあ、察知してるかで、まともに、撮らせさへんでねえ。
正月であったり、誰か、孫の、誕生日祝い等々、全員揃たの時、孫共、母の曾孫なれどの、一緒に、この当時には、デジタルの、ビデオ、写真機であったりの。長男も、次男も、ええのを、持っててねえ。
明確なるの目的、遺影写真のためと、伝えての、撮影なれどの、顔、横向けてたり、不機嫌なるの、表情してたり、してて。

そんな中、一時、「ふないの里」の、「リハビリ・センター」入所の時、あっちでの行事哉で、撮ったの写真で、ええのがあって。
自然なるの、笑顔のが、でして。コレにしよかと。したですが。

その昔のは、当人の、首から、上だけの、顔を抜き取り、喪服に着せ替えたり、してたですが。
当世、そのままに、してくれるです。
イヤ、その写真、普段着なれどの、異質で無くて。セレマ担当者曰くに、例えばの、パジャマ姿なら、着せ替えるですが。出来る限りのそのままの写真で、余計な箇所、修正するの程度ですて。
イヤイヤ、出来上がったの写真、宜しいねえ。その自然なるの、笑顔での。「ふないの里」での、写真故に、そも、昔で無くの、2年、3年哉と。


オトトの、トットの、そんなにユクリと、してられんの、母、1人にしておくもなと。
枕経で、住職来るの、までにはの。何時に家出たかは、忘れたですが。その時間には、充分の。
行けば、葬儀次第の、担当者との、打ち合わせがあって。
要は、具体的、時刻表でして。中身詳細でして。
納棺何時、11時。以降に、親族控え室も決まるですと。花は、どするやの。「通夜」の、料理、何人分。「告別式」後の、料理、どれにしての、何人分等々での。この方の説明なるは、分かり易く。

概ねの、席、テーブルの配置図あっての、ここに、こんな具合に、「通夜」の料理置けばと。
「告別式」の料理なるは、基本、値が張るですが。ここだけの話の、他言結構の、2種類あっての、5500円、6000円也の。何が、ど違うかとなればの、当然の、中身違うの。正直、6000円の方が、差額、500円以上の値打ちですと。コーヒーも、付いてるしと。
コーヒーねえ。欲しいねえと、一発、決定。

いやなあの、花も、これだけあれば、親族のは、いりませんでっせと。フウンと。
コレ又、親族には、香典が。場合によりの、遠方よりの。交通費、そのものが、バカに成らずの。出来る限りの負担軽減もと、思うですし。
ならばの、いらんに、しとこ怪と。しとこと。

での、曰くの、当日のは、珍しくもの、2件だけですて。
別途の先様、家族葬ですて。フウンと。
よて、当方、当家のは、広いの間、大ホールで、出来るし、確保しとくですと。えと。

イヤイヤ、ここ、「亀岡シティ・ホール」には、何度も、何度も、来てるです。
町内会の方々の、葬儀にでして。参列してるわと。
よて、建屋の、中身、概略承知の、担当者の言、重々の、ソラ、豪華絢爛の、有り難いですが。
されどの、大ホールでは、広くに過ぎるわと。
担当者返答するに、えやないですかと。
(15/06/21)


NO.15 万事、滞り無くの話(10) 住職到着の話

いやなあ、当地、亀岡出身ならです。
参列者も多いと、思うですが。
当方、現役でやってるならです。会社関係の面々も、参列してくれると、思うですが。違うしなあ。
母も、モ、チョと、若けりゃ、友達も、来てくれると、思うですが。御歳、92歳。
生存でも、皆様、相応の歳での、来るも大変でして。

息子共にしたって、嫁でも、です。
当地、亀岡で、勤務してるで、あらへんです。
我が祖母の時<京都>、親父の時<亀岡>には、まあ、云うたら、上司が、同僚が、部下が、参列してくれたですが。
これがなと。会社も、時代も、諸般、違うしと。
勤務形態、職場状況、その他諸々あっての、無理やろと。

いやなあ、首切り、リストラ、頻繁なれどの、ロームは、その辺り、だけは、マメとするのか、でして。
事、葬儀となれば、京都から、滋賀えでも、どこえでもと、までは、別としての。その、滋賀になら、参列に出向いたわと。当方にしたって、度々でして。部下の、同僚の、ご両親、祖父母であっても、でして。コレ、会社からと、するよりは、自身の考えで、行動なれどです。
所謂の、冠婚葬祭にはなと。仲間内なりで、相談したり、致してねえ。一緒にと。
下手したら、退職後でも、連絡あっての、出向いたですが。まあなあ、退職しての、1年辺りまで、なれどの、これは、当人様の、でして。

そんな話は結構の。
我が親族のでも、諸般、参列するに、会社からは、少ないねえ。殆ど、来てへんねえ。
とは、思うだけの、実際には、参列者の中身不明の、区別付かんですが。そやからと、概ねの、年齢、雰囲気で、分かるけど。注視して、たらなと。
そんな事なら、話、前後するですがの、母の葬儀で、2名様、さっぱりの、知らんの若手が居たですが。若手故に、母の友達で、あるの筈は無くの。誰なんやろなあと。他は、全員、承知の方、親族以外のは、町内会でして。近在の方でして。
内の1人、嫁はんの、らしくの、ならばの、モ1人が謎でして。


オトトの、そんな事で、担当者より、大ホールでと、して戴くですと、云われて、ギクリ。
そらなあ、嬉しいは、嬉しいですが。器<うつわ>デカくとも、参列者、チョロで、空席目立つは、恰好ワルツやしと。
さりとての、狭い、狭いの、極小ホールでガマンせよも、バカにしやがってと、相成るですが。
話簡単の、大ホールとなればの、親族以外で、軽くの、200名様以上の参列可能で、盛大でして。

云うたら、町内会、110軒でして。
大抵ならばの、町内会からの、参列、まあ、20名、30名様も、来たはたら、マア、そんなモン哉の、結構なるの範疇。
当地、亀岡で、働いたはったの方の葬儀なら、町内会のなんか、極の少数での、探すに一苦労。コレ、当然の、当人、親族、ご家族の、年齢にもよるですが。
ここだけの話の、ここ数年、当地で、勤務の方多く。となればの、その関係の方やろなあの、相当数でして。座り切れずの、立ち席でして。小ホールでが、殆どなれどの。小ホールでも、軽くの、100名様分はと。
されどの、年齢的、高齢の方、ほんとに、可哀想な程に、少ないねえ。

