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雑談<NO.327>

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雑談NO.328
2953 「広島と長崎から教訓学べ」 米中には対話訴え―国連総長 磯津千由紀 22/08/05
2952 得意なのは軍事パレードだけ…「軍事力世界2位」のロシア軍はなぜこれほどまでに弱いのか 磯津千由紀 22/08/05
2951 クルマの欠陥デザイン 自動車史に残る?設計ミス 23選 失敗から学ぼう 磯津千由紀 22/08/04
雑談NO.326

NO.2951 クルマの欠陥デザイン 自動車史に残る?設計ミス 23選 失敗から学ぼう<起稿 磯津千由紀>(22/08/04)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2022/08/04 (Thu) 02:49

 こんばんは。


 昔、ラルフ・ネーダーの「どんなスピードでも危険」ってのがありましたよね。メルセデス・ベンツAクラスのサスも、確か同じ構造だったような記憶があります。

 「もくじ」からのリンクは再現できないので、鰻の寝床ですが。

 でも、シトロエンXMの坂道発進の「後続車にぶつからないようにするためには、左足でクラッチを操作し、右足でアクセルとブレーキを同時に踏まなければならない。はっきり言って、これは簡単なことではない。」って、「ブレーキとアクセルの踏み替え」は教習所で習う初歩的操作ですよね。
 マツダRX-8のリアドアも「後席から降りるときは前席の乗員にドアを開けてもらう必要がある。」とあるけど、2ドア車と比べるなら、乗降性は良好です。
 フォルクスワーゲン・ゴルフR32は、3.3Lフラット6エンジンをフロントオーバーハングに積んだスバル・アルシオーネSVXの操縦性は良好なので、「重量配分」が悪いのではなく、足回りの設計が悪かったのでしょう。
 この様に、記事の内容には、少々、疑義があります。


********** 以下引用 **********

クルマの設計は非常に難しい作業であり、時には間違えてしまうこともあります。しかし、たった1つのミスが、企業を倒産に追い込むこともある厳しい世界です。今回は、世界的に有名な「失敗例」を紹介します。


もくじ
ー歴史に残るかもしれない設計上の「失敗例」
ーアルファ・ロメオ・ミト:パーキングライトの操作性
ーアウディTT:高速安定性
ーシボレー・コバルト:イグニッションスイッチ
ークライスラーPTカブリオ:後席の乗降性
ーシトロエンC3プルリエル:ルーフレール
ーシトロエンXM:パーキングブレーキ
ーフィアット500ツインエア:エンジン振動
ーフィアット・ムルティプラ:クランプルゾーンの欠如
ーフィアット・パンダ100HP:バンピーな乗り心地
ーフォード・モデルY:ワイパー
ーリンカーンMKC:スタート/ストップボタンの位置
ーマトラ・ランチョ:サイドウインドウ
ーマツダRX-8:リアドア
ーメルセデス・ベンツAクラス:魔のエルクテスト
ーミニ・クラブマン:リアドアの位置
ー日産アルメーラ2.2D:騒音
ー日産ジューク:ロールセンター
ーNSU Ro80:信頼性の低さ
ーポルシェ911:エンジンの位置
ープロトン・サヴィ:うるさい警告音
ールノー・アヴァンタイム:凝ってるけど不器用なドア
ールノー・クリオV6:重量配分
ーフォルクスワーゲン・ゴルフR32:重量配分
ー無理のある7人乗り仕様
ータッチスクリーン
ー後方視認性
ーガルウィング/シザーズドア


歴史に残るかもしれない設計上の「失敗例」

クルマの設計というのは、非常に複雑な仕事であり、失敗も多い。数万点の部品を抱えながら、安全性、快適性、実用性、室内空間、求められる性能などを、すべて予算の範囲内で整えなければならないのだ。

日々、自動車メーカーが非常に多くのクルマを正しく走らせていることに、もっと感謝すべきなのかもしれない。しかし、時には間違うこともある。そもそものアイディアが悪かったり、良いアイディアがうまくいかなかったり、短い流行に乗ったりしたためだろう。

ここでは、設計上で起きた「失敗例」を、クルマのアルファベット順に紹介する。メーカーの揚げ足を取りたいわけでは決してない。現在の自動車業界は、さまざまな失敗の上に成り立っている。記事の最後に、番外編として、いつの間にか業界全体に広まってしまった「欠陥」も紹介したい。


アルファ・ロメオ・ミト:パーキングライトの操作性

ライトの点灯は、通常、ワンアクションで済む。ボタンを押すか、トグルスイッチを回せばいい。しかし、アルファ・ロメオ・ミトの場合、パーキングライトを点けるにはトリップコンピューターを操作して7つ以上のボタンを押す必要があった。しかも停車中でなければできない。また、スイッチを切るのも、同じ作業の繰り返しである。

公正を期すために言っておくと、アルファ・ロメオと同じように、フィアットにも同じような奇妙なことが起こっていた。フィアットは数年後にこのシステムを放棄する良識があった。


アウディTT:高速安定性

1998年に発表された初代アウディTTは、そのデザインに誰もが驚かされた。しかし、高速走行中の事故が多発してしまい、その対応に追われることになる。

アウディはリコールに踏み切り、サスペンションの改良、リアスポイラーの装着、ハンドリングの改善を行い、高速走行時の操縦安定性を向上させた。


シボレー・コバルト:イグニッションスイッチ

初代コバルトのイグニッションスイッチは、なんと、人の手で回さなくても簡単に回転してしまう構造になっていた。その結果、エンジンが停止し、パワーステアリング、ブレーキアシスト、エアバッグが作動しなくなるなど、その問題性は語るべくもないだろう。

