お爺ちゃんと孫娘の一週間の話
NO.2

お爺ちゃんと孫娘の話NO.1

孫共の話NO.1 孫共の話NO.2 孫共の話NO.3 孫共の話NO.4

孫娘NO.3 親父、爺NO.16
ハデブスNO.12 孫娘の話NO.11
題目一覧表

目次

お爺ちゃんと孫娘の話NO.3

NO.20 京都御所での話(2) 説明難しいの話

NO.19 京都御所での話(1) ほなら、行てまおかの話

NO.18 三十三間堂での話(3) ここでもの、トイレの話

NO.17 三十三間堂での話(2) 京都、ええとこ、歴史、文化、芸術の話

NO.16 三十三間堂での話(1) 駐車場の話

NO.15 京都国立博物館での話(8) からふね屋珈琲店での話(2)

NO.14 京都国立博物館での話(7) からふね屋珈琲店での話(1)

NO.13 話、逸れるの、祖母の話

NO.12 京都国立博物館での話(6) ロダンの、考える人の話(2)

NO.11 京都国立博物館での話(5) ロダンの、考える人の話(1)

お爺ちゃんと孫娘の話NO.1


NO.11 京都国立博物館での話(5) ロダンの、考える人の話(1)

オッとの、所謂の、呼び名なんかの事、四六時中考えては無いわと。
呼び方も、その場、その場で、様々での。臨機応変での。基本、名前哉と。苗字怪と。誤解さえ、与え無ければ、それで、良しと。

での、当方、幼いと、するのか、小学生の、女の子を1人で、連れ歩くは、ここまでの人生、初体験。
しかも、お手々繋いで、やでと。
この季節、暑い故、半分、半分なれどです。そらなあ、迷子にでもなられたら、一大事故、そんな場では、しかりと、握るですが。そでも無いなら、解放でして。さもないと、暑いわと。手に汗滲むわの、大変やでと。

いやなあ、孫君一緒にでもと、考えるに、矢張り、まだまだ、怖いです。
まずは、云う事、聞かへんわと。走るな、云うても、走るし、こちを、オモチャにされるしと。オモチャにされても、構わんの、けどや。際限無いわと。延々でして。
その辺り、女の子は、云う事、聞いてくれるしなあ。暴れへんし、大人しいし。
とは、云えどの、男の子も、5歳辺り、現時点の、孫君1号が一番に、面白いの時期でして。

ほんとに、難儀やねえ。
正直、申せば、当方の年齢も、意識してるわと。
こいつ等、孫共に、相手出来る、連れ回せるは、イツまで怪と。孫共の、年も、問題での、距離も大きく、影響するです。

出来れば、折角故に、京都の良さをと。
方々えと、連れ回しの、見せてやりたいわと。そこで、何かを、得て欲しいわと。同時に、当方も、又、見たいわと。
イヤ、実は、それが、爺婆たるの、大きな役目の1つであると、心得てるです。
「温故知新」でして。

そらなあ、飯喰う、買い物に出掛ける。こんな事、どこの爺婆、親でも、日常茶飯的、したはるわと。
偶の、連休に、遊園地なりに、連れてってやるも、出来るわ、したはるわと。
そやけど、バカ程、金掛かるなと。

当然の、それも、結構なれどです。それとは、年齢相応の、遊園地とかがです。
その時期、その時期にしか、出来ませんでして。中学、高校生、大学生にもなて、遊園地は無いやろな。中学生なら、有り怪と。高校生でも、やろかなあ。
その内には、それまでには、親となんか、ましてやの、爺婆になんか、付いて来るのか、来いひんのか。
付いて来てくれても、先の通りの、こちの、年齢がと。元気でも、元気の範囲の、体力、気力、知力と、資金力がと。知力、資金力なら、現在唯今でも、ヒイ、フウの、ハアやけど。

いやなあの、小学生時代か、それまでかの、お婆ちゃんに連れられての、菩提寺、「光圓寺」にての、お釈迦さんの日<誕生日>の行事、「花まつり<4月8日>」の事、覚えてるです。
当時、本堂に掲げられてたの、地獄絵図も、覚えてるわと。住職から、悪い事したら、地獄。ええ子にしてたら、極楽浄土と、説教、当方に集中されてのを、覚えてるわと。
先日、「光圓寺」に仏事で、行ったの際、ハタと、思い出しの、地獄絵図はと、探したですが。あらへんなと。
オッとの、その住職、現の、祖父でして。母の四十九日<7月26日>の時、チラと、その絵図の事、尋ねたですが、知らはらへんでねえ。

そ云うたら、東寺にも、連れてって、もろたなと。縁日<毎月21日>かで、人が一杯。出店一杯。
オッとの、縁日とは、弘法さんの日<本来なら、3月21日の入寂の日>なれどです。
ここも、家から、30分もあったらと。歩いて行けるの距離でして。

事程左様の、小さい時の事でも、結構、覚えてるわと。意味皆目の、分からんの、でもや。
祖母にしたって、1人で行っても、でして。孫居たら、一緒にと。では、無い怪と。
今、祖母の心境、よっく、分かるなと。孫が、意味分かろが、分かるまいが、関係あらへんわと。只々、見せてやりたいと。こんな、やでと。
意味なんか、後からでも、分かれば、結構なると。

そして、仏像なり、あれば、両手合わせての、拝まされ。
まあ、云うたら、「マンマンチャン、アン」でして。
コレ又、意味さっぱりなれどの、構わんわと。墓参で、ご先祖様に、寺で、仏像に、両手合わせて、「マンマンチャン、アン」で、悪い子に成る怪と。

よい子、悪い子も、範疇、難しいの、けどや。何を以て、ええ子か、悪い子怪のと。
持って生まれたの、特性、性格、個性なるが、存在の、精神の問題もあるけどや。
頭のええ、悪いの、以前の、他人様を傷付けたり、騙したりの、犯罪犯すよなは、断じての、避けんとなと。末代の恥でして。

そらなあ、孫出来たら、まずは、五体満足のと。
日が、月が、年、経たら、その分、立て、走れ、喋れと。
勉強出来て、美人、美男で、ええ学校受かって、出てと。ええとこに、就職して、ええ人と、結婚してと。順々にあるけどや。

そらなあの、特別なるの、才能あっての、有名画伯、スポーツ選手、歌手にでも、なるのよな、ならなと。末は、博士か、大臣かの、そんな親族居てへんしと。
反面、奇人、変人の類の、犯罪者も、知らんわと。
まあ、云うたら、凡人怪ので、結構やと。
常々、思てるわの、万事凡人、難しいぞと。至難の技ぞと。

モ一発、そらなあと。
当方にしたって、欠点、欠陥、出来れば、こんな風にと。欲求なら、一杯あるのけどや。
モ一寸、賢こかたら、背があったら、男前やたらの、金運あったら、要領良かったら。あの時、こしてたら、こなってたらと。そらなあ、山程あるの、けどや。


オトトの、トットの、そんな話、主旨で無いわと。
我が孫娘、余所様に見られて、評されての、後ろめたいの事、一切無くの。まあ、普通。
普通と、するよりも、チョと、だけでも、自慢の孫娘やわと。このままに、成長してくれたならばの、この低い鼻も、高なるわと。

いやなあの、案外にと、するも、変の、利発でねえ。努力家で、研究熱心でねえ。
下手したら、当方、負けるの程での、「自作段ボール、ガチャ」で、どれだけ、時間喰た怪と。あでも無い、こでも無いの、気にいらんの、ナカナカに満足しやへんでねえ。
イヤイヤ、結構なる、なれどです。お付き合いさせられる方も、大変やでと。

オッとの、での、一通り、館内、陳列物、見終わったら、孫娘、何か、飲みたいと。ンのそ怪と。
博物館内には、「からふね屋珈琲店」あってねえ。予めの、検索、探索、してたわと。へえの、「からふね屋」があるなあと。とは、承知の、そかと。行こかと。
ンの、されどの、どこなんやと。
あるは、承知も、位置関係、分からんでねえ。ソバに居たの、妙齢の美女館員に問えば、あっちですと。あっちは、どちと、尋ねたらならばの、わざわざの館内、建屋より、出てくれての、今、人が出て来られたの、あそこですと。さよかと。おおきにと。
孫娘に、ほならの、行こかと。お手々繋いで、なと。迷子にならぬのよにと。周辺に、余所の人、居たはらへんのけどや。

オッとの、トットの、トトトの、その道中。
「平成知新館」に、行くの時には、気が付かんかたの、右手、前庭には、噴水あての、その手前にや。
いつか、見た事、あるの、ロダンの、「考える人」哉の、へえと、えと。
(15/08/28)


NO.12 京都国立博物館での話(6) ロダンの、考える人の話(2)

いやなあ、孫娘の、「自作段ボール・ガチャ」。
一作目は、学校提出用と、思うですが。
我が家、とは、孫娘の、なれどの、戻って、タブレットで、何やら、探索、研究の、「YouTube」で、でして。それを、参考にして哉の、二作目作り出したは、コイン<メダル>投入により、ガチャが出るの仕組みでして。

イヤイヤ、一作目なるは、見たら、分かるの、単純構造での、諸般の助言、手助け致したですが。コレについては、助言も、手助けもしてへんです。
単に、チラチラ、傍観のみの。そんな難しいの加工、工夫が、8歳、小学2年の、孫娘に出来るの怪の、程度での。尋ねられたら、助言も、多少の手助けも致すですが。しやへんでねえ。
1人、あでもない、こでも無いと、細工したの段ボールを、外したり、テープでくっつけたり、してたですが。

お爺ちゃん、見て、見てと、披露してくれたは、単に、ペット・ボトルを回転では、何も無くの。コイン投入で、ペット・ボトルを回せば、ガチャ1個、ポトリで、へえと。
当方、そんな事、してるの、「YouTube」画面は見たですが。チラ見でして。構造までは、見てへんしで、知らんです。知らぬが故、尋ねられたら、その、画面、見せて頂戴の積もりで、いたですが。

