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雑談<NO.81>

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表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.82
1067 3月13日:バチカンからの枢機卿たちとオーケストラの、歓迎祭典 磯津千由紀 15/03/14
1066 『この世界の片隅に』アニメ映画化予定 磯津千由紀 15/03/12
1065 「記録を意識」 漫画「いちえふ」作者・竜田一人さんに再び聞く(毎日新聞) 磯津千由紀 15/03/10
1064 東京大空襲:「命ある限り供養続ける」海老名香葉子さん(毎日新聞) 磯津千由紀 15/03/10
1063 ついに!耳鳴りが治る 原因解明&治療最前線<NHKためしてガッテン2015年3月4日> 磯津千由紀 15/03/04
1062 「こっそり変更」で発熱事故 おびえる電機メーカー(日本経済新聞) 磯津千由紀 15/03/03
雑談NO.80

NO.1062 「こっそり変更」で発熱事故 おびえる電機メーカー(日本経済新聞)<起稿  磯津千由紀>(15/03/03)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/03 (Tue) 20:11

 こんばんは。


 グローバル化した材料メーカのモラルの問題でしょうか。
 自転車などでもフレームが折れる事故が多発していますが、若しかすると同因<?>。


> 電機などの大手セットメーカーが、「サイレントチェンジ」の恐怖に襲われている。取引先の素材メーカーによって許可なく、いつの間にか材料の組成を変えられ、事故を引き起こす。調達のグローバル化が引き起こした見えないリスクに、どう立ち向かうのか。


> 「事故を起こした製品に御社の部品が使われていた。こんな材料が入ってたことを知っていたか」

> 「えっ? そんなはずはない」

> 事故品の原因調査などを実施する機関「製品評価技術基盤機構」、通称NITE(ナイト)。ここで主に樹脂材料を調査する片岡孝浩氏は、ある疑念を胸に、台湾の部品メーカーを訪ねて問いただした。

> ジュピターテレコム(東京都千代田区)が2014年4月にリコール(回収、無償修理)を始めたケーブルモデムに付属するACアダプター。これを製造したのが、この台湾メーカーだったのだ。

> 片岡氏が抱いていた疑念とは、「サイレントチェンジ」。メーカーの知らぬ間に、取引先の素材メーカーなどに材料の組成を変えられてしまうことを指す。このサイレントチェンジが今、先進国の電機を中心としたセットメーカーの間で、大きな問題になっている。

> 問題のACアダプターの事例を詳細に追ってみよう。機器に差し込むプラグ部分が発熱して変形する事故だった。NITEは、この経緯を突き止めようと、発熱したプラグの製造元をたどった。すると、驚くべき複雑なサプライチェーンの実態が浮かび上がってきた。

> ジュピターテレコムは、通信関連技術の開発会社を介し、海外のあるメーカーからモデムの供給を受けていた。そのメーカーは、冒頭のやり取りの相手である台湾の部品メーカーからACアダプターを調達。だが、ACアダプターを作った張本人ですら、問題の材料が使われていたことを知らなかった。なぜならこの台湾部品メーカーも、発熱を引き起こした電極部品の製造を外部に委託していたからだ。その委託先は、中国のあるメーカーだという。

> ここでも話は終わらない。電極は金属部品とその間を埋める樹脂から成る。NITEの調査では、発熱の原因が樹脂材料の方にあったことが分かった。この樹脂材料を作ったのが、中国にある別の樹脂メーカーだった。そして、その樹脂に含まれる「難燃剤」が、本来あるべき「臭素系」ではなく、「赤リン」に置き換わっていた事実にたどり着いた。


> ■臭素系のはずが赤リンに…コスト削減でもうける狙い?

> 難燃剤は、樹脂を燃えにくくするために添加する。よく使用されるのは臭素系だが、価格の安い赤リンへの転向が増えている。ところが赤リンは使い方が難しい。

> 難燃剤として使う場合は、水をはじくコーティングを施す必要がある。そうしないと、水と反応して通電性のある物質に変わり、電極間のショートを引き起こしかねない。問題の樹脂材料に含まれていた赤リンは、このコーティングがされていなかった。

> なぜこんなことが起きたのか。関係者は「コスト削減が目的」とみる。この中国樹脂メーカーは臭素系から赤リンへ切り替え、しかもコーティングを省いてもうけようという気持ちがあったのかもしれない。だが、こうした事故ではサイレントチェンジが意図的かどうか、証拠をつかむことは至難の業だ。ほとんどの場合、完成品を製造したセットメーカーが責任を取ることになる。

> 2014年、日立コンシューマエレクトロニクス(横浜市)が発表した液晶テレビとデジタルチューナーに付属するACアダプターの不具合も、サイレントチェンジが原因と言われる。やはり、知らぬ間に赤リンが使われていたのだ。

> こうした事態を受けて、電機大手では赤リンの存在を見分けられる試薬を導入する動きが広がっている。中国から部品を仕入れる際にこの試薬を使い、抜き取り調査をする。手間がかかるが、自衛策を打ち出さなければいつ被害に遭うか分からないのだ。