ゼネラルモーターズはこの問題への対応が遅れ、巨額の罰金、議会での公聴会、多くの裁判に発展した。この問題は、コバルトが特に売れたので「コバルト問題」として知られているが、関連性の深いシボレーHHR、ポンティアック・ソルスティス、サターン・アイオン、サターン・スカイでも同じことが起きていた。対象となるモデルは、全世界で約500万台が販売された。


クライスラーPTカブリオ:後席の乗降性

PTクルーザーのコンバーチブル仕様であるカブリオ。個性的なデザインが目を引くクルマだが、前席のシートベルトの位置が、後席へのアクセスを妨げている。

後席に乗り込もうとすると、ベルトを押し下げて乗り越えるか、ベルトを引き上げて下にもぐりこむしかない。また、ルーフをたたんだ状態でなければ、ボディサイドに片手をかけて乗り込むことはできない。


シトロエンC3プルリエル:ルーフレール

プルリエルとは、フランス語で「複数」を意味する言葉だ。シトロエンは、このC3の派生モデルがさまざまなボディスタイルを持っていることを強調するために、この言葉を使った。そのボディスタイルの1つがコンバーチブルである。フロントガラス上部からトランクリッドの上まで伸びているルーフレールを取り外すことで実現できる。

しかし、ルーフレールを車内に持ち込むスペースはなく、家に置いておくしか方法がない。その日一日、天気が良ければいいのだが、そうでなければ、車内がびしょびしょになってしまう。しかも、このクルマが発売された2003年は、天気予報の信頼性が今よりずっと低かったし、スマートフォンもない時代だった。


シトロエンXM:パーキングブレーキ

当時シトロエンで最大のモデルだったXMは、足踏み式パーキングブレーキを採用している。ブレーキ自体はよく効いたが、マニュアル・トランスミッションの場合、坂道発進の際に問題となった。左足でパーキングブレーキとクラッチペダルの両方を操作しなければならないのだが、当然ながらそんなことできるわけがない。

後続車にぶつからないようにするためには、左足でクラッチを操作し、右足でアクセルとブレーキを同時に踏まなければならない。はっきり言って、これは簡単なことではない。


フィアット500ツインエア:エンジン振動

フィアットの小さな875cc 2気筒エンジン「ツインエア」は、ただでさえラブリーな500に、さらにラブリーを加えている。しかし、気筒数の多いエンジンに比べてストロークの間隔が広く、振動が大きいという欠点があった。

発売から数年後、フィアットはデュアルマスフライホイールを装着し、振動をほとんど吸収することでこの問題を大幅に改善した。500だけでなく、ツインエアを搭載した他のモデル(アルファ・ロメオを含む)でも同様の対応が行われている。


フィアット・ムルティプラ:クランプルゾーンの欠如

ここでいうムルティプラとは、1955年から1969年にかけて生産された600をベースとする初代ムルティプラのことである。600は小さなクルマだったが、これを6人乗りとするために、シートを1列追加した。

パッケージングとしては非常に素晴らしい設計だ。しかし、ドライバーと助手席の前方には、正面衝突の際に守ってくれるものはほとんど何もない。通常、ボディ前部には衝撃を吸収するクランプルゾーンが設けられているものだ。もし自動車安全テストのユーロNCAPが当時あったなら、この点について厳しい指摘を受けたことだろう。


フィアット・パンダ100HP:バンピーな乗り心地

パンダ100HPのファンは、このクルマを素晴らしい小型ホットハッチとみなしている。確かに否定はできないのだが、ファンでない人たちは、ちょっとの段差でぴょんぴょん跳ねる乗り心地にすぐに気分を悪くしてしまうだろう。

サスペンションは標準仕様のパンダからアップグレードしているが、フィアットはよほど滑らかな道でしかテストしていないようだ。騒音が大きいことや、腕が長く脚が短いドライバーに最適なドライビングポジションなど、このクルマを批判するのは簡単なことだった。


フォード・モデルY:ワイパー

欧州市場向けに開発された最初のフォード車であるモデルY(エイト)のワイパーは、複雑な事情でエンジン内部の状態と密接に関係している。エンジンを回せば回すほど、ワイパーの動きは遅くなる。雨の日の登り坂などでは役に立たなかった。

公平を期して言うと、モデルYは1935年10月にわずか100ポンドで販売されたが、これは定速電動ワイパーを装着していれば不可能な価格であろう。英国の大衆車を底辺から支えたクルマと言える。しかし、当時のある評論家は、「大雨のとき、これが101ポンドだったらと思ったことが何度もある」と書いている。


リンカーンMKC:スタート/ストップボタンの位置

リンカーンのクロスオーバー車、MKCには、エンジンのオン・オフを切り替えるボタンと、スポーツモードを作動させるボタンが1つずつあった。ここまでは何も問題はない。お察しの通り、2つのボタンは非常に近い場所に配置されていたのだ。スポーツモードを選択しようとすると、走行中に誤ってエンジンを切ってしまう可能性があった。言うまでもなく大問題である。

