みんながパソコン大王
雑談<NO.63>

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表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.64
922 記者の仕事 無償の功名主義こそ 大久保真紀(朝日新聞) 磯津千由紀 14/09/22
921 スバル、成功の後に待つ「崖」(日本経済新聞) 磯津千由紀 14/09/22
920 台風16号が日本に接近するかも 磯津千由紀 14/09/20
919 歌手・俳優・演出家、美輪明宏:3 長崎原爆、夢でうなされた(朝日新聞) 磯津千由紀 14/09/20
918 川内原発事故対策 新幹線で住民避難検討へ(読売新聞西部本社) 磯津千由紀 14/09/19
917 <ためしてガッテン>速歩3分、ゆっくり歩き3分/足の筋力UP<!> シバケン 14/09/18
雑談NO.62

NO.917 <ためしてガッテン>速歩3分、ゆっくり歩き3分/足の筋力UP<!><起稿 シバケン>(14/09/18)


【シバケン】 2014/09/18 (Thu) 15:18

まずは、
9月17日、NHKの、「ためしてガッテン」<下記・参考>をば、偶々の見たです。
での、引用、後刻に致すです。

イヤ、
急がれるなら、URLクリック一発されれば、良い話<笑>

<参考=「肺炎糖尿病に勝つ! 筋トレで免疫力UP技」(ためしてガッテン・NHK)>
<消滅・22/12/25>


での、
我が表題と、NHKのお題目に、若干の差違あるですが<笑>
番組見ての、我が印象なるは、表題通りでして。

いやなあ、
諸般、必要にせまわれ、歩け、歩けの、足の体力向上のためと、日に、5千歩。
万歩には、半分なれどの、ここ最近、訓練、鍛錬してまして。

目的なるは、来るの、10月16日<木曜日>の、当地、大井神社の、「秋祭り」での、「神輿巡行」に、お供するが故でして。

コレ、
神社に関係するの、氏子町内会をば、神輿の供しての、法被着ての、地下足袋履いての、練り歩くですが。
この距離、概ね15キロから、17キロでして。

単に歩くのだけなら、どて事無いですが。
道中、走ったり致しまして。

オッとの、神輿巡行なるは、台車に乗せて、車輪付き故、縄で、引っ張るだけなれどです。
走るは、先導、消防分団の若手でして。我々、とてもやないの、付いてけませんですの。単なるの、賑わしの、その他大勢、数の内の1人でして。

そやからと、
走られて、ハイ、お先にどぞと。
とも、云うてられんの。或る程度は、くっついて、行きませんとねえ。

さもなくばの、ドンドン、離されての、接待所での、接待受けるも、休憩も、出来ませんでして。
我々、その他大勢も、必死に、喰いつき、小走りにての、走るですが。
正直、我輩も、歳でして。しんどいなあと。しんどいで済むなら宜しいですが。救護車に乗らんならんではなと。
恥でして<笑>

そんな事での、
少しでもの、脚力増強をばと、お供するの話、受諾以来の、日々、励んでるですが。
昨年の状況からは、相当に頑張らんと、落後、脱輪、ギブ・アップの可能性がと。

での、
日々、励むは結構の。歩いた後、アキレス腱の辺り、辛あてねえ。こってるよな感してねえ。
我が地域での、表現ならばの、身が入るの感覚での、大丈夫哉と。

考えの1つには、この域、耐えての、脱出したら、解消哉と。
モ1つには。下手な訓練、してるのではと。

そこに、当テレビ番組、偶々の、拝見致しまして。
ではの、確かめて見るかと、相成ったです。

での、
先刻、本日<9月18日>

諸般の用事も兼ねての、近在の、「Edion」「コーナン」えと。
この距離ならです。
片道、速歩3分、ゆっくり歩き、3分よりは、長いですが。速歩、ゆっくり、3分、3分をば、1回とするなら、1回の半<!>

往復にての、3回哉と<笑>


【シバケン】 2014/09/18 (Thu) 16:04

副題=速歩から、30分以内に牛乳<200ml>飲む

これではねえ。
往復で、3回分ではねえ。
日々、精進、精進の、5000歩の半分、2500歩でして。

ではあれどの、
当面、一週間は、継続しよかと。

での、
その初回、本日の状況なるはです。

オッとの、
味噌なるは、歩いた後、「速歩」から、なるべくの早くの、30分以内に、牛乳<200ml>飲むの事での。
当然の飲んだですが。


道中、店に立ち寄りの、ウロウロもしたですが。
<注=歩数からは除外>
直後には、アキレス腱の辺り、身がいっての感覚一緒なれどの。

現在唯今、実はの、概ね、歩きより、4時間程の、経過したですが。
正直、解消されてまして。
我れ乍らに、へえと<笑>

この、身のいった感覚なるは、日々の精進、精進以来、解消されるの事無くの、常時でしたですが。


【シバケン】 2014/09/18 (Thu) 16:52

要は、たったの1日の話なれどです。
アキレス腱の辺りの、こったよな感覚、解消してましての。足が軽く感じてるです。
後は、明日以降になるですが。


での、
「ためしてガッテン」の該当箇所、引用致すです。


>階段がしんどい、よく転ぶなど、年をとるにつれて気になる足腰の衰え。とはいっても、筋トレは辛くて飽きるし、筋肉の衰えは病気ではないから、それほど気にする必要はない…と思っていませんか。

>ところが! そんなのんきなことを言っていられない事実が判明しました!

>じつは、最新の研究によって、筋肉が多い人のほうが、少ない人よりも病気による死亡率(重症患者の場合)が半分になることが明らかになったんです。つまり、筋肉は、病気になったときに身を守ってくれるとても大切なものだったのです。

>さまざまな病気と大いに関係する筋肉のある成分の秘密や、どんな人でもラクに筋力がアップする秘策など、最新情報をお伝えします。


副題=筋トレをすると、肺炎や腎臓病に 負けない強い体になる!?