> サイレントチェンジは赤リン問題にとどまらない。NITEが2013年3月に調査したスチームクリーナーの損傷事故。台所の油汚れなどを落とすために噴射する蒸気をホースに送り出すノズル部が突然折損し、使用していた人が蒸気でやけどを負った。ノズル部に使われていた樹脂を調べると、その原因が見えてきた。

> 本来、ノズル部の材料には強度を増すため一定量のガラス繊維を入れるはずだ。ところが事故品に含まれていたガラス繊維は規定より少なく、代わりにガラスの粉が混ぜられていた。この材料を生産した中国メーカーが、粉であっても同じガラスであれば元素分析でばれないと考え、ひっそりと切り替えた可能性がある。

> サイレントチェンジの問題は想像以上に根深い。事故を起こしかねない製品の生産から問題発覚までの期間が長く、被害額が莫大になりやすい。

> 冒頭で紹介したケーブルモデムのリコールは2009年2月~2012年9月に作られたものが対象。リコール発令の2014年4月より早く気付けていれば被害額は抑えられた。「サイレントチェンジは事故後に初めて存在が明らかになる。だから被害が広がる」(片岡氏)。見えないところでリスクが膨らみ続ける。

> 日本企業の備えは十分とは言えない。サプライチェーンがグローバル化し、リスク管理が困難になっているのは、ケーブルモデムに限らない。自動車も含め、どの分野の製品でも直面している課題だ。しかし、日本のセットメーカーはこのリスク管理を、これまで国内部品メーカーの「善意」に頼ってきた。

> 例えば、コスト削減などの目的で材料の組成を変える時などは、部品メーカーが率先して安全性を確認する。部品メーカーの中で、設計者が新しい材料を見つけてきて安全試験を実施。それを品質担当者が試験をして確認し、担当役員らが承認、そうして初めてセットメーカーへ納める。このような、幾重ものチェック体制が敷かれている。


> ■自動車などに広がりも、サプライチェーンを考え直す時期に

> だが、事態は変わった。「今、問題が起きているのは中国の部品メーカーや素材メーカーがほとんど。彼らに日本メーカーのようなマインドはない」(ある技術者)。そして、材料の安全に詳しい別の技術者は次のように断言する。「サイレントチェンジは樹脂だけでなく金属でも起こり得る。安全にかかわる大事な部品を、管理の及ばない海外で製造していいのか、考え直すべきだ」。

> 今は電機メーカーの事故が目立つが、世界に調達網を広げる自動車でも、いずれこうした事態が深刻化する可能性は高い。「グローバル最適調達」といえば聞こえはいいが、日本では考えられないリスクを背負い込み、それを乗り越えていかなければ、実現はおぼつかない。そして、調達網を広げるほど新たなリスクに直面することを、サイレントチェンジは映し出している。

> 円安局面で製造の国内回帰も見えつつある今、改めてサプライチェーンを考え直す時期に来ている。


> (日経ビジネス 池松由香)

> [日経ビジネス 2015年3月2日号の記事を基に再構成]

<参考=「「こっそり変更」で発熱事故 おびえる電機メーカー」(日本経済新聞)>
(閲覧には会員登録が必要)


【シバケン】 2015/03/04 (Wed) 13:57

この問題。
材料メーカーが、広がりを見せて、一次、二次、三次と、下請けが沢山あって。
そのどこかで、意味合い分からずの、勝手に材料変更したの結果ですが。

>>なぜこんなことが起きたのか。関係者は「コスト削減が目的」とみる。この中国樹脂メーカーは臭素系から赤リンへ切り替え、しかもコーティングを省いてもうけようという気持ちがあったのかもしれない。だが、こうした事故ではサイレントチェンジが意図的かどうか、証拠をつかむことは至難の業だ。ほとんどの場合、完成品を製造したセットメーカーが責任を取ることになる。


この品質問題より、アッセンブリ・メーカーなりの、受入体制が強化なり、されるですが。
実際には、直接の納品元が、品質保証すべきですが。

ここで、記事には、
>>完成品を製造したセットメーカーが責任を取ることになる

こんな話、綺麗事でして。
そのために、セットメーカーが徹底的、調査したと、違うかと。


での、
本命の話ですが。
これは、材料をば、勝手に変更したと、分かったの、事例でして。

意図せず、材料が微妙に変化してるの事、多々あるです。
これは、電子部品メーカーが遭遇するの事、でして。
例えばの話、<Rohm>です。

話を、分かり易くするです。
Diodeの材料、ガラス管、素子<チップ>、リード線<デュメット線>ですが。

この中の、ガラス管なるは、窯業製品でして。
所謂の、鉛ガラス<低アルカリ・ガラス>でして。
<注=当世では、鉛フリー>

製法なるは、二酸化珪素に酸化鉛を加えて、溶融して、しかるべくの、形状に加工するですが。
この原材料が問題でして。

あっちの山から、こっちの山と。出所、異なりますと、性質、若干でもの、異なりまして。
Diode製造<組立>工程にての、変形し易くなったり。完成品が、割れ易くなったりと。