フォード(リンカーンは高級車ブランド)はリコールを発令し、スタート/ストップボタンの位置を変更した。幸いなことに、シボレー・コバルトのイグニッションスイッチ騒動のような結果を招くことはなかった。


マトラ・ランチョ:サイドウインドウ

ランチョのごく初期のモデルは、スライド式のサイドウインドウにキャッチが付いていなかったため、セキュリティ上の重大なリスクがあった。ある評論家は、「両手にタフィーアップルを持った4歳の子供でも、5秒以内に車内に侵入できるだろう」と評している。

その後、ウィンドウキャッチが仕様に追加された。


マツダRX-8:リアドア

RX-8は、その優れたハンドリングが評価される一方で、経済性の低さや低・中速域のトルク不足など、コンパクト(1.3L)ながら大食いのロータリーエンジンの評判はまちまちだ。しかし、車体設計における不都合を指摘する人はほとんどいない。

RX-8のドアは4枚で、リアドアは後ろ向きに開く。いわゆる「観音開き」である。後席への乗降性とクーペのフォルムを両立するアイデアで、エンジンと並ぶRX-8の特徴となっている。しかし、前が開いていないと後ろが開かないので、後席から降りるときは前席の乗員にドアを開けてもらう必要がある。

また、閉めるときに順番を間違えると、リアドアでボディを傷つけてしまう恐れがある。これは新型のMX-30でも同様である。


メルセデス・ベンツAクラス:魔のエルクテスト

1997年に発売されて間もない初代Aクラスは、スウェーデンの自動車雑誌『Teknikens Varld』誌が実施する安全性テストの結果、劣悪なイメージを与えられてしまう。このテストは、走行中、道路に飛び出してきたヘラジカなどの大型動物を避けるというシチュエーションで、「エルクテスト」と呼ばれるもの。繰り返しハンドルを大きく切ったAクラスは、泥酔した同僚のように片輪を浮かせ、大きく下腹を見せるという失態を演じた。

その結果、メルセデスが受けた評判は最悪のものとなった。同社は、重心の高いクルマには不向きだったサスペンションを調整し、エレクトロニック・スタビリティ・コントロール(ESC)を追加することで対応。こうした改良は後期モデルだけでなく、販売済みの1万7000台にもリコールで適用された。


ミニ・クラブマン:リアドアの位置

クラブマンは、BMW時代に突入したミニのハッチバックをより大きく、より広くしたモデルとして考案された。現行モデルはドアが4枚だが、初代(R55)は3枚だった。欧米仕様で助手席側にあたる車体右側に、「クラブドア」と呼ばれる小さなリアドアがついている。

先述のRX-8のように観音開きスタイルを採用(片側にだけ)したわけで、ドイツや米国などの左ハンドル市場においては、歩道側にドアが開くため比較的乗り降りがしやすい。しかし、生まれ故郷である英国は、日本と同様に右ハンドル市場である。

ハンドルの位置に合わせ、クラブドアを左側に配置するということも技術的に可能ではあったが、燃料タンクの位置を変更する必要があるため、ミニは嫌がった。


日産アルメーラ2.2D:騒音

日産が海外で販売する2代目アルメーラには、モデルによって2.2Lターボディーゼルが搭載されていた。そこそこのパフォーマンスを発揮するエンジンだが、乗員や周囲の歩行者にとっては信じられないほどうるさかった。

高速道路では、風切り音や路面からの騒音で目立たなくなるため、それほどひどくはない。しかし、一般道では、2000年に発売されたクルマとはいえ、到底受け入れられるものではなかった。


日産ジューク:ロールセンター

初代ジュークに関するプレス発表の中で、日産はロールセンターの高さを「コーナリング時のボディロールを減らすために可能な限り低くした」と述べている。しかし、一部のジャーナリストが指摘したように、実際にはロールセンターが低くなるにつれてボディのロールは大きくなるのだ。

ロールセンターの詳細を語り始めると紙面が足りなくなってしまうので割愛するが、「メトロノームの振り子の支点」をイメージするとわかりやすいだろう。これは、重りの位置(重心)とは異なる。ボディがロールする際に中心点となるものだ。

これはプレス側の誤解という解釈もできるが、ジュークは確かにボディロールが目立つ。特に190psを発揮する1.6Lターボエンジンを搭載した16GT FOURの場合だと、ロールを体感するには十分すぎるほど速い。


NSU Ro80:信頼性の低さ

Ro80は魅力的かつ革新的なクルマであったが、2つの大きな問題があった。いずれも発展途上のロータリーエンジンに起因するものである。第一に、とてつもなく燃費が悪く、1973年の燃料価格高騰の際にはイメージが急落してしまった。第二に、ローターが破損し、エンジン停止に至るというものがあった。

信頼性の問題は後に解決されたが、Ro80の評判が回復することはなかった。NSUの評判も同じ。Ro80は欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞(1968年)するなど、発売時には大いに注目を集めたが、やがて多額の保証請求によって経営危機に陥り、NSUはフォルクスワーゲンの傘下に入ることになった。NSUの名は1977年に途絶えている。


ポルシェ911:エンジンの位置

リアアクスルの後ろにエンジンを搭載すると、安定性に疑問符が付いてくる。初期のポルシェ(1964年に登場した初代911まで)では、リアエンジン・後輪駆動方式は低出力の小型車において十分な働きを見せてくれる。