>3年前、肺炎にかかったAさんは、3週間意識のない状態が続いたものの、辛うじて一命を取り留めました。その後、なんと大好きなゴルフができるまで回復しました。

>慢性腎臓病のため、8年前から人工透析の治療を受けているBさんは、治療中に理学療法士の指導のもと筋トレを行っています。筋トレには、人工透析の効果アップ、動脈硬化予防、感染症予防など、さまざまな目的がありますが、Bさんは、2000m級の登山ができるほど元気になり、若い頃よりも息切れがしなくなったそうです。

>2人が元気な体になったのは、筋トレに免疫細胞のリンパ球を増やす働きがあったため。感染症などと戦う、強い体を取り戻したからだったのです。
ただし、リンパ球は筋力がアップしただけでは増えません。じつは、ピンチの状況になると増えるのです。
>一体どういうことでしょうか?


副題=体がピンチ! そのとき筋肉は自らを壊して命を支えている!

>私たちの体は、病気のようなピンチの状況になると、筋肉の中からグルタミンという物質が出てきます。グルタミンは、アミノ酸の一種で、リンパ球を増やす働きがあるのです。つまり、筋肉は自らを壊すことで病気と戦える体にしているのです。

>命に関わる筋肉量の低下は、「サルコペニア」と呼ばれていて、今、健康長寿を考える上で、大注目の症状です。自分が「サルコペニア」かどうかは、片足立ちで靴下がはけない、ビンのふたがあけにくい、横断歩道を渡り切る前に赤信号に変わってしまうなどで見分けることができます。
>ほかに、下の写真のように両手の親指と人差し指でふくらはぎの一番太い部分に輪っかを作ったとき、指が重なる場合もサルコペニアの疑いがあると考えられます。(65歳以上の場合)

>筋肉には、グルタミンの働きだけでなく、糖を吸収して血糖値の上昇を抑えたり、動脈硬化を防いだりするホルモンが出ていることも明らかになってきています。


副題=速歩後すぐに牛乳を飲むだけで高齢者もラクに筋力アップ!

>筋トレをしても効果がないから続かない…という高齢者は多いのではないでしょうか。じつは、これには理由がありました。
>筋肉は、年をとるにつれて筋肉細胞の働きが弱まり、萎縮します。すると、そこに脂肪が入り込んでしまいます。この脂肪は「異所性脂肪」といい、筋肉がいわば「霜降り肉」のような状態に。こうなると、筋トレをしても筋力が上がりにくいため、挫折しやすいのです。

>ところが、高齢者でも楽に筋力がアップするワザが見つかりました。
その方法は、「速歩をしたあと牛乳を飲む」というワザ。

>きつめの速歩を行うと、筋肉は失った栄養を取り戻すために、30分~1時間だけアミノ酸などを取り込む穴を開きます。この穴の開いた時間帯にアミノ酸を多く含む牛乳を飲めば、どんどん筋肉にアミノ酸が補充されるため、グルタミンもたくさん作られるのです。牛乳を飲んだ人は、飲まない人に比べて脚の脚力が2倍近く増えるという研究結果も出ています。

>ややきついと感じる速歩3分を行ったら、ゆっくり歩きます。これを1週間で速歩の時間が合計60分になるよう行います。そして、速歩後30分以内に牛乳200ml飲めばOK。時間がたつと筋肉への吸収が低下するので早めに飲むのがポイントです。

>※速歩を行う際は、転倒にご注意ください。また、体調がすぐれないときは行わないでください。

<参考=「肺炎糖尿病に勝つ! 筋トレで免疫力UP技」(ためしてガッテン・NHK)>
<消滅・22/12/25>


【シバケン】 2014/09/18 (Thu) 17:33

オッとの、
記事でなら、最後の方にです。

>ややきついと感じる速歩3分を行ったら、ゆっくり歩きます。これを1週間で速歩の時間が合計60分になるよう行います。そして、速歩後30分以内に牛乳200ml飲めばOK。時間がたつと筋肉への吸収が低下するので早めに飲むのがポイントです。

とされてるですが。
1週間で、速歩で、60分ともなればの、20回でして。

ここまで、厳密で無くて、結構ですと、テレビでは、云うてたです。
要は、速歩30分以内の牛乳200ml飲むがポイントでして。

又、速歩も、記事に記載の通りの、ご当人様が、速歩と思えば、速歩ですと。
回数にしても、1日や、2日空いても結構ですと。
兎に角、速歩の30分以内を目安に、牛乳<!>ですと。

これを、1箇月、続ければです。
登山でもを、しとなるですと<笑>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/18 (Thu) 18:42

 シバケン様、こんばんは。


 昨晩に該番組を見た母から「あなたも歩かなかったから悪いのだ」といわれました。
 その通り、間欠跛行の遠因は運動不足であることは承知してるです。
 もっと「意識して」歩いておけば、良かったです。(都会だと最寄駅までや地下鉄等の乗り換えで結構歩くですが、田舎は自家用車でドアツードアが多くて却って歩かないです)
 現在は「少ししか歩けない」ので実践は無理ですが、少しでも脚の筋肉の衰えを防ぐべく、風呂の中や、仰向け状態で、足を動かす訓練をしてるです。

 「歩いてから30分以内に牛乳」は、昨日、初めて聞きました。へ~!ですね。


【シバケン】 2014/09/18 (Thu) 20:45

イヤ、
磯津千由紀さん<!>

流石にです。
御母堂様、当テレビ番組見られたですか<笑>

テレビで見たの話を当方なりの解釈では、ですが。
とりあえずは、歩くに、減り張りを利かしましての。直後に牛乳一発<!>
良質の、筋肉増強倍増です。

コレ、
風呂の中であれ、仰向けであれ、足を動かし、疲労させてから、牛乳飲めばと。

又、
歩いてから、次ぎに歩くの間。
常識の範疇での、1週間も、2週間もの、間が空くは、意味無いですが。1日や、2日空いても結構ですと。
速歩も、個々人の感覚的でして。

そらねえ、
3分も、まさかの、タイマーにての、計ってませんでして。極めての適当、ええ加減でして<汗>

兎に角、先の通りの、足動かし、牛乳飲め<!>
です<笑>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/18 (Thu) 21:25