での、
ある日、異常がピタリと止まり。
ガラス管製造ロットが替われば、替わるです。

これらは、ある程度は、Diode製造工程で、対応するですが。ガラス管メーカーに賠償云々の話、致しませんですが。

例えばの話、サンプルにての、実験するにも、ガラス管の製造単位<ロット>が、膨大でして。

同じよな事、炭素<金属>皮膜抵抗器にも、あるです。
材料には、磁器棒使用の、この、磁器棒、窯業製品です。

窯業製品、その昔には、不明点多く。
如何に、使いこなすかの、勝負でした、です。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/04 (Wed) 14:33

 シバケン様、こんにちは。


 以前にコニカ(小西六)で、ケミカル製品の製造を管理してた知人によると、矢張り、原材料のロットによって、製法を微妙に変える(量、温度、時間、など)必要があったそうです。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/04 (Wed) 23:52

 シバケン様、こんばんは。


> そのどこかで、意味合い分からずの、勝手に材料変更したの結果ですが。

 「意味合い分からず」なら過失ですが、

> 本来、ノズル部の材料には強度を増すため一定量のガラス繊維を入れるはずだ。ところが事故品に含まれていたガラス繊維は規定より少なく、代わりにガラスの粉が混ぜられていた。この材料を生産した中国メーカーが、粉であっても同じガラスであれば元素分析でばれないと考え、ひっそりと切り替えた可能性がある。

なんて話からは、確信犯です。「モラル」がないです。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/05 (Thu) 00:07

 追伸です。


 本文中にも明示されてました。


> だが、事態は変わった。「今、問題が起きているのは中国の部品メーカーや素材メーカーがほとんど。彼らに日本メーカーのようなマインドはない」(ある技術者)。


【シバケン】 2015/03/05 (Thu) 00:58

磯津千由紀さん、こんばんわ。

当記事ですが、

>>なぜこんなことが起きたのか。関係者は「コスト削減が目的」とみる。
>>ひっそりと切り替えた可能性がある。

切り替えは、あくまでも、「コスト削減」で、「ひっそり」の、「可能性」とされてるです。

又、
当方投稿の意味は、中国メーカーは、材料指定の、目的までの、深くは、考えず、コスト削減等の、意図して、材料変更するの意でして。

まさしくの、磯津千由紀さん、仰る通りの、「マインドが無い。」です。
同感です。

「材料指定」されてるの、「意味合いが、分かってない」の意です。

これは、発注先えの、説明不足もあるですが。
説明してても、二次、三次までの、下請けともなれば、達するは、コレ、日本でも、至難の技です。
至難でも、日本では、勝手に材料変更致しませんですが。


ここで、余計なるの話。
「日本でも、至難の技」「日本では、勝手に材料変更致しません」と記したです。

が、温度、時間の管理が杜撰は有り得ますは、下請けまでの、工場監査実施では、度々の経験してるです。


での、
意図しなくとも、原材料一緒でも、特性、微妙に替わるを、例示致しましたです。
オッとの、メーカー名記載してませんですが。

ガラス管なら、日本電気硝子なりです。
磁器棒なら、清水<焼き>の、窯元とか、です。


【シバケン】 2015/03/05 (Thu) 07:55

<補足>

アッセンブリ・メーカーと、電子部品メーカーでは、材料点数圧倒的異なるですが。

あくまでもの、Rohm<電子部品メーカー>の場合ですが。
海外工場に対しても、主要材料なるは、日本より、輸出してるです。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/05 (Thu) 10:08

 シバケン様、おはようございます。


> 「材料指定」されてるの、「意味合いが、分かってない」の意です。

 分かっててもやる「確信犯」かと。


【?】 2015/03/05 (Thu) 11:42

 と言う事は、日本向け餃子に毒物を入れて来たり、日本向け縫いぐるみに針を入れて来たりする様な、攻撃ですね。風船爆弾の類の。あるいは、対人の地雷や爆弾。被害者の一人、死人の一人でも出れば痛快。火災でも良いと。

 こういうのに欧米の国なら、どう反応するのかな、と思っても、日本に届きそうな物に限っていますよねえ。確信犯ねえ、それは反省して貰うよりも抜けて貰わねばならない相手です。個人で抗日闘争しています。

 この悪意の攻撃に直撃されない為には、どうしたら自衛になりますかねえ。改善要求でなく、取引中止宣告しかないのでしょうかねえ。マクドナルドは初動を誤ったと言われましたが。


 損害を被る発注元は、自社が陥れられたと自覚するのかも知れませんが、危険が及ぶのは購入者です。近所の未亡人が、毒入り餃子に当たった様でした。一人で1袋を食べましたから、最大に効きました。その後に死去されましたが、程度の軽重不明ながら、肝臓の闘病に有利だったはずもありません。今からは確認もできませんが、この可能性を知らせてやれば、確信犯は甲斐があったかと笑むのでしょうね。