しかし、出力が上がるにつれ(特にターボチャージャーが追加されると)、エンジンの搭載位置が悪いのではないかという評判を得るようになった。ポルシェは近年、911をミドシップ化することなく、この問題を最小限に抑えることに成功。伝統的なエンスージアストを心から喜ばせている。


プロトン・サヴィ:うるさい警告音

パーキングセンサーを搭載しているクルマは、障害物に近づくと警告音が鳴る。音の鳴らし方や音色は、ブランドやモデルによって異なるが、プロトン・サヴィほどうるさいクルマも珍しいかもしれない。

サヴィは、三菱とも関係が深いマレーシアの自動車メーカー、プロトンが製造していたBセグメントのハッチバック車。搭載されたリアパーキングセンサーは、障害物の接近を検知すると、「ギャーギャー」と耳障りな音を立てて警告する。

これは、設計上の欠陥というほどのものではないし、気にしないという人も多いかもしれない。だが、過剰な警告音は人間を不快にさせる。他メーカーの電動テールゲートやスライドドア装備車でも、開閉時に甲高い音が鳴り続けるものがある。決して深刻なものではないが、メーカーにとって簡単に修正できるシステムであることは間違いないだろう。


ルノー・アヴァンタイム:凝ってるけど不器用なドア

アヴァンタイムは、クーペというかSUVというか、分類の難しいクルマだが、とにかくドアが巨大で重い。もし通常のヒンジ式だったら、駐車場で隣のクルマにぶつけないように開けるのはほとんど不可能だろう。幸い、ルノーはダブルヒンジという珍しい機構を採用してくれた。

なかなか凝った仕組みで面白いのだが、乗り降りしやすいかと言うと、そうでもない。長さ1.4mもあるドアはちょっとしか開かないので、前席に座るときはクルマの後ろの方から乗り込まなければいけない。もっといい解決策があったはずだ。


ルノー・クリオV6:重量配分

ラグナに搭載されていた3.0L V6エンジンを、ハッチバックのボディにミドマウントしたクリオV6。十分に速く、とてもエキサイティングな走りを見せる名車だ。しかし、少しばかり刺激的すぎる。ただでさえショートホイールベースなのに、後輪の前に背が高くて重い6気筒エンジンを搭載することは、安定性を確保する最善の方法とは言えない。

初期のクリオV6では、運転に熱中して景色が一回転してしまうという話もよく聞かれた。2代目も、目立った改善は見られなかった。英国でのプレス発表会に出席したジャーナリストたちは、テストコースの直線では好きなだけ速く走れたが、コーナーを速く回ることはルノーに禁じられた。


フォルクスワーゲン・ゴルフR32:重量配分

R32は、重い3.2L V6エンジンをフロントアクスルのほぼ前方に搭載している。直線では速いが、コーナーや段差を乗り越える際には不利だった。

少なくとも平坦な道では、後継モデルの方がはるかに優れている。しかし、狭い間隔でカーブが続く山道のようなコースでは、まだまだ不器用だ。フォルクスワーゲンは結局、R32そのものを、より軽量な2.0Lターボエンジンを搭載したゴルフRに置き換えることで、設計上の欠陥を取り除いたのである。R32の素晴らしいサウンドは過去のものとなったが、走りは比べものにならないほど良くなった。


さて、ここからは特定のクルマではなく、最近業界で広がっている「欠陥」を取り上げたい。


無理のある7人乗り仕様

5人乗りのクルマに、子供用の座席を追加して7人乗りにする例が多い。3列シート車をメインに開発されたクルマならまだしも、前者の場合、最後席はテールゲートに近い位置に設置されることが一般的だ。もし後方から追突された場合、乗員の安全性は万全とは言い難い。

このような事故に対する安全機能は、おおむね予防技術とむち打ち保護に限定されている。もしユーロNCAPや米国道路安全保険協会(IIHS)が後面衝突保護性能のテストを導入したら、欧米をはじめとする自動車メーカーはどのような反応を示すだろうか?


タッチスクリーン

タブレット端末やスマートフォンの普及に伴い、クルマにもタッチスクリーンの搭載を望む声が高まっているようだ。これは、マーケッターが間違った質問をしているためかもしれない。タッチスクリーンの欠点はよく知られている。

走行中の車内では操作しづらく、ボタンやスイッチよりも注意が必要となる。さらに、最近ではそのグラフィックが非常に魅力的で、前方の道路に集中すべき時に、グラフィックに気を取られてしまいがちだ。

将来、もしかしたらこの流れは逆転し、タッチスクリーンは21世紀初頭の「危険な失敗例」とみなされるかもしれない。マツダは現在、タッチスクリーンの流行に抵抗している主要メーカーの1つだ。フランスのDSでも、デザイナーが将来的に大型のタッチスクリーンを廃止しようとしている。


後方視認性

自動車デザイナーは芸術家だ。当然、自分の作品をできるだけ魅力的に見せたいと思うもの。しかし、リアやサイドの窓を小さくしすぎて、運転席から見えなくなるのはいただけない。

後方の視認性が悪くなることについて、あるデザイナーは、「そのためにパーキングセンサーがあるのです」と答えた。でも、ガラスは何のためにあるのだろう?