大ホールでなんか、入ったは、たたの、1回哉の。町内会の方に非ずの、その上の、大井町でして。区長時代哉と。
ゲの、母も、その可哀想の口になるの怪の。大ホールで、器のデカいの分、際だつですが。まあなあ、ええかと。母、派手好きでして。
供養や、供養也と。

事程左様の、運良くか、悪くか、大ホールに決まったですが。
こちの、要請で無いは、ハキリと、申し添えとくわと。それこその、見栄でも、何でもあらへんの。偶々の、珍しくも、葬儀、他1件でして。そちは、家族葬で、こぢんまりでして。こちは、一般葬故でして。

つでになら、家族葬で、ほんとに、同居の家族だけでなら。町内会に、連絡せずなら、安くで、済むですが。
家族葬でも、親族、呼んでみい。一般葬と、殆ど、費用的替わらんのではと。
コレ、結果的に、つらつら、思うの事、なれどです。

そらなあ、粗供養なるは、参列者の分でして。
何に費用掛かるかの、祭壇が最大哉の、これを、抑えたならです。
後は、親族での、「通夜」の、「告別式」の後の、料理でして。飲み代でして。コレ、人数相応での、あとの、ホール、控え室の借り代なんか、一緒と違うの怪と。

での、此度の、当家、祭壇なるは、我が契約分、昭和の時代の故、金利分をランク・アップして戴いたの、ダケでして。見合うの花飾りで、その分、祭壇立派で、豪華絢爛に相成って。
結果的、大ホールでと。


ででの、話、進めるに、当方、夫婦なるは、一旦、家に戻りの、諸般、手配で、「亀岡シティ・ホール」に来たですが。
間も無くの、伏見の、妹夫婦が、次男が、その嫁がと、到着致し。
長岡京の、次男家、バラバラになったは、次男、電車で、取り急ぎの。嫁、諸般の用事で、車でと。
明日、明後日の、「通夜」「告別式」に参列のため、昼からは、出社で、諸々の、手配等々、せねばならぬと。
要は、この日、8日なるは、時間裂いての、こっちに、でして。

長男家なるは、神戸やしなあ。
こちに来たら、そのまま故、礼服等々準備も致しの、こちに着くは、昼過ぎ哉と。

オッとの、そんな事で、11時からの、枕経に参列の、面々、来るべき、来たですが。
肝心の、「光圓寺」住職が、です。
11時と、当人、申したですが。「亀岡シティ・ホール」には、初めてらしくの、されどの、まあ、大丈夫と、云うてたですが。待てど、暮らせどの、見えへんでねえ。
イヤ、ホール玄関先で、来るの筈の方、注視してたですが。タクシーが通れば、あれ怪なと。

デハと、寺に、ケータイ一発、ダアレも、出えへんし。住職のケータイ番号、知らんしなあ。連絡取れずの、困ったなあと、妹婿、次男と、三人しての、玄関先で、見張ってたですが。
ンの、現れた、見えたは、タブレットの、多分なら、GPS機能で、道案内、地図見乍らの、こっちえと。歩いてるの姿をでして。
見えたが、10分遅れでねえ。見えて、ホと安堵は、したですが。

あのなあの、タクシーで、来やへんの怪と。
まあなあ、亀岡駅からの、距離微妙での、1キロ程での、タクシーで、来る程の、でもあらへんですが。歩きで、充分なれどの。
コレ、時間的、余裕あればの話やしと。遅刻や、遅刻やでと。
(15/06/22)


NO.16 万事、滞り無くの話(11) 枕経も、滞り無くの話

いやなあ、結果的、会社関係なるはです。
会社でも、無いですが。
「こもれび」から。コレ、9日であったかに、担当ケア・マネージャーより、葬儀日程の問い合わせあっての。
イヤ、弔電の事やなと、察知致したですが。

当方、ロームは退社してるですが。「OB会」なるがあっての。年会費、1千円拠出してまして。
年に一度なり、旅行とか、ゴルフ大会してるですが。会社からの、巨額の補助金出ての話の、当方、その手の、興味も、趣味も無く。一度も、参加してへんですが。
この、「OB会」に所属で、しかるべくの際、ロームより、弔電、くれるになっててねえ。
正直なるの話、それがため、所属してるよなモンでの、電話一発、何親等まで、怪なあと。問い合わせ方々、請求致したです。まあなあ、2親等故、親なら、充分の該当でして。
にしても、会社の代表電話番号、覚えてるです。まあ、間違い無いやろと。間違い無かったですが。

いやなあの、再度の、息子共も、手配致しての、その勤務先からも。
諸般の事情にての、参列出来ぬの柴田家従兄弟からも、弔電くれて。
又、亀岡市役所えの手続き、死亡届けをば、長男に託したですが。
その際、窓口にての、新聞掲載して宜しいかと。ハイと。
市長からの、弔電、いるですかと。ハイと。

結果の、結果、弔電なるが、5通に相成っての、表現的、異なれどの、恰好付いたです。
正直、この広いホールで無いならです。弔電までは、気にせずの。年会費云々あるけどや。保険的での。状況的からして、なくてはならぬに相成ったわと。

ついでの、余計なるの話、セレマの、担当者より、弔電、読むの順番、決めて頂戴なの、要請ありの。市長なるは、宣伝故、最後にしたなら。
イヤイヤ、コレ、最初にして頂戴なと。へえの、そんなモン怪と。

ほんまに、ほんまやでと。
弔電も、届いて、「こもれび」「市長」だけやてみい。悲惨ぞと。瞬時、終わるわと。そんな事で、来れぬの、従兄弟からのも、有り難く。


ででの、枕経も、滞り無く。
住職、これで、場所、分かりのと。
あのなあと。
とは、申してませんですが。
肝心なるの事、ズバリ、聞くは、一時の恥と、「通夜」「告別式」に加えての、当日、やてまうの、「初七日」含めの、「御布施」とするのかの。
コレ、表書き、どんな具合にと。
問えば、サテの、どんな具合哉の、余り、見てませんねえと。へえと。
まあなあ、中身やわと。
での、住職曰くに、明日には、真宗大谷派故の、「法名」持参致すですと。