いやなあ、京都の、我が家でも、一作目、チョとでも、異常あれば、改善してまして。先の通りの、コレについては、このよにやれば、詰まらんでと。1個しか、入らんよに出来るでと。細々説明したは、事実なれどです。
イヤ、単純に、「万有引力の法則」でして。

との、難しいの表現してへんの、けどや。モノは、高いところから、低いところえと。とは、申しの、要は、傾斜やなと。との、表現してへんけどや。実際に、ホレと、こんな具合にと、差はその場で見せてやたのだけの。
詰まりは、先の通りの、一列に並ぶよにと、傾斜の程度もあるなあと。
の、程度でして。

これも、試運転、し過ぎの、段ボールに開けた穴が、大きなてもてねえ。要は、回転させるに、ペット・ボトルの位置合わせがズレ出して。別途の、固めの厚紙にて、補強したりの対応策なら、してやたですが。
こんな具合にしたら、壊れ難くなるやろなと。ンと。

当方、何云うてるやと、なればの、コイツ、孫娘、当方の話、キチリと理解の、理系の思考回路で、工夫するが、好きで、簡単には、諦めへんなと。イヤ、結構なると。
努力屋、頑張り屋であるは、当年になっての、ンと、感じはしたですが。
ここまではと。この歳でと。

云うとくの、この、「自作段ボール・ガチャ」選択なるは、当人での。夏休みの工作、コレやしと、長男より、伝えられはしたけどや。どんな具合にと、完成形、長男に問えば、コレが詳しいしと。コレとは、孫娘の事でして。
更に、云うとくの、対応策、説明の、やてやるは、一発目のみ。こんな具合にしたら、スムーズに玉が流れるやろな。詰まらんやろな。1個だけ、入るやろなと。こちに、転がって来るやろなと。
ダケでして。

モ一発、申すなら、小学1年生になたの、辺りから、哉と。
表現難しいけどの、努力家、研究熱心の傾向、ヒシと、伝わって来出したがです。
それもあるし、責任感、非常に強く。親に命じられたの事、必死に守ろとするです。但しの、お片づけなるは、チョとなあと。ナカナカに出来ひんの、けどや。
これも、その場で、命じたならばの、するですが。段ボールが、テープが、散乱の、切れ端、等々、あそこの、ゴミ箱に捨てよと、申したなら、ンと。

そらなあ、当方、長男も、理系でして。専攻、電気工学でして。大学違うのけどや。
知らず、知らずの、意図、意識せずの、助言等々の内容、中身が、そんな具合になてるの怪と、思わんの事、無いけどや。
オッとの、当方なら、従前、この手の事、孫娘とは、接してえへんわと。此度、初でして。

にしてもの、年齢と共にの、個性、特性、性格、気質、鮮明になて来るなと。
そらなあ、出来れば、この手のは、悪くは無い故、このままに、順調にと。
オッとの、くれぐれもの、理系に進めと、云うてるでは無いわと。何系でも、結構の、努力、研究、責任感、頑張り屋なるは、どの分野でもと。

イヤイヤ、女の子としての、特性とするのか。
甘えん坊で、おねだり上手で。母親の真似なんやろ哉の、いっちょ前にしやがてねえ。オシャレ好きで、セーラー・ムーンなんか、シンデレラかの、衣装まといの、成り切り、してねえ。
そらなあの、孫君共と、孫娘では、全然の違うの、コレ程怪と、感心する程にと。
モ一発、そらなあの、男の子と、女の子が、特性一緒は困るわと。反対になたでは、尚更に、困るの事よの、冗談では、済まんわと。

それでや、孫君と、孫娘に対するの、こちの考え、可成り違うなと。
どんな具合にと、問われて、返答、難しく。
基本、当たり前の、男の子は、男の子らしくで、女の子は、女の子らしくあれと。

男の子は、少々のヤンチャで結構なると。現時点、この歳なら、仕方が無いの、親に叱られ、孫君1号、涙しの、孫君2号なら、知らぬのフリでの、ソラ、叱られるよな事、してるが故での、叱られ、声張り上げの、泣きは致しませんですが。
これが、大人しくの、ヤンチャもしやへんでみい。その方が、困るの事よの、冗談では、済まへんわと。
云うてるは、良い事、悪い事の、分別、判断、必要なれどです。まだ、区分出来ぬの年齢でして。学習してるの、年齢でして。

女の子はなあと。
表現難しいけどの、一言でなら、孫娘は、可愛いねえ。恋人と、申すは異でありの。されどの、血肉分けたの、小さな恋人的感覚哉と。コレ、事実。
出来れば、抱っこして、連れ回したいけどや。無理無理、無理の、絶対に、無理の、体力、腕力、気力が保たず。現時点、孫君2号、3号まで、でして。
実は、孫君3号の方が、2号よりも、重とおての、難儀するです。
それでも、抱っこ出来て、百メートル怪と。
感心致すは、その母親が、延々の抱っこしてるです。流石は、母親やなと。加えての、若いなと。コレ、当然の重たいの筈なれどの、弱音吐かんなと。頑張るなあと。

これもなと。
昨年辺り、までなら、大変さ加減、分かるが故、チョとでも、助けてやろかの、気がありの、実際にも、チョとだけでもと、抱っこの代行したけどや。
当年に入って、へえの、こんなに重なったかと。無理無理、無理の、絶対に、無理の、こちが、クラと来ての、よろけたりの、落としでもしたらの、妄想、想定、先だってもて。怖なてもての、声掛けんよになったわと。
イヤ、従前ならばの、偶には、抱っこ、替わってやろかと、申した事も、あったのけどや。

いやなあの、多分ならばの、孫娘、小学2年生も、まだまだ、抱っこなら、して欲しいの年代なれどです。10歳くらい、までならなと。
してやろかと、申せば、ニコリの、ンと、返答すると、思うですが。
こちが、無理無理、無理の、無理難題での、口避けても、言葉に出来んわと。本音でなら、チョとだけでも、この時期、この歳故、抱っこしてやりたいけどの、複雑怪奇なるの、気分。


オトトのトットの、忘れてまうのとこやったなの。
館内、建屋出るの直前、ハタと、思い出しの、駐車場の割引手続き、申請をと。
誰に、どこえの、ここ哉と、館員、妙齢と、そでも無いの女性が居てるの場所に、その旨伝えの、入場券示せば、ハイの、それで無くの、駐車券をと。オトトの、そですねえと、駐車券提示で、判子一発、これで、1時間無料ですと。ハイの、有り難う御座いますで、「からふね屋珈琲店」えの、道中。

右手に、ンの、もしかしたら、もしかしての、ロダンの、「考える人」怪の。コレ、後ろ向きでねえ。孫娘は、噴水の、池に入ってもええやろかと。ンの、囲いしてあるしで、アカンでと。
での、あのなあの、コレ、よお、見ときの、ロダンの、「考える人」なんやでと。その内には、教科書なんかで、出て来るやろなあと。

コレ、後刻、探索、確認の、本物でして。
鋳造故、何体か、作成されてての、全部が、本物での。日本にでも、4体の、本物があるですと。へえと。
ロダン死後の鋳造のが、1体での、都合の、5体ですと。フウンと。
(15/08/29)


NO.13 話、逸れるの、祖母の話

祖母の針刺しの話。
<参考1=「禁談・奇談VNO.5」NO.41 その後の話(4) 諸般、諸々の話
<参考2=「禁談・奇談VNO.7」NO.61 初盆の話(5) 事例、その2の話

一旦、終えた、やに、思えたですが。外観的には、な、でして。
それもあるし、お盆で、皆、戻るし、母の部屋でやてたの修復と、するのか、やっぱり、修復やねえ。釘打ち付けたり、ささくれ立ったの箇所、滑らかにしたり。
ニス塗って、見掛け、綺麗にして、完了させて、解放と、するのか、道具等々、片づけて、部屋として、使えるよにしたですが。

まあなあ、孫娘も、無事に送り届けの。
今度は、引き出し抜き差し、滑らかで無く。
飾りにも、小物は入れるべきでの。要は、実用させんと、意味が無く。
多分なら、百年経ってるの、針刺し、肝心の針刺しの箇所あらへんですが。「コーナン」で、ヤスリと、サンド・ペーパー調達の、磨いては、抜き差し、確認してたですが。

どしても、最下段の引き出しが、上手く、行かんでねえ。何でやろと。内部状況、詳細に見たら、ンの、ニスやろねえ。コビリ付いて、まあ、云うたら、突起物的に固まっててねえ。
ここで、引っ掛かるの怪と。
イヤイヤ、中身なら、何度も見てるですが。指、突っ込み、この手、突起物はと、触診してたですが。
どしても、こしても、引っ掛かりやがての、何でやと。分解まではで、多少の我慢しんと、仕方が無いのか、見落としあるのかの、最終的、徹底確認にての、発見したです。

このニス、ニスと、思うですが。
此度のニスに非ずです。内部にも、塗ったは、塗ったですが。塗って無いの、側壁の板でして。成る程のと。
イヤ、引き出しの、外枠、上面なら、ヤスリで、削りの、調整出来るですが。側面はなと。とするよりは、この突起物、出っ張り箇所を除去にて、改善出来るの筈での、しかるべくの、道具持ち出し、削ったです。

結果、まあまあの、抜き差し、出来るよになりての、再度の仕上げ。
ニス塗り開始と、相成って。
そらなあ、あでも無い、こでも無いと、削り倒してましての、塗り終わったの箇所の、ニスにも、傷付けてるわと。

これがなあ、光線の加減と、するのか、見るの方向、違えば、又、別途の箇所のが、見つかって。何度、塗ったか、塗り直したかの。やとで、終わったです。
終わったの積もりでの。
モ一発の、これがなあ、8月も、上旬の頃と、下旬の唯今で、ニスの乾燥時間、速度に数段の差があるねえ。
上旬頃なら、まあなあ、30分も経ったら、渇いてくれたですが。下旬になたら、2時間、3時間でも、まだ、不安。
これが、冬場なら、大変やなと。


