実録ハイテク物語NO.5

実録ハイテクNO.3 実録ハイテクNO.4
実録ハイテクNO.1 実録ハイテクNO.2

目次

実録ハイテクNO.6

その5・半導体製造部(RM−抵抗マトリクス)

23.RMの話(22) 観音寺工場

22.RMの話(21) 観音寺工場

21.RMの話(20) 工場移管実習(13)

20.RMの話(19) 工場移管実習(12)

19.RMの話(18) 工場移管実習(11)

18.RMの話(17) 工場移管実習(10)

17.RMの話(16) 工場移管実習(9)

16.RMの話(15) 工場移管実習(8)

15.RMの話(14) 工場移管実習(7)

14.RMの話(13) 工場移管実習(6)

13.RMの話(12) 工場移管実習(5)

12.RMの話(11) 工場移管実習(4)

11.RMの話(10) 工場移管実習(3)

10.RMの話(9) 工場移管実習(2)

9.RMの話(8) 工場移管実習(1)

8.RMの話(7) 丹後半島のRM製造工場(2)

7.RMの話(6) 丹後半島のRM製造工場(1)

6.RMの話(5) 工程表の作成(2)

5.RMの話(4) 工程表の作成(1)

4.RMの話(3) お土産の話

3.RMの話(2) 標準書の作成

2.RMの話(1) RMの概要

1.人事異動

実録ハイテクNO.4


1.人事異動

当然ですが、抵抗器は重要な電子部品として、現在でも生き残ってます。
会社としては、抵抗器の価格も年々低下して、イツまでも抵抗器だけの製造会社ではジリ貧になってしまうと判断して、半導体製品の開発が急務と叫ばれてました。
当時の半導体は、TR(トランジスタ)とDI(ダイオード)を意味してたし、私が入社したトキには、サンプル出荷もしてました。
それが実を結び、次第に正規注文も入り出し、ボチボチ、試作段階から、量産体制に移行せねばとなったのです。
どの段階を試作で、量産かとなれば、線引きは難しいのですが、DIなら、本社工場で細々と、月五万個体制で製造してたのが、顧客からの注文も増え、日に五万体制にするために、四国高松の工場への移管も実施されてましたから、管理体制を整えることになったのです。
管理体制を整えるとは、片手間の生産計画で製造し、ツイデの品質管理も組織として、責任を持ってやることを意味します。
そこで、半導体製造部が組織され、抵抗器製造部のQC課から、二名が移動することになったのです。
一名は、家本さんと、もお一名が私。QC課で試験関係を任された時期以外の直属の上司は、この家本さん。
つまりは、生産技術を主たる任務としてた時代の上司で、学科は異なりますが、オナジ大学の三年先輩でもあって、その気易さと、性格的に正反対のため、常に反抗ばっかりしてましたから、イマにして思えば申し訳ナイこと。尤も、抵抗器時代だけで、半導体製造部ではぶつかってませんで。
どんな具合にぶつかってたかと云うと、元来、ヨイ加減な性格の私に対し、几帳面で細かい性格の上司ですから、お箸の上げ下げから、ラック(書類棚)の置き場所に至るまで、ナンでもカでも、事細かに注文をつけるから、五月蠅いことをと、まともにぶつかってました。
特に、ラックの件はヨク覚えてるで。二段ラックなら、机とオナジ高さやから、それを二つ入手して、横に並べたら、縦に積んでクレ。理由は、場所が勿体ナイ。
私にすれば、場所が狭いなら仕方ナイのですが、充分な広さがあるから、ナンでやな。便利なよおにやらせてクレ。
このラックの場所だけで、ン時間、アアやコオやと、やり合おた。お陰様で、相当に仲が悪いと大評判になってねえ。確かに、当時は好きでは無かったし、試験責任者になって、やっとこさ、離れられたのに、又、一緒になるのかいなと、誇張表現すれば、ガックリしたなあ。
理由は、半導体製造部QC係の所属となり、上司がその家本さん。QC係としてるのは、家本さんが責任者で職位が係長のため。
それも、暫く、離れてたから、以前のよおでも無かったし、細かなことは云わんかったのです。
イヤやったのは、席をスグ側にされたこと。ヨク云えば、頼りにされてたとも云えるのですが、悪く云えば、監視つきとなり、前歴があるから気分悪しです。
ここで、お断りしておきますが、私は白状な人間ではナイつもりです。ぶつかった、上司とは、イマも交流が有ることを付け加えてオク。
さて、移動前には、抵抗器製造部の芦田工場長が、半導体製造部の部長に就任し、二人を呼んで、話をされました。
話の概要は、限られた人員で、沢山の品種の面倒を見てもらわねばならぬけど、抵抗器で培った品質管理技術を存分に導入してクレ。
QC係の人員は二人ではナイのです。男子五名、女子五名(四名は試験担当)。ホカの連中も部長から、個別に呼ばれたハズです。
私の担当は、DI(ガラス・シール・ダイオードとダイオード・アレイ)、RM(抵抗マトリクス)、LEDとなりました。
試験、標準類、TRは、その他の人員が担当です。
つまり、品種としては、TR以外が担当ですが、LEDはまだ形になってナイから、当面は、ニ機種だけ。
(01/07/27)


2.RMの話(1) RMの概要

話を進めるマエに、RM(ResistorMatrix:抵抗マトリクス)を簡単に説明しておく。
RMとは、ロームでの機種名で、一般的には、厚膜抵抗器ネットワークと称されてます。
アルミナの平らなセラミック基板に抵抗ペーストを謄写版の要領で塗り、乾燥させ、抵抗値の調整のため、エアー・ガンでペーストを削り取り、端子を付けて、塗装して、標印すれば完成品となる。
エアー・ガンから空気を出すだけでは、ペーストを削れませんから、研磨用のアルミナの細かな粉を噴射する。
外観的には、LSI等とオナジよおに、ゲジゲジみたいな格好で、端子が沢山付いてます。
端子が沢山有ると云うことは、一個の抵抗値を出すのでは無く、何処の端子を接続するかで抵抗値を選定することが可能となる。
つまり、回路的に抵抗を幾つも並べてるので、マトリクスと称する。
これを、開発担当者の山本さんが一人でやってました。どの範囲かと云えば、製造設備から、簡単な治具。
作業者に対する製造指導に、生産管理から、品質改善に、顧客からの注文の受付から出荷指示に至るまで。
要するに、売れるか売れんのか、先の見込みが不明なため、適当に人選して、全てを任した勘定です。
抵抗器ですから、本来なら、抵抗器製造部が面倒見るべきですが、そんな余計な物、イランと、袖にされたのと、半導体製造部が組織される直前に量産体制となり、半導体でもナイのに、廻って来た。
それもありますし、出来たての半導体製造部としては、扱う機種をヨリ多く取り扱うホウが、先の楽しみが有ると判断した。
しかも、私が抵抗器製造部からの移動ですから、丁度ヨイ、柴田クン、品質面を面倒見てクレとなったのや。
実際、難しいことでもナイのです。原材料と製法、形状が異なり、値段も高いのですが、アルミナ基板も磁器棒とオナジ窯業製品。
炭素皮膜がペーストになり、着炭のための石英管が謄写版となり、抵抗調整のトリミングが、ディスクから、エア・ガンになっただけ。
樹脂成形型で、ペーストを固めただけの抵抗器も、世の中には存在してましたが、抵抗値の調整が難しいのと、値段が高いので、イマ現在、製造されてるかどおかは知りませんです。
よって、抵抗ペーストを材料としたものは、RMタイプが開発されてから、華が開いたとも云えるし、その裏には、フレーム端子のパンチングとメッキ技術の進歩も有る。
このことを云い出せば、話が難しくなるから、ここでは割愛しますが、この技術の蓄積があってこそ、イマのLSI等が大量生産されてるとして、過言ではナイ。
ところが、盥回しの機種ですから、製造は京都丹後半島にある小さな工場でやってましたから、どんなものか、見に行くだけでも、車で片道四時間。
イヤ、私は方向音痴でもありますし、丹後半島の何処であったかも忘れてしもた。社名もすっかり忘却の彼方。
そんなことはドオでもヨイ。海のものとも山のものとも、分からぬ製品の面倒見てクレはヨイけれど、早速にも、QC担当者を実習教育してやってクレとの話が舞い込んだ。
イマまでは、適当に試作して、拡販してたのが、注文が入り出したから、品質的に無管理状態で出荷するワケにもイカンので、急遽、工場のQCマン育成です。
彼のことはヨク覚えてる。岸見君と云い、そこの社長の息子さん。大学を卒業したばかりで、何処の大学で、ナニが専攻かは忘れてしもたのですが、理系では無かったなあ。正直云うて、それがために手こずったし、暫くは、話が通じませんでした。イヤ、仕事の話がですぞ。
ところで、実習教育するにも、製造工程は実習生の実家のホウやし、私が実習したいくらいで、教育するものがナニもナイ。
ショウガナイから、トリアエズは、私の助手扱いにして結構とのこと。
抵抗器の試験責任者のトキは、部下も居たのですが、こっちでは、たったの一人でやらねばならぬから、丁度ヨイ。
さりとて、使いっ走りと云うわけにもイカンしなあ。
(01/07/28)


3.RMの話(2) 標準書の作成

半導体製造部は新設部門のタメ、標準類がナニもナイ。
ナニもナイと云えば語弊がありますが、書式適当で、保管場所もバラバラ。
岸見クンが実習に来たら、これを機会に整備しましょう。それこそ、私も助かるし、価値有るQC実習になりますで。
さて、何処まで出来るのか、実習期間、タッタの一週間。我が見通しは、甘かった。
そもそも、社内事情も知らん人間に、標準書を集めて来いとの指示は出せませんがな。そおかと云うて、ホッタラカシにしとくワケにもイカンので、関係者にご紹介の方々、一緒にウロウロしてねえ。
殆どの書類は開発担当の山本さんが保管してたのですが、全権委任された開発者の常として、関係書類の引き渡し要求には、我が子を取られる気持ちになるのか、徹底抗戦され、出し惜しみするのです。
先輩社員とて、遠慮することはナイ。別段、廃棄処分にしたり、鍵突き金庫に閉じこめて門外不出の虎の巻にするワケでもナシ。
見易く整備して、ダレもが閲覧出来る場所に保管するのが目的ですが、困ったことに、メモ的なものばかりで、まとまってないから、とてもやないけど、そのままでは標準書には出来ません。標準書を作成するための、参考資料になる程度の代物です。
材料発注もどおしてるのかと、購買担当に確認すれば、規格ナシで、一部の業者には開発者が直接指示してるとのことで。
そんなこと、問題が起こる元やから、辞めてクレよなあ。
それでも、製品が造れてるから、ヨイと云えばヨイのですが、現に、工場が稼働し、何名かの人員がRMの製造に携わってる。これから先も、未来永劫、山本さん一人で、全ての面倒を見ることも出来ません。
材料、設備の改善、工程改善、生産管理を一手に引き受けて、処理出来る範囲ならヨイのですが、そおもイカンで。出来る程度に止まるなら、ナンの進歩もしてないと云うことで、多寡が知れた製品です。
先に云うてオキますが、このRMなる機種は、このトキに誕生し、激動に遭遇しながらも、名称を替え、三十年の年月を経たイマ現在、ホカの製造会社で主力製品の一つとして、立派に生き残ってます。
名称、RM(抵抗マトリクス)とはローム(当時、東洋電具)での呼称で、その後の通称、厚膜抵抗ネットワークの誕生秘話としてもヨク、これこそが、チップ部品(基板面実装型部品)の元祖とも云える。
つまり、チップ部品とは、アルミナ基板に抵抗体或いは、半導体をくっつけて、基板に半田付けする部品で、機器の小型化に対応したものですが、その替わり、故障したトキには、修繕が出来ませんから、基板単位での交換となる。
余談ですが、その昔なら、トランジスタ・ラジオでも故障すれば、ケースを取り外し、ナカを見れば、部品が丸焦げしてるから、ソイツだけを交換すればよいことが一目瞭然やった。その部品もリード線が付いてるから、交換も、半田鏝と半田さえあれば、イト簡単。我が工具箱にも有りましたが、イマや、チップ部品化してますから、そお簡単には出来ませんし、一般人が部品調達もママならず。電気屋はんでも売ってません。
チナミニ、我がオヤジの商売は、電化製品販売及び修繕業。電気屋はんは修繕出来ることが前提でした。ソオ云えば、ネジ式腕時計時代の時計屋はんもそおやった。イマや、時計屋はんも電池交換屋はん。
それは別として、マズは、生産設備関係の図面については、開発者の本業が機械の設計屋さんですから、設計図等の関係書類は、その部署での管理方法で管理すればヨイから、その部署で整備して戴くことにして、それ以外の、材料規格、技術標準、製品規格等々、QCで管理するべきものは、こっちで作成することにした。
これも、本来なら、開発部門が作成するべき書類ですが、待ってられませんと云うのが我が本音です。
皮肉を込めて表現すれば、今時のQCマンは、標準書一枚、まともに書けぬのが多いけど、当時なら、標準書など軽いモンですわ。理由は、工程を知ってるからです。
尤も、当時の私は異動直後で、RM製造工程は、見てなかったのです。それでも、作成してやると大見得切れたのは、ド素人の新入社員ではナク、イチオウ、五年を経過してました。
抵抗器の製造設備は着炭以外なら、動かすことなら出来ましたし、磁器棒の製造工程も知ってますし、抵抗器にはどんな種類が存在し、競合他社は何処で、ナニを製造してるか程度なら、把握してました。
製品の形状と、概略の工程説明さえ聞けば、完璧ではナイものの、技術標準の原案程度なら、作成出来る基礎知識は有ったのや。
その原案を基にして、工程確認のウエ、修正すればヨイだけのこと。
(01/07/29)