更に、住職より、問うに、1人でやるですか。2人で、ですかと。ンと。
坊様、1人、2人は、こちで、決めるの怪の、よお、知らんですが。当方、承知の範囲の葬儀でなら、1人で、読経されてまして。2人もは、いらんですと。費用と、するのか、「御布施」も困るしと。
との、「御布施」の事までは、口にしてへんですが。

以て、住職退散の、お見送り致しの、さての、昼食。
どこでは、「サティ」で、でもと。皆で、行きの。皆も、我々夫婦と、妹夫婦に、次男夫婦の6人でして。
注文のが、出て来ても、喰えへんでねえ。腹減ってはいるですが。イザ、喰うに、喰う気に成らず。それもあるし、葬儀の件での、ケータイに電話あったりでして。場所は、ここ、ここと。
説明も、難しいなあと。
急ぐの、昼から、出社の、次男夫婦は、この場で、さいならと。明日は、納棺10時やしなと。

残ったの、4人、「亀岡シティ・ホール」に、戻りの、妹夫婦は、そこで、サイナラと。車で来てる故の。2人を、我が愛車に乗せて、昼食に行ったの、だけでして。
での、更に、残ったの、我々夫婦、母1人にしとくも、可哀想故、霊安室に戻り。戻っても、するの事、あらへんけどや。
イヤイヤ、寒いねえ。ドライアイスと、冷房と、母含めの3人だけ故、尚、寒く。

そんな事で、一応の日程、打ち合わせも終えてましての。
さての、考えとかんならんは、「告別式」最後の、喪主挨拶でして。担当者より、模範例と、するのか、こんな具合にの、紙戴いてるですが。そんなモンなあ。見て、読んで、参考にしての、原案、考えるの怪の。
目も通さずでして。
本番、喪主挨拶にての、思うの事、云えたら、充分でして。

問題は、何を云うかの、難しいわと。
冒頭文句、決まってるやろと。
「本日、お忙しいところ、母、某の葬儀に参列賜りまして、有り難う御座いました。」

「大正12年5月14日」までは、結構も、そこからでして。出生、云々、挨拶で、云うの怪と。
「京都、下京で生まれまして。」も、結構も。ここから先の、その父<祖父>の事触れるかをでの。
コレ、云うを、大いに、迷うの、当方、承知の、耳に、タコ、「近衛騎兵」。

イヤイヤ、大したモンでして。そは、易々の、成れへんわの。
只なあ、落馬が原因にての、短命でして。結果的、両親早くに亡くしの、そんな意味からは、早くからの、苦労致し。兄2人と、妹1人。母、奉公に出されたと、云うてたですが。

その奉公先、承知してるです。
承知も、船岡公園の近くでの。船岡公園と、なればの、期せずしての、我が親父の、従兄弟<我が祖母の中手妹の嫁ぎ先>が住むの、大徳寺のソバでの。当然にしての、大徳寺のは、親族での。どちにも、度々の、行ってるわと。

実は、私共夫婦の仲人を、そこの方。云うても、奉公してたの、祖父母世代の方で無くの、母と同世代のご夫婦なれどの、頼んだですが。
いやなあの、そのご主人、男前でして。
この辺りの事、触れ出したら、際限無くなるですが。そこの婆様、料理得意で、行けば、よお、来たなあと、ご馳走してくれたですが。
爺様も、ええ方での。要は、当方をば、孫の如くに、可愛がってくれて。
正月には、年始の挨拶で、お年玉戴いたり、してねえ。
まあ云うたら、血縁の無い、親族みたいな、家でして。

オッとの、話、逸れたですが。
母の父が、「近衛騎兵」ねえ。喪主挨拶にての、触れるか、触れんかを、大いに悩みの、結果、止めるにしたです。
話簡単、自慢たらしいてねえ。それで、何やの、落馬云々なんか、云うてられんの、奉公の事もなと。
母の、自慢の話だけに、口にするダケでもの、話、詰まってまうわの。その意なるは、必ずや、涙してまうは、決定、確定。
当方、感情移入、激しいて。且つは、急激での、そらなあ、諸般の光景、頭に浮かべば、ウとなるです。
自慢しいの、母の言でして。

はきりとは、ソレ云うてくれと、云い兼ねんの母でして。
唯一の自慢話でもあっての、ソレ、思ただけ、感じるだけでも、アカンわと。当方がや。ウと、喉が、声が、詰まるの意での。
加えての、町内会の面々に云うたって、しょがあらへんわと。
話も、続かん、続けたら、長<なご>なてもての、焦点呆けるし。本命の話なるは、さての、何じゃと。
決まってるわの、決まってても、どこまでをが、あてねえ。

事程左様の、枕経等々、事、進み出せば、10日、「告別式」での、喪主挨拶せねばの。
諸般、諸々の、喪主たる、雑用一杯、参集の親族等々をば、ほったらかしも、出来ひんやろなの。紙に書いての、時間なんか、あらへんわと。書いても、練習出来んわと。そんな時間、あらへんわと。
とかとかの、霊安室、静かなるの場所、するの用事無いの場所にての、構想練ったり致してねえ。
(15/06/23)


NO.17 万事、滞り無くの話(12) 納棺師の話

での、後日、葬儀次第終わって、我が家にて。
その話、母の父親、「近衛騎兵」の件、聞いてるやろなと。息子共に問えば、聞いてえへんと。へえと。信じられんなと。
イヤ、息子共、学業終了、就職にての、家出るまで、皆、一緒での。
当方なら、耳タコの話故でして。当然の、聞かされてると、思てたですが。

ほんとは、この辺りの事、モと、話も、したかったですが。葬儀、終わったばかりで、その気になれずで、中途半端に終わったですが。
ついでになら、その父、我が祖父なるは、名は、「平八」でして。何故か、母親の名を聞いてえへんでねえ。
大体が、根堀の葉堀なんか、聞かへんわと。ポロリと、漏らしたの話、親族の話等々、覚えてるのダケでして。
イヤイヤ、「平八」が、「近衛騎兵」の事なるは、再度の、耳タコでの、重々の承知してるです。
どちにしたって、我が家族、親族の話も、こんな機会で、無ければ、致しませんでして。当方がや。