NO,1063 ついに!耳鳴りが治る 原因解明&治療最前線<NHKためしてガッテン2015年3月4日><起稿 磯津千由紀>(15/03/04)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/04 (Wed) 20:57

 こんばんは。


 「耳鳴りは脳が作り出してる音」というのは周知の事実です。
 今回の目玉は、「聴こえない周波数があると、其の周波数の音を脳内で作り出してしまうという症状が、70%」の由。
 その種の耳鳴りは、難聴を補聴器で補うと止まるといいます。


<参考=「ついに!耳鳴りが治る 原因解明&治療最前線」(NHK・ためしてガッテン)>
<消滅・17/04/06>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/04 (Wed) 21:31

 こんばんは。


 70%を占めるという難聴が原因の耳鳴りとは<!>。


> 登山から帰ってきた翌朝、ひざや腰に痛みを感じると同時に耳鳴りが起きたAさん。そこで耳鼻科へ行き、薬を処方してもらいましたが、効果はまるでなし。その後も、さまざまな治療をためすも、耳鳴りはさらに悪化していきました。
> 耳鳴りが始まって1か月たつと、Aさんはとうとううつ状態になってしまい、食事をとることもできなくなってしまったそうです。
> 8年以上耳鳴りに悩むBさんは、耳鼻科に6軒も通ったものの一向に治らず、耳の中で常にセミが鳴いているような音がしているそうです。

<中略>

> Bさんの聴力を調べると、左耳の聴力が落ちていることがわかりました。加齢による難聴でした。
> 実は耳鳴りの原因は、難聴だったのです。ではなぜ、聞こえにくくなる難聴になったのに、耳鳴りが聞こえるのでしょうか。

<中略>

> 脳の興奮によって起こる耳鳴り治療として使われているのが、補聴器です。
> 病院で補聴器をすすめられたBさんは、聞こえにくい高音と低音の音を増幅させることで、今まで脳に届かなかった信号が復活しました。すると、視床は感度を上げる必要がなくなり、その結果、耳鳴りも改善しました。

<参考=「ついに!耳鳴りが治る 原因解明&治療最前線」(NHK・ためしてガッテン)>
(PDF)
<消滅・17/04/06>


【シバケン】 2015/03/04 (Wed) 21:43

コレ、
後半見たです。

成る程と、思うです。
耳鼻科で、聴力検査されまして。高音域がストンでして。
加齢に寄ると。

で、
所謂の精神安定剤を処方されたですが。効果無く。
その時、「脳で作ってる」とは、教えて戴かなったですねえ。

ですが、要はバランスの問題と、するは、理解出来るです。
又、精神安定剤を処方されたも、分かりましたです。

にしても、補聴器も、10万円<!>
且つは、補聴器相談医なんですねえ。

尚、
不安を取り除くだけで軽減することが可能らしく。
それなら、遠の昔に、耳鳴り症状なるは、諦めてるですが、一向に改善しませんねえ<笑>

ついでになら、
耳鳴り症状、発症以来、概ね、20年です。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/04 (Wed) 21:48

副題=番組ディレクターからひとこと

 こんばんは。


 最初に書いたURLより。


> 知っているだけで耳鳴り予防に!

> 今回、番組の制作を通して「耳鳴り」がいかに繊細な病であるかを実感しました。中でも悩ましかったのは「耳鳴り」を気にすればするほど悪化してしまう可能性があること。
> 既に耳鳴りに悩む方々をむやみに不安がらせないか、今悩んでいない方々にも関心を持っていただけるかのせめぎ合いで、何人もの医師のみなさんにご協力いただき、言葉の言い回しや演出方法などいつも以上に苦心しました。

> 番組で最もお伝えしたかったのは2つ。
> 1.耳鳴りのメカニズムの理解が治療の第一歩であること。
> 2.耳鳴りはいくつになっても改善すること。

> です。番組が少しだけでも耳鳴り治療の一助になれば幸いです。
> (耳掃除に関する、貴重な耳の映像も必見です!)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/04 (Wed) 22:07

 シバケン様、こんばんは。


 本件は、現在の常連中では、シバケン様と私だけが関心を示す事項かとも思いましたが、折角なので、本掲示板にポストした次第です。

 以前から、「マトモな」補聴器は、「安くて10万円」ですよ。
 大学の同期(正確には彼は大学院出で私は学部卒だが、私は2留してるので、入った年も出た年も同じ)に、リオンに勤めてるのが居ます(勤めてると言っても、定年間際でして、役員か何かの筈)。
 彼に今度会ったら、今回の番組内容に関し、聞いてみようと思います。


【ノグチ】 2015/03/08 (Sun) 23:55

ためしてガッテン、オンデマンドで見ました。

補聴器で治るとなれば朗報ですね。

難聴の人を知っていますが、耳かけ型の安い補聴器が10万円くらいで、電気製品なので汗で壊れちゃうそうです。

特注の防水型補聴器は数十万円しますが、障害者には公的補助があるので、自己負担は10万円くらい?らしいです。


NO.1064 東京大空襲:「命ある限り供養続ける」海老名香葉子さん(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(15/03/10)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/10 (Tue) 13:03