4.RMの話(3) お土産の話

ワザワザ、実習に来て戴いたのですから、手ぶらで返すワケにイカンがな。
立派なお土産をナンとかしてやりたい。
されど、お断りしてオク。この場合のお土産とは、京扇子に京人形、西陣織のネクタイに、財布等を意味してませんで。
丹後半島も京都ですから、そんなものではナイのです。実務一本ですから、お土産の狙いとは、実習の成果です。
京都本社でナニを実習して来たのか、ナニを学んだのか。彼が地元に戻り、関係者各位に堂々と、報告出来るよおにしてやること。
抵抗器製造部時代、韓国、BRASILの実習生には、標準書に、実験報告書のコピーがお土産でした。その他、諸々、私の範囲で手配可能な限りの資料を手渡したのです。
此処等は海外ですから、ツイデにと云えばナンですが、京扇子をお土産に。
チナミニ、中味の乏しい我が財布から、大枚を叩いたけど、私自身はそんな高級扇子は持ってません。かねがね、欲しいなあと思てたものを差し上げたのです。
岸見クンの実習は、RMなる発展途上の機種のため、標準書も、実験資料もナイのです。つまり、既成のお土産がナイから、お土産は造らねばならぬのです。しかも、自分で造ってクレとなる。
彼も自工場で、一ヶ月の工程実習は経てるとのことで、それなら、私以上に詳しいのですが、如何せん、大学を卒業したばかり。QC業務とはナニかさえ知りませんし、QC手法も知りませんから、「初等品質管理」から教えたのです。
具体的には、度数分布表、受入、出荷検査の方法で、検査にもそれなりの統計的手法の裏付けがあって実施してるとの説明です。
それと平行して、QC工程表の作成を指示したのです。
QC工程表とは、材料受け入れから、出荷までの工程のフロー(流れ)と、各工程で、ナニをどのよおに管理してるのかの一覧表。そして、関連標準とはナニかを明記したもの。
これを作成すれば、標準書として、ナニが有って、ナニがナイのかがスグ分かる。
一般的には、工場監査ではこのQC工程表を基にして実施するのです。経理の帳簿ではナイけれど、何種類か存在する。
大きくは、顧客用(社外提出用)と、社内用で、顧客用のは、拡販用の簡単な工程表と、監査用(技術者用)のが有ったりして。
勿論ですが、社内用のが一番詳しいです。逆には、社内用ので、顧客が監査すれば、細か過ぎて、目を通せませんし、内部的には、余計な機密事項まで外部に教えることは出来ませんがな。
実状としては、社内のQC工程表を見れば、その会社の技術力、品質管理能力までが分かってしまうし、言葉を追加すれば、その程度のものでなければ利用価値がナイ。
但しです、QC工程表なるものの概念が出来たのは、更に、アトの時代のことで、この当時では、QC工程表なるものは存在してませんでした。
有ったのは、工程表(フロー・チャート)で、QC、つまり、品質面でナニを管理してるかまでは記載してませんでした。
ところが、工程表さえ見たことも、聞いたこともナイ、岸見クンですから、教える側としては、見本として、抵抗器のを持ち込んで、開設したですが、その抵抗器のをジックリ見れば、違いが有り過ぎてねえ。
抵抗器の工程表は先輩諸兄が作成し、磁器棒の初版は私が作成したのですが、工程そのものが、日々、変動してるのに、見直しされてために、実体とはズレが出来てるのです。
岸見クンに教えながら、手直しをして、改訂申請して。
結果、岸見クンは、QC業務の実務の実体を実地教育したことになる。
(01/07/30)


5.RMの話(4) 工程表の作成(1)

七月二十九日の第十九回参議院選挙で、小泉自民党大勝。
社民党と共産党が惨敗で、保守党の扇千景国土交通大臣が辛うじて一議席確保。
泡沫候補の末広まきこさんがお見事落選。これでも、イチオウ、自民党公認で、茶番劇の加藤派やて。
ついでに、二院クラブの特権階級、青島幸男。自由連合の野坂昭如、ドクター・中松、月亭可朝、渡部絵美、荒瀬も落選。と云うよりも、泡沫候補の寄せ集め集団の自由連合総崩れ。
個人で一位が、自民党の舛添要一、保守党、扇千景、社民党、田嶋陽子、自民党、大仁田厚で、やっとこさで民主党一位が11PMの大橋巨泉。
青島さんも、昔の名声だけを頼りにして、都知事で大失敗したくせに、反省もセズ、懲りもせず、政治の実績ナシで、時代遅れの選挙戦セズの戦法で、阿呆丸出しの立候補。
横山ノックが出馬してくれんかったのがせめてもの救いです。前科一犯ではアキマセンけど。
我が家では全員が投票しましたが、ダレがダレに入れたのかは知りません。
私は、熟慮に熟慮を重ね、迷いに迷てる間に投票所に到着。ナカに入って、投票用紙を戴いて、それでも、ダレにしたものかと、マダ、悩んでたけど、トリアエズ、地方区は消去法の末、二大政党のどちらかにした。
比例区も、決めてなかったのです。一覧表の細かな名簿を老眼鏡なしで確認して。
ところが、真後ろで、見知らぬお婆さんが、場所の空くのを待ってるのやなあ。しかも、ダレにするのか、覗き込みやがってねえ。仕方がナイから、大急ぎで、二大政党では面白くナイし、少数野党政党も気に要らん。タマタマ、保守党の扇千景が眼に止まり、そおやなあ、これにしとこかと、清き一票。
扇さんは日付が三十日となり、未明に当選が決まったから、我が一票が大きかったと自負してます。実は、衆議院議員と思い込んでたから、投票所で名簿を見るまでは、立候補してることさえ知りませんでした。
事程左様に、ナンの信念も思慮もナイ投票行動。知ってる人が立候補してるなら、政党さえ、彼処と、彼処と、何処何処以外なら、すんなり、投票してあげますが、立候補者のダレ一人として、親戚縁者、知人、友人、隣近所のオッサンもしてません。よって、ナンの義理も、つき合いも、話さえ、顔さえ見たことがないから、迷うのです。
さて、小泉さんも具体的なことは、ナンにもしてませんのです。明確に、目に見えて、やってくれてることは、小泉内閣メルマガだけです。斯く申す、私も購読してるのですがねえ。
この選挙結果を受け、九月の総裁選挙も対立候補出馬セズのため、続投も決まったよおで、選挙結果を受けた記者会見で、八月になれば、改革工程表で示すと宣言したのです。
期せずして、岸見クンの実習でも、QC工程表の作成を課題にしたがな。QC工程表とは、フロー・チャートで、製品の製造過程を図表で示したもの。更に、標準類と、各工程で、ナニを管理してるのかです。
されば、小泉改革も複雑怪奇で曖昧模糊、解読困難な政治的文言の羅列ではナク、各項目について、開始から改革完了までの道筋を時系列で一目瞭然な図表で示してくれるのか。
まさかですが、国民向けの簡単簡潔なものと、内部の極秘資料の二種類を作成したらアキマセンで。見れば、スグに分かりますけど。
ではありますが、当時は、QC工程表なる概念はなかったのです。
よって、工程表を作成して、そこに標準書の有無を記入と、各工程でナニをどのよおな管理をしてるのか、追記出来るものを作成指示したのです。
但し、ナニをどのよおに管理してるかは、アトの話です。岸見クンが、一ヶ月間の工程実習したからとて、そこまで把握してるワケがナイ。
それに基づいて、標準書のナニを作成するべきか、管理で不足してるのはナニか、彼が工場に戻ってからの主たる業務をどのよおにするかの土台とするためです。
順番としては、材料規格、検査規格、技術標準等を作成して、それに基づいて、工場の作業標準を作成することになるけれど、既に、工程は稼働してるから、同時進行で作成のためのチェック・シート的なものを想定したのです。
これを素人が一週間の実習期間中にやってしまうのは難しいから、先方の社長さんに、もお一週間延ばしてくれませんかと電話でお断りした。一面識もナイのに、ナンですが、仕方がナイです。
事程左様に、全て順番が異なるのです。
ダイオードなら、社内に試作工程が有ったので、概略の製法は理解してましたし、そこの工程長は同期生ですから、時間があれば、工程内を彷徨いた。
ではありますが、私も異動一週間目ですから、RMのことについては、ナニも知らんかったのです。
勿論、工程表を作成セヨと指示して、そお簡単に出来るものではナイから、事細かに手伝おて、なんとか、二週間で原案は作成出来たのです。
結果的には、標準書はナニもナシ。全部、作成しなくてはならぬことだけが分かったのです。
そのくらいのことなら、最初っから分かってますが、この過程を通じ、私も彼も、現状認識を共有出来たのです。
(01/07/31)


6.RMの話(5) 工程表の作成(2)

平成十三年四月二十六日就任の小泉首相が提示の改革工程表が八月に示されることになりました。一体、何日掛かってるのやろなあ。
RMの工程表なんか、二週間で原案の作成してしもたで。
国家的事業と、一製造会社の工程表ではモノがチガウのですが、それ相応に世界的頭脳集団が揃てるのですよ。揃い過ぎて、まとまるものも、まとまらんかったのか。
それにしても、小泉内閣メルマガはインターネット時代の潮流ですし、経済的潮流の円高のため、海外に追いやられたのは製造業で、その製造業的発想から、構造改革計画に工程表なる呼称を付けられたことに興味を抱くのです。
イマまでなら、ワケの分かったよおな、分からんよおな、ナンとでも解釈出来て、言い訳が出来る政治的言い回しだけの言葉遊び的項目の羅列より、工程表を提示してくれるなら、ダレにでも進展度合いが目に見える。
こんなこと、当然と云えば当然です。改革の痛みは激痛のハズで、痛みを受けるのは我々国民ですから、知らされる権利があるのですが、工程表に基づく進展度合いの評価こそが難しいのです。
製造業なら、工程表に基づいて、各工程での合否判定基準はナニかで、それを明記したのが、QC工程表ですが、そおとはしてないから、ここが曖昧にされるのではないかとチと心配してます。失礼乍ら、政治担当記者諸君の知能水準では、見抜くことを期待さえ出来ません。
さて、先日のこと、NHKのテレビ番組で、ヘッド・ハンテングされたITの専門家が、こんなことを云うてましたで。
製造業は時代遅れです。兎角、日本的な発想で、ナニをしてはイカン、コレもしてはイカン。こおするべき、アアするべき。
こんながんじがらめのことをしてたら、進歩発展がナイ。古きに拘らず、自由な発想を具現化することこそ、IT革命の本質である。
ナニを意図した発言か分かりませんが、業種、職種によっても異なるのやで。
ゲーム・ソフトの制作会社なら、分かります。人命に関わることはないし、目論見が外れ、不人気とか、プログラムにバグでも有れば、お宅様の会社が傾いて、破産するだけ。予測以上の大人気なら、倉を十でも百でも建てて、近眼の子も沢山育成してクレ。
されど、ゲーム・ソフトであったとしても、発想段階なら、自由な発想をせねばならぬけど、実務段階なら、手分けして、取り掛かるから、充分な打ち合わせのウエ、一つの方向に邁進せねばならぬのです。
製造業で、工程作業者が、勝手気儘な作業をしたら、所定の品質の製品に成りませんから、即刻、倒産してしまう。
それと、技術革新は別問題。ここでは、自由闊達な発想が要求されるし、見誤れば、一会社が傾くだけ。ナニもITだけに自由闊達な発想を求められてるワケではないのやで。
国家的規模の経済政策では、失敗は許されません。と、云われ続けて、失敗ばっかりされたから、イマの不況が有るのです。兎に角、理屈も議論も結構ですが、やるべきことをスグにもやってクレ。
さて、岸見クンの工程表も二週間で原案作成で、アトは、会社に戻って戴いて、工程との照合をして欲しい。
私のホウは、材料と図面なら手元にあるし、材料規格なら作成出来る。技術標準も、形だけなら作成可能。
ハッキリ云えば、工程を見てないから、あれこれ、迷うことがナイのです。分からんことは、見てからと、空白にして、検査規格も、理論だけで、強引に原案作成です。
これは、二週間では無理ですよ。工程表なら、A4の紙で、一二枚ですが、規格に技術標準となれば、ナン十枚にも達するし、パソコンなんか存在してナイし、鉛筆ナメナメ、消しゴムのカスをまき散らし、必死の作業で、約一ヶ月。
工程との照合をして、修正となれば、又、日数が要るのですが、修正するべき箇所は有るに決まってます。
適当な標準書ではありますが、作成したからには、丹後半島の工場に出発です。
記憶に寄れば、工場近辺には、電車どころか、バスも、国鉄の山陰線も無かったから、自分のクルマで行ったのです。
(01/08/01)