ガルウィング/シザーズドア

ルーフから立ち上がるように開くドアは面白い。夢のような、ワクワクするデザインだ。しかし、このデザインには明らかな問題がある。もし、事故でクルマが逆さまにひっくり返ってしまったら、どうやって外に出ればいいのか。さらに言えば、川に落ちたり、火事になったりしたらどうするのだろう。

シザードアを多用するあるメーカーにこの点を尋ねたことがあるが、「そんなケースは聞いたことがない」との答えが返ってきた。そんなケースが起こらないことを祈るばかりである。


記事に関わった人々

執筆
AUTOCAR UK
世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。

翻訳
林汰久也
1992年生まれ。愛知県在住。幼い頃から自動車/戦車/飛行機/宇宙船など乗り物全般が大好物。いつかすべての乗り物を手に入れることを夢見ている。最近はバイクの魅力に気づき、原付と中型を衝動買いしてしまった。大学卒業後、不動産営業と記事制作ディレクターを経て2020年に独立し、フリーランスとして活動開始。現在に至る。


******** 以上引用 ********


<参考=「クルマの欠陥デザイン 自動車史に残る?設計ミス 23選 失敗から学ぼう」(AUTOCAR JAPAN、7月30日)>


【パソコン大魔神】 2022/08/04 (Thu) 17:02

磯津千由紀さんへ

以前、長野の蓼科湖に行った折、近くに真新しいけど人気のない「聖光寺」というお寺が有って、その縁起を見て驚いた。

何と「トヨタ自動車」が、”交通事故の撲滅を祈願するため”に建立したそうや。

<参考=聖光寺

そりゃ~そうやろ!
トヨタの滅茶苦茶な設計のお陰で”あの世”に行かされた人間は半端な数では無い。ただ、トヨタにも自責の念は有ったんや。それで、こんな寺を建てたんや。

自動車産業というのは「人を殺してナンボ」の企業なんや。


NO.2952 得意なのは軍事パレードだけ…「軍事力世界2位」のロシア軍はなぜこれほどまでに弱いのか<起稿 磯津千由紀>(22/08/05)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2022/08/05 (Fri) 02:08

 こんばんは。


 私もロシアは強いものと思ってました。


> 蓋を開けてみれば指揮系統も装備もお粗末だった

> ロシアはウクライナの首都キーウを1週間程度で攻略する計画だった。だが、戦況は膠着状態が続いている。なぜロシア軍はここまで弱いのか。テレビ東京の豊島晋作記者は「軍事力は世界第2位といわれるが、とてもそのレベルの軍隊とは思えない。ウクライナに苦戦している理由は4つある」という――。

> ※本稿は、豊島晋作『ウクライナ戦争は世界をどう変えたか「独裁者の論理」と試される「日本の論理」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。


> その弱さは世界の軍事関係者に衝撃をもたらした

> ロシア軍によるウクライナ侵攻は、世界の軍事関係者に2つの衝撃をもたらした。一つは言うまでもなく、ロシアが本当に軍事侵攻に踏み切ったという事実そのもの。そしてもう一つは、ロシア軍のあまりの弱さだった。

> 侵攻当初、ウクライナの首都キーウは1週間程度で陥落すると見られていた。ところが攻防は続き、ロシア軍の苦戦ばかりが報じられた。結局、早々に戦略全体を見直す必要に迫られ、主戦場をキーウから東部ドンバス地域に移すことを余儀なくされたのである。

> なぜ、そこまで弱かったのか。まずは苦戦の状況を確認しておこう。

> ロシア陸軍は、BTG(Battalion Tactical Group)というユニット単位で行動している。複数の機動部隊で編制された組織で、日本語で言えば「大隊戦術群」だ。その兵員数は700~800人。最大で900人の組織もある。

> その中で、先陣を切るのが戦車10両からなる戦車中隊。その後に30両以上の戦闘車両、自走砲、ロケット砲、対空攻撃能力を持つ車両、歩兵部隊などが続く。これが、地上作戦における単位として機能している。

> ロシアのタス通信によれば、2021年時点で、ロシア軍は合計で約170のBTGを保有している。そして、このうち約六割を超える約110をウクライナに展開させたと見られている。つまり今回、ロシア陸軍は保有する3分の2弱もの戦力を投入したわけだ。総兵力では約19万人と言われている。


> 作戦としては大失敗と言わざるを得ない

> キーウ攻防戦での敗北などもあり、早くも4月上旬の時点で、29のBTGが大きな損害を受け、作戦行動ができない状態に陥っていたようだ。これは欧州当局者の分析による推定だが、侵攻からわずか2カ月弱で全部隊の4分の1以上を失い目立った戦果を挙げられなかったとすれば、作戦としては大失敗と言わざるを得ない。

> どこかで誤算があったのか、そもそもBTGを利用した戦略が失敗だったのか、ロシア軍としては、作戦の立て直しを迫られることになった。

> ロシア軍制服組のトップであるワレリー・ゲラシモフ参謀総長は、優秀な軍人で戦略家としても知られるが、BTGの要である戦車部隊の出身でもある。今回、BTGがうまく機能しなかったとすれば、その状況をどう総括したのか。それはウクライナ侵攻の行方とともに、ロシア軍全体の戦略や再編制にも影響を及ぼすだろう。

> ともかく苦戦は続き、全戦力の大部分をウクライナとその周辺や欧州正面に展開せざるを得なくなった。大量の戦力を隣国に投入した結果、総延長2万キロを超え、世界最多の18カ国と接する国境の守りは薄くなっている。