での、様子見して、その内には、嫁はんに引き渡しの積もりなれどです。
その内にはと、云わんでもの、別段にの、今日でも、明日にでも、構わんのけどや。ニスなら、渇いてるし、再確認の上、モ、ええでと、申せば、以て、引き渡しでして。あとは、嫁はんの、お好きな用途にと。
イヤ、何を入れて、どこに置くかは、嫁はんでして。

それでや、ハタと、フと。
孫娘の守護霊、誰かは、占いの先生に、尋ねて無いけどや。もしかしての、もしかして、祖母で無い怪と。
当家、「柴田」の、直系親族で、女となればの、祖母以外に無く。1年なり、3年、13年でもの、年会終えてるの、直近の、女性親族なるが、です。6年も経ったら、50年でして。

ここで、チョとだけ、話、ズラすですが。
母は、新し過ぎるの、ご先祖様でして。1年経ってずの、所謂の年会してませんでして。
加えての、申す、ならです。諸般、申してるですが。我が儘、気儘、身勝手等々、申してるですが。当方、恨み、辛みの満載なれどです。
コレ、母の、生まれ、育てられたの環境、大きく影響してるです。

別途の、云い方、見方なら、ここだけの話の、母方兄弟姉妹でなら、一番に優秀哉と。哉で無くの、優秀也と。
まあ、云うたら、男勝りの性分でして。親父が大人し過ぎた、とも、云えるのけどや。記憶力、結構、宜しくて。時折には、へえと、感心させられてたです。

祖母もなあ、ここだけの話の、やはり、三姉妹でなら、最優秀。
又、長女として、面倒見良く。妹達、何かと、姉の下に相談しに来たりで、慕われてたと、云えるの、人でして。
オッとの、孫娘、長女は、長女なれどの、下のは、弟での。少々、立場、違うのけどや。
これからの事、我が身で、分からんのけどや。占い師でも、あらへんしと。

孫娘についての、感じてるはです。
弟達を、威圧してませんでして。取り仕切っても、居てませんでして。してるの事、邪魔されては、怒りはしてるですが。徹底的、断固拒否と、してるでも無くて。隠したり、取り上げたりの、意地悪なるの、性格に非ず。
まあ云うたら、基本、しょがないなあと、譲ってるの面、多々、見受けられ。勿論の事、年齢的、その分、知恵働くですが。基本、弟思いでねえ。
云うとくの、云うてるは、小学2年生と、したらの、話やでと。

且つは、現時点、顔が、祖母に似てるの面、マダ、見受けられんのけどや。
そらなあ、当方、祖母、還暦の孫でして。当時の、還暦と、なればの、まさしくの、爺婆での、歯抜けの、梅干し婆でして。当世の、還暦の、とは、格段の差あるわと。
ましてやの、生まれて、即の、祖母認識なんか、出来るモンかの。出来ても、3歳辺り哉と。ならばの、アチは、63歳やでと。
それと、8歳の子の、イメージと、重なるの筈、あるもんかと。重なったら、8歳の孫娘、可哀想やでと。
要は、祖母なるは、気が付いたの時から、しわくちゃの、歯抜け婆。

只なの、従前より、申してるの、間違い無くの、美人でして。
若い頃の写真、一度見ただけ、なれどです。その写真でさえが、当時の祖母との、重ね合わせるが、連想するに、難しく。難しくともの、面影なら、あったのけどや。
ソラ、写真は、多分ならばの、20歳頃の、やしと。8歳のは、見てへんわと。あらへんわと。

モ一発、マダ、見受けられんと、するも、形容難しいの、彷彿するの面なら、あるわと。
それもあるし、偶々であれどの、祖母の遺品、針刺しが、こんな機会に見つかって。
祖母の、とするのか、満州にての、戦死の、叔父の遺品なるが、そのままの、祖母の遺品での。
ソラ、満州より、家に送ったの、葉書等々をば、祖母が後生大切に残してたの、モノでして。この手のを、我が、ご先祖様のを、パと、ゴミ扱いなんかに、出来ひんわと。

針刺しにしたって。最早の、針刺しには、使ええへんの、けどや。その箇所あらへんしと。
そやけど、コレ、まさしくの、祖母の遺品での、百年経っても、小物入れになら、使えるの事よの、修繕、復元するの、気になって。
モと、云うたら、孫娘の、「自作段ボール・ガチャ」に対するの、ひつこさ、熱心に、負けてられるのモンかと。

祖母が云々にての、何を云いたいかと、なればの、これが、爺婆の役目也と、最初っから、云うてるわの。
内孫とは、直系、「柴田」の姓を受け継ぐの孫の事での。当方に、外孫、居てへんの、けどや。ソラ、実の娘、居てませんでして。されどの、息子共の嫁が娘なれどの。コレは、嬉しいの事にの、「柴田」の姓と、相成って。
受け継いで、くれて。

要は、その子であるの、内孫に対しては、可愛いだけでは、済ませられんわの。諸般の伝承をと。
そらなあ、外孫なるは、その役目、嫁ぎ先の、爺婆の役目やわの、越権と、するのか、出しゃばっては、ややこしくなるわと。

ンの、マの、この辺りの、説明、解説、難儀やなあと。
当然にしての、嫁方の爺婆にも、大いに、孫、可愛がってもろたら、結構なんやと。
幸運にもの、我が孫共に、爺婆、2組居ててねえ。ええなあと、素直、単純、そのままに思うわと。当方なんか、祖母、1人だけやったんやでと。
されどの、祖母、当方をば、猫可愛がりには、してへんわと。諸般、たたの、1人の、内孫故、厳しいの面、多々あったわと。当然でして。
その上での、祖母の愛情、ヒシと、感じてたわと。
(15/08/30)


NO.14 京都国立博物館での話(7) からふね屋珈琲店での話(1)

結局、本日<8月30日>より、祖母の針刺しと、するのか、小物入れは、小物入れとして、使われ出したです。
ソラ、一応は、修復出来てまして。見える、分かるの傷も、ニスで、隠してしもてるです。
にしてもの、誰かは、知らんの、親父やろか、叔父達やろかが、修復してるの痕跡見えて。
イヤ、出っ張りは、ニスに非ずの、塗料と思うです。ニスで、あそこまでの、出っ張り難しく。

での、守護霊の話。
イヤ、知らへんでと。当方がです。
何をとなればの、守護霊の資格と、するのか、仮に当方なら、どの範囲の親族が、ご先祖様が、守護霊として、付いてくれるかを、でして。
父方、親族だけなんか。母方も、含むのか。基本、母方も、含むと、思うのけどや。それも、どの範囲怪と。

云うてるは、守護霊の人情。守護霊に、人情も、異なる表現なれどの。その人情からしたらの、自身の子孫、子々孫々を守りたいやろと。それが、筋やろと。
くれぐれもの、守護霊の存在、信じると、するのか、あるを前提の話やでと。
その上で、自身の、子孫途絶えるなら、別途の親族にと、なるの、やろなあと。それも、より、血の濃いの、親族に決まってると、思うですが。
そらなあ、祖母方、妹の親族なるは、一部のみしか、知らんわと。妹の子、つまりは、親父の従兄弟まで、でして。その子どころか、嫁はんなり、婿はんを知らんしと。
祖父方のなら、他を知らんしと。多分なら、居てへんのやろと。

ここで申すは、守護霊たるは、輪廻転生思想でして。
要は、心配すなと。自身、結婚せずの、結婚してても、子が無いも、同様での。それで、亡くなってもても、血縁者、どこかに、居てるわと。居てたら、その子、孫なりの、結果的、自身の血を分けたの、混ざってるの、何でも結構の、赤の他人で無いは事実の、兎に角、子孫故、守ってやれ。善導したれと。
そこで、自身のしたかた事、やり残しあれば、実現に向かいのと。
それで、何か、文句、不満あっかと。よそ目すな。しかり、見張れ、守れと。

云うたって、現世<うつしよ>なるは、現実的、競争の世界。
オリンピックに出る程の選手なら、守護霊も、相応の、徳の高いのご先祖様なんやろなあと。されどの、上には、上の、徳あっての、世界に出たら、天と、地程の差が出来てを、思い知りの。
オッとの、当然の、当人の努力あるが故、そこまでの実力がと。されどの、運、天運も大いにあるやに、思うわと。
話、替えたら、守護霊の勝負哉と。これが、運、天運哉と。
そこまで、行くの、ならばの、多分なら、守護霊も、1人では無いのやろと。2人、3人、10人と。総力戦と、違うの怪と。

イヤイヤ、知らんでと。当方、その手の専門家でもあらへんわと。
専門家でも、真の事、分かるの怪と。まあ、分からんやろと。分かれば、ノストラダマス<ダムス>的の、予言者でして。当たるも八卦、当たらぬも八卦の領域での。
現実に戻れば、遺伝子の問題と、説明なら、出来るですが。
コレ、所作とするのか、癖でありの、特性でして。運、不運、天運なるは、別物でして。
イヤ、ども、思うの、思てるの事、上手く表現出来ぬが歯がゆいなと。


えらく、脱線、「京都国立博物館」の話から、外れたですが。
ロダンの、「考える人」が、ここに存在を、殆どの方、入場者、知らんのみたいでねえ。折から、暑い、暑いの日での、噴水あるからと、寄り道してるの方、別途に、1人の、老婦人だけ。
基本、大々的、宣伝してませんでして。
そらなあ、「国立博物館」でして。国宝、重要文化財が、一杯あって。陳列してあての、高がの、ロダン哉と。
オッとの、だけの話での、孫娘にしたら、ロダンよりも、噴水の水。遊びたいの、みたいやけどの、アカンなと。囲いしてあっての、入れませんでして。