7.RMの話(6) 丹後半島のRM製造工場(1)

何処をどのよおに走ったのか、見事に覚えてません。
方向音痴の私が一発で到着した先は、山のナカでも海辺でもない。
ナンとか電器との看板が有ったから分かっただけで、外観は平屋建ての農家を改造した木造工場で、床を歩けば、ギシギシと音がしてたなあ。
屋根には隙間があって、雨でも降れば、家のナカで傘を差さねばならぬ我がボロ家(京都時代の家ですよ。)と比較してはいけませんが、それからすれば、天国で、敷地も広大で、軽く十軒は収容されてしまうのですが、仮にも電子部品の製造工場のやから、第一印象としては、こんな場所でヨイのかと思いました。
磁器棒の京都碍子も町工場ですが、まだまだ、工場らしかった。知多電子は新工場でしたから綺麗なものです。
その他、初抵抗にリード線(キャップ)を圧入するキャッピング工程があったのですが、これは、作業者が治具での手作業で、京都の山科と、丹後半島にもありましたが、小さい乍らも工場らいし工場でしたし、岡山の井原の工場なら大工場。
チナミニ、丹後半島にあった初抵抗工場には一度だけ、先輩社員と行ったことがあるのですが、プレハブ工場で、内部は整備されてました。
ここは、家の造りからも、元々、農家で農業もされてるのですが、内職屋さんも兼業されてたのですが、内職では収入が安定しないので、電子部品の組み立て作業を手掛けるよおになったのです。断っておきますが、内職と云うても、電子部品の下請け的内職で、大型半田装置も所有して、パート・タイマーを数人雇い、半田付け作業をされてたよおです。
よって、農家を工場風に改造したもので、周囲にはナニもナイ、田舎のナカの田舎の一軒家。よくぞ、こんな場所を見つけたなあと感心したのですが、開発者の山本さんがこの辺りの出身とか。
工場に到着したら、まずは、事務所ですが、小父さんから、
「呼びますから、そこに座っててください。」
そお云われたけど、狭い事務所で、座る場所もナイ。ところで、呼ぶとは社長さんを呼びにと思たら、その小父さんが社長さんでしてねえ。どさくさ紛れに挨拶して、名刺交換したら、岸見ナンとかさん。呼ばれたのは、息子の岸見クンでした。
「柴田さんヨク来てくれました。」
「やあ、頑張ってるかいな。」
それだけの会話でしたが、岸見クンの表情はしっかり覚えてます。たったの二週間の実習で、これまた、二週間しか経ってないのに、あたかも、恋人か、昔懐かしき人と再会出来たよおな雰囲気で心より歓迎してくれてたのが、ひしひしと感じられたなあ。
社長さんも同席されてたのですが、出たり入ったり、ウロウロされて、その内、何処かに消えてしまわれた。
それはヨイとして、建物が汚いのも仕方ナイとして、早速、工場内を見せてクレ。
見れば見る程、床が埃だらけで、資材も製品も、工具もそこらの床に直置きで、作業者は手袋もしてないし、私の目からは、全然、なってナイがな。
我が笑顔も忽ちにして消滅。岸見クンに、
「ナンやこれ。」
語気きつく、叱りつけたのですが、それなりの理由もある。
実習期間中には、抵抗器もダイオードも、社内の製造工程は全て案内して、管理項目とはナニかも教えたし、工程内の半製品は直接手で触るな、手袋をせよ。
手垢が付着すれば、どんなことになるかも、解説したし、教えたし、QCマンが工程でヨイ加減なことをしたり、隙を見せたらアカンのやと口を酸っぱく説いたのや。
「岸見クンは、ナニを学んだのや。
スグに床掃除や。手袋はナイのか、簀の子はナイのか。ラックは有るのか。そして、紙とマジックを持って来い。」
現場での生きた教育との意図もあったけど、心底腹も立てました。
紙とマジックは、置き場所の明示をするためで、工具は工具の置き場所を設けて、ダレにでも分かるよおに紙に書いて、貼り付けて、そこに置け。
製品は製品の、材料は材料の等々、やるべきことをその場で説明して、現場指導です。
(01/08/02)


8.RMの話(7) 丹後半島のRM製造工場(2)

ナンのために工場訪問したかと云えば、RM製造工程の確認です。
見もせずに作成した工程表と技術標準の何処をどのよおに修正するべきかです。
ところが、工場内が乱雑で、整備されてないから、整理整頓を指示したのです。
ラックは工程内に有りましたし、ナニを何処に置くかなどは、内情熟知の社長さんのご意向と、ご指示にお任せして、作業者の面々総勢十数名で手分けされたから、十分も掛かりませんでした。
手袋も事務所にあったし、作業者のカタにはご面倒でも、即刻、着用して戴いて、作業に取り掛かってもろてねえ。
それ以外にも気に掛かったことがありました。トリミングでは、エアー・ガンでアルミナの粉末を吹き付けるため、機械周辺はアルミナの粉だらけ。勿論、床にも散らばります。
その清掃もさることながら、作業者のカタが粉塵を吸い込むのも問題やで。マズはマスクをしてクレと依頼した。依頼と云うより指示ですが。
装置としては、仮処置として、市販の掃除機でもヨイから、アルミナ粉を吸い込めないか。最終的には、開発担当で、機械屋の山本さんに装置の改善をしてもらうことにして。こんなこと、現場を見るまで分からんがな。
チナミニですが、この当時、健康被害についての情報は少なかったのです。
半田付け工程での換気さえ気にしてなかったし、管理試験での半田付け作業でも換気はしてませんでした。私も半田付けならやりましたが、気にもしてませんでした。と云うよりも、知識がなかったのです。
話題になりだしたのは、更に十数年後のこと。
労働省労働衛生課主導で特殊化学物質等作業主任者と、有機溶剤作業主任者講習を受けて、試験させられ、資格取得したのです。資格と云うても大したことではない。受講すれば、ホボ全員合格になるから、ナンの値打ちもナイのです。
講義では、その影響度と、換気、防塵マスクに手袋の重要性をコンコンと教えられた。私なんか、一週間に一時間も接触するかなあ程度やのに、過剰な程の防備です。そやけど、決まったものはやるべきで、これも知識と習慣の問題です。
有機溶剤と云えば、抵抗器の塗装工程では、塗料の粘度調整のためシンナーは重要なる副資材として使用してましたが、マスクはしてませんでした。
このトキは、アルミナの粉塵でしたから、問題視しただけで、RM工程でも塗装はしてましたし、シンナーもありましたが、火気厳禁と明示した場所に、保管して、消化器を設置しといてクレと指示しただけです。ナニブン、ワコー電器で小火騒ぎの前歴があるからなあ。
その他、細々と、目に付くことを伝えましたから、さぞかし、五月蠅い奴と思われたやろ。
宿泊予定してないから、当日、お暇する際、社長さんに、
「初対面でイロイロすみませんでしたねえ。イランことばっかり申しまして。」
社長さんの返事が予想外で、
「イヤイヤ、電子部品を製造してるのに、これでヨイのかなあと、日頃から気にしてたのです。
山本さんも、時々は来てくれますが、装置のことばかりで、こんなことは話題にさえなりませんでした。有り難いことです。
やるべきことはやらさせて戴きますよ。」
社交辞令もあるとは思いますが、まんざら、それだけではなさそおで。
私にしても、イキナリそんなことを指示するのもどおかと思たのですが、次はイツになるのかも分かりません。
基本的なことで、伝えるべきは伝えてしまうホウがヨイし、岸見クンのためにも、鉄は熱いウチに打つべきやし、アトからネチネチやるよりも、最初に吐き出したホウがすっきりする。
さて、丹後半島の、ナンとか電器も整理整頓出来たのですが、その維持管理こそが社長さんと岸見クンの大きな課題です。手を緩めたら、すぐにも元の黙阿弥。
それはそれとして、工程の流れも、製造方法も予想からは外れてなかったから、標準類を大幅に手直しすることもなかったなあ。
いずれにせよ、日帰りです。真夜中のガタガタ道をヒタスラ走ったのを覚えてる。
(01/08/03)


9.RMの話(8) 工場移管実習(1)

暫くしたら、エライ話が飛び込んだ。
話とは、RMの製造を増産するために、四国の工場に移管するとのこと。
表現を替えれば、丹後半島の工場からは全面的に撤退して、四国のアオイ電子、観音寺工場に全面移管して、大増産することになったのです。
第三者的には、あらゆる面で丹後半島の工場では電子部品工場としての、限界があるのは分かってます。
大きな問題としては資金力。工場を増設することが出来ません。これは上司からの説明で知りました。そんなことまで、私が知るワケがナイ。
作業者を集めるにも周辺に人が居てないし、作業者どころか、スタッフも居てません。このことは工場に往ったことで感じてました。
スタッフと云えば、QC担当の岸見クンと社長一家だけ。残念乍ら、彼等では機械、計測器の保全、改善等々は無理。簡単な保全なら出来ますが、電話、文章だけではケリのつかんことが多々あって、ナニか有れば、ロームの応援を求めてる。短距離なら宜しいのですが、遠いよなあ。
そんなことで、責任者の山本さんは大忙し。ヨイのか悪いのか、全部を一人でやってしまうから余計にです。何事か有れば、万事窮すになりますが、ご当人は委細構わず。
そのマエに、矢張り、現地には専門の機械屋さん、電気屋さんも要りますし、養成するべきですから、幾度も募集はしてたのですが、来てくれません。
山本さんも、呼ばれれば、ホイホイ出掛けてしまうからアカンのです。社長が真剣に集める努力をしませんし、育ちもしません。イヤ、当面は素人でもヨイのです。作業者のナカにでも、そんなことが好きな人が居てるハズ。
QC担当者にしても、岸見クンが、一旦、工場に戻ってしまえば、私には私の日常業務もありますから、手取り足取りで指導は出来ません。セイゼイ、電話、文章だけのヤリトリですが、余程の重大問題でもなければ、それで充分。
人材と云うても、今の時代と違って、人材難の時代です。表現は不味いけど、そんな片田舎の農家の延長線みたいな工場では、優秀な技術者が来てくれるハズがナイ。
よって、冷静な判断をすれば、移管もショウガナイかなあ。
私にしてみれば、短い期間とは云え、岸見クンを実習教育し、工場にも訪問すれば、ナンとかならんのかと思うし、感情的には抵抗もある。如何せん、会社の方針で、しかも決定事項。
私みたいな平社員の気持ちも意志も無関係な処での話で、板挟み的気分。正直云うて、ナカナカ割り切れませんでした。
さて、移管実習準備は、即刻、開始。早速にも観音寺工場から実習生が十数名来ることになったのです。内訳は、工程監督者、QC担当者、機械に電気関係と作業者数名。
こんな具合に観音寺工場からは、実習段階から、主要な構成員が揃えられてます。実習が完了して、工場に戻り、製造設備と材料さえ有れば、即、製造体制だけは整うのです。これが、製造のための実習の基本ではありますが、丹後半島の工場にはその体制がナイ。
実習教育は、現場で実施で、その全部を面倒見ることになってるのです。但し、機械関係のことは、山本さん。計測器のことはどおするのかですが、これは、山本さんに調整してもらうしかありませんが、生産システム開発部と称する部署があって、そこの計測器担当者に教育させることになりました。これも、現場実習してからです。
この十数名の実習生は、元々、観音寺工場の抵抗器製造部署での実務経験者がRM製造のために集められたのであって、RM製造のためにワザワザ新規募集した新人ではない。
そんな次第で、丹後半島の何処かの旅館に私も一緒に宿泊して、実習生教育をすることになったのです。
勿論、観音寺工場で、製造開始されたなら、その品質確認等々まで。
これは、大変な役目です。私など、経営には無関係ではありますが、丹後半島の社長の立場になれば、悪魔の使者同然で、それも、承知でやらねばならぬ。
そおこおしてる間に、実習生が来てしもたがな。最早、困ったなあとか、割り切りがドオコオ悩んでる暇はなくなった。
大勢の実習生を如何に教育するかだけ。
(01/10/03)