 こんにちは。


 今日で、東京大空襲から70年になります。
 米軍による「無差別」絨毯爆撃の始まりでした。民間人をも含む無差別攻撃は、条約で禁止されていましたが、その禁を最初に破ったのは、ドイツと日本でした。


> 東京大空襲の犠牲者を追悼する「時忘れじの集い」が9日、東京・上野で行われた。冷たい雨が降る中、地元の小中学生らを含む約1200人が参加し、平和への誓いを新たにした。

> 集いは2005年、落語家の初代林家三平さん(故人)の妻で、東京大空襲で両親ら家族6人を亡くしたエッセイストの海老名香葉子さん(81)の呼びかけで始まった。海老名さんは「一夜にして戦災孤児になった。この胸の苦しみを次世代に伝えていかなければならない。命ある限り、供養を続けていきたい」と語った。【戸上文恵】

<参考=「東京大空襲:「命ある限り供養続ける」海老名香葉子さん」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/04/10>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/10 (Tue) 14:57

副題=東京大空襲70年:惨禍、次世代に語り継ぐ…犠牲者悼む(毎日新聞)

 こんにちは。


 戦争は二度とやってはいけません。
 「戦後70年」ということは、日本は70年間戦争をせずに来たということに他なりません。今後も其れを継続しましょう。


> 一晩で約10万人の命が奪われたとされる1945年の東京大空襲から、10日で70年を迎えた。猛火の中を生き延びた人々の高齢化が進む中で、惨禍をどう語り継いでいくのか。東京都内の各地では犠牲者を悼む法要や平和を祈る集いが開かれた。

> 墨田区の都慰霊堂で午前10時から、東京大空襲と関東大震災の犠牲者を追悼する「春季慰霊大法要」(都慰霊協会主催)が営まれ、遺族ら約600人が参列した。

> 法要には秋篠宮ご夫妻が参列され、安倍晋三首相も歴代首相で初めて出席した。都慰霊協会の檜垣正已会長が「今日、私たちが享受する平和と繁栄は多くの尊い犠牲とご遺族のご苦労の上にあることを忘れてはならない」と式辞。読経の後、安倍首相は「平和への誓いの下、過去に対して謙虚に向かい合い、悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻みながら、世界の恒久平和のために、あたう限り貢献してまいります」と追悼の辞を述べた。その後、遺族代表らが焼香し、犠牲者の冥福を祈った。

> 都によると、昨年1年間で新たに174人の犠牲者名が判明、慰霊堂隣の平和祈念碑に納められた犠牲者名簿の人数は計8万324人になった。【戸上文恵】


> ◇東京大空襲◇

> 第二次世界大戦末期の1945年3月10日未明、米軍の爆撃機B29約300機が東京・下町に約1700トンの焼夷(しょうい)弾を投下。隅田川両岸一帯が猛火に包まれ、現在の江東、墨田、台東区を中心に約26万戸の家屋が焼失した。死者は約10万人、負傷者約4万人と推定される。米軍は日本の戦意喪失に効果があるとみて同様の無差別攻撃を各地で行った。

<参考=「東京大空襲70年:惨禍、次世代に語り継ぐ…犠牲者悼む」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/04/10>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/10 (Tue) 20:37

副題=戦後70年:東京大空襲70年 戦争だけは嫌だ(毎日新聞)

 こんばんは。


 繰り返しますが、戦争は二度とやってはいけません。


> 一晩で約10万人の命が奪われたとされる1945年の東京大空襲から、10日で70年を迎えた。猛火の中を生き延びた人々の高齢化が進む中で、惨禍をどう語り継いでいくのか。東京都内の各地では犠牲者を悼む法要や平和を祈る集いが開かれた。(社会面に「思い語り継ぐ」)

> 墨田区の都慰霊堂では午前10時から、東京大空襲と関東大震災の犠牲者を追悼する「春季慰霊大法要」(都慰霊協会主催)が営まれ、遺族ら約600人が参列した。

> 法要には秋篠宮ご夫妻が参列され、安倍晋三首相も歴代首相で初めて出席した。都慰霊協会の檜垣正已会長が「今日、私たちが享受する平和と繁栄は多くの尊い犠牲とご遺族のご苦労の上にあることを忘れてはならない」と式辞。読経の後、安倍首相は「平和への誓いの下、過去に対して謙虚に向かい合い、悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻みながら、世界の恒久平和のために、あたう限り貢献してまいります」と追悼の辞を述べた。その後、遺族代表らが焼香し、犠牲者の冥福を祈った。

> 都によると、昨年1年間で新たに174人の犠牲者名が判明、慰霊堂隣の平和祈念碑に納められた犠牲者名簿の人数は計8万324人になった。【戸上文恵】

> ◇高齢化、惨禍どう伝える

> 「3年前に病気で亡くなった妻の分も慰霊したい」。東京都江戸川区の椎橋清さん(81)は、そう言って手を合わせた。空襲で妻の家族は全員犠牲になり、疎開していた妻だけが生き延びたという。「炎で真っ赤に染まった空の中で、低空飛行する爆撃機をはっきり覚えている。妻は両親や姉らを失い、苦労したと話していた。戦争だけは本当に嫌だ」