> 「アフガン侵攻の10年間」に匹敵する損害

> 日米と向き合う東部軍管区の兵力までもがウクライナに展開した結果、東部地域の戦力も弱まり、ロシア空軍は中国軍に日本の周辺空域を一緒に飛ぶよう要請し、虚勢を張らざるを得ない状態と見られる。極東ロシア軍は、日本の安全保障上の脅威ではあるが、足元でその力はやや低下している。

> ロシア軍は多数の死者を出していたこともわかっている。西側の国防当局者の分析では、開戦からわずか3週間の時点で、2000~6000人の兵士が亡くなっていた可能性がある。通常の戦闘の場合、負傷者や捕虜は死者の3~4倍いると推計されるので、それを当てはめれば、少なくとも1万人近くが戦闘不能に陥った可能性がある。

> この数字は、おそらくウクライナ兵の犠牲よりも大きい。侵攻から間もなくシリアなどで傭兵ようへいを募集していたのも、こうした軍の激しい消耗を少しでも穴埋めするためだった。

> また、開戦後1カ月の時点で、ロシア軍の死者は7000~1万5000人にも達したというNATO側の分析もある。どこまで正確かはさておき、仮に最大の1万5000人とすれば、79年末に旧ソ連が行ったアフガン侵攻時の兵士の死者数に匹敵する。ただアフガン侵攻の場合は、89年に撤退を完了するまでの10年間の数字だ。その数を1カ月で失っているとすれば、いかにロシア軍の受けた損害が大きいかがわかるだろう。


> 最大の敵「NATO軍」との戦いどころではない

> 必然的に、兵器の損害も大きくなった。アメリカ国防総省は、5月末時点でロシア陸軍は1000両の戦車、350門を超える大砲、30~40機の戦闘機、50機のヘリコプターなどを失ったと分析している。

> 一方、ウクライナの被害状況はどうか。ロシア軍の発表によると、4月16日の時点で2万3000人以上のウクライナ兵を殺害したとしている。ただし、ほぼ同時期にウクライナのゼレンスキー大統領は、兵士の死者数について2500~3000人と述べている。およそ10倍近い開きがあるわけで、どちらが正しいか、嘘をついているか、一概に判断することは難しい。実際は、両者が発表する数字の間にあるのかもしれない。

> ただ、東部ドンバス地域での激しい戦いが始まった5月に入ると、ゼレンスキー大統領は1日に50~100人の兵士が死亡していると述べている。そして6月初めには100~200人とも述べている。実際より少なく発表している可能性もあるが、仮に200人だとすれば、負傷などで戦闘不能に陥った兵士が600人程度に上り、わずか2~3日間で1000人を大きく超える兵力を失っていたことになる。

> このようにウクライナ側の損害も大きいと見られるわけだが、いずれにせよロシア軍も最大の敵として想定していたNATO軍との戦いを前に、大きな打撃を受けた。


> 軍事力は「世界第2位」と言われていたが…

> ロシア軍はなぜここまで弱かったのか。開戦当初、ロシア軍は部隊間の連携に手間取り、武器や弾薬そして食料を供給する兵站へいたんは機能せず、キーウ攻防戦では次第にウクライナ軍に撃退されていった。ハルキウ(ハリコフ)周辺でもなりふり構わぬ砲撃戦を展開したが、結局は撃退された。最終的にロシア軍は戦略全体の見直しを余儀なくされ、いったん首都および北部攻略は断念して東部ドンバス地域と南部に戦力を集中させている。

> 各国の軍事力を総合的に分析しているGlobal Firepowerのランキングによると、ロシア軍の軍事力は、世界第2位と言われていた。一位の米軍には劣るが、EU各国や台頭する中国・インドより上と認識されていたのだ。もちろん、ウクライナ軍を圧倒的に凌駕していた。

> ところが今回の侵攻を見るかぎり、とてもそのレベルの軍隊の行動とは思えないのである。

> いったいロシア軍の中で何が起きていたのか。戦時下で収集されたかぎられた情報(意図的に流された虚偽情報が含まれる可能性もある)をもとに、分析を試みたい。


> 1.戦術レベルの指揮系統が連携していない

> 大前提として、ウクライナ軍の果敢な抵抗があることは間違いない。自分たちの国家・国土を絶対に守るという士気の高さに加え、NATO諸国が供与した対戦車ミサイルなどが初戦では有効に機能したことがわかっている。

> ただそれにしても、ロシア軍の損害は大きい。ここまでロシア軍が弱かった理由の一つとして考えられるのは、まず、戦術レベルの指揮系統の連携不足だ。

> NATO側の軍事専門家は、12から20のBTGからなる作戦行動グループについて、開戦当初はロシア陸軍司令部が指揮を執っていた可能性を指摘している。そして最初の電撃戦の段階で、この陸軍司令部と現場部隊との間に、中間的な司令部が置かれた形跡はないようだ。

> このため、前線からはるか後方にいる司令部が、非常に多くの大部隊を“遠隔操作”していた可能性があるという。その結果、効率的な部隊運用ができず、現場から上がってくる情報も適切に処理されず、作戦の混乱を招いたという見立てだ。時間の経過とともに、この問題は改善はされていったようだが、ロシア軍の指揮系統の混乱、部隊間の連携不足のひどさが初戦での敗退につながったと考えられる。