10.RMの話(9) 工場移管実習(2)

当時、私も二十七八歳の頃で、血気盛んな時期ではありました。
丹後半島の会社の資金繰りが出来ない。そんな内輪のハナシまで聞かされたのは、タブン、私がカチンと来てしもて、心情的に許せぬと想えど、会社の方針故、辞めてクレとは云えませんから、理屈の通らぬ文句ばっかり並べ立てたから、上司も苦し紛れの出任せで、返事したためと思います。
抵抗器製造部にしても、磁器棒工場の知多電子が完成。次第に清水焼団地の京都碍子とも取引停止になったがな。
ソレ以外にも、初抵抗組立工程(キャッピング工程)を担ってた、内職屋さん(四五十人の工場ですが)も方々に分散してたのです。これも、次第に廃止され、岡山は井原のシンコー電器(独立)に集約されました。
我が記憶の範囲では、一社は清水焼団地内に有ったよおな。もお一社はRMとはマッタク別の場所ですが、丹後半島にあったよおな。ホカにも京都市内に点在してたのですが、その二社しか往ったことがナイので知りません。担当でもナイので、往ったとしても一度だけ。
これも、企業として、大きくなる一つの過程であって、上司の云う、資金力、政治力の有無が大きな要素であることに間違いはナイ。
今でこそ、京都駅でタクシーに乗り、ロームまでと云えば勝手に往ってくれますが、当時なら、所在地を克明に説明する必要が有ったなあ。
それに引き替え、関係会社のホウは超有名で、最寄りの駅で何処其処と、会社名だけで大丈夫。
これは、社長そのものが、土地の実力者で、元々が別会社の社長をされてたのが電子部品製造業に進出しただけのこと。但し、京都は広いし、会社も多いですから比較にはなりませんけど。
さて、実習生とは何処で面会したのか。朧気な記憶では、丹後半島のRM製造工場の最寄りの駅の喫茶店のよおな気がしてる。最寄りでも、工場までは車で軽く三十分。
実は、旅館と工場の往復のためのバスも電車もナイために、実習生も車何台かに分乗で、来てたのです。当然、私も水中眼鏡でお馴染みのホンダZ(360cc)です。
ところで、実習生の姓名、年齢と担当は名簿を戴いて知ってましたが、お互いに初対面。今時みたいに、携帯電話が有る訳でナシ。かと云うて、そんなに大きな町でナシ。予定の時間に間に合って、駅前の喫茶店もスグ見つかって、ナカに入れば、ラシキ面々が居てました。
「コンニチハ。東洋電具(当時)の柴田です。」
イヤ、既に夕食時。ここでは簡単に自己紹介だけをして、早速、食事と相成りました。
実習生の面々は、私より若く、入社一二年生が主力で、監督者が三年生。マエに紹介のとおり、RM製造のため、各部署から集められた人材です。
結論から云えば、年齢的にも近いし、全員、優秀で、朗らかで、楽しく、気心もばっちりで、個性豊かで勉強熱心で、有意義な実習教育が出来たのです。
そのワリに、私は人名音痴故、実習生の名前は数人しか覚えてないのやなあ。
トリアエズ、監督者は忘れてしもた。計測器担当者も忘れてしもた。
QC担当者は内田君。これは、しっかりやって戴きたいと、特別に、シゴキにシゴイタから覚えてます。
作業者では唯一男性の柿垣クン。彼は、解散した東邦電器のQC責任者のお兄さんであることを、今想い出した。東邦電器のことを掲載の段階では想い出さんかっただけ。
そして、作業者の女性については殆ど話をしてないので、班長一名しか覚えてナイ。
さて、自己紹介と夕食が終われば、旅館に直行で、スタッフだけを集め、これからの予定を通告した。
実習期間は約二週間。そこから、製造開始までの時間がナイ。よって、昼間は工場で実習して、夜は、食事後に反省会と、標準類の作成を実施する。
標準類とは、アオイ電子、観音寺工場にて製造する際の作業標準、作業手順等々のこと。
つまり、設備さえ稼働状態になれば、即刻、製造体制に移行出来ることが前提。
私自身は、これまた、お得意の初等品質管理講座の開講と、技術標準、材料規格の見直し、作成等々と、その教育です。つまり、二週間で、作業方法は勿論のこと、必要資料は全部作成してしまえ。
よって、十時か十一時まで寝たらアカンぞ。一歩も出るなと脅迫した。尤も、この界隈、旅館から出てもナニもナシ。
飲み助ならナニか見つけるやも知れませんですが。
(01/10/04)


11.RMの話(10) 工場移管実習(3)

標準類は我が手元にゼロではありません。
岸見クンの実習のトキ、かき集めたし、見直しもしたし、不足分は作成してます。更に、工程との整合性も確認してるのですが、たったの一日だけ。
一日で不充分と思うなら、二三日でも一週間でも要るだけの時間を取ればヨカッタのですが、業務には優先順なるものがあって、そおもイカンし、こんなことになるとは夢にも思てません。知っておれば、却って出来ませんけど。
勿論、工場移管とは、内部的な話です。丹後半島の工場には、増設のための実習と連絡されてます。そお云う意味では、私にもオナジよおに説明してくれればヨカッタのですが、上司も正直過ぎたなあ。
とは云え、知ってたからこそ、実習の際の発生した問題にも、慌てることナク、対処が出来たのです。
さてここで、実際に製造工程の標準書を作成された人ならご存知ですが、工程は生き物であり、日々改善され、変動してるため、見直す度に修正個所を発見するのです。
簡単に表現すれば、作成した段階で陳腐化してるのが標準類なるもの。ならば、作成するだけ無駄みたいですが、実際に工程を稼働させるトキには是非共必要な書類です。
基本的には、標準類を忠実に守れば製造出来るハズですが、書類なしでも可能なのは熟知した経験者だけに可能なこと。ド素人が書類だけでモノを造れるなら、苦労など要りません。
されど、百聞は一見に如かず。その一見のウエで、書類を作成する。目的は、定められた品質標準が漏れることなく、如何にして造り込まれてるかの備忘録と思えばヨイ。
その作業標準は工場が作成し、そこで使用するもの。よって、RMに関する作業標準類なら、実習先の工場にもあって、岸見クンが管理してるのです。がしかし、それはそこの財産であり、如何なる様式であろおとも、そこのもの。
アオイ電子にはアオイ電子の様式が存在するため、丸写しであろおとも、自社様式で作成せねばならぬ。
こんなことでも、パソコンがあれば簡単ですが、当時のこと故、全て、手書きです。丸写しであろおとも、大変な作業になるのです。
さて、旅館の手配は工程監督者がしてました。私など、そんな手配は苦手故、全て、余所さん任せです。十数名の実習生と一緒に訪れた旅館。旅館とは名ばかりで、コレマタ、農家の延長戦。云うたら、民宿で、彼の話では、この界隈にはここ一軒しかナイのやて。そして、宿泊客は我々のみ。そのホウが気楽ではありますが、一部屋に数人づつが分散です。
丁度ヨイので、スタッフ全員と私、それに柿垣クン。早い話が男子全員が同部屋なだけ。
ダレが云うたか、別名、寝ずのシゴキ部屋と相成りましたが、寝ずはチと誇張に過ぎるし、シゴキもしてませんで。和気藹々としてました。と、私は今でも信じてる。但し、柿垣クンにはご迷惑至極なことではありました。
暇やろな、ならば、手伝え。と、我が檄が飛ぶためですが、ナニも私のを手伝えとは云うてませんで。作業標準のホウだけですがな。よって、書類の作成は五名で手分けしたのです。
ついでに、初等品質管理講座も希望なら受講セヨ。柿垣クンは真顔で、本気ですか。
私も真顔で、本気も本気、資料も準備してあるのやで。イヤ、それはゴメンですとそそくさと退散しよったなあ。
そんな話は別にして、本命の工場実習です。
旅館で一泊した明くる日、RM製造工場に出向いたのです。
社長に面会を求め、宜しくお願い致しますと、ご挨拶かたがた、実習のお願いと、実習生の紹介ですが、社長の様子は、イチオウ、にこやかでした。岸見クンは、心底、歓迎してくれてるのが分かりました。懐かしいと、眼にはウッスラ涙まで浮かべてくれて。
実習期間は、約二週間。その間に作業方法を覚えねばならぬのですが、初日のことです。まずは、作業者同士が馴染んでくれること。工場の雰囲気に慣れてくれれば結構で、そんな意味で、初日は多くを望まず。その分、満足な一日ではありました。
そして、その日が終了し、社長に挨拶した、そのトキです。
社長が、こんなことを宣告された。
「明日からの実習は、夜にしてください。」
(01/10/05)


12.RMの話(11) 工場移管実習(4)