> 戦後50年を区切りに参列をやめていたという東京都国立市の女性(82)は、「一つの区切りとして」、20年ぶりに姿を見せた。義理の両親を空襲で失い、以前は毎年、夫と一緒にこの日に慰霊堂を訪れていたという。「夫も10年前に亡くなった。戦争の悲惨さを知る人が少なくなっているのが心配」と静かに語った。

> 江戸川区の木村暢生さん(81)は、東京大空襲で両親と兄弟3人を亡くした。木村さん自身は浜松市に疎開して無事だったが、本所区(現在の墨田区)にあった自宅は全焼していた。半年後、疎開先で葬式を出したが、遺骨が見つからなかったため、焼け跡から掘り出した茶わんを骨つぼに入れたという。「非戦闘員を狙った空襲は本当にひどい。70年は一つの区切りだが、今はただ、安らかに眠ってほしいという気持ちだけです」と話した。

> 歴代首相で初めて安倍首相が参列したことについて、西東京市の三ツ木康二さん(79)は「今さら来ても、という感じであまり興味はない」。国立市の女性は「平和というものに関心を持ってくれたら、それだけでうれしい」と話した。【大迫麻記子、川上晃弘】

> ==============

> ■ことば

> ◇東京大空襲

> 第二次世界大戦末期の1945年3月10日未明、米軍の爆撃機B29約300機が東京・下町に約1700トンの焼夷(しょうい)弾を投下。隅田川両岸一帯が猛火に包まれ、現在の江東、墨田、台東区を中心に約26万戸の家屋が焼失した。死者は約10万人、負傷者約4万人と推定される。米軍は日本の戦意喪失に効果があるとみて同様の無差別攻撃を各地で行った。

<参考=「戦後70年:東京大空襲70年 戦争だけは嫌だ」(毎日新聞)>
(全文閲覧には無料の会員登録が必要)
<消滅・16/03/23>


NO.1065 「記録を意識」 漫画「いちえふ」作者・竜田一人さんに再び聞く(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(15/03/10)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/10 (Tue) 21:56

 こんばんは。


 原発事故後を、分かり易く噛み砕いて、世間に広めようと、4年が経過した今もまだ、頑張っておられます。


> 東京電力福島第1原発(通称「1F」=いちえふ)で作業員として働きながら漫画を描き続ける竜田一人(たつた・かずと)さんの原発ルポ漫画「いちえふ 福島第一原子力発電所労働記」(講談社)の2巻が発売された。以前は「2巻くらいで終わりかな」と語っていた竜田さんだが、2014年も1Fで働き、「全然、(紙幅が)足りなくなってきた」と連載を続けている。竜田さんにとって、1Fの風景はどう変わったのか。描き続けることで心境の変化はあったのか。見えてきた「いちえふ」らしさとは。ロングインタビューでお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センター】

> ◇「私の目から見た『福島の現在』を伝えたい」

> −−「いちえふ」2巻では、竜田さんが漫画を描くことになる12年末までの1Fでの作業を軸にしながら、14年の福島の姿も描かれています。以前は「2巻くらいで終わりかな」と話されていましたが、まだまだ続きそうですね。

> 竜田さん そうですね。描いているうちに全然、足りなくなってきました。2巻あれば、12年までは終わると思っていました。漫画にも描きましたが、新しい現場に足を踏み入れることができたことが大きいです。14年7月から1カ月弱、さらに10〜12月にかけて1Fで働くことができたのです。そこで、またいろんな経験ができました。作業については現在進行形の話が多く、どう描くかはまだ決まっていません。でも、連載は続けていきますよ。

> 12年までの話は2巻までで、かなり描けたと思います。

> 開通したばかりの国道6号を縦断したり、ボランティアで行った仮設住宅やいわき市内のライブバーで歌を歌ったり、(この時、実際は愛知県産でしたが)いわき市の名物・メヒカリを食べたり−−。そんな私的なエピソードも描くことができました。連載中の感想でも「面白い」と言ってもらえたのがうれしかったです。震災や原発という人によっては重いテーマの話なのに、読んでもらえて、なおかつ福島に関心を持ってもらえる。これはありがたいことです。

> 担当編集者の講談社・篠原健一郎さん 少し、補足させていただくと、この巻では本当にありがたいことに「週刊モーニング」読者のアンケートでも人気があった話を盛り込むことができました。国道6号のエピソード(第14話「(Get Your Kicks On)Route6!」)や1Fの現場から離れる話(第15話「アイル・ビー・バック」)は特に人気がありました。原発問題に特別な関心がある読者だけでなく、そうではない普通の漫画好きからも評価されるようになったのが2巻の特徴かもしれません。

> 竜田さん 原発事故も発生から4年が過ぎ、原発関連のニュースや番組は追っている人はどこまでも追っているけど、もう関心がないよという人もいます。福島のイメージが震災後、固定されてしまったという人も少なくありません。そこまで「関心はないよ」という人たちにも、私の目から見た「福島の現在」を伝えることができればいいな、と思っています。

> ◇変わった3号機の姿

> −−14年の作業で1Fの変わったところ、印象に残った風景はありますか?