それよりも、コレ又、現実の世界の、喉が渇いたし、腹の少々減ったし、ジュースでも、飲もかと。ンと。何か、食べる怪と。ンと。
「からふね屋珈琲店」に入れば、ンの、満席での。先客、順番待ち哉のが、一組の男女。まあなあ、30代半ば哉の、40代哉の、交際中みたいな雰囲気での。
イヤ、順番取りの名前を書くに、先客書いてませんでして。困つたなと。押し退け、早いモノ勝ちも、ど哉と。当方、声出し、嗚呼、ここに、名前書くのやなと。孫娘に向かっての、申せば、女の方、当方、チラ見で、押し退けて。
と、までは、申さんの、サと、手を出し、ボール・ペンを取りの、自分達の方が、先客也と、名前書き。

あのなあの、一言、何か、云えと。
こちは、孫娘に向かいの体、装おた、だけでの、意図的、声出し、アンタ等に、どするですか的、促したです。反応無ければ、只の、冷やかしでの。ほならの、こちの、名前書くぞの、積もりでの。
要は、中途半端に居てるが問題での。入るのか、入らんのかを、迷てただけでして。それも、結構長くには、分かるの、行きの道中、先客、行くを、見てへんわと。アンタ等、先客男女がです。店、ガラス張りでの、様子も、見えてるわと。
どちにしたって、後から、来た、こちが、困るんやと。余所様、押し退け、早いモノ勝ちの、考え、持ち合わせてませんの。よて、イツも、損してるですが。
そらな、原則、早いモノ勝ち故、問答無用、委細構わずの、サと、名前、書いてもたら、宜しいですがと。

いやなあ、どちなんやと。入るなら、入るで、名前書けばと。こちは、親切心で、声出したですが。一組程度、待つやんかと。
これが、一般常識分かるの、女性なら、男性ならです。お先にどぞ、とかや。書かせて戴いて、宜しいですか、とかや。すみませんねえ、とかと、申す、やろなあと。
高がの、順番取りの紙に、名前をどするやの、話だけ、なれどです。

それをや、女、何故に、こちを、チラ見なんやと。自分等の方、先客やのにと、思てるの怪の。ならばの、名前書いとけよと。
そらなあ、紙見たら一発、分かるわの、皆、チェック入ってまして。この、関係不明の、男女、迷てるなと。ンの、もしかして、もしかしたらの、40代、カモなれどです。

兎に角の、似たモノ、カップルでの、愛想も、糞もあらへんわの。恰好だけは、ええ恰好。
イヤ、男の、髪の毛、ビシリの、女の、化粧もバチリ。まあ、云うたら、自身、ハンサムと、思いの、美人と、自負してるの類での。正直には、一見、そ見えるですが。この態度、反応からは、まあ、中身、その程度やわと。
当方、この手のは、肌合わんです。ええ恰好しい風情は、でして。

での、順番、即にもでの。案内されての、着席の。
フイと、周辺見渡せばの、ンの、マの、そんな雰囲気の面々ばかりでねえ。へえと。
イヤイヤ、チョと、様子がの、服装、恰好からしての、資産家風。

まあ、云うたら、流石は、「からふね屋」哉と。珈琲にしたって、ケーキ類にしたって、少々、お高くて。客も、チョと、お高くて。
オッとの、当方ならばの、孫娘一緒が故に、大奮発でして。
云うたって、値からしたらの、「コメダ珈琲」と、大差あらへんですが。

トットの、当方なら、ハタ目、多分ならばの、むつけきの、オジン怪と。
爺に、間違い無いの、小学低学年の、女の子、同伴でして。見て一発の、お爺ちゃんと、孫娘に決まってるわと。間違おても、父と、その娘とは、見えへんわの。そこまでは、若くは、見えるの筈がと。

ででの、注文、何にしよなあと。メニュー見て、孫娘がや。
イヤイヤ、ニタニタの、どれにしよかの。これが、えかなあ。こちかなあと。
オレンジ・ジュースがあるで。違う、それ、しいひん。へえと。
ケーキがあるで。美味しいでと、申せば、ケーキ、好きと違う。えと。オマエ、ケーキ、好きと、違うん怪の、ンと。
へえと。そやったんかと。
(15/08/31)


NO.15 京都国立博物館での話(8) からふね屋珈琲店での話(2)

ついでの、モ一発の、守護霊の話。
守護霊がついてくれて、とするのか、どのご先祖様が、守護霊として、守ってくれるかは、現世の人間には、選択出来ず。
では、無いの怪と。
コレ、困るの事よと。

対して、ご先祖様が、この子にと、選択出来るのやろ怪と。
ンの、まの、これは、何と無くの、出来るよな、気がしてるです。
イヤ、知らんのけどや。責任持てへんし、断言せず。

又、徳を積む事で、精進、精進、精進する事で、守護霊、沢山持てるのやろかなあと。
結果的、しかるべくの、自身、徳の高い守護霊と、成れるの哉と。
これも、有るよな、気がしてるです。勿論の事、真相知らんし、責任持てへんけどや。

結果の、結果的、あの人、ええなあと。とかとか、周囲より、羨まれる程のと。
但し、何を以て、ええなあと、思われるかと、なれば、個々人によりの、価値判断異なるですが。皆が、皆、万事、ええ事、尽くしでもあるまいにと。

まあ、詰まり、徳のある方には、相応の、徳積んだ、守護霊が付き。より、多く、付いて、守りの、善導してくれるの哉と。
それもあるし、もしかして、もしかしたらの、このご先祖様が、守護霊として、付いてくれたら、ええなあと。思われる方がと。反対に、このご先祖様では、チョとなあと、困るの事よと、嫌がられるよなには、なりとは無いなあと。

あくまでもの、守護霊なるが、存在すると、しタラの話やでと。
当方、その世界、見た事も、あらへんしで、皆目の分からんけどや。但しの、存在を意識とするのか、感ずるの事なら、度々の経験してるわと。
あくまでもの、後刻、ハタと。
ここまでの、人生でなら、一度だけ、その場、その場面で、感じたの事、あったけどや。これは、守護霊云々では無くの、摩訶不思議なるの、現象でして。これ又、偶々にしては、偶々に過ぎるの話やわと。

での、このご先祖様がと、申すも、その方を承知してて、云えるの事での。
細々、承知故に、ええ、悪いと、するのか、そかと、理解も出来るですが。
親戚付き合いと、するのか、疎遠ではなと。
そらなあ、この子に、この孫に、このご先祖様がと、守護霊と知ってもです。そのご先祖様が、どんなか、知らんでは、さっぱりやと。知ってても、表面的だけではなと。

どちにしたって、現世で、一緒の時、あらへんの、ご先祖様が、守護霊でして。まさかの、現に、生きてるの、ご先祖様、血縁親族が、守護霊になてくれるの筈は無く。
されど、です。
守護霊ではあらへんのけどや。当方なら、自身の、子や、孫共守ってやりたいと、とは、思てるわと。
思たって、生身の人間では、時空飛べへんわと。


オッとの、そんな次第の、斯くなるでの。
孫娘、親には、要求出来ぬ事を、お爺ちゃんに、では無い怪の、「オレンジ・ジュース」で無く、「モカ・フロート」にしよってねえ。フウンの、お好きなので、構わんのけどや。
での、ケーキ類、「モンブラン・パン・ケーキ」をと。ンの、構わへんでと。

当方のは、「モカ・フロート」と、「からふね屋特製ロール・ケーキ」をと。
店員呼び、しかるべくの、申したならばの、ンの、孫娘の、「モンブラン・パン・ケーキ」があらへんですて。へえと。
何でやと、文句も、云えずで、ほなら、どするやと、孫娘に伝えたならばの、いらんと。そかと。何なら、当方の、ロール・ケーキ、チョとやろかと、提案も、ええと。そかと。

斯くしての、スグにも、注文のが、届いてねえ。
ほならの、ほならで、孫娘、まずは、砂糖をと、そかと、テーブルにあるのを、一袋、手渡しの。暫くしたら、モ1つと、又、モ1つと、請求する故、そかと、手渡しの。沢山いれるんやなと。
又、暫くしたら、今度は、牛乳が無いと。ンの、そやなあの、牛乳が無いなあと。
いやなあ、当方、基本、ン年以前より、砂糖不要。「モカ・フロート」なら、クリームが載ってる故、牛乳も、不要でして。

イヤイヤ、そかと、店員呼び出しの、ベル一押し、一発。
即の、来てくれての、まあなあ、すぐの、そこに、見えてるですが。牛乳を欲しいのですが。店員、牛乳ですかと、怪訝なるの顔での。ア、そかと。メニューにも、あらへんなと。間違われて、アイス・ミルクでもを、持って来られたら、困るの事よ、なれどの。デハの、フレッシュをと。くださいと、申せば、即の、フレッシュ3個、くれて。オオキニと。
3個もいるのか、いらんのかの、その3個、孫娘、全部入れて。

での、又、暫くしたらの、お爺ちゃん、コレ、ニガイ。
ンの、そかいな。苦かったんかと。仔細、理解致しの、そらなあ、8歳の女の子では、「モカ・フロート」は苦かったんやと。それで、砂糖や、牛乳をと。
上の、クリームだけは、無くなってたですが。

ンの、任せとけと。
クリーム無しの、「モカ・フロート」をば、モ1杯。
正直、2杯もは、いらんのけどや。しょがあらへんわと。孫娘のためと。
云うとくの、余所の子の残したの、なんか、嫌やけど。孫の故、孫娘の故、飲み干せるですが。