実は、時期がチガウだけで、夜勤も実習計画で予定はしてるのです。
実習前に社長には計画を明示してます。流動的ではありますが、実習期間の約半分、一週間後です。状況により、減らすことも有る。夜勤の際は、お手数ですが、工場のダレかがおつきあい願いたい。
ところが、社長の話は実習二日目から夜勤にセヨと云うてるのです。来て一日の実習生を夜間作業をさせてもヨイのかです。
「イマ、増産で忙しいのです。作業者の手を取られても困りますし、皆さんだけで稼働させることは出来ますよ。」
狭い工場内の人員が倍になってますから、動き難いし、アレコレと、ご面倒をお掛けしてるのは事実です。
そやから云うて、いきなり、実習生に設備を稼働させなさいも酷なこと。社長の経験からの親切心からか、嫌がらせかですが、思うには、社長のロームに対するささやかな抵抗です。
往き掛かり上、実習拒否も出来ません。されど、状況からすれば、歓迎出来る実習受け入れでもナシ。私や実習生は悪魔の使者みたいなもんですから、嫌みの一言でも云うて、サッサとお引き取り願い、塩でも蒔きたい処やろ。
「ダレかついて戴けるのですか。それとも、全面的に実習生だけで工場を動かすのですか。」
「ダレもつけません。皆さんだけでやってください。」
「機械が故障したらどおするのか。材料は、製品は、ナニをどれだけ投入するのかもありますしねえ。」
それよりも、事故でも発生したら大変ですが、そこまで口にすれば、ギクシャクしてしまうから、堪えただけ。
「イヤ、設備が故障しても、そのままにしといてください。明くる日にナンとか処置します。投入は、伝票発行されたものだけをやって戴ければ結構です。」
それで、今スグに返事をせんとアキマセンですか。実習生と相談したいのですが。
即答は避け、アオイ電子の工程監督者と相談することにしたのです。作業者が独自に稼働させることが出来るなら、社長の提案を受け入れてもヨイし、日数が欲しいなら、そのよおに交渉せねばならぬがな。我が判断だけなら、所詮、一日の実習では無理ですし、疫病神と見成されよおと、蹴飛ばしてしまいたい。
さて、実習と云えば、抵抗器製造部時代にもありましたから、状況は知ってます。
最初がサカエ電子で、次がエンゼル電子。二社共解散しましたが、アポロ電子工業も実習生が来ましたし、着炭工程は両備電子でした。特に、着炭工程は実習完了後、解散されることになってましたが、意味合いがチガウよなあ。
実習期間も一ヶ月以上で、最後の二週間程度を二部交替として実習生が主体となって稼働させたのです。
但し、ロームの工程監督者、班長、設備の保全担当者も交替でおつきあい。おつきあいしてなかったのは、生産管理とQCだけですが、居てもすることが有りませんがな。
そんな体制での二部交替ですから、ナニか有っても、ナンとかなりますし、実習生も安心。
実習が完了し、工場移設では、ロームの関係者一同が総力で応援します。工程監督者も、保全担当者から班長までが出張指導したのです。そこまでの体制で移管しても問題は発生するから、QCはそこからが忙しかったのです。
いずれにせよ、コンカイの移管実習は、そんな甘いものでナイことは分かってました。丹後半島の工場から、ダレかが観音寺工場に来てくれるハズもナシ。ロームからの出張も、セイゼイ、山本さんと私だけやろなあ。
私にしても、設備のことは分かりませんから、製造可能状態になってから、品質確認を兼ねての出張を予定してるのです。
そんなことはどおでもヨイ。兎に角、二週間で全てを収得せねばなりませんが、新工場で、学校を卒業したばかりの新人ではありません。要領を掴むのは早いのではないかと、チと楽観的胸算用もしてました。それでも、作業者についてのの実習が一日は短か過ぎる。
旅館に戻ってから、スタッフに連絡しました。こんな話が有ったけど、どおしたものか。
社長案をそのまま受け入れるか、云うても、今から、明日からの夜勤は無理ですし、一日、二日でも、延期を要請するか。受け入れるにしても、先方がつき合わんから、保全は大丈夫か、夜間稼働に足るだけの投入を確保も要請しとかんとアカンしなあ。
等々、細部の打ち合わせをしたのですが、基本的には、延期も、一日、二日が限度やろ。実際、場所が狭いし、動き辛いこともある。
結論的には、思い切って、一日だけの延期を要請して、次の日より、夜間勤務に移行を決意した。但し、作業引継、質問事項等、工場関係者との打ち合わせ時間も欲しいため、三時からの出勤で、十二時までの勤務時間としよかいな。
よって、明日はそのツモリで、計測器、工程長を始め、実習生全員は各担当者に当面の不明点は聞いておくこと。
特に、工程長は、電源、戸締まり方法から、病院、警察、消防署の所在地は勿論、医療品の置き場をその目で確認してオケ。医療品がナイなら、即刻、買い出しに飛べ。そして、夜食は弁当にしてくれと、その準備は旅館に頼め。
私は、ロームに連絡を取り、その状況を伝えると共に、開発者であり、機械屋さんの山本さんに出張要請してオクことにした。
考えよおによっては、丁度ヨイのです。アオイ電子の工程長は機械屋さんです。いずれ、山本さんと機械関係の打ち合わせをせねばならぬわい。
ついでなら、電気屋はんも出張セヨと、呼び出したろかいな。
そしたら、計測器担当の実習生が申しました。この程度なら、まだ、要りません。抵抗器のがそのままです。
成る程、RMは抵抗器やった。
(01/10/06)


13.RMの話(12) 工場移管実習(5)

内部打ち合わせで問題になったのは、RM製造の主要工程である厚膜印刷工程と基板のクラッキング工程。そして、端子付けと半田付け工程の作業も気掛かりです。
これはRM特有の工程で、当時は自動機ではなく、手作業のため、作業には或る程度の熟練を要したし、実習生も不安を抱えてた。
ならば、二案が考えられる。実習生を二分して、該当工程だけは、通常時間帯とし、アトは夜間勤務とする。この場合、工程監督の代行者任命の必要がある。さもなければ、数日は朝から十二時までの出勤となる。
もお一案は、工場のダレかをナン時間かでも夜間勤務におつきあい願うこと。これは岸見クンが適任です。
いずれの案にした処で、実習生の作業分は廃棄処分か修正に廻る可能性大。その良否判定には基準がありますが、慣れていなければ判定そのものが難しい。
工程で一番肝心なことは、製造されたものを良品とするのか、不良品とするのかの判定基準で、ここさえしっかりしておれば、最低限、不良品の流出は防止出来る。
実習生が製造しました故、多少の不良品が出荷されてもご容赦をと、納入先には云えませんのです。
電気的特性についてなら、計測器が自動選別してくれますが、その一歩手前が怖い。
特に、トリミング(切削)状態、基板割りのカケ、クラック等、これが厚膜部に僅かに達し、ジワジワと、特性に影響を及ぼすこともありますから、目視判定に頼らざるを得ないことがある。
これは電気的に過負荷を印可し、壊れそおなものは壊してしまうのですが、完璧に選別出来る保証はナイ。
しかも、測定出来る状態になってからでは付加価値が高いため、なるべく、マエ工程で発見し、一番好ましいのは、自工程で対処し、後工程に流さぬこと。
検査なるものは、全工程に存在し、作業者が自主的に行うものと、検査員が検査するものがある。その全ての検査を夜間勤務の実習生だけに任すのは大いなる不安です。
当然、実習に寄る歩留まり低下分については費用的に補償することになってますが、余りにひどいと出荷計画に影響し、工場の足を引っ張ることにもなる。
ならば、立場上からも、QCの内田君と私は勿論のこと、悪いけど、計測器担当者も、明日の実習では検査工程をやりましょう。それも一日で良否判定を把握すること。
内田君がソレはチとシンドイのではないかと、異論を挟むから、ナニ抜かすと言下に退けた。
そんなもん、不良サンプルを見れば分かるわい。最初は厳しいめで結構。判定に迷うことがあれば、雁首揃えて相談すればヨイ。どっちにしても抵抗器や。QCの経験からしても、ナニが危険で、ナニが大丈夫かの理論、理屈くらい分かってるやろ。万が一、それでクレームになったなら、私が謝りに往きますがな。
全ての原因はハッキリしてます。アオイ電子QC担当の内田君が見逃しましたから、首に致しますのでご容赦を。イヤ、冗談やで。
スミマセンです。QCの経験が乏しいもので、マダ、一日目です。
ナニナニ、そしたら、マエはナニが担当であったのかと問えば、計測器やて。この度、RMの製造を開始するに際し、QC担当になったやて。
馬鹿タレめが。それを先に云え。どっちにしても、電気屋さんやないか。尚更抵抗器の理論は分かってるやろ。ゴタゴタ云わずに、一日で覚えてしまえ。
ついでに、検査基準用の限度見本と不良サンプルを収集セヨ。そしたら、検査標準が出来てしまうから、一挙両得、アトが楽やなあ。
そんなヤリトリがあった、明くる朝一番、社長に統一見解を説明して、夜勤以降の一日延期は了承して戴いた。
その程度なら譲歩して戴けるとは思てましたが、どなたか一名だけ、長くとは申しません。夜の七時まで、お付き合いして欲しいのです。出来れば、QCの岸見クン。
丹後半島の工場は、早晩、ロームとの縁は切れますが、この先も、製造に関わる仕事を継続されるなら、我々の実習期間中に発生するかも知れん不測の異常現象を如何にして解決するかを体験して欲しいし、実習の協力もお頼みしたいと思たのです。
私にしても、RM製造についてはド素人故、発生するかどおか。発生しても、難題のため、解決出来るかどおかも、分かりません。
ではあっても、僭越乍ら、無形の置き土産があるなら残したい。
そんなことまで口にはしてませんが、社長はその程度ならと、快諾してくれた。
(01/10/07)


14.RMの話(13) 工場移管実習(6)

斯様な次第で、初日は挨拶がてら、実習先の雰囲気に慣れるのが主で、設備に触ることも無かったのです。
二日目は、夜間勤務に備え可能な限り、実習生に設備を稼働させて戴き、工場の作業者には、なるべく手を出さぬよおに依頼した。
ではあっても、調整方法どころか、スィッチ一つ、備品の置き場所も分かりませんから、午前中は右往左往して、ナンとか、午後からは落ち着き出した。
工程監督者は社長に戸締まり方法等を教えて戴き、内田君を始め、私共三名は、前夜の打ち合わせどおり、工程の不良サンプルをかき集め、どんな不良が出てるかの確認をしたのです。
云うたらナンですが、不良品を見れば、概略のことは分かります。不良率を知れば、工場の実力まで推測出来る。事程左様に、不良品は工程の実力と問題を探るための宝です。
しかるに、工場ではそんなデーターは集計して無かったなあ。
岸見クン、やっといたホウがヨイのやで。不良はそのまま、工場の損失や。突発的に不良が出ても、対策の効果が分からんがな。
イヤ、こんなことは、彼の実習期間中にも云うてたのです。忙しいから、そこまでの手が回らんかったと思いますが、難しいことはナイ。作業者に記録してもらえばヨイのです。
それを集計するだけの手間で、出来れば毎日がヨイけれど、時間的に無理ならば、一週間に一回でも、やっておけば、貴重な資料となるのです。
この当時、ロームの各工場でも不良データーは集計してました。ロームの生産管理課が管理することになっており、生産実績等と一緒に月報として、報告させ、関係部署に回覧してたのですが、RMに関しては、まだ、その体制が整ってナイため、岸見クンの課題としてたのです。
残念乍ら、この工場では、何を管理してたのかと云えば、何をどれだけロームに納入したかの出荷実績と、どの工程でどれだけの不良が出たから、処分したかです。
その納入実績に寄る代金と、不良発生分の所定費用を受け取るのです。つまり、材料はロームから支給との形式になっており、廃棄不良品は補償されるし、製品は常に不足状態故、計画以上に製造しても、納入すればするだけ買い取ってもらえる仕組み。
ならば、不良が幾ら出ても工場の損失にはならんみたいですが、そんなことはナイ。廃棄不良が多ければ、工場人件費の損失になる。その分をロームに若干補填させてるのですが、そこから先は、我が範疇にナイので詳細は知りません。ホカの工場の場合なら、材料はローム経由での購入となってましたから、材料品質異常はローム経由で返品となる。よって、材料の重要品質問題はQC管轄であり、納入業者にクレームを付けてたのです。
兎に角、製品としての出荷なら、付加価値が付くし、不良が多ければ、生産効率がガタ落ちになるし、下手したら、顧客の足を引っ張ることになる。
不良品も数だけでは仕方ないのです。不良内容を分類して集計すれば、工程で何が問題となってるかが分かるし、上位の不良を撲滅してやれば、解決の過程を含め、工場の技術力と工程能力が向上する。
それが、スタッフの役目やで。などと、エラソウな話を不良品を解析し乍らチとやりました。
どっちにしても、このままでは、どんな不良が出てるのかも、何を解決すれば、歩留まりが向上するのかも分からんしなあ。
見た処、基板カケ、ワレが不良品としては多いのですが、もっと多いのが、基板へのパターン印刷のやり治し。これは、厚膜ペーストの印刷がズレたのと、カスレたり、余計な場所に付着したりです。
乾燥前ならペーストは希釈剤(溶剤)で取れれますから、不良現物が無かったのです。印刷工程の要員として専属の洗い屋さんが居た程やのに。この作業は希釈剤を使うため、別棟でやってましたから、知らなんだなあ。
そんなことを、暢気に解説してる場合ではなかったのです。
岸見クンが、可笑しいなあと云うたのです。
「柴田さん。ペーストのカスレは、今までは少なかったのです。この処、異常に多いです」
(01/10/08)


15.RMの話(14) 工場移管実習(7)