 シバケン様、こんばんは。


 仰せのとおりです。

 尚、私は牛乳を飲むとお腹が緩くなってしまうことが多々あるので、ヨーグルトでも良いですよね。


【シバケン】 2014/09/18 (Thu) 21:44

仰るの、ヨーグルト。

要は、筋肉に、アミノ酸の供給とされてまして。
牛乳と、ヨーグルトの、アミノ酸の比較では、3から、4倍とされてるですねえ。

ならば、
牛乳200mlは、ヨーグルト<3倍として>でなら、70mlですか<?>

オトトの、こっち、ヨーグルトの方が楽ですねえ。

イヤ、
喉の渇いても無いのに、牛乳200mlなるは、少々、辛かったです<笑>

ですが、
当方、ヨーグルトをば、飲み慣れてませんでして<汗>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/18 (Thu) 22:22

 シバケン様、こんばんは。


 牛乳よりもヨーグルトのほうが効果大ですか。

 当方、胃癌で胃を切り取ってから、便秘と軟便の両方に悩まされてまして、便秘期以外には牛乳はダメなんです。

 シバケン様はヨーグルト苦手とのことですが、所謂「飲むヨーグルト」は如何でしょうか。比較的、飲み易いと思いますが。
 尚、「飲むヨーグルト」を含めて、酸味の殆どないヨーグルトも数あるです。甘みを付けないと不味いものが殆どですけど。
 因みに、私は、糖尿病のため、最初から砂糖が入っている「飲むヨーグルト」は避け、甘みのないヨーグルトに人工甘味料を入れてるです。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/18 (Thu) 22:31

 追伸です。


 私はちょっと変わったヨーグルトを愛飲してるです。
 煮詰めた牛乳から作ったもので、実際にスプーンが立つほどに濃いです。
 一般市販はされておらず、一瓶600円で、お店の常連(と言うより知人か)にだけ頒布されてるものです。母と二人で一週間に一瓶。


【シバケン】 2014/09/19 (Fri) 01:03

ヨーグルトですか。
諸般、探索してみますですが。
合う、合わんもあるみたいです。

での、
一般的、ヨーグルトなるは、下痢し易いの傾向あると聞くですが。
磯津千由紀さんの場合、カラダに合致してると、云えるですねえ。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/19 (Fri) 08:19

 シバケン様、おはようございます。


> 一般的、ヨーグルトなるは、下痢し易いの傾向あると聞くですが。

 これは、私は聞いたことがないです。
 牛乳ではお腹が緩くなるけどヨーグルトなら大丈夫という、私と同じ人の話は、時々聞くですが。


【シバケン】 2014/09/19 (Fri) 12:26

磯津千由紀さん。

ヨーグルトの件、単なるの噂の範疇の事、でしたです。
申し訳ありませんです。



での、
先刻、2度目<?>、2日目の、歩きを実行したです。
アキレス腱、これは、左足でして。
実は、過年、20年の昔に骨折した方の足でして。
当時、足首固定されましての、動き鈍くなりの、重点的リハビリしてたですが。

数年にて、ハタと気が付けば、左右同等に曲がるよになってたですが。
矢張り、微妙に差があるです。

オッとの、そんな事で、2度目の歩きなれどです。
歩き初めに、少々の違和感、左足アキレス腱がですが。スグにも消えたです。

通例、ズと、こったよな、突っ張ったよな、感覚えてたですが。快調でして。

ででの、諸般、通例のコースにしてるの箇所、紹介でもと、ハタと、発案のです。
ケータイのですが。写真でも撮るかと。

アチラで、バシャリ、コチラで、バシャリの道中でして。
云うたら、速歩3分、ゆっくり歩き3分なんか、フっ飛びまして。
気が付けば、速歩に成ってたり。時間も適当に過ぎるの、時計持参を無視してまして。

結果、自宅に戻りの、写真見たなら、想定のが撮れてませんでねえ<汗>
無茶苦茶でねえ。
削除、削除の、削除しまくりの、全部、消したです。

何分の、写真撮影、慣れてませんでして。
被写体が遠いもあるですが。モニターで、見てても、周囲明る過ぎての、見難うて。
適当に、バシャリが、アカンかったんやなと。

次回、明日には、デジカメでもを持参するかと。
出しな、覚えてたらなと。写真撮るをです。


ででのです。
約5000歩の行程と、思てたですが。
諸般、写真撮影がための、ウロウロしての、4500歩でしたです。


【雪だるま】 2014/09/20 (Sat) 15:09

お久しぶりです シバケン様
諸事情が有りついつい投稿から離れてしまいました。

子供時代から運動と言う物に縁がなかったのですが
娘にラクラクフォンを持たされて初めて一日の歩数が2000歩あまりなのにびっくりしました。
最初は往復20分余りから始め今では最大1時間強12,000歩ぐらいまで歩けるようになりました。
持久力も出て疲れなくなりました。焦らづ少しづつ距離を延ばすのが良いかと思います。

仕事の都合とはいえ何しろ60過ぎの爺さんが夜歩き回るので痴漢や変態に間違われないようにするのも大事かと思います。


【シバケン】 2014/09/20 (Sat) 16:00

オッとの、雪だるまさん<!>
お久しぶりです。

イヤ、
貴ブログ、拝読拝見してるです<笑>

イヤイヤ、
度々の、歩数計<万歩計>がアップ・ロードされてまして。
結構、ええ数字の、万歩に到達されてましての、凄いなと。

アレ、夜の歩行でしたですか<!>

夜に、「雪だるま」が町中<まちなか>歩行してたでは、さながらの、百鬼夜行、妖怪哉と<笑>

オッとの、
当世なら、愛嬌たっぷり、ご当地ユルキャラですか<?>

での、
当方も、「らくらくフォン」での、万歩には、程遠くの、記載の通りの、いつものコースで、5000歩未満です<汗>


にしても、
当世、確かに、気を使うですねえ。
仰る通りの、昼間でも、痴漢、変態に間違われそでして<笑>


【雪だるま】 2014/09/20 (Sat) 21:12

シバケンさま
ウォーキングをすると体温が上がるためか体力が上がったせいか風邪を引くことが少なくなります。
共に親を抱えているのでそのためにも元気でいないといけませんね。