過日、過年、洛西高島屋にての、抱っこしてたの、孫君3号の、オシッコが漏れてもての。モロ、手に掛かったけどや。次男、ご免と、謝ったですが。謝られて、異なるの気分でねえ。まあなあ、次男からしたら、謝るの気、理解するのけどや。
これが、それこその、余所の子、孫世代でもや、汚らしいの、気、あるけどや。自身の、孫子のなら、全然の、思わんわと。
まあ、云うたら、しょがないなあと、ダケでの。意味なるは、そんな事、あってもなと。
云い出したら、ウンコの付いた、オムツでも、別段にの、何等、抵抗あらへんわと。サと、持つわと。
<参考=「禁談・奇談UNO.1」NO.4 母退所の話(4) 帰る、帰るの大連呼の話

それこその、母のは、可成りの、猛烈なるの、臭い、クサイの、ドド臭いの、鼻、ネジ曲がる、目に、染みの、開けてられんの、息、ンと、詰まるのけどや。
それでも、母の故、我慢の、ガマンの、ンの、えいの、我慢しての、なれどです。
コレ、余所の爺婆のなんか、誰がと。
やのに、介護士の方、されてるが故、頭下がるの思いやわと。

下手したら、肉親、子でも、汚らしいと、逃げるのが居てるわと。大抵ならばの、サと、姿、消してるわと。精々が、傍観、してるわと。
いやなあの、孫世代のと、では、におい、全然の違うんやと。特には、母、胃を切除しててねえ。薬のせいで、余計にでして。

又もやの、少々の、話、逸れたですが。
「モカ・フロート」も、残すは、勿体ないしなあと。これも、孫娘にしたら、チョとした、冒険心、興味抱いての、どんな哉と、挑戦するも、思いの外、強敵やったんやと。大人の味やったんやろと。とは、重々の承知。
イヤ、孫娘、正直、そのよに、白状してるわと。苦いと。
只なあ、砂糖、ン袋分も入れやがててねえ。底の方に貯まってての、ストローで、吸えばの、甘い、甘いの、甘過ぎるですが。
孫娘の故、しょがないなあと。
(15/09/01)


NO.16 三十三間堂での話(1) 駐車場の話

ハタと、思い出したわと。
イヤ、孫娘、この手の事、過去<2012年>にもあてねえ。
イヤイヤ、当方が、代行で、喰た、飲んだの話で無いけれど。

孫娘5歳の時、一度目、四国の嫁はんの里からの、帰りの道中。
瀬戸大橋の、「与島プラザ」にて、皆で、休憩の際、孫娘の、アイスが、ポロンと、落下。
<参考1=「単なる雑談NO.81」NO.1077 恒例・四国の話(8) 無事に帰還の話

二度目、当家、近在のマクドナルドにての、孫娘の、ハンバーガーが、手元から、ポロリ。
<参考2=「単なる雑談NO.84」NO.1109 次男家、孫君の初宮参りの話(5) ハンバーガー、ポロリの話

一度目のは、さあと、孫娘連れて、買いに行ったですが。
二度目には、どしたん哉の、落ちたのは、当方、処分したは、覚えてるですが。替わりのを調達したかは、覚えてえへんでねえ。どしたん哉と。

云うとくの、当方のを、分け与えては無いです。
分けるにしたって、口付けて無い箇所でして。そらなあ、当世、ピロリ菌やとかや、諸般あるは、承知。
この当時、ピロリ菌検査、受けて無かったですが。当年、7月に検査で、見つかって。投薬致しの、この、9月11日に再検査での、結果判明致すですが。

オッとの、此度、結果的、ガラスのコップで、貰てるの、氷り入りの水で、冷たいのをと、相成ったですが。
コイツ、孫娘、案外に、冒険心、挑戦欲、あるのやなと。この範囲なら、無茶なるの、では無くて。微笑ましくて。
くどいけど、孫君連中、まだまだ、その限度がなと。分かって無いだけに、怖いんやと。現在唯今、その体験、体感、勉強中とも、云えるですが。男の子はなあ、当分、続くやろと。

ほんまやでの、孫君1号、2号、生傷の絶え間無しの。男の子やなあと。男の子に間違いは無くの、それで、結構やけどです。孫娘のよに、預かってやってもの、気には、成らんわと。
そらなあ、孫君3号にしたって、そんな調子故、怪我させたら、困るわと。目が離せえへんわと。気が休まるの暇、あらへんわの、嫁、よおやてるなと。
どの親も、その経験してるのけどや。

での、「からふね屋」の話の、店内、大体は、親子であったり、相応の歳の、男女であったり。相応とは、若手でも無いの、軽くの30代、40代の、でして。先客の、男女も、当然の居てるですが。
当方からしたらの、陰気なるの2人でして。明るさ感ぜずの、どちにしたって、恰好、外見だけの紳士淑女面での、中身、あの程度。
想像するに、チョとでも、怒らせたら、まともなるの、日本語話せずの、意味通じるの言葉、発しやへん、やろなあと。要は、モンスター。常の自分が正解でありの、正しいと。

その一角以外も、概ね、静かやけどや。特段の、余所様の会話なんか、聞き耳立ててへんしで、知らんのけどや。
孫娘の様子見しつつの、余所見る、伺うも、案外に、面白いぞと。
孫娘の向こうのテーブルには、所謂の老夫婦と、その孫娘3人様の、5人でして。イヤ、孫娘と、勝手に思てるの、ダケの。上、中学生で、中手、下が、小学生やろなあと。下のが、我が孫娘と、ホボの同じの、2年生哉と。

もしかしたらの、1年生怪の、これが、落ち着かんでねえ。自身の一家のテーブルの範疇だけ、なれどの、ウロウロしてねえ。範疇故、余所様に迷惑掛けてませんですが。これが、男の子なら、どかなあと。要はジッとは、してませんでして。
只なあ、下の妹を、長女が、バシリと、窘めてましての、えらいなあと。
がや、爺様、婆様、ほったらかしの、一見、無関心。イヤ、親年代のは、居てへんでねえ。爺様、婆様、多分ならばの、70代と。
当方にしたって、ン年もしたら、70歳、なれどです。


とかとかの、余所様観察しててもなの。孫娘に、行こかと。
トイレはと、尋ねても、ええと。フウンと。
コイツ、トイレ回数、僅少での。イヤ、当方も、用事無いけどや。来た時、初っ端、用足ししてるしと。

精算して、出たら、「三十三間堂」は、七条通りを挟んでの、真向かいでして。
信号渡って、中見たら、駐車場ガラガラでの。
いやなあ、車をそのままにしとくか、移動するかが、あてねえ。満車なら、そのままに、「京都国立博物館」の駐車場にで。空いてるなら、駐車条件、尋ねるの、積もりでねえ。
入り口の管理人に問えば、三十三間堂拝観の方なら、40分間、無料ですて。フウンの、それなら、ガラガラ故、移動させよかと。

正直、検索、探索にての、40分間無料は承知してたですが。無料故、満車やろと。
「博物館」見学して、「三十三間堂」は、40分では、無理でして。
オッとの、ほならと、孫娘に、あちの、駐車場に戻って、車で、こちに来るかと。ンと。

斯くしての、又、信号渡って、駐車場に戻りの、駐車料金精算するに、200円也でして。先刻の、1時間割引手続きしてるが故での、へえの、200円で済んだなと。
20分、100円故に、200円なら、20分以上、40分以内の超過なんやと。
どちにしたって、安うで、済んだなと。

そんな次第の、七条通りで、真向かいも、車移動、厄介なれどの、この界隈、京都市内も、案外に、車も、人も少なくて。楽勝でして。
さと、方向転換、先の、管理人にすみませんねえと。どこに駐めたらと、尋ねるに、内部に、モ1人、居たはての。こっち、こっちと、手招きされて。
有り難いの事に、木陰の場所に誘導されて。
そらなあ、先の駐車場では、車内、暑うてねえ。ここでも、孫娘、持参のマホー瓶の冷茶をゴクン、ゴクンしたですが。

での、再度の、その管理人より、三十三間堂の駐車場は拝観者に限り、40分無料ですと。
その証しなるは、見てますぞと。
オッとの、そらなあ、分かるです。堂内境内の駐車場での。入場料受付窓口、スグの、そこ。
拝観料なるは、大人600円、中高生400円也で、ソレ以下、300円也でして。他と比べたら、安いわと。
(15/09/02)


NO.17 三十三間堂での話(2) 京都、ええとこ、歴史、文化、芸術の話

「三十三間堂」
ここも、そんなに度々の、回数来てへんわと。此度で、三度目哉と。
一度目、高校一年生の夏休みに、同級生と、自転車で、来てるです。イヤ、誰と、申せば、現在、祇園祭の、菊水鉾保存会理事長でして。「名所旧跡見てある貴」と、自称しまして。
2人して、方々、自転車でと。
考えたら、拝観料だけでも、バカにならへんかった、みたいなれどの。当時はなの、無料のが、多く。

光悦寺<本阿弥光悦>なんか、入り口に、「寸志」と記載の、竹筒が置いてあったのだけでして。
清水寺も、十円、二十円の筈での。そらなあ、当世とは、物価も違うのけどや。現在でも、400円でして。相当に長くの、ン十円の期間あったわと。
ここの、拝観料の歴史語れば、京都市が、拝観料に税金をで、寺、反対されての、一時、拝観出来ずの期間、あったりしてねえ。それも、又なあと。拝観出来ずで、門前町、土産物屋が困るの事よと。

での、「三十三間堂」の、二度目は、家族全員での、嫁はん、息子共と、母の、5人。
本命なるは、嫁はん、息子共に、是非共見せてやりたいと。多分なら、「京都国立博物館」と、一緒にやろと。何度も、申すの真向かいでして。それが、前回に成るのやろと。
いやなあ、京都の人でも、そんなモンと、違うの怪の。もしかしたら、場所は知ってても、一度も拝観してないの面々、案外に多いのではと。ソラ、用事があらへんわと。只では無いの、拝観料も、いりますがな。
無料やからと、東本願寺<堀川通り>、西本願寺<烏丸通り>にも、何度、入った事怪と。寺の前なら、数え切れんの程、行き来してるですが。