果たして、基板にペーストが付かないとはどお云うことか。
ショッチュウ出るとのことですから、作業者に出れば連絡してクレと指示したら、即刻、連絡されてねえ。
現物を見たところ、確かに、ペーストが弾かれてるよおには見えました。
このハジキなる不良現象は塗装後の標印工程でもあったのです。始終悩まされたと云うて、過言では無い。原因は、幾つも有って、決定的な対策は無かったのです。ここで、無かったと過去形にしてるのですが、過去形となれば、対策出来たことになる。
それは、この話(昭和四十九年か五十年のこと)の五年程先のことです。ガラス封止型のダイオードで対策した。ナニブン、モノは異なって、ガラスにインクを塗布するのですから、ハジキは日常茶飯事のことでした。よって、ダイオードでの対策は標印工程で実施した。私が担当した機種には全て流用したのです。
イヤ、お断りしてオク。対策内容は秘伝、奥伝、虎の巻でもナンでも無い。対策内容は生産技術の蓄積ですから、技術標準書にも、作業標準にも明記してます。
その話は、ダイオードのトキに譲り、ここでは、アルミナ基板に抵抗ペーストを印刷するに際してのハジキの問題です。お断りしておきますが、アルミナ基板にペーストも、ガラスにインクも似たよおなもんですが、対策内容は異なります。
そんなことはどおでもヨイ。さて、対策するにもどおしたものか。兎に角、原因の追及からで、そのためには、ナニが原因かの調査から。
専門的なことは別にして、まず、基板によって差があるかどおかです。作業伝票には基板のロット・ナンバーを記録するよおになってますが、不良内容、数量までは不明故、即刻、記入するよおに指示したのです。今後の品質異常発生時には、作業伝票を集計すれば、データーを掴めるよおにするためです。尤も、岸見クンが一ヶ月に一回でも集計すれば、傾向くらい分かりますが、これも、体制と習慣の問題故、一番に体制を準備すること。
次に、解析ですが、顕微鏡が欲しいのに工場には無いのやて。やはり、どのよおな状態でハジキが発生してるかを調べるには拡大したホウがヨイに決まってる。
今から、購入してるより、ロームから送ってもらうホウが早いです。この丹後半島と、ロームにはトラックの定期便が二日に一回運行してましたから、それに載せてもらうことにした。
さて、次の手立ては、原因がどちらにあるかを調べること。どちらとは、基板か、ペーストに決まってる。それを一刻も早く知るためには、基板在庫として、ロットが何種類有るかを調べ上げ、ロット毎に何枚かを印刷すれば分かるがな。
これは、基板を犯人とした場合で、ペーストならば、どおするかです。技術標準に寄れば、ペーストは希釈剤で粘度を調整することになってます。よって、その上限、下限、中心の粘度のもので調査すればヨイ。ここでもロットに分類するのもヨイことですが、そこまでやってたら、種類が一杯で、調査するにも大変で、大変過ぎて、実験するのも、調査するのも、まとめるにしても時間が掛かり過ぎる。
そんな次第で、実習はそっち退け。簡単な実験計画をやることにした。
お陰様で、結果はスグに判明した。
(01/10/10)


16.RMの話(15) 工場移管実習(8)

「実録ハイテク物語」は製造に携わってないカタからは、内容を理解するのに難しいぞ。
或いは、製造の世界も面白いなあとか、オナジよおな職種であるから、興味津々とのお声を頂戴してます。
それなりにご意見を戴けば嬉しいもので、ご意見は以前より届いてますが、前回の掲載分では集中砲火を浴びてしもたなあ。原因は、説明を省略し過ぎた結果です。
余り細々としたことまで解説すると専門的になり過ぎるため、小難しいことは省略してますが、省略し過ぎたら分からんがなとのことで、そらソオやと、合点した。
私にしても、昔の話(RMについては、昭和四十九年か五十年頃)でもありますし、手元にナンの資料も無いがため、記憶だけで掲載してます。
コンカイ、珍しく、お問い合わせが集中して、そんなにお読み戴いてたのかと、改めて、感謝感激雨霰。
そこで、アルミナ基板の説明は省略するとお断りしたのですが、それ以外のことまで省略してしもたから、アルミナ基板のロットと、ペーストの粘度がハジキにナンの関係が有るのかとのお問い合わせが集中したため、解説することにする。
簡単には、アルミナ基板の場合、表面の粗さ等が関係する。あくまでも等が付きますが、表面に不純物が付着してもアカンしなあ。不純物とはナニかとなれば、手垢もその類です。
アルミナ基板も炭素皮膜抵抗器用の磁器棒も窯業製品で、磁器棒は着炭のマエ処理として、表面をエッチングし、着炭され易いよおにしてるのですが、アルミナ基板もオナジよおにエッチングする。
磁器棒は、社内(関係会社を含む)でのエッチング処理でしたが、アルミナ基板はメーカーでやってました。
さてここで、印刷される対象の表面が滑らか過ぎるとハジキが発生し易いのです。滑らか過ぎるとは、表現を替えたなら、アルミナ基板の場合、エッチングを忘れたか、エッチング量が少ないかです。ならば、表面状態を調べるのも一方法ですが、そんな測定装置が有ればヨイけれど、この当時、解析装置としては、ロームにも顕微鏡程度しか所有してませんでした。
無いなら出来ませんし、そんな小難しいことを考えるより、即刻出来る対策として、ロット間によるハジキの差の有無を知りたかっただけ。
差が有れば、原因はアルミナ基板であるからにして、RM製造工程としては、まずは、ハジキの少ないロットを使用して、多いロットはメーカーに返品して調査セヨとするのも方法です。
ペーストの粘度については、印刷状態との関係は分かってます。
基本的には粘度が高ければ(希釈剤の濃度が低い場合)基板にくっつき難い。低い(希釈剤の濃度が高い場合)と余計な部分にまでペーストが延びてしまい、ニジミが発生する。
このことは、アルミナ基板への抵抗体ペースト印刷にだけでナク、印刷全体に通用することで、印刷技術の向上は電子部品の製造技術にとっても、重要なこと。
RMは抵抗体ペーストの単純な印刷ですが、精度を要求される高密度集積回路をウェハーにパターン印刷するのも、その名のとおり、印刷ですがな。
そんなことで、調査の背景はオシマイにして、話を元に戻すことにする。
結果的に、アルミナ基板のロットは一種類しか無かったなあ。これは、磁器棒の製造でもオナジことで、一焼成ロットの大きさがデカ過ぎるのと、エッチングの処理量も多いから。
仕方がナイので、ペーストの粘度だけの比較調査となりました。
結果はスグに判明した。理屈どおりではありますが、ペースト濃度が高かった。イヤ、濃度が規定の中心ならハジキが発生セズ。
高かった原因も簡単で、前日に希釈剤を調合したペーストをそのまま保管して、朝一番から使用してただけです。
最低限、希釈剤が揮発せぬよお、ペーストを入れた容器を密封するなどしとけばヨイのに、ナニもしてなかったのです。
調合の際だけは基準の中心に合わせても、時間の経過と共に変化するのに対応してないのです。このことは、この工場だけでナク、ヨク有るのです。
よって、標準類の改正となりました。ペーストは当日使用の予定量のみを調合する。これでダメなら、手間ではありますが、朝、昼、二回に分けて調合するとかなあ。
後からすれば常識ですが、分かるまでは大問題。イヤ、工程では、いつもの現象。
岸見クンはまだ日が浅かったから、気がついたのです。
(01/10/12)


17.RMの話(16) 工場移管実習(9)

イヤまあ、こんなことは季節的要因もあるのです。
季節とは、寒暖の差のことで、粘度は周囲温度にも影響されるとの意味で、オナジ希釈剤量をペーストに混ぜたと仮定すれば、夏場では粘度は低くなり、冬場は高くなるけれど、夏場は希釈剤の揮発速度が早くなり、粘度はスグに高くなる。
冬場はその反対で、RMの移管実習は夏場であったと思います。それで、粘度が高くなり、ハジキが多発したのではなかろおか。
そんなことはどおでもヨイ。この程度の調査なら、半日もあれば充分で、粘度調整方法の打ち合わせをして完了や。
半日で完了はヨイけれど、不良品の検査と分析がナカナカで、夜遅くまで時間が掛かったハズです。
明くる日からは夜勤ではあるけれど、反面、ユックリ寝られるし、夜勤のホウが気楽かなあ。
などと云い乍ら、反省会と、標準類の作成と、初等品質管理講座は決めたからには予定どおり実施して、その明くる日の朝、お昼までは寝てられるから、しっかり寝てました。
そしたら、旅館の小母さんから叩き起こされたのです。
「柴田さんはどなたです。会社から電話ですよ。」
柴田は私です。そやけど、邪魔くさいなあ。折角、寝てるのに、ダレかいなと不満タラタラ、電話に出たら、
「奥野やけど、頑張ってるか。」
ナンとまあ、奥野とは、半導体製造部の部長様やがな。マサカ、部長が私などに、直接に電話してくるとは、ビックリ仰天で、寝ぼけ眼はパチリと開き、夢見の脳味噌にはピカリと閃光が走りました。
私が半導体製造部に移籍したトキの芦田部長は移籍した途端に本部長に就任してしもて、奥野部長になったのです。
この部長は元設備課課長で、公式的な社内の噂では、ダイオードの組立工程を開発した功績でもって、部長に昇進したことになってます。設備課とは、製造設備用部品の社内加工担当部署で、旋盤等が有りました。
それはそれとして、さて果て、大失敗してたのです。当面の課題に集中してしもて、夜勤のことは直属の上司に、山本さんの応援要請さえも忘れてた。兎に角、ダレにも実習の予定変更を連絡してなかったがな。
「実習先に電話をしたら、マダ、来ておられませんと云われたで。何処に居てると聞いたら、ここの電話番号をと云われてなあ。電話したら、旅館やないか。それで、ナニしてるのや。」
イヤまあ、ナンです。カクカク、シカジカの次第で、夜勤になりました。連絡がマダで申し訳ありませんです。冷や汗までもかいてませんが、焦ってしもて、支離滅裂の返事して。
「それで、実習のホウは順調かいな。」
順調もクソも、まだ、三日目やで。とも云えませんから、適当に、口から出任せで、順調ですと答えたり。そおとしか、返事のしようもありませんけど。
「それならヨイけど、ナニか必要なものが有ればナンなりと云うてクレ。全面的に協力する。」
イキナリの電話で必要なモノと云われても、ナニが有るやら。全面的とは嬉しいことを。
ならば、お小遣いをクレもナンですし、顕微鏡を送ってクレと部長に頼むのも如何なものか。
そやそや、カクカク、シカジカで、設備関係の実習教育のため、山本さんをナン日かでも来て欲しいのですが、頼んで戴けませんですか。こんなことこそ、部長の役目です。
「ヨッシャ、分かった。云うといてやる。で、それだけかいな。もっとホカに用事は無いのかい。」
気さくにホカにもと云われても、無いのですが、失礼乍ら、そこまでナニかしたいなら、ついでに、夜勤になった件を我が上司にも伝えておいてクレ。などと、エライさんを伝令に使たりしまして。
この実習期間を通じ、一番に想い出すのはこの一件です。何しろ、夜勤出動初日のため、昼まで寝てられると、いい気になって寝てたからなあ。
これで、当面の連絡事項は報告してたことにはなりますから、一安心ではありました。
がしかしです。山本さんは一度も来ることが無かったのです。
後日、確認したら、部長からはナニも聞いて無いやて。
(01/10/13)


18.RMの話(17) 工場移管実習(10)