> 2.私用携帯を使うほどの装備の貧弱さ

> また、貧弱な装備も指摘されている。その一つが、最前線での意思疎通に欠かせない通信機器。前線のロシア兵が持つ無線機は安価な中国製で、暗号化された通信ができなかった可能性がある。このため、通信の大部分がウクライナ軍側に漏れていたと見られる。実際、ウクライナに住むアマチュア無線の愛好家でも傍受できる状況だったようだ。通信の暗号化は軍事行動の基本中の基本だが、それができていなかった。

> それどころか、通信環境が悪い場合には、私用の携帯電話で部隊指揮官などと連絡を取り合っていたとの情報もある。当然ながらウクライナ国内の携帯通信ネットワークを使うことになるので、これも内容は筒抜けだ。ウクライナ側に回線を遮断されたり、真偽不明のSNS情報ではあるが、携帯電話の電波塔を自ら砲撃して通信不能に陥ったりすることもあったという。いずれにせよ軍隊の行動としては、お粗末としか言いようがない。


> 3.指揮を執る将官を5分の1失っている

> 指揮系統が混乱する中で、開戦から短期間のうちに、ロシア軍では部隊の指揮を執る20人の将官クラスのうち4人が死亡している。通信機器の問題や意思疎通の混乱で最前線まで自ら出ていく必要があったという説や、NATO軍の情報支援を元にウクライナ軍の狙撃手が標的にした結果との指摘もある。ただ5人に1人というこの死亡率の高さは米軍などでは考えられない。また4月末までには、計9人が死亡したと伝えられている。

> さらに5月の上旬時点では、ウクライナ軍は12人のロシア軍の将官を殺害したと発表している。これはかつてソ連がアフガニスタンにおいて10年間で失った将官の人数の2倍だ。ウクライナ軍の発表している数字なので信頼性に疑義はある。ただ、この数字に関しては比較的信憑性が高い。なぜなら、ロシア軍としては生きている本人をメディアに露出させるなどといった反証が可能だからだ。しかし、ロシア軍は将軍たちの生存を証明できなかったようだ。

> プーチン大統領に忠実なことで知られるチェチェン共和国の独裁者カディロフ首長の部隊もウクライナ入りしている。カディロフ首長の軍隊はこれまでも非合法な殺人や誘拐など残虐な行為でしばしば批判されてきた。今回の侵攻では、ロシア軍の指揮系統には入らず、プーチン大統領の命令にのみ従っていたと指摘されている。これが、最前線の現場を余計に混乱させた可能性もある。


> 4.「国を守る志願兵」と「徴兵された若者たち」

> そしてもう一つ、ロシア軍は軍事行動に欠かせないロジスティクスにも問題を抱えていた。兵士たちのための武器、弾薬、食糧も供給体制が十分に整っていなかった。また兵員輸送車や、戦車なども故障が相次いだ。

> ロシア軍は侵攻前、比較的長い時間を国境地域での軍事演習で過ごしていた。兵士たちの疲労感もたまっていて、装備もメンテナンスの時期を迎えていたようだが、そのまま実戦に突入している。さらに作戦には想定外の時間がかかったため、不具合や燃料不足が相次いだと見られている。

> 戦争が始まった2月末から3月にかけてのウクライナは寒かった。氷点下まで冷え込む中、ロシア軍の兵士が戦車などの車両のエンジンを切って眠っているという話すらも報じられていた。開戦当初のウクライナ兵の平均年齢は30~35歳で、対峙するロシア兵は20~25歳の徴兵された若者が中心だったと推測されている。


> 「ロシア軍が得意なのは軍事パレードだけだ」

> ウクライナ兵は多くが自ら戦うことを選んだ志願兵であり、士気は高い。一方でロシア兵は、多くが徴兵された若者であり、この侵攻の大義を十分に信じていたとは言い難く、積極的な意志で参加したわけでもない。それに陸軍の歩兵にはロシア国内でも貧しい少数民族の兵士も多いと言われる。

> またウクライナ語はロシア語に近い言語であり、自分の親に顔が似ていたり年齢が近かったりする。その相手に銃を向けることには、最初は心理的な抵抗もあったかもしれない。かつ、装備や作戦、兵站にこれだけ不備があれば、兵士の士気が下がるのは当然だろう。

> ロシア軍の初戦での敗退を見た西側の軍人からは、「ロシア軍が得意なのは軍事パレードだけだ」と揶揄やゆする声も聞かれた。


<参考=「得意なのは軍事パレードだけ…「軍事力世界2位」のロシア軍はなぜこれほどまでに弱いのか」(プレジデントオンライン、8月2日)>


【パソコン大魔神】 2022/08/05 (Fri) 03:10

そもそも、今前線に投入されているロシア軍は”正規軍”では無く”アルバイト”みたいなモンや。訓練された正規軍なら「ワグネル」みたいな戦い方をするやろ。

ウクライナ軍も”民兵部隊”のレベルや。”アルバイト”対”民兵”ならこんなモンやろ。何しろ、”ロシア正規軍”と”NATO正規軍”が本気で当たったら「第三次世界大戦」や。お互い、それだけは避けたいんやろ。.......で、こんなザマになったんや。

しかし、”気チガイ”が権力を持つとこういう事が起きるんや。誰かプーチンを心療内科に連れて行く奴はオランのかと思う。


NO.2953 「広島と長崎から教訓学べ」 米中には対話訴え―国連総長<起稿 磯津千由紀>(22/08/05)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2022/08/05 (Fri) 02:21