夜のウォーキングは危険もありますので街灯があるところで歩道のあるところをよって歩いています。


【シバケン】 2014/09/20 (Sat) 22:33

雪だるまさん、こんばんわ。

仰るの通りです。

諸般、親を抱<だ>き抱<かか>えるの場面もありますので、体力が無くなりますと、大変ですねえ。

での、
風邪引き対策にもなるですか<!>
頑張らねばです<笑>

成る程の、
夜は、歩くの側も、用心、用心、不審者に、ご用心ですねえ。


【雪だるま】 2014/09/22 (Mon) 13:14

シバケン様
どうしても介護のことが視野に入ってきます。私も父親の介護を短期間しましたが何しろ重す、悪い姿勢で力まかせに持ち上げたりすると腰を痛めたり相手が逃げたりで大事になります。TVの番組やyoutubeで勉強するとかなり楽になります。

<参考=「移乗介助(ベッド→車イス)プロに学ぶ安全・快適な介護術」(YouTube)>

こちらが先につぶれてはどうにもなりません。


【シバケン】 2014/09/22 (Mon) 14:58

雪だるまさん

良い情報、有り難う御座います。

イヤ、従前、この手の介護法、全くの知りませんでしたです。
ベッドから、車椅子に移動させるだけに、一苦労でして<笑>
動画見て、成る程なあと。

とりあえず、
現在唯今、リハビリ・センターですので、私共、楽してるですが。
10月中旬、戻りますのでねえ。

気候の良い時期、我が家。
又、寒い時期、リハビリ・センターの予定です。
云うたら、暑い時期、リハビリ・センター入所してたですが。

この繰り返しで、凌ぐの積もりしてまして。
当人の希望でもありまして。


【雪だるま】 2014/09/22 (Mon) 21:11

今晩は シバケン さま
お役に立てば幸いです。

3年前亡くなった親父は91才でしたがかなり重く
手では持ち上げられづ脇の下に首を入れて背筋で持ち上げました。
母親は軽いのですが骨粗しょう症なので気軽に持ち上げると骨折してしまいますのでよく考えてから行動しないと危ないですね。
訪問介護の人と話し合い、
介護保険で使えるレンタル機器を上手に使う事が大事ですね。
家で最後まで見れることは幸せだと思います。


【シバケン】 2014/09/22 (Mon) 23:30

雪だるまさん、こんばんわ。

>3年前亡くなった親父は91才でしたがかなり重く

仰る事、重々、分かるです。
母も、現在91歳ですが、女ですので、軽いです。
抱えてでも、玄関先に座らせるが出来るですが。男は、重たくて、抱えるは、大変と、推察するです。

反面、母、骨粗鬆症で、何度も骨折してまして。扱い<?>には、相応に要注意。
ベッドから、車椅子。車椅子から、玄関先に座らせる。その反対の動作等々、従前には、何ともありませんでしたですが。
当方自身の加齢と共に、下手して、落としでもしたら、殺人行為になるゾと。
イヤ、自信が無くなって、来てまして<汗>

よって、ケア・マネージャーの助言をも踏まえ、介護保険、フル出動です<笑>

ここだけの話。
でも無いですが<笑>
ケア・マネージャーは、特別養護老人ホームも、視野にと、仰って戴いてるですが。
基本、在宅介護をと。
当方よりも、家内が大変ですが<汗>
<注=要介護4です>


【雪だるま】 2014/09/23 (Tue) 13:57

シバケン様
要介護4は大変ですね、ご苦労よくわかります。
うちの母親は要支援1、家の中なら杖もつかず歩き回っています。
ひとたび転ぶとえらいことになるので目離しなりません。
いづれにしても介護する方が先に倒れては如何しようもありません。せいぜい頑張って体を鍛えましょう。


【シバケン】 2014/09/23 (Tue) 15:50

雪だるまさん

>ひとたび転ぶとえらいことになるので目離しなりません。

全くの、その通りです。
かと申しまして、四六時中、24時間体制で、注視出来ませんのでねえ<笑>
結果、転けては、骨折して。その都度、介護度、上がって、現在に至るの、「4」です。
「4」では、自力では、何も出来ませんでして。
まあねえ、食事そのものは、自分で、出来るですが。移動は、車椅子でして。トイレにもでして。
このトイレとするのか、オシッコ番、24時間体制<笑>がため、自宅では、2日、3日で、こっちが、バテるです<笑>


>いづれにしても介護する方が先に倒れては如何しようもありません。せいぜい頑張って体を鍛えましょう。

ハイ、
同感です。頑張りましょう<!>


【シバケン】 2014/09/25 (Thu) 15:04

実践するに、記事に記載の通りには、難しく<汗>
別途の板に実践編として、投稿致すです。

<参考=NO.924 <実践><ためしてガッテン>速歩3分、ゆっくり歩き3分/足の筋力UP<!>>に続く。


NO.918 川内原発事故対策 新幹線で住民避難検討へ(読売新聞西部本社)<起稿 磯津千由紀>(14/09/19)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/19 (Fri) 08:34

 おはようございます。


 原発事故があったら新幹線で避難すればよいそうです。
 空いた口がふさがりません。

> 再稼働に向けた手続きが進む九州電力川内原子力発電所(鹿児島県薩摩川内市)を巡り、内閣府は原発事故対策として、住民避難に九州新幹線を含む鉄道の活用を検討する方針を固めた。これまで避難手段は自家用車やバスなどを中心に考えられてきたが、渋滞解消や迅速な避難の実現に向け、鉄道を避難計画に組み入れることが可能かどうか、本格的に検討する。