この部長は電話魔的性癖が有ったかなあ。
そして、私にとっては、ロームでのお付き合いも長かったのです。
その後、半導体製造部が組織拡大と共に、ダイオードとトランジスタ製造部に細分化され、RMは抵抗器製造部に引き継がれた。開発段階ではあったのですが、LEDも製造部になったのかなあ。
そのダイオード製造部に奥野部長が就任されたトキ、私もそちらに移籍したのですが、それは後の話として、電話が掛かってきたトキ、旅館で寝てたのですから、ばつの悪いこと。
先に連絡しとけばヨカッタのですが、私は電話魔とは正反対で、余程のことが無い限り、電話一本することさえが珍しい。
トリアエズ、夜勤実習も大きな問題が発生することもナク、極めて順調に進み、初の日曜日には折角やからと全員で、レクリエーションも致しました。
私はマメではありませんので、ついて行くだけ。計画一切、工程長がやりました。
車が三四台有りますから、それで何処かに行ったハズ。その何処かもしかとは覚えてませんが、タブン、舞鶴港にでも出掛けたのかなあ。そこで初めて、実習生全員と話もしたよおな気がするのです。それまでは、お互いに避けてたよおな気もしてる。
その夜であったのか、突然、全員が部屋に入って来て、休みくらいノンビリやりましょうと雑談が始まった。
そこで、板前さんみたいに、五分刈りの頭に手ぬぐいを巻いた柿垣クンが、女の子に肩揉め、腰揉め、歌唄え。エラソオに命令するのです。
本気かいなと思てたら、女の子もホントに肩を揉み、腰までは揉みませんでしたが、歌を唄うからビックリ仰天。
下手ではありませんが、ナンの歌であったのか、よおやるなあと感心してたら、
「柴田さんもどおですか。」
急にお鉢を廻してくれるな。イヤ、遠慮しときます。私は肩など凝ってませんです。
「ナニを勘違いしてるのです。女の子に肩を揉ませるとは云うてませんで。ナニか歌でも唄ってくださいよ。」
ナニ抜かす。私はこお見えても、無芸小心小食、加えて音痴です。金輪際、歌など唄たことは無いわいな。そこまではウソですが、歌は苦手も苦手、大苦手。そもそも、歌詞を覚えて無いし、殺す気かいな。
「遠慮することは無いですよ。歌集くらい有りますから持って来させましょう。」
兎に角、この檜垣クンはヒツコイのや。私はナニも遠慮してませんのです。それとも、初等品質管理講座を一緒に勉強するなら、唄てやってもヨイのやで。
但し、耳栓して、全員部屋から出て行ってクレ。そしたら、ダレにも聞こえんよお、こっそり、小声で唄てやる。
この当時、カラオケなどと称する文言は有りませんでした。しかるに、皆様、歌が大好きでして、流行歌なども唄てましたが、私はサッパリ興味ナシ。
それこそ、コッソリ、トイレになどに、雲隠れして。それも人数が人数故、度々繰り返せば、スグ、見つかるのです。ナニ分、一時間もやってくれるから、私の場が持たん。
「何処かにナニか有るのですか。」
ナンにも無いです。チとトイレに用事がありましてねえ。
「お腹の調子が悪いなら、お薬でも有るか聞いて来ましょうか。」
真顔で心配してくれるけど、余計なお世話です。
「イヤ、ナニも無いからご心配ナク。」
顔色も悪いよおですが、大丈夫ですか。それは、順番が廻って来るのが怖いだけやがな。皆様で、勝手にやって戴いてる分には、こちらに影響ナシですが、順番に一曲づつとの提案は私にとっては恐怖です。
これ一回ならヨイのですが、この日が初日となって、以降、連日の如く、イヤ、実際には連日でもありませんが、私にとっては連日の如く、我が部屋が歌謡大会場に変身してしもた。
皆様、お楽しみ故、そんなモン、辞めてクレとは口が裂けても申せません。私もそお度々、俄腹痛にもなれませんから、拍手だけに参加して。
お陰様で、歌謡大会が開催される日は、反省会は短縮して、標準類の作成はやらねばならぬから、初等品質管理講座は頓挫した。
もしかして、それが柿垣クンの陰謀であったのかも知れません。
(01/10/15)


19.RMの話(18) 工場移管実習(11)

夜勤実習も予想以上に順調で、実習生の雰囲気もマズマズですから、連夜の如くに、歌謡大会も開催出来たのです。
十数人では大会との表現もナンですし、開催もチと大袈裟です。
それよりも、私以上に旅館の女将さんが迷惑してたのではないかとの心配もしましたが、そこまでのことは心配無用でした。大声ではやってませんし、襖を閉め、こっそりと抜け出した、部屋の隣のトイレのナカでは聞こえてなんだなあ。旅館での昼食のトキ、女将さんに、スミマセンですねえと謝ったら、ナニがですかと聞かれたで。事情を話したら、そおですかやて。
さて、これが、トラブル続きなら、暢気なこともやってられませんし、お互いにピリピリ、ギスギスしてたら、歌を唄てる気にもなりません。
それでも、私は茅のソト。一緒に唄えと誘われても、イヤなものはイヤなんです。さりとて、小難しい顔もしてられんし、表面的にはニコニコして、トイレに雲隠れして。
そんなナカで、実習も中場が過ぎた段階でも、ロームからは山本さんも来てくれず、計測器もオナジ抵抗器の測定回路と替わらずとは云え、RM一個には抵抗素子が幾つも印刷されてるため、担当者からスキャナー回路を確認したいとの申し出があったのです。
それでは、一発、ロームに出張致しますか。ついでに、QCの内田君も、管理試験の方法も知りたいから、是非、連れてってクレと云うから、よかろうと、夜勤実習が終了してから三人で出発することにしたのです。
真夜中に移動することも無いのですが、ナンであったかまでは忘れたのですが、こんなトキに限って、異常が発生するのです。
解決出来たら、夜勤実習も終わる時刻になってただけすが、夜の十二時が過ぎてから、我が愛車ホンダZで国道九号線を疾駆したのです。
夜間は車も少ないし、運転は楽。ところが、同乗のお二人さん、計測器担当者は元々物静かですが、イツもは陽気な内田君までが、冗談一つも云わんのです。原因は、我が運転が信用されて無かっただけ。
そんなことは委細構わず、私のホウから色々喋りました。理由は、流石に眠かったからで、欠伸の度に、余計に、お二人さんは静かになって。
京都には、真夜中の三時頃に到着で、二人を旅館に、私は自宅に。そして、明くる七時半には、迎えに行って。
会社は当時、八時出勤故(イマは八時十五分)ですが、彼等だけなら、本当の出張ですから、出勤も午後からでもヨイ。会社の守衛室から私を呼び出せばと教えてやってるのに、ロームには初めてで、一緒のホウが安心であるとの要請にお答えしただけです。
当日は、計測器担当者は生産システム開発部の計測器関係者に紹介して、内田君は、私と一緒にRMの関係者に実習の進捗状況の説明と、諸々の打ち合わせです。
更に、関係者の山本氏を捕まえて、早く来てクレと要請したのに、時間的に無理との返事。ここで、私も感情むき出しとなり、先輩社員ではありますが、ナニ抜かすと激怒した。
こっちは、RMの製造工程もヨク知らんのに、やってるのや。山本さんは設計開発者であるからにして、本来なら、いの一番に馳せ参じ、寝食を共に教育指導する立場である。そのウエで、QCの応援も必要なら、私が応援者として参加する立場やで。
山本さんにナンの仕事があるのか知らんけど、私にも日常業務は有りますのや。それはダレが応援してくれる。責任者として、ナン日かでも出て来て当たり前。にも関わらず、時間が取れんとは無責任にも程がある。その言葉は撤回して、即刻、顔を出せ。
イヤ、スマン、スマン。LEDの注型方法で困ってる。クラックが出て、対策をどおすることも出来ひんのや。
申し訳ナイけど、設備関係の担当者もこっちに出張してくれるよおに頼めへんやろか。と、謝まられてしもては、ショウガナイ。我が感情は収まって無いけど、鉾は納めた。
トリアエズ、進捗状況の説明と云うよりは、諸々の要求を突きつけたのに、結局は、私一人で全部やってクレとなったのです。
さて、山本氏の抱えた難題。LEDの樹脂注型のクラック発生は、その後、実習指導が完了してから、私の担当になったのです。
それはそのトキに譲るとして、打ち合わせ終了後、内田君は、半導体QCで試験担当の矢崎氏に託し、私のホウは貯まりに貯まった業務を丹後半島の工場へ持って行くべく準備に大忙し。
ダレかがやってくれることもないからなあと、QCの上司に聞こえよがしに、つぶやいたり。
(01/10/17)


20.RMの話(19) 工場移管実習(12)

このRMに限らず、実習計画なるものは実習の度に作成してますが、計画通りに進行することはマズないなあ。
RMにしても、イキナリの夜勤実習になったり、肝心要の開発者山本さんは一度も足を運んでくれずであったりして。
逆に云えば、計画なるものは備忘録的存在価値しかないのです。最低限、ナニをなすべきかが重要ですから、目標から大幅にずれることがナイよおに、その場、その場で臨機応変に対応せねばならぬのです。
それに引き替え、小泉内閣改革工程表は備忘録的存在価値もなくなった。
工程表の正式発表さえが、八月中が八月末となり、九月にはとなって、中旬には、イヤ、九月末にはとなり、十月にはとなって、既に十月ですが、事程左様に遅れに遅れ、折角の工程表なる政界にとっては希を衒た新語も色あせて、ダレも期待どころか、遂には、話題にさえならぬよおになりましたから、今更、工程表も出して戴いても、陳腐化してしもて、有り難味さえ無くなってます。
にも関わらず、何故か、先行改革プログラムなる造語も出現して、云うたからには出さねばならぬと一部だけが発表されましたけど、内容たるや、幼子でも騙せますまい。イヤ、それどころか、チンプンカンプンで、当事者の竹中大臣殿他、原案作成の官僚さえもが解読不可ではないかいな。
原因は、頭脳明晰なる反面、実務経験皆無の理論家が、工程表のナンたるかも理解セズ、単なる文言だけを先走させ、内実は計画表か一覧表にも関わらず、公表するからには絶対に実行せねばならぬと、凝り固まり、チと真面目に考え過ぎてため、ウソにならぬよおにするための表現に腐心した結果です。
要は、書き物にすることに意味があるのではナク、実行にこそ意味のあることが分かってない証拠です。
しかるに、計画して、その通りに進行すれば、楽ですが、世間では、常に暴風雨に雷光が発し、行く手を阻む予期せぬ障害は、常時、発生する。そこを、強引にでも突破してしまわねば物事は進みません。
RMの移管計画では、アオイ電子観音寺工場での稼働日と製品出荷日程までが決まってますから、全ての関係者はその日に照準を定め、業務を遂行し、ダレかが、役目を放棄すれば、忽ちにして、計画が遅れることになる。
遅れれば、納入先の生産計画に支障が発生するし、会社の信用問題にもなる。よって、RMの生産計画も異常発生に備え、在庫を積み上げるための計画を立案し、工場に指示してるのですが、そのことは、生産管理部署の業務です。
私はそれは無関係として、ただヒタスラ、実習計画の我が課題をやり遂げねばならぬ。
政治家みたいに、出来ぬなら、勝手に期限を延ばしたり、基準を変更などは出来ませんのです。実務に於ける責任の所在は明確故。
大変なのは、私ではナイのです。一番は、実習生諸君です。工場に戻れば、連夜の歌謡大会どころではナイ。実際にRMを製造せねばならぬ。
さて、山本さんが来れぬなら、こっちから出向くのみ。
一発目は計測器とQC担当者でしたが、二発目が工程監督者を伴おて、山本さんと設備関係の打ち合わせとか。お陰様で、ロームに往ったり来たりで忙しいこと。
まるっきり、付添人ですが、実習のお付き合いとはそんなもので、実習生の教育指導と便宜を計ってやることが主たる役割となる。
そんな忙しいナカで、作業標準類も概ね出来上がり、作業者も作業に慣れ、反省会も短時間で済むよおになりました。
イヤ、元々、反省会は短時間で、初日は夜間勤務の件等々で、小一時間を要したのが、その後は長くて十数分。短時間とは、数分で完了との意味です。
それよりも、適宜、個別に要請を聞かされ、回答を忘れてたら、そんな場でどおなってるかを問われたりで、どちらかと云えば、私からの報告が多かった。
標準類の作成も、時間を長く取ればヨイものでもありません。旅館では、セイゼイ、二時間程度。実際には夜間実習中にでも、確認し乍ら作成してた。
そのウエで、表現をどおするか。実際とチガウため、ここを変更するとか、品質確認をどおするかとか。そんなことを指導してたのです。
QCの内田君もチェック・シート類程度が残るのみとなり、実習も残す処、あと僅か。
作業者も作業に慣れたとは云え、実際には、観音寺工場で設備を稼働させてみなければ、理解度も分かりません。立派に動かせてるツモリでも、工場の作業者が動かしてた設備を延長戦で操作してるだけ。最初っから全部を一人でやってみいと云われても、そお簡単に出来ることではナイのです。
よって、実習最後の日曜日の午後の半日は実習生だけで稼働させたいとの提案が出た。
勿論、計画には無いことですし、相手のある話でもありますが、社長は実習生の熟練度も合格と見成してくれたのか、我がホウの要請も意外とスンナリ了解してくれた。
そんな具合に実習計画も、有って無いことばかりの連発ですが、名案と判断したことは何であれ、実施の方向で努力した。
この日曜日の実習がどんな様子であったかは忘れてしもた。
タブン、旨く稼働出来たのです。
(01/10/18)


21.RMの話(20) 工場移管実習(14)