にしても、こんな時、寂しいねえ。
これが、現、同じ屋根の下に住むの家族と、云えば、この人数でして。3人でして。
自宅での、葬儀なら、賑やかなんやろなあと。その替わりに、狭あて、居場所があらへんですが。ご近所にも、諸般、面倒掛けるに相成るしで、当世、自宅での葬儀、殆ど、聞かへんし。
イヤイヤ、それが、従前の葬儀でして。
皆が、皆、そなら、何とも、思わんですが。そでないの風潮、葬儀社で、執り行うが主流なら、そのよにと。

自身なら、どなん哉と、なればの、悪いけど、自宅より、送り出して欲しいなと。
我が家でして。自身の城でして。築き上げたのモノでして。嫁はんと、2人ダケで、でして。その頃の実情、許せばの話の、嫁はんも、我が家からと、思うですが。当人には、聞いてえへんしで、分からんけどや。
まあなあ、とは、希望でありの、死んでもたら、分からんわと。

いやなあ、つらつら、考えるに、思うにです。
生命とは、摩訶不思議なモンやなと。こんなモンなんかと。
心なるは、意なるは、最早の、物体でして。モノでして。概念的には、なれどです。
先刻、数時間、十数時間、以前には、息して、動いてたモノがです。生命無くなれば、全くの、動かんのやなあと。屁理屈、理屈でなら、動いてるけどや。

モ一発。
コレ、赤の他人やてみい。見知らんの人やてみい。
こんな場、霊安室で、一緒やてみい。気色が悪いやろなあと。それも、2人っ切りやてみい。嫌やろなあと。そんな経験あらへんしで、知らんですが。逃げたいの気分になるやろなあと。
母故、どちかが、小用なり、野暮用なり。当方なら、タバコ一服、吸いにで、外に出ても、です。出たら、1人だけと、するのか、母と、2人切りでして。
されどの、特段の、何とも、でして。これが、親族なんやなと。
むしろの、出来るの限り、一緒に居てやろと。夫婦2人で、居たですが。

それでや、ここからが、記憶曖昧のです。
長男一家、我々、ここに居た時、到着したの哉と。
はたまたの、一旦、帰宅したの時、到着かが、定かに非ずの、非ずともの、大した話に非ずの、どでも、ええ話、なれどです。
イヤイヤ、この日、当然の、霊安室の母をば、長男一家、皆、会おてるの筈の。単に、枕経には、間に合わずのダケでして。

での、全然の、昨日より、一睡もしてへんですが。眠とは、ならんでねえ。気が張ってるからと、とも、云えるですが。
腹、減ってても、喰うの気にも、ならへんし。問題は、明日<9日>、「友引」がため、「通夜」で、その明くる日<10日>、「告別式」での。要は、明日からが、本番での。
「納棺」、明日でねえ。朝の、10時からでして。
嫁はん、着付けで、8時からと。


斯くしての、その、「通夜」の日。その前の、「納棺」なれどの。この時には、血の濃いの親族、全員、集まったですが。
妹夫婦と、その息子<甥>2人と、その娘<姪>一家<4人>。
我が長男一家<5人>と、次男一家<3人>でして。
合計、18人。

そんなにも、広くも無いの、霊安室での。
そこに、映画、「おくりびと」でも知られるの、納棺師が到着の。
これが、男女、2人の。ども、女性の方が、主哉の。イヤ、若い方でして。
母の服装なら、草色の和服を着てましての。コレ、「こもれび」にて、やて戴いたですが。綺麗にされてる故、これは、このままでと。

オッとの、この時、棺に入れてやるの、モノ。持参してるです。
母、「謡曲」をやっててねえ。その本、ン十冊、百冊哉の。沢山あっての、これを十冊、二十冊程度、入れてやろかと。そもそもがの、その和服も、それの時にも着てたの哉の。可成りの、上等の、でして。
そして、「謡曲」の、扇子に、母の刺し歯も、持参してると、するのか、我が小物入れに入れててねえ。

他になら、ゲート・ボールの用具もあるですが。金属製の箇所もありので、大きくて。チョとなあと。
そのゲート・ボールで、戴いたの、メダルも沢山あるですが。これも、大きく、金属製での、チョとなあと、止めたですが。


いやなあ、感心したです。感動したです。納棺師の所作が、でして。
慣れたはる、仕事であると、申せば、その通りで、御座候の。それ切りの話に相成るですが。
思うは、所詮は、他人様でして。余り、気色のええのモノで無く。
我々なら、ソバ、寄るだに、嫌なれどです。他人様に接近が、でして。

それを、素手で、触らはてねえ。
当方にしたって、素手で、触ってるですが。コレ、母故でして。息子共から、したらの、祖母故でして。長年、一緒に暮らしてたしなあと。
されどの、遠巻きの、血縁親族、居てるですが。
まあなあ、諸般諸々の、考えありので。我が孫世代ならばの、血縁も、年齢的、意味も分からずの、母にも、馴染み薄く、なれどです。

いやなあの、頭、起こしの、持ち上げたり。
頭を出来る限りの真正面にと。宜しいですねえの。ハイの、宜しくと。
顔は、綺麗なれどの、産毛剃って、口紅もと。色、替えて宜しいですかと。親族の方々が、施されてるなら、なれどと。ソレ、当方やてませんでの、しかるべくの、方でして。
ならばの、そのよにさせて戴くですと。ハイの、宜しくと。

での、一番に感心したは、棺に入れるべくの、刺し歯。
「こもれび」より、袋、コレ、薄手の手袋なれどの。それに、入れてたを差し出せば、です。イヤ、受け取ったの、そのままでの。
イヤ、刺し歯なるは、モノによりの、困るの場合あっての、確認のためと、その袋、びりびりと、破りの、取り出しの。コレ、素手でして。へえと。