 こんばんは。


 流石グテレス国連事務総長。


> 【ニューヨーク時事】グテレス国連事務総長は3日、停滞する核軍縮を前進させるため「世界は広島と長崎の恐ろしい悲劇から教訓を学ばなければならない」と訴えた。6日の原爆の日に合わせた広島訪問を前に、ニューヨークの国連本部で日本メディアのインタビューに応じた。

> 国連、事務総長の広島訪問を正式発表 岸田首相と会談へ
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022080200235&g=int
<消滅・23/08/18>

> ウクライナに侵攻したロシアが核戦力による威嚇を行う中、国連本部では現在、核軍縮や不拡散を定めた核拡散防止条約(NPT)の再検討会議が開かれている。

> グテレス氏は「(会議では)核兵器不使用の原則を再確認することを期待する」と表明。「核兵器使用は絶対に受け入れられないと核保有国に伝えるのに、日本ほど適した国はない」とも述べ、唯一の戦争被爆国として、日本に中心的役割を担うよう求めた。

> ペロシ米下院議長が台湾を訪問し、米中間で緊張が高まっている問題に関しては「世界が二つに分かれている余裕はない」と強調。対立で世界経済が混乱すれば、途上国にも悪影響が及ぶとの懸念を踏まえ、緊張緩和に向け「米中の交渉が必要だ」と呼び掛けた。

> 一方、国連としての立場は、中華民国(台湾)に代わり中華人民共和国(中国)を国連の「中国」代表と認めた「(1971年採択の)国連総会決議に基づく『一つの中国』原則に定義されている」との認識を示した。

> 今年に入り弾道ミサイルの発射を続けた北朝鮮については、活動が安保理決議違反だと改めて主張。北朝鮮による拉致被害者や家族、日本国民への「連帯を表したい」と語った。


<参考=「「広島と長崎から教訓学べ」 米中には対話訴え―国連総長」(時事ドットコム、8月4日)>
<消滅・23/08/18>


【パソコン大魔神】 2022/08/05 (Fri) 04:33

「アントニオ・グテーレス 第9代国連事務総長」は凄い人です。WHOのテドロス氏とはエライ違いで、中国の息がかかった人では有りません。

----以下 引用----

アントニオ・グテーレス氏は2017年1月1日、第9代国連事務総長に就任しました。

地球上で最も脆弱な立場に置かれた人々の苦難を難民キャンプや紛争地帯で目の当たりにしてきたグテーレス事務総長は、あらゆる人々の人間の尊厳をその活動の中心に据えています。前例のない世界的課題の重なる時代を迎え、事務総長は、国連憲章への責務に基づき、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックへの対応や、気候危機への対処、ジェンダー平等の前進に加え、平和と持続可能な開発、人権、人道援助の確保という国連の極めて重要な取り組みを強化する野心的な21世紀の改革の実現に向けて、人々を動員し、行動を起こしています。

グテーレス氏は事務総長任命以前の2005年6月から2015年12月にかけ、国連難民高等弁務官(UNHCR)を務め、数十年に一度の規模の強制移動の危機が数回にわたって生じる中で、世界最大の人道機関の一つを率いました。シリアとイラクでの紛争や、南スーダン、中央アフリカ共和国、イエメンでの危機により、UNHCRの活動は急激に拡大し、紛争や迫害を逃れて避難する人々の数も、2005年の3,800万人から2015年の6,000万人以上へと増大しました。

UNHCR就任以前、グテーレス氏は20年以上にわたり、政務および公務に従事しました。1995年から2002年にかけてはポルトガルの首相として、東ティモール危機の解決に向けた国際的な取り組みに深く関わりました。

2000年初めには欧州理事会議長として、成長と雇用のための「リスボン・アジェンダ」の採択を主導するとともに、初の欧州連合(EU)アフリカ・サミットで共同議長を務めました。また、1991年から2002年にかけ、ポルトガル国家評議会のメンバーも務めました。

グテーレス氏は1976年、ポルトガルの議会選挙で当選し、17年間にわたって議員を務めました。その間、議会の経済・財政委員会、そして後には国土計画・地方自治・環境委員会の委員長を歴任しました。また、自らの政党が所属する議院会派のリーダーも務めています。

1981年から1983年にかけ、グテーレス氏は欧州評議会議員会議のメンバーとして、人口統計・移住・難民委員会の委員長を務めました。

グテーレス氏は長年にわたり、社会民主主義政党の世界的機関である社会主義インターナショナルで活躍しました。1992年から1999年にかけては、その副議長として、アフリカ委員会、そして後には開発委員会の共同委員長を務めました。また、1999年から2005年半ばまでは、議長の職にありました。グテーレス氏はさらに、ポルトガル難民協議会とポルトガル消費者協会DECOを結成するとともに、1970年代初めには、リスボンの貧困地区で社会開発プロジェクトを手がける団体「学生ソーシャルアクションセンター」の所長を務めました。

グテーレス氏は、全世界の民主的な大統領、首相経験者によるリーダーシップ連合「マドリード・クラブ(the Club of Madrid)」のメンバーでもあります。

1949年にリスボンで生まれたグテーレス氏は、リスボン工科大学工学部を卒業しました。ポルトガル語のほか、英語、フランス語、スペイン語にも堪能です。妻カタリーナ・デ・アルメイダ・バス・ピント氏との間に子ども2人、継息子1人がいるほか、3人の孫の祖父でもあります。

<参考=国際連合広報センター