オッとの、孫娘にも、是非共に、見せてやりたいと。
「三十三間堂」の、千一体の、十一面千手観音像をです。
見て、何になるやの、何か、あるやろと。単に沢山の、仏像があるなあと、ダケでも、結構なると。8歳には、8歳の、感じ方あって、結構なると。高校生なら、高校生なりに。二十歳なら、二十歳なりにと。
云うたら、8歳は、現在唯今にしか、感じるは出来ひんわで、充分での。難しい事、要求せずの、考えても居てへんわと。見たがまま、感じたのままでして。
それで、見て、ど思たかと、なんか、聞いてえへんわと。夏休みの宿題や、あるまいにと。

千手観音なら、先の、「京都国立博物館」にも、あったわと。
その時にも、孫娘には、あのなあと、これが、「三十三間堂」には、数え切れんの程に、沢山あるんやでと。チラとなら、説明致し。沢山も、数は、分かってるの、千と、一体。堂中央の大千手観音像、中尊、一体をば、含めての話、なれどです。
要は、その左右に、5百体ずつでして。

オトトの、云うとくの、千手観音での、仏像での、「三十三間堂」なるは、仏堂での。
云うまでも、無いの、神社に非ずの、寺。
何を云うてるやと、なればの、母他界での、忌中期間過ぎの、喪中なれどの、喪中故、神社ならなの、鳥居潜るは、憚られるですが。寺院に、鳥居なんか、あらへんわと。
時折には、「三十三間堂」をば、神社と、勘違いのが居てるですが。「堂」としてるやんかと。
宗派なら、天台宗。
ついでになら、成人式の日には、成人が、堂内にての、「通し矢」を行うの、舞台となてるです。
見た事、あらへんのけどや。


そんな次第の、斯くなるでの、ン十年ブリの、「三十三間堂」での、孫娘の、お手々繋いで、さての、どこから、入るやの、矢印、順路の方向えの。ンの、靴脱ぐのかと。下駄箱あっての、案内書、日本語、英語、中国語なんやろねえ。書いてあての、フウンの、当世、中国人観光客も多いの怪の。
正直には、「三十三間堂」まで、拝観なら、大したモンと、褒めてつかわすです。
の割には、そんなに沢山の拝観者居てへんでねえ。周辺の声、ンの、日本語で、安心するですが。外人も、見て一発の、毛色違うの外人でして。

ででの、孫娘に、説明厄介での、してへんけどや。
堂内両の端には、「風神」「雷神」像がで。コレ、そのままの、「風」の、「雷」の神での。
この、風神雷神こそが、俵屋宗達の、「風神雷神図」の、での。元々は、「建仁寺」所蔵での、「京都国立博物館」に委託されてるですが。この日、展示はあらへんでして。残念無念也。
この、この、「建仁寺」なるは、京都、大和大路通りにあるわと。場外馬券屋があってねえ。

ついでにならばの、云い出したらの、俵屋宗達の、「麒麟図」「白象図」なるが、「養源院」にあるですが。
当時、アフリカの、麒麟<きりん>も、象も、見た事、あらへんの筈のを、日本から、出た事の無いの、俵屋宗達が、描いてまして。天才の事を、麒麟児と称するの。コレ、ここから、来たとも、云われてるわと。
更にならの、その、「養源院」なるは、この、「三十三間堂」の、近所やわと。近所と、するのか、真向かいさんか、裏手、横手哉の。そこにあるわと。矢張り、高校1年の時、拝観にと。
いやなあ、高校1年で、俵屋宗達の名も、「風神雷神図」「麒麟児」の事なんか、承知してた故、多分なら、中学で、教えてもろてたんやろと。

での、何が云いたいの怪と、なればの、京都なるは、その手、現物見られるわと。ここにあるの、これが、それと。
教科書のが、そこにあるぞと。孫娘、その内には、写真なりで、見るやろと。そのままの、日本の歴史、文化、芸術なんやでと。
申したい、教えたいの、けどや。今は、8歳の、小学2年生故、云うたって、分からんわの。イツか、又、教えて、分かるの年齢、お年頃になった時に、でもと。思うのけどや。
その頃、果たしての、こちが、生存してる怪の。生存してても、孫娘が、付いて来て来るの哉の。付いて来てくれるの、気あっても、今度は、こちが、教えてやれるの、気力、体力、あるの怪の。
その上で、ボケてえへんかたらなと。

今は、単に、雰囲気だけで、結構なると。
又、孫共、孫君共にも、順々にと、その機会あればなと。思てるのけどや。次第、次第にの、こちの、歳との、勝負になりの、ツツにあるわと。

トトトの、そんな事で。
千と、一体の、千手観音像、孫娘も、興味津々での、はしゃいでねえ。ンの、結構なるの、賽銭箱、随所にあての、その都度、5円なり、10円なり、孫娘に入れさせては、賢くなりますよに。綺麗になりますよに。病気、怪我しませんよに、風邪引かんよにと、頼んどこかと。
「マンマンちゃん、アン」と。
拝んで、頼んで、チョとでも、ご利益<ごりやく>あらばの、結構なると。

いやなあの、そらなあの、駐車時間、40分以内も、そんなには、時間掛からんの、120メートルと、されててねえ。堂の長さ、なれどです。
イヤ、三十三間故、長さ、三十三間での、1間、約の、1.8メートルの、約の、54メートルに非ずの、この、「33」なるは、何ちゅうかの、観音に由来の数字での。観音菩薩、「33」種の姿に化身するの、「33」なんやと。
ついでになら、女神<じょしん>やわと。そのよに、されてるわと。

にしてもの、堂内、冷房あらへんし。
拝観者、相応に沢山居てて。
特には、ここには、学生風のが、多てねえ。デートで、来てるのやろかの、羨ましいなあと。中には、男だけの、女のだけの、グループなんやろかと。ええなあと。
時には、老年婦人の、グループなんやろかで、ゲと。
(15/09/03)


NO.18 三十三間堂での話(3) ここでもの、トイレの話

オッとの、くれぐれもの、8歳の孫娘に、そんな難しいの話なんか、してへんでと。
イヤ、俵屋宗達の、「風神雷神図」とか、「麒麟」「象」が云々とかで。
ソバに、東側に「養源院」があるからと、此度、連れてくの、候補になんか、入れてませんでして。

何故にと、なればの、チョとなの、「血天井」なるが、あるです。
「関ヶ原の戦」に関連の、「伏見城の戦」にての、鳥居元忠の兵が城を死守。自刃した廊下の板の間には、血が染まりで、供養のため、天井にと。
これこその、せめてもの、中学生にでも、成ったらなと。

その辺り、難儀やねえ。
孫共の、年齢、上、孫娘で、8歳。下、孫君3号、モすぐにも、3歳なれどの、現在唯今、まだ、2歳での。少々、ばらつき、あって。当面、一緒には、無理あって。
神社仏閣の拝観の話やでと。

にしてもの、余計なるの話。
京都も、すかりの、観光都市。
そらなあ、比較対象、当方、高校1年生当時なれどの、夏休みで、方々、行ったのけどの、どこも、かしこも、とは、可成りの大袈裟なれどの、拝観者なんか、居てへんでと。居てへんも、極端表現なれどです。

高校生の身分で、資金乏しくの、拝観料も、只とか、精々が、50円程度哉の。当然の、ン十年の昔の、半世紀経つけどや。貨幣価値、物価が違うのけどや。親から、小遣いなんか、もろてえんしで、アルバイトでの、資金での。
元々が、金銭に執着心無いは、無いの性格なれどの、苦にならぬの、拝観料での。
移動は、自転車やしなと。交通費ゼロ。

での、拝観者数と、なればの、この、「三十三間堂」で、当日、丼勘定の、百人哉の。半世紀以前なら、10人、20人やった哉と。
「光悦寺」「養源院」「方廣寺」なんか、連れの学友との、2人だけなんやでと。それに対しの、年老いたの、案内人が、高校1年生2人如きに、丁寧なるの、解説、説明してくれやはてねえ。恐縮したわと。
ついでになら、「龍安寺」。
石庭眺めて、昼寝でもが、出来るの閑散状態。イヤ、大学のソバ故、時折には、出向きの、昼寝までは、してへんの、けどや。ソラ、ゼロではあらへんの、数人が、ノンビリと、してたわと。

云い出したら、「金閣寺」。
ここも、当世、人、人、人で、人に押されて、進むの如く、なれどの、当時には、これ又、ノンビリと、でして。ましてやの、この手、神社仏閣で、外国語を聞くの事、あらへんかたけどや。
過日、過年、久しぶりに、行った時には、その状態での、休憩所と、するのか、タバコ吸てたら、台湾人やろかに、囲まれ状態。

ほんまやでの、「清水寺」も、同様での、拝観料、支払うに並ばん、ならんの状態での。へえと。
道中、石段の道も、真っ直ぐには、歩けませんでして。人、人、人で、四条河原町状態。その昔なら、この、半数も、来てへんわと。その又、半分も、来てたやろかの、賑わいでして。
悉くの、雲泥の差、感じるわと。

イヤ、この、「金閣寺」「清水寺」なら、元々が、京都を代表するの、寺院なれどです。拝観者の数、様相一変してるわと。
その、元々は、「寺」でして。まあ、云うたら、有名寺院であるのだけの。信仰、信心の場、尊崇の対象でして。心、休める、新たにするの場でして。
オッとの、観光否定してへんでと。興味津々の、どんな哉で、拝観、参拝されたらと。

只なの、当世、可成りの以前から、なれどの、京都も、観光地化され過ぎて、人、多過ぎるですが。多過ぎるも、まだまだと、人集めされてるですが。ええの哉と。
まだまだ、「三十三間堂」なら、やや、外れにあるが故、外れとは、解説、チョと厄介故に、割愛致すの、マシなん哉と。
いやなあ、人、多過ぎたら、落ち着いての、拝観も、出来ひんわと。
割愛の、解説、チョとだけしたらの、京都観光での、或る意味、有名処、多過ぎて。全部見てたら、時間、幾らあても、足らんわと。大体が、京都の人間でも、全部は、見てへんわと。
そんな意味での、最優先候補からは。外れるの哉と。