当方、母のでも、口中の、刺し歯故の、素手で触るは、諸般、遠慮したですが。再度の、実の息子が、でして。恥ずかし乍ら、でして。
それを、ためらい無くの、袋、破りの、スと、出して。見て、コレなら、大丈夫ですと。へえと。
仕事、とは、云えどの、凄いなと。そのプロ根性がです。万事、素手。

この行為、感染症の事もありので、危険なるの、所作でして。
何よりも、他人様の刺し歯なんか、当方、素手では、絶対に触るの嫌でして。親のでも、嫌でして。諸般、袋に入ってても、その袋でさえを、触るが嫌の、面々、居てるですが。そこまでの、極端なるの、嫌悪感、潔癖症でも、あらへんですが。
さりとての、現物をば、素手で、触るは、思てもいてへんでして。
精々が、袋の上からの、確認と、思てたですが。へえのと。

この辺りより、寝不足で、尚更の、頭朦朧、しては、いるですが。
頭ならばの、ガンガン、カラダも、気怠く、シャキと、しやへんけどや。食欲もあらへんしと。
自身、動作緩慢、思考回路、鈍足、呂律回らずと。自覚しの、感じてるですが。
喪主故、気だけ、張て、周囲の事、見えてるです。見えてても、動きの取れんの事、多く。
(15/06/24)


NO.18 万事、滞り無くの話(13) 好物の話

オッとの、誤解無きよにの。
刺し歯、素手で触るは、チョとなあと、遠慮した。
とは、申したですが。

母が喰たモノ、吐き出した時には、咄嗟、自然、素手で、手の平にて、受けてるわと。
そらなあ、晩年、我が家でも、やてるしと。「こもれび」でも、時折、あったし、5月に入って、諸般の面会に、付き合うの際、オヤツの、マシュマロ、食べさせての、吐き出したですが。
当方、受け取り、口のハタも、手の指も、綺麗に拭いて、やてるわと。
「こもれび」では、床を汚してならじで、家では、畳をでして。
着てるの服も、汚したら、困るしと。それでのても、日々、日を追うに、衣服が汚れてて。

ならばの、母の刺し歯と、喰たモノ、吐き出しと、何が、ど違うかと、なればの、一緒やわと。
単に、状況異なるのダケの、咄嗟の行動と、袋なりに、入ってるの差哉と。
これも、ソバに居てるの時、外れたりしたら、咄嗟に、素手で、処置してるわの、してるやろなあと。
これが、袋に入ってたの、ダケなれどの。この段階では、正直、素手では、遠慮致すわと。

変な話、余所の、見知らぬの方のなら、その袋さえ、触るが嫌なれどです。
これがなあ、親族なりのなら、どもあらへんですが。この親族の、範疇も、難しいなあと。

いやなあ、過日、過月、一昨年であったかに、痰を拭いた、出した、ティッシュを入れた、紙袋が、「こもれび」のテーブルの上にあったですが。入所してるの、見知らぬの婆様が、これを、これをと、指指した時には、委細構わずの、素手で、処分しよとしたわと。多分なら、処分して欲しいの意やろと。
触って、ベチョと、気色の悪いの感触あったですが。一旦、持てしもたら、一緒やわと。
これも、咄嗟の事での。この手の事、慣れてると、云えば、慣れてまして。母の事、やてるの故での。汚ならしいと、なんか、感じてたら、介護なんか、やてられへんわと。
オッとの、汚らしいは、汚らしいわと。触るに、快くは、思てえへんわと。されどの、そんな事、日常茶飯の、常態化やしと。

ここから先、嫁はん、息子共、その嫁、孫共のなら、どかと、なればの、その手の事、あったとても、基本、汚らしいの概念、あらへんなあと。
コレ、不思議やねえ。
ここだけの話、でも無いの。嫁は、当方との、血の繋がりあらへんですが。云い出せば、嫁はんも、でして。されどの、ども無いなあと。
ならばの、何故に、実の母の刺し歯、抵抗感あったの哉と。よおは、分からんわと。むしろの、袋に入れて無くての、そこらに置いてあれば、サと、素手で、でもの、触りの、処置してるの可能性がと。

されどの、これが、よお知らんの、赤の他人様のなら、よ触らんです。
完全、徹頭徹尾の、徹底的、汚らしいわと。下手したら、見るをさえ哉と。
我が孫のなら、オムツでも、触るですが。コレ、全くの、汚らしいとは、思わんでして。されどの、可愛らしくともの。余所様の孫のは、嫌でして。咄嗟になら、分からんですが。
その咄嗟も、嫌がりの、咄嗟に、避ける、逃げるの面々、居てるですが。当方、それは無いなあと。

まあなあ、当方、基本、年寄りには、慣れてるわと。
そらなあ、生まれて以来、ズと、祖母も、親父も、母も、一緒やしと。
祖母の、母の、知り合いの、爺様、婆様、ご近所の、婆様とも、親しくの、話、してるわと。最近、見掛けんなら、そのご家族に、尋ねたりも、してるわと。どしたはるですかと。


オトトの、そんな次第の、斯くなるでの。
納棺師、云うに、尋ねるに、臍の緒は、ありますかと。ンと。
母の臍の緒なんか、あらへんですが。
と、申せば、曰くに、その生んだ子の、臍の緒なるは、その方の、モノですて。へえと。
要は、当方のと、妹の臍の緒あれば、基本、母のモノ故、一緒に納棺するですて。フウンの、臍の緒なるは、自分のと、思てたですが。違うの怪と。どちにしたって、持て来てへんわと。

での、これより、納棺致す故、皆様でと。
男性の皆様には、チカラ仕事をの。何名かで、敷物諸共の、持ち上げまして。当方、頭の方、担当したですが。
女性も、各々に、適当なるの箇所持って戴きましてと。
一二の三で、持ち上げの、棺に入れたですが。

そもそもがの、納棺に立ち会うが、初でして。
親父の時にも、喪主なれどです。知らんなと。叔父嫁の時には、蓋するまでの儀式に立ち会おたですが。単に、故人のカラダのどこかに、触れてくださいの儀式でして。
云うてるは、敷物諸共の、棺に入れるは、した事が無く。
いやなあ、諸般、納棺師の流儀に寄るのか。時代、時代の、風潮、変遷哉と、思たりも。
確かに、親族皆で、チカラ合わせて、納棺してやるが、ええの哉と。