始めが有れば、避けて通れぬ、終わりも有る。
実習も最後の日と相成れば、長いよおで短かかった日々でありました。
当日は朝一番に会社に出向き、社長を始め、お世話になった面々に挨拶すれば、そのままお暇することにしてたのです。
さりとて、実習の背景が背景だけに、ナンと挨拶したらヨイものか。挨拶抜きで、ハイ、サヨウナラもナンですから、お世話になりましたと、挨拶すれば、どんな返事をされるのかと、不安もありました。
案の定、社長を見つけ、挨拶しよおとしたら、お顔が異常に暗い。そして、避けるよおにするのです。まるっきり、訪問初日早々に夜間実習にしてクレと云われたトキとオナジです。
ナニかあることは察しがついてますが、何故かとも聞けませんから、委細構わず、
「お世話になり、有り難う御座いました。」
と挨拶すれば、
「明日、そちらさんから、お引き取りに来られます。」
ナニを引き取りに来るかと云えば、聞かんでも分かります。主要な生産設備一式はロームから工場への貸し出しとなってますから、その設備の引き取りです。
よって、引き取りとは、そのまま、ロームと工場の取引停止を意味してる。実習そのものが、そのことを前提としてたのですから、当然のことではありますが、明日とはチと早過ぎる。
そこまでの日程は知りませんでした。かと云うて、実習の終結と共に、設備も観音寺に設置しなければ、調整も、稼働も、遅れます。
設備が移動すれば、その瞬間から、工場での仕事が無くなるのです。作業者の皆様も当面の職を失うことになる。
かと云うて、私なんかでは如何とも致し様がナシ。仮にも年長者に向かい、そんなことで、気を落とされぬよおとか、ナンとかなりますなどとエラソオに、そのウエ、ナンの気裏付けもないことは申せませんので、それには無言のまま、挨拶だけで、済ませてしもた。尤も、社長も私如きに明快なる返事は期待されてませんですから、単なる愚痴をこぼされただけ。
私にとっては、岸見クンのホウが気に掛かる。有り難う、これからも、頑張ってクレよ。役には立たんやろけど、ナニか有ったら、電話でもしてくれよと、握手して、工場を去りました。
以降、用事がナイから、私は工場には往ってません。噂に寄れば、購買担当者数名が運送屋さんを伴い、ヘルメットを被って、設備を引き取りに往ったのです。
ナンでヘルメットかと云えば、引き取りの際、イザとなれば、先方から、どつかれても、殴られても、手出しは出来ませんからで、何処の工場のことかは知りませんが、社長以下、全従業員が設備の前に立ちはだかって、帰れ、帰れの大合唱。二時間、三時間の睨み合いになったこともザラに有る。
下手したら、バット持参で飛び掛かられるトキもあるため、安全のためと申してました。実際にヘルメットが役に立ったかどおかは知りませんで。暴力沙汰になって、入院したとの話は聞いてません。
但し、この異様な雰囲気では、それも分からんことはナイのです。作業者の皆様も、表情は硬かったので、一方的に挨拶しただけ。挨拶すれば、お辞儀だけはして戴けますが、返事はナシで、ならば、以下、同文と、省略もイケマセンから、全員に、有り難う御座いましたの言葉だけは掛けました。
ここで、終わってしまうと陰気なことになりますから、その後の状況です。
RMの開発者である山本さんは、実はこの地域の出身で、これから、数ヶ月後にロームを退職したのです。辞めるトキ、工場長として再出発すると聞きました。
勿論、RMの製造のためで、岸見クンも我がQCの弟子として、頑張ってくれてるものと思てます。もしかして、イマや社長さんかも知れませんけど、RMをまだ製造してるとは思いません。
さて、私と実習生諸君は、工場をお暇して、場所は何処であったのか、岡山方面と、京都方面に分かれる手前で、車から降り、今度は我々のお暇の挨拶です。
こちらのホウは、早々にでも再会するのですが、監督者が一同を代表して、挨拶してくれました。
「実習では、お世話になりました。早々に観音寺に来てくださいね。柴田さんから怒鳴り付けて戴けるのを楽しみに待ち受けてます。」
とまあ、そんなよおなことを云われたかなあ。
そして、実習生一同からのプレゼントです。とか云うて、ナニかくれた。ナニがナンであったかは忘れてしもたけど、戴いたのだけは覚えてる。
更に、実習生の女の子から、人形を戴いた。これも、申し訳ないけど、ナンの人形かは、忘れてしもたのですが、ダレがくれたかは覚えてる。実習生の班長さんです。
それにしても、この実習期間は寝食を共にしてたのに、プレゼントを買う時間がヨオあったなあと感心した。
誤解ナキよおに云うてオク。風の便りでは、その子は我がQCの弟子、内田君と結婚したのやて。しかも、実習から帰って、ンヶ月後のことでした。果てサテ、プレゼントならまだ分かるけど、摩訶不思議なことがあったものです。
これも実習期間中に、仲が良くなったと云うことで、気がつかぬは、鈍感なる私だけ。
(01/10/19)


22.RMの話(21) 観音寺工場

イヨイヨ、RMの話も終盤となる。
実習が終了して、我が任務が完了ではナク、ここからが本番となる。
くどいけど、新しい工場で新人ばかりが製造した製品故、多少の不良品が流出してもご容赦をとは申せませんのです。
トリアエズ、生産設備の組立が完了し、調整も目処が立ち、出荷するべき製品を製造開始となれば、その段階で出番となる。
そして、我が担当機種でクレームが発生したならば、先方に呼び出され、小言の一言二言、三言四言、イヤ、十言、百言程度を浴びせられるのは私ですから、品質確認も慎重にやらねばならぬ。
小言なら、何百発でもヨイけれど、取引停止になったらエライことです。取引停止のウエ、賠償金でも課せられたら、もっと、エライこと。
そんなことは度々ですが、厚生省の中年お役人様が、業者に対する狂牛病の説明会で、このクソ忙しいのにやってられますかいなと聞こえよがしに宣いましたが、当時、三十歳前の若造の私であろおとも、そんな馬鹿なこと、口が裂けても申せませんのです。
勿論、クソ忙しいのにと愚痴をこぼすこともありますが、それは、社内的に営業担当者にぶちまけるだけ。イヤ、クレーム内容の大きさにも寄りますがな。狂牛病クラスなら、ツベコベ云わずにすっ飛びます。
兎に角、クレームが出れば、無理難題を仰せつかっても、ご無理、ご尤もで御座いますと、平身低頭、謝罪せねばならぬ立場です。
そこまで云うたら、チと大袈裟で、先方様は謝罪を求めてるのではナク、原因はナニで、対策がイツ完了し、一番重要なことは、イツからの納入分なら安心であるかが知りたいのですから、狂牛病に対する消費者の知りたいことと一緒です。
よって、誤解と無理難題に、単なるイチャモンなら、そおではナイと反論致しますが、あくまでも、理論的に説明せねばならぬのです。
そんなことはどおでもヨイ。設備の組立て、調整は私にはチンプンカンプンです。
ここは、専門家の山本さんが主役となって、設備の手配から、不足部品に保全部品に材料手配一式を済ませ、工場担当者に説明と、組立実演のため、実習直後から観音寺工場に出張したのです。
こればっかりは、クソ忙しいから、時間がナイからと拒否したり、サボるワケには往きません。まず、一ラインを見本として、組立てれば、アトのラインは工場主体で組立実施です。
当時のラインは単能機ですから、イマみたいに、設備関係者、数人、十数人がナン週間、ナンヶ月とはなりません。このことからも、現在、流行りの複雑怪奇な設備構成は、一カ所狂たらお手上げになるし、品質確認も難しいよなあ。
そんなことで、学生時代以来、二度目の四国上陸となりました。観音寺工場は国鉄(JR)観音寺駅から車で十分程度。
これまた、嬉しいことに、実習生一同、待ち構えてくれて、大歓迎してくれた。
案内されたRM工程の人員も、三十名程度となってましたが、まだ、工程は完成してないのです。アッチで設備の組立してれば、コッチでは調整。まだ、設備は完備してないのですが、作業者だけは必要人員がかき集められ、設備以外のレイアウトをしてました。
そればかりではナイ。稼働可能な設備も有って、前工程の抵抗体ペースト印刷工程は、私の到着を待ち、作業が開始されたのです。
そして、QC担当者の内田君と共に一発目を見たら、ナンやこれ。ペーストが印刷されてナイがな。
早い話が、希釈剤の混合を忘れてたのやて。笑い話ではナイのです。工場の一発目とはこの程度。次から次に、基本的な失敗が繰り返される。トリミング工程では、エアー圧力の調整を忘れ、キツ過ぎて、溝が太くなり、オープン状態になったり、計測のタイミングが合わんかったり、全工程、悉く、ミスばかりです。
実習では出来て、イザ、一発目であるからと、準備万端整えたツモリでも、イザとなれば、こんなことはザラに出て来ますが、この程度なら、一々指摘することでもナイ。
初物検査でスグ分かるし、製品にもならんがな。
(01/10/20)


23.RMの話(22) 観音寺工場

家電製品なら、関東関西の周波数の差がありますが、その問題を別にすれば、一般家庭でなら、何処でもオナジ働きをしてくれるのに、製造設備の場合、そおはイカンことが多々あるのです。
彼方の工場で、極普通に稼働してた設備でも場所が替わった途端に調子が狂うことはザラにある。調整して、調整して、完璧に調整したツモリでも、彼方此方でナニかの手違いが勃発してしまう。
ソレ以外にも、抵抗ペーストなんかは、調合済みのを準備してたのに、イザ、本番では配合前のを間違おて持って来てしもたのです。
圧力のホウは、思い違いで設定ミスしただけですが、その他、諸々でしたが、昔のことで、忘れてしもた。
いずれも単純なことではありますが、単純だけに再発防止の対策はしときましょうと、材料の保管場所は明示して、圧力計の設定等も目印を付けておくよおにと指示したのです。
この程度のことなら、観音寺工場の他部署では常識としてやってることですが、稼働準備進行中の工程では、ツイツイ、忘れるのです。がしかし、現にミスしてる故、その場でやってしまわんと、再発するのです。
兎に角、各分野の担当者に細々と指示を出し、対策はスグ出来た。これもQCの重要なる役目ですし、そのために足を運んだのです。
さて、観音寺での滞在期間中に、実習生諸君から、こんな提案がありました。
「金比羅さんに往きましょう。」
金比羅さんは方々に存在して、京都の安井にも有りますが、代表的金比羅大権現様は香川の琴平に有る。そこまでは知ってましたが、安井のさえも往ったことがナイ。
京都の金比羅さんは縁切りに御利益がありますから、当世流行の、先方の意向無視で勝手気儘で一人よがりのストーカーなる対策に結構ですし、金比羅船船で有名な金比羅さんは航海の守り神さんです。
そこで、突然に、金比羅さんと云われても、イツ往けるのかと思たなら、その日の仕事が完了してからですて。つまりは、夜に金比羅さんに登ろとのことでした。
お墓に夜はナンですが、神社なら遠慮することもない。さりとて、夜の神社にたった一人では気持ち悪いものですが仲間が居れば左程でもない。神社仏閣には興味の有る処でもありますので、快諾したのです。
アトにも先にも、夜の金比羅さんはこの一回だけで、暗いため、全員、懐中電灯を手にしてのご参拝です。トリアエズ、初体験故、先が見えません。先とは足元のことではナイ。目的の本宮までがどれ程かが分かんのです。
まずは、勢いヨク、石段を競争するかの如くに駆け上がるけど、イツ目的地に到達するのか。そのウチ、くたびれて、足も上がらんよおになって、
「オイ、アト、どれくらいや。」
側にダレが居るのかも分かりませんが、ダレかが答えてくれるのです。
「もお、そこですよ。」
一休みしては、これを繰り返して、
「まだかいな。」
「もお、少しです。」
本宮までは七百八十五段であると聞いた処で、段数を数えながら登ってるワケでナシ。よおやく着いても、夜のことですから下界は見えませんが、気分だけは爽やかでした。
「ここが本宮で、奧宮までは、アト五百八十三段です。往きますか。」
オイオイ、冗談ではナイぞ。もお充分ですと退散した。
勿論、休日を挟んでれば、昼間にご参拝申し上げるのですが、日もナイので夜間決行を計画してくてたのです。
観音寺工場で、鮮明に記憶してるのは、このことです。
まあ、品質確認も、ドタバタは幾らでもありましたが、対処方法に窮する程のこともナシ。至って順調に事も運び、ひっくり替えるよおな、重大クレームも私が担当時代には発生してませんです。
そして、二度目に観音寺工場を訪れたのは、所属もダイオード製造部に替わった数年後のことでした。
担当機種でもありませんから、別件で工場に立ち寄り、挨拶がてらにRMの工程を覗きに往ったのですが、ヨク来てくれたと、全員が歓迎してくれたなあ。
以降、往ったことはナイ。
(01/10/21)



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