> 竜田さん 印象的なのは3号機の姿です。1巻の表紙と大きく変わっていました。12年も作業の進捗(しんちょく)が見えて面白いと思いましたが、14年は3号機の姿が大きく変わっていました。少しずつでも廃炉に向けた作業が進んでいるなと思えて、単純にうれしかったです。12年の作業中に「2年後には3号機内で作業ができる」と言われても、無理だと思ったでしょう。日々のニュースでは汚染水問題が中心に報じられることが多いのですが、現場の作業は(12年当時の)私が思っていた以上に、進展しています。

> 構内の風景も大きく変わっていました。まず緑が少なくなりました。中央分離帯にあった草木が切られていましたね。これはちょっと寂しいとおもいました。

> 作業員の環境も変わりました。12年に私が働いていたときはJヴィレッジでタイベック(防護服)に着替えて、1Fまで向かっていました。今は入退域管理棟というのが1F正門付近にできて、構内ぎりぎりのところまで普通の作業服で行けるようになりました。そこで、APD(警報付き個人線量計)の貸し出しや着替えをします。

> つまり、構内の放射線量や汚染もがれきの撤去や除染作業で2年前に比べて低くなったということです。1Fの中に入る時点で初めてタイベックを着ますし、1Fの中でも場所によっては防護服を着ないで、普通の作業服で移動できます。劇的な変化は無いですが、少しずつ状況は動いています。

> 14年の作業内容について今はあまり詳しくは言えないのですが……。いずれ、漫画で描くときのお楽しみということにしておいてください。

> −−2巻では家探しの苦労など1Fの現場以外でも苦労された様子が描かれています。今回の作業で、住環境は改善されたのでしょうか?

> 竜田さん これはどこの下請け会社で働くかによるので一概には言えませんが、私が働いた環境は良くなりました。

> 住居については、働いていた下請け会社を私が変わったことが本当に大きいですね。私も1Fの中で移籍交渉をして、下請け会社をうまく移ることができたのですが、実際に移れるかは運次第。良い環境を求めていろんな人に声をかけておきました。

> その結果、下請けを変えられたので漫画にあるように一軒家におっさん十数人が一緒に住むということはなく、1人で住める宿舎も確保することができたのです。おかげで1Fで働きながら連載原稿も仕上げることができました。2巻の中には1Fで働きながら描き上げた話もあるんですよ。現場までは相変わらず、相乗りで車を走らせました。移動についてはあまり環境は変わっていないですね。

> ◇「技術の伝承、実践的なノウハウは現場でないと身につかない」

> −−竜田さんが初めての高線量の現場での作業で無意識のうちに恐怖心を持っていたのではないか、という描写もありました。

> 竜田さん 多少、漫画的な表現をしていますが、自分では「放射線についての知識も勉強したし、この現場だったら大丈夫」だと思っていたのですが、恐怖感もあったのかもしれません。それでマスクを締めすぎて、頭が痛くなってしまったのかもしれないですね。それだけでなく、建屋内の作業は集団行動が原則です。自分が足を引っ張りたくないと、いつも以上に万全を期す、という意識もあったのかな。

> いずれにしても建屋内の作業でヒュヒューイとAPDの警報音が鳴り響くのはあまり気持ちがよいものではありません。「このくらいの被ばくなら影響はでない」と頭で分かっていても、やっぱり嫌な音ではあります。一方で、矛盾するようですが、これだけ鳴るような高線量の場所で働いているという自負も出てきました。

> 1巻では原発内の休憩所で働いていたのですが、そこではそんなに被ばく線量が高くなることはないのです。言ってみれば、後方支援的な作業ですよね。大事な仕事なのですが、建屋内から帰ってきた作業員を見ると「あの人たちは、高線量の現場に行って廃炉のために頑張っている。一方で、俺は……」と思うこともありました。やっぱり建屋内の作業ができた、というのは単純に達成感もありました。自分の手で直接的に作業に携われるよろこびですね。

> 現場に出て自分の手でネジ1本締めるだけでも、あそこに工事にかかわれたという気になります。実際に、長く働いている職人さんは手際も本当に良い。背中を見ながら、すごいなあと感じることがたくさんありました。漫画の中で現場の描写が「アーク溶接」だとか、「ビード」(溶接部分で波のような跡になっている部分)の出来がどうとか、細かい作業中心になっていますが、そこのすごさを自分が感じていたのでしょうね。元々、こうした作業は好きだからだと思いますが、この人はすごいなあと思う人にどうしても目がいってしまう。細かく観察してしまいました。


<参考=「キーパーソンインタビュー:「記録を意識」 漫画「いちえふ」作者・竜田一人さんに再び聞く」(毎日新聞)>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/12 (Thu) 21:52