噂話の範疇なれどの、「金閣寺」の近所の方、消失してから、見に行ったですて。焼け跡をや。
イヤ、そんなモンやと。近くにあれば、ナカナカにと。くどいけどの、拝観料もいりまして。
イヤイヤ、「金閣寺」放火事件なるは、三島由紀夫の小説、「金閣寺」でも、有名でして。
ついでになら、水上勉の、「五番町夕霧楼」でも、取り上げられてるわと。犯人、寺の、見習い坊主。

モと、云うたら、「金閣寺」見ても、「銀閣寺」の、拝観少ないと、違う怪。
「東本願寺」「西本願寺」なら、有名なれどの、拝観となればの、ど哉と。只やでと。さりとての、どやどや、がやがや、しての拝観すべきの、「寺」で無いですが。団体は、多いけどの、本願寺派信者が、信仰の場、本山としてと、思うですが。主たるは、なと。

そんな事で、その内にはと、孫共をと、思うのけどや。
そらなあ、自身、若い時には、息子共、モと、連れ回してやりたかたの、けどや。その時には、こちが、そんな余裕、気分的、時間的にあらへんわと。
生活、支えるに、仕事で、精一杯。
相応に、連れ回してると、思てるですが。そらなあ、当たり前の、此度、孫娘、連れ回してるの程度、息子共も、その昔には、行ってるわと。


トトトの、「千手観音」も、さあの、帰るに、モ一遍、見とこかと。横から、一列、整然と並ぶの、千手観音像、見させるに、孫娘の背丈では、難しく。ソラ、一段の高い場に、安置されてましての、囲いもあての、見難くて。抱き抱えての、ホラなと、見ときやと。沢山あるが、分かるやろと。
御堂出て、靴脱ぎ場で、靴履いて。ンの、そこに、トイレある故、孫娘に、オシッコはと、問えば、ええと。
困ったヤツやなの、行ってくれたら、ええのにと。ほならの、その間、こちも、用足し出来るのにと。思えど、やらんのを、無理に行て来いもなで、チョと、待てなと。

男子トイレに入るに、結構、見渡しのええトイレでねえ。
ここでも、ええでと、こちからでもの、見えるの範囲で、待てくれと。云うてるのに、入って来てねえ。まあなあ、ダアレも、居てへんしで、構わんのけどや。構わんけどの、ソラなあ、やり難いぞと。
孫でも、一応は、孫娘で、女の子でして。出てけ、とは、云えんの。誘拐されたら、大事<おおごと>での。
さりとての、小さくともの、コレに監視され状態にての、用足しはなと。監視してるの訳でも、無いの、けどや。
正直、緊張してもての、出るに、出すに、覚悟決めてまう、までに、時間、要すわと。こんな状態、慣れてえへんわと。只なの、その日、二度目でして。
当方の、トイレ、小用がや。

実は、孫娘、連れての、連れ歩きで、一番の、困るの事、タバコ吸うに、吸えへんでねえ。
小用、トイレは、ガマン、我慢の、ガマンするは出来ひんわと。タバコはなの、この程度の、時間ならと。イヤ、連れ回してるの、間の、時間なれどです。
そもそもがの、この手の場所、「京都国立博物館」「三十三間堂」に、灰皿なんか、置いてえへんわと。
吸うなら、大通り、七条通りなれどの、出て、ケータイ灰皿でもで、吸うは出来るのけどや。持参なら、準備万端の、してるのけどや。この日、暑うてねえ。こんな時に、大通りで、孫娘を、ン分、待たせの、吸うもなと。
思いの、遂に、この、ン時間、一本も、吸わずやなと。
(15/09/04)


NO.19 京都御所での話(1) ほなら、行てまおかの話

そらなあ、孫娘、2歳。
の、当時。
当家に来て、当方の顔見た途端、泣かれたり。
暫くして、慣れて来たかと、親、買い物に出掛けて、帰って来た途端、泣き、両親の方に、逃げられて。
ンの、それまで、必死にガマン、ガマンと、我慢してたんかと。この、2歳のがなと。

正直、そんな態度、反応されたら、寂しいし、腹の立つノリでもあっての、どついたろかと。
コレ、離れてるが故、偶に顔見るだけでは、仕方が無いなあと。基本、両親の顔以外、見てへんしと。とは、重々承知しててもでして。そら、当人、孫娘にしたら、正直なるの、反応での。
この時の事、振り返れば、雲泥の差。

その当時、孫娘、2歳、3歳の頃。
余所の爺様、孫娘が、お手々繋いで、歩いてて。その孫娘の表情、気色満面やてみい。スキップでも、踏んでてみい、羨ましいなと、何度、思たの事かと。その偶々の光景も、孫娘、可愛らしい顔、恰好しててねえ。

での、その辺り、孫君共の方が、こちに、馴染んでくれるが早いんやけどなと。
これがなあ、その行動なるが、結果的、初孫であるの、孫娘の後追いでして。
云うてるの意なるは、寝返りを打つ。立つ、座るの、ハイハイ、し出すの、歩き出しの、ウロウロ、動き回りの、あちこち、触りまくりの、手を出しので、目が離せんよになりの。戸を開けたり、閉めたり、二階に上がったり。
膝に乗り、肩に乗り。デン繰り反りさせよの、足持ってくれ等々、全部、孫娘の後追いでして。
現在唯今なら、孫君1号、2号がソレでの。モすぐにも、3号がと。3号君、やり出した頃には、1号君、やや、卒業なん哉と。
ンの、孫君3号、まだ、要求しやへんは、肩に乗り、デン繰り反りさせよの、要求をや。

孫娘なら、遠の昔に卒業での。
イヤ、もしかしたらの、もしかしての、我慢してるの可能性がと。
その我慢の分、チョと、赤ちゃんから、卒業哉と。微妙に、赤ちゃんに戻るのけどや。

とするのか、孫娘、何度でも、申すの、現在唯今、8歳。
形容、難しいけどの、日本語達者。女の子やしなあと。口は早いし、男の子よりは、おませ。
物事、へえと、感心する程に、よお、知っててねえ。器用で、努力家で、飲み込み早くの、ンの、ついついの、大人的に扱いの。ンンの、字見たら、ひらがな、カタカナ、漢字が少々での。字のカタチ、大きさ、バラバラ、筆順デタラメ、ヨレヨレの、またもやの、ンの、よ考えたら、マダ、小学2年生なんやなと。

比べて、孫君共。
云うたって、3号君、まだ、3歳になってえへんしで、日本語、まだまだ、難しいのけどや。
1号君、2号君にしたって、云うてるの事、今一、分からんでねえ。一生懸命に、喋ってくれたら、くれるの程に、分からんでねえ。結果、行動、手が、足が、先に出て。コラと。

オッとの、この手の話、するの積もりで無かったなと。
要は女の子は、可愛らしいなあと。コイツ等、将来的、小面憎い事、抜かすよになりやがてみいと。
どついたろか、以前に、寂しいなるやろなあと。
コレ、第一反抗期、第二反抗期で、必ずや、訪れるわと。
ンの、孫君2号、既に、第一反抗期哉と。大体が、云う事、聞かんでねえ。困るの事よの、反対の事、ばかりをしやがて。やめとけ、云うたら、やるし。せよと、云う事、しやへんし。

オトトの、コレ又、脱線の、孫娘を連れ回してたら、何ちゅうかの、この、コレ、可愛いの、我が孫娘やでの、見て見て、見て頂戴、見てやて頂戴なの、気分になてねえ。
どこのどこ様かは、知らんの、過年の、爺様と、気色満面の女の子。その子と、退け、取らんぞと。
別段の、可愛いさ比べ、でも無いけどや。イヤ、正直、してまうの事、あっての。この日の、「からふね屋珈琲」での、三姉妹となら、三人まとめて、勝ってるなと。

別途の、孫娘故、遺伝子、伝わってるぞと。当方のや。基本、均等ならばの、四分の一はなと。
こちは、一応、男で、孫娘、女故、同じの顔付きしてへんのけどや。とは、当方の判断での、ハタ目は知らんの、そやから云うての、まさかの、余所の孫娘、連れ回してると。とは、思われへんです。

実はなの、孫娘、一週間、預かってやろか、預かっても、ええなと、思たは、最近での。
当然の、親が同意なら、でして。
それまでは、そんな事、夢想だに、してへんわと。
何故、思た、考えたかと、なればの、孫娘なら、預かれるの、状態になっての。ソラ、諸般、不安あるけどや。最大、誘拐でもされたら、トンでもでして。当世、怖いニュースばかりでねえ。

まずは、落ち着いて来てるし、聞き分けあるし。
日本語、分かるし、無茶しやへんし、云わへんしと。家の中なら、ほっといて、好きにさせてて、心配いらへんしと。
云うとくの、チョとでも、長く、孫に接してたいの、自己チュー的気持ちからでは、あらへんわと。

その手、安直には、考えてえへんの。
むしろの、預かったら、相応の責任あるわと。無事に、親に届けんならんわと。
それもあるし、我が家に、周辺に、孫娘と遊べるの子が居てへんわと。爺婆だけでの、退屈と違うの怪と、思うしなと。
二、三日なら、その退屈も、しのげるのけどや。一週間も、孫娘が耐えられるの怪と。そらなあ、こちも、四六時中、相手してられへんわと。

イヤ、あちに、こちに、連れてってやりたいはあるけどや。
それは、遊園地と、違うしと。
「京都国立博物館」「三十三間堂」と、「御所」でして。「京都市動物園」も候補にはあったけどの、全部も一気は、こちが、しんどいわと。この時期、8月での、暑いしなあと。
あとは、精々の、レンタル・ビデオ屋であったり、本屋やしと。
そんな事で、我が家に来るに、過剰なるの、期待されてもなと。