> 内閣府によると、国土交通省などと連携し、各鉄道車両の放射線遮蔽率や、車両が放射能で汚染された場合の補償金支払いが可能かなどを検証する。国は川内原発を巡る避難計画の充実に積極的に取り組む姿勢を示しており、鹿児島県に派遣中の国の職員が、JRと自治体の協議で調整を行うことも視野に入れている。

> 現在の原子力災害時の避難計画では、自家用車やバスを使うケースが中心だが、避難者が殺到して起きる渋滞などが課題だ。鉄道は▽渋滞と関係なく避難者を大量に運ぶことができる▽トンネルが多く、避難時の被曝を抑える可能性がある――などの利点が考えられる。

<参考=「川内原発事故対策 新幹線で住民避難検討へ」(読売新聞西部本社)>
(これは抄録です。全文閲覧には会員登録が必要ですが、有料か無料かは未確認です)
<消滅・削除・14/10/19>


NO.919 歌手・俳優・演出家、美輪明宏:3 長崎原爆、夢でうなされた(朝日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/09/20)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/20 (Sat) 00:37

 こんばんは。


 最近は反戦歌をあまり歌わなくなりましたね。

> (79歳)

> ――1945年8月9日、長崎は青空だったんですね

> こんないい天気なのに雷?

> 原爆でした。

> 私は繁華街の父方の家の2階で宿題の絵を描いていました。絵のできあがりを見ようと立ち上がって、さがったところでピカッときました。マグネシウムを100万個もたいたような光。

> 世界中の音が止まったようにシーンとして。

> 次の瞬間、世界中の音を集めたようなとどろき。

> ものすごい爆風でガラスがいっせいに割れました。私はガラス戸から離れていたので、突き刺さらずにすみました。となりの映画館は天井が落ちてすっぽんぽんになりました。

> ――外へ逃げられた

> 馬車の馬が倒れて、やけただれた馬車ひきのおじさんがピンピン跳びはねていました。道端の人の皮膚はズルズル、目は飛び出して。ぼろぼろの服をひきずって、何かわめきながら歩いていく。この世のものとは思えない光景が続いて、その後何年も夢にみてうなされました。

> ――ご家族はご無事でしたか

> 爆心地に近い母方の家にいた叔母や叔父は亡くなりました。父はその方面に集金にいくはずでしたが、さぼって釣りにいっていて助かって。1週間後に終戦になって、母方の家をみにいったんです。そのあたりは焼け野原で、遺体を掘り出している人がいました。泣き泣き帰りました。

> ずいぶんたって、東京へ出てからも悪性貧血を何度も起こして倒れました。あのとき放射能で汚染されていたのに、当時は放射能という言葉さえだれも知らなかったんです。

> ――「ふるさとの空の下に」といった反戦歌をコンサートで歌われます。すごみがあります

> 体験がありますからね。安倍首相も内閣の人たちも戦争体験のない人ばかり。戦争を簡単に考えていませんか。そんな簡単なもんじゃありませんよ。

> ――終戦後も絵に夢中でした

> 絵の材料を闇市でさがしていたんです。そしたら大人が子どもを殴っていた。「どげんしたとですか」と尋ねたら、餅を盗んだって。かわいそうなんで代金を払ってあげました。物陰に隠れていたお母さんが泣きながら出てきて、私を拝んでお礼いうんですよ。その顔はケロイドで。

> きまりがわるいんで、ふっと映画館に入った。神様のご褒美ですよね。「僕の父さん」ていう東宝映画でした。加賀美一郎という人のボーイソプラノをきかせる映画。何度も見にいって歌を覚えちゃって。

> 休み時間に歌っていたら、担任の先生が「映画にいったでしょ」。その先生がうちにきてくださった。「お子さんは絵の才能もあるけれど、歌の才能があると思う」って。

> ――それで歌の道へ

> うちは放任主義でしたから、どうぞどうぞってピアノと声楽の基本をたたきこまれて。東京にきて国立(くにたち)音大付属高校に入りました。(聞き手・河合真美江)

<参考=「(人生の贈りもの)歌手・俳優・演出家、美輪明宏:3 長崎原爆、夢でうなされた」(朝日新聞)>
<消滅・削除・15/10/11>


NO.920 台風16号が日本に接近するかも<起稿 磯津千由紀>(14/09/20)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/20 (Sat) 01:12

 こんばんは。


 例によって気象庁のサイトより。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/20 (Sat) 23:35

 こんばんは。


 西に逸れる可能性が大きくなってきました。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/23 (Tue) 00:45

 こんばんは。


 矢張り日本に来るようです。最接近は24~25日の見込み。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/24 (Wed) 12:29

 こんにちは。


 温帯低気圧に変わりました。


NO.921 スバル、成功の後に待つ「崖」(日本経済新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/09/22)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/22 (Mon) 22:30

 こんばんは。


 落ち目だった富士重工がトヨタ傘下になってここまで快進撃を続けるとは予想外でした。
 しかし、アルシオーネSVXのようなスペシャリティーカーは、もう作られることはないでしょう。

> 「スバル」ブランドを展開する富士重工業(以下、スバル)の業績が絶好調です。売上高営業利益率は13.5%(2014年3月期)と世界の自動車メーカーを見渡してもトップ水準。主戦場の米国では主力車「レガシィ/アウトバック」などが好調なうえ、激戦の日本でも衝突安全技術で先行し、ブランド価値を高めることに成功しました。打つ手がことごとく当たっているといっても過言ではありませんが、成功しすぎた後には多くの難題が待ち受けています。

> ■トヨタ提携で大きな成果

> 現在の絶好調の起点をたどると、2005年のトヨタ自動車との資本・業務提携に行き着きます。提携効果は大きく2つありました。ひとつはスバルの米国工場(SIA)がトヨタの旗艦車種であるセダン「カムリ」の生産を受託したこと。もうひとつは国内における軽自動車生産からの撤退を可能としたことです。