イヤイヤ、ほんまやでと。
前回、父方、叔父嫁の時からでして。それ以前までは、気が付いたの時には、収まってるわと。
云うとくの、親族の葬儀なるは、全部、参列してるわの。指示されたの時刻に、充分なるの、余裕で、出向いてるわと。
<参考=「不可思議の世界NO.5NO.6」叔母の話>


以て、納棺の儀は終えたですが。
セレマの担当者曰くに、これより、ホールに、祭壇をで、そこに安置致すの。親族控え室も、場所、そちらの方にと。要は、ホールの隣でして。一番に広いの部屋ですと。へえの、有り難う御座いますと。

マダあっての、故人の好きな食べ物なりを、袋に入れて、棺に入れてやるですて。
担当者より、食べ物入れるの袋も戴きましての、納棺終えてから、買い出し、調達に出向いたですが。
故人の好きなモノも、難しいねえ。
お造り<刺身>が好きで。果物が好きで。麦酒も好きで。
ンの、麦酒を入れても宜しいですかと、嫁はん、担当者に問えば、勿論の事、結構なると。但しの、棺に入れる故、缶ではダメで。紙コップにでも、入れて、上げて下さいと。ハイと。

結果、スーパー・マツモトに、なれどの。
お造りなるは、基本、マグロをと。果物なるは、イチゴが、バナナもの。自宅の時には、日に一本、朝に、パン、コーヒーに加えての、喰てたしと。ソラ、食欲旺盛でねぇ。
その他、マシュマロも好きやしと。諸々のと。
妹にも、尋ねの、した、ですが。マシュマロ案故、それは、準備してるわと。
明くるの日、「告別式」には、キュウイを姪が持参で、それも、入れてやろかと。当然の、麦酒も、紙コップに入れてやたですが。

これもなあ、生前の好物なるも、従前、棺に入れたの、記憶無く。
イヤイヤ、くれぐれもの、好物故、入れて、正解と。とは、思うですが。
そんな袋を準備して戴きの、調達するが、でして。

いやなあ、この手の事、喪主なり、その身近な者、嫁はんなりは、葬儀の際には、バタバタしてての、気忙しくの、皆目の、気が付かんわと。
大体が、思考回路、当面の、するべき、やるべきに神経割いててねえ。一杯、一杯でして。外見、余裕あるみたいに、見えてるですが。そや無いわと。
提案するなら、出来るは、故人に近いの、親族やろと。
好物、一緒に、どやろなあと。
云われて、初めて、ンの、そやなあと。気が付くの程度哉と。
(15/06/25)


NO.19 万事、滞り無くの話(14) 受付の話

事程左様の、「柴田家」長男として、喪主2度。
極めて、順当、文句無し。
次ぎ、自分也と、宣言しとくの。でなければ、困るわと。

での、納棺も、葬儀社に寄り、納棺師により、葬儀形態に寄り、異なるの哉と。時代の変遷もあるですが。
又、家族の葬儀なるは、そは、度々の経験するで無く。当方の場合、4度での。最初は、早くに夭逝の、妹でして。コレ、親父が喪主と思うですが。2番目、祖母での。コレ又、親父と、思うですが。

家族以外の親族の葬儀にも、度々の参列してるです。
会社関係、知人、友人、町内会も含めたら、数、限り無く。
家族以外、親族のでも、気楽やでと。会社関係等々、町内会のなんか、参列のみでの、尚、気楽。
親族のは、その都度、多少なりともの、異なるですが。町内会のは、ここ、「亀岡シティ・ホール」でして。
よて、何回も、訪れてるですが。自身、喪主としては、当然の初でして。霊安室の場所も知らんかたし、控え室も、注視してへんでして。

いやなあ、そらなあ、母の事もあるが故に、もしかしたらの、気はあったですが。まさかの、まさかで、現実に成るとは、夢想だにもしてへんわと。コレ、見事な程でして。
心積もりなら、しては居たけどや。
ソレ云い出したら、自分のは、どして欲しいと、同意でして。
どこで、すべき哉。費用、どれ程哉と。参列者、どなん哉と。

どこで、すべき哉と、ここでする、とは、全然の、違うわと。
母の時には、自分が喪主なんやなあ、なんか、チラとは、考えても、具体的で無く。
云うたら、質素に、質素にと、考えてたですが。意想外に、派手になってるですが。
喪主なら、喪主挨拶しんならんですが。これもなあ、正直には、来るべき時には、こんな具合にと。挨拶文言、多少なら、考えてたわと。
但しの、多少の話での。具体的、構想なんか、してへんわと。する訳があらへんわと。

更にならの、母所有の和服、服、アクセサリーの類ならです。
5月の、医者<こもれび・理事長>の話、聞いてからです。濃い親族には、通達のです。妹夫婦が来たり、姪一家も含めて、来たりの、3度来てるですが。
来るなら、面会するなら、モと早くにと、とは、思てたですが。面会の機会なら、幾らでもあったのにと。とは、結果論なれどです。

イヤイヤ、話、逸れたですが。
そらなあ、そんな話、あったが故、イツであったか、妹夫婦だけが、来た時と、その次ぎであったかの、2度、3度と、見せてるです。嫁はんがです。
欲しいのが、あれば、貰てやと。遠慮すなと。
何点かは、妹、持ち帰ってるですが。何を、どんなのかは、当方、全くの、知らんでねえ。服なんか、女モノやろなで、男に、関係あらへんわと。
アクセサリー類、貴金属にしたって、当方、全くの無関心。

そらなあ、ン百、ン千万円も、するよなのは、所有してるの筈は無く。
さりとての、ン十万円なら、可能性がの。コレもなの、変な話の、借金して、買おてるの類のです。これがため、当方のボーナス、何度、消えた哉の、ええ印象、持ってえへんでねえ。
話簡単には、我々が買おたも、同然での。
晩年なら、晩年も長期なれどの、通販で、月賦で、買おてるのモノ、多く。
とりあえず、自身の年金、全部、自身のお小遣いでして。それでも、足らんで、足らんよになれば、貸して頂戴なと。貸して、返してもろたの、ためし、あらへんですが。