いやなあ、小学2年生の、女の子やなあと。
さあ、「三十三間堂」に、「御所」に、レンタル・ビデオ屋にと、本屋にと、云うてみい。
こちが、準備出来るまで、待ってくれよと、云うてるのに。ササと、お出かけの、体制での。靴履いて、玄関のドア、開けてもての、外に出やがてねえ。
オイオイ、待てと。待てくれと。
オシッコは、帽子は、オマエの持ってくモンは、大丈夫怪の、これで、ええ。ンの、そかいなの、道路に出たらアカンでと。ン、分かってる。

分かってえへんがな。外出たら、あかんがな。
こちが、大慌ての、ンの財布は、車のキーは、ハンカチ、ポケット・ティッシュは、ケータイはと。
ン、ンの、どちみちの、タバコ吸うのチャンスは無いけどや。一応は、持参で、上手く行けばと。全くの無かったの、けどや。

での、8月の、20日<木曜日>には、「御所」えと。
昼からなれどの。本来、19日に予定してたですが。雨予報でねえ。中止にしたの、雨降らず。時間的、水曜日は、レンタル屋にしたですが。
この日も、雨予報なれどの、曇天は、曇天なれどの、降ったら、即の帰るにしての、傘の一本、あれば、え哉と。それなら、前日、雨予報も、それで、良かったの、けどや。

曇天の方が、暑のて、結構哉と。
ほならの、「御所」に、行てまおかと。
云うたの、途端、即の、ササと、靴履いての、外に出てもての、お爺ちゃん、まだか。遅いなと。あのなあと。オシッコわいな。無い。道中、長いぞ。無い。勝手にせえ。
こちは、あるわと。待てよと。

水筒と、着替えも、持って行くにしててねえ。水筒も、着替えも、孫娘ので。風邪引かれたら、困るの事よと。
準備万端してくれてるは、嫁はんなれどです。こちは、どこに置いたった哉と。
オシッコもしんならんしの、俄然の、忙しい事。
(15/09/05)


NO.20 京都御所での話(2) 説明難しいの話

車に乗る前に、モ一発、大丈夫か、道中、長いで、時間掛かるでと。
念押したら、チョと前に、オシッコしたですて。そかと。
時間掛かるも、概ね一時間程度なれどです。京都縦貫道使うの積もりでして。
での、乗ったの途端、眠そな顔するしで、寝てもええで。付いたら、起こしたるしと。申せば、眠と無いと。ンの、マの、好きにして頂戴と。

ででの、道中、車内にての、「皇居」「天皇陛下」とか、聞いた事、ある怪。無い。知らん。そかと。そやろなあと。
そやからと、その辺り、説明するも、厄介でねえ。日本で、一番にえらい人。との、表現も変でして。「元号」も、チョとなで。されどの、説明出来るの範囲で、孫娘が、承知してるやろなあの、範囲の言葉で、説明するに、現在、「平成」のと。云うは知ってるかと。
問えば、よお、知らんと。フウンの、そかと。

いやなあ、当方なら、小さい時から、周囲で、「天皇陛下」が云々と、訳分からんでもの、会話があっての、ハタで、聞いてて、何とは、無しに、知ってたよなでして。
これは、先の大戦、戦争の話からでして。兵隊さんが、「天皇陛下万歳」と、叫んで、戦死しやはったんやと。ほんとはなあ、「お母さん」と、云うたはたの、みたいやけどなあと。
それもあるし、叔父が満州で戦死。母方、伯父も、どこやったか、戦争には行っての、帰還兵でして。ンの、その辺り、どことは、聞いてへんでねえ。聞いては、いたの筈なれどの、具体的な話は、聞かされず。
只、カラダにあるの、銃弾の跡を見せられたの、記憶はあるです。

それもあるし、「一億玉砕」「討ちてし、止まん」とか、「竹槍」「鬼畜米英」とかとか、聞かされ、現に、傷痍軍人が、そこらに居たはったし、四条大橋には、それこそのと。乞食同然の恰好して。
昔はなあ、「天皇陛下」は、京都に居たはったんやでと。
それがなあ、東京に連れて行かれやはったんやと。まるきりの、拉致されたよな、表現で、聞かされて。
事実、拉致でして。天皇の考えで、東京に行ったで無く。
その、「天皇」の、京都時代の、住み処が、「御所」でして。その昔の、我が家からなら、歩いて行けるです。

での、「御所」に行くの、道中、堀川通り経由で、行ったですが。まあ、云うたら、我が母校、「京都市立堀川高校」前、通過で、ここなあと。
とは、申してませんの、単に、この辺りに、お爺ちゃんの住んでたの、家があったんやでの、範疇での。その先、「二条城」があっての。孫娘、コレ、何えと。
これなあ、「二条城」と、云うの、「城」なんやでと。

ここで、申すの、「二条城」なるは、コレ又、説明、難しいねえ。天守閣が無いの、「城」。イヤ、落雷で、焼失でして。
所謂の、城主、誰と、云えへんでねえ。現存のは、築城主、「徳川家康」。
そやけど、「徳川家康」なら、「江戸城」でして。ほならの、まあ、云うたら、別荘哉と。
「大阪冬の陣、夏の陣」の、軍議は、ここで開かれ、ここから、出陣と、されてるですが。
「天皇」家も、別邸、「二条離宮」として、使われてたの話あっての、そらなあ、ややこしいわと。

まあなあ、ここも、別途の機会にでも、連れて来てやたら、ええけどや。
ここなら、我が母校、「堀川高校」のソバでして。当方、一年の時、水泳部で、冬場、トレーニングで、ここ、一周、させられたですが。陸上部と、違うしなあ。走り、苦手でねえ。脚力の、持久力、あらへんでねえ。チョと、走っては、ヒイ、フウ、ハアと。
実際には、歩いて、一周してたわと。
イヤ、高校から、歩いて、10分哉と。

中に入ったの、事はと、なればの、矢っ張り、3度くらい哉と。
息子共も、一緒が1回あるわと。
只なあ、入場料と、するのか、拝観料なんかが、いるですが。天守閣もあらへんしで、余り、見るのべき、箇所も無く。
ソレ、云うたら、「御所」も、でして。そやけど、「御所」は、只。
多分なら、人も、閑散やろと。

ここで、申せば、当時、当時とは、通学時代。
格致小学校、横町での、歩いて、1分。郁文中学校、歩いて、7分。堀川高校、歩いて、7分。大学は、単車、ホンダの、スーパー・カブで、さての、どれくらいの、通学時間であった怪の、30分も掛からんかた哉と。
考えたら、便利な場所に、家あったんやでと。

と、なんかは、孫娘には、云うてえへんです。
くどいけどの、「堀川高校」でさえ、説明してへんわと。思たの時には、通過してもての。そらなあ、片側三車線もあってみい。コレ又、横目も、よそ見も、モタモタ、出来ひんわと。
特には、孫娘が乗ってるわと。

それでや、「二条城」は、場所柄、車を駐め難く。
城の真ん前に、駐車場あるのけどや。前の通り、堀川通り、そのものが、交通量、多てねえ。矢っ張り、モタモタ、出来ずの、堀川通りでして。
その点、「御所」はなの、車通りの少ない場所に駐車場あってねえ。何度かは、駐めて、別途の場所にと。オトトの、有料駐車場での、別段にと。勝手でして。

ついでの、それでや。
当時、当方、高校入学の、当時までは、高校の真ん前に、「チンチン電車」が走っててねえ。「北野天満宮」行きでして。
丁度、入学の時、廃止になての、線路の上、歩いて、高校えと。その、堀川、イツの間にやら、蓋されて。オッとの、蓋されるの、以前には、そのままの、「堀川」なるの、ドブ川でして。
ドブ、云うても、京都は、呉服の、着倒れでの。ユノシ屋はん、染めモン屋はんが、生地をば、洗わはるの、川でして。それが、京都の風情やったですが。

堀川ねえ。
運河でして。川、云うても、深くは無く。精々が、腰の辺り哉と。職人さんが、作業したはたを、見てたですが。雨、台風でもあたら、増水しての、溢れる事も、あったのけどや。そしたら、犬、猫の死骸も、流れてたですが。コレ、野良でして。捨てるの人もあったんやと。捨てられてるの犬の子、見つけたら、可哀想と、連れ帰りの、母に叱られて。
ンの、蓋されてもたら、ソレ屋はん、どしたはるん、やろなあと。

とかとかの、話なんか、孫娘に、してへんでと。
その内、相応の、理解出来るの歳にでもなたら、機会あらば、したいのけどや。興味、示すやろかなと。時代が違いの過ぎて。現の、堀川通り、見て、この中央分離帯には、川があったと、聞いたら、へえと、ビクリするの哉と。
オッとの、今でも、水は流れてるですが。蓋されたの、だけでして。

とかとか、モすぐやでと。「御所」がです。
「御所」はなあ、広いんやでと。
やからと、何が、あるで無く。昔の、家と、するのか、建物あって。されどの、塀で囲いしてあての、その中は、入れえへんけどや。
正確には、10人以上の人数にての、申し込めば、入れるですが。又、時期、時期で、参観出来るの日も、あるのけどや。

そんな事で、さての、駐車場はと。東側、寺町に、2箇所ある筈での。
ンの、見つけたと、思たの時には、通過してもてねえ。いやなあ、入り口が、見難くくて。よ、分からんでねえ。
適当なるの、場所で、進路変更、引っ返しの、ここも、無人の、駐車場での、20分、100円也での、空車あっての、ホと安堵。
まあなあ、ここが、満車になるは、無いと、思うけどや。所謂の、観光地であっても、「御所」はなと。何するやの、場所での。
ここが、あかんでも、まだまだ、あるわと。
(15/09/06)