> SIAはいすゞ自動車との共同運営だったのですが、いすゞが米国生産から撤退するのを機にスバルがわずか1ドルでいすゞの保有する株式を手に入れ、完全子会社とした経緯があります。生産能力も10万台から17万台に引き上げました。しかし、満を持して投入した米国専用SUV(多目的スポーツ車)「トライベッカ」は成果を生みだせず、工場は稼働率低下に悩んでいました。カムリ受託生産はこの問題を一気に解消、同工場の採算性は劇的に好転しドル箱へと転換します。

> さらにカムリ受託生産によりトヨタ生産方式(TPS)を学習し、生産効率向上につなげる好機となったのです。飛行機製造を前身とするスバルはライン上でじっくりと作り込むメーカーでしたが、TPSは「モノを流してつくる」という発想です。スバルの工場は見違えるような改善をもたらし、高効率な生産体質へ大きく寄与したと考えられます。トヨタとの提携が収益性だけにとどまらず、深層にある企業としての競争力の引き上げにもつながったわけです。

> トヨタグループであるダイハツ工業から軽自動車のOEM(相手先ブランドによる生産)供給を受ける決断をし、開発・生産リソーシスを登録車に集中させることが可能となりました。軽自動車は規模が競争力そのもので、軽4位のスバルの軽事業は採算ラインには程遠かったはずです。

> トヨタとの業務提携の柱の一つが、スポーツ車「BRZ/86」の共同開発であり、当初は新工場を建設する計画でした。しかし、金融危機で新工場建設を中止し、軽自動車をダイハツからOEM調達することで、軽自動車の工場を登録車生産に転用しました。赤字体質の軽生産からの撤退、より利幅の大きい登録車生産の拡大、さらに経営資源を集中した製品開発がブランドバリューを高めるという、二重三重のメリットをもたらし、国内の収益体質は劇的に改善しました。

> ■プレミアム戦略の失敗

> もっとも提携による「棚ぼた」だけでスバルが復活したわけではありません。「どん底」から生き残りをかけ、取り組んだ経営改革との相乗効果が見逃せません。世界ナンバーワンに向けた拡大主義に陥っていたトヨタがスバルに目を付けた05年当時、スバルはどん底の状態にあり、人員削減も含めた構造改革の真っただ中でした。原因は00年代に進めたプレミアム戦略の失敗です。

> 「4社を除いて、全ての保有株式を売却する」――。カルロス・ゴーン氏の主導で経営再建に乗り出した日産自動車は、保有するスバル株の売却を決断。スバルは日産グループを離脱し、00年に米ゼネラル・モーターズ(GM)の出資を受け入れます。日本興業銀行(当時)と日産という有力株主と出身経営者の影響を強く受けた経営スタイルから脱却し、「ブランドを重視したグローバルプレーヤーへの進化を目指す」という一回り大きな経営へ舵をきったのです。

> 日産という(当時は)さえないグループを抜け出し、自由なクルマづくりができて、しかもGMを通じて世界に打って出られる――。当時のスバルは一種のユーフォリア(陶酔感)に包まれていました。生え抜きの竹中恭二社長のもとに「国内派」と呼ばれる勢力が結集し、理想のクルマづくりに向けて1200億円を、エンジンをはじめとするパワートレーン開発に注ぎ込みました。プレミアムなブランドを生みだすため、プラットフォームやパワートレーンを加速度的に開発し、商品ポートフォリオを入れ替えていきます。

> ■バリュー重視の商品開発へ転換

> しかし、コスト増の一方で思うような台数成長には結びつかず、むしろ売価下落にあえぎます。戦略的商品の中核に位置づけた新型SUV「トライベッカ」が不振を極めたことで、戦略の失敗は明白となっていきます。主流の「国内派」に代わって「国際派」が経営の実権を握り、後任の森郁夫社長が大きく舵を切り直し、バリューと米国市場重視の商品開発に転換するのです。

> 森社長は収益源の米国市場を立て直すことを優先し、「レガシィ」など主力車種を米国市場に求められるサイズや味付けにあわせた設計に変更しました。もともと、全輪駆動のスバル車は「スノーベルト」と称される雪の多い北東部、北西部では強い存在感があります。商品のバランスを立て直すことで、いち早く回復への道筋を示します。また、吉永泰之・現社長が国内営業本部長時代、国内ディーラー改革を断行しつつ、独自の技術で先進的なアイサイトを大手に先行して導入を進め差別化を試みるのです。

> アイサイトの成功は、サムスン電子が日本の電機メーカーをしのぐ原動力のひとつとなった「リバースエンジニアリング」に通ずるものがあります。衝突回避を実現する技術としてはカメラ、センサー、レーザー、画像認識、ミリ波レーダーなど様々な要素がありますが、00年代初頭はトヨタもホンダもスバル以上の技術を持っていたと考えられます。なぜ資金力に劣るスバルが真っ先に成功を収めることができたのでしょうか。

> ミリ波レーダー装備のシステムは、精度も高く高性能を発揮しやすいのですが、ハードウエアが複雑な構造で、かつてはオプションで数十万円を追加で払う必要がありました。ところがアイサイトは高価なレーダーを使わず、2つのカメラを組み合わせ、画像解析のソフト力を基にわずかに10万円程度で高度なシステムを実現したのです。もちろん画像解析技術の高さに裏付けられた独自の革新性があっての技術ですが、価格から逆算してカメラのみでシステムを作り上げたのは、まさに機能を選択し消費者に響く価格を実現する「リバースエンジニアリング」のお手本といえます。

> ■国内事業の収益性はダントツに

> 当初はアイサイトの供給能力に制約があったため、比較的高位グレードへの装備を優先せざるを得なかったのですが、高位グレードからバンバン売れる結果となり、国内収益改善に大いに貢献しました。商品開発の軸を米国市場に移す代わりに、国内にはオンリーワンな技術革新を導入し、販売体制の再構築を先行して進めたことで、スバルのブランド価値は高まり、国内事業の収益性はトヨタも含めたライバルメーカーを圧倒することになるのです。