 こんばんは。


 第二巻を、注文しました。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/14 (Sat) 01:11

 こんばんは。


 第二巻が届いてました。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/25 (Sat) 03:21

 こんばんは。


 この記事は「再び聞く」です。
 即ち、一回目が別にあるのです。

<参考=雑談NO.800 <東日本大震災>福島第1原発事故 震災扱う漫画、作者ら「自由な批判を」(毎日新聞)


 此の本に限りませんが、原発について意見を表明する場合、複数のソースからの情報を収集してからにするべきだと、私は考えます。


 写真は、単行本の第1巻と第2巻。


NO.1066 『この世界の片隅に』アニメ映画化予定<起稿 磯津千由紀>(15/03/12)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/12 (Thu) 23:53

 こんばんは。


 映画化のためにクラウドファンディングで費用を集めています。

<参考=「片渕須直監督による『この世界の片隅に』(原作:こうの史代)のアニメ映画化を応援」(Makuake)>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/14 (Sat) 01:17

 こんばんは。


> ■『この世界の片隅に』とは
> 『この世界の片隅に』の原作は、『夕凪の街 桜の国』『ぼおるぺん古事記』などで知られるマンガ家のこうの史代が自らの代表作と認める作品。第13回文化庁メディア芸術祭では優秀賞を受賞。これをアニメ映画化しようとする片渕須直も『マイマイ新子と千年の魔法』で第14回文化庁メディア芸術祭の優秀賞を受賞しています。マンガとアニメ、それぞれの最前線で注目されているふたりは2013年、NHK短編アニメ『花は咲く』でもコラボレーションしました。


> すずさんは戦時中の世界で、毎日の暮らしを営み続ける人です。
> 「戦時中の物語」「空襲の登場する映画」というと「小学校の頃、体育館で見せられた教育映画みたいなもの?」と誤解してしまう向きもあるようですが、そうではありません。原作『この世界の片隅に』は、さまざまに新しい漫画表現を凝らして活躍する、こうの史代さんが心血注いだ力作なのです。

> 愛すべきすずさんのいとおしさを、彼女がそこですごす「世界の片隅」のありさまを、そこに流れた大切な時間を、自分にできる限りの理解をした上で、映画の画面の上に描き出してみたい。そう思っています。


NO.1067 3月13日:バチカンからの枢機卿たちとオーケストラの、歓迎祭典<起稿 磯津千由紀>(15/03/14)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/14 (Sat) 03:06

 こんばんは。


 バチカンから、全国で行なわれている東日本大震災を追悼するテノール歌手榛葉昌寛君のレクイエムコンサートのため、枢機卿たちとオーケストラが日本を訪れており、榛葉昌寛君の出身地である我が地元(静岡県掛川市伊達方区)にて、昨日3月13日の1630より、歓迎祭典を開催しました。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/14 (Sat) 03:07

 右が榛葉昌寛君。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/14 (Sat) 03:08

 枢機卿たち。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/14 (Sat) 03:09

 尚、掛川でのコンサートは、今日3月14日です。


【シバケン】 2015/03/14 (Sat) 08:58

おはようございます。

イヤ、
榛葉昌寛<しんばまさひろ>氏とは、何者ぞ<?>と、検索、探索致しました、なら、です。

その世界<オペラ>では高名なるの方、なんですねえ。

<参考=「榛葉昌寛」(公式ウェブサイト)>
<消滅・22/01/19>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/03/15 (Sun) 00:25

 こんばんは。


 昨日の模擬祭典では、私は1803で退散しました(腰が限界に近かったため)が、Facebookに上がってる多数の動画からは、日がとっぷり暮れるまでやってたようです。
 で、今日のコンサート会場で聞いたところ、1845まで、やったそうです。
 歓迎する気持ちは分かりますが、歓迎される側からは、長すぎたのではないでしょうかね。

 写真は、ニコンD2Xsとシグマ18~250mmDC OSとニコンSB-700で、106コマを撮りました(ギリギリ1枚のCD-Rに入りきったので、今日、榛葉昌寛君の実家に3枚のCD-R(同じものを3枚)を届けました)が、参加人数が多すぎて、全員が入った写真を撮れませんでした。
 ニコンD80と超広角レンズのタムロン10~24mmDi2を持って行かなかったのは、失敗でした。
 尚、伊達方区長(榛葉昌寛君の伯父)からの依頼で、撮影しました。

 ところで、枢機卿や神父や管弦楽団の皆さんに、祭り用の半被のレプリカをプレゼントしました(多分、区長から)。今日のコンサートで、アンコールでは、管弦楽団の全員が半被に着替え、約7百人(掛川市生涯学習センターの大ホールが満席)の観客から歓声が上がりました。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/30 (Sat) 20:19

 こんばんは。


 同じ高校の卒業生として、榛葉昌寛君が毎日新聞に紹介されてました。

<参考=「ぐるっと東日本・母校をたずねる 静岡県立掛川西高/4 テノール歌手 榛葉昌寛さん /東京」(毎日新聞、10月27日)>