骨折、繰り返しの、要介護認定受けて、「こもれび」の、ショート・スティなりに通うよになてからやでと。我々が管理し出したがです。
そこから、介護施設えの、費用、支払わんならんしと。
当初、1年、2年哉の、多少、余ったです。その時でも、電話一発の、通販でして。
浪費癖、治らんでねえ。名実共の、一銭も、残してくれず。自身の葬儀代も、でして。

オトトの、そんな話、するの積もり無かったですが。
この、日曜日<28日>、妹夫婦、来るになてるが故、再度、残余の、今度は、遺品でありの、形見別けに相成るですが。最終的、見せてやろかの、欲しいのが、あればと。遠慮すなの、持ってけと。

オッとの、ならばの、従前のは、当人の承諾無しにの、みたいなれどの。
ソレ、事実なれどの、医者より、呆け症状がと、されたです。それを、受けての話での。自分が、コレコレ、欲しいとなんか、一切の、でして。
イヤ、諸般の背景より、それでも、正々堂々の、全くの、構わんと、思てるですが。そんな、高額のなんか、あらへんわと。あっても、一緒の話やわと。
云うたら、財産分与の、「財産」なんか、あらへんわと。
云うてるは、単なるの、形見別け。

ホンマやでと。又、話、若干の逸れるですが。
変な話、余所様にも、気前良く。
とあるの、町医者での話の。風邪で、通院したなら、そこの看護師から、お母さん、どしたはると、尋ねられの。今、「リハビリ・センター」ですと、返答したなら、お母さんから、何々もろたんえと。へえと。
まさかの、内実、話も出来ひんわの、ここで、愚痴云うてるのダケでして。

云い出したら、当方、一度だけ、嫁はんと云ったのハワイでの、お土産、ガラスのアクセサリーを家族分、買いの。当然の母にも、1個、手渡しの。マデは、ええけどや。自分のが、瞬時、無くなってもての。
或いは、出張での、渡韓で、梨泰院<イテウォン>で、偽物なれどの。偽物、承知で、ハンティング・ワールドの、財布、小銭入れを買いの、コレ又、使うに、瞬時、無くなってもての。
ン年、十ン年経ってから哉に、そこらに、ほったらかしのを見たら、使い古されての、ボロボロにの。その財布であったり、ガラスのアクセサリーであったりの。チョとなあと。
小銭入れは、使い出したですが。使い古しでも、機能、小銭入れとしての、さえ、満たされるならの、結構でして。どちみちの、偽物でして。偽物でも、3千円もしたんやでと。本物なら、1万円見当でして。
これは、最早の、完全に壊れの、破れたしで、廃棄したですが。買おたの当人、使たは、ボロにされての、数年。

オッとの、それでや。
若手には、どかと、思うですが。どかは、母のは、時代的、年齢的感覚の違うやろの意での。
機会、あれば、嫁共にも、見せてやりの、欲しいのがあればと。
来るなら、来た時にでもの、姪にも、甥にもと、思うですが。そこまでの数はあらへんやろと。数まで、数えてえへんしで、知らんけど。

での、当方なら、その手のモノに興味無く。
ボチボチの、やり出してるの、母の衣類等々の整理、処分を、でして。
その中に、コレと、思うのあればの範疇哉と。されどの、あらへんわと。下手したら、こっちのが、無くしたと、思てたのが、出て来たりの、可能性、あったりで。

いやなあ、これが、大変。
ソラ、従前、手を付けてえへんわの。事、終わったを受けての事での。
ゴミ出しの日等、袋に一杯、二杯と、まだまだ、続くの、数箇月、掛かるの哉と。
トトトの、母の、ゲート・ボール命の、獲得のメダルが一杯あっての。コレ又、どするやの。アクセサリー類、形見別けで、持ってくなら、附属で、メダルも、その数、持ってけの。処分するなり、記念品、形見として、保管するなり、好きにして頂戴で、宛がうも手哉と。


とかとかの、云うてるの場合で無いの。
さての、祭壇も整えられの、大ホールに居たならです。
町内会の方、見えられ、此度、ご愁傷様ですと。我が家、裏手の宅様と、前期区長のお2人でして。同じ組の方でして。

イヤなあ、従前、従来、受付なるは、町内会三役がされてたですが。
此度、我が組、組長、受付なるは、我が組で、やると。へえと。
へえも、組長に任せるしか、あらへんですが。昨日の、朝、組長宅に、この件、メモして、伝えたの、直後には、聞いてたですが。
オトトの、オッとの、そ云うたら、ハヤ、18時に近くになっててねえ。モ、そんな時刻怪と。
時間の経つが、超の早いわと。
イヤイヤ、「通夜」なるは、19時から、でして。
(15/06/26)


NO.20 ハタと、過日、過月の夢見の話(1)

での、ハタと。
イヤ、このところ、夢見てへんですが。夢見の話。
イヤイヤ、過日、過月、見た夢の話なれどです。
<参考1=「不可思議の世界NO.27NO.28」枕元に祖母の話>
<参考2=「不可思議の世界NO.28」NO.307 夢で、京都の家の話NO.308 夢の話、解明哉の話

何が云いたいかと、なればです。
<参考1>のは、2月下旬の夢。
<参考2>は、4月上旬の夢でして。その辺りの日付で掲載してるですが。

ハタと。
両方、祖母と、感じてたですが。
祖母には、間違い無いですが。
<参考1>のは、もしかしての、もしかして、母の件、伝えに怪と。こっちは、法事の事と、頭っから、思てたですが。
親父の法事、5月4日に予定してたが故でして。<実際には、3日の積もりが、4日に変更>

での、問題は、<参考2>の方でして。
仏光寺の家で、天蓋で、カーテンの向こうに、日本髪の女性。
何故か、ケータイが、我が布団の上にで。そのケータイを必死に取ろとするに、チカラ入らず、取れずに、落としてしもての、嗚呼と。そこで、目が覚めたと、掲載してるですが。
この情景でして。
この通りでして。