> 00年代初頭にプレミアムブランドを目指し際どい挫折を経験するのですが、失意の中から身の丈にあったブランドバリューを再定義し、選択と集中を徹底した成果、現在のスバルはBMWと拮抗する収益性をたたき出すところにまで来ています。プレミアム路線から決別することで、コストをきっちりと管理し、結果としてプレミアムメーカー並みの利益率を実現するという逆説を演じたわけです。

> ■スバルとマツダの相似性

> 話が少しそれますが、プレミアム路線と言えばスバルと同程度の売り上げ規模であるマツダの近年のクルマづくりが、大衆車市場から距離を取ったプレミアムに近いセグメントに接近し始めているのは興味深い動きです。走りとデザインを極め、製品競争力を高め、正価販売を促進し、ブランド価値と収益性向上を目指すとしています。この戦略はスバルと相似するのですが、マツダの場合、販売価格が目標化してきていることにリスクを感じます。価格は市場が決めるもの。メーカーが望むことは容易ではありません。ブランド価値を高める製品力は必要ですが、大衆ブランドである限り、コスト管理は必須です。「価格-利益=コスト」の等式は自動車メーカーが忘れてはならないものです。「コスト+利益=価格」に向かうことは危険ではないでしょうか。

> スバルもここから先は楽観できる状況ではないでしょう。企業経営では大きな成功を収めた後は難しいもので、スバルは成功の頂があまりに高いため、なおさらです。今後のスバルの経営は成功の延長に成長と持続性を如何にバランスさせていくかという難しいかじ取りが求められます。実は、どの市場でも必ずしも楽観できる情勢にはありません。

> ■日・米・中それぞれの課題

> まず日本市場。車両開発の軸を米国に置いているということは、日本固有の商品開発を両立させることが難しくなります。軽自動車はダイハツからのOEMに切り替わり、スバルの個性は薄くなります。主力レガシィは大型化が続くだけでなく、ワゴンがラインアップから外されました。このセグメントを埋め合わせるため、6月にステーションワゴン「レヴォーグ」が投入され大変な人気です。しかし、同車は日本市場を見据えたクルマ開発としては最後の砦(とりで)のような存在です。長期的に国内販売での存在感を保つことは容易では無いでしょう。

> 先行するアイサイトは性能をさらに引き上げ優位性の確立を急ぎますが、15年頃にはトヨタやホンダも安全オプション装備価格を引き下げ、標準装備を進める公算が大きいことから、安全装置自体のコモディティ化が進むと予想されます。アイサイトによるアドバンテージも薄れていくでしょう。国内販売体制と収益性を上手にソフトランディングさせる経営力が問われています。

> 米国事業は、強固なブランド力とユーザーのロイヤルティーの高さがあるため、最も安定的に成長が望めるはずですが、2016年末に予定されるSIAの大幅な生産能力増強は多大な事業リスクをはらんでいます。トヨタがカムリの生産をSIAから自社工場に移すのと、スバル独自の能力増強が加わり、生産能力は実質40万台へ倍増となります。生産するのは16年末投入予定の「インプレッサ」とみられます。ここで飛躍すれば黄金期の延長戦に入れるのですが、つまずくと重い投資負担と合わせて潮目の変化を迎えかねません。

> 中国事業は微妙なバランスの上に成り立っています。森前社長がすすめた中期経営計画で唯一思い通りに進まなかったのが中国。奇瑞汽車との合弁生産計画は中国当局から認可を得られていません。1メーカーグループにつき合弁パートーナーは2社までという基本方針に抵触するというのが理由です。中国現地生産は同計画の成長の要であっただけにスバルは忸怩(じくじ)たる思いを強いられます。

> ところが、これが結果オーライとなっていくのです。現地生産に移行するはずであったのが、日本から輸入して販売する輸入車事業が延長されることになります。中国は完成車に25%の輸入関税をかけていますので、スバル車はあたかもプレミアムブランドに近い価格帯で好調に販売が拡大し、大衆車ながらプレミアムブランド的な存在感を作りあげていきます。一時は、レクサスと販売台数を張り合う局面もありました。さらに、円安に転じたため、中国向け輸出車採算はドル箱化します。このあたり、スバルはことごとくツキがあります。

> 合弁認可が遅れたことで、スバルは中国新工場を一時的に棚上げし、米国生産能力増強を優先させるという戦略シフトが可能となりました。米国への生産移管に伴う国内空洞化のリスクは、中国向け輸出増大で吸収が可能となります。

> ■本社移転すると低迷のジンクス

> しかし、長期的なリスクを認識しなければなりません。大衆ブランドのスバルが未来永劫にわたり、輸入車として高価格で成長を持続できないことは自明です。このようなビジネスモデルでは10万台が一つの節目と考えられ、そう遠くない時期に訪れます。さらに、合弁承認の凍結状態が解除されれば、現地生産移管を決断する日が訪れるでしょう。中国での現地生産に移行するなら、国内工場の生産のあり方を考え直さねばなりません。

> 国内販売の減衰、アイサイトの陳腐化、米国でのつまずき、中国輸入車販売モデルのピークアウト、中国現地生産移管など、様々なリスクが16年~18年に重なるともなれば、もはや「崖」にも映る怖さではないでしょうか。

> もっともスバルはこれまでも激しい山と谷を繰り返してきた自動車メーカーです。05年の谷はすでに説明しましたが、円高の90年代にも大きな谷がありました。当時のスバルは作れば作るほど赤字といった状態で、自動車事業の継続性にすら疑問符が投げかけられていたものです。苦境を救ったのはクロスオーバーの「アウトバック」。わずか90億円程度の追加投資でレガシィの車高を高くするなどの仕様変更施し、米国市場に投入したところこれが大ヒットし、90年代後半は一転、快進撃を遂げます。

> ところが、「スバルはさほど慢心していないな」と感じさせるのが今年発表した20年への中期経営ビジョンです。確かに、米国工場拡張にはリスクはありますが、今のスバルの実力をすれば妥当なレベルです。これだけ成功を収めても、身の丈を超えさらに著しい飛躍を目指す野望をぎらつかせていないのです。プラットフォーム効率の改善を粛々と進め、コストを作りこみ、スバルらしい走りを具現化できる次世代ハイブリッドエンジンの開発など、地に足がついた計画が並んでいます。大きくはないが強い特徴を持ち質の高い企業を目指すというビジョンには、浮かれた姿勢が全く見られません。