日本髪故、当たり前に、和服の女性。
日本髪の、姿、祖母の、その年齢当時の写真の印象、記憶あるがため、頭っから、祖母と。
イヤ、コレ又、祖母に間違い無いと、思うですが。

懐かしの、仏光寺の家で、和服で、ケータイが、夢に出て。コレ又、法事の事やろと、勝手に判断してたですが。
申すの、コレ、母の事を伝えにと、違うの怪と。祖母でも、母でも、最早の、同じの事でして。
イヤイヤ、母の日本髪なんか、見た事無くの、イメージ浮かばんわと。よて、祖母と、断定、思たのダケでして。
いやなあ、無いと、云えば、無い事、無いの哉の、あるみたい、にも思うですが。写真での話の、祖母のも、写真なれどの、とてもやないの、夢に見た、影ではあるですがの、女性のイメージとは、全然の、違うです。
イメージなら、あちの掲載内容、閲覧して頂戴なの。チラとなら、顔なんか、シルエット故に、見えてえへんけどの、妙齢の美女と、形容してるです。
オッとの、祖母でも、母でも、今更の、どちでも、一緒の話やわと。感じたが、祖母なら、祖母で、結構でして。イメージ的、祖母なんやと。

ここで、申すの、母、「こもれび」にて、和服に着替えさせて戴くにしたです。コレ、くれぐれもの、嫁はんの提案でありの、思いでありの。当方全くの発言も、発想も、してへんわと。
突然の事、故、打ち合わせもしてへんわと。
こちにしたら、嫁はんの発案、提案の、和服と、聞いての、へえの、そんな手があるかと、ビクリの仰天しの、名案也と、同意したが、真相でして。

そして、ケータイねえ。
5月13日の、医者<理事長>の話、呆けと、喰えずで、延命処置云々の話なれどの。
以来、相応の覚悟で、ケータイを我が枕元に置いての、就寝してるです。そんな習慣あらへんしで、時々、忘れてるですが。結果的、「こもれび」からの連絡なるは、家の固定電話やったですが。
ここから、親族に連絡なるは、ケータイでして。
こんな連絡、嫌やでと。しとは無い故、拒否したいですが。そも出来ずの状況でして。
ンの、あの夢での、ケータイねえと。取るに取れずでしたですが。

何が云いたい、云うてるかと、なればです。
特には、日本髪のは、母の事を伝えにの。こんな具合にしてなあと。
イヤイヤ、それこその、夢にもの、母のこの事、想定外故、全くの意味不明の夢であったですが。

ハタの、ハタと。
あれ、親父の話、法事の件では、無かったのやなあと。
今になっての、ハタと。
全部が、判明、解明の。結果的、お見事、その通りに相成っててねえ。

加えて、申すならです。
母の事後処理、云々の。年金の件については、京都西社会保険事務所えの、手続きには、戸籍謄本までが、必要での。本籍地管轄の、下京区役所に出向いてるわと。
仏光寺の家では無いにしてもです。本籍地、綾小路なれどです。一筋、違うのダケでして。
母、生まれたも、下京でして。細かな、場所までは、何故か、聞いてえへんですが。
まあ、云うたら、京都に戻りたいと。戻るは出来んの、区役所にはと。

更に、申す、ならなれどの。
母、「特別養護老人ホーム」は嫌やったんやろと。
この話、出たが、4月の、20日と、申してるですが。
この日か、その直前には、母、ポツリと、申してるの、「ここがええ。気楽やし。」と。
こっちが、何も聞いてえへんのに、でして。コレが、まともなるの、母との会話の最後でした、ですが。
<参考3=「禁断・奇談VNO.1」NO.2 同意書の話(2)

コレ、家に帰るよりもと、勝手に解釈してたですが。それも、あるですが。
担当ケア・マネージャーの、その時の話の趣旨、本命なるは、「特別養護老人ホーム」の申し込みを、ボチボチとの、件でして。それまでの、決まるまでは、「こもれび」でも、構いませんですと。
よて、5月にでも、なればの、しかるべくの、ボチボチの、見学にでも、出向くを考えたですが。
見学ところか、5月13日には、想定外の話を、医者から、聞かされて。「特別養護老人ホーム」の件、吹き飛んで。
いやなあ、呆けが云々、無関係の。母、どしても、嫌やったんやろなあと。察知、したんやろなあと。
と、同時に、母の意向、聞いてたが故、こちの、希望なるは、母の希望故、出来るならの、入所継続をの、心積もりで、話が出来たですが。

結果的、コレ又、お見事、行かずで、済んでるわと。
これもなの、「特別養護老人ホーム」には、我々夫婦も、積極的では、あらへんでして。あっちの方が、費用、自己負担、半額程になるは承知の、洗濯モノも、施設でやてくれるし、保護者からしたらの、楽は、楽の、楽チンなれどです。
可能なるの限り、基本、自宅介護をと。イツでも、帰れるの、よにと。
実際には、殆どの期間、「こもれび」なれどです。されどの、「ホーム」では無いの。「ホーム」は、誰もが、承知の、終の棲家での。こちは、あくまでもの、「リハビリ・センター」での。自宅復帰、目指すの、「介護施設」やわと。

モ一発、いやなあの。
祖母が、夢にも、法事の事としたらの、解明したの、掲載も、正直には、多少の無理あって。
此度の事と、関連付けたら、変な話なれどの、極めての、妥当也の、万事、お見事、母の考え、思たの通りに相成って。
夢の情景と、現実の話、事象、結果からも、なと。
時系列的、並べてみたらの、お見事、お見事。

オッとの、当方には、霊感なんか、あらへんわと。
あたら、夢見の段階にて、万事、察知で、解明してるわと。
全然の出来てえへんわの。されどの、不可思議、摩訶不思議やなと。
我が身に、起こるの、体感、するの、事象がや。我が意志とは、無関係に、その通りに相成って。

夢見の頃には、親父の法事の事で、頭の中、満たされてると。
マデは、申さんの、夢の世界に、祖母出現故、当面の、仏事の事しか、思い浮かばんわと。
母なら、益々の、老いてくは、重々の、承知も、それと、これでは、次元異なるわの。全くの、想定外の。夢にも、考えてえへんわの。
その夢の話なんやでと。
(15/06/27)