> 48年間本社を置いた新宿スバルビルを離れ、今年8月に耐震性能に優れた恵比寿のピカピカな新社屋へ引っ越しました。09年のトヨタがそうであったように、新本社ビルや新工場を建てると業績が傾くというジンクスが自動車業界に限らずよく聞かれます。スバルが得意とする四輪駆動車は、上りはめっぽう強いが、車両が重いため一般的に下りは不得意といわれます。ジンクスを覆し、「不得意な下り」にどう対応するか、注目です。

<参考=「スバル、成功の後に待つ「崖」 ナカニシ自動車産業リサーチ代表 中西孝樹」(日本経済新聞)>
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NO.922 記者の仕事 無償の功名主義こそ 大久保真紀(朝日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/09/22)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/22 (Mon) 23:26

 こんばんは。


 バッシングが続く朝日新聞ですが、こんなコラムもありました。

> 突然ですが、この欄の私の担当は今回が最後となりました。せっかくなので、来月の新聞週間のときに書こうと思っていた内容を、書いておきたいと思います。新聞記者という仕事についてです。

> 作家の司馬遼太郎さんは若いころ、産経新聞の記者でした。「生まれ変わっても記者になりたい」と語ったほど、この仕事を愛していたそうです。

> 「新聞記者 司馬遼太郎」(文春文庫)に、司馬さんのこんな言葉が紹介されています。「私のなかにある新聞記者としての理想像はむかしの記者の多くがそうであったように、職業的な出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は決してむくいられる所はない。紙面に出たばあいはすべて無名であり、特ダネをとったところで、物質的にはなんのむくいもない。無償の功名主義こそ新聞記者という職業人の理想だし同時に現実でもある……」。最近は記者の署名を原則とする新聞が増えましたが、司馬さんの言葉にうなずかずにはいられません。

> 思い出す人がいます。私が1987年に朝日新聞に入社して最初に赴任した盛岡支局(現在は総局)の支局長です。

>     *

> 女性記者が珍しい時代でした。担当する警察のトップから支局の私に「飲んでるから来ないか」と電話が入りました。「エライさんに呼ばれたので」といそいそ出かけようとすると、支局長は「お前の仕事は酌じゃないからな」と声をかけ、高くなりかけた私の鼻をポキッと折るのです。

> ある事件で特ダネを書いたことがあります。朝、警察の担当課に顔を出すと、課長は情報が漏れたことがよほど気に入らなかったのでしょう。「どうせお前は股の間に手をはべらせて取材しているんだろう」と大声で言ったのです。「セクハラ」という言葉はまだありませんでした。非常に不快でしたが、黙って我慢しました。支局に戻って愚痴をこぼすと、支局長に言われました。「腹が立つならちゃんと抗議しろ」。今後の取材を考えると相手のご機嫌を損ねない方がいい、と思い込んでいた私には衝撃でした。おもねるだけが取材ではない、と教わりました。

> その足で課長のところに行き、「先ほどの発言は侮辱だ」と抗議しました。今なら言われた場でやんわり言い返しているかもしれません。当時はそれができず、恥ずかしながら涙声の抗議になっていました。

> あるとき、支局のソファで新聞を読んでいた支局長に呼ばれました。「これ、順番が違うんじゃないか」。私が書いた記事で、書く順番が違うという指摘です。実際はデスクが入れ替えたものだったので、「デスクが直して……」と口にしました。そのとたん、支局長は激しく叱責(しっせき)しました。「これは君の記事。『て、に、を、は』でも違うと思えばデスクに言うべきだ。それをしていないなら君が悪い。言い訳するな。出たものがすべて。読者にとっては1年生もベテランも関係ない!」

> 怒られてばかりでしたが、支局長がいなければ、記者としての私はいません。

> 彼の名は中川肇さん。11年前、脳出血でこの世を去りました。64歳でした。前橋、水戸の支局長も務めました。本社の出世コースには無関心の人でした。今月、横浜市内の自宅を訪ねると、妻の京子さん(73)が「記者であることを貫いた、本当に新聞が好きな人だった」と語りました。中川さんのように記者の仕事を愛し、厳しくも愛情をもって後輩を育ててくれた先輩がたくさんいました。記者を育てる。この姿勢こそが、司馬さんの言う「無償の功名主義」の根底を支えていたと思えてなりません。

>     *

> 最近、気になる人がいます。堀川惠子さん(44)。新進気鋭のフリーのジャーナリストです。19歳で連続射殺事件を起こして、後に死刑となった永山則夫の封印されていた鑑定記録を明らかにした「永山則夫」(岩波書店)など、問題作を世に問うています。彼女の作品を読むと、粘り強い取材で得られた深い内容と冷徹とも言えるほどの冷静な筆致に、いつも圧倒されます。一度会ってみたいと思っていました。

> 待ち合わせ場所に現れた堀川さんは、作品の重厚さとは正反対の、快活な方でした。出身地・広島のテレビ局で12年、記者をした後にフリーになったそうです。やりがいを尋ねると、「自分がいなければ表に出ることのないことを掘る。隠されている、あるいはだれも引き出す人がいないことを表に出すこと」と返ってきました。

> 「とにかく自分が知りたいというのが最優先。つくづく私は記者なんだと思う」と繰り返す堀川さんに、司馬さんが理想とした「無償の功名主義」に通底するものを感じました。功名心が先にあるのではなく、この仕事が好きで好きでたまらない。理屈ではない、体の奥からわき出る衝動はだれにも止められない。それが、記者という仕事の原動力なのだと再認識した次第です。

> 昨年4月にこの欄を担当して以来、皆さんから400近い手紙やメール、電話をいただきました。ありがとうございました。

<参考=「(ザ・コラム)記者の仕事 無償の功名主義こそ 大久保真紀」(朝日新聞)>
<消滅・削除・15/10/11>